万年床と化している布団に横たわる。電気を消しているため、部屋には窓から入ってくる月明かりしかない。その月も雲が多いのか、遮られがちだった。
見えるのは、汚れたいつもの天井。何時も通りの、散らかった部屋。
「……それにしても、どうかしたのか? 人口幽霊壱号の奴。文珠で意識が同期したのも、意外だったけど……」
独り呟く。
結局、横島は暫くの間、眠る事が出来なかった。
一方、こちらも眠れてはいなかった。
見えるのは、固い天井。自分を照らす光は、主の霊力をもとに光るランプ。そのランプがどのような原理で光っているか、彼女は知らなかった。彼女が“産まれる”前に出来上がっていたからだ。“父”が亡き今は、創れる者はいない。少なくとも、彼女はしらない。
ランプの光に照らされた躯は、火照りがまだ抜け切れていないままだ。顔が赤く染まっているのは、羞恥のせいでもあった。まさか聴かれているとは、思いもしなかった。
作り付けの、簡素な寝床から身を起こす。乱れた服を着なおす。腰まで長く伸びた黒髪が、肌に吸い付いて離れなかった。
ベッドの淵に腰をかけ、自分の“部屋”を見渡した。4畳半の部屋。彼女が初めて目を覚ました時から、変わっていない部屋。窓ない部屋。
そして、扉も開く事はない部屋。彼女が唯一、存在できる場所。
作り付けの寝床のほかに家具は、これもまた簡素な机と椅子が一組あるだけ。そして唯一ある調度品は、壊れた写真立て。ガラスがひび割れて、反対側の板が直接外気に触れている。
元々その写真立てに写真は入っていた。しかし、彼女がココに幽閉の身となってからは、その写真は父――渋鯖男爵――がどこかへ持っていってしまった。それ以来、見ていない。
彼女が身に纏っているのは、白い服だった。いや、服といっても、普通の服ではなかった。患者が着る真っ白な手術着。そういった印象を受ける。普段であれば、着ることがないようなそんな服であった。
「………私は、どうしたのだろう」
独り呟く。
自分の思考が文珠を通してとはいえ、外に漏れたのだ。いい気分はしない。それ以前に、恥ずかしくもあった。
『明日いらっしゃったら、私の玄関前の左脇にある通風口を開けて覗いて下さい。其処に地下室の扉を開くスイッチがあります。全ては其の地下室でお伝えします』
何故、あんな言葉が自分の口からでたのか、分からない。そのことで、彼女は困惑していた。
『愛しい』
そんな感情を、彼女は知らない。しかし、会話と同時に感じた『暖かい気持ち』が何であるのかも、分からなかった。
暫く考え込んでいたが、不意に体から力が抜けた。彼女の体は、長くは活動できない。だから、ここにいるのだ。
寝床に、横になる。自然と瞼は落ちてきた。
そして、ユメを見る。
暗い部屋。
窓のない部屋。あるのは、簡素な寝床と机と椅子が一組。机の上には、本やら書類やらが山積みになっていた。
地脈からの力が、一番安定している地下室で、ソレは執り行われていた。
「我は問おう。輪廻転生の輪は回り、生は死へ、死は生へと繰り返す。ならば、今ここに死し者より創られし躯は何故に生へと導けぬ。否。輪廻の輪により、この者に生あらんことを。我は願い奉る。この者に魂が戻りくることを」
中年とも言ってもよい男が、生気を感じさせない女性を前にして、祝詞をたてていた。
顔には珠のような汗がうかび、急速に頬は痩せこけていく。この儀式が男に多大なる負担をかけているのは、明白であった。
「この者、人の影なれど我が祝詞と神の慈悲にて、命と魂が戻らん事を。命の形あれば、形にもまた命あり」
男を――渋鯖誠一を眩暈が襲った。
右足が義足であるためかバランスを崩して、左膝を床に着けた。片膝を床に着けたまま、資料が山積みになった机に眼を向けた。机の片隅には、唯一綺麗な空間があり、そこには写真立てがおいてあった。
その写真立てに目を向けると、渋鯖は力を振り絞り、祝詞をたてた。
「今ここに、我は願い奉る。この者に、魂が帰らん事をっ」
渋鯖の祝詞と同時に、屋敷に落雷がおちた。
再びバランスを崩し、机に積んであった資料の下敷きとなった渋鯖は、跳ね上がるようにして起き上がった。そして、女性の肩をつかみ、必死に揺さぶった。自分の理論が実証されている事を願って。
「……ぅこ、…ょぅ子、祥子!」
どこからか、呼ばれた。遠くのかなたから、呼ばれ続けていたから。
呼ばれたから、彼女は起き上がった。
「御用ですか? 我が主」
男の浮かべた、悲嘆の表情が酷く印象的だった。
資料と一緒に落ち、ガラスが割れた写真立てに入っていた写真は、綺麗な黒髪を腰まで伸ばした女性の写真だった。
この瞬間が、人類の歴史において二例目の人口霊魂の生成に成功した瞬間だった。
男は、この事実から目を背けるかのように床に倒れ付し、気を失った。
男が次に目を覚ましたとき、最初に目に入ったのは、見慣れた天井だった。彼の記憶が確かなら、寝室のはずであった。
彼が状況に軽い困惑を覚えているをそのままに、寝室へ入ってきた者がいた。
彼が彼女の姿を見止めると、彼は目を見開いた。しかし、彼がこの瞬間に抱いた一縷の望みは、叶わなかった。
「起きられましたか? 我が主。三日ほど起きられないので、いぶかしんでおりました。おかゆを作ってきました。食べられますか?」
彼女は持っている盆を掲げながら、渋鯖に問いかける。自由意志といったものを、感じさせない凍った瞳だった。
渋鯖は、その瞬間に何かを悟ったのであろう。憑き物が落ちたような表情で、「ああ、食べるよ。ありがとう」とだけ言った。
これが、渋鯖と彼女の生活の始まりだった。初めて食べた、彼女の手料理は、砂糖と塩を間違えたのであろう、妙に甘くて食べられたものではなかった。
渋鯖は彼女に「人口幽霊壱号」と名を与えた。呼びにくいので普段は「幽壱」と呼んでいた。
渋鯖は彼女に、教育を施した。彼女は、中途半端に知識を持っていた。渋鯖の好きな料理の名前を言い当てたものの作れなかったり、誰にも――全てを共有していた一人を除いて――話した事のない秘密を言い当てたりもした。しかし、彼女は別人だった。魂の段階で、別人であった。
だから渋鯖は彼女に教育を施した。決して逢う事のない、我が子の代わりとばかりに、愛情を注いで育てた。
渋鯖は、彼女を家の外に出したがらなかった。どうしても外に出さなくてはならない場合は、彼女に男装を施した。それは、思わぬところで実を結んだ。
戦時中のどさくさで、彼女に家と土地とを相続させたのだ。「ゆういち」で呼ばれていたため、周囲には「息子」と認知されていたからだった。
普通なら、怪しむ点は多かった。しかし渋鯖男爵は、「変人」の「人嫌い」であったため、誰も口出ししなかった。
慎ましいながらも、渋鯖は幸せを感じていた。けれど、彼は不幸の星に魅入られていたのだろうか、幸せは続かなかった。
彼女にやっと感情が芽生え始めていた、矢先の出来事だった。
彼女は何時も通りに、食事を作り渋鯖と食卓を共にしていた。
「幽壱。今日のこの煮物はよくできてるな、美味しい」
「ありがとうご…」
彼女は最後まで言い切ることが出来なかった。
「幽壱!? 幽壱っ!?」
いくら呼びかけても、彼女が答える事はなかった。
渋鯖は彼女を、初めの地下室へと連れて行った。そこがこの家の中で最も力溢れ、氣が安定している部屋だからだ。あの時を、そのままの形で残す部屋で、渋鯖は資料を漁った。
分かった事は一つ。彼女の魂が『心』を持っていないために、創られた躯が保てなくなってきているということだった。
彼女の躯は、死んだ人間から取り出したパーツをくみ上げ、呪術で完成させた、生きし人形であった。正規の使い方であれば、病魔などに冒され先が長くない体の代用品として使われるものである。もっとも、この『人形』自体、闇の産物ではあるのだが。
その、呪術で創られた体は、完全なる魂が入ることによって、起動する。
彼女の魂は、『心』が芽生え始めていただけであった。そのため、魂が弱く躯が保てなくなってきているのだった。
渋鯖は考えた。彼女が生き残る方法を。そうして、一つの結論に達した。
それは、彼女を地下室に封じ込めるといったものであった。地脈の力が集まるこの部屋でなら、彼女の躯は朽ちる事はない。家に張ってある結界との相乗効果で、たとえ自分という霊力源がなくても無事でいられるように。そうして、時間を稼ぐ事であった。
その間に、彼女が『心』を持ってくれる事を願って。
「幽壱。お前には、今日からここで過ごしてもらう。そして、お前が誰か人を愛せるようになるまで、この部屋を出る事は許さん」
渋鯖は彼女に冷徹に言い放った。地下室にはすでに資料はなく、写真立てのみ置いてあった。
「そこの寝床に寝ていれば、家の中のことは分かるようになっている。そこで、暫くこの家の管理をしてもらう。いいな」
有無を言わせぬ口調であった。そんななかで、今まで一度も渋鯖の意向に背かなかった彼女が口を挟んだ。
「ひとつだけ、教えてください。その写真に写っている人は、誰ですか?」
彼女は気になっていた。時折、渋鯖の目が自分を通して誰かを見ていること。自分の姿とよく似た人が写っている昔の写真があること。そして、そのことについて訊いても答えが返ってくることはなかったから。
今日ならば、答えてくれる。そんな気が彼女はしていた。
写真立てから写真を抜き取った渋鯖は、扉の入り口まで歩いていった。そして、そのまま背中を見せたまま話し始めた。
「………いまから、二十年以上も前の事だ。関東を大きな地震が襲った。そのときにな」
一度、言葉を切る。写真を持った右手で右足の義足に触れる。何かをかみ締めるかのように。
「そのときな、私は右足と……唯一私を理解してくれた人を失ったんだ」
その瞬間に、渋鯖は酷く老け込んでしまったかのように見えた。
こうして、彼女が地下室に拘留されてから、半年が経ったある日。渋鯖は家を出て行き、二度と帰ってこなかった。
あれからずっと渋鯖は、彼女の体調を整えるための研究をしていた。
だから彼女は、彼が逃げたとは思わなかった。部屋に残されたものを彼女が観ていると、メモが残っていた。
『私の霊力では、安定させることが出来ない。それに心身ともに、優れた人物が妥当である。そうした人物の霊波を浴びる事によってお前は完全になる。心を持つことになる。探してくる』
そう走り書きがあった。そして、彼女はメモの内容に適合する人物たちを探し始めた。何十年にも渡って。
ユメを見た。
目が覚めた。
見えたのは、汚れた何時もの天井。窓から差し込む朝日が眩しい。
「………なんなんだ、この虚しさは」
横島は思わず呟いた。夢をみたのは、覚えている。しかし、どんな夢だったのかは、思い出せない。不思議な感覚だった。
そして、何故か。悲しかった。
今日は土曜日。何時もよりも早く、事務所にやってきた。
今、通風孔の前に立っている。ここに手を伸ばせば、きっと全てを知ることができる。しかし、ここで引き返しても人口幽霊壱号は何も文句は言わないだろう。
横島は決心する。
そして――。
To be continued.
あとがき
やっとできたw(ぇ
まぁ、そういうことで多くは語りませんが、コレなら設定にある程度辻褄があうかと…………あってるといいなぁ(爆)後、色々とやってしまった過去編。どうなることやらw(ぇ
では、次の方ヨロシクです(^^;
じゃぁ、逃げますw(ぉぃ