≪2≫ 金越学園の校長室は、私立高校らしく、いかにも豪奢に飾り立てられていた。 「いやあ、そうですかそうですか。昨晩は下見に来ていただいたのですか」 タヌキ顔の校長が、ソファに座った少女に愛想よく笑いかける。 彼女は卓上のカップを手に取り、コーヒーをひと口啜った。 「ちょっと様子を見に来ただけなんですけどね」 「それで被害者が一人減ったわけですから、ありがたいことです」 「まったくですね」 学園の校長が、生徒と同年代の少女に向けて敬語を使う。 おかしなことではあったが、二人はそれをさも当然のように受け止めていた。 「それで、あの……か、か……」 「神室木です。神室木アズサ」 名乗ったアズサは、耳元あたりまで短く切った髪の先を軽くもてあそぶ。 シャギーのかかった黒髪。おとなしめの印象を与える髪型とあわせたかのように、目元を黒縁の眼鏡で彩っていた。長めの黒いプリーツスカートにブラウス、そこにベストを重ねた金越学園の制服姿ではあるが、上着のかわりにグレーのセーターを重ね着であわせている。地味な色合いの服装であるため、見た目はいたって地味な感じになっていた。 服装だけを見れば、どこにでもいそうな感じ、といった印象の少女である。だが、ツンとつき出た下唇と切れ上がった鋭いまなざしには、隠しきれない野生の気配があった。スラリと細くしなやかな手足とあいまって、黒豹のような猫科の猛獣を思わせる野生美が放たれている。 奔放な野生の空気もそのままに、大きくつき出したボリューム満点のバスト。男であれば誰であっても見蕩れてしまうほど見事な発育ぶりで、わずかに動いただけでタプタプと揺れる。キュッとくびれたウエストから、柔らかな丸みをそなえた腰のラインなどは、まさに目の離せない女らしい優美な曲線を描いている。 人の波に埋もれていても、見過ごすことのできない可憐な少女であった。冷たい無表情に覆われた美貌のせいで、そのように感じられるのかもしれない。刀に喩えるのならば、艶かしくも深い反りをそなえた太刀といったところだろうか。 柔らかさと硬質さ。両極端の性質がそなわった奇妙な魅力がある。そんなアンバランスな雰囲気が、思わず触れたくなるほどに彼女を魅力的に輝かせていた。 「今後のことですが」 アズサの口が開き、表情のとぼしい顔によく似合った低めの声が放たれる。 「うむ、うむ。どうしたものですかね。その、話は伝わっていると思うのですが……」 「神室木の本家の者がうかがったとおりだと、昨日の件で確認しました」 「そうです。それなんですよ。今月に入ってから、行方不明になった生徒が二名。乱暴を働かれたと思われる生徒が五名……」 「すべて女生徒で間違いありませんか」 「その通りです。襲われた……いえ、失礼。乱暴された五名は、いずれも放課後の学園内で発見されまして……その、行為の直後に発見されて……調べてもらったところ……」 そこで一旦、校長の声が途切れた。 「その表向きの調査や対応は続けてくれるという話だったのですが。この件そのものは、我々の管轄ではないと言われまして……」 「知ってます。神室木のほうに話がくるのは、そういうことですから」 アズサの返事はそっけない。歳のわりに、冷静すぎる声だった。 「それで、あの……あきらかに人間の仕業とは思えない、と申しましょうか……」 「女の子たち、みんなイッちゃってるんですよね。頭が」 「いやいや。その……もうちょっと穏便に言ってくださらないと」 「どうせ誰も聞いてやしませんよ」 無造作に言い放つアズサ。 「それに実際、ボクがこの目で見て確かめてきましたから」 「ど、どうでした?」 問う声を詰まらせがちな校長の目に、不安げな色がのぞく。 「普通の犯罪……とは、違うのですよね」 「間違いありませんね。あれは、あちら側の連中の仕業です」 「あちら側、ですか」 校長が怪訝そうにたずねた。 「知らない方がいいと思いますよ」 質問を一蹴すると、アズサはソファの傍らに置いてあった刀袋を手に立ち上がる。 「それじゃあ、話はもういいですよね。ボク、そろそろホームルームの時間なんで」 部屋を出ていこうとする彼女の背に、遠慮がちな声がかかった。 「あの……」 振り向くと、校長のやつれた顔が見える。 校内で異常な事件が連続しているせいだろうか。寝不足気味らしく目の下が黒ずんでいるが、滑稽なことにタヌキのような顔がますますタヌキそっくりになっていた。 「指示通りに編入の手続きはしましたけど……意味があるんですか」 「生徒にまぎれていれば、やつらがボクを狙ってくれるかもしれないじゃないですか」 「事件が表沙汰にならないようにはしてもらいたいのですが、そんな危険なことまで……」 「そのほうが、やつらを迅速に処理できますから」 少女の美貌に、フッと微かな笑みが浮かぶ。 「それに……ボクはそのためにここに来たんですよ」 * 終業のベルが鳴ってから、一時間後。 (あたりに人の気配はなし……と) 放課後になってすぐ、校舎裏にやってきたアズサは周囲に油断のない目を配らせる。 襲われた五人のうち、三人が発見された現場がここだ。 おそらく行方不明となった二人、そのどちらか──あるいは両方とも、校舎裏で連れ去られたのかもしれない。 だとすれば、この場所には何かがある。 手がかりになるものを求めて、アズサは視線を走らせた。 「ふむ。何もなし、と」 見るかぎり、これといって怪しい物はない。 そして、彼女にとって都合が良いことに、周囲に人の気配はなかった。 (日の出てるうちは出てこないか……ひとつずつ巣を潰していくしかないかな……) アズサは左の手で、刀袋の房紐を解く。 袋の中から取り出した木刀を右手で握り、両足を肩幅に広げる。剣先は地に垂らしたままだ。 「さて。見つかるか、どうか」 すうと大きく息を吸ってから、木刀の先で地面を軽く突く。 トン……。 木刀で突かれた場所に、小さな光の点が生じた。 光は輪となって、波紋のように広がっていく。 輝くリングの直径が二メートルに達する。その直後、地面に描かれていた光が、フッとかき消えた。 「そこか」 建物の反対側、校舎を囲むコンクリの塀に向かって行く。 塀に添って植えられた茂みの前で足を止める。 木刀を差し入れ、枝をそっと脇にずらす。 そこには、何もなかった。 アズサの視線がわずかに落ちる。 彼女が見ている先に、ぽっかりと地面に空いた穴があった。 「昨日と同じか」 あちら側からやってくるやつらの通り道。 魔界の淫獣が、人間の住む世界にやってくるための通路。アズサたち退魔師の言葉を借りるなら、巣と呼ばれる異次元との接続口だ。 少女の目が暗い穴底に向けられる。 深さはまるでわからない。肉眼では見通せない、のしかかるような闇色だ。 アズサは右手の木刀を逆手に握り、刃先を下にして垂直に構えた。 「──フッ!」 鋭い呼気とともに、先端を穴に突き入れる。 穴の奥から、パチッと青白い光とともに、焦げた臭いが放たれた。 「中身がいるね。出ておいでよ」 手応えに感心したかのような口ぶりを返し、木刀を引き抜く。 直後、大量の土が穴から噴き出した。 同時に、黒い土くれにまぎれ、細い影が迸り出る。 空気を切り裂く重い音とともに、アズサの立っていた場所を影が薙いだ。 「なんだ。雑魚か」 触手が横薙ぎした範囲から、わずかに離れた位置から涼し気な声が響く。 本来なら胴を切り裂かれていたはずだ。 魔物の目にも止まることのない速さで一撃をかわしたアズサは、木刀を右肩にかついだ。 (鉄塵流を使うまでもないか……) 彼女は恐れる様子もなく、自然な歩調で前に出る。 迫る少女を迎え撃つべく、ふたたび触手が唸りをあげて襲いかかった。 木刀が無造作に振られる。猛然と突き込まれてきた肉槍が弾けて、血飛沫を撒き散らす。一撃目と軌道を変えて頭上から振りおろされた肉鞭は、返す刀であざやかに打たれた。 木の刀身が触れた瞬間、まるで爆発でもしたかのように化け物の身体の一部が四散する。 かなり短くなった触手が、スルスルと穴に戻っていった。 「まどろっこしいね。まとめてかかってきなよ」 そっけないが、自信を感じさせる声。 彼女の呼びかけに応じるかのごとく、穴の中からぶわと数本──いや、数十本にもなろうかという大量の触手があふれ出る。 襲い来る肉縄の群れを前にした少女の腕に、すさまじい加速がかかった。 彼女を狙う肉管の一本ごとに正確な打撃を加えられていく。ひとたび打ち払われるごとに、触手が鋭い打擲を返そうとする。それに応じて、木刀が電光じみた勢いで打ち返し、双方ともに速さを増す。 けれども、アズサの腕が閃く速度に、魔物の動きが追いつくことはなかった。 「あー……めんどい」 心底かったるそうに呟くと、華奢な身体がずいと前に出る。 木刀の先端が白光を放つ。草むらを駆け抜ける白蛇のごとき輝きが、地上すれすれの高さを横一文字に走り、束となった触手を断ち切った。 続けざまに穴の奥めがけて木刀を突き入れ、渾身の力を込めて捻る。 げぇぇぇぇおおおおぉぉぉぅ……。 足元から、耳におぞましい悲鳴のごとき断末魔が響く。 「やれやれだ。雑魚のくせに、存在感だけは一人前だな……」 アズサは靴底で穴の上をなぞる。 足先が通り過ぎたあとには、平らな地面が残った。あたりの土と同じ色で、まるでそこには何もなかったかのようにしか見えない。 はあ、と軽いため息。 「今度はどこを探そうかな」 木刀を袋に戻しつつ独りごちる。 不思議なことにあれだけ化け物を打ち、さらには砕いたはずの刀身には、血脂ひとつついていない。それどころか、あたりに飛び散った肉片も消え失せている。巣が消えたことで、ここに淫獣がいたことを示す痕跡が、きれいさっぱり消失しているのだ。 ちょうどそのとき、校舎の角を曲がって体操服姿の少女が現れた。 「あのー、すいませーん。こっちでなんか、大きな音がしませんでしたか」 おそらく部活にでも励んでいたのだろう。 少女は首に巻いたタオルで汗を吹きながら、アズサにきょとんとした目を向けていた。 「さあ。ボクも気になって来てみたんだけど、何もないみたい」 「そうですか……」 「それじゃあね。部活がんばって」 「あ、どうも」 律儀に頭を下げる少女にヒラヒラと手を振り消して、その場を後にする。 |