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『灰とダイアモンド』(後)    by Riko









意識を取り戻してからも、俺は無駄に立派な個室で分不相応なくらい手厚い看
護を受けていた。身ぐるみ剥がされて追い出されないってことは、滞りなく入
院費が支払われているってことなんだろう。幾らもう用無しとはいえ、片脚な
くしたガキを治療もさせずに放り出すのは流石に目覚めが悪いってとこだろう
か。普段の素気ない態度に似合わず、三蔵という人間は存外お人好しだと思う。

俺は三蔵に金で拾われた。つまりこれは一種の『契約』だ。契約である以上、
三蔵の指示は何を差し置いても絶対で、俺はそれに従うのが当然の義務なわけ
で。にも拘らず、俺は勝手に出かけて勝手に事故に遭った。この時点で既に俺
は「テメェの怪我なんか知ったことか」とすっぱり切り捨てられても、何一つ
文句の返しようもなかったのに。


二、三日に一度の割合で、悟浄が様子を見に来てくれた。こういう時でも悟浄
みたいなタイプは妙に悲壮ぶったり哀れんだりせず、普通に接してくれるから
いい。
「あのさぁ…俺と一緒にいた子供…どうなったか知ってる?」
やっと少し落ち着いて話せるようになった頃、俺は悟浄にそんな風に訊いてみ
た。悟浄は器用な手つきで林檎の皮を剥きながら「あぁ」と軽く笑った。
「あっちこっち擦り傷や打ち身はあったみたいだけど、至って元気らしいぜ。
もう普通に学校にも通ってるって。」
「そっか…なら、よかった…。」
俺は小さく息を吐き出して、ほんの少しだけ笑ってみせた。これであの子供に
もしものことがあったら、俺は脚の失い損だ。元気でいるっていうなら、俺が
ほとんど衝動でしたことにも、少しは意味があったって気になる。
「そういえば…その子の家族っつーのが、お前に直接会って礼が言いたいって
言ってんだけど…どうする?一応『まだ容態が落ち着いてないから』って返事
は濁してあるけど。」
ナイフを動かしていた手を止めた悟浄が、いつにないくらい真剣な表情を俺に
向ける。俺は暫く悟浄と視線を合わせてから、微かに首を振ってみせた。
「きっと…会わないままの方がいいよ。実際にこの姿見たら、変な風に責任感
じちゃうかもしんねーし。せっかく助かったのに、罪悪感抱えて生きるなんて
ことになったら勿体ねぇしさ…俺がどうとかは関係なしに、元気に生きてって
くれれば、それでいいよ…。」
これは格好つけで偽善でもない、俺の本音だった。俺はただ飛び出さずにはい
られなかったからそうしただけ。脚を切断することになったのは、ただの結果
だ。だからあの子供と家族が妙な罪悪感を抱える必要なんて何処にもない。
悟浄は少し驚いたみたいに紅い瞳を開いてから、口許だけで緩く笑ってみせた。
「俺さ…正直なトコ、三蔵が最初にお前を連れて来た時『オイオイ、マジかよ
ソレ?』って思ったんだよね。アイツに群がる女なんてのはそれこそ掃いて捨
てるほどいるし、来たばっかの頃のお前はガリガリで貧相なだけのガキだった
しさ。でも今は…何で三蔵がお前のこと欲しがったのか、少しわかった気がす
る。」
今度はこっちが目を開く番だった。俺には悟浄が何を言いたいのかわからない。
三蔵が俺を連れて来た理由?そんなの間違いようがなく『単なる金持ちの気ま
ぐれ』に決まってるじゃないか。毛色が変わってて珍しかったとか、精々その
程度のことだろう。
尤も…その気まぐれも、もうお終いだろうけど───。
「なぁ…俺かなり落ち着いたしさ、こんな立派な部屋は必要ないからって、悟
浄から三蔵に伝えてくんないかな。」
俺がこの病院に担ぎ込まれて以来、三蔵は一度も顔を見せていない。そりゃあ
そうだろう。こんな状態でほとんど寝たきりの俺に会いに来たって意味が無い。
たぶん三蔵の相手はとっくに『別の誰か』になっていて、何一つ問題はないん
だろう。だったら今俺の治療にかかっている金は、完全に余分な出費だ。
悟浄は明らかに怒った様子で眉根を寄せて、俺の額をビタン!と叩いた。
「痛ェ…」
「怪我人がいっぱしのクチきいてんじゃねぇよ。今のお前は、自分の身体のこ
とだけ考えてりゃいいんだ。」
ぶっきらぼうな口調でそう言った悟浄が、キレイに切り分けた林檎を俺の口に
押し込む。俺はそれを一口齧ってから、手に持ち替えた。
「そう…だな。まずは一日でも早く、退院出来るようになんなきゃな…」
俺が少しだけ微笑ってみせると、悟浄の大きな手がクシャリと頭を撫でた。


それからの俺はといえば、我ながら感心するくらいの模範的な患者ぶりだった。
『余計な金がかかって悪い』という気持ちがあるなら、とにかく早く回復して
退院出来るように努力することが、今の自分がすべきことだと思ったからだ。
別にこの病院を出たからって、行くあてがあるわけじゃない。でも幾ら餞別代
りとはいえ、ズルズルこのまま甘えっぱなしってわけにはいかないだろう。
出された指示を黙々とこなしていた結果、担当医も驚くほどのスピードで無事
退院の日が決まった。

そしてこれからどうしようかと考えていた退院当日。俺の目の前に一人の男が
現れた。
「はじめまして。僕は猪八戒といいます。三蔵から依頼を受けまして、貴方を
お迎えに上がりました。」
翡翠色のキレイな瞳をした目の前の男は、そう言ってニッコリと笑った。


車に乗せられ連れて来られたのは、ちょっと変わった造りの一軒家。八戒はそ
こを自宅兼仕事場だと説明した。
「僕はリハビリのトレーナーをやってましてね。貴方に合う義足を作り、介助
なしでも歩けるようにする…というのが三蔵との約束です。事故の後のリハビ
リというのは身体のことだけでなく、精神面でもかなりキツイところがありま
すが…僕も出来る限りのサポートをしますから、あまり焦らず二人三脚でやっ
ていきましょう。」
つまり三蔵は、完全とまではいかなくても、俺が元通り二本の足で歩けるよう
にしてやってくれと八戒に頼んだらしい。俺はあまりの馬鹿馬鹿しさに半ば呆
れてしまった。特別貴重でも何でもない、歯車の欠けた玩具を直してやるのに
わざわざ金を出すなんて、あの男は何処までお人好しなんだ。俺は大きく息を
吐き出してから、きっぱりと首を横に振った。
「せっかく連れて来てもらって悪いけど、俺は三蔵にそこまで金出してもらう
覚えがないよ。」
八戒は少し驚いたみたいにキレイな翡翠色の瞳を開いてから、軽い苦笑いを滲
ませた。
「それは困りましたね…とは言っても僕はあくまで三蔵と契約をしたわけです
から、ここで『ハイそうですか』と納得してしまうと、それこそこちらには一
銭も入らなくなってしまいますしね…でしたらちょっと発想を転換してみたら
どうでしょう。貴方はここでしっかり訓練をして、まずは歩けるようになる。
それから自分で働いて、少しずつでいいから三蔵にお金を返していく…という
風に。」
「働いて少しずつ…金を返す?」
今度は俺の方が驚いてしまった。戸惑いがちの俺の声に、八戒は「えぇ」と静
かに頷く。
世話になった相手に少しずつでも金を返していく───おそらく世間一般では
ごく当たり前のことすら、俺の頭の中では今の今までこれっぽっちも思い浮か
ばなかった。あの街にいた頃はみんな自分が生き抜くことに精一杯で、誰も俺
にそんなことを教えてはくれなかったから。
身体の内側から新しい『何か』が湧き上がってくるのがわかる。俺はたぶん生
まれて初めて『目標』ってヤツを持つことが出来たんだと思う。
「うん…俺、もう一度自分の足で歩けるようになってみせるよ。よろしくな、
八戒。」
「はい。こちらこそよろしくお願いしますね、悟空。」
八戒がニッコリ笑って俺に手を差し出す。俺はもう一度「うん」と頷いて八戒
としっかり握手をした。


次の日から早速訓練の日々が幕を開けた。まずは義足を作る担当の人がやって
来て、俺の身体のサイズをあちこち測っていった。義足を着けられるようにな
るまでは、とりあえず入院中にすっかり落ちてしまった体力を回復させるとこ
ろから始まった。
八戒はいつもニコニコしていて話し方も優しいけど、厳しいところはきっちり
と厳しくて、妥協や容赦というものが全くない。でも今の俺には寧ろその方が
ありがたかった。
とにかく今の俺の目標はもう一度自分の足で立って、日常の動作が可能なくら
い歩けるようになること。そうして一日でも早く、三蔵に少しずつでも金を返
せるようになること。その為なら訓練の厳しさだとか身体の痛みだとか、そん
なことは全然大した問題じゃなかった。
義足が出来上がってからは、いよいよ本格的な歩行訓練が始まった。久しぶり
に両足が着けるようになったとはいえ、当然片っぽは自分の足じゃないんだか
ら中々思うようにはいかない。でも自分でも意外なくらい、不思議とつらいと
は思わなかった。具体的に目指すものがあるってことは、こういうことなのか
と思う。
こうして八戒の家での訓練の日々は、あっという間に過ぎていった───。



「ここまで本当によく頑張りましたね。もう普通に外を歩いても、問題ないと
思いますよ。」
「うん。今までありがとな、八戒。」
初めてこの家に連れて来られてから月日は過ぎて。俺は誰かの介助やバーがな
くても、どうにか一人で歩けるようになっていた。これは本当に、根気よく付
き合ってくれた八戒のお陰だと思う。大きく頷いて礼を言った俺に、八戒は穏
やかな笑顔を返した。
「しかし貴方は大したものですよ。一般的に事故で身体の一部を失った人とい
うのは、中々目の前の現実を認められないものなんです…何不自由なく動けた
頃のことを、身体は覚えてますからね。記憶どおりに身体が動かなければ苛立
つし、訓練の成果が上がらないと『こんなはずじゃなかった』とか、時によっ
ては『死んだ方がマシだった』なんて言葉さえ出てくる…でも貴方は一度とし
て、僕の前でその類いの言葉を口にしませんでしたね。」
何だか大袈裟なくらい感心されて、妙に照れ臭い。俺は少しだけ八戒から視線
を外した。
「…俺のこと、三蔵から聞いてる?」
「いいえ、詳しいことは何も。」
俺は「そっか」と返事をしてから、窓の向こうへと目線を向けた。
「俺が育った所は、掃き溜めみたいな街の最下層でさ…親はいないし金はない
し、それこそ『死んだ方がマシ』なんてことはザラにあって、実際くだらない
理由で死んじまった仲間も、この目で何人も見てきた。でもさ…どんなに酷い
状況の中でだって、最後に『死ねてよかった』なんて面して死んでいったヤツ
は、一人だっていなかったよ…だからさ、生きてる人間は、生きなきゃ。俺も
片脚なくそうが何だろうがとにかく生き残ったんだから…生き残ったからには
生きなきゃって…ただ、そんだけ。」
ぽつぽつと話し終えて八戒の方へ向き直った俺は、思わず息を詰めた。八戒は
こっちが戸惑うくらい優しい目で、俺を見ていた。
「そのうち落ち着いたら…ゆっくり二人で食事でもしましょう。今度は、友人
同士としてね。」
「…うん。」
「あぁでも…『二人で』なんて言ったら、三蔵に叱られますね。」
その瞬間俺の表情は、はっきり固まっていたと思う。俺は何とか口許を上げて、
ぎこちなく笑ってみせた。
「ううん…三蔵はきっと、何にも気にしたりしないよ…」
俺がここで世話になっている間も、結局一度として三蔵が様子を見に来ること
はなかった。つまりそれが、答えの全てなんだろう。あの部屋にはもうたぶん
他の誰かが暮らしていて、下手したら三蔵は俺の顔もロクに覚えていないかも
しれない。
八戒は大きな瞬きを一つしてから、何処か困っているような顔で微笑った。
「三蔵が僕に貴方の話をしに来た時ですけど…金や時間は幾らかかっても構わ
ないから、貴方の思うとおりにしてやってほしいって…あの人そう言ったんで
すよ。僕と三蔵は学生時代からの腐れ縁で、もう結構な付き合いになりますけ
どね…彼が自分や仕事の関係以外で頼み事をしてきたのは、僕の記憶する限り
初めてのことだと思いますよ…?」
八戒は静かに笑ってるけど、そんなこと聞かされたって俺は困惑するだけだ。
だって結論は、もうとうの昔に出てる。
何も言葉を返せない俺に、八戒は優しい声で「明日迎えを寄越してくれるよう
に、三蔵に連絡しておきますからね。」と告げる。俺は俯きがちに「うん…」
と頷くだけだった。


次の日、俺の予想を裏切って、迎えはちゃんとやって来た。八戒と別れの挨拶
をすませた俺は、久しぶりにあの屋敷へと戻った。

俺が自室として与えられていた部屋は、ほとんど変わっていなかった。いつで
も使えるように掃除は行き届いているけど、誰かが生活している様子はない。
「ココ…誰も使ってなかったんだ?」
辺りに視線を巡らしながら呟いた俺に、使用人は淡々とした口調で「この部屋
は貴方が入院されて以来そのままです。」と答えた。
事故に遭った奴が使ってた部屋なんて縁起が悪いってことか、何かと面倒だか
ら屋敷で囲うのはやめたのか。
そんなことを考えながら俺は「そう」とだけ返事をした。


そして夜。俺はベッドに腰を下ろして三蔵が来るのを待った。義足は既に外し
てしまっている。流石に三蔵も一晩くらいは「出ていけ」とは言わないだろう。
明日───ここを出たらどうしようかなんてことをぼんやりと考えていた時、
背後でドアの開く音が聞こえた。
「あ…」
最後に顔を合わせたのは、どのくらい前だったろう。久しぶりに見た三蔵は、
やっぱり眩しかった。
無言のまま歩み寄ってきた三蔵が、俺の隣りに腰を下ろす。「久しぶり」と声
を出そうとする前に、三蔵の手が俺の頬に触れた。
「痩せたか…?」
向けられた瞳はひどく優しい色をしていて、何だか妙に居心地が悪い。どんな
表情を返していいのかわからなくて、俺は手元へと視線を落とした。
「気のせい…だと、思うよ…?リハビリばっかの毎日で、却って筋肉ついたん
じゃないかな…」
たどたどしく言葉を返しながら、俺は何となく手を握り込んだり開いたりを繰
り返していた。三蔵が俺の手を取り、じっと見下ろす。歩行訓練でずっとバー
を握り続けていた掌は、マメだらけでゴツゴツになっていた。
「もう完全に固まっちゃっててさ…カッコ悪ィね。」
「いや…そんなことはない。」
俺が苦笑いと共に手を引こうとするのを許さず、三蔵は静かに首を振った。
「…っ」
三蔵の指先が、そっと硬くなったマメの痕を辿る。大事な壊れ物にさわるみた
いなその様子に、俺はグッと息を詰めて身体が震えそうになるのを堪えた。
「さん…ぞ…」
途切れ途切れの俺の呼びかけを合図に、三蔵が顔を上げる。真っ直ぐに俺を見
据えた三蔵は、なるべく重心をかけないように意識しながら俺の身体ごとベッ
ドに倒れ込んだ。
「え…」
当たり前のように三蔵のキレイな顔が近付いてきて、あちこちに唇が落とされ
る。俺はバカみたいに必死になって、覆い被さってくる三蔵の身体を押し戻そ
うとした。
「ちょっ…待っ…て、待ってよさんぞ…っ」
耳元を軽く甘噛みしていた三蔵は顔を上げ、怪訝そうな表情を俺に向けた。
「まだ身体がつらいのか…?」
「ちが…そうじゃなくて…何で、こんなコトすんの…?」
俺の一言に、紫の瞳が大きく開かれる。俺は少しだけ迷った後、再び口を開い
た。
「俺…本当はもうココには来ないつもりだった。でも、もう一回ちゃんと顔を
合わせて礼が言いたいって思ったから…だから、これが最後のつもりで戻って
きたんだ。」
三蔵の表情が、完全に虚を突かれたものになる。そんな三蔵を見上げて、俺は
薄く微笑った。
「アンタはいい人だ。今まで他の誰もくれなかったものを、俺にくれた…何て
ことない話をしながら飯を食ったり、朝に手を振って誰かを送り出したりとか、
俺には一生縁が無いを思ってた時間を沢山くれて、こういうのも結構悪くない
よなって気になった…でもさ…もう、終わりにしよう。」
俺は一度大きく息を吐き出してから、改めて三蔵をみつめ直した。

「だってさぁ───…似合わないよ。三蔵はカッコよくて、金もあって、欲し
いと思って手が届かない物なんて何にもない。そんな人がさ…歯車の欠けた、
使い古しを未練たらしく持ってるなんて、似合わないって。お人好しも程々に
してさ、もっと自分に相応しい人を探しなよ。」

三蔵は正に『茫然』てカオをしてる。俺は強引に口許を上げて、精一杯笑顔を
作った。
「もう一度歩けるようにしてくれて…ありがとう。感謝してる。治療にかかっ
た金さ…少しずつ、返すから。俺なんかじゃ一生かかっても返せないかもしれ
ないけど…少しずつでも、送るから。」
「…ここを出て行って、何処に行こうってんだ」
問い掛けてくる三蔵の声は、硬くて冷たい。一瞬間を置いて、俺は苦笑いを返
した。
「やっぱり元いたあの街しかないだろうね…俺はあそこ以外に、生きる場所を
知らないし。」
「お前がその身体で戻って、一体何が出来るんだ。金を返すどころか、野垂れ
死ぬのがオチだろ。」
三蔵が俺にここまで容赦のない物言いをしたのは、おそらく初めてのことだっ
た。三蔵ははっきりと怒っている。でも俺には三蔵が何に対してここまで怒り
を見せているのかがわからなくて、その至極真っ当な正論に、苦笑いを深くす
るよりなかった。
「そうだね…そしたら、目玉でも売るかな。俺、目の色だけは珍しいって言わ
れたし。何処かの物好きな金持ちなら、買ってくれるかも…」
言葉は最後まで続かなかった。言い終えるその前に、俺は三蔵に思いっきり頬
をぶん殴られていた。
「…っ」
痛い。耳の奥がジンジンと鳴っている。三蔵に手を上げられたのは初めてだ。
でもそれ以上にビックリしたのは───…
「…ンだよ、何でぶん殴った方がそんな面してんだよ…カンペキ反則じゃねー
か…」
俺を見ている三蔵は、必死になって痛みを堪える子供みたいな瞳をしてた。
口の端から血が流れたのがわかる。三蔵はハッと我に返った様子で、流れる血
を止めるように唇を押し当てた。
そのまま腕が回され、柔らかく抱きしめられる。血を舐め取った三蔵は、俺の
首筋に顔を埋めた。
「…俺も実の親に捨てられて…義父に拾われるまで、ずっと一人だった。引き
取って育ててくれた義父が亡くなってからは、その恩に報いる為に、遺された
物を守ることだけを考えて生きてきた。ひたすらに仕事をこなして、事業を大
きくすることだけに懸命になって…そうするうちに、周りは媚びへつらう連中
ばかりになった。そんな毎日の繰り返しの中で…お前に出会った。あの、これ
以下はないくらい最低の街で…お前は決して『生きること』をあきらめていな
い瞳をしていた。目が合って、お前が視線を逸らすことなくみつめ返してきて
───次の瞬間、どうしても欲しくなった。金に物を言わせてでも、欲しくて
欲しくて堪らなくなった。」
「三…蔵…」

「腕がなくても脚がなくても、そんなものはどっちだっていい。俺から離れる
な…離れないで…くれ───…」

くぐもった声での、祈るような呟きの後、固く固く抱きしめられる。
俺はあきらめにも近い気持ちで、きつく目を閉じた。

本当はわかってた 
初めて会った時から、どうしようもなくこの人に惹かれていたこと
本当はわかってた
この人が一度だって自分を物扱いなんてしてなかったこと
でも認めてしまったら 二度と一人に戻れなくなることもわかってた
だから全部蓋をして、わざと見えないフリをした でも───

「何処にも…行かないよ。」
そろそろと三蔵の背中に腕を回し、力一杯抱きしめ返す。
「何処にも行かない…三蔵と、ここにいるから。」
三蔵の肩がピクリと震え、顔が上げられる。俺が泣きそうな顔で笑うと、三蔵
も少しバツが悪そうに笑い返す。
ごく自然に顔を寄せ合い、俺達はとんでもなく久しぶりの、温かなキスを送り
合った。



「俺がお前に会いに行かなかったのは…怖かったからだ。」
ひどく優しいセックスが終わった後。一度も顔を見せなかった理由を、三蔵は
そんな風に話し始めた。
「俺はお前がどんな状態であろうと、お前を縛りつけようとするだろう自分を
わかっていた…お前の意思すらお構いなしで、な。だがそれはお前の『生きる
力』を奪うのと同じことだ…だから、決めた。お前がもう一度自分の足で歩け
るようになるまでは、決して会うまいと。」
三蔵の口から語られた予想もしなかった事実に、俺は驚くより他なかった。
脚をなくしたから疎まれたんじゃなく、歩けないままで俺を縛りつけてしまわ
ない為だったなんて、思いも寄らなかったから。
「でもそのことでお前に余計な不安を抱えさせたのなら…悪かった。」
三蔵の長い指先が、緩く俺の髪を梳く。俺は小さく首を振って「ううん」と答
えた。
今ならわかる。不器用なまでに誠実なこの人が、どれほど自分のことを考えて
いてくれたのかも。そしてそんなこの人のことを、いつの間にかとても好きに
なっていたことも。
上目遣いに三蔵の顔を覗き込み「キスして」とねだる。一瞬不意打ちを喰らっ
たような顔になった三蔵が、軽い苦笑いと共に身を屈めてくる。

近付く吐息を頬に感じながら、俺はゆっくりと瞼を閉じた───。


                               Fin.


《戯れ言》
そんなわけで、無事完結です。前後編お付き合い頂きましてありがとうござい
ました。しかし思ったより長くなっちゃったなぁ…特に後編。もう少しコンパ
クトにまとめられると思ってたんですが。
えーと今回のタイトル、ご存じの方はおわかりのとおりアンジェイ・ワイダ氏
の映画からです。でも映画の内容とは全く関係ありません。何というか…悟空
は自分を「灰」だと思い、三蔵を「ダイアモンド」だと思っていて、最初から
「全く違うもの」と思ってたんですね。でも結局のところ突き詰めれば、灰も
ダイアモンドも同じ炭素なわけで…そういう意味合いを含めて、このタイトル
をつけました。少しでも楽しんでもらえたのなら幸いです。



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