ふわふわと羽が風の中で揺れるように意識がゆっくりと浮上してきた。ぼんやりと瞳を開くと白い首筋が見える。
「………」
「目、覚めたか?」
「…ひゅっ……」
「あぁ、喉やられちまったか…」
質問に対して声を上げたつもりが喉を通過したのは空気ばかりで…微かに痛みの走る喉を自分の手で押さえ不思議そうな表情を浮かべた。いつもの夜のように包まれて抱き締められていたらしい、ごそりと体の下から腕が抜けていく感覚がある。そっと髪を梳かして澄んだ翡翠の瞳が覗き込んできた。
「随分叫んでたからな…」
「………」
「体はどうだ?辛いところないか?」
こくん、と頷けば「そうか」と言って微笑みを浮かべてくれる。あやす様に黒髪を何度か梳いてもらっていると喉が掠れて痛みを訴え小さく咳き込んでしまった。
「ちょっと待ってろ。飲み物取ってきてやる。」
「…!」
ベッドから出て行くロックオンの背中を見て息を飲む。その白い背中には引っ掻き傷がいくつも出来ていて、赤い筋を描いているものから血が滲むものまで様々だ。位置と引っ掻く方向からして自身では付けられないし、その傷を見てフラッシュバックのように浮かび上がった出来事に一瞬顔を赤くして血の気を引かせた。突然がばりと起き上がった刹那に驚いたのか、ロックオンはきょとんと瞬きを繰り返して振り返る。まだ足を下ろして座った状態の背中にのそりと近づくとそっと指を伸ばした。ぴくりと跳ねた肩に眉間へ皺を刻んでしまう。
「ッ…あぁ…まだ乾いてないのある?」
「……」
「気にすんなよ。こういうのは男の勲章ってやつなんだ。」
「?」
肩越しに見えた刹那の顔が泣きそうに歪められていて慌ててフォローを入れると不思議そうに首を傾げてきた。まだ背中に触れる指先に内心苦笑しながらにやりと口端を持ち上げる。
「抱いた女を気持ちよくさせた証ってやつ。」
「ッ!」
カッと赤く染まった顔に小さく笑いを溢せばきっと睨まれた。その頭の上で手をぽんぽんと軽く跳ねさせて立ち上がろうとしたらがくりと体が傾く。立ち上がるのに失敗してまた座ってしまうと刹那の両手が肩に乗っていた。
「刹那?…ッ!?」
不思議そうに呼ぶ声を無視してそろりと舌を伸ばしてなぞれば小さく息を呑む声が聞こえた。舌先に鉄の味を感じながらちろちろと唾液を塗りつけるように赤くなった部分に這わせていく。止めても聞かないと分かったのだろう、ロックオンはじっと座ったままだ。それをいい事に刹那はくまなく舐めていく。
昨日、昼間に触れた滑らかな背中を引っ掻いてしまった罪悪感は確かに感じるのに、どこかでその傷に興奮している自分に気付いた。何の痕もない背中…そこに自分が痕を付けたことが何故か嬉しいのだ。…こんな感情はおかしい…そう思っても歓喜に震える心を抑えることなんて出来なかった。それでも傷つけてしまった、という意識から懸命に舌を伸ばして癒す事が出来ればと尽くしている。
「………」
背後で見えないとはいえ、懸命に舌を伸ばしているのだろうその光景は想像するだけでかなりクるものがある。じっとしているというか、ロックオンは動けないでいるのだ。気の済むまで好きにさせないとあとあとヘソを曲げるというのもそうだが、今動いたら確実にベッドを押し倒しかねないのも理由だったりする。
「…刹那ー?」
「…」
それでもそろそろ開放してもらわないとマズイとなるべく明るめに声を掛ければそっと離してくれた。悲しい男の性を分かってくれたのだろうか…とも思うが絶対に違うな…と思いつつ振り返ってみれば俯き加減で見上げる瞳がある。
「もうそんなに痛まないから大丈夫だよ。」
「…」
「そんな顔しなさんな。」
頬を撫でてやれば細める瞳…それに笑みを浮かべて額にキスを落としてやると飲み物を取ってくると言って退室していった。部屋を出てキッチンまでスタスタと歩き、手鍋にミルクを入れて火に掛ける。そこまでしたところでロックオンはため息とともに座り込んでしまった。
「…無自覚って…罪…」
背中には未だ小さな舌が這う感触が残っている。それを思い浮かべるだけでも下腹部に熱が溜まるのに頭を抱えてしまった。ついでに頬にも熱が篭り始める。
「……マジ…なんだろうな…俺…」
ついこの前までは男としか見ていなかったはずなのに…女の子だと分かってからあれよあれよという間に転がり落ちた自覚はある。八歳差であることが歯止めとなっていたのにそれすらももう効かなくなりつつあった。
膝に埋めた顔をのそりと上げる。腕を前に伸ばしてくっと曲げると手を組んで輪を作った。その中にすっぽりと納まってしまう小さな体を思う浮かべて思わず口元を緩めてしまう。緩んだ口元を慌てて手で伏せて大きなため息とともに膝へ顎を乗せた。
「…可愛いんだよなぁ…」
女だと分かる前から目を離せない存在であったが、それは手のかかる弟でしかなかったはずだ。著しく欠けた一般常識を叩き込み、人とのコミュニケーションを取れるようにまず自分から人に慣れるようにと…けれど考えてみれば弟に対する行動としてはいささか行き過ぎた面が多々あったように思う。この任務に来てから警戒を解いた黒猫は素直に甘えてくる仕草もするようになったからもう自分の心を誤魔化すことは出来ない。
甘えられるのも…触らせてもらえるのも…抱き締められるのも嬉しくてならない。
腕の中で安心して眠る姿…じっと見つめる瞳…遠慮がちに伸ばされる指先…全てが愛しくて独り占めしたくて…
「…恋…だよな…これ。」
恋愛沙汰などもう随分昔の話だ。何せ今までの人生、大半は戦いの中に生きてきたのだ。足枷にしかならないその感情を今になって芽生えさせるとは…お遊びなどいくらでもしてきたが…どうも『これ』は『遊び』にするには大火傷を負うものになりそうだった。
「…はぁ…」
我ながら難儀な相手に惚れてしまった…と深いため息をつきながら温まったミルクをマグカップに注ぎもう片方に水のペットボトルを携えてベッドルームへ戻る。
掛け布団に丸まった刹那にどちらがいいか聞いて迷わずミルクを選ばれたのににやける顔を引き締めるのに一苦労するのだった…
* * * * *
2日間もらった休暇の2日目は互いにベッドの上でごろごろと寝転がって自堕落に一日を過ごした。
とはいえ、このところ強行な出撃続きだったりもしたので本当に羽根を伸ばす事が出来たのも事実だが…
そんな2日間を経て、2人は再び街に赴いていた。
スメラギは何の行動も起こさないとは言っていたが、その間に何か隠密に動きがあったかもしれない、と情報を集めに出たのだ。どうやら軍人が何人か町に出てきて使われていない建物がないかなど聞きに来ていたらしい。反抗勢力の根城がないかと探していたのだろう。
その会話に「物騒ですねぇ…」と他人事のように相槌を入れてロックオンは離れていった。どうやら本当に互いの腹の探り合いをしていただけのようだ。
「さっすが…ミス・スメラギ…」
正直そんなにのんびりしていてもいいものか、とベッドに転がりながらも端末が切れていないか気になり何度か意味もなく開いたりしていたのだ。だが、それ以上に何も動きはなかったらしいことを聞くとロックオンは広場へと足を向ける。ちらりと見た腕時計の時間がそろそろ約束の時間に近づいていたからだ。
「…ちょっと早かったか…」
街に着いた時、この場所で刹那と待ち合わせ時間を決めたのだが、時計の針を見ても長針があと半周も早い時間を刺している。苦笑を浮かべてぐるりと見渡してみると小さなアクセサリーショップが目に留まる。
「………」
何気なく惹かれて近づいてみると色とりどりの石や花をモチーフにした髪飾りが並んでいる。その中にベネチアンビーズをあしらったヘアゴムが目に付いて何気なく手に取ってみた。紫とピンクの石に金色の模様が描かれたソレはなんとなくフェルトを思い浮かべるものだった。土産に買うかな…とか考えてしまうが、任務に出て土産って…と踏み留まった。ちらりと視線を横にずらせば青いラインストーンの付いたヘアピンが目に付いた。
−刹那に似合いそうだよな…
細い針金が曲線で模様を描き出し、その上にいくつか色の濃淡が様々なラインストーンが光っていた。ついっと手にとって翳してみると、その横にカチューシャがあるのに気が付く。ストライプのリボンの付いたものや、二重になったものなど様々だ。じっと見ていればその横にコサージュもある。ケミカルレースやサテン、ベルベットのリボンなどの付いた花の中に赤や紫、オレンジといった暖色の中、白い小花と水色の花の付いたものが目を惹いた。そっと摘み上げてみるとそれには綺麗なエメラルドグリーンのビーズがレースとリボンの間にぶら下がっている。
「…可愛いな…」
屈んでいた上体を元に戻して鳩尾の辺りまで引き上げる。何気ない行動のはずだが、その位置は刹那の頭の辺りだと気付き思わず頬に熱が上がってしまった。
「彼女へのプレゼントですか?」
「へ!?」
ふと気付けばにこにこと微笑む店員が横に来ていた。
「あ、あぁ、えぇ…まぁ…その…」
「その色のコサージュはあまりないんですよ。」
「へぇ?…こんなに綺麗なのに?」
「服に合わせようにも色が薄いので他の色に埋もれてしまうんです。頭につけてもブロンドやブラウンの髪ではそれほどインパクトもなくて…」
「あぁ…なるほど…黒髪なんかだとちょうど…いい…」
突然言葉が切れてしまったロックオンを不思議そうに見上げる店員に「また来ます!」といってそそくさと立ち去った。待ち合わせの場所に戻るとロックオンは大きなため息と共に柱時計へ額を押し付けるのだった。
* * * * *
ところが約束の時間になっても刹那は合流地点に現れない。
もう一度時計を確認するが、長針は進むばかり…ひとつため息をついて端末のGPS機能を立ち上げた。刹那にも端末を持つように言っておいたので位置を探索できるはず…住宅街に一つのポイントが出来るとそこに向かって足を進めて距離を縮めていった。
地方特有の白い町並みの中、一際目立つりんごの木が立っている家がある。その壁際で足を止めると庭から老婦人の声が聞こえてきた。低いアーチから覗き込むと庭に広げられたシートの上で老婦人と見慣れた後ろ姿が並んで座り何か作っているようだ。その光景に数回瞬くとあまり大きくない声で刹那を呼ぶと肩がぴくりと跳ねて振り返ってくる。
「…ロックオン…」
「おじゃまします。探したぞ、刹那。」
「あら…刹那ちゃんのお兄さん?」
断りを入れてから刹那に近づいていけば一緒にいた老婦人が穏やかな微笑みを浮かべて首を傾げる。それに刹那はいつも通りの口調でこくりと頷く。
「…あぁ。」
「あ、と…刹那がお邪魔しました。」
「いいえ?この頃ずっと話し相手をしてくれていたの。楽しかったわ。」
「そうですか…良かったです。」
にこにこと心から嬉しいのだと言われこちらも嬉しくなってしまう。ほっと一息つきながら視線を刹那に移せば違和感を覚えた。
「…刹那?」
「…なに?」
「お前…気分悪いのか?」
「別に。」
「嘘つくな。視線が泳いでる。」
刹那の顎を捕らえられて上を向かせると怒ったような口調と真剣な表情で覗き込む。何故気付いたと無言で問う瞳をじっと見つめてそっと額にむき出しの腕を沿わせてみると少し熱いように思う。
「今日はいつもより表情が固かったわねぇ…無理してたの?」
「…正直に言え、刹那。」
「…刹那ちゃん?」
老婦人にも心配そうな表情を向けられてぐっと黙り込んでいた刹那の瞳から涙が溢れ出してきた。突然流れ出した涙にロックオンはぎょっとする。
「え?刹那?!」
「ろっく…お…」
途端に崩れたポーカーフェイスにぽろぽろと際限なくあふれ出す涙にロックオンが戸惑いはじめる。とりあえず抱き寄せて落ち着くようにと背中を摩ってやった。
「ちょ…どうした?刹那」
「…いたい…」
「え?」
「おなか…いたい…ぃ」
ひっくひっくと泣き続ける刹那の手が縋るようにシャツを握り締めふるふると震える体を摺り寄せてきた。刹那のこんな姿など初めて見せられたロックオンの頭の中は真っ白になっている。何がどうなってこうなったんだ?とぐるぐるしていると老婦人が「あらあらまぁまぁ…」と呟いた。
「すっかり忘れていたわねぇ。そうねぇ。お腹痛いわねぇ?辛いわねぇ?」
「え?あ…あの…?」
「ロックオンさん、でしたかしら?」
「は、はい。」
「刹那ちゃんをこちらに運んであげてもらえるかしら?」
そう言ってゆっくり立ち上がり家の中へと誘う動きにはっきりと頷いて刹那の体を抱き上げる。
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うっかり乙男な兄さん。(笑)
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