裏口から外へと出ると急に飛び込んできた光と暑さに軽いめまいを感じて目を細め、カバンから取り出したサングラスをかけた。もう夕方という時間ではあったが夏の日は未だ明るく、熱を持った地面が薄いサンダルを通して足の裏をあたためる。普段なら電車がある時間は普通に電車で帰るのだが、今日は疲れたのでタクシーで帰ろうと大通りへと向かう。黒髪で地味な服を着た私を振り返る人はだれもおらず、AVなんていう非現実的な仕事をしていたのがウソのように普段どおりの街で、安心したのと同時に気が立っていたのだと思い当たる。女優として基本的に大事にされるなかで時々透けて見える蔑みとぞんざいな扱いにはもう慣れたと思っていたが、まだまだそんなことはないようだ。ため息をついて手を上げ、タクシーを停めて乗り込む。
 家まで帰ろうと行き先を言おうとした所で、ふと思いついてマンションの近くのデパートに寄ることにした。デパートの名前を告げて車が走り出す。まだ彼女は仕事が終わっていないだろうから、時間をつぶしがてら夕飯を買っておこうと考えたのだ。サングラスをはずして運転手の猛暑に関するトークを聞き流しながら、夕日がタクシーの中をオレンジ色に染めて行くのを見てそっと目を閉じた。



 同居人の彼女とは、前の職場――いわゆる箱ヘル――で働いていた時に出会った。まだ19の頃だが、同い年の彼女は早番ばかりの私と違って夕勤のみだったため、交代する夕方の数時間だけかぶる時間帯があった。当時、彼女は学生だった。待機室でコスプレ衣装のままタバコを吸って携帯を眺めていた時、学生らしい淡い色のワンピースを着て、ゆるくカールした茶色の髪を結んで片側に流していた彼女が入ってきた時はちょっと驚いた。気さくに「おはよ」と業界的な挨拶をすると、はにかんだように小声で「おはようございます」と挨拶されたのを覚えている。それが最初だ。
 勤務時間は数時間しかかぶらないが、待機室で出会う度にいろいろな当たり障りのない話をした覚えがある。当たり障りのない――彼女の持つ事情に触れないトークで話すうちになんとはなく意気投合し、ルームシェアをするに至った。都心で暮らすのには金がいる。10代で共に金に困っている状況で、家賃折半のうえ生活時間が違って干渉されないというのはちょうどいいと思ったのだ。
 アルバイトとしてヘルスに勤めていた彼女は、昼間は大学に行って夕方からヘルスへ出勤という忙しい日々を送っていた。そんなわけで朝は早番の私は彼女が寝ている時間に出かけ、夕方の誰もいない家に帰り、彼女は私が寝た頃に帰ってくる。そんな日々が数年続いた。
 他人行儀な関係から今の関係になったきっかけは、私の転職だ。スカウトされていまの仕事に移ったのだが、その時にさすがに私もちょっと悩んだ。たまたま二人の休みが合った日、二人とも昼ごろにのそのそと起き出してそのままリビングでだらだらしていた夕方、テレビを見ながら彼女にその事を相談した。相談の筈が、気づいたらキスをしていて、お互いの胸に手を這わせていた。彼女の乳房の小さな尖りをやわやわと噛むと、
「赤ちゃんみたい」
と笑って頭をなでてくる。口を離して胸の谷間に耳を当て、心臓の音を聞く。トクトクと流れる血の音は穏やかで心を落ち着かせる。
「由美ちゃんがしたいようにしなよ。何だって由美ちゃんならきっとやれるし、由美ちゃんは何もかわらないよ。」
と頭の上から声が降ってくる。由美ちゃん、と私の本名を呼ぶのは彼女だけだ。抽象的な言葉でぼんやりとしかわからないけれど、彼女はいつだって私を肯定してくれる。
「恵理…」
私も彼女の本名をつぶやくと頭をなでた手が頬にまわって顔を上げさせられる。笑っているかと思った恵理の顔は、いたって真面目なものだった。
「私は、一緒に居られる日が増えるの、うれしいよ」
と言い、目を見てそっとキスを落とされた。
 その言葉だけで、私は今の仕事をやろうと決めたのだ。



 「お客さん、着きましたよ」と声をかけられてはっと目を開けると、窓の外に目的のデパートがあった。お金を払ってタクシーを降りると、オレンジ色の西日はずっと沈んでビルの向こうに赤い雲を描き出している。未だ残る暑さにも気分はやや回復したのか、もうめまいを感じることはなかった。心持ち弾んだ足取りで、もうすぐ帰るであろう彼女のために好物のオリーブを買って行こうと、デパートの中へと急いだ。





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20120822








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