医務室という名に相応しく真っ白な空間に、白衣・おかっぱ・サングラスという怪しさ満載の姿をした医者がいる。見た目の怪しさに反して人体の知識と医療の腕は十二分だ。よって今日も困り果てた男が相談に来ている。
いつも明るい雰囲気と笑顔の絶えない男が珍しく難しい顔をしていたから引っ張ってきた、という表現の方が正しいのだが…その男、ロックオンを自分の向かいに置いてある椅子に座らせてどうしたのかと問いかけてから早数分。人には言えない悩みの一つや二つあってもおかしくはない。もしかしてそういう部類の悩みだったか…とモレノが切り上げようとしたが…意を決したように顔を上げたので踏み止まった。
「Dr.モレノ。」
「ん?」
「刹那にオナの仕方を教えた方がいいのかな?」
「………」
「………」
「………」
「………」
「………」
「………」
「………」
「………失礼しました。」
「あーちょっと!待て待て待て!!」
想像もしていなかった単語の並びに思わず固まってしまうと、呆れられたと思われたのだろう、ロックオンがすごすごと部屋から出て行こうとするから慌てて引き止めた。デスクの隅に置いたコーヒーを一口啜って大きく深呼吸をする。ちらりと向かいの椅子へ視線を走らせればロックオンは器用にも丸椅子の上に正座をしていた。
−…どこの親父だ…お前は…
密かに突っ込みを入れて腕組をして椅子に座りなおした。とりあえず、どこをどういう風に巡ってその考えが浮かんでいるのかが全く見えてこないのでは、答えをはじき出すことも出来ない。よって、簡単でいいから経緯を話すように促したのだが…
「………」
「………」
「………」
再び訪れた沈黙。
モレノは思わず眉間に指を押し当ててしまった。彼の言わんとする事はなんとなく分かった。
つまりはこういう事だ………
珍しく億劫そうな刹那を心配してみれば発情期の猫よろしく「襲ってくれ」と言わんばかりの表情をしていたらしい。慌てて部屋に回収してくれば無自覚で…ロックオンとてヤりたい盛りの20代前半。そんな表情されてたら「いただきます」の一つもするだろう。
まぁココまでは普通といえば普通だろう。本題はここから。
刹那曰く、今回のような体の症状は何度かあったらしい。けれど時間が経てば治まっていたから放置していたらしい。男性に限らず女性にも欲情してしまう時はあるもので。刹那はその晴らし方が分からない。というか、知らない。だったら教えればいいだろう、というのが世間の見解だ。
だがロックオンからしたらちょっと問題がある。
珍しく欲情している刹那を逃したくない。
−………男の強欲だな。
椅子の背凭れを利用して仰け反ったモレノが天井に向けて大きなため息を吐き出す。同じ男として分からなくもない。きっとそう思ってしまうほどの乱れっぷりだったのだろう、『あの』刹那が。
しかし、ロックオンは自分達が今『何』をしている状況なのかという事を忘れてはいない。彼流に言えば『世界に喧嘩売った』状況。戦闘やミッションを考えるといつだって横に居る事は出来ないのが当然だ。むしろ今までが都合よかっただけだろう。
「…そうだな…」
「!」
「勘違いするな。」
「へ?」
考えが纏まった事に対して吐いた言葉を肯定と受け取ってしまったのだろう、一層情けない顔になったロックオンに思わず顔をしかめてしまう。普段はあれほどみんなに頼られる兄貴分だというのにこの変わりよう…恋とは恐ろしいものだな…と苦笑を浮かべてしまった。
「Dr.モレノ。」
どういうべきかと少々悩んでいた所に話の主役が訪れてくれた。部屋に入ってくるその足取りを見ていると、ロックオンが何故『教えた方がいい』という考えに行き着いたかよく分かった気がする。思わず「若いなぁ…」などと呟いていると2人して首を傾げた。
「どうかしたのか?刹那。まさか…気分悪くなったとか?」
「いや、気分は悪くない。むしろスッキリした。」
「……さいですか…」
惚気なら他でやれと言いたいところだが、刹那ではきっと意味が分からないと返されるだけだろう。いい大人が顔を赤くしているのは見ない振りをしておいて、とりあえずこちらに招き寄せる。
「何か用があるんじゃないのか?」
「あぁ。のど飴の類はあるだろうか?」
「のど飴?」
「声が掠れているとティエリアに指摘されて…アレルヤから風邪を引いたかと心配された。」
「「あぁ〜…」」
足元が少々ふら付いているし、そう受け取られても仕方ないだろう。2人して視線を明後日の方向に飛ばしてここに来た理由を納得した。とりあえず風邪の症状ではない事を言い聞かせておいてモレノは話を切り出すことにする。
「今な、ロックオンから刹那の事で相談を受けていたんだ。」
「?俺の?」
きょとんと目を瞠ってロックオンへと視線を飛ばすと、彼は居心地悪そうに顔を背けた。
「何の相談だ?」
「君は…たまに体が火照ってなかなか静まらない時がないか?」
「……昨日そうだった。」
「らしいな。」
「それが?」
「これからまたそういう事が起こりかねるんだよ。」
「…病気なのか?」
「いや。人間誰しもある事だ。」
一気に不安そうな顔つきになった刹那に安心させる為、一番身近に感じているだろうロックオンにもあるのだと教えてやるととりあえずは落ち着いた。しかし、と新たな疑問に首を傾げる。
「…ロックオンは俺みたいに息切れを起こしたところを見たことない。」
「自分で処理してるからだろうな。」
「……自分で?」
「そう。自分で出来るし、人にしてもらっても出来る。まぁどちらかといえば人にしてもらう方がいいだろうな。」
「…なぜだ?」
まるで学校の保健体育の授業をしている気分になりながらも、医療班の責務として的確な答えを与えてやる。多少の嘘を混じらせるのは相手が刹那だからだ。後でロックオンに任せる時に納得しやすい情報を与えておかねばな、と腹の底で計算していく。
「その症状が起こるのはな、心と体が人に飢えてるんだよ。」
「…飢える…?」
「そ。人に触れ合いたいんだ。」
「……そう…か。」
「自分の手を他人に見立てて一人で処理してもいいんだが…心が満たされないな。だから出来れば人にしてもらう方がいい。」
素直に頷く刹那にとりあえずは納得していってくれているだろうと予測して横へと視線を走らせる。そこには父親参観よろしくロックオンがじっと刹那の様子を見守っていた。思わず苦笑を漏らして一番厄介な事を言ってしまうことにする。
「しかし…これからの事を考えると人に頼れない時もある。そうなると一人でするしかない。」
「…あぁ。」
「というわけで。教えてやれ。ロックオン。」
「………はぁ!?」
びしっと指を突きつけると素っ頓狂な声が上がる。刹那の方も声には出なかったが、目を丸くしていた。
「俺が!?」
「あぁ。」
「あぁって!」
「君以外に誰が教えるんだ?」
「それ…は…」
「何より、君以上の適任はいないな。」
「へ?」
腕組みをして踏ん反り返れば2人して不思議そうな顔を浮かべるものだから、つい意地悪な笑みを浮かべてしまう。どうやら先ほどの惚気が少々気に障っていたのかもしれない…
「刹那のツボを心得ているようだから。」
「…ツボ?」
「あ…ぅ…」
「散々啼かせられるんだから大丈夫だろ?」
にっこりと微笑みかけたところで刹那には伝わらないが…保護者兼恋人の彼には図星だろう。後で質問責めに合うがいい…と少し心が晴れたモレノだった。
* * * * *
2人して医務室から放り出され、互いに顔を見合す。刹那は分からない事だらけといった表情だが、ロックオンはというと少々気まずそうだ。とりあえず、このまま彼女を放って置くと誰に何を聞きに行くか分かったものじゃないので、問答無用で部屋へと連れ込む事にした。
「ロックオン。モレノが言っていた方法を教えてくれ。」
「〜〜〜〜〜」
部屋に連れ込んだ開口一番がそれだ。予想はしていたが、こちらの覚悟というものが出来ていない。同性にナニのやり方を教えるならまだしも…異性の…その上『恋人であろう』関係の相手に教えるとなると話が随分違ってくる。じっと上目遣いに見つめて来る瞳から思わず逃げ出したくなってしまった。
「?ロックオン?」
「あー…っと…」
「………」
「………」
「………」
「………」
「………他の人に…」
「ッだぁぁぁぁぁ!!!」
言葉に詰まっていれば構えていた通り他を当たろうと踵を返してしまった。その肩をガッシと掴み留めてそれ以上進まないようにと抱き締めるまでに発展している。抱き締めるというよりは、抱き上げる、と形容した方が正しいだろう…刹那の足が爪先だけ床に擦れている程度になっていた。
「迷惑をかけたくない。」
「いやっ迷惑っつーか…」
「ロックオンが辛い思いのするような事もしたくない。」
「あ…ぁ…と…」
「だから他を当たる。離してくれ。」
あの刹那にここまで気を遣われ大事にされてんだなぁ…と感傷に浸りたいが、行き着いた先がまずい。今から聞こうとしている内容がよく分かっていない彼女の考え方は正しいと言えば正しいのだが…実行に移されると間違いなくロックオンが狂ってしまう。
「うん…お前さんの言い分は分かるんだが…」
「なら…」
「けど、他の人に聞きに行かれる方が迷惑…かな…」
「……だったらどうすればいい…?」
きゅう…と萎れる様に項垂れた刹那にロックオンの罪悪感が刺激される。虐めるつもりはないのに結果的に虐めている気分だ。しおしおと泣いているような雰囲気を醸し出す彼女にロックオンは「う〜…」と唸りながら宙を見上げる。
「…腹括るかぁ…」
「?…ロックオン?」
盛大なため息と共に抱えられたままベッドに腰掛けられる。そうなると必然的に彼の足の間に腰掛ける事になった。腰に回された両手をじっと見つめてから顔を見上げると、複雑な表情を浮かべている。
「刹那にまず一個約束して欲しいことがある。」
「?なんだ?」
「教えるのはいいけど…俺のいる時にはやるなよ?」
「?…分かった。」
こっくりと頷く刹那にちゃんと意味が通じてないだろうなぁ…とは思いつつも念を押して自らの精神安定に努める。きっとこう言っておけば律儀な刹那は守ってくれるだろう。よって、昨日のような状態の刹那をすぐ近くにいてみすみす逃す事はなくなったということだ。その事実にとりあえずは満足をしてさっそく本題に突っ込んでいく。
「で…今から教える事っての…は…」
「……は?」
「……暴れるなよ?」
「……暴れるような事なのか?」
「……まぁ間違いなく驚愕するかな。」
「……分かった。心構えをしておく。」
「あー…うん…」
果たして心構えしておけば大丈夫な内容なのか?…と不安に駆られながらもまっすぐに見つめて来る瞳へ曖昧な笑みを返してやった。何にせよ刹那次第だ、と再度決意を新たにすると共に、腕の中に納まった彼女がどういう反応をするのか楽しみでもある。
「方法ってのはさ…」
「あぁ。」
「一人エッチする事。」
「……?…ひとり??」
「そうだな…分かりやすく言うと…」
「?」
「自分で体触って気持ち良いトコ弄って感じまくってイっちゃう…みたいな。」
平静を装い、何てことない内容の事を言っているんだという姿勢を崩さずにさらりと言ってのけた。こちらが言いよどめば刹那の反応を楽しむ事が出来ないからだ。言い切った後にさて…どうくるか?…と待って見るものの…見事にフリーズしたままだ。脳内で言われた意味を必死に照合しているのだろうけれど…些か時間が掛かりすぎではないだろうか?
「………」
「………」
オーバーロードだったか?と心配になってきた時、漸く動きを見せた。…動き…というか…変化だ。
「………」
「………」
覗き込んだ顔がじわじわと赤みを帯び始めたのだ。ついでに言うと瞳も潤んできているように思う。更に眉間には皺が入っていく。
「………刹那さん?」
「ッ!!」
恐る恐る声を掛けると音がしそうな程、一気に顔が真っ赤になってしまった。次いで何か言おうと口がぱくぱくと開閉を繰り返す。あまりの変化に口が可笑しな具合にひくついてしまった。その反応で我に返ったのか慌てて顔を俯けるがすでに時遅しというやつだ。
「かぁわいぃなぁ〜もぉ〜」
「うるさい!黙れ!離せ!」
ぐりぐりと頬擦りをしてぎゅうぎゅうに抱き締めるとじたばた暴れ始めた。気持ち良くなる方法を考えているうちに昨夜の事に行き当たり、ロックオンにされた事を色々と思い出してしまったのだろう。くっついているのが居た堪れなくなって少しでも距離を開けようと両手を突っぱね始めた。けれどそれもすぐに無駄な抵抗だと諦めて大人しくなる。
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