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『灰とダイアモンド』(前)   by Riko







物心がついた時には、街の最下層にいた。


親の顔は知らない。
まだ赤ん坊の頃に、ここに捨てられたんじゃないかと思う。
ロクに日も射さない路地裏で、ただがむしゃらに生きてきた。
明日へと生き延びる為に、たぶん人殺し以外のことならほとんどやった。
いっそ死んじまった方がマシなんじゃないかと思うことは幾らだってあった
のに、それでも最後の最後、ギリギリのラインでどうにか踏み止まっていた。
『生きていればいつか何かがある』なんて、
馬鹿げたことを信じていたわけでもないけど。


ある日。突然目の前に現れた人が、俺に手を差し出した。
身体中の何処にも一点のシミすらなさそうなくらいキレイなその人は、
大袈裟な例えなんかじゃなく、本当にキラキラと輝いていた。
陳腐な言い回しだけど『この人は太陽に祝福されてる人なんだな』って、
そんな風に思った。
その人はよく通る落ち着いた声で『三蔵』とだけ名乗った。


今まで足を踏み入れたこともないようなとんでもない大きさの屋敷に連れて行
かれて、「今日からここがお前の住処だ」って、部屋を一つ宛がわれた。
清潔で快適な温度に保たれた部屋。持ち主の趣味の高さがわかるシンプルで品
のいい家具。優に三人は寝られそうな広いベッド。半ば茫然としているうちに
風呂に入れられて、部屋に戻ると当たり前のようにその腕に抱き寄せられた。
『あぁ、そういうこと』と、あっさり納得出来たし、抵抗しようなんて気はこ
れっぽっちも湧き上がらなかった。貧しい気の毒な境遇の人間を救いたいなん
て慈善は嘘くさいし、寧ろ最初から目的をはっきりしてもらった方が、こっち
も割り切れていい。俺からすれば食うことと眠る処の心配をしなくていいって
こと以上に重要なことはなかったから、それ以外は本当にどうだってよかった。


実際のところ、三蔵とのセックスに特に大きな不満はなかった。多少しつこい
ところがあるから疲れるっていうぐらいで、三蔵は金にあかせてとんでもない
趣味を押し付けたり、無理強いをしたりということは決してしない人間だった。
気まぐれで拾われてきた玩具代わりとしては、分不相応なくらいの待遇だった
と思う。その反動と言っちゃ何だけど、屋敷の使用人や三蔵の部下の態度の冷
淡さたるや相当なものだった。向けられる視線にはあからさまな侮蔑の色が含
まれていたし、よくそこまでボロクソに貶せるもんだといっそ感心するくらい
の陰口を叩かれるのなんてそれこそ日常茶飯事だった。まぁ、敬愛する主人が
掃き溜めみたいな街から連れて来た小汚いガキを特別扱いしていれば、面白く
ないのは当然で。「物好き」とか「悪趣味」とか、そりゃ散々な言われ様だっ
た。だからと言って別に腹が立ったりはしない。他ならない俺自身が、誰より
もそう思っていたからだ。
三蔵がその気になれば、喜んで脚を開く人間なんて男女問わず幾らだっている
だろう。三蔵はそれを出来るだけの金を持っていて、力もある。何より三蔵は
一度見たらまず忘れないくらいの、文句抜きの美形だ。わざわざ金に物を言わ
せなくたって、相手なんて選り取りみどりに違いないのに。


「しかしまぁ、人間変われば変わるもんだよなぁ。以前のヤツは最低限の睡眠
を取る為だけにこの屋敷に戻ってきてたってのに…今や仕事が終わった途端、
直帰だもんなぁ…いやー、小ザルちゃんの力は偉大だわ。」
ある時、悟浄がニヤニヤしながらそんなことを言った。悟浄は一見ノリが軽く
て調子のいい印象が強い男だけど、頭もキレるし腕も立つ。三蔵の片腕的な存
在で、三蔵と対等に話の出来る数少ない一人だ。(因みに俺も三蔵のことは普
通に「三蔵」と呼んでいる。最初の頃、そうした方がいいんだろうなと思って
「三蔵様」って言ったら「気色悪ィ」の一言で一蹴された。多分このことも、
周りの反感を買ってる大きな理由の一つなんだろうけど。)
俺が思いっきり『何言ってんの?』ってカオしてたら、悟浄は溜め息を吐きな
がら大袈裟に肩を竦めてみせた。
「何よその面は?もしかして全く自覚ナシってヤツ?うわー、三蔵サマってば
気の毒~…っつってもなぁ…アイツも何しろ言葉が足りな過ぎなんだよな。」
軽い苦笑いと共に、悟浄が俺の頭をポンと叩く。やっぱり俺には悟浄の言って
ることの意味は掴めない。でも悟浄が一つ勘違いをしてることはわかる。
三蔵は『言葉が足りない』んじゃない。そもそも俺達の間には『言葉自体が存
在しない』のだ。
夜になったらこの部屋に来て、コトを終えたら何もなかったみたいに自分の部
屋に戻る。特に話なんてしないし、ここで眠っていくこともない。文字通り三
蔵は『することを済ませる』為だけに俺の処に来てるんだから、言葉なんてか
ける理由がない。
「アイツはさ…元々ああいう性格だし、お前を金で連れて来たって妙な負い目
がある分、余計上手くやれねぇんだと思うけど…要領悪ィよな、ホントに。」
『やれやれ』って感じで笑ってみせる悟浄の瞳の色は柔らかい。

それこそ『何言ってんの?』って感じだよ、悟浄。
金を出してる三蔵の方が俺に負い目を感じる必要なんて、
何処にもないじゃないか。
俺は三蔵が泥を食えと言えば黙って食うし、
膝をついて靴を舐めろと言われればそうするだろう。
だってコレは最初からそういう関係なんだから。

表情から俺の気持ちを察したのか、悟浄は苦笑いを深くして「ウチのボスも報
われねぇなぁ」と呟いた。


それから何日かが過ぎたある夜のこと。珍しくそのままベッドに傾れ込まずソ
ファーに腰掛けた三蔵は「海に行かないか」とぽつりと言った。何でいきなり
そんなことを言い出したのかと思ったら、どうやら悟浄から俺が海を見たこと
がないと話していたのを聞いたらしい。
確かに俺は三蔵にここに連れて来られるまであの街から出たことすらなかった
から、それこそ本やテレビの中でしか海を見たことがなかった。
「お前は悟浄とならそういう話をするんだな。」
淡々とした声音の内側に含まれている感情は俺には読み取れないし、敢えて読
み取りたいとも思わない。だから受け取った言葉のとおり、そのままを答えた。
「うん。悟浄は話が上手いし、俺とでも気さくに話してくれるからね…何?あ
んまり悟浄と話すのはダメ?だったら次からはそうするけど。」
俺の返答に、三蔵は短く首を振ってみせた。
「いや…お前も一人ぐらい話しやすい人間がいた方が、気が紛れるだろう…で、
どうする?」
至って静かな口調で答えた三蔵が、再度俺に問うてくる。俺は「そうだな…」
と少し考える仕草をしてみせた。三蔵が突然こんなこ提案をした理由は依然と
して掴めないが、少し遠出をするということ自体は悪くない。何しろここに来
てからというもの、辺りを散歩したりちょっとした買い物に行ったりという以
外、俺はこの屋敷からほとんど離れたことがないのだ。
「三蔵の都合がつくんなら…行ってみたいかも。」
俺がそう答えると、三蔵は微かに───本当にちょっと口許が上がった程度だ
けど、薄く微笑った。三蔵が笑ってる顔を見るのは、俺が記憶する限りこれが
初めてで。驚きを隠そうともせずポカンとしている俺を見て、三蔵は緩やかな
笑みを刻んだまま頬に軽いキスを落とした。
三蔵がベッド以外の場所で、しかもこんな子供をあやすようなキスをしてきた
のも、この夜が初めてのことだった。


三蔵が俺を連れてやって来たのは、自分名義のプライベートコテージがあると
かいう、海辺の小さな町。微妙に観光スポットから外れていることに加えて海
で遊ぶには季節はずれなこともあり、海岸には俺達以外の人の姿はなかった。
「広いね…それと、風が気持ちいい…」
何処までも続く深い青へと目を遣りながら、ぽつりと呟く。生まれて初めて見
た海は、穏やかで静かだった。
「ちょっと歩いてみていい?」
後ろに立っている三蔵に問いかける。三蔵が短く頷いたのを確認した俺は、靴
を脱ぐと波打ち際へと足を踏み出した。
「冷た…」
夏が通り過ぎた後の海は想像してた以上に冷たくて、思わずそんな一言が零れ
る。でも観光客に汚されていない水は透明感があってキレイだった。
水の冷たさよりも初めて触れた海の面白さの方が勝った俺は、ジーンズが濡れ
るのも構わずザブザブと澄んだ青の中へと足を進めていった。

「オイ…!」

いきなり凄い力で肩を引き戻されて、ハッと我に返る。何の注意も払わずに歩
いていた俺は、ふと気が付けば水面が胸の辺りスレスレまで届く深さまで来て
しまっていて。三蔵は今まで見たことがないくらい恐い顔で、思いっきり俺を
睨んでいた。
「あ…ゴ…メン…ちょっとボーっとしてて…」
苦笑い混じりに俺は三蔵に謝ってみせた。

少しだけ───ほんの少しだけ、『もしあの向こうまで辿り着けたなら、何か
もっと違う世界が見えるんじゃないか』なんて、子供じみたことを思っていた
ような気もするけど。

「ゴメンな、三蔵まで濡れちゃっ…」
その後は言葉にならなかった。背骨が軋みそうなくらい強く抱きすくめられて、
噛みつく勢いで唇を塞がれた。
「ちょっ…さん、ぞ…痛…い…」
「ウルセェ、黙れ」
息継ぎの合間に不満を訴えても、三蔵は厳しい口調でそう言い放つだけで許し
てくれない。容赦なく歯を立てられて少し切れたのか、海水が唇に染みた。
俺が眉根を寄せてることに気付いた三蔵が、舌先でそっと唇のラインをなぞる。
再び合わさった唇からは、塩水と鉄の味がした。


その夜は意識がなくなる寸前まで解放してもらえなかった。特別乱暴にされた
わけじゃないけど、ひたすらに熱を叩きつけられて、最後の方はもうぐったり
だった。
そんな風にこっちの都合なんかお構いなしに好き放題してるくせして、何だか
置き去りにされそうになった子供みたいな目でじっとみつめてくるから。
俺は緩く笑って初めて自分の方から三蔵にキスをした。三蔵が心底驚いたみた
いにキレイな紫の瞳を開いてるのがおかしくて、そのまま顔のあちこちに軽い
キスを送り続ける。
俺は出会って以来初めて、朝まで三蔵の腕に包まれたまま眠った───。


海辺の町での休日をきっかけに、俺達の関係は微妙に変化した。
それまでは本当に『ただ寝るだけ』って感じだったのが、ごく普通にテーブル
を挟んでメシを食ったり、散歩をしたり映画のDVDを観たりっていう何てこ
とのない時間を一緒に過ごすようになった。
夜もコトを済ませたらさっさと自分の部屋に引き上げちゃうってことはほとん
どなくなって、自然と二人でそのまま眠るようになった。そうなれば当然次の
日の朝メシも一緒に食うようになるわけで、俺は全く持ってらしくもなく、仕
事に向かう三蔵に「いってらっしゃい」なんて声をかけるようになった。朝に
手を振って誰かを送り出すなんてことは、今までの俺の人生にはありえなかっ
たことで、たぶん一生ないことだろうと思ってた。何だか妙にくすぐったい感
じもしたけど、これはこれで悪くないかもなと、そんな風にも思い始めてた。
もう一つ決定的に変わったことがある。三蔵はあの日以来、俺を一人では外に
出さなくなった。そこらにちょっと出かける時でも、必ず誰かに付き添いをさ
せるのだ。
「何でわざわざこんなご大層なことしなきゃなんねーの?俺だってガキじゃな
いんだし、屋敷で働いてるヤツらだって暇じゃないんだからさぁ…別に勝手に
何処か行っちゃったりしないし。」
不満丸出しの俺に対する三蔵の反応は、実に簡潔なものだった。
「黙れ。テメェは目を離すとフラフラして危なっかしいんだよ。人に付き添わ
れるのがウゼェなら、俺がいない時には極力出かけるな。」
ぶっきらぼうな言葉とは裏腹に、紫の瞳は何故だか不安定な色をしている。
もしかしたら三蔵は俺がある時フッと消えてしまうのを怖れているんじゃない
かと思うけど、同時にそんなわけがない、とも思う。

だって三蔵は何でも持ってて、俺一人消えたところで何一つ困らない。

どんな表情を返したらいいのか戸惑う俺の目許に、三蔵は羽根が触れる程度の
軽いキスを落とした。


そんな風にして緩やかに日々が流れていたある日のこと。
ちょっとした買い物に行きたくなった俺は、誰にも告げぬままこっそり屋敷を
出た。幾ら三蔵の言いつけとはいえその都度嫌々付き添う方も面倒だろうし、
精々一時間程度のことだから、誰にも気付かれないうちに戻ってくれば問題は
ないと思ったからだ。

久しぶりに自分のペースで街を歩くことが出来て、俺は多少浮かれていた。
目当ての買い物を終え、軽く歌を口ずさみながら歩いていた俺の視界に突然飛
び込んできたのは───頼りない足取りで車道を横切ろうとしていた子供と、
今正に迫りつつある一台のトレーラー。

「……っ!」

何かを考えようとする前に、身体は走り出していた。子供を内側に抱き込むよ
うにしながら、駆け寄った勢いのまま路上に倒れ込む。
『足が熱い』───と感じたのが、最後の記憶だった。





目が覚めてまずこの目に映ったのは、真っ白な天井。意識を取り戻した時、俺
は既に病院に運ばれていて、全ての処置が終わった後だった。
俺の右脚は、膝から下が無くなっていた。
損傷が激しかった為、生命維持を優先させるにはやむをえない選択だったと、
まだ若そうな医者は少しつらそうな顔で説明をした。
俺は元々身体をひっくるめた自分の存在そのものに大した拘りは持ってなかっ
たから、たぶん普通の人ほどでかいショックは受けていなかった。

ただ───『結構あっけない幕切れだな』とだけ思った。





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