式森和樹が意識を取り戻し、目を覚ました時の最初の言葉は
「知らない、天井だ」だった。
その言葉を聞くと椅子の上にある剣が
『ああ、そうだろうな。おはよう和樹、意識ははっきりしているか』といった。
しかしその声を聞いても少年がぼんやりとした顔で辺りを見回すだけなので剣はその声を
『体を起こして、目を覚ませ!!』と少年の意識の中に直接叩き込んだ。叩き込むと少年は上体をはね起こして
「うわっ!え、あれ、ここは・・・水は・・チューブは」と不思議そうにつぶやいた。起きた少年の目を見て《混乱しているのだな、無理もない。落ち着くまでしばらく待ったほうがいいな》と判断してしばらく黙って見ることに決めた。
数分間少年は訳の解らない唸り声を上げていたが、落ち着いてきたらしく手を握ったり開いたりするなど体の調子を確かめ始めた。そうしているうちに何かに気づいたらしく、周りを何かを探すようにきょろきょろと見始めた。最初はまだ落ち着いていたが、少し経つと不安そうな顔になり、さらに経つと泣きそうな顔と声で
「先生、どこ・・・先生、どこにいるの」と和麻を呼び始めた・・・和麻だけを
《私は、眼中になしか・・・2日間ここに居て守っていたのに》とすぐ傍に居るのに、気づかれない自らの存在の薄さに剣は泣きたい気分になった。そのため剣は少しすねてもう少しこのまま黙って、意識を少年から外すことにした。そうしている内にだんだん声も小さくなっていき
「先生・・ひっく先・・生・・どこ・・・出て・・きて・・よ」とほとんど聞き取れない声で懸命に和麻を呼び続ける少年の声が聞こえたため、さすがに居た堪れない気分になり少年の方に意識を向けた。
するとそこには、今までとは違う世界が広がっていた。それは、つぶらな目一杯に涙を浮かべていた。そこから零れ落ちた涙が、柔らかい頬を濡らしており今にも泣き出しそうだった。手は、体の前にあって震えていた。いや体全体を震えさせながら、周りを見ていた。それでも必死に唇を結び、呼び続ければ和麻が来るというようにかすれた声を一途に出し続けた。その健気で可愛らしい少年を見て剣の中で何かのスイッチが入り
『ぷにぷに!ふわふわ!萌え萌えー!!!』と剣自身、訳のわからない魂からの叫びを上げた。それを聞いて、和樹はビクッと体を震わせ
「うっ、えっく、ううう、だ、だれ」と怯えたように言う少年に、剣は自分が神の作品を汚した罪人のような心境にさえなった。
その時、ようやくそこで剣は自らの思考の異常に気づくと《何だ、一体どうしたのというのだ、何故こんな訳のわからない思考を・・・そうか和麻だな、和麻が何かやったのだな、いやそうに違いない》錯乱したのか、自らの好みを認めたくないのか理由を人のせいにし始めたが
「だ、だ・・れ、だれ・・なの」としゃくりあげながら必死に誰かを探す少年を見て、冷静さを取り戻し
『私だ』といつも通りの精神状態で−少し怪しかったが−いった。
「どこ・・にいるの、それにっ・・私って・・誰」と涙を拭きながらいう少年に《もしや、私のことは覚えてさえいないのではなかろうな》という悲しい疑問に囚われたが、それを意識の外に追い出し
『君の横の椅子の上にある剣が、私だ』
「えっ・・・あ、あなたは先生が持っていた剣ですよね」と剣の方を見て自分の知っているものに会えたからか嬉しそうに言った。
『ああ、そうだ。おはよう和樹』と少年がどうやら自分の事を覚えていたようなのでこちらも嬉しそうに答えた。
「はい、おはようございます・・・あの聞いていいですか」
『なにをだ』
「僕はどうしてここにいるんですか。それに先生は、どこに」
『君は、和麻の手を取った後、急に倒れたのでここで休ませたんだ』
「そうなんですか、すいません」としゅんとした顔で謝る和樹に
『気にしなくていい、謝るのはこちらのほうだ。君は、倒れて当然の体だったんだ。あそこまで意識があった方がおかしかったのに、私も和麻も気づかなかったのだからね。それと和麻は・・・』と剣は、和麻が今出かけており、もうそろそろで帰ってくることをその理由―話したとき少年の顔がこわばり、俯いてしまった―も含めて少年に伝えた。
『という訳だ』と俯いたままの少年に向かって言った。その少年を見て《この年で泣き喚いたり茫然自失したりしないならば、上出来なのだが》と思っていると、その少年は顔をあげ
「聞きたいことがあるんですけど聞いてもいいですか」とこちらを真っ直ぐに見て言った。それを見て《立ち直りの早い子だな。それとも自制したのか、どちらにしろ大したものだ》と感心した。
『ああ、かまわない。何だね』と何かを聞いてくることは予想していたので、まったく動じずに剣はいった。
「その、あなたのお名前を教えて貰いたいんですけど・・」という、和樹が最初に聞いてくるのは和麻のことだと予想していた彼にとって、少し予想外の質問だったが、それで動揺はしなかったし、自分の名を最初に聞かれたことに嬉しくなった。ので、少し弾むような口調で
『私の名前は[朧月夜]という、君の師と契約した時の夜の空から、つけられた名前だ』
「先生が、ですか」と師という単語に反応する少年を微笑ましく思いながら
『ああ、そうだ。もっとも君の師は、私のことを[朧]とだけ呼んでいる。私もそう呼ばれるのが好きなので、君もそう呼んでくれ』
「解りました。朧さんでいいですか」
『いや、ただ朧と呼んでくればいい』
「はい、解りました。それじゃあ、えっと、朧さ・・いえ、朧」
『ああ、何だね。』
「これからよろしくお願いします」と微笑む和樹に
『こちらこそよろしく』と朧は優しくいった。
それから少しの間、朧は和樹と取り留めの無い話をしていた。そうしている内に和樹の1年以上もつらい日々を送ったにしては、影の少ない優しい性格や、物事を意外とはっきりと言うことがわかった。−それも和麻に会って、感情を取り戻したからだろうが−そして朧は和樹に
『・・・で、次の質問はなんだい』と言った。そうすると和樹は少し暗い表情になり
「あっはい、あの・・・朧は、僕が先生に教えてもらうのに反対していましたよね。今は・・・どうなんですか」と言った。
『ああ、最初はね。君を疑っていたところもあったし、和麻もまだ13だから、人1人育てるのは無理があると思ったからね』と朧が言うと和樹はますます暗い表情になった。
「じゃあ、今も・・その、反対ですか?」
『今は反対ではないよ、むしろ大賛成だ。それに、君は私が反対しても和麻の弟子になるだろう』と少しからかうようにいうと、和樹は少し笑って
「ええ、もちろんです」と力強く言った後、少し思い出すような顔をして
「あの、僕の疑いって何だったんですか」と聞いてきた。そのことを言われ朧も和樹に言うべきことがあったのを思い出し
『それについては、私は君に謝らなければならない』とすまなそうに言った
「?何を、ですか?」
『私は君が奴らに催眠をかけられて和麻を害そうとしているのかと疑っていたので、君の頭の中を見させてもらったんだ』と朧が言うと、和樹は奴らという言葉に少し顔を歪めながらも笑顔を浮かべ
「でもそれって、あいつらに何かされているかもしれない僕と、僕に何かされるかもしれない先生を心配してやってくれたんですよね。だったら僕はお礼を言うべきじゃないんですか」確かに少し驚いたけどと、笑ってこちらに言う和樹の顔を朧は見ることができなくなり
『いや、誰かの頭を覗くというのは、やってはならない行為なんだ。特に君のような幼く、何の精神訓練も受けてない子には・・・それに私はただ催眠の有無を調べるだけではなく、好奇心のまま君の記憶を見てしまった。申し訳ない』と、自らの行為をただ恥じながら言い、少年からの罵倒を待った。しかし、いつになってもそれが来ないためどうしたのかと思い、そろそろと和樹の方を見た。そして和樹が
「記憶・・僕の・・・記憶」と少し虚ろに呟くのを見て、自らの愚かさを呪いたくなった。
式森和樹には、アルマゲストに捕まるまでの記憶をほとんど失っていた。一般常識は、覚えているし、喜怒哀楽の感情もあるのだが・・・その家族、友人、住んでいた場所等の記憶は全て忘れていた。自らの名と、顔も分からない少女以外は・・・
《なのに、私は・・・》と朧が自己嫌悪に陥り、どうすべきか悩んでいたら、和樹が朧を掴み上げその蒼い刃に自らの顔を映すと
「朧は・・朧は僕の記憶を見たんだよね!!なら、教えてよ。僕のお父さんとお母さんの名前はなんていうの、どういう顔なの。それに僕の住んでいたところは、どういう所なの。それに、あの女の子は誰なの」とすがるように叫んだ。
『そ、それは・・』
「どうなの!!」
『すまない、和樹・・・私には分からなかったんだ』
「どうして、だって僕の記憶を見たんでしょう。なら・・・」と必死に朧を見ながら言う和樹に対して
『・・・何も、見えなかったんだ』と搾り出すような声で言った。
「それってどういうことなの?なんで見えないっていうの?それに僕は何で何も覚えてないの?僕はもう思い出せないの?」と泣きそうな声で言う和樹に
『・・・分かった。私の分かった範囲でいいなら話そう・・辛い話になるし嫌なことも思い出すだろうが構わないか?』といった。
和樹が頷いたのを確認すると朧は語り始めた
『まず、何故和樹が記憶を失ったかだが・・・』それは、和樹の父親が死んだときだった。目の前で父親を殺された和樹は、その父に、死の直前まで止められていた「魔法」を2回使った。1回目で父の周りにいた、10人ほどの魔術師を殺した。そして続けて2回目で数人の魔術師を巻き込みつつ建物の1部を崩壊させ、結界に穴を開けた−結果としてそれによってアルマゲストの本拠地が判明し和麻が攻め込む要因となった−が、その2度に渡るあまりにも強力な「魔法」の使用と父の死に、和樹の幼い精神は崩壊直前となった。その精神の崩壊を防ぐために、和樹の精神はひとつの選択をした。つまり
「今までの僕の記憶を・・・」と虚ろな瞳で、ぼんやりとした口調だが理解した様子の和樹に朧は
『ああ、それと・・・これは一時的だったが思考能力の大半を・・・』と何とか言い切った。それに和樹は
「そう・・・ですか、そうだったんだ・・・」とだけ言った。
『あ、その、和樹・・・』ともごもごと言う朧に、和樹はあきらめたような声で
「じゃあ、もうもどらないんですね・・・僕の・・記憶」といった。それを聞いて朧はこれから言うことが、気休め以外の何者でもないことを知りつつ
『いや・・可能性ならある』といった。その朧の声を聞くと和樹は
「え・・・えっ、有るんですか、方法が・・・」と期待に満ちた声を出した。が、朧は苦々しげに
『あくまで可能性だが2つほど、な・・・、1つ目は幻想種の力を借りることだ』と言った
「幻想種?それって竜とかのことですか・・・」
『ああ、それ以外にも色々いるが・・・その中の精神を司るもの達の力があれば・・・』
「どこに、いるんですか」と期待の目でこちらを見る少年に
『分からない。いるということは確かなのだが・・・どこにいるかは・・・それに会えたとしても力を貸してくれることは・・』と呻いた。それを聞いて残念そうにした和樹だったが
「そうなんですか・・・でも、会えるかもしれないんですよね。であと1つは・・・」と聞いた
『こちらは、さらに難しいかもしれない・・・』
「えっ・・・」
『君のいた世界に戻り、そこを見て知っている人間に会ったり、場所に行けば・・・だが、平行世界に行くなど奇跡の領分だ、おそらく無理だろう』
「それじゃあ、やっぱり・・・無理なんだ・・」とうつむいたまま動かなくなった和樹を見て朧は《このままでは、また和樹の精神が異常を起こすかもしれん、どうにかして話を逸らさければ》と悩み始めた。そして和樹が今一番興味を起こすであろう、朧の主の話をすることに決めた。話すつもりだったといえ主の過去をこのような場合に話す、自らの無力さを嘆きながら
『和樹』と呼んでも反応の無い和樹を見ながら話を始めた
『和樹、今から一人の少年の話をする・・・13年前、神凪という炎術師の家で、神凪厳馬と神凪深雪の間に炎を使う才能が無く生まれた、神凪和麻という少年の物語を・・・』
「えっ・・・和麻って・・・先生の」とようやく反応が返ってきた少年を見ながら・・・
5年前、広大な屋敷の裏にある庭で突然少年の絶叫が響いた。
「ぎゃああああああ」と叫ぶ少年の左腕は、赤い炎に包まれている。その炎を消そうと地面をのたうちまわる少年を、見ながら何人もの子供が楽しそうにおもちゃを見る目で笑っている。
「あははは、見てよあれ、踊ってるよ」
「下手だな〜もっと上手く踊らせてやろうぜ」
「じゃあ、私がやるね。えいっ」と、少女が言うと同時に小さな火が、地面を転がっている少年の足に当たった。さらに地面を転がる少年を見て
「あはは、当たった、当たった」
「上手い、上手い、じゃあ次は俺ね」
「え〜次は僕の番だよ、抜かさないでよ」
「しょうがないな。じゃあ一緒にやろうよ」
「そうだね、じゃあ皆も1、2、3、でやろう」それから、しばらく少年は炎で焼かれ続けた。ある程度満足したのか、少年に対する攻撃が落ち着いた時彼らのうちの1人が
「そういえばさ〜、こいつこれからアメリカに行くんだってな〜」と言い始めると周りの幼い子供たちが
「あ〜、聞いた、聞いた。なんか向うの大学って所から来いって言われたんだろIQってやつが高いから」
「そうらしいよ。だから、こんな奴のために宗主がアメリカに行ってるんだろ。明日、帰ってくるらしいけど」
「だってな〜、炎術も使えない能無しが何故って父さんが言ってた」と、彼らのうちの言葉の意味も分からない小さな子供は言い始めたが、大きな子供たちはそれを聞いてある表情を浮かべた・・嫉妬という表情を。
神凪一族において、分家と宗家の力の差は巨大だ。分家のものが彼らのやり方でどれだけ努力しても、宗家の中では1番下の者にも及ばない。そのため、分家のものは自らの役割を知る−大神雅人などの−者たち以外は、宗家の者に対して服従して忠誠を誓いながらも、同時に強い嫉妬と劣等感を抱いている。そんな彼らの前に宗家に生まれながらも、炎術の才能が無い少年が生まれた。その日以来、彼らは少年を見下すことで宗家に勝るという快感と優越感を抱くことができた。が、その炎術が使えない少年の頭脳が、自分たちより遥かに高く評価されている事を屋敷に留学のことを伝えに来た日本政府の役人によって知らされ、それを喜んだ宗主自らがアメリカに行った。そのため彼らの優越感は傷つけられ、少年が同年代の誰よりも「気」と「体術」に勝っている事実−今まではそれも嘲笑の的だった−に気づかされてしまった。そのためこの日、少年は彼らの宗家を上まっているという幻想を守るために徹底的にやられる事になった。
「おい、そいつを立たせろ」と一番大柄な少年がいうと、周りの子供がその少年を引きずり起こした。それからその大柄な少年は傷だらけの少年に
「お前さ〜アメリカの大学に呼ばれたからって、いい気になってるんじゃないだろうな」といった。それに反応しない少年に、周りにいる子供たちが盛んにその少年に、国が認めてもお前なんか誰も認めてないだの、無能の癖に生意気だとか、どうせ行っても恥をかくだけだと言い始めた。それがその少年に対する嫉妬の現れだと自覚無く。それだけ言われても反応がない少年が反応したのは、ある少女が言った
「あんたが死んでも、誰も気にしないんだから。厳馬様も深雪様も宗主も清々したって、言うに決まっているんだから」という一声だった。その声に対して少年は怒りの表情を浮かべると
「だま・・れ」といい、その少女に掴みかかり顔を殴り始めた。血だらけの表情で凄絶な眼光を浮かべながら少女の顔面を殴る少年に、周囲は呆然としたが、その少年が少女を放り投げ、少年のすぐ傍にいる2人の子供を殴り飛ばし、さらに1人の子供に殴りかかったことで、ようやく1人が気を取り戻し、炎を撃とうとした
「こ、このやろっ・・ぐぶっ」が、その前に少年が子供の顎に掌底を叩き込み、その顎を砕き、舌の先をちぎりとばした。それを見てようやく他の子供が炎術を使おうとしたときにはさらに3人がやられていた、その時先ほどの大柄の少年が
「て、てめえ、死んじまえ」と絶叫してその炎が少年に当たったが
「な、なんで」その炎が少年に当たって消えたのを見て、呆然としている間に殴り飛ばされた。そしてそのまま、その場にいたほかの子供を全員殴り飛ばし、その少年は気絶した。
もし、子供たちが慌てていなければ気づいたのかもしれない。少年の体を包んでいる魔力に・・・慌ててなくとも気づかなかったかもしれないが
その後、子供たちは分家の手により治療が開始されたが、一番の重傷を負った少年は、彼の父が仕事−少年の留学のことで学校の応接室で、文部省の役人と担任の教師とで話し合っていた−から戻り、少年がいないことに気づき妻や使用人に聞いても何も答えないので胸騒ぎを起こし、自らの足で−私事なので風牙衆は使わなかった−雨が降り始めた敷地内を傘も差さずに探して、傷を負って倒れている少年を見つけるまでそのままだった。すぐに父は息子を抱きかかえ、応急処置を施しながら治癒魔術が使える治癒者の所に行った。が、そこで分家の者達と治癒者が口々に
「厳馬様。申し訳ありませんが今は、他に治癒する者達がいるので和麻様は後になります」いう言葉を聞いて、全て理解した。自らの息子が馬鹿どもを返り討ちにしたという事と、こいつらに治癒を任せると息子の身がまずいということが・・・そのため彼はそれ以上馬鹿を相手にせず、息子を抱きかかえたまま近くの病院に駆け込んだ。
3日後、少年は目を覚ましたが、発見が遅かったため左腕の感覚が失くなり動かせなくなっていた。それから5日間その少年は、病室−個室だ−のベッドから天井を見続け、誰も来ない−厳馬と重悟は最初の3日にきたが、和麻は気付いていない−ことである考えに至ってしまった。あの少女が言った通りに自分が死んでも、父も母も伯父も清々したと思うのではないかという、暴れて抵抗してまで否定した考えに。そして今まで何時も自分が愛されていないのではないかという疑いを常に抱き、常に恐れていた少年はその考えを受け入れてしまった。そしてそれは、あの優しい伯父も来ないことで確信になってしまった。つまり、自分は誰にも必要とされてないと・・・。それからその少年はずっと病室の中で、窓の外の空をぼんやりと見るだけになった。
その状態が変化したのは、さらに1週間が経ち少年に
「どうした、少年」と1人の男が声をかけたときだった。医者の声ではない声を聞いて(誰だろう)とそちらを見た少年は、静かでまったく動かない表情をした黒い服に身を包んだ男に見つけた。
そしてその男がこちらの左腕を見て「神経まで焼けているな・・・」とつぶやきながら手をかざすと、体が温かさに包まれると同時に腕の感覚や体の火傷が癒えていったのに驚き
「魔術師・・・」と少年が呟くと、男は
「いや、私は仙術使いだ」という男に少年は
「仙術使い・・・仙人じゃなくて?」と聞いた。そうすると男は
「ああ、私は仙人ではない。ふむ、君は暇そうだな・・・」と呟いた。そして少年の返事を待たず
「君は何故そんな火傷をしたのだ・・・君は神凪一族の宗家のものだろう・・・それと君の事について怪我を治した例として教えてくれないか今、人を待っていて暇なのだ」と、まったく表情や声の調子を変えずに言った。その男の無言の迫力に押されて、少年は語りだした・・・
「・・・で、今ここにいると」
「はい・・・」と呟くように言う少年の額に男はいきなり手を置き
「えっ・・・あの、何するん・・・」と止めようとした少年の目をじっと見つめるとその顔を初めて歪ませ、
「まさかな、神凪がここまで堕落していたとはな・・・自分たちの一族が生んだ最高の原石を捨てるとは・・・まったく信じられん・・・が、私にとってはこれ以上ない素晴らしい機会だ」とこれ以上ないものを見つけたように言う男に、少々引きながら
「あ、の・・・」とまでいうと、男は少年の目を見ながら少年の肩に手をやり
「君は捨てられたといったな・・・では、私が拾おう」と、とんでもないことを言った。
「え、ひ、拾うって・・・」
「心配するな、君を取って食うわけじゃない、ただ私の業を継がせるだけだ」
「え、いや、だから・・・」
「食事などの心配も、要らない。私には女がいるから、彼女に任せればいいし、彼女は子供ができない体だから、君の事も可愛がるだろう。あと少しで、待ち合わせの時間だから、すぐに会うことになる。楽しみにしておけ」
「やっ・・、あの、だから」
「神凪にはばれない。これを使えば食事や睡眠やある程度の会話も行う、君そっくりの人形ができる。さらにこの人形が見たこと、聞いたこと、学んだこと等は回収したときに君の意識に移る。もっとも1120日しか持たないし風牙衆には、ばれるかもしれん。が、彼らは神凪を恨んでいるようだから教えんだろう」と、人型に切り抜いた紙を見せながら言う男に
「その・・・僕なんかを拾っても・・・なにかいいことあるんですか」とようやく言えた少年に男は訝しげに
「どういうことかな、意味が分からないが」というと、少年が堰を切ったように
「さっきも言ったけど、僕は神凪なのに炎術が使えないんですよ!!・・・例えどれだけ時間が経っても、どれだけ修行しても使えないんです。自分でそれが、分かってるんです・・・炎術が使えない僕なんかを拾っても、何もなりませんよ・・・僕みたいな能無・・」自分を卑下する言葉を言い始めたので、男は少年の言葉を途中で止め
「誤解しているようだが私は君に、炎術師になってもらうつもりはない。君には私が受け継いで育てた業を覚えて貰うのだから・・・それに君は炎術ができないことが、悪いことだとでも思っているのか。だとしたら君は間違っている」
「違うん・・・ですか。だって、炎術師じゃない神凪なんて・・・」
「炎術など、精霊魔術というカテゴリーの中の1つに過ぎんよ。それに1つの物事でその人間を判断するのは大いなる間違いだ。それに私は神凪一族の和麻ではなく、和麻という無限の可能性を持つ少年を、私の手で育ててみたいだけだ。・・・では質問が終わりなら行くぞ、あまり待たせたくないし君を早く会わせたい」
そういって背中を向けて何かの準備をしはじめた男に、和麻は言い知れない気持ちを味わっていた。それは、喜びでもあり、嬉しさでもあって、そのどちらでもなかった。そういう気持ちを抱いている和麻に、男は振り向いて
「忘れていたが、私の名は八神直人だ。人形に使うので、君の髪を1本くれ」といった