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『退魔剣アズサ』




   ≪3≫

「神室木さん、一緒にお昼食べようよ」
 昼休みのチャイムが鳴り響く教室で、親しげに声をかけてくるクラスメートがいた。
 アズサはニッコリと微笑み返す。
 役目があって学園に潜入しているとはいえ、不自然に孤立しているわけにもいかない。軽い情報収集も兼ねて、相手の申し出に応じることにした。
「ちょうどよかった。一人でどうしようかと思ってたんだ」
「お昼はパン? それともお弁当?」
 返事のかわりに、今朝コンビニで買っておいたパンの入った袋をカサカサと振る。
 机を寄せると、たちまち周囲からも同じようにして集まってきた。
 結局、女子ばかりで五人ほどのグループができあがる。教室内を見渡すと、他にもいくつかの集まりができていた。どこの学園でもありきたりな光景だ。
(何か役に立つ話でも聞けるといいんだけどね……)
 食事をしながらの会話に、たいした内容はなかった。
 流行り物についてだとか、誰と誰の仲が良いだのつきあってるだの。
 そのほとんどが他愛もない話ばかりだったが、アズサは笑顔で頷き、ときには軽い疑問を返す。返事のほとんどが相槌を打つ程度のもので、話題については深く入れ込んだりはしない。
 そうして話の流れに小さな区切りができたとき、彼女はそっと口を開いた。
「そういえば、ここって幽霊が出たりするところってないの?」
 机を囲んでいた少女たちが、ふいに黙り込む。
「ねえ……ちょっと、アレ……」
「……教えてあげたほうがいいんじゃ……」
「……でも……やだ。怖い……」
 同級生たちは、聞えよがしの声でしゃべりだす。
「なあに? まさか本当に幽霊の出てくる場所でもあるの」
「幽霊ってわけじゃないんだけど……ちょっとヤバいんだよね」
 いかにもありがちな、ありがちすぎて受け答えに苦労しそうな脅し文句だ。
 アズサは思わず肩をすくめた。
「ごめんね。ボク、変なこと聞いちゃったかな」
「そういうわけじゃないんだけど……神室木さん、そういうことに興味あるの」
「うーん……特に怪談話が好きってわけでもないけど、どこでもあるでしょ。そういう話って」
 そこで少女たちが顔を見合わせる。
「あのね。最近、この学園にヤバい話とかあるんだよね」
「ヤバい話……ねえ」
 アズサはさりげない口調でたずねた。
「それ、どんな話なの」
「なんか、誘拐されたり、襲われたりとか……」
「犯人は捕まっていないの?」
「だからぁ。それが、その……ヘンなオバケとか、怪物の仕業なんじゃないか、って……」
「怪物? なにそれ。そんなの噂でしょ」
「そうなんだけど……知り合いで、襲われて病院に入れられた子とかもいるみたいなの」
「襲われたのって、その知り合い?」
「ううん。襲われたのは、知り合いの子と仲の良かった友達で……」
 どうやら直接の関係があるわけではないらしい。
 それでいて語られた内容は、アズサが調べた情報とほぼ一致した。
(人の口に戸は立てられない、か……噂話でも出回ってしまうものなんだね……)
 たいしたことを知ってるわけでもなさそうな同級生たちを前に、しばし考え込む。
 彼女自身は、それなりの場数を踏んでおり、退魔師としての腕前は一人前と認められていた。
 本家筋が行なっている魔物退治。そこから仕事を回してもらう立場ではあるが、逆に言えば任されているということだ。充分な技量、そして判断力を兼ね備えている。
 必要があれば表立った事件とならないように、神室木の本家と連絡を取らなければならない。依頼にそういった内容が含まれている、今回のようなケースならなおさらだ。
 その判断を検討している間に、行方不明者についての話題が出てきた。
「それで、いなくなっちゃった子たちとか……」
「最後に見たのは、屋上に上る階段を歩いてたんだっけ」
「あそこって、鍵かかってるよね」
「やだ! やめてよぉ。怖くてもう上の階行けない」
 アズサにとっての最重要事項は、行方をくらました少女二名の奪還だ。
 彼女たちをどう取り戻すか。
 たとえ生きていなくても、その証明となるなんらかの物を手に入れなければならない。
 とはいえ、これ以上は、同級生達から手がかりになるような話を聞けそうになかった。
「ごめんね。変な話題を出しちゃって。前にいたところ、そういう話の好きな人が多くてさ……」
 そう言って、アズサはさりげなく次の話題を口にする。
 流行りの服や芸能人の名前を出すと、クラスメートたちはすぐさま食いついてきた。

   *

 ──放課後。
 秋の夕暮れは早く、地平線の端がすでに赤身に染まっていた。
(一応、確認ぐらいはしておかないとね……)
 行方不明者に関する目撃証言。
 校舎の屋上に消えていったという、その言葉を信じてアズサは調査を行うことにした。
「これは……噂以上だね」
 刀袋を手に、階段を上がっていく途中のことだ。
 右手から振動が伝わる。
 袋に収められた木刀が震えていた。神木から削り出された彼女の武器は、持ち主を狙う魔物や妖物が近くにいれば振動することで危険を伝えてくる。
 行き先から漂う、不気味な敵意。
 淫獣の気配を感じたアズサの頬が、獣じみた笑みを描く。
「ふぅん。そう。そういうつもりなんだ」
 鍵を開ける彼女の声は、こころなしか弾んでいる。
 ギギィッ……。
 軽い軋み音とともに扉が開いた。
 何気ない調子で一歩を踏み出した、その刹那──。
 アズサの死角となる左後方から、猛然と鋭い影が迫る。
 触手の一撃が床を打ち、ビシッとコンクリの砕ける音が響いた。
 そのときすでに彼女の身体は消えている。
 すでに扉の前方、およそ二メートルほどの位置にまで移動していた。
「あらら。ごめんね」
 悠然と言い放ち、刀袋から木刀を引き抜く。
「また雑魚か。いいよ。相手になってあげ……るッ!!」
 たちまち四方八方から、縄のような触手が打ちかかってくる。
 次々と沸いて出てきた魔物の触手が、美肢体を狙う。
 それらは一度たりとて、少女を捉えることができなかった。
 命中どころか、制服にかすりもしない。彼女がほんのわずかに重心をずらしただけで、肉鞭が文字通りに空を薙ぐ。
 アズサは、迫り来るすべての攻撃を木刀で受けることなくかわしていった。
「言葉もわからない化け物のくせに。今のは、ちょっと怒ったぞ」
 当たれば骨をも砕く打撃の嵐の中で、子供を叱るような口調がこぼれる。
 乱れ飛ぶ肉の鞭を足捌きだけでかわす上半身が、わずかに前に傾いた。
 その刹那──。
 小柄と言っていいほど華奢な身体が、弾丸と化して走り出す。
 群れなす触手の中を疾風のごとく駆け抜けたアズサの身体が、素早く半回転した。
「──ハァッ!」
 背後から迫る敵に、まず一撃。
 斬撃を送った直後、左足が半歩分だけ引かれた。
 同時に木刀を構える。真剣であれば、柄頭にあたる部分を臍と重なる高さに置く。腿を内股気味に軽く閉じ、剣先を眉間のやや上に運ぶ。
 そうして左の手で柄を握り、右手は軽く添える。
 ほんのわずかに後退する一挙動。その動作だけで、反撃の体勢が整っていた。
「鉄塵流、水閂──」
 呟く声とともに、木刀が燐光を放つ。
 輝きを纏った刀身で触手を打ち払いつつ、前に突き進む。
 行き先は、アズサが屋上に入ってから一番最初の打撃があった場所。
 その源である触手の這い出でてきた穴めがけて、横殴りの斬撃が送られる。
 コンクリの壁に空いた巣穴を剣先のでみ叩き斬ると、ガッ……と硬い手応えが返ってきた。
「まったく。手応えなさすぎだよ」
 巣を潰された触手の群れがかき消える。
 同時に、木刀を包んでいた輝きも消えていた。邪悪な者を打ち破る力を秘めた武器ではあるが、持ち主の気の力──生命力とでも言うべきものを消耗させるため、そう長くは使えない。
 あたりから淫獣の気配が消え、ふとアズサの気が緩んだ、その一瞬のことだった。
「……え!?」
 ぽつぽつと床に丸い巣穴が現れると同時に、触手が足元を掬う一撃を繰り出す。
 間一髪を跳躍でかわしたアズサに傷はない。
 だが、わずかに反応が遅れたせいで、束となった触手が木刀に巻きついていた。
(なんだって……!? まだいたのか……)
 ひとつではなかった。
 彼女が潰した巣穴の他に、まだいくつもの出口があったらしい。
 床の上にぽつぽつと黒い穴が空いていった。十だろうか、それとも二十だろうか。
 足元だけではなく、アズサの周囲を押し包むように、無数の暗い穴ぐらが姿を現していく。
 いったい、この中にどれだけの淫獣の群れが潜んでいるのか。
(そうか……こいつら、ボクじゃなくて武器を狙ってたのか……)
 木刀の探知が働かなった理由はひとつしかない。
 持ち主が狙われなかったからだ。
 おそらく敵の狙いは、彼女から武器を奪い去ることだったのだろう。
 木刀そのものを狙う攻撃。狡猾な魔物が危険な武器に対抗するためにとった手段は、幸運にも──いや、アズサにとっては不運にも、完全な不意打ちとなっていた。
「ぐ、くぅ……!」
 刀身にからみついた触手の引く力に逆らい、脇を強く締めつける。
 鍔迫り合いにも似た状態であった。両者の力は拮抗し、空気がギシギシと軋む。
 均衡を続けざるを得ないアズサの頭上で、黒い影が広がった。
 空中の大穴から、これまでとは比べ物にならない極太の触手が姿を現す。同時に、少女の細い足首に肉縄が絡みつく。
 その連携が、移動を封じたうえでの不意打ちとなった。
「上から────あぐぅ!」
 華奢な身体の上に、太い触手がのしかかる。
 かろうじて押し潰されはしなかったものの、巨砲の砲身ほどもある肉パイプの体当たりによって打ちのめされ、一瞬、彼女の意識が飛ぶ。
(……しまった……木刀を……)
 わずかな隙をついて、触手が武器を奪い去る。
 刀身にからみつく肉縄がアズサの手から木刀を奪う。そのうえ、あろうことか屋上から投げ捨てた。
「う……ううっ……」
 無防備なアズサの口から、苦しげな声がこぼれる。
 彼女の不穏な未来を予言するかのごとく、西の空に夕日が沈んでいく。




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