「蒼い師と緑の弟子 第4話(まぶらほ+風の聖痕)」キキ (2004.11.22 14:19)
 『それから、和麻は2年程幸福な生活をしていたらしい』

 朧がそういうと、話の途中で体育座りをして膝に顔をうずめていた和樹は顔をあげ

 「らしい…ですか?」と聞いてきた

 『ああ、実は私が神凪に居た時“視れた“のは屋敷の敷地内だけだったし、私がそれ以降“聞いた“のは、和麻の人形の話だったからな…その人形はすぐにアメリカに行ってしまったし』

 「じゃあ、どうして先生のことを……それに2年って…」

 『その頃の和麻のことを、知っているシスターに聞いた。……その人が言うには、和麻の師匠である八神直人が、死んだ次の日にアメリカに渡ったらしい。おそらくその時に人形と入れ替わったのだろう』

と、温和で孤児院を経営している聖職者の鏡のような人物であり、和麻が頭の上がらない数少ない存在を思い出しながら言う。

 「亡くなったんですか…先生の先生……どういう人だったのか知ってますか?」

 『いや、私も知りたくて和麻に何度か聞いてみたんだが……和麻にその話を振ると、いつも黙るんだよ……“精神攻撃”に対する“抵抗力”が強いから私では和麻の記憶を視る事は不可能だし、何より私の信念に反するからね』と朧が言うと和樹は少し目を半眼にし、拗ねたように

 「僕の記憶は、見たのに?」

 『あれは、本当にすまなかった。申し訳ない』

と即座に土下座しかねない勢いであやまる朧に和樹は少し笑って

 「いいですよ…もう…そういえば、そのシスター…」

 『アリア』

 「その人って、朧の声が聞こえたって事はすごい魔術師なんですか?」

 『あ、そういえば……言ってなかったのか。私は和麻が許可をした人間とは、話すことができるんだよ。私をただ使う者達と魂が繋がっている者との違いの1つだな……最も、君のように資質があって聞くことができるものもいるが……神凪の者は恥知らずなことに聞こえなかったがな!!』

 最後のほうは、吐き捨てるように言う朧に少し怯えながらも、先ほども不思議に思った事を和樹は聞いた

 「あの、朧って神凪に居たんですか?」

 『む、そういえばそのことも言ってなかったな。まあ過去の話だし、もうどうでもいい事なのだが……』

 と、今までの自らの境遇を和樹に説明した。

 「千…年…」となにやら絶句している和樹に

 『まあ、どうでもいいと言えるのも和麻と契約したからだがね……それに和麻の案による、ちょっとした仕返しをしている』

 「しか・・えし?」

 『うむ、今まで神凪一族が使っていた‘‘炎雷覇‘‘とまったく同じ贋物を置いてきたのだ』

 「え、でも、それって……神凪にとって良いことじゃ…」

 『確かに、今のところはそうだろう……だが、もし我らが神凪と戦ったらどうなると思う。想像してみてくれ、彼らが神剣と呼び彼らにとって‘‘自分たちが最強‘‘という根拠のない幻想の拠り所だった剣が、贋物であり本物は彼らが能無しと断じた、和麻が持っているのだよ!そればかりか彼らが、愚かしくも‘‘下術‘‘などと呼ぶ風術を和麻は使うのだ!!自分たちが蔑み嘲笑ってきたものが、同時に襲ってくるのだ……その時、神凪がどれほどの醜態を見せてくれるだろうか……今から楽しみでならない!!!』

 剣なので表情というクッションがなく、声だけでしか感情が判断できるものがない。そのためその叫びにこめられた様々な感情が2倍増しに聞こえてくるので、和樹は怯えながら

 「もし……戦わなかったら……」

 『……まずありえんがな。その場合でも、契約時に神凪にばれないという利点はあったし…』

 「は、はあ……」

 『彼らが、私たちが作ったものをあがめているという事実には、変わりはない!彼らが、私と和麻が作ったおもちゃを大事にしているのを想像するだけで、私の千年に及ぶ黒いドロドロとしたものが減り、私の精神安定に役立っているのだ!!それだけで!!!』

 と、今までに溜めに溜めたものを吐き出すように言う朧は、和麻からの最初の命令がこの大した労力も使わない素晴らしいものだったのを思い出す。

 そして、それが和麻からの自分に対する‘‘気遣い‘‘だったということも……

 神凪を相手にする暇がなかった−今もないが−和麻だが、自分と魂からつながったことにより自分の千年に及ぶ“想い”に感応してしまった。そこで、自分に対して作るつもりのなかった−そのまますぐに西欧に行く予定だった−炎雷覇の贋物を作れるかと聞き、この案を提案したのだ。

 《最も、そう言えば鼻で笑って否定するだろうが……》

 そのため、この“気遣い”のことは誰にも言うことはないと知っている。目の前に居る和樹にも、精霊たちにも、和麻にも言わずに墓まで−そんなものないが、比喩表現−持っていくことを……

 「あ、あの……どうしました?」

 和樹の声−《どこか怯えているが、何故だ》−に気付き

『ああ、そういえば話の途中だったな。それから2年程和麻は、アメリカの大学で過ごしたんだ』

「なんて名前の大学なんですか?」

『さあ、私も聞いたことがないな。和麻に聞いてみてくれ』

「はい……そういえばいいんですか?」

『何をだね?』

「先生のこと、僕に話しちゃっても…先生気を悪くしないですか?」

 そういう少年に

 『おそらく、大丈夫だろう』

 「何で、ですか」

 『勘だよ…』

 《君だからだよ……和樹。アルマゲストに捕まっていた人間の中で唯一和麻に対して、復讐以外のものを望み……和麻にとって‘‘生贄にされた母親‘‘の代わりに来た君だからこそ。だから私は君に和麻の……》

 「そう、ですか。それじゃあ、最後の質問をしても良いですか……最初に聞こうと思ったこととは違うけど……」

 勘という返事に納得のできてないものを感じたが、和樹は頷き最後の質問を言った

 「その…どうして僕にここまで話してくれたんですか……僕に、何かやって欲しいんですか」

 その質問に一瞬《鋭いな》と思った朧だったが、すぐに

 《いや、それだけじゃないか。この子は、何のメリットもなければ誰もなにもしてくれない、と経験で判断してしまっているんだ》と考え直した。そして

 《だから、和麻に対して心を開いているんだ……和樹の経験からすると和麻はあの時……和樹を助けたり、背負ったり、弟子にしたりなんてするわけが無いんだから……記憶を失った和樹には、初めての無償の優しさだったのだから……》

そんな考えに行き着いてしまう和樹が悲しかったし、和樹が過去を求める理由がそこにあるということも分かってしまった。

 そういう和樹に隠し事をしても無駄だし、隠し事をしたくなかった。

 『ああそうだ……私は、きみにやって欲しいことがある』

 「そうですか……どういうことを」

 と、やっぱりなという表情を浮かべる少年に向かって

 『何、難しいことじゃない。君には……和麻の、重荷になってもらいたい』と言った

 「重……荷?」

 『ああ、重荷という言葉が気に入らないなら、足手まといでも構わない』

 「へっ?足手…まとい?」

 『とりあえず今の君なら、そのままにしてれば大丈夫だ。充分、和麻の重荷になる』

 そこまで言うと、和樹は目を怒らせ

 「なんで、重荷にならなきゃならないんですか!」

 『聞きたいかね?』

 「ええ!!」

 『私は、和麻と1年以上共に居て気づいたことがある』

 「それって、会ったばかりの僕に対する嫌みですか?」

 と、先ほどのことを引きずっているのか膨れて言う和樹。本人は怒っているつもりなのだろうが、かわいい顔を膨らましても微笑ましいだけだ。

 『いや、そんなことはない。話を戻すけど、和麻は危ういんだ……』

 「危うい、ですか……」

 とその言葉を聞くと、膨れるのを和樹はやめた

 『ああ、あいつは精神的にも肉体的にも強く、精霊魔術の腕では私の知る限り3本の指に入る。

だが、あいつはまだ13歳なんだ……まだまだ、子供なんだよ。今は背伸びしていて、そしてそれが全く違和感を覚えないほどまで身に付けているけどね。けど、背伸びしている分足元は定まってない。それにいざとなったら、後ろを振りかえったり、周りを見る余裕を忘れて突っ走ってしまうところがある。だから……』

 そういう、朧の話を聞き和樹は

 「だから……僕らが……」

 『ああ、私があいつの足元を支えるから……君には重荷になって欲しい、あいつが突っ走ろうとするとき、少し立ち止って振り返ったり周りを見ることができる重荷に……』

 「……わかり…ました…でも、何時までも重荷にはなりませんから……あなたと同じように先生を支えられるようになりますから……」

 と、健気に言う和樹に

 『そうなりたければ、強くなるんだね……心も体も魔術でも……』

 「はい!……あの…でも…僕で、大丈夫なんですか。」

 『どうして?』

 「僕で、先生を止められるんですか……重荷になれるんですか?」

 なんてことを、うつむいて自信なさ気に言う和樹に元気付けるつもりで

 『大丈夫だ。君は、ぷにぷにで、ふわふわで、止めに健気なんていうある意味、反則の《特に性別が》ものを持っているから』

 などと、のたまった。瞬間、空間が凍結した。

 朧は、《何いってるんだ、私はー!!!》と心の中で絶叫していたし

 和樹は突如体を襲った寒気に驚き、毛布を体に巻きつけ始めた。



時計の長針が2回転するだけの時間が経つと、体に毛布を巻きつけた和樹が恐る恐るという形容詞の見本のような声で

 「あの、朧…さん…ぷ、ぷにぷに、ふわふわって……」

と何かをこらえていう和樹に、朧は何も後ろめたいことがないような、朗らかで冷静な声音で

 『精霊言語で、才能のあるなどの意味をもつ言葉だがそれが……』

 しゃあしゃあと、嘘をつきなさりやがった。そしてそれに安心したように−だまされた……なんて素直な−和樹が

 「そうなんですか!精霊にも言葉ってあるんですね」

それに調子に乗った朧が

 『うむ……それいがっ……』

 突然現れた足に踏み潰され、その足の上のほうから

 「嘘をつくな、嘘を―――精霊の言語はあるがな……そんな訳のわかんねえ言葉が、あるわけないだろうが!!」

 と声が響くと同時に、足でゲシゲシと朧を蹴り始めた。その足にどれほどの力がこめられているのか朧が乗っていた椅子−木製−が破壊された。が、その後は地面でグリグリやり始めた。



 和樹はその足の上にのっている顔を見て

 「先生!!」

と叫んだ。すると半眼で唇を歪めて笑っていた少年―――八神和麻は足を止めずに

「おお、起きたか和樹。体の調子はっ…て、おい!」

と言っている途中でベッドから飛び上がった少年に腹の辺りに抱きつかれて、あせった声を出して、朧を踏んでいた足をどけてしまった。



そして、朧はすぐ近くの机の上に避難−和麻が主になってから、和麻の魔力供給がある限りある程度の行動は、可能になった−して抱き付かれてあせる和麻と抱きつき

「うわぁー♪先生だ、先生だ、せんせいだぁー♪……えへへへ♪あったかーい♪」

といいながら至福の表情を浮かべて、和麻のお腹に顔を擦り付けて、そのまま首を左右に振り始めた和樹を見て

《ああ、和麻あせってるなー。無理もないなーあいつ他人からの絶対の信頼とか無邪気に慕われるって事に、経験が全くないからなー。和樹も全く“人間”と触れてなかったから、たがが外れてるんだろうな――しかし、和樹は子犬だなどう見ても……》

朧は完全に見物者へと化した……和麻に魔力をこめて蹴られたので痛かったことなどは全く関係がないし、和麻がこちらにしている‘‘救援求む‘‘というサインや念話も痛くて見えてないし、聞こえないので関係ない。

《それにしても、和樹の奴私のことを、また忘れているな……まあ、いいか和麻の困った姿なんてそうそう見れるもんじゃないし》

 朧が一抹の寂しさを、圧倒的に面白く興味深いもので意識から消すと同時に和麻が困ったように

「なっ、なあ、和樹。暖かいのは分かったんで、とりあえず離れてくれないか………」

といい始めると、和樹が顔をあげて、和麻の背中に回していた手を自分の目の前に回して目のまえの和麻の服を掴み、その服の両手で掴んだ部分で唇を隠しながら上目遣いで‘‘イヤ、イヤ‘‘というように首を振った。

「い、いや……イヤイヤじゃなくて……和樹、なぁ…手を」

そこまでいうと目に涙がたまり始め、さらに強く服を握り締め首を激しく振りはじめた。

《うわぁ……完全に和麻に対して奇襲を成功させたよ。と言うより和樹、あれが天然ならいろんな意味ですごいことになりそうだ……天然だなあれは!……あーあ、とうとう和麻も頭なで始めた。まあ持った方か……慣れてたり、和樹が腹に一物抱いてたら、手荒い事もできるんだろうが……あそこまで裏のない感情ぶつけられて、しかも好意を抱いている相手にできる奴じゃないからなぁー……和樹……先ほどお前が言った。和麻の重荷になれるかという意見に対して、私は私の存在全てを賭けても、なれる!!と断言させてもらう………そういえば、隣のぴよちゃんは、旅立ったろうか……これから寒くなるのに…王子がどうのこうのと…………》

と、こちらも主の見慣れぬ姿を見続けたせいか。思考がかなり不味い方に向かい始めた。



とりあえず、この結界じみた空間は和樹が、落ち着くまで−満足したともいう−続いた。

その間で時計の長針が30回以上回ったのは、気のせいだと思いたい。



「で……和樹そろそろ服を離してくれないか」

疲れたように、ベッドの隣に座る和樹に言う和麻は

「離さないと、だめ…ですか…」

と泣きそうな顔で言う少年をみて……どこかあきらめた顔で頭を撫で始めた…

 「いや、とりあえずお前の服買ってきたんで、その病院服から、着替えてほしいんだが…」

 そういいながら持っていた袋から子供用のTシャツとジーパンと靴を取り出しながらいった。

 そうしたら、すこしためらうそぶりを見せながらも、和樹は服を着替え始めた。

 その間、和麻と朧は念話を始めた

 《それで…主よ。首尾は……》

 (ああ、教会のほうはまだ動いてないがな、協会のほうは、偵察部隊をもうだした)

 《ふむ、お早いことだな。が、計画の範囲内だな》

 (ああ……でお前和樹と何話して…)

 そこまで話すと元気な声で

 「着替えました!!どうです似合いますか…」

 と、久しぶりにアルマゲストで着ていた服から開放された喜びのままに和樹は言った。

 「その服で似合うもくそもないと思うがな……ああ、忘れるとこだったこれも、持っとけ」

 と和麻が投げた、何か光るものを受け取った和樹は

 「これって砂…ですか?」

 銀で編まれた鎖を取り付けた透明な丸い容器の中に、入っているものを見て言った。

 「似たようなもんだ、お守り代わりに付けとけ……なくすなよ」

 「あ、はい。」

 そうして、和樹はそれをペンダントのように首にぶら下げた。それを確認すると和麻は

 「んじゃ、これ着けな」

 といいながら、どこからともなく取り出したベストみたいなものを和樹に手渡した。何でできているのか、薄いのにずしりと重いそれに和樹は少しよろめきながらもそれを着て戸惑った声を出した。

 「着ましたけど、何をするんですか?」

 当然の疑問を聞く和樹に和麻は

 「修行だ。それ着て、ホテルの前の海岸走ってこい」

 突然予想外のことを言われた和樹は驚いて声をあげた

「ええっ!?最初に魔術か何か不思議な力、教えてくれないんですか!」

 それを聞いた和麻がにこやかな笑顔で

「なにいってるのかなぁ……この馬鹿弟子はぁ❤」

 怖気をふるう猫なで声をだしながら、和樹の頭を握り締めながら持ち上げた。そして自分の顔の前に和樹の顔を持ってくると

 「1度しか言わないからよく聞いてね❤和樹君❤もし、聞こえないだの分からないだの言ったら潰すかもしれないから❤」

 手の甲に思いきり力をこめた、青筋のようなものを手の甲に浮かばせて和樹の頭をミシミシといわせながら言った

 「は……は、はい」

 激痛と恐怖で顔面蒼白になりながらも何とか頷いた和樹に、和麻は和樹の頭を放して猫なで声をやめ

 「ものごとにはな、順序ってもんがあるんだよ。お前にはな、正直信じられないほどの精霊魔術の才能がある。それから始めれば、すぐにでも楽に強い‘‘力‘‘を手に入れられるだろう……でもな、それだけじゃ何にもならないんだよ。戦いにおいて最後に頼りになるのは、自前の体力・知力・精神力・戦闘経験だ。その内1つでも欠けていたり弱かったら、例えどれだけ強い‘‘力‘‘を持っていてもそいつは―――弱いんだよ。……んで体力・知力・精神力・戦闘経験っていうのは、楽な方法じゃ手に入るわけねーんだ。だから、最初は走れ、走って、走って、走りまくれ。まず、体力からだ。……魔術や仙術はお前が教えてもいいくらいになったと判断したら、教え始める」

 それだけ言うと和麻は、和樹に向かって顔を近づけた。

 「解ったか?」

 理解の色を顔に浮かべてコクコクと激しく頷く和樹を見て、ニヤリと笑って言った

 「じゃ、走って来い」

 扉に向かって走り始めた和樹は、扉の前で立ち止まり振り返り

 「いってきます……先生!」

 「ん?」

 「僕、がんばりますからいろいろ教えてください」



 満面の笑顔を浮かべて和麻に言い、扉から出ようとする和樹を和麻が呼び止め 

「和樹、走りに行く前に2つ言っておくことがあった」

 「え?」

 「走るだけじゃなく、海を触って来い」

 「海を、ですか?」

 「ああ、それと…何で俺が走れと言ったのか、海に触れといったのか、さっき言った以外の理由も考えろ」

 「理由、ですか?」

 その質問に対して和麻は頷くと

 「これからもそうしていくからな……俺が、修行のときに何かお前に教えたり言ったりしたら、それに対するお前なりの解答を考えろ――そして、それに沿って動け。ああ、そんな心配そうな顔するな。もしお前の答えがどう考えてもお前の害になると判断したら、俺と朧が指摘する。そのときも指摘するだけで答えは言わない…と、いうより万人共通の“模範解答”なんて基礎中の基礎訓練や最低限の戦術以外ないんでな、言いようがない。お前と俺とじゃ骨格・筋肉の付き方・重心の位置・魔術のタイプとか全部違うんだからな……だから、お前にとっての“模範解答”はお前が“考えて”見つけるしかないんだ。……だから、考えろ…たとえ、お前がお前の全部の“模範解答”を見つけても考え続けろ……それが、俺がお前に教える代わりに求めることだ」

 この自分を慕ってくれている少年を、考えなしで行動して大切なものを失った、自分の向いてない力を過信して傲慢になっていた神凪和麻のような愚か者にしたくない。

という気持で言った和麻の言葉を、その心情には気付かなかったけれども真剣に聞いていた和樹は途中から不安げにしていた顔を不思議そうな顔に変え

 「それ…だけですか」

 「ああ、そうだ。常に考える、それが出来ている限り俺は最初にいた通りお前に全部教える」

 「もし…出来なければ?」

 「そんときゃ、さよならだ」

 「え、…ええっ!?……分かりました、今から外に行って最初の答えを……」

 最初は驚愕していた和樹だが……和麻の目を見て‘‘本気‘‘だということを悟るとすぐに外に行こうとした。その扉に手をかけた背に

 「ああ、行って来い。それと最初の指摘だが、1つのことだけを見て終わりにしないで、それを見ながらいろいろなものを見ろ……んな、カッカした頭じゃ何も考えられねーし、ろくなこと考えねーぞ。……じゃこれから部屋のチェックアウトして、下に行くから。答えが分かったら走るのやめて、俺のところに来い。」

 その言葉に返事も無く和樹は、下に行った。



 『……少し、厳しすぎたのではないか。和樹はまだ7歳だぞ……お前に捨てられるなんて言われて、冷静になれるわけないだろう』

 和樹が出て行き、しばらく経つと朧が言った。

 「そうかもな、だがな…あいつを俺のような、他人の真似だけの奴にするつもりはないんでな」

 その、和麻の陰のある声を聞き朧は静かに言った。

 『昔のお前のことか……』

 「まあな……和樹に俺のこと話したんだろ……どこまで言った」

 『お前の12歳のあの日まで……それ以降は話してない。それにそれまでのこともお前やシスター・アリアから聞いたことだけだ』

 「そうか……それじゃ」

 『ああ、言うと思うか……和樹とその両親がお前の“母”を生贄に使ったときの儀式で来たことを…』

 「そうか…言ってないか…そうか…」

 そう呟きながら、和麻はベッドの上に座った







 雨が、降っている冷たい…雨が…

雨が降る北の大地の丘で1人の男と少年が居た。男は、倒れこみ腹から血を流している。その血が雨に混ざりピンク色となった液体が、下にいる少年に届いた。のろのろと顔をあげ現実を信じようとしない顔をする少年の手には、雷光で光り輝く血にぬれた刃渡り30cmほどのナイフがある。周囲を見ると男の傍にもナイフが数本落ちており、彼らが何をしていたかの証拠といえるだろう。



そう、この師弟は殺し合い…………師が敗れたのだった



「和…麻…」

その声を聞くと呆然としていた少年はすぐにその師に駆け寄り

「せん…せい、なんで…こん…な」

 師の傷口に“治癒功”を行いながら、泣きそうな声を出した。そして、師の顔を見た。笑ったことを見たことどころか、顔の表情が変化したことさえほとんどない顔だった。「「ああ、いうのを鉄面皮というの〔です〕よ」」と母とシスターが言っていて、いつか笑わせてやろうと思っていた。

 自分が上手く仙術が出来たときもほめたりせず、当然だという顔−慣れてきたら、わかるようになった−をしていた。でも仙術の修行以外の料理や狩り等が上手くできたときは、頭を撫でてくれた。自分にとっては、厳しくも優しい先生だった。その人は今死にかけている……自分が肺と心臓に、ほぼ同時に刺した傷によって……



 朝起きたら、最近体調が悪く寝たきりだった先生が起きていた食卓についていたので嬉しかった。嬉しくて母さんのところへ行ったら先生が起きているのに母さんが元気なさそうだったので、不思議だったが気にしなった。それから夕方まで、いつも通りに鍛錬をしていた。仙術の鍛錬と体を動かす訓練の2つを……先生からは半年ほど前に使えるようになった、風術を練習しろといわれていた。が、僕は先生みたいな仙術使いになりたかったので使いもしなかった。精霊魔術を使うと、あの嫌な場所を思い出すというのもあるけど……



そして夕方になると、先生が一緒に丘へいこうと言った。僕は先生の体が心配だったけど、それよりも先生と一緒に久しぶりに出かけることが嬉しかった。母さんも一緒にいこうといったが、用事があるといって断った。そして僕らが家を出て歩き始めても、家に入らずに僕らをじっと見送っていた……思えば、何故気が付かなかったのか…いくつも変なことがあったのに、僕はこの丘に来てしまった。そして……いきなり先生がナイフを抜き、僕を殺す気で斬りつけた。



そして今、師は治癒の効果もなく死にかけている。それでも僕は続けた、もう駄目だと分かっていながらも……すると突然、男が少年の手を掴んで首を振った。

「和麻……無駄だ」

「そ…んなこと、ないっ」

 「和麻聞け、私が学びお前に教えた、仙術の‘‘八神の業‘‘には1つの掟がある、それは…」

 「だまって!」

 「それは…師は継承者とする弟子に殺されるというくだらない掟だ。だが…そんなものをお前が継承する必要はない。例えお前が、八神を名乗ろうとも……お前は、精霊魔術師なのだから……お前が…仙人や仙術使いになっても一流にはなれるだろう。だが、精霊魔術師になれば…お前は史上最高になれる素質がある。だから、精霊魔術師を目指せ」

 「く、くだらないのに…何で」

 「八神は、‘‘今‘‘に対応していないものだからな……他には何も求めず、敵もいないのに戦いの技術のみを一万年以上磨いていた八神はとうに滅ぶべきだった。が私くらいは、それに付き合わなければならないだろうし…な」

 「なんで…先生が…」

 「思想でも、国家でも何かが終わるときには、それをあらわすものも共に滅びる。八神という戦闘機械にとっては、それが私だっただけのことだ。私はお前に業だけで、八神の宿命や運命は教えなかった。が、それが私の行った行為の中で最も誇れるものだと分かっている……そんな顔をするな。私は充分、生を楽しんだ。雫がいて、シスター・アリア等の町の者達がいて、和麻がいた……これほどの生があろうか………和麻、私の師としての最後の教えだ……泣かずに聞いてくれ」

 いつしか、雨はやんでいた。でも、僕の前はにじんでいて、先生の顔もよく見えなかった

 「はい…っく、ひっく」

 「八神の宿命や運命を調べるな、もう八神は終わったのだ。もしお前が誰かに伝えるなら、業だけにしろ。そして、世界を見てこい。さまざまな場所へ行き、自分の目で見て、歩き、他者と交流し、何かを学び取れ」

 「せんせいと…一緒に…」 

 「前にも行ったが、無茶は進んですべきだが、無理はしたり言ったりするな。……詩織には全て伝えてあるから、すぐにでも出られる」

 「母さん、に…」

 「ああ、彼女には昨夜は話した。泣きながら、引掻かれたがな。……そういえば人形も後1年ほどで期限が切れるな。今、アメリカにいるから寄るといい」

 男の口調は、肺と心臓を傷つけられてもいつもと全く変わらなかった。ただ、事実を語っているとしか思えない淡々とした口調。そして、全く表情が動かないのもいつものまま……だが、わずかに荒れている呼吸音が男の死を逃れようにないものと理解させられた。

 「和麻…」

「は、い…」

声を震わせながら言う少年の方ではなく、空を見ながら男は

「すまなかったな、私のわがままに付き合わせて…」

「い…え…」

「だが、ありがとう。2年前の病院で、私と一緒に来てくれて…そして、私を慕ってくれて……嬉しかった………………見てみろ和麻…雫…今夜の月も…綺麗だな」

 ……それが、男の話した最後の言葉だった。月がおぼろげにしか見えない夜、男はその言葉と共にその生を終えた。



 家に師を背負って帰ると、母は玄関のすぐ前に立っていた。そして師の遺体を受け取り、ゆっくりとソファに置いた。そして師の顔に手をやりながら、こちらに背を向けながら

 「ごめん…和麻。今日は2人にして……あんたを見ていて喚かないって言う、自信がないの…明日にはきっと……」

 いつも快活で感情豊かだった母が、何の感情も感じられない声でつぶやくのを聞いて僕は2階の自分の部屋で荷物をまとめて金を持ち、家から逃げ出し、次の日の朝一番の便でアメリカに渡った。



 そしてアメリカで人形と替わり、俺は2年間大学の寮で生活していた。母からくる手紙−電話は置いてなかった−を無視しながら……その母が生贄にされるため攫われたと知って、その場所に真正面から何の準備もせず殴りこんだ



 その部屋にいる十数人の者たちの表情は、狼狽と平然の真二つに分かれていた。さらに言うならば驚愕の表情をしている者は位階の低いもの、平然なものは位階が高い2人の者となっている。

 「第8防壁突破されました。使い魔達との連絡取れません」

 「フェイ師との連絡取れません。反応もないため、おそらく……」

 狼狽の表情の者達が平然とした者達に対して報告するが、彼らはそれを聞き流しながら

 「何者だ…、ここは我らの領地なのだぞ」

 長く白い髭を膝まで伸ばした老人が言えば、隣にいる水晶を左目にはめ込んだ男が

 「仙術を使っているらしい、大したものだ。襲撃を受けるまで気付かないとは…」

 皮肉げに唇を歪め、監視の者−フェイ−の無様さと襲撃者の実力を認めた。それを聞き、頷きながら老人が言う。

 「いや、いや強いが、若い。羨ましいことじゃ。が、正面から突っ込んでくるとはな、愚かか、余裕がないかのどちらかじゃが……ま、どちらにせよ、目的は生贄じゃろう…」

 「……八神直人は、死んだはずだが…」

 恐れさえ含んだ水晶の男の声に、いつの間にか現れたプラチナブロンドの長い髪をした男が

 「ふむ、それは間違いではないが、どうやら弟子がいたようだ…」

 「「議長…」」

 と老人と水晶の男が同時にいい、頭を僅かに下げた。そして、老人が

 「ヴェルンハルト殿、貴公知っておったのか?」

 疑念を含んだ声で言うと、水晶の男が頷きながら

 「評議会員の我らにも、あの化け物の後継者がいると教えなかったのであるならば…これは、貴方の失策となりそれ相応のことをして頂くことになるが……」

 怒気を含んで言うと、ヴェルンハルトは溜息すらつきながら

 「君達を買いかぶっていたのかな…八神の名を持つものがいかに仙人たちから孤立しているかは、君たちほどの位階を持っていれば聞いた事があるだろう。だとするならば…」

 「失礼した、議長。確かにその通り、他の仙人が八神のために攻めてくるはずもない。そうなれば、弟子以外にない――そういえば貴公何故ここに?貴公は、アーウィン様のお相手をさせて頂いていたのでは…」

 「それは……」

 「つまり、私が相手をしたいんだ……これほどの風を持つのに仙術を使う者、興味がある……ヴェルンハルト、他から来るかもしれない、それに備えてくれ」



 その男が現れた瞬間、その部屋にあった喧騒は瞬時に止んだ。

 そしてヴェルンハルトが一礼して、空間転移でその場から消えると同時に総ての者が、後ずさり恭しく膝をついた。そして、先ほどの3人以外はその男を直接見ることが出来た幸運に、涙ぐみすらしている。彼らの男を見る視線は、神に対して崇拝するもの以外の何物でもなかった。水晶の男が全身に崇拝の念を漂わせながら

 「アーウィン様、アーウィン様が…じきじきにお相手などせずともこの、ホドラムにお任せいただければ……」

 言うと、アーウィンは誰もが魅了される笑顔を浮かべ、優しく

 「君を見つけたときと同じなんだ、ホドラム。稀に磨けばすぐに光を放つ原石を見てしまうと、すぐにでも磨きたくなる。だから邪魔しないでくれ……それにもうすぐ来る」

と言いながら、跪くホドラムの髪に己の唇を押し付けるアーウィンに、ホドラムは恍惚とした顔になり子犬が主人に対する態度でいった。

「は、はい!」

  

 アーウィンがホドラムから一歩離れた瞬間、恍惚の表情を浮かべていたホドラムの体が―――はねた。

 (なっ……!どうし……)

 驚き、ホドラムの体を見ようと右に一歩踏み出したことが――――――老人の命を救った。先ほどまで老人の心臓があり今左腕がある場所に鏢が刺さり、老人の腕をミイラにしたのだから

 (っ……何事!!)

 老人が倒れながらも自らの腕と周囲を確かめ、魔力を集め始めた時には、部屋にいた者達はミイラ化するか、肉体が内部から爆発するか、体の上半身が溶け始めていた。いずれも、致命傷。

 (襲撃者!!……ア、アーウィン様!!)

 すぐに主の無事を確認しようとしたが……そこはなんらかの爆発による煙が充満しており、主の姿は見えなかった。そして、視界に人の限界を超えた速さで動く黒い影が見えた。それはこちらを一顧だにせず、生贄の居る部屋への扉に向かっていた。が、それは扉の前で弾かれたように、前方に呪符を投げながら、地を這うような跳躍で10mの距離を瞬時に下がった。

 (ば、馬鹿な……魔術師十数人が何も出来ずに……)

 ホドラムの体がはねてから、5秒足らずの間にそれは起きた。その一部始終を見て老人は〔獲物がなくとも走る、最強の狗〕の異名を持ち、仙人達に嘲笑と恐怖の視線で見られ、村八分の状態にある以外、全くと言っていいほど正体不明の者達のことをわずかに理解できた。

 そして、この異常なまでに卓越した襲撃者が引いた理由も……

 

 「驚いたな、まさかこれほどとは……」

 アーウィン・レスザールは、襲撃者が投げた呪符を目の前の空間に貼り付けたまま喜びの混じった驚きの声を上げた。

 「この年齢で……これほどの体術に気配遮断に仙術……」

 そこまで言うと燃え始めた呪符に照らされた顔に魅力的な笑みを浮かべ、殺された者達を意識にも止めず何百年も探した宝物を見る目で、目の前の片手にナイフを持ち返り血で血まみれの表情のない少年を見た。

 「さらに……風だけでなく雷という特殊な素質もある……すばらしい。星の巡りに、感謝を。今宵、極上の生贄と、これほどの才能に会えたことに……」

 誰に言うでもない言葉を、その唇から放ち続ける。それを聞き流してアーウィンの隙をうかがっていた少年だったが”生贄”という言葉を聞き、それまで無表情だった表情に怒りの色を浮かべ、無言で鏢を投げた――――――と同時に少年が吹き飛び、壁にめり込んだ。

 「無粋だね。感謝の最中に攻撃するとは――それに、何故風術を使わないんだい?君の仙術は見事だが……それだけだ。自らに合わせてさえいない、無様なもの……」

そこまで言うと少年が起き上がりながら、アーウィンを驚愕の視線で見る。が、すぐに低く獲物に飛び掛る肉食獣のような構えを取り直した。それを見てアーウィンは、微笑みながらも呆れたように

 「ふう……仕方ない。少し、相手をしてあげよう……来たまえ」



 それから、五十数回に渡って……少年は複数の鏢を投げたり、姿がおぼろげにしか見えないほどの高速で斬りかかったり、呪符と毒を仕込んだ針を死体に混ぜ死体ごと投げ飛ばしアーウィンの目前で爆発させる等、様々な攻撃を繰り返した。が、それらの攻撃にたいして、アーウィンがやった事は微笑を浮かべながら立っているだけだった。そうしているアーウィンの目前で、鏢は止まり、斬りかかった少年の腕は氷により凍りつき、爆発した死体から出た針は消滅した。そして攻撃をする度に、少年の体は、腕や足がありえない方向に曲がったり、炎に包まれたり、内臓のみ粉砕されたりした。

 最初のほうは、少年の体が仙術の蒼い光に包まれ、数秒で回復していたが……三十回を過ぎるころには魔力が尽き始めたのか、ダメージが回復しなくなってきた――そのため少年の体は無数の傷からの出血とそれまでの返り血で真紅に染まっていた。そして、数ヶ所の骨折と内臓破裂のため、戦うどころか動くだけで精一杯だった。だが、それから二十回以上も攻撃を繰り返し、しかもその攻撃が全く衰えることがなかったのは、驚異以外の何者でもなかった。



 だが、とうとううつ伏せに倒れたまま動けなくなった。手足の骨は指一本に渡るまで砕け、片方の肺に折れた肋骨が刺さり呼吸音はヒュー、ヒューとしかいわない、そしてその呼吸と共に少量とはいえ血を吐き続けていた、背骨もイカレたのか下半身の感覚はない。が、それでもアーウィンの嗜好なのか顔には傷1つない。そのアンバランスさは、目を背けたくなるものだった。



 この時の神凪和麻の戦闘能力は、神凪厳馬に匹敵するものだった。が、相手が悪すぎた。



 通常、魔術や仙術を含む“異能の力”を銃に例えるならば、術者の霊力や魔力−名称は違うが、内容は同じ−を材料として、その種類・効果・射程距離を設定した“弾丸”を作り、その“弾丸”を標的に向かって意思・呪文・魔術道具等の“引き金”を引いて発射するのである。そうでなければ“異能の力”は具現されず、“世界−自然・物質界ともいう−”に起こらないの。そして、例え一般人でも“弾丸”が近くで作られれば、寒気・圧迫感・嫌な予感などで“知る”ことができる。もっとも、一般人を例え四流でも魔術師が狙って攻撃した場合は“知った”時にはもう攻撃が当たっているだろうが……そして、魔術師同士でも力量の差が大きければ、一般人と四流の魔術師よりも差が出ることもある。“知る”前に殺された魔術師は、それこそいくらでもいる。



 だが、神凪和麻とアーウィン・レスザールとの差は、確かにあるが……それは、神凪厳馬と重悟の差よりも少し大きいくらいだ。アーウィンが使い魔を使わず、しかも全力では無いというのもあるが……それでも、ここまでやられはしないだろう。

 では何故、ここまでの差があるかというと……アーウィン・レスザールという魔術師は“弾丸”や“引き金”を相手に悟られずに魔術が使えるようにしたのだ。つまり、アーウィンは相手がどれほど(例え自分より格上)の“存在”相手でも自身のの魔術が“知られない”という“ルール”を新しく作ってしまった。この“ルール”を使うと、相手からして見れば、アーウィンが銃を持ってないのに予告なしで弾が飛んでくるという訳の分からない状況となる。そして、かわすどころか、身構えることさえ出来ずにやられてしまう。



 アーウィン・レスザールは、“近代における世界最高の魔術師”と実際に彼に会った者達から呼ばれている。その所以は、魔術師としてのずば抜けた能力以上に、全く新たな“ルール”を創った功績によって、その“ルール”を知る者達から呼ばれているのだ。



 神凪和麻はその事をその時知らなかったが、相手が桁外れだということは理解できた。

 「ぐっ……が、あ……」

 それでもまだ戦おうというのか、体に力をいれようとする少年に

 「何故、風術を使わないんだい?君のように世界最高と言えるほどの才能豊かなものが、使わずにその才能を無駄にして、師の真似事というのはもはや罪だ」

 心底不思議そうに、魔術師は聞いた。

 (何故……だって……そんなの)

 その言葉を聞き少年は、思い出す。ずっと、炎が使えないというだけで、無能・能無しと蔑まれ続けた日々を……それが、突然ある男によって終わった。

 (ただ……嬉しくて……憧れただけなんだ)

 仙術を自分に教えてくれた、無表情だが優しく強かった師に。そしてその師は、自分が風術を使ったときに「風術を学んでみろ。それがお前には一番向いている」といい、仙術−師の半生をかけたもの−に拘らずに自分を伸ばそうとしてくれた。でも……自分はほんの少し修練すれば……どんどん伸びた風術よりも―――師が使っている仙術を学んだ。それが、愚かだとは分かっている……でも神凪和麻は、あの仙術使いに憧れたのだから……



 「まあ、いい。幸運なことにその罪は、消せる」

 少年の心境に頓着せず、魔術師は少年に笑いかけた。

 「―――君が、このアーウィン・レスザールのものになればな」

 「な…に…?」

  少年にして見れば、信じられない言葉だった。自分をものにするという言葉にも、驚いたが――ここまで部下を殺されながら自らを生かすということが、その意思が伝わったのか

 「君のような逸材を、殺すとでも……君に殺された者達全員よりも、価値ある君を?」

 “壊れたおもちゃなど要らない”としか取れない言葉を心底おかしそうに言う魔術師の言葉を聞き、部屋の片隅にいた老人の体が震えた――魔術師を失望させてしまったという、恐怖のために。

 そして少年の体を魔術によって、彼の目前に少年の顔が来るように空中に立たせ―――少年の口元の血液をその手でふき取り―――舐めた。

 「ふむ、血液からクローンを造れないようにする“術”を施しているが……」

 そこまで言い、さらに手についている少年の血を舐め取り

 「極上の貴腐ワインを上回るものがある――君の場合その体も愛する価値があるな」

 と、芸術品を愛でる目で少年の体全体を見た。それを見て、生理的な恐怖を覚えた少年だったが

 「ふざ…けるっ…なっ」

 とかすれて聞き取れない声だったが、断固とした意思を持って断った。

 「嫌なのかい?」

 驚いたようにいう魔術師に、少年は頷いた。それを見て魔術師は小首を傾げていたが、やがて頷き少年の方を見ながら

 「では、君の望みを1つ適えよう。何でもいい、言ってみたまえ」

 そう言われた少年の脳裏に浮かんだのは“母”の姿だった。

 最初会ったときに自分のことを私の子供といい――抱きしめてくれた母、いつも自分に優しく笑ってくれた母、自分に対して母親というものを教えてくれた母、師を殺した自分に3日と空けずに手紙を出してくれた母、それも見ずに机に仕舞っていたのは自分……母に会うのが恐いのに母が来てくれるのを待っていた――甘ったれた自分。

 「かあ……さん」

 いつしかそう呟いていた、その声を聞いた魔術師は

 「母さん……あの生贄の女のことか……あれがいいのかい?……いいだろう、体をいつか造るよ、それでいいかい」

 その造るという言葉を聞き少年は

 「つくる…だと?」

 「ああ、そうだ。君の思い道理に動くものを、造るんだよ……どうしたんだい?何か言いたそうだね?」

 「いま…の……かあさんは?」

 「ああ、あれがあのまま欲しいのかい……それは駄目だな」

 「な…ぜ?」

 そう声を絞り出す少年に魔術師は、明日の天気は晴れだとでも言うように

 「あれは、贄になることでその価値が生まれる。あれほどの価値のある贄は、早々いない。あれはそのために今まで生きていたんだ。――君が僕と共に在ることによって、その価値を得るように……」

 その言葉を聞き、神凪和麻はそれまでの人生で最大の怒りを抱いた。あの母がただ生贄などという下らないものになるために、これまで生きてきたなどと言われたことに

 (力が欲しい……)

 少年はそれ以外に、何も考えられなくなった。

 (目の前の男を――止めることの出来る力が)

 そしてその声に、残された魔力で呼べる量を遥かに超えた風の精霊が―――応えた

 「だからあの女は、今は渡せない……そうだ、君も儀式を観ていくといい。儀式が終わり次第、あの女の体をつくろ」

 そこまで話した、アーウィンの目前に蒼い風の刃が生まれた。その刃は油断していたとはいえ“世界最高の魔術師”の虚をついた



 「ぐ…あっ……」

 アーウィンの魔術から解放された和麻は、地面に叩きつけられ体に走る激痛にうめき声を上げながら、風の刃の衝撃により数mほど押されたアーウィンの方に目を向けた。

 そこには、風の刃が笑みを消したアーウィンの前にあるきらめく薄い壁と衝突していた。その衝突の余波−和麻を避けていた−により、近くにいた老人は反応も出来ずに切り刻まれた。そして、部屋中に振動と轟音が走った―――

 (効いてくれ…よ)

 もはや、頭を動かす力もなく、意識が遠くなりつつある和麻には、攻撃する余力などなく、ただ祈るだけだった。

 

 だが、祈りも空しく風の刃は壁に吸収されるように、消えた。

 「……く……そ……」

 囁くような罵声を吐き出した少年に

 「今の一撃は、素晴らしかった。ここ百年で、初めて傷を付けられたよ」

 と頬にあるかすり傷を刺しながら、賞賛の笑みを浮かべて少年に近づきながら魔術師は言った。そして少年の前で止まり

 「ますます、君が欲しくなった……でも、君はそのままだと何時までも私のものになりそうにない……調教が必要だな」

 そう言いながら、魔術師は右腕を少年の頭に向け、左手にビンのようなものを持った。

 それを見て、何をするのか?という疑問を抱いた少年に答えるように

 「君の精神を抜き取って、このビンに移す」

 その言葉の意味を理解し、恐怖の表情になった少年に

 「その通りだよ。体もなくなり、仙術も風術も使えなくなった君が、私のものになる時までこの中に居て貰う―――怯えることはないその間体は、ちゃんと成長させながら保管しておく」

 そう言いながら伸びてくる手が起こす、この男にいずれ服従してしまう事とそれまでの、発狂するに違いない全ての感覚が遮断され自分の意識の他何もない闇の事を想像して、少年は前者に嫌悪感を後者に凄まじい恐怖を感じて――求めてしまったのだ……“助けて”と―――母に



 「あんた!私とあの人の息子に、何してるのよ!!」

 その声が聞こえると共にアーウィンが光球ごと―――吹き飛んだ



 だが、少年はそんなものを見ていなかった、少年の目はその声を聞いたときから10m以上向うの扉の前で力尽きたように倒れている母だけを捕らえていた。

 服は着ておらず、その痩せた白い肌には青痣と傷口と白い液体が、至る所にあった。そして、アキレス腱が切られているので歩くことは出来なかった。(ここまでは、這ってきたのだろう)が、それでも母はこちらに対して微笑んでくれた。

 「ぐ……う……」

 状況は絶望的だったが、それでも微笑んでいる母の所に行こうとした。しかし、腕も足も動かそうとするだけで激痛が走った。それでも母に笑いかけようと母の方に向かって笑おうとした時――――自分の周りが白い靄で覆われているのに気付いた。その正体にも

 (これは、仙術の……空間……転移の前兆)

 そこまで考え、愕然とした表情で母を見ると

 「和麻……大きくなったわねー。もぅ、届いてたら手紙ぐらい返しなさいよー。」

 と、全く変わらない優しい声で微笑んでいた。

 「かあ……さん……なん……で」

 ヒュー、ヒューという音で消えそうな声を出しながら、ズルズルと僅かに進むごとに激痛が走る体で少年は進み続けた。

 「和麻、もう動いちゃ駄目よ―――会えてよかったわ」

 ボロボロの少年を止めながら、母は言った―――決別の言葉を。

 周りの靄はさらに濃くなっていく……母の言葉を正確に受け止めた少年は、風の力を借りようとしたが―――少年にそんな力は残ってなかった。

 「ふざけ……てるの……か」

 「あんたは生きなさい。あの男、もう抑えられない」

 その通りだった。アーウィンを押さえている場所から「待て……」という声が聞こえ始めていた

 「なん……で」

 師を殺してしまった自分を何故母は自分を犠牲にしてまで……

 「和麻、声に出してそんな事言うのは止めなさい。それに、何でって、あんたねぇー私があんたの母親だからに決まってるじゃない。」

 事も無げに笑いながら母は言った。そして、周りがほぼ完全に白くなった。その白い向うで

 「ありがとう、和麻。お母さんって呼んでくれて……あんたが、息子でよかっ―――」

 という、母の眠りにつく自分にいつもかけてくれた声が聞こえた



 

 目が覚めた時、包帯を全身に巻かれ、見覚えのあるベッドの上に居た。

 「ここは、シスター・アリアの孤児院……」

 そして体の調子を確かめながら

(体は、大丈夫だ……骨も内臓も回復している、これならすぐにでも動けるようになる……っ母さん!)

急いで部屋の中を見て――ベッドの横の台の上に直径1cm程の一度だけ空間転移を可能とする小さな黄色い玉を見つけた。それは、アーウィンを攻撃すると同時に母が自分に使ったものだった。その玉を持って理解した―――母はもういない、と

「そうか。そうだっ…たの、か………くっくくくくく、あーはっはっはっ……」

 狂ったように泣きながら哄笑した。母がこの場所に逃げる手段を持っている可能性を考えずに、考えなしに突っ込み半殺しにされ、挙句の果てに母の力を全部使わせて母を犠牲にしながら、のうのうと生き残った自分と自分の愚かさに……

 それから、十数分間狂ったように笑い続けると少し落ち着き

 (自己を犠牲になんか、して欲しくなかった……考えなしに突っ込んでいった馬鹿を助けになんて来て欲しくなかったよ―――母さん)

 そして、二、三分天井を見ているうちに

 (先生を殺して、母さんを殺したんだ……俺は……独りだ…もう生きていても……)

 そこまで考えたが、

 (馬鹿か!そうじゃ…ない…だろう、あの時母さんがくれた命を、捨てるつもりか俺は!!)

 自分自身に腹が立った時、ふと一人の男の顔が浮かんだ

 「なんだ……いるじゃ…ないか」

 そう凄絶なものを、声に乗せた。

 そう、いる―――あの、アーウィン・レスザールという男が、まだ、いる。母を生贄にした男が……生きている

 (奴を殺して、奴のアルマゲストも潰す!……奴が母を自分から奪ったように―――奴のも奪って…やる)

 この考えは、八つ当たりだ。自分で分かる……でも、自分にはもうこれ以外にない……

 

 (だが……奴を倒せるのか?)

 先日の教訓から、あの男を倒す手段とこれからすべきことを考えることにした。最初にあの男の強さを思い出しながら思う。全ての術は、効かなかった―――いや、止められた。それはまだ分かる、だが……

 (問題なのは……攻撃にしろ、防御にしろ、何やっているのか……さっぱり分からないってことだ)

 あれは、奴と俺とのレベルの差とかいうのじゃない……法則の違い、ルールの違いから来ている。あれを何とかしないことには、どうしようもない。だが無敵ではない、あの時の風術と母の攻撃を奴は防げなかった。 

 (油断している時には、まだ効くって事だな……なら、他の組織と戦闘中にして、その時に……だめだな、それじゃ足りない)

 他の組織とアルマゲストを戦争状態にするのは、一つの手段として使えるが……それも奴が

直接戦うところまで追い詰めるか、気まぐれを期待するしかない。

 (どれだけ、かかるんだよ。そこまでいくのに……)

 だが……正直奴の法則をどうのこうの出来そうにない……あれを、見ることも、感じることも出来なかった……まてよ、「見る」…だと

 「なんだ、見れるようにすればいいだけのことじゃないか――そういう能力を創ってしまえばいいだけだ」

 そう、それだけの話……法則自体をどうのこの出来なくても“見る”なら何とか……そしてそれには……

 「風術は絶対に必要だな―――第一、俺の仙術じゃ話にならない」

 そこまで呟くと和麻はベッドから起きながら包帯を解き、台の上に置いてあった真新しい服を着始めた。

 まず、自分の戦法を確立させる。今までの師の出来の悪いコピーではなく、自分の戦法を

 (アメリカでは、最低限の訓練しかしてなかったからな……)

 馬鹿な話だ、自分が強いと天狗になっていたのだから……風術にしても「術に上下はない」と常に言っていた師の言う事を聞かずに、距離を置いていた。

 (もう、遅いけどな……)

 その身の程知らずの自尊心と、愚かな拘りが母を死なせた。でも……

 「……今度は―――」

 そこまで呟き、和麻は自嘲した。今度は何だと…自分にもう一度なくしたくないものができるとでも……こんな自分に?

 自らを嘲笑いながら、和麻は部屋を出た。



 老女が立っていた。質素な服装ながら、ピンッと背を伸ばしたその姿には、若さと気品と人間としての格があった。

 彼女は、少年を待っていた。四年前この町のはずれに住む二人の子供になった、少年を……

六日前、突如自らの前に重傷の体で現れ、それから眠り続けていたのでそのまま治療し−もっとも、彼女がしたのは包帯を巻いたぐらいで傷は自然に急速に治っていった−先ほど悲鳴のような笑い声を上げていた少年を……

 そして、礼拝堂の扉から、件の少年が出てきた。その表情は、控えめに言っても“終わった”者の顔だった……絶望・憎悪・狂気・執念・焦操などの感情に支配され、自らの道が終わりしかないのに進んでいるものの顔。

 「行くのですか?和麻」

 その少年がそういう表情をしている理由を、悟りながら彼女は言った。

 そういうと、その少年はこちらに顔も向けずそのまま通りすぎようとした。ので、進路をふさいだ。

 そうすると少年は立ち止まりこちらに始めて気が付いたように、顔を――向けた

 (なんて、目を)

 このような目をした人間を彼女は良く知っていた、彼らはなん人の話も聞かずに進み自滅した。が、この少年はまだ、間に合う。なぜなら

 (止まってくれた……)

 ホッしながら、彼女は少年の「止めるのか?」という目を見ながら

 「ええ、もし貴方が、今から言うことを聞かなければ……止めます」

 そういう彼女を力ずくでどけず、彼女の言うことを聞こうとする少年に、今にも崩れ落ちそうな安堵を感じた。が、この少年がこの条件を飲んでくれなければ……この非力な身を賭けても止めるつもりで

 「貴方が、一年に一度ここに来て直人と詩織に会ってくれるなら、私はどきましょう」

 そう、少年に少しでも休める時間を与えたくて言った。すると少年は、握り締めた手を開きながらそこにあった黄色い玉を彼女に差し出した。それを彼女が受け取ったのを確認すると

 「先生の隣に―――」

 と言って、そのまま振り返らずに去っていった。

 

 彼女は少年の背中を見送りながら、祈った

 (天におわします主よ、私は罪深い者です。あの少年が多くの命を奪いに行くことが、分かっているのに止めないばかりか、それを望んでさえいるのです。だから、あの少年の罪の一端は私にもあります。ですから、その私にある罪の分だけ、あの少年に慈悲を。あの優しい少年を支えてくれるものと大切に思えるものに、めぐりあわせて―――)

 二人と過ごしていた日々の少年と、アメリカにいた2年にわたって匿名でこの貧しい孤児院に、お金を送ってくれた少年のことを……いつかあの少年に大切なものが出来たときにそのお金を返し、祝福できる日の来ることを祈った



 それから1年後、突然現れた少年は1本の蒼いしゃべる剣を教会に置いて二人の墓を見に行き。彼女はその間その剣と話し合い、支えるものが少年に出来たことに感謝した。







 『和麻…和麻…和麻』

 朧の声を聞き八神和麻は

 「なんだ?」

 『それはこちらのセリフだ、外を見ろ!』

 その言葉に従い、外を見ると和樹が服の重さと久しぶりに体を動かしたことで、転んでいるところだった。

 『13回目だ……何を思い出していたのか知らんがどうかしたのか』

 最後のほうに心配そうな声を聞き

 「いや、なんでもない……あっ、また転んだ」

 外の和樹の方を見ながら、そう呟く。転んだ少年はすぐに立ち上がり、また走り出すがフラフラしていて危なっかしいことこの上なくすぐにでも転びそうだ。が、そろそろ海が近いから課題に気付くころだと判断した

(今年は、和樹もシスターに会わせるかな)

そう考えると、自分でもよく分からないが少し楽しくなったので部屋の椅子を魔術で直し、朧に部屋を出ると、声をかけようとした時。

 

 『和麻……聞いていいか』

 と、朧が聞くと和麻はどうかしたのかというニュアンスで

 「ん」

 『あの、和樹に渡した砂みたいなものは……和樹の両親の遺体のか?』

 「ああ、気付いたのか、ついでに採ってきた」

 そう、なんでもないように言う和麻に、朧は笑いたくなってきた。

 ガレキの山から、ぐちゃぐちゃになった数ヶ月以上前の僅かな故人の気配を掴み、あれだけの量を集める。

和麻だからこそ出来たことで、他の風術師なら離れ技もしくは、不可能の領域だ。それに和麻もできる、というだけで、難易度はえらく高く、疲労度も高い。断じて、“ついで”などでは済まされない。

『ついで……か』

「なんだよ……何かいいたいことでもあるのか」

自分が、気付いたことを悟ったのか少し拗ねたような、年相応の声を出した、和麻を見て

『いや、なんでもない』

自分のときもそうだったが、この色々と欠点の多い少年の中には、2年間のやさしい時間で育まれた‘‘優しさ‘‘がある。

それを「悪い」と言う者もいるだろうし、神凪の初代に和麻が今だ及ばない理由の一つでもある。

だが朧はそんな“優しさ”を捨てきれない少年のことが好きだったし、これこそわが主だと、誇りを持って“王”にさえも言えた―――本人には死んでも言わないが



「そういや朧、俺もお前に聞きたいことがあった」

『ああ、なんだ』

平静な口調で聞いてくる主に、朧は充足感を含んだ声で言った

「ぷにぷに、ふわふわ、止めに健気ってどういうことだ?」

主の平静だが何かを耐えるような口調で―――とりあえず死を覚悟した

『い、いや、和樹の頬がな、触れたらぷにぷにしてそうで……ちょ、ちょっと、待て和麻、最後まで話を……ああ、聞いてくれるのか。で、な和樹の感じがな……こう、ふわふわしてるような……って、おいなんだ!その腐女子って、私は基本的に男だぞ……まあ、お前が変えようと思えば女にもなるが……ああ、うそ、うそです。冗談です、だからそのイイ笑顔をやめて…ください。ねえ、え、話を続けろ、分かったもちろんだ、だからそんな顔を……それで、和樹は健気だろう?そうだよな、お前もそう思うよな!だから、あの子犬のような表情でいられるとすりすりしたく……な、なんだ、その壊れたようなものを見る目は、え、修正が必要、修正って……いったい何を?―――ま、待て和麻。あそこは嫌だ、止めてくれ……止めろといっているだろう!この鬼、悪魔、外道、サド野郎ー。え、何、ためらう気持をなくしてくれてありがとうだと。嘘をつけ!嘘を!!ためらいなど…最初から―――いえ、冗談です。主は心の優しい方です、本心から言っていますって、嫌ー、誰かー、たすけっ――何かいる、何かやばいもんがああああああああああああ………』



そんな狂騒をよそに式森和樹は走っていた。

一歩、進んだら、すぐに転ぶという繰り返しだったが―――それが、楽しく気持ちよかった。

走り方は知っているが、自分の足で走った記憶がほとんどない和樹にとっては自分の足で動くということが新鮮で、楽しかった。転べば、痛みがあるが、その痛みでさえも自分が地面を歩いている証明のような気がして楽しかった。

そして、二十四回目に転んだとき指先に冷たいものが触れて式森和樹が顔を上げると

そこには夕日で赤く染まった、地平線の向うにも続く海がみえた。

(水……いや、海だ……)

しばらく、その風景を見ていると潮が満ちてきたのか足まで水がきそうだったので驚いて下がった。

式森和樹にとって、水は恐怖そのものだった。ずっと水に満たされた水晶の中にいた少年の反応としては当然だったが、和樹は水に触ろうと震えながら手を伸ばした。

(先生に……触って来いって言われたし)

少年にとって水に対する恐怖より、師に対する信頼の方が大きかった。そして―――触れた。

冷たいけど暖かい、そんな矛盾した感想を少年は持った。

(あれ……僕……泣いて……なん…で)

海の水は、あの生暖かく気持が悪い水晶の水と違い冷たかった。

凍えてしまうほどに、でも―――生きている、という感じがした。そのため和樹は泣いた、母なる海の暖かさに―――



 そのまま、しばらく海に手を浸していた和樹だったが、ふと思いついたように立ち上った。

 そして、振り返った視線の先に師が立っているのを見て―――答えが分かった。

 だから、そのまま走り出した。重さにつまずいたが、転ぶまいと重い、耐えた。師が見ている所で、転びたくなかったから

 和樹はゆっくりと走った、師に答えを言いに

 

























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