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『I Feel The Echo~君の呼ぶ声~』後編   by Riko







軽々とその腕に抱き上げられて、優に三人は寝られそうなキングサイズのベッ
ドに下ろされる。ダークブルーのシーツの上で子供のようにギュッと身体を丸
めている悟空の頬に、三蔵は宥めるようなキスを落とした。
「悟空…目開けろ。」
三蔵の静かな声にも、金の瞳は瞼の奥に隠れたままで。無論、逆らいたいわけ
ではない。ただ極度に緊張してしまっている為に、身体の力が抜けないのだ。
もう一度「悟空」と呼ばれ、微かに震えている瞼に緩やかに歯を立てられる。
横たえられた小柄な身体がピクッと震え、おずおずと金の瞳が覗いた。淡い潤
みを帯びた目許に、今度は優しく唇が押し当てられる。
「怖いか…?」
その声はあくまで穏やかで。あれほど熱っぽく求めてきたというのに、三蔵は
急かしたり、無理強いで押し切ろうとはしない。深い紫の瞳は、真っ直ぐに悟
空を見据えている。悟空は自らを落ち着かせるように長い息を一つ吐き出して
から、ぎこちない動作で三蔵の首に腕を回した。
「…怖くないって言ったら…嘘になる、けど…でも、ヘーキだから…ヤメない
で…?」
たどたどしくも精一杯言葉を紡いだ悟空が、心を決めるように自分から三蔵に
キスを送る。三蔵はごく微かな笑みでそれに応え、腕の中の小さな身体を抱き
しめた。


唇を落とす度に小さく身体を震わせる、痛々しいまでの初々しさを見せる悟空
に対して、三蔵は決して急がない。寧ろもどかしいまでの時間をかけて、頼り
なげな身体をゆっくりと解いていく。
想像すらしたことのなかった、神経の末端まで侵蝕されていくような甘い悦楽
に、悟空は何一つ抗う術を持たない。「恥ずかしい」と頭の中で思ってはいて
も、何処かに甘えを含んだような上ずった声を抑えることも、息を継ぐ間すら
与えず、今まで己ですら知らなかった未知の自身を暴いていく三蔵の手を止め
ることも適わない。身体中の全ての感覚が、唯一人彼にだけ向かって流れ込ん
でいるのが自分でもわかる。その声に、その眼差しに、その腕の強さに、その
唇の熱に、この存在の全てが支配されている。身体も、心も、存在の根源を成
す『何か』さえも。自身では何一つ思うとおりにならないこの身は、今はただ
彼との熱を分け合う為だけにある。伝えずにはいられないから途切れ途切れの
声で彼の名を呼び、求めずにはいられないから躊躇うことすら忘れて、じわり
と湿り気を帯び始めた四肢を絡める。三蔵はその都度吐息混じりの声で悟空の
名を呼び返し、まだ幼さを残す肌の至る処に自らの熱情の証を残した。
目眩すら起こしそうな互いの熱を放出し終えた後、悟空は薄らと微笑んで金の
瞳を閉じた。


緩やかに意識が浮上していき、悟空がその瞼を開く。まだぼんやりとした表情
のまま視線を巡らせたが、三蔵の姿はなかった。注意を払いながら、ゆっくり
と身を起こしてみる。三蔵が慎重過ぎるほど気遣ってくれたお陰で、思ってい
たほど身体のつらさはない。何となく重いような、鈍い痛みが少し残っている
だけだ。さらりとした肌には、優に一回り大きいパジャマが着せられており、
自分が全く記憶の無い間に全てのことを済ませてもらったのだという事実に、
愕然とする。
(ハズレクジ引いたって…思っただろうな…)
この時悟空の胸中を占めた思いは、気恥ずかしさよりもいたたまれなさに近い
もので。無意識のうちに下唇を噛みしめた悟空は、ギュッ…と手元のシーツを
握り締めた。
「気が付いたか…身体、どうだ?」
カチャッとドアを開く音がして、カップをのせたトレーを手にした三蔵が室内
に入ってくる。ベッド脇のチェストの上にトレーを置いた三蔵が、まだしっと
りとしたこげ茶色の髪を緩く梳いた。
「夕飯、どうだ…?外に行くのがつらければ、何か頼んでもいいが…」
俯いたままの悟空を体調的にキツイのだろうと判断した三蔵が、静かな声で問
い掛ける。悟空は髪を梳く三蔵の手を避けるように、のろのろと首を振った。
「ん…いい、や…俺…帰るから…」
小さな唇からぽつぽつと呟かれた言葉に、紫の瞳が訝しげに眇められる。悟空
は三蔵と目を合わせようとはしないまま、床に落ちている自分のシャツを拾い
上げた。
「…面倒かけて…ゴメン。パジャマ…ありがと。」
パジャマのボタンを外そうとする悟空の手首を、三蔵が強引に掴む。反射的に
顔を上げた悟空の瞳に、柳眉を険しく寄せた三蔵の顔が映った。
「…やっぱりコイツとなんかシなきゃよかったとでも思ってんのか?」
ぼそりと低い声で投げかけられた問いに、悟空は丸い瞳を見開いて、大きく首
を振った。
「ちがっ…そんなワケ、ないっ…俺は、三蔵のこと…好き、だから…近くにい
られた気がして…嬉しかった、けど…何かもう俺、いっぱいいっぱいだったし
…三蔵にしがみついてんのがやっとで…身体洗ってもらったのも全然わかんな
なくて…だから三蔵は…『ハズレた』って、思ってるだろうって…」
最初は勢いよくしゃべり出した悟空だったが、それは段々と弱々しくなってい
き、終わりの方は口篭もって立ち消えになってしまった。声の勢いと共に視線
も少しずつ下がっていき、またもや悟空は完全に俯き状態になった。
暫しの間を置いて、三蔵の口から深い溜め息が漏れた。それを耳にした悟空の
肩が、ビクリと跳ね上がった。
「夕飯の件は、却下。」
三蔵が発した簡潔な一言に、その表情を窺うように悟空がそろりと視線を上げ
る。そのタイミングを計っていたかのように、三蔵はほとんど不意打ちに悟空
の身体をベッドに押し戻した。
「仕切り直しだ。テメェのトンチンカンな思い込みを軌道修正させるには、身
体で納得させるしかねぇようだからな。」
怒りともどかしさがない混ぜになったような瞳に真っ直ぐ見下ろされて、悟空
の瞳が戸惑いに淡く揺れる。そんな悟空の戸惑いをキレイに無視して、三蔵は
衿元から覗く鎖骨の上に、噛みつくように口づけた。
痛みと甘さを同時に与えられて、悟空の喉元から「ヒュッ」と引き攣れたよう
な息が漏れる。それでも三蔵の唇は止まらなかった。
冗談ではない。恥も外聞も無く一人の相手を乞うたことなど今までの人生で初
めてのことだというのに、何故よりによってその相手に『ハズレた』と思った
だろうなどと言われなければならないのか。
欲しくて欲しくて堪らなくて。けれどあまりに澱みの無いこの存在を傷つけて
しまいたくなくて。ともすれば逸りそうになる己を懸命に抑えながら、この激
情で彼を壊してしまうことのないよう、自分に言い聞かせ続けたというのに。
「さん…ぞ…っ」
切実な響きのその声に、三蔵が顔を上げる。はだけた胸元に点々と散った花の
所々に、薄らと血が滲んでいるのが見えた。どうやら衝動的に湧き上がった憤
りの分、加減が効かなくなっていたらしい。再び顔を埋めた三蔵の唇が、今度
は傷を癒すように、そっと自らが残した痕を辿った。
「ん…っ」
思わず声を上げた悟空の頬に、三蔵は羽が触れるくらいの軽いキスを送った。
「いきなり手荒くして…すまなかった。でも今のは、お前が悪い。」
「三蔵…」
「寝トボケたこと言うのも大概にしろよ。自分のシたい相手とシて、何で俺が
ハズレだなんて思わなきゃなんねぇんだ。」
「だって…三蔵は凄く色々気遣ってくれてたのに、俺は何にもわかんなくて、
ホントただ夢中で…だから『つまんねぇガキ』って、幻滅されたかもって…」
目許をほんのり染めてたどたどしく言葉を繋ぐ目の前の相手は、本当にこちら
が呆れてしまうくらい自覚が無い。その声が、その眼差しが、ひたすらにしが
みついてきた腕が、分け合った熱の甘さが、どれほどの力を持ってこの心を揺
るがしているのかを、全くわかっていないらしい。彼はとんでもない思い違い
をしている。
より強く捕らわれているのも、より深く溺れているのも、おそらくは自分の方
なのだ。
三蔵の腕が、強く強く悟空を抱きしめる。ほんの僅かの隙間すら、厭うように。
「勝手な思い込みで混乱させやがった罰だ…今日は、帰してやんねぇ。」
「え…あ、あの…でも俺、明日学校…」
「黙れ。罰だって言っただろうが…テメェに選択の余地は無ぇんだよ。」
困惑しきった様子の悟空の反論を封じ、その唇にとびきり甘いキスを送る。
悟空はおずおずと三蔵の背中に腕を回し、はにかみがちにコクリと頷いた。


その日を境に何が変わったかといえば、目に見えて変わったことは特にない。
二人だけの時間を共有し合うようになっても、普段の三蔵の態度は相変わらず
淡々としたものだったし、勿論悟空は人前で彼にベタベタしたりはしない。
強いていうなら、互いを呼ぶ声が少し柔らかくなったとか、離れた場所から笑
みを交わし合うことが前より多くなったとか、それぐらいのことで。そのたわ
いのない変化は、充分悟空を幸せにしたのだけれど───穏やかな時間を過ご
す中、悟空の胸の奥底には、どうしても拭いきれない不安感が存在した。有り
体に言ってしまえば、悟空は三蔵と「寝た」ということになる。以前に受けた
「一度寝た相手は容赦なく捨てる」という忠告は、悟空には当てはまらなかっ
た。しかし。悟空はここに至るまでの間に、一度として三蔵の気持ちを聞いて
はいない。彼の腕もキスも、驚くほど優しく自分を包んでくれるけれど。でも
三蔵が自分をどう思っているのかということを、悟空は未だ彼の口から聞かさ
れていないままだった。


そんなある日のこと。とあるスタジオで撮影をしていた三蔵を悟浄と八戒が誘
いに来て、久々に四人で夕食を共にすることになった。連れて行かれたのは悟
浄の行きつけらしいイタリアンの店で、「シックな大人の隠れ家」といった雰
囲気の店内では、それなりに有名人である三人が顔を揃えていても騒ぐような
客の姿はなかった。
「さぁ、どんどん食べて下さいね。今日は僕らのおごりですから。」
「そうそう。何つっても今日は、三ちゃんのお祝いだからさ。」
「三蔵の…お祝い?何の?あ…誕生日、とか?」
祝いという言葉に小首を傾げながらの悟空の問いに、悟浄がプッと小さく吹き
出した。
「ちげーよ。第一、イイ歳したヤローの仲間同士でお誕生日を祝い合うなんて
サム過ぎでしょ?そうじゃなくてさ…コイツってば生意気にもイメージキャラ
クターなんてのに抜擢されちゃって、TVCMに出ちゃったりするワケよ。」
「イメージキャラクター…?何の?」
「ほら、アレですよ。悟空も良く知ってると思いますけど…」
そう言って八戒が説明してくれたCMのことは、無論悟空も知っていた。それ
は芸能人に限らずアーティスト、作家、スポーツ選手等あらゆるジャンルの中
で『その時代を象徴する男性像』といった人物が歴代のイメージキャラクター
を務めている、非常に強いインパクトのある物だった。
「そしたらさ…ビルの上のデカイ看板とかに、三蔵が出たりすんの?」
「そーゆーコト。駅にもポスターとか貼られてさ、鼻毛描かれちゃったりすん
だぜ~」
「鼻毛はひどいんじゃないですか…?あ、でも『目に画鋲』はアリかもしれま
せんねぇ。」
「テメェらなぁ…終いにはコロスぞ。」
軽いからかいの言葉をやり取りしながらも、三蔵が掴んだ大きなビジネスチャ
ンスを、心から祝福している二人の気持ちが伝わってくる。だが…和やかな空
気の中、悟空は心の底から笑えない自分に気付いていた。
勿論、嬉しくないはずがない。三蔵にとってそれは、間違いなく喜ぶべきこと
なのだから。だが今の話が具体的になれば、三蔵を取り巻く環境はおそらく劇
的に変化する。これまでの三蔵は名の知れているモデルとは言っても、『その
方面に詳しい者なら知っている』というレベルのことだったのだが、TVCM
が流れ、駅や街中にポスターが貼られるとなれば、巷を行き交う人全てがその
存在を知ることとなる。今でさえ撮影中の彼は、明らかに「別世界の人」だと
感じずにはいられないというのに。そうなってしまえば自分の声など、大勢の
人にかき消されて彼の元には届かなくなるのではないかと───そんな不安感
が、悟空の胸には重くのしかかっていた。

帰り道でのこと。交差点での信号待ちの時、ぼんやりと車窓を流れていく景色
を眺めていた悟空の瞳に、ある物が飛び込んできた。ビルの屋上に掲げられた
大きな看板───そこには先刻の話に出てきたCMの、現在のイメージキャラ
クターの爽やかな笑顔があった。
「今度はあそこに…三蔵の顔が大きく出るんだね…」
ほとんど独り言のように、ぽつりと悟空が呟きを落とす。
「スゴイね…スゴイけど…遠いね…」
窓越しの看板に向けられたその眼差しは、まるで彼方の星でも見上げているか
のように、ひどく遠くて。何故だか儚げに映る横顔を、三蔵は顎を掴んでグイ
と引き寄せた。
「何をワケわかんねぇこと言ってんだ…本物はきっちりと、テメェの横にいる
だろーが」
少し不機嫌そうな表情でそう言った三蔵は、掠める程度のキスを一つ落として
から、車を発信させた。

『隣りにいるのだから何も心配はいらないのだ』と貴方は言う
ちょっと手を伸ばせばすぐに届くけれど 送られるキスは優しいけれど
でもそれが明日にも繋がる確約なんて、何処にもないのに

結局悟空は何一つ言葉に出来ないまま、三蔵の横顔をみつめるばかりだった。


それから数日後。いつもの如く三蔵の撮影に付き合っていた悟空は、外に買い
出しに出ていた。少し長めの休憩時間に丁度三蔵の煙草が切れてしまった為、
それを買い足しに行ったのである。
スタジオに戻ってきた悟空の姿を見かけたスタッフが、少し離れた場所から声
をかけてきた。
「おい悟空、三蔵さんとこ行ったら、後十分くらいで撮影再開するって伝えて
くれよ。」
「十分だね、わかった。」
撮影スタッフともすっかり顔馴染みとなり、今ではこんなやり取りをするまで
になっていた。明るく人懐っこい悟空に、スタッフも概ね好意的だった。三蔵
が休憩を取っている控え室のドアを開けようとした悟空の耳に、女性の話し声
が届いた。どうやらそれは今回の三蔵の相手である女性モデルのものらしい。
人の好みの激しい三蔵は、男女を問わず他のモデルと仕事をすることを基本的
には好まない。しかしその女性モデルは以前からの知り合いらしく、それなら
ということで三蔵はこの仕事を了承したようだった。何となく中に割って入る
のも憚られ、悟空は少しだけドアを開け、中の様子を窺った。
「あのおチビちゃんを連れ歩くようになってから、もうずいぶんになるんじゃ
ない?一度寝た相手は容赦なく捨てるって評判の貴方が、珍しいこと。どのく
らいもつかって、賭けにしてる連中もいるらしいわよ。」
「フン…くだらねぇな。」
明らかに面白がっている様子の女性に、三蔵は一言すっぱり言い捨てた。そも
そもは「一度寝た相手は捨てる云々」といった話も、三蔵の思惑とは関係なく
周りが勝手に言い出したことなのだ。
悟空と出逢うまで、同世代の平均的な青年と比べ極めて色事への欲が乏しかっ
た三蔵は、自ら積極的に相手を求めたことがない。ごくたまに気が向いた時、
誘いをかけてきた女性と事に及ぶことはあっても、その程度のことで自分の女
面されるのも面倒で、一度関係した相手には二度と自分から声をかけることは
ない。そんな幾つかの出来事が、いつの間にやら大袈裟な噂になってしまった
だけのことなのだ。そして悟空は三蔵自らが選び、傍らに置くことを決めた初
めての相手である。それを今までの女達と同じラインで語られても全く次元の
異なることで、三蔵からすれば呆れて反論をする気にもならない。
だが目の前の女性は三蔵のその反応を、違う意味で受け取ったようだった。
「いざ頂いちゃってみたら、あんまり純情だったから、可哀相でいつもみたい
に切り捨てられなくなっちゃった…?あの子、本当に素直でいい子だものね…
でも遊びなら、そろそろちゃんと言ってあげないとダメよ?あんな純粋な子の
心に深い傷が残ったら、それこそ可哀相でしょう。」
歌うような軽やかさでそう言った彼女は、三蔵のこめかみ辺りに戯れのような
キスを落とした。「チッ」と短く舌打ちして、三蔵が掌でルージュの跡を拭う。
しかし彼女はその反応に怒ることもなく、実に楽しげにクスクスと笑った。
その時───
ガタンと、入り口の方から何かがぶつかるような音がした。僅かに瞳を眇めて
そちらを振り向いた三蔵の視線の先には、大きく目を見開いて立ち尽くす悟空
の姿があった。そんな悟空を見てもなお彼女は全く悪びれた様子もなく、悪戯
をみつかった子供のように、小さく肩を竦めてみせた。
「あらぁ…ごめんなさい。でも大した意味なんてないのよ、気にしないでね。
私は貴方の王子様に悪さなんてしてないから…ね?」
余裕たっぷりの『大人の女の笑顔』を悟空に向けた彼女は、擦れ違いざまに肩
をポン…と軽く叩いて部屋を出て行った。
「悟空」
固まったようにドアの向こうから動かない悟空に、三蔵が声をかける。悟空は
ノロノロとした足取りで三蔵の前に歩み寄り、持っていた煙草を手渡しながら
「十分くらいしたら撮影始めるって」と小さな声で告げた。
「…ナニ辛気臭ェ面してんだ、アイツが言ったとおり、あんなコトに大した意
味なんかねぇんだよ」
「…だったら…俺にするキスにも、大した意味なんかないの…?」
俯き加減での悟空の呟きに、三蔵は苛立ちを隠しきれないように、乱暴な手つ
きで前髪をかき上げた。
「それとこれとは話が違うだろ、ガキみてーなモノの言い方で疲れさせるな」
見当違いなことをしたり顔で諭されて腹が立っている三蔵には、不安に揺らぐ
悟空の気持ちを察する余裕が無い。だからつい、深く考えることもなく感情的
に言い返してしまった。三蔵のその言葉を聞いた途端、悟空が弾かれたように
顔を上げた。
「…っ、どうせ俺はガキでっ、笑い流すなんて器用なコト出来なくて、三蔵は
いつも全然冷静で、俺ばっか一人でがむしゃらになって空回りしてて…だけど
それにウンザリしてるんなら、『可哀相だから切り捨てられない』なんて思わ
ないで、それなら三蔵の口からちゃんと言ってくれればよかったんだ…終わり
にしたいなら、はっきり…」
いつにない勢いで声を荒げていた悟空の言葉が、不意にそこで途切れた。大き
く開かれた金の瞳は、何処にも焦点が合っていない。悟空の様子がおかしいこ
とに気付いた三蔵が立ち上がって声をかけようとした次の瞬間、何かが抜け落
ちたような顔は一転して、クシャリと歪んだ泣き笑いの表情に変わった。
「…何言ってんだろ俺…全然違うじゃん…『終わり』なんてあるワケないよ、
だって俺達」
暫し定まらなかった悟空の視線が、真っ直ぐに三蔵に向けられる。

「最初っから何にも、始まってなんかいなかったんだ───…」

考える間もないうちに時間を共にするようになって
何だか当たり前のようにキスを交わして
「シたい」と言われたから「いいよ」と応えた
でもそれは「ただそれだけ」のコトで
「付き合おう」と言われたわけでもなく
特別な約束をしたわけでもなく
ましてや一度もこの人の口から「好きだ」と言われたわけでもない
例えば明日、面と向かって「お前誰だ」と言われたらそれまでの
……その程度のことでしかなかったのだ───

茫然とした表情で、三蔵の紫の瞳が見開かれる。悟空は淡く滲んだ瞳のまま、
困ったような顔で微笑った。
「逆ギレみたいな怒鳴り方してゴメン…ホント、ダメだなぁ俺…さっきの女の
人みたく、全然スマートにいかねぇの…カッコ悪ィ…これじゃ三蔵だって疲れ
るよ…」
「おい悟…」
呼びかけようとした三蔵の声を遮るように大きく息を吸い込んだ悟空が、今度
はニコリと笑った。
「沢山誘ってくれてありがとう…嬉しかった。仕事…これからも頑張って。応
援してる。じゃあ俺、行くね…さようなら。」
精一杯の笑顔で『さようなら』と告げた悟空は途端に踵を返し、その場を走り
去って行った。
ガランとした控え室には、その小さな背中に腕を伸ばしかけた三蔵一人が残さ
れた。


夕陽もすっかり落ちて夜の帳が下り始めた頃。少し高台になっている小さな公
園に、悟空はいた。子供用の小さなブランコに揺られながら、悟空は眼下の街
をぼんやりとその瞳に映していた。
結局一方的に自分の言いたいことだけを言って、逃げるように出てきてしまっ
た。「はっきりしてくれ」と責め立てるような真似をしておきながら、三蔵の
口から決定的な一言を聞かされるのはやっぱり怖くて。
でも、もういい。あんな理不尽な物言いをした自分にきっと三蔵は呆れ果て、
憤っていることだろう。彼からの電話が鳴ることは、おそらくもうない。
写真の中の彼を見る度に、ほんの少し胸は痛むかもしれないけれど。それも時
間が解決してくれることだろう。駅の構内で大きなポスターを見かける頃には
「俺、この人と話したことあるんだぜ」なんて、友達にも笑って話せるように
なる…その頃には、きっと。

「───おい」

聞こえるはずのない人の声に、悟空の薄い肩が大きく震える。ぎこちない動作
で悟空が声の方へ視線を向けると───そこにはこれ以上はないくらいの仏頂
面をした三蔵が立っていた。
「何…で…ここにいるの…?」
この高台にある小さな公園は、小学生の時に街を探検していて偶然みつけて以
来、悟空の秘密の場所なのだ。少し考え事をしたい時、誰とも顔を合わせたく
ないような時、悟空は一人でここに来る。親しい友達も、勿論家族でも、この
場所のことは知らない。それなのに何故目の前の人は、今ここにいるのか。
「テメェの『声』があんまりうるせぇから、気が付いたら辿り着いちまったん
だよ。」
仏頂面のまま悟空の元へ歩み寄ってきた三蔵が、ぶっきらぼうに答える。それ
を聞いた悟空が、困惑した表情で彼を見上げた。
「ウソだっ…俺、声なんか出してない」
「テメェが意識してようがしてまいが、俺には聞こえてんだよ…俺にだけは、
お前の『声』が聞こえる…もう、ずいぶんと前から。」
きつめの口調は途中からひどく穏やかなものとなり、静かな眼差しは、真っ直
ぐに悟空に向けられていた。
「三蔵…?」
見上げる悟空の瞳が、不安定に揺れる。ブランコの鎖を握っている悟空の手を
三蔵は上から包み込むようにして握りしめ、再び口を開いた。
「…半年くらい前だったと思う。街中を歩いている時に、頭の中に直接響いて
くるような声が聞こえてきて…あんまりクソうるせぇから『この声何だ』って
俺が怒鳴ったら、ヤツらはそんな声は聞こえないと言った…あの赤ゴキブリに
至っては『脳にキテるんじゃないか』とまでほざきやがった。そのうちに八戒
まで、俺だけに聞こえる『運命の相手の声』なんて沸いたコトを抜かす始末で
…その時は、全く馬鹿げてると思った。だがそれから何度も同じ『声』が聞こ
えるようになって…あんまりしつこくてうるせぇから、そのうち忘れられなく
なった。ある日街の雑踏の中から『じゃあまた明日』とか何とか話してる声が
聞こえて、それは間違いなく頭の中に何度となく響いたあの『声』と同じで、
思わず咄嗟にその腕を掴んだら…とんでもないマヌケ面でこっちを見上げてき
た、お前がいた。」
今にも零れ落ちそうなくらい金の瞳を見開いている悟空の額に、三蔵はひどく
厳かな仕草で口づけを落とした。
「…俺のこと、『コイツ気が違ってんじゃねぇのか』って思うか…?」
間近になった紫の瞳を瞬きもせずに凝視したまま、悟空はゆっくりと首を横に
振った。
「俺…も…三蔵の『声』…聞こえて…た。やっぱり、半年くらい前だったと思
う…突然、誰かの声が頭の中に響いて…やっぱり周りの友達には聞こえてなく
て、その時は気のせいかなって思った…でも、それから何回も同じことがあっ
て…あの日三蔵に『おい、お前…』って声かけられた時…あ、この『声』って
思って、そしたら何だかわからないうちにボロボロ涙が出てきて…三蔵が涙を
拭ってくれて、初めて会った人なのに、ちっとも嫌じゃなくて…その時わかっ
たんだ。この人の『声』だったんだ…って。」
悟空の金の瞳が再び淡く滲む。三蔵は有無を言わさず、小柄な身体を胸に抱き
込んだ。
「何が『何も始まってなんかいない』だ、フザケんじゃねーぞ…テメェのクソ
うるせぇ『声』がこっちの意思とはお構いなしに響いて、それをどうしても忘
れることが出来なかった時から…俺の中ではとっくに『始まってた』んだよ」
「三蔵…」
「…俺は、言葉で表しようのないものを無理やり形にするのは嫌いだ。だから、
俺が言いたいことだけを言う。」
そこで一旦言葉を切った三蔵は、小さく息を吸い込んでから再び口を開いた。

「お前の場所は、他にはない。俺と、ここにいろ。」

今までに聞いたこともないくらい真摯な三蔵の声が、清涼な雫のように悟空の
胸に染み渡っていく。三蔵の胸から顔を上げた悟空の瞳は、今にも泣き出しそ
うな潤みを含んでいた。
「ひでぇ…言ってることムチャクチャじゃんか。」
微かに震える声で精一杯の強がりを言う悟空の目許に、三蔵がそっと唇を押し
当てる。
「うるせぇ、紛れもない事実だろーが。オラ、さっさと返事しろ。」
臆面もなく言い切った三蔵に「すっげぇ横暴」などとブツブツ小声で言ってい
た悟空だったが、ブランコの鎖を握っていた手が外され、そろそろと三蔵の背
中へと回された。
「…はい。」
温かな三蔵の胸にギュッと顔を埋め、身体中から溢れてくる想いのままに。
悟空はたった一言、そう答えた───。


声はまわり道をした
あなたを呼ぶ前に声は沈んでゆく夕陽を呼んだ
森を呼んだ 海を呼んだ ひとの名を呼んだ
けれどいま私は知っている
戻ってきた谺はすべてあなたの声だったのだと
                      谷川俊太郎『谺』


                           …HappyEnd.



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《戯れ言》
…というわけで、おわかり頂けましたでしょうか?これは『再びの邂逅』を
果たした『二人の物語』だったのです。何だかふっと「書こう」という気に
なりまして…こんな話になりました。お前いつまでこの二人を書く気なんだ
オイ…って気がしないでもないですが(苦笑)お楽しみ頂けたのなら、幸い
です(^^)




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