石畳の小道を辿れば木のドアに行き当たった。開いて中に入っていく老婦人を追うと温かな小物で溢れかえったリビングに通される。長ソファを指差されてそこに刹那を下ろそうとしたが首に縋りついたまま離そうとしなかった。
「おい、刹那?」
「離したくないのねぇ。いいのよ、貴方が大丈夫ならそのまま座ってあげてくれる?」
「…はい。」
離させようと腕を掴んでも一向に緩む事もなくむしろもっと必死になって縋りつくものだからどうしようかと迷っているとまた指示を与えてくれた。刹那の靴を脱がせてソファの足元に揃えておくと刹那を抱え直して座る。まだ泣いているらしく震える背中を優しく叩いて擦ってとしていると、キッチンでなにやら準備していた老婦人が回りこんできた。そっと刹那の頭を撫でて語りかけてくる。
「刹那ちゃん?お顔見せてくれるかしら?」
「…ぅ……っぅ…」
「もう大丈夫よ?泣かないでね?」
声に反応してそろそろと上げられた顔は、眉尻が下がり頬が赤く染まっていた。ぽろぽろと頬を流れ落ちている涙を白いハンカチでふき取ってくれて優しく撫でてくれる。しばらくそうしてやると次第に涙が落ち着いてきたのか小さくしゃくる程度になってきた。その様子に一つ頷いた老婦人はローテーブルに置いてあったティーポットから一杯注いで刹那の目の前に差し出してくる。
「これをお飲み?楽になるよ。」
「…くすり…は…あとが…つら…い…ときい…た…」
「大丈夫。これはお茶だから。薬とは違うわ。」
優しい声の説得と鼻腔を擽る柔らかな匂いに誘われて刹那はそっと手を差し出した。
「熱いから、気をつけてね?」
「…ん…」
ゆっくりと手渡されると刹那の手をそのしわくちゃな手で包み込んでしっかり持てるように導いてくれる。息を吹きかけて一口、二口と口に運んでいくのをじっと見守った。喉が小さくこくりと鳴り、ほぅ…と息が吐き出される。強張っていた肩から力が抜け落ちるのを回した腕で感じていると首を傾げた老婦人がそっと尋ねた。
「美味しい?」
「ん…おいし…」
「良かった。ゆっくりお飲み?」
「…ん…」
こくり、こくりとゆっくり飲み込んでいくとたっぷり時間をかけて空になったカップを老婦人が受け取ってくれる。そうしてまた頭を預けてきた刹那を抱え直してやった。そっと表情を伺うと皺を刻んでいた眉間には何もなく、穏やかな顔をしている。その表情に驚きながらもゆったりと髪を撫でているとそう時をおかずに刹那は眠りに落ちてしまった。その一部始終を見守っていたロックオンの肩からも力が抜け落ちる。ティーセットを片付けて戻ってきた老婦人は横にある一人掛けのソファに座るとちょこんと首を傾げた。
「刹那ちゃんの…お兄さんにしてはちょっと違うわね?」
「あ…えぇ…」
「…お父さん…」
「うッ…」
優しいが嘘を言えない様な声音で尋ねられる中でその言葉には思わず息を詰めてしまった。刹那の外見がまだまだ年齢に合っていないせいか親子にも見えてしまうことも分かっているが改めて言われると胸に刺さるものがある。正直なその反応にころころと笑われてしまった。
「…にしてはお若いわね?」
「は…ぁ…」
「恋人さんかしら?」
「えぇ!?」
つい過剰に反応してしまった、と頬を赤くして、穴があれば今すぐにでも入ってしまいたい、という願望に駆られながらも残念ながらその願いは叶うことはない。それどころか己自身ようやく気付いたこの気持ちを容易く見透かされて動揺が走る。そこまで筒抜けなのだろうか?
「あらあら、微妙なところなのねぇ?」
「は…はは…お鋭い…」
「伊達に歳はとっていないわ。」
年長者には敵わないな、と苦笑を浮かべていると老婦人も笑みを返してくれた。そうしてふと視線を下げると刹那はすやすやと眠ったままだ。涙で頬に張り付いてしまっている髪の毛を掬い上げると擽ったそうに顔をしかめたが、すぐに元に戻った。片手の手袋を外すと額にそっと宛がう。さっき腕で確認したが、やはり少し熱いように思う。寒くはないようにと深く抱き直して背中をそっと摩ってやった。
「それにしても…こんな素直な刹那…初めて見ましたよ。」
「あら、そうなの?」
「えぇ。いつも…なんていうか…仏頂面っていうか…無表情っていうか…」
さすがに、触ろうとしたらその手を叩き落されるとかいうエピソードは話せないが…どちらにせよ泣きじゃくるとか起きている時にあんなあどけない表情をするなんて今まで無かったはずだ。それどころか他人に体を委ねきっているなど、天変地異の前触れじゃないかと言ってもいい。
それでもまだこの任務に来てからなら拗ねたような表情をしたり、顔を赤く染めたり、慌てたり怒ったりと、以前に比べればまだ表情が柔らかくなったともいえるだろうか。夜だけだとはいえ寄り添って眠るのも好きなようだと気付いたし…
「じゃあきっと恥ずかしがっているのね。」
「え?」
小さく笑いながらそんなことを言うのできょとりと目を瞬かせて首を傾げれば、刹那の方へと視線を動かしてにっこりと笑ってくれる。
「好きな人の前だから強がってしまっているのかもね?」
「…好き…ですか?」
はっきりと告げられたその言葉にロックオンは豆鉄砲をくらったような表情になる。刹那に好かれているのだったら嬉しいが、ここのところずっと傍にいてそれらしい言動を全くといっていいほど思いつかない。思わず胸の中で眠りについている刹那の顔を凝視してしまった。
「えぇ。ずっとしがみ付いてるのだもの。少なくとも嫌われていないのでは?」
「…だと…いいですね…」
思わず溢してしまった本音の呟きに今度は老婦人の方が驚いた顔をする。それには苦笑を浮かべて見せた。
「あら。弱気ね?」
「…本気の相手を今頃見つければ弱気にもなります。」
「まぁ、それではいっぱいがんばらないとね?色男さん?」
「えぇ、がんばりますよ。」
そんな遣り取りがされているとは全く知らない刹那はすやすやと眠り、目を覚ますまでずっと2人は話し込んでいたのだった。
* * * * *
「おかーえりぃ〜」
トレミーの格納庫へ着艦し、コクピットを開けた2人の眼下に懐かしく感じる人物の姿があった。
結局戦争には至らずに今回の任務は何事もなく終了した。待機期間は合計1ヶ月。その間にも何度か小さな小競り合いはあったが、ガンダムでの出撃までには及ばず、2人の出番はなかったのだ。
とはいえ…個人的に言えば何事もなく…とはいえなかったが…
ウィンチロープで下りてくるロックオンと刹那を見上げてスメラギはご機嫌気味だった。
「何事もなく終わって安心したわ。」
「まぁ…あんな場所で戦争とか勃発されたら街への被害も多少あったでしょうしね…」
「被弾はなくても地震に近いものには見舞われたでしょうね。」
「何はともあれ踏み止まってくれて安心しましたよ。」
ほのぼのと会話を続ける二人の傍を刹那が素通りしそうになったのを、スメラギが慌てて引き止めた。いつも通りの無表情で振り返る刹那にロックオンはこの1ヶ月は夢だったのか?などと苦笑を浮かべそうになった。
「…何だ?」
「ちょっと聞きたいことがあるの。」
両手を腰に当てて刹那の反応に苦笑を浮かべるスメラギはロックオンに目配せをしてきた。どうやら席を外して欲しいらしいことを感じ取ると「お先!」と、刹那の頭をぽんと叩いて廊下を進んでいった。任務に出る前と変わらない態度を取っているつもりだが、スメラギといるとばれてしまうような予感がして気が気でならない。
とりあえず、刹那が女であることは今まで通り伏せるという事で合意したロックオンは全面的に協力をする構えだ。なので今もロックオンは『刹那は男である』という態度を貫く。それに刹那も承諾をしたのでここで頭を叩かずに頬を撫でようものならばれてしまうだろう。そんなロックオンの後ろ姿を見送って刹那はスメラギに向き直った。
「とりあえず、任務ご苦労さま。」
「…あぁ。」
「それで?連絡はなかったけど…大丈夫だった?」
「あんたの予想通り月経がきた。」
「やっぱり…モレノとも話したけどそろそろだと思ったのよね…」
そう言って困った表情を浮かべるスメラギは母親のような顔になっている。医療面で誤魔化すことの出来ないモレノの他に、彼の判断でスメラギも刹那が女の子であることは知っている。けれどこの2人以外、ヴェーダですら刹那は男と公表しているのは本人の強い意志からだった。
「ロックオンは?さっきの感じではいつも通りみたいだけど。」
「…ばれなかった。」
任務に出る前にした相談とは別ではあるが、スメラギとモレノから月経に付いての話は聞いており、その際の対処方法とかは教えてもらってはいたので流血騒ぎには至らなかった。ただ、痛むかもしれないから気をつけろと言われ、もしかしたらそれで女だとばれるかもしれないと危惧されていたのだ。…実のところばれたのは他の方向からだったが…何はともあれ、痛みなら慣れていると高を括っていた刹那の油断から招いたことに違いない。自分の失態を晒すのも嫌な気がしたので咄嗟に嘘をついてしまう。
「そう。よかった。」
「…何故ロックオンにばれるとまずいんだ?」
「んー?だって彼のことだから戦場に…何より、切り込みを主に担う位置に女の子を立たせるなんてもってのほかだって言いそうでしょ?」
首を傾げられて同意を求められたが刹那はすぐに首を縦には振れなかった。彼は刹那の意思を聞いて協力すると言ってくれているのだ。そんなことはないのに…とは思うが『ばれた』と言ってしまえばどういう経緯でとか聞かれそうなので黙って頷くことにしておいた。ばれてしまった経緯を告げるのがなんだか恥ずかしい気がしたからでもあるが…
「まぁ何事もなかったんならいいんだけどね。」
「…心配をかけた。」
「いいのよ。無理させたこっちも悪いんだし。」
「…」
「それで?」
「?何?」
まだ何か聞くことがあるのかと彼女を見上げればさきほどとは違う質の笑みを浮かべている。どうやら女だとばれたか否かではない事を聞きたいらしい。
「ロックオンと一緒にいて…胸が苦しかったのはどうなったの?」
「…治った。」
「治った?」
「苦しくならなくなった。」
「…そぉ?」
「着替えてもいいか?」
「…えぇ。しばらくは何もないだろうからゆっくりしていいわ。」
「了解。」
淡々と応えて歩いていってしまった後ろ姿を見つめながらスメラギは小さくため息を吐き出した。
「女の子なんだからもうちょっとピンク色な出来事があってもいいと思うのにな…」
もうちょっとリヒティを見習ってくれたらいいのに…なんてとんでもない事を思い浮かべてしまって苦笑をもらす。もう一度刹那の方を見ればその手に持ったカバンが出かけたときより大きくなっているように感じた。あれ?と首を傾げたがすぐに曲がってしまったので見直す事は出来なかった。
* * * * *
「お疲れさん。」
「…まだいたのか?」
「まぁね。」
更衣室に入ると長椅子で足を組んで座っているロックオンがいる。ガンダムに乗るために仕方なくではあるが、彼は締め付けの強いパイロットスーツはあまり好きではないはずだ。なのにわざわざ刹那が来るまで着替えずに待っているのはおかしい。ことん、と首を傾げると苦笑を浮かべて横まで移動してくる。
「?何故鍵を閉める?」
「お前さんねぇ…もし着替え中に誰か来たらどうすんだよ?」
「……ばれる?」
「当たり前だろ。だから俺はちょっとでも妨害できるように壁になってんの。」
「…ありがとう…」
扉からの視野で刹那が死角になるような位置に移動して着替えを始めるロックオンに小さくお礼を告げて着替え出した。互いのファスナーの音や布擦れの音しか聞こえない空間で、互いに互いを視界に入れないようにとぎこちなく着替えていく。2人の頬が仄かに赤いのは第三者がいないと気付けない事だ。
最後に手袋を嵌めて鞄の中を多少整理すると小さな箱が出てきた。それを見てロックオンは思わず苦笑を漏らす。そんな彼の後ろで刹那もターバンを首に巻き終えて鞄を閉じようとしていたところ、水色のギンガムチェックが目に映った。指先でソレをそっと撫でて仄かに笑みを漏らす。
−びーッ
「「!」」
−「あれ?鍵かかってる?」
「…アレルヤだな。」
「あぁ。着替えは…済んだよな。」
箱を服の間に埋めて鞄を閉めながら振り返れば刹那も鞄を閉じたところだった。それを確認したロックオンが扉を解除しにいくとすぐに扉が開かれる。
「あ、お帰り、2人とも。」
「ただいま。」
「………」
「あ、せつ…な……」
扉で挨拶を交わしていればその横を鞄を抱えた刹那が素通りしていってしまう。スタスタと歩いていく後ろ姿を見てお互いに視線を合わせると苦笑を浮かべあった。
「相変わらずなんだね?」
「まぁねぇ…ちっとは懐いてくれるかと思ったんだがなぁ…」
「まぁ…焦らずに。」
「そーだな。」
くしゃっと笑みを浮かべるアレルヤにロックオンも笑みを浮かべて返した。
いつも通りの反応。けれど確かに違うものが心にはあって…
「じわじわ攻めますか。」
「そうそう。焦っても仕方ないよ。」
元気づけるように微笑みアレルヤにもう一度微笑み返して、色々相談した方がいいな、と思うことを頭に並べる。そうして後で部屋を訪ねるか、と決心をするのだった。
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第三者の方がなんとやら…
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