体の陰影がはっきりと出るディープティールのカラードレスなのだが、王留美の持ち物としては珍しく、すっきりとシンプルなデザインだ。チューブトップのような胸元にもピンタックなどのドレープ加工は一切なく、柔らかなAラインのスカートの下から黒いオーガンジーのスカートが見え隠れしている。腰には黒いサテンの幅広リボンが巻かれ、前サイドに刹那の顔ほども大きさがある黒薔薇のコサージュが付けられていた。すらりと伸びた足は大きな華柄のレースストッキングが包んでいる。頭にも幅広リボンが巻かれているが、こちらはドレスと同じ色をしている。いつもより目が大きく見えると思えば化粧を施されているようで長い睫がより長く見え、ほんのりと色づく色合いに愛らしさを際立たせられている。
「………」
「?ロックオン?」
固まったまま声一つ発せないままのロックオンに刹那は首を傾げつつ近寄ると指先で頬を擽られる。瞳を細めながら感受しているとようやく話し始めた。
「……お前さん……」
「どこかおかしいか?」
「いや……そうじゃなくて……」
「なんだ?」
「可愛すぎて抱きしめたい。」
「ッ!」
濡れたような瞳と真摯な表情に、低められた甘い声が相俟って顔がかっと赤く染まる。するりと肩に回る腕にうろたえた。
「い、今はダメだ!」
「えー……」
「えー、じゃない!みんなを待たせている!」
「むぅ……じゃあ終わってから抱きしめていい?」
「……善処する……」
全く引きさがらない子供のような大人がみるみるしょんぼりした表情になっていくので、とてつもなく罪悪感に駆られてしまう。終いには捨て犬に見つめられているような瞳をされるものだから、折れてしまった。
「やり!じゃ、今はこれで我慢。」
「んっ!」
途端にぱぁっと輝く顔が満面の笑みに変わると顎を掬い上げられて抵抗の一つも出来ない内にちゅっと唇を奪われてしまう。一瞬遅れて何をされたか理解出来るとかぁ〜っと頬が熱くなっていった。
「〜〜〜ッ!!!」
その表情の変化を近くで見つめてふわりと瞳を細めればきっと睨みつけられる。殴られない内に手を離して詰めた距離を離した。
「ほら、どのリボンが結べないって?」
「〜〜〜……これ。」
なんでもない風に問いかければさぞ悔しいのだろう、眉間にくっきりと皺を刻みながら腰のリボンを広げて見せてくれた。それを受け取ると後ろを向いてもらいしゅるりと滑る布に高級さを感じながら結んでしまう。形を整え終わるとカーテンを開いて先に出ていく。
「あと靴はこれを履いてくれってことで。」
「……ん。」
机に置かれた靴の箱を取り上げて振り返ると刹那がじっと見つめてきている。何やら考え事をしているのか、返事もどこか浮ついて聞こえた。首を傾げると我に返ったようにぴくりと肩を跳ねさせている。
「?……なぁに?なんかついてる?」
「あ、いや……さっきは薄暗くて分からなかったが……眼鏡……」
射撃をするから、というわけではないが、ロックオンの視力が頗る良い事を知っている刹那が不思議そうに聞いてくるから苦笑を浮かべる。さっきはほの暗さからフレームのない、レンズだけの眼鏡は見えなかったのだろう。
「あぁ、伊達眼鏡だけどさ。スメラギさんの指示で。」
「指示?」
「あぁ、髪を括るか纏めるかしろって言われてこの形にしたら眼鏡ありの方がいいってよ。」
「……なるほど。」
やけに納得したような返事をするわりには視線は釘づけのままだった。どうしたもんかとからかい半分に聞いてみる。
「なに?見惚れた?」
「ち、違う!ただ……」
「ただ?」
「えろい。」
「……ッ……」
きっぱりと放たれた言葉にずーんとうなだれてしまう。まさか刹那にまで言われるとは思っていなかった分、衝撃と破壊力は計り知れない。
「……酷く疲れる夜になるな。」
「へ?」
立ち直れ、俺……と自分自身に言い聞かせていると、刹那が憂鬱そうな溜息をふっと吐き出しながらそんなことを言うからきょとりと振り返る。すると少しおもしろくなさそうな表情を浮かべていた。
「……なんで?」
「……女性の視線を集めるあんたの横にいるのが大変だろうから。」
その言葉に頭の中が真っ白に染まってしまった。しばらく思考停止状態になってしまい、未だ不機嫌そうな表情のままの刹那に、じわじわと湧き上がる言い表しようのない感動が満ちてくる。歓喜に震える心を噛みしめていると取り出した靴をさっそく履いていた刹那がぐらりと傾いた。
「っうわ!」
「っと……なぁにやってんの。」
顔から床に直撃しそうな体を片腕で抱きとめてやると呆れた表情に苦笑を交えて覗き込む。するとつま先に辛うじて紐で引っかかっているミュールが目に付いた。
「いや、靴のベルトを止めようと……」
「あのねぇ……そういうのは椅子に座ってやるもんなの。」
「……そうなのか……」
落ちそうな靴を手に持ち刹那を抱き上げると近くのソファに下してやった。とりあえず足首をひねったりはしていないようでしょぼんとした表情を浮かべている。手のひらに収まりそうなミュールのベルトを緩めるとその場にひざまづいた。
「ほら、足出して。」
「え?ロックオン?」
「履かせてやるから。」
「あ……あぁ……」
ぽんぽんと腿を叩くと意図を正確に読み取ってくれたようで、躊躇しながらも片足を乗せてくれる。それを内心、よしよし、と微笑みながら丁寧に履かせて細いベルトを留めた。ベルトのせいか、やけに細く見える足首に齧り付きたい衝動と戦いつつ、両方履かせ終えた。
「はい、おしまい。」
「っ!」
あまりにムラムラとするので……ちょっとだけ……履かせたご褒美ってことで。と自分に言い訳しながら、足首に唇を押し当てると面白いくらいに跳ねる体に小さく笑いをこぼした。ここが自室だったなら間違いなくそのまま上り詰めて丸い膝や、柔らかな腿にも口付けて足の付け根まで上がれば歯を立てて……としていただろう。残念ながらここは王家の控え室でこれからパーティーに繰り出すのだから、色事に耽るわけにはいかない。内心酷くがっかりしながらもあっさりと解放して見上げてみると頬を真っ赤にした刹那が必死にそっぽ向いている。
「あぁ、そうだ。」
「まだ何かあるのか?」
最終チェックを兼ねて手を引きソファから立たせてやると高いヒールに慣れないのだろう、少しふらつくから控え室から出る前に慣れるようにとエスコートしながら歩いてみる。するとすぐにコツを見つけたのか、一回二回と歩きまわる内に手を引かなくても自分で歩けるようになってしまった。その勤勉な様子に笑みを零しながらちらりと顔を出した悪戯心を口に出す。
「うん。足を上げる時さ、出来るだけ内股にしろよ?」
「?なぜだ?」
「えっろいガーターが見えてたから。」
「ッ!!!!!」
せっかく赤味の引いた頬が再び真っ赤に染めるとスカートの端を押さえつける刹那に弛む頬を留める術はなかった。
* * * * *
ようやく合流した二人を散々囃し立てた一行はパーティー会場へと入っていった。予想に違わぬセレブの集まりに心なし緊張しているのか、クリスの笑顔が少々引き攣り、ラッセが仏頂面になっている。ティエリアとフェルトに至っては無関心なのだろう、いつもと変わりないがアレルヤの歩き方がやけに可笑しくなっていた。ちらりと視線を下げた位置にある刹那の顔を盗み見ると、スメラギから何かしら吹き込まれたのだろう、いつもの無表情ではなく、小さな笑みを浮かべている。
顔見知りなのだろう、留美が挨拶を交わしている内にメンバーはそれぞれ会場内へと散っていった。
さり気無く会話の輪に入るロックオンの横で刹那はただ寄り添い続けていた。彼がたまに話を振られてごく自然と話を弾ませていると狙っていたかのように数人の男が声を掛けてダンスを誘いにくるが、やんわりとした口調と笑みで上手くかわしている。そんな様子を横目に感心していると丁度切りよく話が逸れたのでまた移動しようと刹那の腰に手を回して歩き始めた。
「……収穫は?」
「んー……まだ。」
「……ロックオン?」
「うん?」
「……何か怒っているのか?」
突然放たれた質問にロックオンはぱちくりと瞬いて思わず歩みを止めてしまった。けれど中途半端な場所で立ち止まるのは人の往来の邪魔になるだろう、ととりあえず壁際に寄って行く。そうして向かい合わせになるとじっと見上げてくる紅の瞳に向き直った。
「……なんで?」
「あんたには珍しく機嫌が悪いように見える。」
こてん、と小さく首を傾げる様に数回瞬くと、尚もじっと見上げる瞳に視線が泳いでいった。
「……あ〜……うん……そうねぇ……」
刹那の疑問は、正直に言えば正解である。
パートナーであるロックオンが横にいるのに声をかけてくる男達が苛立たしかった。けれど分かるような事は何一つしていなかったはずだ。むしろいつも通りの対応をしていたと思っている。しかし見上げてくる刹那の瞳から機嫌を損ねているのは見透かされているらしい。
「……分かった。」
「へ?」
「今から別行動に移る。」
「は?いやいや、ちょっと待ちなさい。」
言うが早いか、動くが早いか、さっさと人の輪の中に行こうとする刹那の手を慌てて掴みとる。離れた体を引き戻して逃がさないように両肩を掴み直した。
「どうしてそういう方向になるの?」
刹那の行動が突拍子もない事は分かっているが、今はとりあえず行動に移す前に理由を教えてもらいたい。そういった願いを込めて見つめ返すと少しむったした表情をされる。
「俺が横にいては邪魔だろう?」
「はい?」
「それに侍るわけでもない、ただ横にいるだけなら俺でなくてもいい。」
「……なんだよ、それ?」
そっけなく言い放たれた言葉に今度はロックオンがむっとなる番だった。これが普段の街中でする聞き込みならばまだいい。けれどセレブの集まる華やかな場所だと言葉遣いに細心の注意を払わなくてはならない。少しでも言い回しを間違えると途端に浮き彫りにされてしまう。特に女性なんかはほんの些細な部分にまで鋭く突いてくるのだ。そういった点でも刹那は人見知りな深窓のお嬢様といった雰囲気を演じているのだが……
それゆえ、確かに刹那としてはただ黙ってロックオンの横にいるだけでしかない。けれどロックオンから言わせれば、そんな彼女と一緒にいる男ということで地位のある男性に見られることが出来ていた。残念ながら刹那にはその事実は伝わっていないのだ。それどころか自分を役立たずのような物言いになっている事にロックオンは腹立たしく感じている。
「もっとあんたに合う女性はいっぱいいる。」
「……で?お前さんは?」
「一人で構わない。」
「そりゃ却下だな。」
予想通りの答えに呆れたようなため息を吐き出した。その音に刹那の眉がぴくりと跳ねる。きっと子供扱いされているのだと思っているのだろう。けれどそれ以上に危機感を全く感じていない方がロックオンにとっては重大だった。
「せめてスメラギとかアレルヤと一緒にいろよ。」
「迷子になんかならない。」
「そうじゃなくて。」
「なに?」
「変な男に絡まれたらどうすんだよ?」
心配している事をストレートにぶつけると余程意外だったのか、きょとりと不思議そうな顔をされてしまった。
「有り得ない。」
「どうして言い切れる?少しの時間で随分言い寄って来てたじゃねぇか。」
「あれはあんたのせいだ。」
「は?」
「あんたの横から俺を離す為に差し向けられた人達だ。」
きっぱりと言い切る刹那に今度はロックオンがきょとんとしてしまう。そうしてみるみる怪訝な顔つきになり、本気で言っているのか?と言外に表した。刹那は刹那で自分の考えが全く間違いではないと言わんばかりの表情をしているから、重いため息が口から溢れてしまう。
「お前さん目当てなだけだって。」
「違う。」
「違わない。こんなに可愛いんだからお近づきになりたいって思うだろうに。」
瞳を細めてちょいちょいと頬を擽るように突付くと予想通りに頬を染めるが、同時に眉間にもくっきりと皺を刻んでしまう。
「そんなことを思うのはあんたくらいしかいない。」
「んなことねぇよ。たいだい、俺には一人も話しかけて来てねぇじゃん。」
「一人になるのを待ってるからだ。あんたが一人の方が言い寄りやすいんだろう。」
「んなバカな……」
「あんたが自分の事に鈍いだけだ。」
「そりゃお前さんだろ?」
深く溜め込んだ息を吐き出すと刹那の表情がますます険しくなる。更に重ねられた言葉に呆れた表情を返すとぷいっとそっぽ向いてしまった。どうやらこれ以上話しても無駄だといいたいらしい。
「あっそ。じゃ、一人になって散々言い寄られてらっしゃいな?」
「その言葉そのまま返してやる。」
きっと一睨みするとすたすたと歩いていってしまった。その後ろ姿にまた一つため息を溢していると、離れた途端に声を掛けられている。そらみたことか……と思っていると遠慮がちに掛けられた声に振り返った。するといつの間に近づいていたのか、数人の女性が瞳を輝かせて見つめてきている。その光景に、おや?とロックオンは内心首を傾げてしまった。
どうやら刹那の言い分も当たっていたことを痛感しながらも失礼のないようにと対応をし始めるのだった。
* * * * *
ようやく女性からの猛烈なアピール合戦を抜けてきたロックオンは空いたソファを見つけて深々と腰掛けた。ちょうどボーイが通りかかったので声を掛けてスコッチのグラスを貰うとくっと半分ほど一気に飲み干した。
「あら、随分強いお酒を召し上がるのね?」
「……あ……」
ふと視界の端に写るドレスの裾に誰か来たと思って見上げると笑みを浮かべる留美が立っている。
「お隣、よろしくて?」
「えぇ、どうぞ。」
座っているソファの反対側を指差されたので手を差し出してさり気無くエスコートし座ってもらう。すると途端に居心地が悪くなってきた。何を話すにも話題らしきものが浮かばない。誤魔化すようにグラスに口をつけるもすぐに空になってしまう。さり気に寄って来たボーイにグラスを渡すと留美の方から話しかけてくれた。
「梃子摺っていらっしゃるのね?」
「え?」
「青い仔猫さんですわ。」
小さく指差された先にはまた新しい男性からアプローチを受けている刹那がいる。それを確認できたところで苦笑が浮かんできた。
「えぇ……まぁ……」
「まさかそんな状態のあなたまで見れるとは思いませんでしたわ。」
「?何がですか?」
微妙にずれた言葉に首を傾げると悪戯っぽい笑みを返される。その表情にぱちくりと瞬いた。
「刹那に女装させるように仕向けたのは私なの。」
「……へ??」
「だってこのパーティー、男女ペアでなくてはならないなんて決まりはなくってよ?」
「……はいぃ??」
突然のカミングアウトに間の抜けた声が出てしまった。幸いにも近くに人は居ないので誰にも気付かれずに済んだが、ころころと楽しげに笑う彼女にロックオンは尚も唖然としている。
「お気づきにならなかったかしら?」
「え?だって……」
「私、紅龍と来ましたのよ?」
「………あ〜……」
言われてようやく納得がいった。紅龍は男といえど、留美にとっては使用人のような存在だ。その彼をパートナーとしているのはおかしかったのだ。
「ってことはスメラギさんもぐるですか?」
「いいえ?彼女には何も言っていませんわ。」
「……ホントに?」
「えぇ、でもドレスで気付いたかもしれないですわね。」
「ドレス……あぁ、貴女にしてはシンプルなデザインですよね。」
ドレスについてもう少し突っ込んで聞いてみれば、一応刹那が今着ているドレスも彼女の私物ではあるという。ただし、刺繍や染め抜きを施す前のものだ。本来ならば、あの形に仕上げた後にスパンコールやビーズで大輪の華を描かせ、レースを縫いつけて華やかさを盛り込む予定だった。けれどそれらを施してしまうと流石に刹那が拒絶するだろう。それを見越してあったのだから、抜け目がないというか…複雑な気分だ。
「あの子、出会った頃からうんと雰囲気が変わったでしょう?」
「え?……あ、はぁ……」
「だからもっと変わった姿を見てみたかったの。」
そう言って笑う彼女の表情は悪戯が成功した子供のようだった。どうやらスメラギ共々金持ちの余興に巻き込まれてしまったらしい。思わずため息を吐き出して目頭を押さえてしまう。横から聞こえる笑い声に充分愉しんでいただけただろう、と刹那の回収に向かうべく顔を上げるとまさにその刹那がまた見知らぬ男に言い寄られていた。しばらく見ていると首を振って断っているのだが、結構酒を飲んだらしく全く引き下がらないようだ。それどころか腕を掴んで無理矢理連れて行こうとさえしている。
「!」
更に腕どころか腰にまで回される腕にカッと来て立ち上がろうとしたが、それより先に紅龍がグラスを持って現れた。様子を見ているとどうやら牽制をしているようで、いくつか言葉を交わすと男がへこへこと退散していく。
「大丈夫ですわ。」
「へ?」
「ちゃんと紅龍に言いつけてあるからおかしな輩に連れて行かれることはなくてよ。」
「あ、あぁ……」
「けれど……あまり身分の高い方が来られると断りきれませんわね。そろそろ行って差し上げては?」
「……そうですね。刹那も疲れてるみたいですし。回収してきますよ。」
笑みを浮かべて立ち上がるとそっと手を差し出される。彼女も立つのかと手を取ると、何かを渡されたらしく、手の平に固い感触がぶつかった。首を傾げつつ離れていった手の後に残った自分の手を見下ろすと、部屋のキーらしいカードが置かれている。
「?……これ?」
「この敷の離れを皆さんに泊まって頂こうと取っておきましたの。」
「そりゃありがたい。」
そう言ってちらりと見つめた先にいるのは、酒を大いに愉しんでいるスメラギとつき合わされているラッセだ。その隣には少々眠そうな表情のフェルトもいる。あの様子から今夜中にトレミーへ帰るのは至極難解だろう。
「場所は紅龍に聞いてくださいな。」
「了解。そんじゃ、失礼しますよ。」
落とさないように胸ポケットに直しこんで軽く会釈すると刹那の元へと急いだ。
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