「ぬあっ」
何処とも知れぬ、深い森の中。
木々の間から見える空は日が傾いてはいるものの、まだ太陽に演出された青空が広がっている。
その緑色の迷路の中を突き進んでいた人物…
かぶり物ではない馬の面をした紳士服の男、フォロフスは立ち止まりながらどこか間抜けな驚きの声を上げた。
ぎょろりと大きな目が向いているその先にあるのは…白い薄手の手袋に包まれた片手。
流石に手は馬のそれとは違うらしく、人間同様五本の指がある。
だが今、その指…人差し指から小指までの4本が根本から取れ、地面に向かって『落下』した。
「ひぇぇぇ…まさか避けたはずだったんだけどなぁ…
あの距離で障壁もあっさり突破してくれるとはねぇ」
言葉とは裏腹に、対して驚いてもいない…いや、むしろ嬉しそうに呟くフォロフス。
根本から一センチ弱残った指の根本の部分を「うねうね」と動かし、その様子を楽しげに見ている。
根本から切断されているはずの指の断面は、全く…地の一滴すら流れ落ちてはいなかった。
本来なら赤い肉のあるであろうそこには、白い手袋の『外殻』とその内側にある真っ黒な「円」の部分だけ…
「流石流石…下手に近づかずに捕獲するスタイルを取って良かったよ。
近づいてたら、間違いなく胴体がこうなってた…」
言いながら手を『ぶんっ』と、手首のスナップを利かせ降る。
そして再び掌を自分の方に向けると、なんと先ほどまで根本からなかった指が完全に元に戻っていたのだ。
しかも「外殻」の白い手袋も一緒に…
「んー、これは制御式を書き換えてちゃんと制御できるようにしないとやばいな。
なんだかんだ言いつつ、使い手は…」
言葉を切り…フォロフスは首を僅かに動かして、肩に乗せ抱えている気を失った女性…美神令子の顔をのぞき見た。
未だに唇の端には、吐血した後がまざまざと残っており、馬の鼻はその鉄のような臭いを感じていた。
「このモルモットなんだしねぇ。
…よし、実験場に着いたらさっさと書き直さないと…」
フォロフスは肩の美神を抱え直すと、再び森の中を歩き始める。
時折「あれは〜がいい」とか、「ここは…いや、違うか」などとぶつぶつ呟きながら…
彼の膨大な魔力の所為なのか、虫の声一つしない森の中へ。
馬の顔を持った魔族は音もなく、その奥へと消えていった。
「それで小竜姫さま、一体何があったんすか?」
黒塗りの車…以前のような江戸時代風の籠は、流石にワルキューレに止められたらしい。
運転席に鬼の一人が操縦者として乗っている、VIPが使うようなその車の中に、横島達はいた。
向かう先はもちろん、バイト先の美神除霊事務所。
運転席でハンドルを操る鬼の腕が良いのだろうか?
半透明の黒いガラス越しの光景はそこそ早く流れているというのに、身体に感じる加重や振動は殆どない。
そんな、普通のタクシーとかじゃ味わえないだろうなぁとどこかずれた感想を頭の隅で考えながら…
横島は対面の席に座る神族、小竜姫に問いかけていた。
「それは…」
「小竜姫。 私が説明するのね」
言い淀む小竜姫を遮るようにして、彼女の隣に座る少女…ヒャクメが声を上げた。
車の中、横島達のいる席は対面するように座る場所が作られている。
運転席と背中合わせになる所には、小竜姫とヒャクメが。
そして自分の隣には、腕を組み黙したワルキューレが座っている。
本来ならこんなにたくさんの美人に囲まれれば、問答無用で煩悩があふれ出て、何か言うところなのだが…
どうも、この3人からそれを遮るような『どこか真剣な空気』があったため、余計な事を言わないでいる。
どこか重苦しい……いつまでも味わいたくない空気だった。
「えっと…横島さん。 これから話すことは100パーセント本当のことだから…
どうか冷静に聞いてほしいのね」
いつもは妙に間延びする口調が、今はしっかりとしている。
そんな彼女の真剣な言葉に横島が頷くと「ありがとうなのね」とヒャクメは小さく笑った。
「結論から言うのね。
美神さんは……」
ヒャクメはその名通りのいくつもの瞳で横島を見た。
その目は『一切の嘘はない』と、硬い意志を伝えているのではないかと彼に思わせる。
「美神さんは…」
「魔族化が、起こっているのね」
GS美神極楽大作戦
『エイエン』
第3話 幕間は静かに、幕裏は騒がしく
「……魔族、化?」
一瞬。 いや、それ以上の時間。
横島の耳には、外から聞こえる車の走行音しか耳に入ってこなかった。
真っ先発せられたのは、自分の間抜けともとれる声。
「ここ数ヶ月…」
その声に答えたのは、隣にいるワルキューレ。
こちらを振り向かず、車の進行方向に鋭い目つきを向けていた。
「ヒャクメや神妙山。
あと魔族の観測系統の施設から『人間界で強力な魔力を探知』という報告があった。
ワルキューレの話によると。
今から2ヶ月ほど前、ちょうどアシュタロスを倒し…ルシオラを失った頃から…
人間界…つまり自分たちのいる世界で、妙な魔力を関知するようになったらしい。
だがそれならば、まずヒャクメやそれ以上の神魔族が気が付いても良いはずなのだが…
あまりにも短い…ほんのコンマゼロゼロゼロ以下という瞬間的なモノであったために、今まで関知されることがなかったのだそう
だ。
「その異常事態を真っ先に関知したのが、魔界のとある錬金術師だった」
「錬金術師?」
その単語を聞いて真っ先に思いついたのは。
今もどこかの現場で働いているであろう数百年を生きた、物忘れの『とても』激しい老人とその付き人…いや、付きロボットの姿だ
った。
だが横島の考えが読めていたのだろうか? ワルキューレはすぐに、その名前を出して「彼ではない」と苦笑しつつ否定した。
「最初に言っただろう、魔界のとある…と。
その男の研究は…いや、今はいいな。
ともかく、その錬金術師の手紙に書かれていた内容から、我々魔族や神族もその異常事態に気が付くことが出来た」
腕を深く組み直して、「軍としては、情けない話だ…」と憮然とした表情になる。
「その次に、ハヌマン様が更にその詳しい場所を検索すると、日本…東京を中心にしてその波動が発生している事を突き止めまし
た。
残念ながら、それ以上詳しいことは神妙山の方でも解らなかったんです」
それまで口を閉ざしていた小竜姫様が、そうワルキューレの言葉を続ける。
「そして最後に、わたしが目を総動員してそれらの情報を纏めて東京をくまなくサーチした結果…」
「……美神さんが、その中心だった…ということか」
横島は話の内容から予想した言葉を紡ぐと、ヒャクメが頷いて肯定した。
ついでに、その波動の原因が美神さんの魔族化…つまり、人間から魔族へと変わりつつある課程によって生じていると言うことも
…
「でも実際、美神さんがどうなっているかは検査をしないと解らないのね。
だからこうして向かっている訳なんだけれど…」
「大丈夫…なのか?」
その言葉は端的であったが、隠れた内容をすぐに理解してくれたのだろう。
ヒャクメは、「わからないのね」と首を振った。
「一時的なモノなのか、それともこのまま魔族になってしまうのか。
そもそも何で魔族化が起こっているのかという根本的な事さえも、今は不明な状態です」
小竜姫様が、外の移りゆく光景をちらりと見た後、横島にまっすぐ向き直る。
「横島さん。 あと私達がこうして向かうのには、もう一つの意味もあるんです」
「もう一つの…意味?」
静かに紡がれた言葉を、横島は反芻する。
その回答をしたのは、ワルキューレだった。
「先ほども言ったが、もしも美神が魔族化した場合…
我々はそれに対して即時対応することになっている」
「対応?」
その二文字の言葉に、どこか嫌なモノを感じる。
未だかつて、この類の言葉には良い意味はなかったからだ。
「…美神令子が魔族化した場合、高確率で高位…あのアシュタロス級かそれ以上の魔族になる可能性がある」
「な!」
信じられない言葉に、言葉が出なくなる。
アシュタロスの強さは、自分自身が『身をもって』知っている事だ。
それと同等、もしくはそれ以上の力となれば…
「場合によっては万魔宮『パンデモニウム』におわす7大悪魔王と、ミカエル様を初めとした神軍が動く可能性さえある。
報告ではすでに、両方とも動ける状態だと言うことらしい」
「それって、むちゃくちゃすごいメンバーなんじゃ…」
あまりのスケールに顔を引きつらせる横島に、ワルキューレは「その通りだ」と返す。
恐らく上げられていない神魔族両名の名前なども、恐らく神話や伝説などに必ず出てくるモノばかりのはずだ。
「もしも美神が魔族化し世界に対して牙をむくことあれば、それを最小限の被害で押さなければならない。
デタント状態が崩れるのはもちろんの事、最悪…最終戦争『ハルマゲドン』さえ起こりかねないからだ」
最終戦争…
神話などに伝えられ、映画や漫画。 更にドラマや小説などでもよく扱われる、あの神と魔の争い。
そのすべてに共通しているのは、その時起こる被害は甚大きわまりないと言うことだ。
「だがな横島、実際の所私達3人…いや、あのアシュタロス事件に関わった殆どのメンバーはそれを心配していないのだ」
「え?」
そう言ったワルキューレは、口元に笑みを浮かべ言葉を続ける。
「美神は確かに守銭奴かつ性格も良いとは言えない。 はっきり言ってしまえば、人間としてどうかと思うことさえある…
だが、その根本は非常にしっかりしている。
それ故に、あのアシュタロスにさえも勝つことが出来たのだ」
確かに…あの美神さんの驚くべき精神と、すべての困難を踏破するバイタリティは特筆に値する。
「仮に魔族になったとしても、意味もなく世界に対して害をなす事はあり得ない…そう我々は確信している」
「ワルキューレ」
名を呼んだかの人以外…他のメンバーも皆同じように笑みを浮かべ、頷く。
その言葉なき意志を感じたかのように、横島は感動してしまっていた。
「気になるのは、美神の今の心理状態だ。
魔族化の際には、人間の身体が拒絶反応を起こし激痛ほどではないが痛みも伴う…
霊力や身体能力の低下も、その症状の一つだ」
「そうか…それで最近の美神さんは…」
ここ数ヶ月の美神さんの一連の行動に、すべて合点がいった。
霊力や体力が落ちたのならば、前衛で戦うのは難しい。
命がけの仕事であるゴーストスイーパーでは、危険度も高くなる。
「多分美神さんは、相当精神的に苦しんでおられると思います。
私達はまず、その苦しみを何とか消したいんです」
「小竜姫さま」
「まずは心のケアを始めないといけないのね。
その時は…横島さん、がんばるのね〜♪」
肩に「ぽん」とにこやかに手を置くヒャクメに、横島は戸惑う。
「え? 俺か?」
「お前は美神にとって特別な存在の一人だ。
お前なら、彼女の心を癒す事も出来るだろう」
「そんな。 俺なんか美神さんに…」
「横島」
瞬間的に、苦笑いしつつ手を振り否定しようとした手が止まる。
ワルキューレの、静かに紡がれた自分の名前によって。
「そりゃ…多少は認められてるって事は知ってるさ。 でも…」
横島は左右に振りかけた手を、ゆっくりと膝の上へと下ろした。
「そういうのって、あまり口にするの苦手なんだよな」
おろした手を、今度は後頭部に持っていて軽く掻きながら苦笑する。
ワルキューレはその様子に、「そんなものだ」と笑みを浮かべる。
「みだりに口にするお前など、想像も出来ん」
そう言い小さく笑うワルキューレ。
「まあともかくだ…横島」
すっと表情を真剣な…軍人の硬いそれとは違う、一切のゆるみのない表情へと変化させたワルキューレ。
「美神令子を…頼むぞ」
すっと通るような、ワルキューレの言葉に…
横島は一言、「ああ」と頷き返した。
それから数分後、横島達は見慣れた事務所の前に到着した。
車が近くの駐車場へと向かうのを横目で見ながら、早速中に入ろうとしたその時。
「あ、先生!」
声のした方を見ると、こちらに向かってくる銀色に赤色のメッシュの少女…シロの姿があった。
「おお、シロ。 買い物か?」
両手に荷物を持っていることからそう予測したヨコシマは、手を振りながら声を掛けた。
そうしてすぐに、シロは側まで駆け寄ってきた。
「美神に頼まれた買い物よ」
その後に続くようにして歩み寄ってきたのはタマモ。
シロ同様、両手にそこそこふくれたスーパーの買い物袋がぶら下がっている。
「そっか…美神さんは中にいるのか?」
二人の荷物を片手分持ちながら訪ねると、二人は「いる」と異口同音に返したのだった。
「あ、それで美神殿に客人が…」
「ん?」
シロの言葉に二人の後ろを見ると、そこには一人の男性が立っていた。
自分より頭半分くらいの背の高い、鼻の下に白く短いひげを生やした初老の男は、柔和な笑顔を浮かべこちらを見ている。
「こんにちは、フォロントロ・クェルツ・シルバーオウルと言うものです。
貴男が横島忠夫さんですか?」
正に紳士という風体のその初老の男性は、頭に被ったシルクハットを軽く持ち上げて会釈をした。
「え、ええ…あの、もしかして貴男は…」
ぺこりと頭を下げながら、横島はその初老の男性からある感触を感じていた。
それは数ヶ月前に何度も体感した…
「シルバーオウル卿!!」
男…シルバーオウルが横島の言葉に反応して、口を開こうとしたのを遮るように、後ろにいたワルキューレが男の名を呼んだ。
名前の後に、『卿』の敬称を付けて。
「知ってるのか?」
隣に歩み出たワルキューレに問うと、すぐに「ああ」と言う答えが返ってくる。
「魔界屈指の貴族にして錬金術師。
そして…最初に人間界での以上魔力発生を確認したのが彼だ」
ワルキューレの説明が終わるのと同時に、横島はシルバーオウルに視線を向ける。
「屈指、というのは流石に過大評価しすぎではないかな?
私はただの研究馬鹿だよ」
軽く苦笑しながらの言葉を、「ご謙遜を」と小さく笑うワルキューレ。
「ですが、何故人間界に?」
すぐに表情を締め直したワルキューレは、軍人のそれでシルバーオウルに問いかける。
「多分、君達とそう変わらないと思うがね」
「…美神令子、ですか?」
小さくだがはっきりと紡がれた声に、シルバーオウルは「そうなるね」とはっきり答えた。
「彼女の事は、我々に一任されています。
失礼ですが、オウル卿の行動は…」
「余計な事だ、と言いたいのだろう? 解っているさ。
だが私がこうしてきたのは…!」
話を途切らせたシルバーオウルは、目を見開いて『ばっ』と上を見上げた。
「これは…ワルキューレ君、もしかして先に美神令子の元に誰かを派遣したかね?」
「え?」
「どうなんだね?」
静かに問いかけられたワルキューレは、すぐに首を横に振った。
「この建物の中から、強力な魔族の臭いがした…」
「まさか…もう美神さんの魔族化が?!」
小竜姫様が悲鳴にも似た声を上げる。
もしそうなら、魔族の臭いというのは納得がいく。
だがシルバーオウルは、「それは違うだろう」と、首を振って小竜姫さまの言葉を否定した。
「魔族化の際には膨大な魔力の放出現象がある。 それこそ、制御していても建物に被害が及ぶほどに…
だが見た感じ、それらしい痕跡も何もないようだ」
シルバーオウルは建物や周囲をきょろきょろと見回している。
確かに事務所の建物やそれ以外のビルなどには、何の被害も…それ以前に大きな破壊の跡は全くない。
「だとすると…まさか、何者かが美神を?!」
ワルキューレの言葉に、他の全員…事の顛末を知らないシロとタマモ以外ははっとなった。
よく考えれば、別な魔族が来るというのは起こる可能性が非常に高かったのだ。
強力な魔族となる彼女の力を求める者や、純粋に戦いを挑んでくる戦闘狂。
そして…その力を疎んじる悪意を持った存在!
「とりあえず急いで美神さんの所に行きましょう!
小竜姫様の言葉に反応するがごとく、横島は開こうとしていた扉を思い切り開けて中に走り込んだ。
「美神さん!!」
『無事でいてください!!』
いつも美神のいる事務室。
その階に続く階段を駆け上がりながら、横島はそこにいるはずの人物が無事であることを願ったのだった。