リポート0 極楽亡者
しとしとと雨の降る中、二人の女性が古ぼけた屋敷の前に立っていた。
「…ここよ!」
腰の辺りまで亜麻色の髪の毛を伸ばした女性が、短く言った。
「都心にも、こんなところがあったんですねぇ」
へぇ、と感心するようにもう一人の女性…いや、まだ高校生ぐらいである、少女と言っておこうか…が呟く。
その少女は、体格に見合わぬ大荷物を背負っていた。あまり疲れたような表情をしていないのが不思議である。
「取り壊そうとすると関係者が次々と謎の死をとげるので、30年前からこのままよ」
髪の長い女性が、飄々とした態度でそう告げる。
こういう場面には何度も立ち会っているのだろう、彼女の顔に恐怖の色は見えない。
「…やっぱり悪霊のしわざですか?」
そんな彼女とは反対に、少女の声は震えている。
彼女のように慣れていなければ、このような反応をして当然である。心配そうに女性の顔を見上げるその表情は、僅かに恐怖の色が侵食している。
「何人もの霊能者が除霊に失敗して、不動産屋も頭を抱えてるわ。で、美神令子除霊事務所の出番てわけ!」
心なしか生き生きしたような口調で、女性―美神が言う。彼女にとって、今まで失敗した霊能者の人数など、問題ではないらしい。彼女の目は、既に除霊のスリルへと向けられていた。
美神はかちゃかちゃと扉にかけられた鍵を開ける。
少しかがんでいる為、彼女のヒップが突き出され、無防備にゆれている。
その状況に、女の子―横島忠代は、ボトボトと鼻血を落としていた。
(む、無防備すぎる…!!)
忠代は、普通の女の子であれば嫉妬するであろう美神のスタイルに、逆に気を寄せていた。
ボトボトと落ちる鼻血を押さえ、美神のヒップを見つめる忠代――傍から見れば、変な趣味の子に見えるだろう。
「さあ、仕事よ!」
美神はそう意気込み、門を押して中に入った。忠代もそれに続く。
忠代は美神より先にドアに歩み寄り、館のドアノブに手をかけた。…が、いくらひねっても開かない。
いくら待ってもドアの開く気配がしないのに気づいた美神が、忠代に声をかける。
「どうしたの?」
「ド、ドアが…サビついてるのかな?」
未だかちゃかちゃとノブをひねる忠代。とにかく、開かないらしい。
その時。
『…ち……れ……』
おどろおどろしい声とともに、強風が吹いた。
忠代は驚いて、ドアノブから手を離した。美神も何かを感じたらしく、気を引き締める。
『立ち去れ……!! 死にたくなければ失せろ…!!』
ぬっ、とドアにいきなり顔が現れた。忠代は驚いて奇声をあげた。
「あ゛わ゛え゛お゛ーっ!?」
…とにかく、とても驚いたらしく、腰が引けている。
悪霊は、そんな忠代の様子を気にすることもなく、更に続けた。
『ここはワシの家じゃああーっ!! 近づく奴はブチ殺したる!!』
うおおおおん、と勢いよく叫ぶ悪霊。その顔のせいもあって、逃げたくなることこの上ない。
『今すぐ…ぶっ!!』
悪霊の台詞は、その顔面に刺さった美神の膝で遮られた。
とり憑く者が消えたドアは、老朽化していたらしい。大きな音を立てて内側に倒れた。
美神の後ろでは、忠代が目を真ん丸くして突っ立っている。
「開いたわ」
「ひっ…ひええっ!!」
あくまでも笑顔で言い放つ美神に、腰が引けている忠代。
「い…今の顔…!?」
涙を流しながら問いかける忠代。体も固まっている。
「鬼塚畜三郎。死んだこの家の主よ」
ぴら、と一枚の写真を手にしながら、美神が言う。
「残忍非道、冷酷無比。その凶暴さで10代にして一大勢力を築いた犯罪組織のボス! 32歳のとき、この家で部下に殺されたらしいわ」
台詞がいささか説明くさいが、それも気にせず。
美神の手にしている写真には、ビール片手にこちらを睨んでいるさっきの顔―鬼塚の姿があった。
流石にボスというだけあって、貫禄らしきものが滲み出ている。
「気に入らない者は見境なしに殺しまくり、この家だけでも一日平均1.42人が殺され続けたそうよ。あんまりひどいんで、部下もついていけなくなったんでしょうね」
美神の台詞は続く。美神の台詞が続くと、忠代の表情がだんだんと暗くなっていく。
「でもまあ、死んだらあの通りかわいいもんよ! パッパッパーと祓っちゃいましょ!」
ニコニコと笑顔でのたまう美神。
「…かっ…かっ…かかか…」
美神とは正反対に、血の気の引いた忠代。
「かわいいわけないでしょう!」と言いたいらしいが、余りにも怖くていえないらしい。カチコチに固まって、ぴくぴくと震えている。
「じゃ、荷物を…?」
中に進んでいく美神。途中で忠代がついて来ていないのに気づいたらしく、後ろを振り向くと。
…忠代は、外に向かって歩き出していた。
「どこ行く気?」
「あ…いや…アパートのガスの元栓が気になるんで、その…」
美神の目に凄まれて、焦ったように弁解し始める忠代。
彼女の言いたいことを要約すると、ここから帰りたいらしい。
「………」
美神は無言でコートを脱いだ。
「怖いのはわかるわ…初仕事だものね…でも、心配しなくていいわよ。私がいるでしょ?」
初めは艶っぽく、後はからりとした声で、美神は忠代に微笑んだ。
「…あ、はいっ! そうですねっ!」
美神に見ほれていたのか、少し間を空けて返事を返す忠代。顔は真っ赤である。
そんな忠代を気にせず、美神はぐっ、とこぶしを握り締めた。
そして。
「時価数百億の不動産がらみですもの!! ギャラが入ったら忠代ちゃんのお給料もう少し上げてあげるからねっ!!」
目を光らせ、ガッツポーズ。
まさに、『商売繁盛 笹もってこーい!』である。
美神の後ろでは、忠代が
(できれば体で前払いしてほしいなぁ…)
なんて思っていたりする。
まあ、とにかく。
色々と不安感のあるものも、鬼塚畜三郎の霊を除霊することになったのであった。
いつからか、雨はひどくなり、雷も鳴り出している。
ゴロゴロ、ピシャーン、と雷の音が響く館の中、美神はろうそくに火をともしていた。
「いい? 始めるわよ!」
ビデオ越しに、美神が忠代に声をかける。
「はいっ!」
忠代は、やけにニコニコ…もといニヤニヤしながらビデオを写していた。
「我が名は美神令子。この館に棲む者よ、何故死して尚現をさまようのか? 降り来たりて我に告げよ」
凛とした美神の声が、館に響く。ろうそくに手をかざし、気を集中して。
「ん…あっ!!」
少しして、美神が小さく喘いだ。忠代は、その瞬間を見逃さない。
「ああっ!」
かぶりつくようにビデオごと前に大きく体を傾けた…のだが。
『んぐおーっ!! なめとったらあかんど――っ!!』
「きゃああーっ!!?」
いきなり現れた鬼塚の霊(以下鬼塚と記す)に驚き、大きく仰け反った。
鬼塚は、現れたときの勢いを無くさないまま、口を開く。
『帰ーれっちゅっとんのにズカズカ上がりこみゃがって! ドタマかち割ってラッキョの入れもんにしたるどボケッ!!』
…何を言いたいのか、分からないでもないのだが。
鬼塚はそんな事を言いながら、忠代に詰め寄る。
『このワシに出てこいっちゅって命令さらしたクソガキャおまえかいっ!?』
「きゃああーっ! ごめんなさい、違いますっ!!」
忠代のほうもパニックに陥ってしまったらしい。…幽霊相手に謝り倒してどーする。
『おんどれアンダラっとったらかんどコラ!!』
「あああっ、その通りです、すいませんっ!!」
二人とも…いや、一人と一体とも、支離滅裂である。
「日本語でしゃべりなさい、日本語で!」
と、いつの間にやら美神が鬼塚の背後に回っていたらしく、そこから鬼塚を蹴り倒す。
『おお――っ!?』
それには鬼塚の方も驚いたらしく、変な声を上げている。
「人がせっかく話し合いをしてあげよーってのに、ケンカ腰はやめなさい!」
『それが話し合いの態度か――っ!?』
「…美神さんって、いろんな意味ですごいなぁ…」
上から、ぐりぐりと鬼塚を踏みつけながら凄んでいる美神、悪霊の癖に正論をかましている鬼塚、遠い目をしている忠代の台詞である。
『おんどれワシを誰やと思てけつかんどんねん!! 泣く子も殺す鬼塚―――「その残りカスでしょーが。なーにを偉そうに」 あああああっ!』
鬼塚は気を立て直し、また美神へと向かっていくが、勿論倒された。
ぐりぐりとブーツのヒールで踏まれている姿が何とも痛々しい。
(何だ…大して強くないじゃない…)
忠代は、その鬼塚の様子を見てそう思い直し。
「こらアンタ! さっきはよくもビビらせてくれたわねぇっ!!」
…足を鬼塚に向けて踏み出した。
目は血走っている。かなり苛ついていたらしいのだが、所詮素人。
『ガ―――ッ!!』
「うきゃ――っ!?」
逆に噛み付かれてしまった。
「シロートがうかつに手を出しちゃダメよ」
美神が鬼塚を踏んづけながら忠代に言い聞かせる。
「…以後気をつけます」
血をだらだらと流したまま、忠代は返事をした。
『う〜〜〜なんでじゃ〜〜なんでワシがこんな小娘に…』
鬼塚が涙を流しながら美神を睨みつける。
「私はそこらの霊能者とは格がちがうのよ!」
美神はふん、とふんぞり返りながら言い返す。
『く…くそっ!』
鬼塚はそう声を上げると、美神の下から掻き消えた。美神の足が、地につく。
「消えた!! やっつけたんですねっ!?」
忠代が嬉しそうに美神に尋ねる。
「まだよ。一時的に逃げただけ。多分何かたくらんでるのよ」
きっ、と浮かれた様子の忠代を睨んで、美神。
気を抜かないところは、流石にプロといったところか。
「結界をはって相手の出方を待ちましょう。長期戦になりそうよ」
ごそごそと荷物をを探りながら、美神が忠代のほうを見やる。
「んーと、どこに入れたっけな…あ、あった」
手を荷物の奥で動かして、目的のものを手に取る。
荷物の山から出てきた美神の手に握られていたのは、何の変哲もないサインペンであった。
「…何です、これ」
頭の上にはてなマークを浮かべながら、忠代がまた尋ねた。
「結界用のマジックよ。これで結界書くから、忠代ちゃんはちょっとそこに座ってなさい」
「…私、ここで寝るんですか?」
「んなわきゃないでしょ…不寝番よろしくね?」
「――鬼っ! 酷いじゃないですか、折角美神さんと一緒に寝れると思ったのにーっ!!」
「ふざけた事言うんじゃないっ! ――結界できるだけ大きくしておくから、私も一緒にはいるわよ? これで文句ないでしょ」
ふう、とため息をついて美神。何だかんだ言いながら、忠代には甘いのであった。
続く
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