――199X年――
「――お〜〜い、横島!!」
と、一人の少年を呼ぶ声が遠くから響く。
「ああ?」
と、その赤白の染め分け帽子――と言うよりはヘルメット――をかぶった少年は、覇気のない声でその声に答えた。
「西条調教師(センセイ)が来ているぞ〜〜〜!」
「西条センセが?何の用や、言うとったか〜〜〜?」
「いや。でも、横島と面会したいんだとよ〜〜〜。早く行ってやれよ〜〜〜〜」
「分かった〜〜〜〜!!」
と、二人は声を交わした。
――ここは、千葉県印旛郡白井町にある日本中央競馬会(JRA)の競馬学校であり、JRA所属の騎手と厩務員を養成している。そして、騎手課程は三年修了であり、その後、騎手としてデビューする。
先ほどの少年――横島忠夫は、この学校の騎手課程三年生で、この三月で西条厩舎所属の騎手として、デビューする予定のであった。
そして今、横島は、競馬学校の管理棟の面会室に向かっていた。自分の受け入れ先の厩舎の主である西条武彦に――。
――ガチャ
その音ともに、面会室のドアが開き、横島が入室してくる。
「失礼します。――で、西条センセ、何で白井まで」
という覇気の無い横島の声に、その部屋にいた男が応じた。
「よう、元気そうやな。ところで、お前さんのデビュー日とその次の日の騎乗馬、決まったで。デビュー日は、ウチから二鞍と美神さんところから一鞍、六道さんところから一鞍の合計四鞍、次の日は、井道さんところから一鞍、田茂さんところから二鞍、栗沢さんところから一鞍の合計四鞍や。まあ、デビューしたてのアンちゃん(注1)にしては結構集まった方やな」
と、その男は開口一番まくし立てる。
この西条と呼ばれた男こそ、横島の受け入れ先の厩舎の主、元騎手、現調教師で、「天才」と呼ばれるスター騎手の西条輝彦の父である西条邦彦である。騎手現役時代は「魔術師」と呼ばれ、1970年代に大活躍した名騎手である。現在は、調教師と自分の厩舎を開業しており、現在の西条厩舎は、中堅どころして名が知られていた。
「……で、用はそれだけですか?」
「いや……。なあ、やっぱり騎手を続けるんは、いやか?」
「――ええ。だってオレがなりたいんのとは、違うことばかり教えられるんで……」
「そうか……。ま、しゃああらへんか……。でもオレは、アレが忘れられへんのやけどなあ……」
――一年前――
競馬学校の騎手課程三年生は、実地研修として実際に開業している厩舎で、下働きを経験する。ちなみにそのときの研修先の厩舎が、騎手デビューするときの所属厩舎となる。
そしてその日、競馬学校のトラックでは、実技実習が始まろうとしていた。そして、トラックの傍らにあるスタンドの天狗山(注2)には調教師が集まっていた。そんな調教師たちの中に、西条武彦が混じっていた。
そんな中、競馬学校の教官が――、
「さあ!!今日はお前たちを受け入れくれる先生たちがたくさん集まっている!!まだ受け入れ先の決まっていない奴は、今日、自分をアピールして、いいところに受け入れさせてもらえ!!」
と、のたまった。
しかし、競馬社会は、馬主・調教師などいった競馬関係者の子弟と言うもののスタータスが多分に大きく、競馬学校騎手課程の生徒おいてもそれは顕著だった。
つまり、実技実習の際に関係者の子弟には、いい馬があてがわれ、そうでないものには、気性が荒い馬とか実力の劣る馬があてがわれるのが慣例となっていた。
競馬関係に親類のいない横島もその例に漏れず、激しく入れ込んでいた(注3)馬があてがわれていた。
そして、横島はつまらなさそうに、スタンドを見遣った。するとほとんどの調教師は自分よりも成績のいい同級生たちを見ていたが、たった一人だけ――、西条武彦だけがたまたま自分の方を見ていた。
そのまま横島は、やる気なさげに自分の愛馬に向かうと、入れ込んでいるのに構わず跨った。
すると、馬は――、とたんに落ち着いた。
一方、天狗山では、たまたま横島を見ていた西条が驚愕した表情を浮かべていた。何故なら、西条はその光景をずっと以前に目の当たりにしたことがあったからである。
「――!?……そんな、……あんなに入れ込んどったのに、跨っただけで馬が落ち着くやなんて……。あんな真似、できるんは遼ちゃんだけのはずやのに……」
ずいぶん昔――、1970年代――、彼が現役騎手で、「魔術師」と呼ばれていた頃、その光景を目の当たりにした。その騎手が、他の騎手が手を焼くであろうどんなに入れ込んだ馬でも、跨っただけで、その馬は落ち着きを取り戻し、レースに勝った。その騎手は――、神永遼一。
そして、それ以降、そんな真似をしでかす騎手に巡り合う事は無かった。
「おい!!今、あの横島いうんが、跨るところ見ていた奴はおらんか!!?」
しかし、その西条の叫びに、女性ながら成績ピカイチの弓かおりや、JRA初の海外出身騎手候補生である、ピエトロ・ド・ブラドーを見ていた周りの調教師は怪訝な声で応じた。
「西条さん、どうしたんですか?あんなぱっとしない奴に血相を変えて?」
「せや。あんな、取り立ててどうって事もあらへんアンちゃんを見ても、しゃああらへんですやん」
そんな他の調教師の答えを聞いたうえで、改めて横島を見てみると、確かにその騎乗ぶりは、あまり変わり映えのしないものであった。
「……俺が見たんは、見間違えやったんやろか……。――いや!!そんなはずあらへん!!遼ちゃんしか、出来へんことをオレが見間違えるはずあらへん!!」
実技実習終了後、横島は自分の愛馬の首筋を軽く叩いてねぎらっていた。
「今日も一日ご苦労さん」
と、微笑を浮かべて声をかけていると――、
「横島君やな?」
と、声がかかった。
「――?どなたですか?」
「初めまして。関西の厩舎やっとる調教師の西条や」
「――!あの西条輝彦さんの父親の?なんのようです?」
「なあ、ざっくばらんに言うで。君、ウチに来えへんか?」
to be continue....
(注1)
減量特典のある見習い騎手のこと。
(注2)
調教師席のこと。自分の馬のこと、天狗になって自慢しあうことからそう呼ばれる。
(注3)
レースや調教の前に興奮してしてしまうこと。
キャラ紹介
横島忠夫
間もなく卒業してJRA騎手デビュー予定の競馬学校騎手課程三年生。所属予定は西条厩舎。競馬学校では落第すれすれの成績で目立つ存在ではなかった。
伊達雪之丞
横島同様、この春デビュー予定の騎手課程三年生。所属は瑪瑙厩舎。新人ながら追える(鞭で馬に気合を入れれる)騎手として嘱望されている。