霊的に条件の悪い場所に建てられた建造物は、霊障が起きる可能性が高い。
ゴーストスイーパー見習いである横島・忠夫が住むそのマンションも、そういう物件だった。
いまだ見習いだが、雇い主である美神・令子に仕事を回されて、付近の建物も含めた霊的管理の為に住んでいるのだ。
その一室、自分に割り当てられた部屋で横島・忠夫は惰眠を貪っている。
枕元に置いてある時計が示す時間は、七時三十五分。
「ぐー……」
春眠暁を覚えず。
起きる気配はない。
そんな男の寝顔を見て、同居者である朧は微笑を一つ。
今の横島の表情は、起きている時は見せない、幼い表情だ。
……可愛い寝顔。
そのまま見続けていたい衝動に駆られるが、誘惑を振り切って朧は横島の頬を突付く。
「朝ですよー。横島さーん?」
指先から伝わってくる感触を楽しみつつ、声をかける。
だが、おきない。
……こういうときは。
人界に降りてから覚えた知識を総動員して、朧は横島の顔に自分の顔を寄せる。
と、首筋に金属の感触が来た。
ひやりと冷たいそれに、朧は額に汗を滲ませて言う。
「神無……?」
「朧。何をするつもりだったのだ? ――返答次第では首が飛ぶぞ」
「かっ、軽いスキンシップじゃない!」
朧は振り返り、背後、先ほどまで朝食の用意をしていたはずの神無に向き直る。
「うらやましいなら神無もやればいいでしょ?」
「そ、そんな破廉恥な真似ができるか!」
「なら私がやっちゃおー」
身を翻し、再度横島に顔を寄せる朧の眼前、数センチ先を包丁が通過した。
神無が投げた包丁は正確に朧の鼻先をかすめ、横島の耳の三センチ横に突き刺さる。
「……神無〜」
「いいからさっさと横島どのを起こせ。朝餉の用意はもう出来ている」
言い捨て居間に戻る神無の後姿を見送り、朧は肩を竦めた。
先ほどの起こし方に未練があるが、
「これ以上やると、本当に首が飛ぶかもね……」
思い、横島の身体を揺さ振る。
揺さ振った程度で起きないのはいつものことで、仕方なく朧はいつもの様に手に霊力を込めた。
やり方はヒーリングと似て、しかし真逆。
「えいっ」
「――あっちゃー!!」
負荷霊力で軽い火傷を負った横島が飛び起きる。
患部を押さえ、恨みがましい視線を送ってきた横島に朧が返すのは笑み。
「朝ごはん、できてますよ」
「……へーい」
文句があるのか、横島は何やらぶつぶつと呟いている。が、毎朝の事なので朧は気にしない。
とにかくにも起床した横島が着替えようとパジャマのボタンに手をかけ、
「……俺、着替えるんだけど」
「はい。――見てちゃダメですか?」
「見るのはいいが見られるのはヤだ」
「はーい」
横島の言葉に苦笑を返し、朧は部屋を出た。
○
白いご飯。豆腐と油揚げの味噌汁。焼き鮭。大根の漬物。
食卓には、純和風な食事が並んでいる。
……しっかりとした朝食。
二週間前では考えられなかった事だ、と横島は思う。
二週間前、このマンションに越してきて二日後のことだ。
神無と朧が、以前救ってくれた礼をするといって月からやってきたのだ。
月の統治者である迦具夜からの書状もあったが、
「あの時は驚いたな……」
「何がだ?」
横島の茶碗に白飯をよそいつつ、神無。
「お前らがウチに来た時のことだよ」
「ああ……、事前承諾もなく突然来てしまったのだったな」
「驚いたぞあの時は。いきなりやって来て、――これからお世話になります、だ。しかも二人揃って三つ指ついて」
「私の知識ではあれが正しい作法だったのだが……」
「間違ってないが少し古いぞ」
「仕方ないもの。月は外界と隔てられてるから」
少し顔を赤らめた両人、いや両神に横島は苦笑。
神無が差し出してきた茶碗を受け取り、箸を握る。
「感謝してるけどな。こうして朝から美味いメシは食えるし、部屋は綺麗だし」
「かわいい女の子と一つ屋根の下だし?」
「お、朧っ!」
「ああそれもそうだなあ。――待て神無包丁はやめれ。刃物は復活が遅くなる」
「神無は照れ屋さんね。褒められてるのに」
「っ〜〜〜〜」
神無は赤くなった顔を隠すように味噌汁の椀に口をつける。
話が途切れたので、三人とも食事を再開。黙々と箸を口へ運ぶ。
十数分ほどで食事を終え、食後の一服を神無が入れた茶を飲んで過ごす。
時計を見れば八時十七分だ。
「横島さん、お仕事の方は?」
「今日は現場に直行。奥多摩の方の山で除霊だ」
「手助けは……不要だろうな」
地球と月の魔力濃度の差は大きく、濃い魔力に慣れていた月神族は、強さでいえば下級の部類に入る。
気落ちする神無に横島は笑みを作って見せ、
「ん。……留守は頼んだ」
神無の頭に手を置き、くしゃくしゃと撫でる。
艶のある黒髪を梳く感触は心地よい。
視線を巡らすと、朧が物欲しげな目をしていた。
ので、撫でる。
二人の月神族の頭を撫でつつ、横島は思う。
……神様、か。
人と神と。何が違うのか。二人だけではなく、知り合いの神族の事が思い浮かぶ。
考え出る結論は、何も違わないという事。
泣き、笑い、怒り、喜び、哀しみ、死ぬ。その感情は人と変わらず、神といえど不滅はない。
その思考は更に次の考えを生む。
魔族。
人と魔族。
……同じだ。
人も神も魔も、全ては同じだ。生きており、感情を持ち、いずれは死ぬ。
ならば、区別する事に何の意味があるのか。
「…………」
「横島どの?」
「横島さん?」
「――ああ、いや、なんでもねえ……」
表情が硬くなっていたらしい。慌てて語を作り場を繕う。
ちらりと時計を見れば、八時二十八分。
「そろそろ行くか。留守は頼むぞ二人とも。――喧嘩するなよ? 前みたいに帰ってきて早々文珠で修復とか、イヤだからな?」
「あ、あれは朧が」
「さ、先に手を出したのは神無でしょ?」
言いあう二人を置いて装備類をまとめる。
いざとなれば文珠があるが、使用は極力避けるのが賢明だ。
札。神通棍。霊体ボウガン。呪縛ロープ。美神から支給された指輪状の精霊石は、右手の中指に。
現場は山だ。さらに非常食や簡易医療キットなどもリュックサックに詰め込んで準備を完了する。
横島は装備を詰め込んだリュックサックを背負い、
「喧嘩するなよー」
そろそろ手が出始めた二人に告げ、家を出た。
○
メインヒロインは神無と朧かもしれません。伏兵です。
いや、誰でも良かったんですが、意外性をということで月神族のお二人。細かい事は気にしちゃダメです。
ちなみに伏兵は神無の方が好きです。
さて次回、横島・除霊にいって概念に触れるの巻。しかし横島は貴金属と縁が無さそうで困りますね。
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