シーン11 「キス」
「こんなところで何をやっていると聞いているんだ!!!」
そう叫びながら横島たちに近づいてくる長井。普段の端正で優しい教師の面影は微塵も無い。その表情は幽鬼じみていて彼を慕う女生徒が見たらあまりの変わりように同一人物とは到底信じられないだろう。
だが、そんな長井にひるむことなく唯が彼の前に歩み出た。その小さな体から湧き上がる威圧感にわずかながらも圧倒された長井は彼女の前で立ち止まる。
「あなたが長井先生ですね。」
「ああ、僕が長井だが…君は誰だ?」
「城南署捜査九課課長 天野唯ですっ」
「何を…」馬鹿なことをと笑い飛ばそうとした瞬間、目の前に突き出された身分証に警察とGメン両方の証を見つけて沈黙する、やがてその体が瘧にかかったかのように震えだした。
その長井に指を突きつけて唯が弾劾する。
「あなたは昨日の夜、ここで木島優子さんを殺そうとしましたねっ!!」
「う、嘘だっ!でたらめだ!!僕はやってない!!」
「ごまかしても駄目ですっ!ちゃんと見ていた子がいるんですっ!」
「嘘をつくなぁぁぁ!!昨日は誰も居なかった!!他に人なんか居なかったんだ!!!ちゃんと見たんだぁぁぁぁ!!!」
自白していることにも気がつかず絶叫する長井。その様子を悲しそうな目で見ながら唯は続ける。
「確かに見ていた「人」はいませんでした…。でも…」
そう言うと唯は語りだした。昨晩の出来事を…
「あなたは昨晩、木島優子さんと……えと…その…学校でエ、エッチなことをした後で屋上に連れ出しました。そしてあのあたりで…」
と屋上の一部を指差すと横島に目で合図する。「ん?」となんとなく意図を察して横島が唯の示した場所に移動する。その横島にテチテチと近寄ると背後に回った。
「そして、んしょ!」
と先ほどのように横島に裸締めをする。
「こんな風に木島さんの首を絞めて気絶させて、あのフェンスの上から持ち上げて落としたんですっ!!そしてその後で愛子さんが連絡に戸惑っている隙に急いで三階へ行って窓を開け、それから木島さんのところに行ったんですっ!!!」
「ちが…違う…僕じゃない…僕はそんなことしてない…そうだ!し、証拠はあるのかっ!!!」
「証拠ですかぁ。今は無いですけど…今、鑑識さんが来ますからあのフェンスの上あたりを調べもらえば出てくると思いますよ。こすった跡とか…」
「…!!!!」
屋上の落下防止フェンスの一箇所を正確に示されたことに、観念したのかがっくりと膝をつく長井。やがてブツブツとつぶやきだした…。
「違う…僕が悪いんじゃない。あいつが…あいつが「愛している」なんて言うから…いやだ…「愛」なんていやだ…気持ち悪い…そんなのあるはず無いんだ…嘘にきまっているんだ…あいつは僕を騙そうとしたんだ…悪いのはあいつだ…だから…死んで当然なんだぁぁぁぁ!!!!」
長井は涙と鼻水と涎で顔一面を濡らし体をガクガクと震えさせながら絶叫し、やがてがっくりと床に膝をついた。
その有様に横島もタイガーも愛子もピートも「醜い」と思った。
近くに居るだけで嘔吐しそうな腐臭、侮蔑という言葉さえまだ生ぬるいエゴの怪物がそこにいた。
誰もが汚物を見る目で長井を見る中、唯だけは瞳に怒りを湛えて長井に近寄った。
「人が人を愛することが信じられないんですか?でも…木島さんは確かにあなたを愛してましたよ…」
「うそ…だ…」
「嘘じゃありませんっ。さっきタダオくんたちに聞きました。素人さんが跡が残らない程度に首を絞めても人を気絶させることは出来ないって…」
ナンダロウ?ココロガイタイ…
「前に五郎さんも言ってました。完全に意識を失った人を動かすのは大変だって」
「……?」
「まだわかりませんか?木島さんに意識はあったんですっ!か、彼女は気絶した振りをしてっ…じ、自分を落とそうとするっ…えうっ…あ、あなたに協力したんですっ!!!」
唯の瞳から涙が溢れ出す。あまりの事実に声も無く見守る横島たち。
呆然と唯を見上げる長井、その顔に指を突きつけながら唯は言葉を続ける。
「だ、だから…彼女は「オチタ」って言ったんです。か、彼女は…き、木島さんは、死ぬときも…ううん、死んでからも…あなたを守ろうとしたんですうっ!!!」
イタイ…イタイ…
自分の恋人が自分を殺そうとするその行為にそっと手を貸す。それはあまりに悲しい自己犠牲。自分の足が地を離れ落ちていく、その刹那の間に彼女が何を思ったかは誰にもわからないだろう。けれど愛子は少しだけ優子の気持ちがわかるような気がした。
だが…
「は…はは…ハハハハハ」
突如として笑い出す長井。その目には砂漠でオアシスを見つけた旅人のように希望の光があった。それが蜃気楼だとも知らずに…。
「だ、だったら彼女は自殺じゃないか!僕は悪くない!僕は何も悪くないんだ!!」
あまりにも愚かな希望。醜悪なエゴと欲望の塊。修羅場に身を置いたことも無く、困難を自ら乗り切ったこともない男は周りに沸き起こる怒気に呆れるほど鈍感だった。
ブワッと獣の気配をその身に纏うタイガー、その双眸を血の色に染め始めるピート。そして妖気を漏らし始める愛子。
しかしその怒気すらもさらに凌駕して憎悪さえ滲ませる男がここにいた。
ギリッ
奥歯の鳴る音がする。
「クソ野郎…」
近づく
「てめえ…惚れていたんだろ…」
「ひっ!」
長井の股間から濁った水音とともに汚水があふれ出る。
「てめえ…惚れていた女に命がけで助けられて言うことはそんだけかよ…」
その襟首を掴んで引きずり上げる。
「なんで守ってやれなかった!なんで気づいてやれなかったぁぁぁ!!!」
イタイ…イタイ…イタイ…イタイ…
ガシッ!
殴られ口腔から折れた歯と血を撒き散らして吹っ飛ぶ長井。
「ひぃぃぃぃぃ」
血と涙と鼻水と尿にまみれ這うように横島から離れようとする。
汚い汚い汚い…汚い?あたり前だ。こいつはゴミだ。
ゴミならば…
「いらねーよ。お前…」
明確に殺意を見せつつ長井に近づこうと一歩踏み出した時
「駄目ですぅっ!!!」
両手を広げて唯が横島の前に立ちはだかった。
「どけっ!」
「いやですっ!タダオくんはそんなことしちゃいけません!」
「それは警察官としての命令「違いますっ!!」か…?」
「タダオくんのお友達としてです…」
優しくそう言うとそっと横島に近づき、怒りのままに握り締められた拳を両手で包むと自分の胸に押し当てる。
「タダオくん。きっと木島さんはそんなこと望んでませんよ…」
「だけどっ!ムオッ?!」
握られた手を振り解きつつ叫ぼうとするが横島。だが、胸元に飛び込んできた唯が彼女に似合わぬ素早い動きで彼の首に抱きつくなりその唇を奪った。
「な…なにを?…」
突然の甘い感触は彼の脳内から「怒気」やら「殺意」やら「理性」と「?」以外の全てを吹っ飛ばしてしまう。目の前を見やれば、火が吹けるのでは?というぐらいに顔を真っ赤に染め、「にへへ〜」と笑いながら、けれども瞳に涙を湛えた唯がいた。
そして今度はゆっくりと両手で横島の頬を挟むと、コツンとおでこを横島のバンダナにあてる。
その体が淡く光り始めた。
その様子を呆然と見詰める除霊委員たちと長井。だが長井の目にはすでに正気の色はない。
永遠とも刹那とも思える時間が過ぎ、唯の体から光が消えた。
うつむき「そうでしたか…」とつぶやく。その瞳から次々あふれる涙の雫。
その時!!
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
獣じみた奇声を発して長井がフェンスに飛びついた!
狂い始めた彼の頭にはこの場から離れることしかなかった。
皆があっけにとられてる間に長井はフェンスの頂上に立ち、極端に矮小化された未来に向けて飛び出した!
「駄目えぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」
唯の絶叫とともにその体と校舎までもが金色に輝く!!
途端に校舎がグラグラっと揺れ、屋上フェンスが轟音とともにコンクリートから離れ、まるで巨人の手のように形を変えると落ちる長井をすんでのところで受け止めた。
タイヤの音を軋ませつつ猛スピードで校庭に突入した美神はその光景に…
自分の予感が当たったことを確信した…
後書き
ども。犬雀です。今回で事件の真実が判明しました。木島優子は自殺・他殺、微妙な線でした。唯が居なければ警察はあっさりと他殺と判断したでしょう。
そういう意味では、唯の能力を一般捜査にまで乱用した上層部のミスと言えます。
けれども唯が居なければ木島優子の真実は闇の中でした。事実と真実は違うってことでしょうか?書いている犬めにもよくわかりません。さて長々と続けてきましたこのお話、次話「蛍」、最終話「カスミソウ」で完結でございます。
もう増えません。書き終わってますから今度こそ大丈夫です。(狼少年?)
あと少しの辛抱ですので最後までお付き合いくださいませ。
では
>九尾様
呆然としていたのは愛子の存在を忘れていたからです。様々な偽装工作が出来なくなったためと思ってくださいませ。筆者筆力不足で誤解を招きました。(平伏)
>AZC様
長井の外道ぶりは今回ではっきりさせました。歪んでます。
>紫竜様
それなら大丈夫ですね。頭が残りますです。
>通りすわり様
犬雀は法律詳しくないですが今回の長井は法的にどうなんでしょうかね。
唯が居なければ殺人罪は確定だったと思ってますが…。
>匿名希望様
同感です。長井は救われるんでしょうか?