「こんにちは、横島さん」
午後の授業を終え、校門をくぐり数百メートル離れたかというところで。
横島忠夫の前に現れた人物は、静かな笑顔を浮かべ軽く頭を下げた。
「あ、小竜姫様。 お久しぶりです」
制服姿の横島はその人物が誰であるかに気が付くと、すぐに挨拶を返した。
神なる山にして修行場である神妙山の管理人。
数百年を生きた竜族にして、天魔両界にその名をとどろかせる武人である。
「どうかしたんスか? こんな所でぱったり会うなんて奇遇っすね」
また地上に用事だろうか? そんな事を考えつつ、横島は問いかけてみる。
「これから事務所の方におじゃましようと思っていたんですが、まさかお会いできるとは思いませんでした」
「ふぇぇ、すごい偶然っすねぇ」
横島が少しギャグ風味に驚くと、「そうですね」と小竜姫もクスリと笑う。
だがしばらくすると、僅かに笑みを浮かべていた顔は一気に別な顔に変わった。
少女のあどけない表情ではなく、武人としてのそれに…
「横島さん、最近美神さんのご様子…いかがですか?」
「いかがですかって言うと?」
「いつもとはおかしいとか、何か変わった様子とかは…」
「そうっすねぇ…最近、後ろで結界張って妖怪を吸い込んだり、タマモを周りの敵を倒させるサポート役にしたり…
なんて言うのかなぁ、今まで前衛でばしばしやってたのが後衛に回ったっていう感じっすかね?」
「あと、他には?」
「後は…最近妙に元気がないって言うか…落ち着いてるって言うか…
普段だったら、一日一回拳が飛ぶのに最近は週に1回とかそこらなんすよね」
「……」
小竜姫は、横島の答えに唇に拳を当てる。
「それがどうかしたんすか?」
その様子が流石におかしいと感じ問いかける。
だが答えたのは、目の前で唸る竜の剣士ではなかった。
「今ここで話すには特殊な問題だ、横島」
そういって小竜姫の後ろから現れたのは、スーツに身を包んだ鋭い目つきを孕むショートボブの女性。
「ワルキューレ!」
「私もいるのね」
と、どこか特徴的な口調と友に現れたのは、ワルキューレと同じスーツを着た小柄な少女。
「ヒャクメも……一体何があったんだ?」
神族の中でも諜報関係に長けたヒャクメと、魔界の軍人であるワルキューレ。
さらには小竜姫…この三人が同時にくると言うことは、だいたい何らかのトラブルが起きた時だ。
「詳しい話は車の中で話す。 まずは一緒に…」
ワルキューレが真剣な表情を崩さずに告げたのに対し、横島は「あ、ああ」と少々間の抜けた答えを返したのだった。
GS美神極楽大作戦
『エイエン』
第2話 黒馬(異端者)
テーブルの上に置かれたチェス盤。
ずいぶん前、精霊石のオークションの帰りに立ち寄った骨董屋で、数十万ほど出して購入したもの。
余計な装飾のないシンプルな作りで、すべて純度の高い石からの削りだしなのだそうだ。
購入した数ヶ月ほどは何となく使っていたが、すぐにお酒を入れている棚の置物となってしまう。
理由は簡単。 この事務所で、チェスが出来る人間(もしくは幽霊か)が、いなかったためだ。
相手のいないチェスは、基本的におもしろみがない。
とことんチェスが大好きでたまらない人物なら、一人だろうと関係ないのかもしれない。
だが彼女…美神令子は残念ながら、チェスにそこまで入れ込んではいなかったのだった。
そうして、一度仕舞われたきり主に使われることのなかったチェスの駒と、白黒の縞模様を描く彼らの舞台。
下手をすればほぼ数十年以上ホコリをかぶる事になるはずだった彼らが何故今、ホコリを払われた状態でテーブルの上に置か
れているのか?
「よいしょ…」
チェスの上で、人形のように小さい背に羽を生やした少女が、チェスの駒を移動させている。
妖精の少女、鈴女。 彼女がある日棚の奥でほこりをかぶっいたそれに興味を持ちだしたというのが、この白黒の世界を再び世
に表した原因だ。
「うぉぉぉぉぉぉ…」
とても少女とは思えない声を上げつつ、彼女は駒の一つを両手で抱えながら盤の上を飛んでいる。
手のひらにのるほどの大きさしかない少女にとっては、チェスの駒は大きな石の固まりそのものだ。
だが縦横なら、うまく押してやればつるつるのチェス盤の上を比較的軽く移動させることが出来る。
これが斜め…特に他の駒を跨いだり間を抜けたりする場合は、残念ながらこの方法は使えない。
ならばどうするか? それは…意外と簡単だったりする。
まず彼女は移動させるチェスの駒を両手で持って浮上して……
「えいっ!」
目的の場所へ付いたらそっと落とす。 あまり強く落とすと角が欠けたりするので、高いところからはNGだ。
「お姉様の番ですよ」
額の汗を拭いつつ、笑ってそう告げる鈴女。
世界に殆どいないといわれる妖精の少女…
自分を慕い、結婚を申し込んでいる変わり者妖精。
もちろん私にはそんな系統の趣味はないので、ちゃんと断っている。
その甲斐あってか、彼女は『全く考えを変えるつもりはない』みたいではあるものの、最近はかなり落ち着いた感じになっていた。
「そうね…じゃあこんな感じで…」
美神は薄く笑うと、駒の一つを移動させる。
妖精の彼女が抱えて持ち上げなければならないのに対して、こちらは指でつまんで『ひょい』と動かすだけだ。
「うあ」
上に飛び上がって盤の様子を見た鈴女は、額に先ほどとは違う『冷や汗』と苦笑いを浮かべた。
美神の頭の中では、あと4か5手あたりでチェックできるという構図が浮かんでいる。
最近覚え始めたという鈴女に対して、こちらは数ヶ月とはいえ練習を積んでいるのだ。
その差はほんの数十日と言うところだが、慣れという意味でその差は大きい。
だが彼女は、自分より遙かに早くチェスのコツを身につけているような感じだ。
最初は行き当たりばったりで駒を動かしていたのが、今ではいくつか先の手を考えて打つようになってきている。
抱えるほどもある大きさのチェス駒が重いからといって、遠くへ移動させる(それが有効な手であること限定)事に躊躇することが
ないあたり、結構このゲームが気に入っているらしい。
好きな者こそ上手なれ、ということなのだろう。
「待ったはなしよ」
口元を軽く歪めて腕を組みつつ、意地悪げにそう告げてみると…
鈴女は「うぅ〜」と唸りながら腕を組み、盤の上を円を描くようにして飛び始める。
時折ちらちらと下の駒を見ながら唸るのは、彼女がチェスの手を考えるときの癖だ。
ちなみに…その行動から、いい手が出るかでないかは五分五分だったりする。
「あ、ここをこうすれば…」
『美神オーナー!!』
どうやら次の手が決まったらしく鈴女が駒の一つに降り立とうとしたその時、突然人工幽霊の声が部屋に響き渡った。
「どうしたの?」
いつもの冷静な声ではなく切迫したそれは、美神を瞬間的に戦闘態勢を取らせた。
立ち上がりながら、周囲の気配を探る。
「!」
そして感じたのは、身の毛もよだつような強烈な魔力。
『強力な魔族がこちらへ接近中! 結界の限界を超えています!
オーナー、早く脱…』
『出されちゃうと、困るんだなぁこれが…』
人工幽霊の声を遮るようにして、若い男の声が部屋に響く。
美神は慌てて魔力の出所を探るが…
「ああ、いまそれやってもうまくできないでしょう? 何せ…」
人を小馬鹿にしたような口調が、今度ははっきりと『扉の向こうから』聞こえてくる。
そして振り向いた先…部屋唯一の扉がゆっくりと開くと、その向こうからその声の主は現れた。
「初めましてミス美神。 ご尊顔を拝謁して恐悦至極」
扉をくぐりながら、頭にかぶった紺色のシルクハットをひょいと持ち上げて、男はおどけるように頭を下げる。
「貴男…まさか…」
そこに現れた男の姿に、美神は目を見開いた。
服装は真っ黒な燕尾服(テールコート)を着込み、手には真っ黒な材質の解らないステッキ。
そこまでなら、美神もパーティなどに時折出たりして見慣れている男性の礼服だ。
だから美神が驚いたのは服装ではなかった。
驚愕の原因。 それは紺色のシルクハットの下にある、男の顔…
「ナイト…メア?」
その…『黒馬の顔』に対して、呟くように発せられた名前。
かつて美神の夢の中に入り込み、苦闘の末に倒した魔族。
あの時見た、嫌らしい笑みを浮かべた馬の顔を、美神はその紳士のそれに重ねたのだ。
「ん? …ああ、あの雑魚魔族のことか。
まあ確かに、あのオカマ種馬とは同族ではあるが、あんなのと一緒にしてほしくないなぁ」
最後の「なぁ」と言った瞬間、男は一瞬で美神の前に現れた。
「っ!!」
即反応し、美神は普段腰に隠していた神痛棍を顔めがけて振り放った。
「ふっ」
だが男は馬の口元を軽く歪ませると、それを後ろに身体そらすことで避ける。
それを追いかけるように、今度は反対方向から同じように顔をねらい打つ。 だが…
「!!!!! がはっ!!」
次の瞬間、美神の動きが止まると同時に大量の血を吐き出し、目の前の男を赤く染める。
「! がっ!!!」
そしてあっという間に、美神の後頭部に手刀をたたき込む。
「やっぱり反応が遅いか…普通の状態ならまず一撃俺にたたき込むくらい出来ただろうに…
どうやらずいぶんと進行しているみたいだねぇ…結構結構♪」
美神が床に倒れるのを横目で見ながら、手を『パンパン』とはたく男。
「何の…事よ…」
目の前の景色と頭の中が激しく揺らぐ中、美神はうめく。
「一日一回かそこらくらい血を吐いて、霊力や体力が落ちて更に…」
男は美神の周りをおどけるように回ると、顔の前でしゃがみ込む。
「更に…『彼の力』が使えるようになっている。
下手な霊波刀を超える獲物の切断力から、聡明な君だったら『あれ』の正体にも気が付いているんじゃないかな?」
「!」
「図星、図星だねぇ〜」
顔をのぞき込みながら呟いた言葉に目を見開く美神。
その様子を見て「ひひゃははは」と笑いながら立ち上がる男。
『やっぱりナイトメアと一緒だわ』
紳士服の雰囲気を台無しにするその下品きわまりない笑いを見て、美神は内心苦笑した。
「ま、自分の状態は解ってるみたいだね。 さすがと言うべきかな」
その当人は待ったく悪く言われて事すら知りもせず、美神の身体を持ち上げ「よっこいしょ」と肩に乗せる。
「…さーて、とりあえず材料は確保っと…あとは作業終了まで神魔族をどれだけごまかせるか……」
肩に乗せた美神がずり落ちないよう、まるで米俵のように抱えながら呟く男。
「…あ、お…お姉様を離せ!!」
その時、やっと我を取り戻した鈴女が声を張り上げ男に突っ込んでいく。
「やめなさい…鈴…女」
ぼんやりと見える鈴女の姿に、何とか声を出す美神。
「ん? おやま妖精だ」
半眼に自分に向かってくる鈴女を見た男は、何の気なしという風に顔を向けた。
魔族の視線を直接受けてもなお、鈴女はひるまずに突っ込んでいく。
「妖精は内蔵とか、材料としては最高なんだけど…」
言葉を切ると同時に、あいた方の手を振り鈴女をはたき落とす。
「ぎゃ…ぎゃうっ!!」
絨毯の床をワンバウンドして、壁に衝突する鈴女。
そのままずるずると身体はうつぶせに崩れ、完全に動かなくなってしまった。
「鈴…女……!」
動かない鈴女に向かって手を伸ばす美神。
だがその手は意識が途切れる同時にぱたりと落ちてしまう。
「体格の違いとか以前に、パワー不足だよねぇ。
本当だったら捕獲して材料の足しにするところだけど、今日はいらないからいいや」
男は肩を軽くすくめると、鈴女に背を向ける。
「まあこの貴台の錬金術師、フォロフス卿の実験材料になれないなんて、ある意味不幸なのかな?」
男…フォロフスは「きゃははは」と耳障りな笑い声を上げると、扉の向こうへと歩き出した。
「ま…待て…お姉様を…返せ…」
震える身体を支えるように両手を付いて、ぎらりとフォロフスを睨み付ける鈴女。
だがそんな視線に対して何ら動じず、「いやだね」と切って捨てるようにフォロフスは答えた。
「今はお前なんかにかまってる暇はない。
俺は早く見たいんだよ……」
そう言葉を切って、フォロフスは馬の顔を嫌らしい笑顔に歪める。
「魔界最高の秘『エイエン』を、ね」
意識が完全に失われる瞬間に美神が聴いたのは、その言葉だった。
だがその時美神は、男の顔を間近で見て…
『ナイトメアを超えてるわ…この醜悪さ』
と、薄れゆく意識の中、内心苦笑したのだった。