フロアでいればいるだけひっきりなく声を掛けられるものだから、だんだんと鬱陶しくなり中庭へと出てきた。季節が季節なだけあって肌寒いが、火照ったような体には丁度良い。大きなガラス戸から漏れ出る光がぎりぎり届くか届かないかの位置にある噴水の淵に腰掛けると大きなため息を吐き出した。
それというのもロックオンと離れてから声を掛けてくる人間が増えた上になかなか引き下がってくれなくなったからだ。何とか引き攣る顔を耐えて穏便に断っていくこと数十人。何人湧き出るんだ、と疲弊してきたところに酔っ払いの男まで絡まれておまけに無理矢理連れて行こうとまでされてしまう始末。ロックオンに言い切った直後とあって再び彼の元に戻るのも気が引けたが、ちらりと振り向いた先で女性に囲まれている姿を見つけて変に意地を張ってしまった。
……その結果が今だ。
ガンダムで戦場に出ている時よりも遥かに疲労が激しい。
「………」
一向に治まらない胸のムカつきに眉間へ自然と寄ってしまいそうな皺を伸ばすべく拳で押さえつける。途端にじわりと歪む視界に涙まで出てきたのかと零れそうになる前にきゅっと閉じてしまった。
「飲み物はいかかですか?お嬢さん。」
「!」
ムカつきにばかり気を取られていたせいで誰かが来ている事に気付けなかった。真っ暗に遮断した瞳をそっと開くと小さな気泡を立てているフルートグラスがある。そろりと視線を少し下げると見慣れた革の手袋があった。その手にきょとりとしてゆっくりと顔を上げると思った通りの人物が前屈みにグラスを差し出している。
「……パートナーの女性に持っていくんだろ?」
「うん。」
いつもと違い笑みを浮かべていないことからどうやらまだ怒っているらしい。なのに何故わざわざこんなところに来たのだろうか?…疑問に思いながらも素直に聞けずにイヤミに取れるような言葉を吐き出してしまった。どうしてこんな事を言ってしまうのだろう、と自己嫌悪に陥りながらも即答された肯定に益々気持ちが沈む。それを知られるのも嫌だったので顔を暗い方へと背けて表情を見られないように努めた。
「………」
「だからここに来たんだけど。」
早く行ってしまえばいい、と考えていると隣に腰を下ろされて思わず体を跳ねてしまう。居心地悪く膝の上で拳を握り締めているとぽつりと囁かれた言葉に思考が停止した。しばしの間、思考に埋もれていたがやがてゆるりと顔を彼へと向き直る。
「………え?」
「反応遅ッ!」
ようやく絞り出せた声にくすくすと小さく笑われてしまう。その様子がとても面白くなくムッとしていると微笑を称えたままの表情で振り向いてくれた。
「お前さん、何にも口にしてないだろ?」
「……飲めるものが……分からない……から……」
「だろうな。教える前に離れちまったし。」
長い足を優雅に組み、暑苦しいのか、首もとのアスコットタイを少し緩めてため息をついている。そういえばパイロットスーツもよく首元を弛めているな、と関係ないことを思い出してしまった。
「でも食いモンは分かるだろ?」
「……食べる暇がなかった。」
「あぁ、な。やけにフルーツばっか盛り付けた皿持ってきたやつもいたもんな?」
苦笑を浮かべる横顔を見て少し驚いた。ひっきりなしに声を掛けられ続けたせいで食べ物を口にする機会がなかったことには違いないが…確かにロックオンが言う通りケーキに見立てたかったのか、フルーツばかりを皿に山盛りにして……一緒に食べないか、などと誘ってきた男がいた。しかし、刹那としてはこういう場での食事スタイルが分からないので迂闊に丸齧りなどしてしまってはマズイと丁重に断った。なにより食べた事のないものが多く盛られていたので皮ごと食べていいのかすら分からなかった。
「………何故知ってる?」
「見てたから。」
その男に絡まれたのはロックオンと離れてからそれなりに時間が経っていたはずだ。それにその男を省いたとしても刹那が軽く摘めそうなものはある。けれどそれすら食べていない事を彼は知っていた。不思議に思った問いかければさらりと返されてしまう。
「離れてからずーっと見てましたよ?」
「……ずっと?」
「そりゃもう。何人の野郎が声掛けてきたかとかどこ触ったとか分かるほどね?」
刹那がたまに盗み見るように見た彼は常に女性に囲まれていたはずだ。談笑もしているようだったし、何か女性に対して失礼な態度を取った様子もなかった。それでも見ていたという。
「……どうして?」
「んー?」
「どうしてずっと見てた?」
「だって俺のパートナーはお前さんでしょ?目、離すわけないじゃん。」
だって……という意味がよく分からなかったが、柔らかな笑みを不意打ちに向けられてしまい、顔を見れなくなった。ぷいっと反らしてじわじわと熱くなる頬を落ち着かせようと努める。
「ちょっとでも不埒なことする奴がいたら撃ち抜いてやろうと思ったんだがな……紅龍が付いてくれてたから俺の出番はなし。」
「………」
その言葉から酔っ払いに絡まれたところも見られていたらしい。つまり自分は一人きりで行動出来ていたと思っていたが、紅龍だけでなく、ロックオンもちゃんと見守ってくれていたということだ。その事実が悔しいやら嬉しいやら。ただ一つはっきりした事は、自分が拗ねていた事は全くの無意味だったということだった。
女装をさせられることになり、ロックオンがエスコートしてくれる事になったのを心の隅で喜んでいた。最近、『女の子として』のロックオンの扱いがくすぐったくて心地良く、嬉しいと感じるようになってきている。もちろん任務である事は重々に理解しているのだが、こんな形であれ、人前で堂々として居られる事に歓喜を上げる心を治めることなど出来ない。そうして何でもないようにドレスを着る事を受諾したのだが……
会場に来て雰囲気に、彼を見る女性の目に温かかった心がチクチクと痛む。どう考えても自分よりも彼の横へ並ぶに相応しい女性がたくさんいた。己が彼女達に勝っていると思えることは、ただロックオンと親しいといった事くらいだろう。
せめて身長がもう少し高ければ…もう少し年齢が近ければ……もう少し女性らしい容姿だったら……
思うだけ無駄なことを柄にもなく考えてしまう自分へ次第に募る嫌悪感に耐え切れなくなった結果、一人になったのだ。しかし、それもロックオンの庇護の中。
ちゃんと守られていたことに、嬉しいと思う心が頬を熱くしていく。
「……ありがとう……」
静かになってしまった刹那にどうしたものか、と内心焦っているとぽつりと言葉が零れ落ちた。ちらりと表情を伺って見ると仄かに赤い頬と緩やかな曲線を描く唇を確認できる。どうやら喜んでいるらしい。それだけでもロックオンの心がほわりと温かくなっていく。
「まぁ……ちょっと俺も大人気なかったけどな……」
「?」
苦笑を浮かべながらの言葉に今度は刹那がロックオンの表情を窺うように振り返る。会場の逆光の中でどこか気恥ずかしげな表情を浮かべる彼に首を傾げた。
「俺の刹那に話しかける野郎に苛立ってたの。」
「………」
さり気無い独占欲を滲ませた言葉に思わず顔を逸らせてしまった。そうでもしないとじっと見つめる瞳に吸い込まれて身動き取れなくなりそうだったからだ。けれどその言葉に刹那も自然と口を開く。
「……俺も……拗ねてしまってすまない。」
「……拗ねる?」
「俺なんかより……もっと大人で……キレイな女性がたくさんいたから。」
「……なるほどね。」
ぽつりと呟いた言葉で先程の刹那の態度が納得いった。刹那が役に立てないと思ったのは容姿や年齢といった問題だったらしい。確かに見た目はまだ幼く見える刹那だが、ふとした瞬間に垣間見せる妖艶な雰囲気をロックオンは知っている。それも無意識に発されるものだから気が気でない。そのギャップは確実に男を撃ち落すと確信しているだけに、全く気付いていない刹那には悪いが知らないままでいてもらいたい。そうでなくとも度々胸を撃ち抜かれているのだ。これ以上同じような男を作るのは勘弁願いたい。
「……ん。」
「うん?」
「……」
突然伸ばされた手にきょとりとしてしまう。ちらりと刹那の顔を見ると恥ずかしげに俯いていた。しばしの逡巡を終えた後、そっと握るときゅっと握り締められる。それは握手しているようにも見えて、……あぁ……とようやく理解できた。
「……仲直りね。」
「……ん……」
行動の意味を汲み取って確認するように言葉にするとこくりと頷いてくれた。その様子に目を細めて笑うと、少し足りないかな、と考えて握った手を引き寄せる。突然引かれた手に驚いたのか刹那が顔を上げるとちょうど彼の唇が指先に落ちるところだった。
「ッ!」
指先に触れる柔らかな感触にぴくりと体を跳ねるとレンズ越しに細められた瞳が射竦めてくる。まるで全身を抱き締められたように身動き出来ずに固まってしまうと、ふわりと微笑む顔が近づいてきて唇を掠めていった。戯れるように軽く触れて可愛らしく……ちゅ……と音を立てて離れていく。思わず追いかけそうになったが、何とか耐えた。
「とりあえず、こっちからどうぞ。」
離れていった唇を見つめているとグラスと一緒に持ってきていたのだろう、カップに注がれたポタージュが湯気を立てている。先程まで熱いと火照っていたはずの体だが、握られた手の温度差から冷えてきているらしい。両手に渡されるカップの温かさが心地いい。そっと口付けて一口飲むと体の芯から温かい液体がじんっと広がっていく。ほぅ…と小さく息を吐き出していると、隣に座っていたロックオンが会場の入り口まで移動していて紅龍から何か受け取っていた。
「はい、おまちど。」
持って戻ってきたのはビュッフェコーナーに並んでいた料理だった。一人では持てなかったらしく、紅龍に頼んでいたようだ。どこまでも気遣いに長けた人だ、とつくづく関心してしまう。
「あーん。」
「!」
じっと見つめているとチーズと生ハムを乗せたカナッペを口元へと運ばれる。わざわざ手袋を外して運ぶ様子から食べさせるつもりのようだ。CBに来た頃は特に何も思わず甘受していたのだが、一度クリスにからかわれてからは恥ずかしい事だと認識している。
「じ、自分で食べられる!」
「カップ持ったまま?」
「置けばいい!」
「ダメ。」
「はぁ?」
「だってお前さんの手、随分冷たかったからそれ持って温めておきなさい。」
ぴしゃりと小さい子に言い聞かすように言われてムッとしたが、彼のもう片方の手が離そうとしたカップごと包み込んでしまってどうにも出来なくなった。眉間に皺を寄せて嫌だと示すが、ロックオンとて引き下がる気はないらしくじっと見つめ返してくる。
「……わぁかった。」
無言の攻防は長くは続かずロックオンのため息で刹那の勝利に終わるはず………だった。
「じゃあ、口移しで……」
「何故そうなる!?」
わかった、という言葉で開放してもらえるものだと思っていたら手は一向に捕まれたままに体の距離を詰められた。何をするつもりなんだ?と警戒して身を固くすればとんでもない事を告げられてしまう。まだスープが入っているカップを持っている手前、派手に暴れることも出来ずどうにか背を反らして顔の距離を開いた。
「だって、刹那が食べないから。」
「だから自分で食べられるとっ……」
「うん、だから、お食べ?」
「ッ〜〜〜!」
小さく首を傾げて微笑みを浮かべる表情に刹那は冷や汗を浮かべ始めた。こんな時のロックオンは究極に性質が悪い。何故なら刹那が折れるまで決して譲らないからだ。微笑みが付いた無言の圧力に言葉を詰まらせていると、レンズの向こうで瞳がすぅっと細められざわりと背筋を這い上がる危機感に渋々口を開くのだった。
* * * * *
「……ロックオン……」
「ん?もうお腹いっぱい?」
「ん。」
もそもそと食べ続け、合間にスープを飲みながら餌付けされる事数十分。それほど大きくない皿とはいえ、たっぷりと盛り付けられていた食べ物をほとんど平らげた頃、刹那はポツリと彼の名を呟いた。たったそれだけで何を言おうとしているのか理解してくれる彼は正確な言葉を紡いでくれ、こくりと頷く事が出来る。
「うーん……そっかぁ……」
最近気付いたのだが、ロックオンは刹那に何か食べさせる事が酷く気に入っている。今日に限らず、刹那の潜伏地であるトウキョウのマンションに来た時もなにかしら手土産と称してスイーツだの、食料だの買って来ては食べさせていた。まだ食事時はいいのだが、食後やオヤツ時は二人きりなのをいい事に今回のようにロックオンの手から食べさせる事を要求してくる。他に誰も居ないから、と妥協しているのだが、恥ずかしいには変わりなかった。
暴れるほども嫌悪感は起きていないのでいいか、と流していたのだが……どうも摂取量が増えているように感じる。今もそうだ。お腹がいっぱいである、と伝えているのにもう少し、と言ってまだ食べさせようとしている。
「じゃあ……これで最後。」
そう言ってローストビーフを一切れ持ち上げてきた。やっぱり……と心の中でため息を付いて口を開くことなくじっと見つめ返す。するとどうかしたのか?と瞳で問いかけてきた。
「ロックオン?」
「うん?」
「最近、以前にも増して摂取量が増えているように思う。」
「……あぁ、気付いた?」
ストレートに疑問をぶつければ苦笑を浮かべられる。どうやらわざとしているらしい。徐々に、緩やかにとはいえ、増やされていることは増やされているのだから何かしら理由があるのだろう。けれど今聞くまでちっとも教えてくれていなかった。少々いい気がしないので、機嫌の悪そうな表情を浮かべるとひょいと肩を竦めるので教えてくれるようだ。
「もう少し肉つけてもらおうと思ってさ。」
「……太らせたかったのか?」
「んー……ちょっと違うな。太らせるってか、今のお前さんが標準以下なの。」
彼の口ぶりから察するに、どうやら自分は痩せすぎのようだ。それでも……
「いつもスメラギに本人の許可がとか言うくせに。」
「ははっ……痛いとこ突いてくるねぇ。」
本人の与り知らぬところで何かしら決定されるのは今に始まったことではない。もう慣れたと言ってもいいくらいだ。しかし、だからと言っていい気はしない。その気持ちも込めて軽く睨みつけると降参というように両手を挙げてみせる。
「黙ってたのは悪かったよ。けどさ……」
「なんだ?」
「もうちょっと柔らかさが欲しいかなって思ってな。」
どこか含みのある言い方に少し首を傾げると額にかかる髪を掻き分けられてちゅっと唇を押し当ててくる。そうして目尻にも押し当てると耳元へ寄せられた。
「抱いた時に壊れそうで怖いんだよ。」
「………」
ようやく教えてもらった理由に……ふむ……と納得しかけたが、はた、とある点に気付いた。
『抱いた時』という点に引っかかりを感じる。
1秒……2秒……頭の中でいくつか当てはまる事柄を思い描いていく。
……3秒……4秒……思い描いた中に『壊れそう』と思わせる事を当てはめていく。
5秒……カチリと嵌まった事柄に、一瞬にして顔が赤くなった。
「ッ!!!」
「どこもかしこも簡単に指とか手が回っちまうからさー。」
「〜〜〜ッ」
「握り潰さないか、とか……折っちまわないか、とか冷や冷やすんだよなー。」
ロックオンの言っている『抱いた時』は所謂、夜の営みであり、まだ片手で数えるほどしか触れ合っていないのだが…彼の夜の貌に慣れていない刹那としては思い浮かべるだけで茹蛸のようになってしまうのだ。むしろこのところ、裸での触れ合いはないが、日常での触れ合いばかりだったように思う。ソファに腰掛けるにも密着するような座り方をしたり、寝る時も抱き締めたまま寝たりと……彼の体温が心地良いばかりに特に何も思っていなかったが……もしかすると、そうやって日々、体の変化を調べられていたのかもしれない。
「それでもし……」
「ん?」
「太りすぎたらどうしてくれる?」
何も知らされずに太らされていく食用の鴨のようになるのは勘弁願いたい。それどころか、もっと重要な事としては、パイロットスーツが入らなくなる可能性だって出てくるのだ。その辺りをちゃんと考えているのか?と不機嫌も露に問いかければしれっとした答えが返された。
「ないない。」
「何故言い切れる?」
「だってお前さんの筋肉量、ハンパねぇもん。」
言われてみれば確かにそうかもしれない。戦う為とはいえ、しっかりと付いた筋肉は脂肪をつけようにもすぐに燃やしてしまうだろう。なんと言っていいのか、と複雑な気持ちでいっぱいになっていると真剣な顔つきのロックオンが伸ばした手をぽふりと軽く宛がってくる。……胸に。
「脂肪つけないとこの辺も育たないぜ?」
「!」
当てるだけならまだしも、ぷにっと揉み上げるようにすらしてきたので思わずその横っ面へ張り手を叩きこんでしまった。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
←BACK
→NEXT
一期♀刹 Menu
TOP