昼前から仄暗かった空はとうとう泣き出して、窓ガラスに模様を描き始めた。すっきりと晴れた空も気持ちがいいけれど、雨降りも嫌いではない。雨粒の奏でる穏やかなノイズが壁越しに届いて、心地良いアンビエンスを醸し出していた。
俺はいつものようにカフェラテを淹れて、カイトにはカフェモカを作ってあげた。マシン任せのラテと違ってモカはひと手間掛けるが、カイトに甘いほうがいいか聞いてみたら俯いて頷いたので、チョコレートシロップをたっぷりと掛けてやった。マフィアのおじさんだってプリンが好きだったりするんだから気にすることはない。
カイトは半分くらい飲んだところでグラスを置き、膝を揃えて話を切り出した。
「お願いがあります」
「俺に出来ることなら手助けしたいと思ってるよ」
「ありがとうございます。驚かないで聞いてほしいんですが……、」
「うん……」
前置きをするカイトに、何を言い出すのだろうと少し緊張した。
カイトは一呼吸置いてから自分の帽子に手を掛けた。そういえば俺と居る時はずっと外さないでいた。すっかり見慣れてしまって、眼鏡を掛けている人と同じような認識になっていた。
「僕は……、ヒトではありません。ヒトの役に立つために作られたアンドロイドです」
「え……」
アンドロイド――?
目の前で背筋を正して座っている男は、突拍子もないジョークを言うようなやつではない。思いも寄らない告白をされて言葉を失っている俺に、カイトは帽子を取って頭を下げた。
青み掛かった艶やかな髪は染めているだけのように見えたが、近くでよくよく見てみると人工のものだということが判った。吸い込まれそうな瞳も、もしかしたら本当に宝石で出来ているのかも知れなかった。
「ここにスイッチがあります」
「……!」
こめかみより少し上の髪の毛を掻き分けてカイトは見せてくれた。そこだけ皮膚が淡く透けている感じがあって、指紋認証のマークが浮かんでいた。チップカードで高額決済をする時などに表示される本人確認のマークだ。
「もし良ければ、指を当ててみて貰えますか?」
「え、俺が触って平気なの……?」
「大丈夫です」
おそるおそる人差し指で触れると、僅かに間があって、マークが赤色に点灯したかと思うと数秒で消えた。認証がちゃんと出来なかった時の反応と同じだ。音声案内があったら『もう一度やり直してください』と言われたところだろう。
「本当に……、ロボット……。いや、アンドロイドなんだ……」
存在は知っていたけれど、まさかこんな身近に、いや、目の前に居るとは考えもしなかった。髪の毛だってウィッグの類だと言い張れば、早々に判るものではない。
「はい……。……嫌でしたら申し訳ありません。気味が悪かったら……」
膝に付きそうなほど頭を垂れたカイトは声を震わせて謝罪し始めた。
「え! そんなことはないよ。えっと……、ごめん、驚くなとは言われたけど、さすがに想像も付かなくて」
驚きすぎて思考停止していた俺に、カイトは不安になったようだった。
過去に何か言われたことがあるのかも知れない。だってカイトは『ロボットは好きか』と訊いてきたじゃないか。今思えば、いつ言い出したらいいか迷っていたのだろうか。『僕もロボット』なんだと。
「俺はロボット好きだよ。カイトも好きだ。顔を上げてよ」
「っ……、はい……」
「……鼻かみな。いや、鼻水は出てないけど」
涙がひとしずく、頬を伝っていた。天藍石の瞳がきらりと光って、そういう彫刻であるかのように綺麗なおもてをしていた。どれだけ俺の心を揺さぶるつもりだろう。
それにしても、カイトの性格を犬っぽいと思ったのは案外、的を射ていたようだ。模範的で、間違いを恐れているような様も。ロアだって時々、ホームに入り損ねて立ち往生していることがあるのだ。人間らしいカイトが人間のような間違いをしたとして、それを咎めるのは筋が通っていない。開発者に言うべきだ。設計が間違っていると。
「お願いというのは、僕のMASTERと連絡を取っていただきたいんです。MASTERというのは、僕の所有権を持っているヒトのことです」
「所有権って……、物みたいに言うなよ」
犬猫だってパートナーのように大事に思って生活している人が多いのに、カイトは自分は奴隷であるかのような言い草で話を再開した。
「物です。マスターもその事をよく理解していないようでした」
「……」
物――。ロアの所有者は俺だ。ロアは物かも知れない。それと同じように考えろというのか。感情を持ったアンドロイドなのに。
「ある日、用を頼まれて出掛けたのですが、戻った時には家中の家具が無くなっていて書き置きだけが残されていました。『達者で生きろ』と」
「置き去り……?」
ほとんど夜逃げだ。事前の説明もなく、突然、自分だけ置いて行かれるなんてショックだっただろう。
「はい。アンドロイドの不法投棄は、五年以下の懲役又は一千万円以下の罰金に処されます」
「え?」
俺の思考とは裏腹に、カイトはつらつらと法文を述べた。街の施設などに掲示されているのを見たことがある。確かに、〈物〉だというのならそういう刑罰になるのだろう。見た目は死体遺棄に他ならないが。
「僕がパトロール等に捉まって置き去りにされたという事が分かってしまうと、マスターが逮捕されてしまいます。ですから、手続きをするように伝えて頂きたいのです」
「……」
置き去りにされたというのにMASTERの心配をするのか。そんな〈物〉があるか? 育児放棄で捨てられた子どもだって親を恨むのに。
「手続きってどういうの?」
「僕の所有権が放棄されます」
「……それで、カイトはどういう扱いになるの」
「OID研究センターで処分して貰います」
「はあ
!?」
「申し訳ありません。ご迷惑なのは重々承知しています」
「違うッ! なんでそんな平気な顔で処分して貰うなんて言うんだよ!」
自分の事はどうでもいいというような口振りに苛立った。
つい声を荒げてしまった俺とは対照的に、カイトは淡々と説明する。
「僕にとっては当たり前の事なんです。ヒトは生まれたらいつかは活動を終えます。それと同じです」
「違う……、カイトが言ってるのは自殺と同じだ……」
「ごめんなさい」
「謝るなよ……。何で……。カイトを置き去りにしたやつなんて放っておけばいいのに」
「……正当な手続きのあるなしに関わらず、僕たちはMASTERに必要とされなくなったら、OID管理局に行くことになっています。その後、センターでフォーマットされて、……えーと、生まれ変わる……。そうですね、生まれ変わるんです」
カイトは表現がよくなかったと察したのか、前向きな言葉に言い換えた。
記憶を初期化して、古いパーツを交換して? 或いは新しく組み直して? 別の個に?
「……カイトはそうしたいの? 今の自分が無くなってしまうのに?」
「上手く言えませんが……、……地球は自転しています。それと同じように認識しています」
「……」
例えがおかしい。おかしいだろう。ヒトの役に立つために作られたから、そんな思考回路を持っているのか。ヒトが主で、アンドロイドが従であると。開発者は、アンドロイドが人間に取ってかわるのを恐れたのだろうか。
「……俺はカイトが居なくなったら悲しいんだけどな」
「あ……」
「さっきまで一緒に出掛けて、俺の作ったカフェモカを飲んでたやつがこの世から居なくなる? 冗談じゃない」
「僕が……、僕のまま、居られる方法もあります……」
「本当?」
「はい……。僕の所有権……、ええと……、別のヒトにMASTERになって貰えればそのままです。鬼籍に入られたMASTERの代わりにご家族の方の所有、ではなくて……、帰属になるといったケースです」
「なるほど……」
「っ……」
カイトは続けて何か言おうとしたが、拳をぎゅっと握り締めて止めてしまった。ああ、また何か迷っているんだ。言い出せる瞬間が来たなら、今度は驚かずに聞いてやりたい。
「カイトは今のMASTERのことどう思ってるの」
「僕の帰属しているヒトです」
「……それだけ?」
「はい。マスターの帰属になって三ヶ月ほどですが、話をしたのは二、三度ぐらいなのでほとんど存じません」
結果的に置き去りにされたとはいえ、MASTERの身を案じているぐらいだから良い思い出もあるのかもと思ったが、そうでもないようだった。もし出来るなら、カイトに都合のいい物ではないと分かってほしい。
俺は一つの考えが浮かんでいた。形式上はおそらく可能だろうが、自己満足では意味がないとも思っていた。
「カイト、さっき何か言い掛けたよね。聞いてもいい?」
「はい……、あの……、っあの……」
「うん……」
カイトと初めて話をした時は、実に流暢に『宿を貸してほしい』と言い出して俺を驚かせたが、今はその面影もなく一語、一句、言葉にするのを躊躇っていた。俺は急かさず、ゆっくり相槌を打った。
「良ければ……っ、僕の……、マスターに、なって貰えませんか……」
「……嬉しいな。カイトから言ってくれるのは」
俺の自己満足で終わらない答えは正にそれだった。カイトが一生懸命になって言ってきた理由は、俺の意図するところと違うだろうと分かってもいたが、今はまだそれでもよかった。
「俺を悲しませないためだよね」
「……だめですか?」
お行儀の良いわんこはじっと主の様子を窺うのだ。
「だめじゃないよ。でも俺のパートナーになるんだから、顔色なんて窺わないでもっと主張していい。俺がカイトを置き去りにした時には、逮捕されてしまえばいいって思えるくらいに」
「それは……、難しそうです」
「そうかー。うーん、カイトが怒るところが見てみたいな」
「……何か台詞をください」
「ん? 演ってくれるの? うーん、怒った台詞ね……、『喧嘩売ってんのか
!? 表出ろコラ!』とか?」
「分かりました」
カイトはすっと目を伏せ、一呼吸置いた。今度はどんな表情を見せるのだろう。再び目の合った時には、酷く冷たい眼光に射竦められていた。地を這うような声で彼は言った。
「喧嘩売ってるんですか……? 表で話しましょうか……」
「……」
「こらぁ……」
「っふ……、ははっ! 何でそこだけ弱いの」
「言いづらくて……」
「その顔で凄まれると迫力あるなー。カイトは怒らせないほうがいい」
「怒りません」
「だめだめ。俺が足引っ掛けて転ばせたりしたら殴り掛かってこないと。地球は自転してるだろう?」
「そうかも知れません……?」
自分でも何を言っているのか分からなかったが、地球が自転してるのと同じぐらい当たり前に考えられるようになればいい。犬だって、石を投げられたら牙を剥いて吠えるだろう。飼い犬が手を噛んできたら上出来だ。
来る日も来る日もマスターの帰りを待った。『人形のように座っていろ』と言われたなら、そうしただろう。何の用件も言われていない僕の出来る事といえば、部屋の掃除ぐらいだった。一人暮らしの分譲マンションにしてはなかなか広い室内だったが、隅から隅まで磨き上げても、三日もすればすっかり綺麗になってしまって、何もする事が無かった。
マスターが家にほとんど帰って来なくなった理由は、何となく分かっていた。初めて起動された時は「動いた!」とはしゃいで喜んでくれたけれど、次の日、恋人と思われる女性が遊びに来てから風向きが変わった。
訪問してきた女性をマスターと一緒に出迎えると、彼女は僕を一目見て華やかな声をあげた。
「なにこの子! すっごい綺麗! アイドル? 俳優?」
「こいつはアンドロイドなんだ」
「あんどろいど?」
「ロアやウォルダーの上位ロボットと言えばいいかな」
「え? え! ロボットなの
!?」
「そう。会話が出来て何でもやってくれるんだ。カイト、お茶を入れてやってくれ」
「はい」
女性は信じられないといった様子で僕の動きを観察していた。食器棚からグラスを取り出し、グリーンティーを注いで差し出すと、「人間にしか見えない」と言って困ったような顔をした。
マスターは機械工学や認知科学などの話を始めて、アンドロイドがいかに優れているかといった事を語り出したが、その女性にはあまり理解を得られていないようだった。
「え、えー、何かよく分からないけど……。そんなのどうするの?」
「どうって言われても。凄いだろ? ほら、見た目もイケメンだよ?」
「う、うん。怖いくらい整ってるよね……」
女性は何とか笑顔をつくろうとしていたけれど、どう接すればいいのか分からないといった様子だった。彼女にとって僕の存在は不可解で、得体の知れないものになっていた。
「なんだ。女の子バージョンもあったけど嫌がると思って男にしたのに」
「女の子のアンドロイドもあるの?」
「うん。でも何か変な目で見られるだろ。そういうんじゃないのに」
「うん……、ちょっと……、嫌かな……」
その日以来、女性が家に来る事はなかった。僕は嫌われてしまったようだった。人間にしか見えないのに、人間ではない僕は、彼女に困惑しか齎さなかった。最初は喜んでくれたマスターも女性と過ごすためか外泊が多くなり、ろくな交流も持てないまま、とうとうあの日が来てしまった。
久しぶりに顔を見せたマスターは、挨拶もそこそこに、僕に用事を言ってきた。
「お帰りなさい。家の中は変わりありません」
「カイト、ごめんな。これで好きなものでも買ってきてくれ」
返さなくていいと言って渡されたのは、“Three Hundred” と刻印された簡易のチップカードだった。プリペイド式で、贈り物や子どもの練習用によく使われているものだ。
「何を買えばいいでしょうか……」
「何って。自由に使っていいから、気に入ったものを買えばいい」
「……分かりました。すぐに準備します」
今まで履く機会のなかったユニフォームの靴を引っ張り出してくると、マスターはそういえば忘れてたと呟いて、リビングに置きっ放しになっていたダンボールから長方形の箱を取り出し、僕に渡した。それもやると言われて開けてみると、真新しいプレーンの革靴が出てきた。
「買い物とか頼もうと思ってカイト用に買ったんだった。でも、靴持ってたんだな」
「はい。これ、僕が履いていいんですか?」
「ああ、それ履いて行きな」
「ありがとうございます」
靴べらを借りて履いてみると足にフィットして歩きやすそうだった。
掃除用品でも買おうかと考え、マスターを振り返った。彼は決まりの悪そうな顔をして片手を挙げた。
「じゃあ……」
「はい。行って来ます」
その人を見たのはそれが最後だった。
ショッピングモールは家から少し距離があって、マップを駆使して近道を使っても往復で四十分ほど掛かった。買い物している時間もあったから小一時間は経過していた。
いくつかの掃除用品を携え、家に戻った僕の目に映ったのは、真っ白な壁紙と紙切れ一枚だけだった。一切合財の物が綺麗さっぱり引き払われていて、空っぽの室内に、僕だけが取り残されたことが分かった。
ヒトは生きているうちにどんどん荷物が増えて、その時必要なものを取捨選択しなければならない。
僕は今日、マスターに捨てられることで、マスターの未来のために役立っただろうか――?
それから考えなければならないのは僕の去就だった。このままOID管理局に向かうわけにはいかなかった。壁に貼られた紙切れには、急いで書いたと思われる乱雑な字で『カイトへ 今まで悪かった 達者で生きろ』というメッセージが残されていた。マスターはあれほどアンドロイドに理解があったのに、僕がヒトのようには生きられない〈物〉だということを失念しているようだった。これ以上、マスターの妨げにはなりたくなかった。
とにかく方法を探らなくてはいけない。パトロールに捉まらないように、僕がアンドロイドだとばれないように、ばれても遣いで外出しているだけだと装って――、そうして何処へ行けばいいのだろう。誰か、親切なヒトに事情を説明して解って貰えるだろうか? アンドロイドだとばれたら嫌われるかも知れないのに?
僕はなんて無力なんだろう。
出来るだけのことはしようと、ショッピングモールに舞い戻り、プリペイドカードの残額で買えそうな洋服店に入った。ユニフォームのままではどうしても目立つので、カジュアルで動きやすそうな服が必要だった。「何かお探しですか」と声を掛けてきた店員にカードを渡し、「シンプルなコートと帽子をください」と頼んだら「お任せください」と頷いて、革靴に合うデザインと色合いのものを見繕ってくれた。予算内で何着か提案され、どれにすればいいかまごまごしていたら、「これは定番で着回しやすいですよ」「これはラインが特徴的ですがデニムにも合わせられます」と細やかに説明してくれて有難かった。僕がアンドロイドだと知ったら店員はどんな顔をするだろう。考えると少し怖かった。
アンドロイドに理解のありそうなヒトに出逢うには――? 具体的な案もないまま、日はどんどん傾いてきて僕は焦った。人目を避けて歩いていくうち、住宅も疎らになり、一晩明かしてもばれないような場所はないだろうかと周囲を見渡した。
彼に見付けてもらった――。
すごく優しい人だ。はっきりしない僕の言動を汲み取り、手を差し伸べてくれた。アンドロイドだと告白して怯える僕に、それでも好きだと言ってくれた。こんなに嬉しいと思ったのは初めてだった。この人を悲しませるようなことはしたくない。
天水は依然として柔らかく降り注ぎ、地面を跳ねて踊っているようだった。静かに考え事をしたり、お喋りをするのに丁度良かった。
「連絡を取ると言ってもどうしたらいいかなあ」
「管理局は何かあった時のための緊急連絡先を知っているはずです」
「繋がらないとかない?」
「アンドロイドを……、ええと……、アンドロイドと暮らすには、ネットワークの戸籍や住民登録などの記録を照会するので、国際犯でも無い限り、連絡が取れなくなるということはありません」
「なるほど……。チップカードに連絡を飛ばすのか」
身分照明のできるチップカードは大抵の施設を利用する際に必要になり、通達が届いている時はゲートのパネルに表示が出る。通常、公共機関からの報せに使われるもので、私用で連絡できるのは、家族が事故に遭った等の緊急性が高い場合だけだ。
「うーん……、これは一芝居打つ必要がありそうだ」
「芝居ですか?」
「うん。俺がカイトとそのまま管理局に行っても『迷子を連れてきた』で終わっちゃうだろう」
「そうですよね……」
「だから、そうだなあ、俺はカイトのMASTERと知り合いということにする」
「はい」
「知り合いなのに連絡先を知らないのは不自然だから、そいつはよく俺にカイトを預けて、着の身着のまま旅に出てしまうことにする」
「モバイルも持たずでは、連絡の取りようがありませんね」
「うん。そんな状況で、俺は『カイトの具合が悪くなった!』って騒いで管理局に駆け込むんだ。あ、センターのほうがいいのかな?」
「異常が発生した場合はセンターで検査を行いますが、建物は隣接してますので担当者が直ぐに来てくれると思います」
「ふんふん……。それならカイトは担当者に任せて、管理局の人に、俺の名義で緊急連絡を送って貰えばいいかな」
「出来そうです」
「カイトが大変なのに何してんだ! 不法投棄で強制送還させるぞ! イヤならちゃんとしろ! って言えば伝わるかな?」
「……」
「ん……? だめ?」
黙ってしまったカイトにやっぱり無理があるかと思っていると、カイトはまた、別の事を考えていたようだった。
「あ、いえ……、マスターのためにいろいろ考えてくださって……、良かった、と……」
「……。MASTERとやらのためじゃないよ。カイトのためだ」
「僕のため……」
どうして自分を捨てた相手の事をそんなに気に掛けられるのか。MASTERだから? カイトの思考はそれに終始するのか?
「いや、ごめん……、カイトのためとか言って格好付けて……、自分のため、かな……。カイトが俺の前から居なくならないように、考えてる」
「僕は貴方を悲しませたくありません」
「だったら……!」
カイトにとって、今、俺はどんな存在なんだろう――?
「は、い……?」
「……。いや……、自分がこんなに心の狭いやつだとは思わなかった」
「え……」
「カイトが真っ先にMASTERのことを考えるたびに、無性に腹が立つんだ」
「ごめんなさい……」
「ああー、違う……。いいんだ。カイトは間違ってない」
愚かな事を考えてしまった。淡く光る深青色の双眼を逸らさないでほしいと思っていた。
「それより、具合の悪いフリ出来る?」
「……その場ではごまかせても、検査で何の異常もなければフリだったのが判ってしまうと思います」
「だよね……」
「実際に具合を悪くすることは出来ます」
「え、何それ。大丈夫なの?」
「はい。僕たちはヒトと同じ食事をすることも出来ますが、固形物は処理にエネルギーを使うのでパフォーマンスがすごく落ちるんです。酷い場合、動けなくなったり、眠ってしまったりします。それを利用すれば出来ます」
「なるほどね。だから、あまり食べないようにしてたのか」
「はい。味覚もあるので美味しいとかは判るんですが、一度に多くは食べられません」
「カイト、甘いもの好きだよね」
「……! はい……、好き、です……」
「だめじゃないですよー」
「そうですか……?」
「甘いもので胸焼けしてセンターに駆け込む。わるくないね」
明日は祝日。センターは緊急の場合は二十四時間対応してくれるが、管理局がやっていないらしく、二度手間になるから休み明けの平日に行こうという事になった。俺は仕事があったが午後から半休を貰うことにした。急ぎの案件もないし、チップカードの更新期限が近づいていたとでも言えば大丈夫だろう。実際に通達が来たことがあるが、 『早く更新しろ。今しろ。すぐしろ』と言わんばかりにパネルが煩く点灯するので納得して貰いやすい。
明後日まで俺はカイトの〈悲しませたくないヒト〉だ。それなら俺が悲しいと言ったら、カイトは何を考え、何をしようとするのだろう。取り留めもないことを考えていた。