「美神さん!!」
いつもの見慣れた扉を思い切り開く横島。
入った瞬間目に飛び込んできた美神令子の事務室。
その中央部分に置かれたガラス張りのミニテーブルの上に、ちょっとした岩ぐらいの大きさの『何か』が置かれているのが見えた
。
全く見慣れない『それ』は、一体何なのか?
考え掛けた彼の背中を、冷たい何かが走る。
漠然とした…だが確実に、『恐怖』と理解することの出来る感覚。
『やばい!!』
思った瞬間に、横島は開いた扉のノブから手を離し横へと飛ぶと、すぐに視界からは扉の向こう側の様子は見えなくなる。
その向こう側から……
GS美神極楽大作戦
『エイエン』
第4話 黒い置き土産
横島が全力でその場から来た廊下へと飛び退いたその瞬間…
『黒い線』としか表現の出来ない棒状の何かが飛び出し、すぐに見ることの出来ない背後の壁から「スタタタ」という軽快とも取れる
音が聞こえてきた。
扉の横で体制を立て直した横島が後ろを振り向くと…
「あぶねぇ…」
そこには、扉の中から伸びた幾つもの『黒い線』が、反対側の壁に深々と突き刺さっていたのだ。
もしもとっさに避けなければ…
三流スプラッタのような自分の悲惨な姿を想像し、思わず冷や汗がこめかみに吹き出した。
「横島! 今の音は…」
後から送れて到着したワルキューレ。
その後ろに続いて来る皆に向かって、「何とか」と手をぷらぷらと振る横島。
「美神は事務室にいたのか?」
側に駆け寄ったワルキューレの問いに、横島は顔を左右に振る。
「解らない。 一瞬見えた中には見えなかったと思う…
それ以上は…」
言葉を句切り、「あれに邪魔された」と黒い線…いや、黒い触手を指さした。
「あれは一体…」
続いて側に来た小竜姫が、剣を持ちながら黒い触手を凝視する。
「扉の前に立ったら反応するのか…
魔族…いや、魔力は殆ど感じないから違う…」
「くそっ! …ん?」
ワルキューレも銃を構えながら、同じように突き刺さったまま全く動かない触手を睨み付ける。
細い線のようになった扉を中心とした横島の視界の端に、何か動く姿が見えた。
「シルバーオウル卿!!」
視界の端に見えた『何か』に視線を向けると、そこには紳士服に身を包んだ男…シルバーオウル卿の姿。
すでに姿は元の梟頭に戻っている彼は、「すとすと」と触手に向かい歩み寄っていた。
「卿! 危険です、そちらに行っては…!!」
『……の神、名は巨乗』
止めようと声を上げたワルキューレを遮ったのは、オウル卿の呟き。
『北海の神、名は寓強』
いや…呟きと呼ぶには強い意志を感じる言葉だった。
「あれは…」
「どうしたんすか小竜姫様?」
横島が問いかけると、小竜姫様は「あれは…」ともう一度同じ言葉を紡ぎ出した。
「あれは……陰陽師が使う真言です」
「真言って…魔族が陰陽術を?」
「解りません…でもあの言葉は確かに…」
そういう間に、オウル卿は触手の脇へと到達しそこで立ち止まった。
「オウル卿!!」
『四海の大神、百鬼を退け凶災を祓う……急々如律令』
叫ぶワルキューレの声と、扉の向こうから飛びだしてきた触手。
そしてオウル卿の真言を唱え終わる瞬間…その三つが重なり合った。
猛スピードで目標を貫こうとする触手達。
だがその鋭い刃のような切っ先は、目標…シルバーオウル卿を貫くことは出来なかった。
シルバーオウル卿が『令』の言葉を口にした瞬間、足下から即座に現れた『もの』によって…
「水?」
横島はオウル卿の周囲を円筒形に囲む半透明の存在をそう表現した。
そう呟く間にも、『水の壁』は何度も繰り返し突き出される触手の槍を「ばちゅんばちゅん」と水音を立ててはじき続けている。
「やはり…」
オウル卿は、円筒形の中から部屋の様子を大きな瞳で凝視した後、どこか憎々しげに呟いた。
そしてステッキを勢いよく前…部屋の中に向け付きだした。
「ゆけ!!」
当然水の壁を突き破る杖の先。
すると円筒形を突き破った杖の先に水が集まり、激しい渦を巻いた水の触手…いや、『水の柱』が部屋の中に向け発射された。
一瞬見えた、先端部分が斧のような形をした『水の柱』が、扉の向こうへと消える。
次の瞬間、部屋の中から声にならないような耳障りな悲鳴が聞こえてきた。
あまりの嫌な音に顔をしかめる横島達。
視線の先で、壁に突き刺さった触手が「ばたり…ばたり」と、力を失い廊下へ落ちていく姿が見えた。
「ふぅ…大丈夫とはいえ、目の前まで攻撃が迫ってくるのは相変わらず恐ろしい…」
水の円筒形が下へと下がって行く中で、シルバーオウルは先ほどの横島同様こめかみを手の甲で拭う。
…もっとも、白い羽毛に包まれた状態だから拭ってもあまり効果はないと思うのだが…
「今のって…」
横島が先ほどの『水の壁』を思い出していると、シルバーオウルは「ん?」とその様子に気が付く。
「ああ、これは私の契約している『エレメント』さ」
「エレメント…フィフ」
「ちなみに5番目はないよ、残念だけどね」
先を読んだシルバーオウルは、にやりと笑った。
「錬金術の一つで作り上げられた魔法生物…とでも言えばいいのかな。
研究をしている時の手伝いや、身を守る時などの時のために作り出すんだよ。
四大元素の『炎水風土』のそれぞれの属性を持つ力に意志を与え、使役する…」
言葉を切り指を鳴らすと、再び足下から水が現れる。
今度は円筒形ではなく、螺旋を描くようにしてシルバーオウルの周囲を回り始めた。
「こんな風にね。
私のこれは自分で生み出したが、古代錬金術師によって作られたエレメントなら、その力は桁違いにさえなる。
しかも主を選ぶ時の好みが激しい者が多い、という話さえ聞くな」
猫の喉を撫でるかのように、細長く自分を取り巻く、水の先端のすぐ下を指で撫でるオウル卿。
「オウル卿、大丈夫ですか?」
ワルキューレが扉の横で銃を構えながら問うと、「大丈夫だ、問題ない」と答えを返してくる。
「それよりワルキューレ君、触手の元は絶ったがまだ何かいるかも知れない…
注意を」
シルバーオウルの言葉に黙って頷いたワルキューレはすぐに「ばっ」と部屋の中に転がり込む。
横島が首だけを扉の向こうに出すと、周囲に銃を向けつつ素早く部屋の中を確認する姿が見えた。
「危ないから首を出すな…これが先ほどの攻撃をしてきたやつか…」
横島を注意したワルキューレの視線の先……ガラス張りのミニテーブルの上には、『真っ二つになった黒い球体』があった。
質の良い黒曜石を磨いて作ったかのような、黒真珠のようにも見える『それ』。
その所々から伸びているグロテスクな触手がなければ、美しいとも思えたかも知れない。
「もう良いぞ横島」
銃を構えながらのワルキューレの言葉に、一応警戒しつつ事務室の扉をくぐる横島。
「美神さんは…」
早速横島達は部屋の中を確かめる。
だが元々マホガニーの机やソファー、今も割れた球体の乗った低いテーブルなど…
たいした遮蔽物のないこの部屋に、美神が隠れたりするようなスペースは存在しない。
「こんな家捜しみたいな事は、あまりしたくないですね…」
「仕方あるまい、非常事態だ」
床や壁を調べながら話し合うワルキューレと小竜姫の声を背中に、横島は調べ続ける。
念のため本棚の中を開けたりもしてみた…
だが、本人はもとよりそれ以外の痕跡さえも見あたらなかった。
「そうですね…こ、これは?!」
その時、机の下を探索していた小竜姫が驚きの声を上げる。
すぐに駆け寄ると、机の下で何かを凝視している小竜姫の姿があった。
「このゴミ箱の中…横島さんは離れてください。
婦女子のゴミ箱を覗いてはいけません」
「あ、すんません」
注意され机から数歩離れる横島は、机越しに聞こえてくる二人の会話に耳を傾ける。
厚い木製の机に阻まれた声はくぐもっていて内容は聞き取りにくいが…
かなり深刻な話のように、彼には思えた。
「横島…まずいことになっている」
机から顔を上げたワルキューレは、沈痛な面持ちで横島の方を向いた。
「どうしたんだワルキューレ」
そう問いかける横島も、とても嫌な予感を感じた。
そしてその『予感』を肯定したのは…
「美神さんは…魔族化が始まっています。
それも…すでに最終段階に突入していると思われます。
ゴミ箱の中に、大量の吐血をした後が見つかりました…」
ゆっくりと机から現れた、小竜姫のこの言葉だった。
「吐血は、大体最終段階で人間の肉体が壊れるときに起こる物なんです…」
「そんな…」
何を考えたらいいのか解らず、横島は呟くことしかできない。
「先生!」
思わず膝をつきそうになったその時、今まで姿の見えなかったシロが部屋の中へ走り込んできた。
「シロ? いままで何処に行っていたんだ?」
その声を聴いて、少し落ち着きを取り戻せた横島は問いかける。
「シロとタマモには、別行動で事務所中を探索してもらった。
この二人は鼻が利くからな」
シロが「えーと」と前振りを言いかけたのを遮るように、ワルキューレが説明した。
「そうだったのか…で、何があったんだシロ?」
気を取り直すように、横島はもう一度シロに問いかける。
「あ! そうでござる! 急いで来てくだされ!
鈴女殿が居間の方に……!」
「鈴女が?」
「おい、鈴女!!」
事務室より下の階にある今で、横島は掌にのせたとても小さな少女…妖精の鈴女に必死に声を掛ける。
だが何度声を掛けても、鈴女は目を覚ます様子がない。
見た感じ大けがをしている感じはなかったが、本当に大丈夫なのかどうかは素人の彼には解らなかった。
見た目血色はあるから、最悪の可能性は今のところない感じだが…
ワルキューレを事務室に残して横島達が駆けつけた時、壁際にしゃがむタマモが目に入った。
彼女が必死の形相で、『壁のすぐ横』に向けて掌をかざしているので、その方向を見てみると…
仰向けに倒れた、ぼろぼろの鈴女の姿があったのである。
「ヒーリングはしているんだけど、思ったより身体のダメージが大きいみたいで…
ヨコシマ、早く文殊で…」
心配そうにのぞき込むタマモの言葉に、「わかってる」と頷く横島。
すぐに鈴女に出来る限りの衝撃を与えないよう片手に移動させると、空いた方の手に精神を集中する。
すると掌に光が溢れ初め、その中心にビー玉ほどの小さな球体が出現した。
霊力を超高圧で凝縮し、そこに願いを込めることでありとあらゆる願いを叶えることの出来る玉石…文殊。
数世紀にわたって、一桁を超えることのない出現率をもつその特殊能力を彼は有していた。
「治癒だから…『癒』…いやすでいいな」
込める言葉を考え、すぐにその一文字を何も書かれていない文殊へと込めると、球体の中に『癒』の一文字が「すぅ…」と浮かび
上がった。
横島はそれを掌で素早く転がし、人差し指と中指…それと親指の三本で文殊をつまむと、それを鈴女の側にかざした。
「うまくいってくれよ…」
呟くとすぐに意識を集中させて、文殊の力を発動させる。
すると指先の玉から柔らかい陽光のような暖かい輝きが溢れ、鈴女の身体を包み込んだ。
「これでいけてると思うんだが…」
光が収まり、指先の文殊が消えたことを確認した横島は、鈴女の様子をもう一度見た。
どこか野性味を感じさせる服装は最初発見した時同様ぼろぼろではあるものの、全身にあった痛々しい赤い傷跡はすべて消え
ていた。
頭を寄せて耳を澄ましてみると、小さな呼吸音も安定しているようだ。
「大丈夫みたいだ」
同じように鈴女をのぞき込んでいた全員にそう告げると、すぐに三者三様のほっと胸をなで下ろす声が聞こえた。
「とりあえずベッドに寝かせるかして安静にさせないと…タマモ。
俺これから鈴女の家に連れて行くから、ティッシュか何かちぎってぬれタオル作ってくれ」
「鈴女専用の小さなタオルがあるはずだから、それを使うわ。
流石にティッシュはまずいわよ、ヨコシマ」
両手に鈴女を乗せなおした横島は、立ち上がりながらタマモにそう告げる。
タマモも同じように立ち上がり頷くと、扉の方へ歩き始める。
「タマモ、一応大丈夫だとは思うが気をつけろ。
まだ何かいるかもしれんからな」
扉をくぐり掛けたところで掛けられたワルキューレの注意。
確かにもしかすると、他の部屋にも何かある可能性は否定できない。
「いや…私も一緒に行こう。
ここは小竜姫と横島がいれば問題ないだろうからな」
ワルキューレは銃をチェックすると、タマモの側へ歩み寄った。
「…解ったわ」
ほんの数沈黙した後、とりあえずと言う感じで了解するタマモ。
まだあの二人は出会って日が浅いため、まだワルキューレの事を警戒しているようだった。
「一体美神さんは何処に行ったんでしょうか…」
鈴女をタマモ達が家へと連れて行く間に、残ったメンバーは事務室のソファーに座っていた。
全員の座る真ん中にある、低いガラステーブルの上には未だ真っ二つになった黒い球体が乗っている。
「さっきから調べてるんだけど、この事務所には痕跡も何も見あたらないのね…
人工幽霊も、自己修復状態で答えることも出来ないみたいだから…」
いつも持っているトランク型のコンピューターを必死で操っているヒャクメ。
「美神さん…」
ソファーに腰掛け、両手をうつむいた顔の前で組む横島。
強く握れば何かが変わるわけではなくて、ただ掌が痛くなるだけだ。
それは頭で解っていても、どうしても止めることが出来ない。
「……恐らく、東京の都会の中にはいないだろう。
奴は恐らく、どこか人里離れたところにいるはずだ」
「美神さんを連れ去った犯人をご存じなんですか?」
オウル卿の呟きに真っ先に反応したのは小竜姫。
今まで覗いていたヒャクメのコンピューター画面から、シルバーオウルの顔へと視線を移した。
「…名前はフォロフス。
私と同じ錬金術師で…『エイエン』を求め続けている男だ。
この球体は、あの男が土のエレメントを使って作り上げたトラップだ…ああ、もうただの石になっているから心配いらない。
純度百パーセントの黒曜石…石器時代へ持って行けば、石槍作りにさぞ役立つだろうな…」
深いため息をついた後、一気にはき出すようにその名前を口にする。
「エイエン?」
何となく聞き慣れた、だがこの場に置いては今ひとつ違和感のある単語に横島は疑問符を浮かべる。
だが他の数名…小竜姫とワルキューレ、そしてヒャクメは同時に「はっ」と息を飲んでいた。
「まさか…あの『エイエン』ですか?」
よく見れば額に汗が流れている小竜姫の問いに、オウル卿は「その、『エイエン』だ」と頷く。
「だがあの『エイエン』と美神、何の関係があると…」
普段から沈着冷静なワルキューレも、その単語を聞いた今はかなり動揺していた。
どうやら、その『エイエン』とやらは相当の曰くか何かがあるのだろうと横島は思った。
「……私が神魔両方に送ったデータは、『エイエン』の観測中に確認したことだ。
数週間前から、長い間ありとあらゆる場所をトレースしていた時に、私は人間界からあれの特殊な波動をキャッチすることが出来
た」
「あの! 一ついいっすか?
その『エイエン』って…」
オウル卿の会話を、手を挙げて止める横島。
全員の言葉が止まり、視線が一気に自分へと集まる。
話を折る形になってしまい、『ちょっとまずいかなぁ』と感じながらも横島がそうしたのは、このままだと『エイエン』の意味を自分は
知らないまま会話を進められそうな感じがしたためだった。
意味のわからない会話が目の前で続くのは、何とも味が悪いものなのだ。
「……ああ、君は知らなかったんだね。 私としたことが…」
手を「ぽん」と打ち、「失礼した」と横島に謝罪するオウル卿。
「先ほど私が見せたエレメントは、大体は錬金術師が自らの手で仕事の補佐を行わせるために作り出し使役できるようにするのが
普通だ。
だが……遙か昔に作られ『何らかの理由』で主に未だ誰にも仕えない、古きエレメントが未だあらゆる世界に多数存在している。
どれも強力な力を持つが故に、使い手をこれ以上なく選ぶそれら…
その中で、最強と恐れられ畏怖の対象となっているエレメントが…『エイエン』」
「あれ以上に強い、と言う事っすか?」
「私のエレメントの事をいっているのなら…比べものにならないな。
特に『エイエン』は…」
言葉を終え、落胆とも呆れとも取れるシルバーオウルのため息。
「エイエン…
それは炎にして水、風にして地。
すべてを孕み、そしてすべてを得ている…
数百年前、軍部の過激的な部隊がそれを得ようと、大規模な捜索を行った事があった。
結局、何も見つからず笑いものになったそうだがな…」
テーブルの上に放置された黒い球体を調べるワルキューレ。
「ですが実態は、部隊は『エイエン』と遭遇し…そのあまりの危険性に即座に退去したんです。
その部隊長が優秀であったからこそ、被害も出さずに『エイエン』の存在を隠すことが出来たんでしょうね…」
オウル卿によって切断された断面を、小竜姫はなぞったり中央部分を押したりしている。
「だが、それと美神さんと何の関係が?」
結局の所、過去に魔族達が全力で探して見つからなかったよくわからないが超強力な力。
それとあの美神さんとどういう関係があるのか…
横島にはそのあたりが全く解らなかった。
エイエンと美神。
その二つの事柄に、一本の線さえ引くことが出来ないのだ。
「先ほども言った通り、私はエイエンの観測をしている最中に美神令子君の魔族化を発見した。
そして…ここから先は、未公開にしておいた事なのだが、私は長年探し求めていたエイエンの波動と思われるものも…
全く『同時に同じ場所で』発見した。
…この意味が、解るかね?」
「ちょっと待ってください!! ……まさか…」
ワルキューレの叫びを横に聴きながら、横島は頭の中で二つの異なる単語に一本の線が音を立てて引かれたような気がした。
目の前にある球体から発せられた触手に感じた物とは、比べものにならない程の…悪寒を伴って。
その様子を…というより、ワルキューレの叫びに答えるように、オウル卿は「その通りだ」と頷く。
「そうだ…
美神令子君の側には…エイエンがいる。
それは高い確率で……彼女を主としようとしている…」