(3月1日夜10時、「ウルティマ」周辺宙域)
「今日は、みんなにこれからの事を説明しておこうと思ってな」
あの大きな戦闘が発生した翌日、俺達が割り振られた哨戒任務を行ってから「ガガーリン5号」に戻ると、急に迅雷先生に呼び出された。
呼び出し場所である予備の会議室に行くと、レイラ先生と迅雷先生が待ち構えていた。
「みんな。ご苦労さん」
「本来なら、本職のパイロットの仕事なんだが、こう犠牲が多いとな・・・」
迅雷先生とレイラ先生が、申し訳なさそうに事情を話し始める。
遠征開始時には、150機に迫る数の「ケイティー」部隊を運用してい「ステルヴィア」と「オデッセイ」の遠征艦隊は、その後の戦闘で多くの犠牲を出し、今ではその稼動数が50機ほどにまで減っていた。
50機といえばそれなりの数であるが、パイロットの数はそれよりも少なかったし、「ウルティマ」の民間人を乗せた艦隊を守りながら、地球・火星圏に戻るには、少し不安な数であると考えられていた。
24時間交代で、例の未確認飛行物体(もう敵と認識しても良かったのだが、現時点ではまだ未確認飛行物体と定義されていた)に対する警戒を行わなければならないからだ。
そんなわけで、俺と「ビック4」の面々は、プロのパイロット達と共に警戒・偵察飛行のシフトに組み込まれていて、先ほどまで偵察任務に就いていたのだ。
「迅雷先生。僕達は、任務に就かなくても良いんですか?」
「私もです」
俺達と同じように呼び出されている、光太としーぽんが自分達も任務に加わる意思を表明する。
「気持ちはありがたいが、お前達には(インフィニティー)の運用という大切な任務があるからな。それと、音山には例の新型DLSの運用と調整が残っている。結局、現時点であれをちゃんと使いこなせるのは、音山だけだからな」
「ウルティマ」までの40日間、俺は暇を見て新型DLSの訓練を行っていたのだが、いまだに基本レベルから先に進めずにいた。
なので、俺の身分は「音山光太に万が一の事があった時の予備搭乗員」という事で決定してしまっていたのだ。
しーぽんも俺と五十歩百歩という状態で、光太ですら状況に応じて新・旧のDLSを使い分けている状況なので、新型DLSというのは、相当に敷居の高い物であるようだ。
「(インフィニティー)は、万が一の時の最後の切り札なんだ。偵察は(ケイティー)で十分だし、整備に手間がかかる(インフィニティー)の隙を突かれて襲撃でもさられたら目も当てられん。君達2人は、シミュレーションでの訓練のみに留めて、24時間の待機任務に就いて貰う事になる」
「24時間ですか?」
「とは言っても、君達は学生でもあるから、行きに受けていた学園の授業はそのまま受けて貰うぞ。それと、音山は例の新型DLSの完成を目指してテストと調整を平行して行う事となった。大変だとは思うが、これも織原校長とジェームズ主任教授の命令でな」
「すいません。(ビアンカマックス)はどうなるのでしょうか?」
同じく、特殊なオーバビスマシンに乗っている俺も、これからの事を聞いてみる。
「厚木には、通常の偵察シフトに入って貰う。御剣と出向しているオースチン財団の技術者達が、作業用の(ビアンカ)を徹夜で改造しているので、(ビアンカマックス)が2機になる予定だ。お前はそれを交代で使用して、偵察任務と実習を全て受けて貰う事になった。ひょっとしたら、音山よりも大変かもしれないぞ」
迅雷先生は、パイロットの大量負傷と戦死でパイロット数よりも数の多い「ケイティー」を、犠牲者がいないために大量に残っている整備士達に高速で整備させて、パイロット数以上の数の機体を運用させるらしい。
これなら、常に良好な状態の「ケイティー」を運用できるし、最悪でも無人機を遠隔操作で敵機にぶつける事も可能であるからだ。
「ですが、やらねばなりません」
「厚木・・・・・・」
「俺はまだ学生で未熟ですが、オーバビスマシンには乗れます。俺はできる事をやるだけです」
「そうか。すまないな」
「(ビック4)も、概ね厚木と同じ事をやって貰う」
「わかりました」
「仔細承知」
「お任せあれ」
「了解です」
「それと、この合同艦隊の帰着予定日なんだが、4月20日前後となる予定だ」
「あれ?遅くありませんか?」
予定よりも遅い帰還日に、ケント先輩が疑問を投げかける。
確か本来の予定ならば、「ステルヴィア」への帰還予定日は4月10日前後であったはずだ。
「(ストレイカ)だよ。足が遅いからといって、あれを単艦では置いていけまい」
「そうですね」
ここ190年ほどの間、戦争を行っていなかったツケはここにも出ていた。
「インフィニティー」の新型ジェネレーターを足の遅い「ストレイカ」で運んだ挙句、帰る時の事を全く考えていなかったのだ。
「ストレイカ」を単艦で置いていって、例の敵に攻撃でもされたら大変な事になるので、「ステルヴィア」からの命令で船団は足の遅い「ストレイカ」に合わせて帰還する事となったのだ。
「何とも間抜けな話ですね」
「既に、(オデッセイ)の方から文句は行っていると思う。上層部と保安部の大失態だな」
「向こうも大損害で、うちと一連托生ですからね。それなのに、うち足の遅い船に付き合わされるわけですから」
「自分達だけで先に帰ろうとして、攻撃でもされたら目も当てられないからな」
「オデッセイ」の「クラーク」以下の艦艇も、俺達と一緒に船団を組んで帰る事になっいていた。
「ウルティマ」から避難した民間人は、「ステルヴィア」で預かる事になったのだが、お互いに戦力不足で単独帰還は無理と判断されたうえに、「(オデッセイ)が、邪魔な民間人を(ステルヴィア)に押し付けて早く帰ろうとした」などと非難される事を避けようという意図もあったものと思われる。
「考えようによっては、帰りの方が大変なんですよね」
「そうだな。行きよりも戦力が少ないうえに、守らねばならないものが増えた。それに、例の紐状天体の解析を風祭技官達にお願いしている。(インフィニティー)に搭載している新型DLSの完成を急がねばならない。やる事は多いな」
「どうして、新型DLSの完成を急がねばならないんですか?」
「風祭技官達が解析を始めているとはいえ、例の紐状天体の正体はいまだに不明だ。そこで、(ステルヴィア)への帰還後に(インフィニティー)を使用しての偵察が行われる事になっている。1日でも早く偵察を行うためには、新型DLSの完成は必須要項だな。どうせ50日近くあるのだから、時間は有効活用せねばなるまい」
「やる事は、多いんですね」
「そういう事だ。今日はこれで終わりだが、明日からは忙しい日々が待っているぞ!では、解散!」
迅雷先生からの話は終了し、俺達は明日に備えて眠る事にしたのであった。
「おはようございます。町田先輩」
「おはよう。孝一郎君」
「えっ!」
「どうかしたの?」
翌朝食堂で町田先輩と挨拶をすると、彼女は光太としーぽんとりんなちゃんの隣の席ではなく(両脇は2人に独占されているので座れなかったが)、俺の隣の席に座った。
そして更に、突然彼女は俺の事を名前で呼び始める。
「いきなり、どうしたんですか?」
「あら。共に命をかけて戦った戦友に敬意を表してよ。だから、私の事も名前で呼んでね」
「それって、まずくないですか?先輩なんですから」
「やよいは、普通に名前で呼ぶわよ」
「元々、同い年じゃないですか。俺は1つ年下ですよ」
「関係ないと思うんだけどな」
「でも、ケジメといいますか・・・。何と言いますか・・・」
俺がしどろもどろで言い訳をすると、町田先輩がすがるような表情で俺を見つめてくるので、返事に窮してしまう。
「本人がそう言っているのだから構わないと思うわよ。それに2歳年下のジェットは、私の事を名前で呼び捨てにするわよ」
「ナジマ先輩ですか。お2人は、恋人同士だからだと思いますけど・・・」
同じく俺達の近くの席に御剣先輩と座っていたナジマ先輩が、助け船と呼ぶには微妙なフォローを入れてくる。
「わかりましたよ。初佳先輩」
「先輩はいらないんだけどね。始めだから仕方がないか」
「(何か嫌な予感がしてきたよな。いつもなら、光太にべったりなのに・・・)」
「光太、はい。あーーーんして」
「りんなちゃん、僕は、1人で食べられるから」
「りんな。お父さんに食べさせてくれないかな?」
「お父さん、子供じゃないんだからね」
「そんな・・・・・・」
「光太君、(インフィニティー)の調整の事なんだけど」
一昨日の夜に風祭技官が光太を詰問した事がりんなちゃんの耳に入ってしまい、彼は微妙に娘に避けられていた。
今まではお父さんベッタリだったのに、急に避けられるようになった事は、彼にとっては大きなショックなのだろう。
その背中が微妙に煤けて見えるような気がする。
ちなみに、お母さんのナターシャさんは、同じ女性なので事態を冷静に見ているようだ。
光太とりんなちゃんが、本人の言っているような関係でない事を早期に察知していて、特に何も言っていないらしい。
「娘って、早く成長するんだな・・・・・・」
「あなた。元気を出してください。これから、解析作業に入るのですから」
今日から本格的に、「ウルティマ」を脱出した技術者達を主力とした紐状天体の解析作業がスタートし、風祭技官が指揮を執る事になっていたので、いつまでも落ち込んでいて貰っても困るからだ。
「りんなの機嫌は、すぐに直りますから。安心してくださいな」
「本当かな?」
「りんなは、まだ恋に恋する段階なんですよ。それに、音山君は片瀬さんの方に気があるみたいだし、本当にただの友達同士だと思っているようですよ」
「そうか。まだ、りんなに恋人は早いよな」
「さあ?それは、どうでしょうか?」
「そんな・・・・・・」
仕事の時間が差し迫っていたのに、ナターシャは自分の旦那さんを宥めるのに、更に時間を費やす羽目になってしまっていた。
「今日は、マニピレーターの実習を行う!今日の講師は・・・」
「マニピレーターを使わせたら、太陽系一のジュノ・マイヨールだ。今日は(インフィニティー)の整備と実習を兼ねて、マニピレーターの操作を実際にやって貰う。みんな、頑張ってくれよ」
「「「「「「「「了解!」」」」」」」」
朝食を食べ終わった俺達は、レイラ先生と特別講師であるジュノ・マイヨール氏の実習を受けていた。
俺達学生は、昨日の取り決めで日中は普通に授業や実習を受け、夕方や夜に偵察・警戒飛行を交代で行う事になっていた。
本当は24時間警戒態勢なので、他の時間も任務を行わなければならないのだが、夜の時間などは本職のパイロットが引き受ける事になっていた。
さすがに、その時間までを学生に任せるのは、荷が重過ぎると判断されたようだ。
「だが、音山と片瀬はコックピット内の調整が残っているので、それを引き続き行って貰う」
「了解です」
「でも、私には新型DLSは・・・」
しーぽんは少し不安そうな声をあげる。
彼女も「ステルヴィア」を出発する前に新型DLSの適正試験を受けていたのだが、結果は俺とそれほどの差がないと判定されていたからだ。
「効率は鈍るが、音山には新型DLSを。片瀬には、旧式のDLSを。という風に分ける事にしたんだ。前のように泥縄ではなく、ちゃんと摺りあわせを行って正確に動かせるようにだ。現状では、(インフィニティー)は確実に使える状態にしておかねばならないからな」
「レイラ先生、新型と旧式を同時に使って大丈夫なんですか?」
「何だ。知らなかったのか?前の戦闘では、ちゃんと使えていただろうが。要は効率の良いシステムの構築と調整の問題なんだ。そこで、その作業をオースチン財団の技術者達と合同で行って貰う事になった。それと、(ストレイカ)に積まれている予備のジェネレーターは、部品のままでついさっき組み立て作業が完了したばかりなんだ。それを装着して、先の戦闘での損傷部分を修理してと、手はいくらあっても足りないくらいなんだ」
「了解しました」
その後、「ビック4」と俺は、作業用の作業服に着替えてから外部で「インフィニティー」の補修作業に参加し、整備科の御剣先輩はジュノ氏の手伝いをしていた。
「ケント先輩、俺達って必要ですかね?」
「どうなんだろうね」
パイロットでしかない俺達には、大した修理作業はできなかったが、ジュノ氏は1人で10機の「ビアンカ」を巧みに動かしながらジェネレーターの取り付け作業を行っていた。
「細かい補修作業は、私達の仕事なのよ。直接目視できるから」
「オースチン財団の技術者達は、まだこっちだけに集中できないからな」
「(ビアンカマックス)の予備機の組み立てが終わっていませんからね」
「あれが2機ってのも凄い話だよね」
「実習用と偵察用で、2機必要と判断されたわけですよ。俺って、(ケイティー)に乗った事がないですから。いきなりは無理ですし」
「そちらの方が、操縦が難しいんだけどね」
「そうなんですか?実際に乗った事がないからわかりません」
「僕も時間があったら、乗ってみようかな」
「俺も乗ってみたいな」
「ケント先輩と笙人先輩なら、すぐに乗りこなせますよ」
「おいおい。プレッシャーをかけないでくれよ」
「お前達、余計な事を喋ってないで早く作業を行え!(インフィニティー)のジェネレーター取り付け作業が終わらないと、我々は出発できないんだからな!」
「「「了解!」」」
レイラ先生に怒鳴られた俺達は、超特急で作業に取りかかるのであった。
「凄いですね。どこかの研究室みたいだ」
「例の紐状天体。我々は(コズミックフラクチャー)と呼んでいるがね。これの解析を急ピッチで行っているんだ」
午前中に「インフィニティー」の修理を完了させた我々は、昼食後に座学の授業という事でこの特別研究室に呼ばれていた。
ここには臨時で様々な機器が置かれ、「ウルティマ」「ステルヴィア」「オデッセイ」からできる限りの人員が出向して解析作業を行っていた。
「私も、(ウルティマ)がなくなって暇だったからね。いい退屈紛れをさせて貰っているさ」
「大胆な意見ですね」
「君はケント君だったかな。何をどう言おうと、あれは確実に太陽系に接近しているからな。我々は、早くその影響を調べなければならない。それに、(ウルティマ)が行方不明なのも事実だからね」
ロフコフ司令の言う通りで、あのクラゲのような化け物にさらわれた「ウルティマ」の行方はようとして知れなかった。
太陽系中がこぞって探索しているようだが、手がかりすら掴めない状態のようだ。
「さて、学生諸君には、さっそく手伝って貰おうか」
この部屋を取り仕切っている、元「ウルティマ」の司令であるロスコフ氏から説明を受けていると、ここのナンバー2である風祭技官が俺達を呼び寄せる。
どうやら、ここでの手伝いが座学の授業の代わりという事になっているようだ。
「空いている席に座って、簡単な解析作業の手伝いをして欲しいんだよ」
「つまり、雑用ですね」
「そういう事だ」
各々が空いている席に座ってデータの解析を行うのだが、基本的にチマチマとした作業が苦手な俺は苦戦していた。
「こういうのは、苦手なんだよね・・・。しーぽんは、得意そうだけど・・・」
しーぽんが作業をしている方を見ると、彼女の能力に感心した職員達が、更に難しい作業を次々にお願いしている光景が見える。
「光太も無難にやっているよな・・・・・・」
光太ばかりでなく、「ビック4」と御剣先輩もスムーズにパソコンを操作しているので、ここで一番のバカは俺であった。
「孝一郎でも、苦手な事があるんだね」
「俺は、苦手な事だらけさ。球技やら料理やら細かい作業やらね」
先にここに来て作業を手伝っていたりんなちゃんが、俺に話しかけてくる。
りんなちゃんは、午前中に正式に「ステルヴィア」への編入手続きを済ませ、午後からは俺達と合流して解析作業を行っていた。
さすがに、偵察任務には加わらないが、実習等も「ビアンカ」を使って参加する事になったのだ。
「ふーん。でも、これから偵察に出るんだよね。いいな。私も行きたいな」
「そんなに良いかな?レイラ先生と一緒なんだよ。それに、この船は高速で航行しているから、相対速度を誤ったらすぐに迷子になる。宇宙で遭難して酸欠になったら、最悪の死に方をするんだよ」
「うへぇーーー!私も、それはやだな」
「大丈夫だよ。昔ならいざ知らず、最新の安全装置の付いた(ケイティー)にそんな心配はないさ」
俺達の話に、作業をひと段落させたケント先輩が加わってくる。
「(ケイティー)は、ですよね。(ビアンカマックス)はどうなんですか?」
「さあ?」
「えっ!さあって・・・」
「御剣君に聞いたらどうかな?御剣君」
ケント先輩は、同じく作業をひと段落させてナジマ先輩と話していた御剣先輩に話しかける。
「(ビアンカマックス)には、最新鋭の安全装置が付いている。安心したまえ」
「最新鋭ですか?」
「そうだ。エネルギーがある限りはコックピット内の生存環境を最適に保ち、従来のそれよりも圧倒的に優れている。貴重なパイロットを失わないための物で、次期量産型のオーバビスマシンに搭載予定だ」
「でも、それって試験中って事ですよね・・・?」
「君の尊い犠牲が、次への道を切り開くんだよ」
「それって、笑えませんよ・・・・・・」
「大丈夫だって、理論的は完璧なんだから。あのオースチン財団の技術者達の最高傑作なんだよ」
付き合いが長くなるに従って、彼らが非常に危ないマッドエンジニア達である事に気が付いていた俺は、とても心配になってくる。
彼らと御剣先輩の方向性に、それほどの違いはなかったのだ。
「大丈夫だって!大船に乗ったつもりで安心してくれ」
「はあ・・・」
俺は多少の不安を残しつつも、一応は素直に返事をするのであった。
「さて、行くとするか。厚木、町田。迷子になるなよ」
「「了解!」」
午後の時間に行っていた解析作業の手伝いを終えた俺達は、レイラ先生指揮の元で偵察任務に出る事になっていた。
艦隊の周囲を飛行しながら、万が一の事態に備える直衛任務というやつで、昔は空母を含む機動艦隊の艦載機が行っていたそうだ。
「では!発進!」
レイラ先生用に赤に着色された「ケイティー」と、町田先輩の青の「ケイティー」と、俺のダークグリーンに着色された「ビアンカマックス」は、「ガガーリン5号」から発進して所定のコースの巡回を始める。
この「ビアンカマックス」は、昨日の内に組み立てられた2号機で、1号機と区別するためにダークグレーに着色されていた。
本当は赤が良かったのだが、赤はレイラ先生の色なのでどうにもならなかったのだ。
「これからは、このメンバーで毎日2時間の直衛任務に就いて貰うからな。ケント達も、他のパイロットの指示でお前達の後に同じ任務を行う事になる」
「軍人になった気分です」
「万が一の事態を想定してだ。そんなに、身構えない方が良い」
「ですが、敵の襲撃がある可能性も捨て切れません」
「その点に関しては、私も迅雷も少し楽観しているんだ」
「そうなんですか?」
「今までに、各ファウンデーションで未確認飛行物体が目撃された例は多数あるが、航行中の船団に目撃例はないからな。このまま、寄り添って帰れば、無事に終わるだろうという事だ」
「かもしれませんが、あの未確認飛行物体の正体は不明ですし・・・」
あの事件の翌日に、「ウルティマ」周辺で撃破した未確認飛行物体の残骸の回収作業を行ったのだが、なぜかその欠片や痕跡すら何も見つからなかったので、連中の正体を知るヒントは非常に少なかった。
なので、現時点では、本当に安心できるという保障もなかったのだ。
「レイラ先生は、彼らが(ウルティマ)という目的を達したと考えているんですか?」
俺と同じような考えを持っている町田先輩も、レイラ先生に疑問をぶつけている。
「そういう可能性が高いという事だな。勿論、油断は禁物だが。それに、50日近くもあるんだ。緊張しっ放しでは、身がいくつあっても持たないぞ」
「それもそうですね」
「厚木と町田は、実習と直衛飛行で腕を磨けば良い。さすがに、艦隊から少し離れての偵察任務はプロに連中に任せる事にしたからな。いくら最新機器があるとはいえ、航行中の宇宙船との相対速度を保ちながなの飛行は、我々にでも難しい事なんだ。ここがファウンデーションなら、良い経験になるから任せるんだがな」
「宇宙空間に迷子ってのも、ゾっとしませんよね」
「たまに忘れかけるんだが、お前と音山と片瀬は、入学一年未満の予科生なんだよな。私ですらそうなんだから、他の連中は尚更だ。何かがあると、お前達に任せようとする傾向があって困っている」
その後、俺達は様々な話をしながら直衛任務を無事に終了させたのであった。
「今日は、お休みだ!」
「ここのところ、お休み返上だったからね」
あれから、一週間の時が流れた。
俺と「ビック4」は、午後4時までは座学と実習と例の「コズミックフラクチャー」の解析作業の手伝いを行ってから、夕方と夜は交代で直衛任務を行うという生活を過ごし、しーぽんと光太は学業に加えて、「インフィニティー」の調整とシミュレーションでの訓練を行っていた。
りんなちゃんも、無理が出ないように座学と実習と各種の手伝いを俺達と一緒に行ったいて、それぞれが不足ぎみの人員の補佐を懸命に行っていた。
だが、一週間も過ぎると軽傷者が復帰し、例の未確認飛行物体の影すら探知されなかったので、順次交代で休暇を取る事になっていたのだ。
そんなわけで、俺達は朝の食堂で久しぶりの休みにワクワクしながら朝食を取っていた。
「でも、遊びに行くってわけにもいかないんじゃないの?」
「確かに、(ガガーリン5号)に遊びに行く場所は存在しないな・・・・・・」
りんなちゃんの鋭い指摘に、全員が心を曇らせ始める。
「光太君、公園に行こうよ」
「公園?ああ、あの人口緑地の事だね」
「うん。私、お弁当を作ったんだ」
「いいね。行こうか」
「行こうよ」
「では、お先に」
「失礼します」
しーぽんと光太は、手を繋ぎながら食堂を後にする。
「あれ?りんなちゃんは、付いていかないの?」
「だって、お邪魔だもの・・・・・・」
「へっ?」
「光太、昨日の夜にしーぽんに告白したんだって。しーぽんも受け入れた以上、私は身を引かないとね」
「俺は聞いてないな・・・。昨日の夜って、(インフィニティー)の調整作業中にか?」
確か昨日の夜に2人は、「インフィニティー」の調整を行っていたはずだ。
というか、完全な試作機である「インフィニティー」は、毎日調整をする必要があるのだ。
「(インフィニティー)のコックピットって、2人きりになり易いからね。あーーーあ。私、フラれちゃったよ」
りんなちゃんの話によると、昨日の夜に光太の告白を受け入れたしーぽんが、りんなちゃんの部屋に謝に来たらしい。
先に好きになったりんなちゃんを差し置いて、自分は光太と付き合う事になったからであろう。
そういうところが、非常にしーぽんらしい部分でもあった。
「あそこまで謝られちゃうと、何も言えないしね。私も、今まで邪魔をしていた手前ね・・・」
「りんなちゃん、大人だな」
俺は、12歳とは思えない意見を連発するりんなちゃんに感心してしまう。
更に周りを見ると、にこやかな笑顔を浮かべている風祭技官の姿が確認できた。
娘に悪い虫が付かなかった事が嬉しいようだが、初恋に敗れた娘に対して見せない方が良い表情であるとも思った。
「そうかそうか。俺が、映画にでも連れて行ってあげよう」
「わーーーい!映画だ!映画だ!」
「映画館なんて、(ガガーリン5号)にあったっけ?」
「資料室の大型スクリーンで、映画でも見ようかと思いまして。あそこには、過去の名作が沢山ありますから」
ケント先輩の疑問に俺は答える。
「それは、面白そうね」
「僕もそうしようかな?」
「そうだな。たまには、映画も面白そうだな」
「ジェット、一緒に行きましょうか?」
「そうだね。みんなで行くとしますか」
こうして、俺達は貴重な休日を映画鑑賞で過ごす事を決めたのであった。
「うーん。本当に、色々な映画があるんだね」
「厚木、どうして知っているんだ?」
「たまたま見つけて、たまに鑑賞していたんですよ」
資料室に到着した俺達であったが、俺を除くみんなは、その意外な大きさに驚いていた。
高速宇宙船ともなれば長期間の航行任務になる事が多いので、精神安定のためにできる限りの設備が置かれるのが普通で、これもその1つであった。
だが、デートに向くほどの物でもなく、あとの設備と言えば温水プールがあるトレーニングルームとしーぽんと光太が出かけた人口緑地と購買部くらいであろう。
資料室には、数人で見られる視聴用の個室が複数設置されていて、各部屋に大型スクリーンが設置されていた。
「さて、何を見ようかな」
「私はこれを見るわ」
ナジマ先輩の選んだディスクは、少し前にリメイクされた「ロミオとジュリエット」であった。
非常に彼女らしい選択と言えよう。
「また、これを見るのぉーーー!」
「ジェット、文句でもあるの?」
「だって、5回目だよ。それ」
御剣先輩は、ナジマ先輩の付き合いで何回も同じ映画を見させられているようで、うんざりしたような顔をしていた。
「シェイクスピア作品の映画は少ないのよ。それとも、(ベニスの商人)にする?」
「あれは、12回目だからもっとヤダ!」
「じゃあ、これを見るわよ」
「とほほ・・・・・・」
御剣先輩は、ナジマ先輩に引きずられながら視聴室に入って行く。
「俺は、これを見るぞ」
次に笙人先輩の持ってきたディスクは、昔のアメリカで製作されたニンジャムービーであった。
「何とも、インチキくさい作品ですね」
「アメリカ出身の僕でも、その手の作品の日本観はおかしいと断言できる」
「これは、素直に見るのではなくて、ツッコミを入れながら見ると楽しいのだ。誰か一緒に見るかね?」
「遠慮させていただきます・・・・・・」
「そうか。残念だな」
笙人先輩は、1人で視聴用の個室に篭ってしまう。
「僕は、普通にこの作品を見るよ。忙しくて新作の時に見られなかったんだ」
ケント先輩の持って来たディスクは、数年前に大ヒットしたSF映画であった。
「みんなも見るかい?」
「俺は目的の作品があるんですよ。ちなみに、これですけど」
俺は、同じく数年前に流行ったホラー映画のディスクをみんなに見せる。
「えっ!これを・・・?」
「評判が良かったから、一度見てみたかったんだけど時期を逸してね。ここなら、無料で見れるから。りんなちゃんも見るでしょう?」
「えっ!私?私、見た事があるから!ケント先輩、私、そっちが見たいな!」
「そうかい。じゃあ、一緒に見ようか」
あきらかに動揺しているりんなちゃんは、ケント先輩と視聴用の個室に入ってしまう。
「そんなに怖いのかな?これ」
「さあ?私も、見た事がないから」
「じゃあ、一緒に見ますか?町田先輩」
「初佳でしょう」
この一週間で、町田先輩の事を懸命に名前で呼ぼうとしたのだが、どうしても過去の癖で町田先輩と呼んでしまう事が多く、それを咎められる事が多かったのだ。
「初佳先輩、ホラー映画って大丈夫ですか?」
「見た事がないからわからない。映画は恋愛物に限るわ」
「俺は、恋愛物は駄目ですね。すぐに居眠りパターンです」
「でも、これなら寝ないんでしょう。さあ、行きましょう」
俺と初佳先輩は、個室に篭って映画の鑑賞を始めた。
「意外とリアルですね。結構、面白いや」
「ええ・・・。そうね・・・」
初佳先輩と一緒に見始めたホラー映画は、ヒット作であったので結構面白かった。
久々のゾンビ映画というのも、ヒットの要因だったのかも知れない。
CGで製作された多くのゾンビが人々を襲う画面は、なかなかにリアルであった。
「初佳先輩、面白いですね」
「怖くないの?」
「いえ。普通に面白いですよ。初佳先輩、怖いんですか?」
「まさか・・・。私が怖いなんて・・・・・・」
だが、それとは裏腹に、初佳先輩の表情は微妙に青ざめ、かすかに震えているようにも見えた。
「キャーーー!」
「えっ!町田先輩!ちょっと、タンマ!」
更に画面一杯の現れたゾンビが人を食い殺す画面になると、大きな悲鳴をあげた初佳先輩が俺に抱き付いてくる。
「やっぱり、怖いんですか?(ちくしょう!可愛いじゃないか)」
日頃の毅然とした態度と違って、ホラー映画を真剣に怖がって俺に抱き付いてくる様子に、俺は1人萌えていた。
「やっぱり苦手よぉーーー!ホラー映画は!」
「見た事あるんですか?」
「小さい時に見て、怖くて夜眠れなかったから、それから見ていないのよ。それとね」
「何ですか?」
「町田先輩じゃないでしょう。初佳よ」
「了解です」
それから、映画が終わるまで、初佳先輩は俺にしがみ付きっ放しであった。
「何かさ。デートみたいだったよね」
「そうかい?」
「うん。本科生で女性人気ナンバーワンのケント先輩と、2人で映画を見たんだから」
「(でも、りんなちゃんとケント先輩だと、確実に犯罪コースだよな・・・)」
「(ケント、それはさすがにヤバイだろう・・・)」
「厚木君、笙人。今、何か失礼な事を考えていなかったかい?」
「いいえ。滅相もない」
「俺を疑うなんて、心外な話だな。ケント」
「違うのなら、別に良いんだけどね(風祭君と僕じゃあ、兄と妹が精々だしね)」
映画を鑑賞後、食堂で昼食を取っていると、りんなちゃんが楽しそうに話を始める。
「ガガーリン5号」で飲食が可能な場所はこの食堂のみであり、この事が余計デートという物を妨害する要因でもあった。
対抗策が今日のしーぽんのように、自分でお弁当でも作るしかないからだ。
「やれやれ。俺は、りんなちゃんにふられたかな?」
「何を言っているのよ。アリサにバレたら、大変な事になるからよ。それに、やよいはもっと怖いし」
「お嬢が?」
「孝一郎、気が付いていないの?」
お嬢が、俺の事をまだ諦めていない事は何となく理解していたし、彼女が意外と策士である事も知っていた。
だが、怖いという部分については、思い当たる節がなかったのだ。
「男って、鈍いわねぇ」
「初佳先輩、それはないと思いますけど・・・」
「今日は、厚木君と初佳の方がデートっぽかっただろう。何しろ2人で映画を見た挙句に、その内容が怖くて、初佳がずっと厚木君に抱き付いていたんだから」
「ケント!」
「それに、あれもねえ・・・・・・」
「アレって、何ですか?ケント先輩」
りんなちゃんがアレの詳細を尋ねてくるが、きっと、この前のキスをしてしまった事件の事を指しているのであろう。
自分でもあれは事故だと思っているのだが、何となく初佳先輩の事を意識しだしたのも事実であった。
この時の俺は2ヵ月近くも恋人に会えなかったり、一ヶ月ちょっとの付き合いとはいえ師匠と思っていた人を亡くしたりと、精神的にかなり不安定な状態に置かれていた。
そんな時に、初佳先輩は勉強や実習での件で面倒を見てくれるばかりでなく、色々と慰めてくれたし、前とは違ってかなり自分をさらけ出してくれるようになっていた。
名前で呼ばないと怒ったり、初めてお酒を飲んで酔っ払ったり、怖い映画を見て抱き付いてきたりと、ありきたりな事ではあったが、男から言わせて貰えばかなり魅力的に映っていたのだ。
現に、たまに実習や座学の授業で一緒になる「オデッセイ」のカルロスを除く本科生達が、ちょっかいをかけて撃沈される様子が度々目撃されていた。
「さてと。俺は、ちょっと用事があるので失礼します」
「いってらっしゃい」
「では・・・・・・」
「厚木君、何の用事なのかな?」
「毎日のお電話ですよ」
「ああ。グレンノース君だね」
「そういう事です。では」
「初佳、付いていかないの?」
「何で?」
「だって、彼女に電話しに行ったのよ。ここは、普通・・・・・・」
俺が通信室に行ったあと、初佳とナジマは、小声で内緒話をしていた。
「ナジィ、あなたも、やよいや片瀬さんと同じ考えをしているのね」
「そうかしら?」
「彼に強い押しは禁物よ。グレンノースさんは、タイミング良くフォローは入れていたけど、あまり強引ではなかった。そこが彼女の勝因ね。それに、孝一郎君の試合を見ればわかるでしょう」
「そうなの?」
「強引に攻めても、かわされるだけ。興味を惹いて引き寄せるのが吉なのよ」
「藤沢は、それほど強引ではなかったと記憶しているけど・・・」
「やよいの欠点は、賢すぎる事なのよ。策を弄しすぎて、彼に警戒感を抱かれている。彼には、現時点で恋人がいるのだから、ストレートな告白や妨害は無意味よ。罪悪感を抱かせてしまうからね。この50日間で、面倒を見たり相談に乗ったりして、私の存在を印象付けてから、チャンスを伺う。数年の時がかかると思うけど、最終的に勝利すれば良いのよ!」
「初佳。あなた、変わったわね・・・・・・」
「教官になった私に、本科生になった彼が話しかけてくるの。(初佳、お昼に行こうよ。それと、週末の予定も立てないとね・・・・・・)何か、バラ色の人生よねぇ〜」
「そうね・・・・・・」
「初佳、内緒話はもっと小さな声でやってくれ」
「初佳、お前は恐ろしい女になったな・・・」
「孝一郎も大変よね。アリサにやよいに町田先輩かーーー」
「グレンノース君には言えないよなぁーーー。ナジィが、呆れるほどなんだから・・・」
2人の内緒話は、声が大き過ぎて内緒になっておらず、周囲に筒抜けであった。
「孝一郎、私、やっぱり整備科目に選択を変えたよ。あなたの(ビアンカマックス)を、1人で整備できるように頑張るからね。でも、90日間は長いよね。しーぽんと光太は、楽しそうだけど・・・。じゃあ、また連絡するから」
「以上で通信を終わります。お返事を送りますか?」
「頼む」
「では、どうぞ」
俺とアリサの通信は、2〜3日に一回のペースで行われていた。
今回の「ウルティマ」での事件の詳細は、機密事項に指定されていて話す事はできなかったが、自身の悲しさと寂しさを紛らわすために、
懸命にメッセーを送っていたのだ。
「アリサが、(ビアンカマックス)を整備してくれるなら、安心して乗る事ができるな。御剣先輩は腕は良いんだけど、新しい事を何でも試したくなる癖があるからね。それと、しーぽんと光太の事を聞いているかい?あの2人、ようやく正式に付き合う事にしたらしいよ。何というか、時間がかかったよね。俺は、そうだなあ・・・・・・。毎日忙しくて大変だね。予科生なのに、本科生と同じ事をさせられているんだから。じゃあ、また連絡するよ」
「アリサ・グレンノース様に送信します。次に、藤沢やよい様からの伝言です」
「お嬢からの?」
アリサとは定期的に連絡をしていたし、一週間に1度は、みんなからも通信が届いていたが、お嬢単独というのは始めての事であった。
「何だろう?」
「こんにちは。孝一郎君」
「えっ!」
届いていた通信文を再生すると、画面の中に見慣れない黒い長髪の美女が映っていた。
「お嬢なのか?」
良く見ると、彼女は友人である藤沢やよいであったが、髪をおろして眼鏡をしていなかったので、一瞬誰だかわからなかったのだ。
「昔は髪をおろしていたから元に戻したのよ。それに、眼鏡を止めてコンタクトにしたの。似合う?」
「うん。似合う」
俺はバカみたいに録画映像に向かって素直に返事をするが、お嬢に直接それが聞こえるはずもなかった。
「噂によると、大変な事になったみたいだけど、元気を出してね」
「はい。元気を出しますです」
更に、彼女は胸元のあいた服を着ていたので、思春期の青少年には刺激的な光景が映し出されていた。
「帰ってきたら、みんなでお帰りなさいパーティーをするから楽しみにしててね。じゃあ、私はこれで」
「映像を終了します。録画してお持ち帰りしますか?」
「はい!」
俺はお嬢の策に乗せられている事を自覚しつつも、普通の男の子が取るであろう行動を素直に行う事にした。
「孝一郎君、明日のお休みなんだけど・・・」
「明日ですか?」
あれから更に一週間近くの時が流れた。
俺は初佳先輩に勉強を教えて貰ったり、直衛飛行の時の班が一緒だったりと、他の「ビック4」のメンバーや、「インフィニティー」の調整が忙しいしーぽんと光太などよりも、一緒にいる時間が長くなっていた。
「片瀬さんと音山君が一緒に行った、人口緑地に行ってみない?」
「たまには、ノンビリするのも良いですね。でも、俺はお弁当なんて作れませんよ」
「それは期待していないわ。私が作ってあげるから」
「初佳先輩って、料理できるんですか?」
「もう。失礼ね。毎日は作らないけど、ちゃんと作れるわよ」
「すいません。(ビック4)って、鍋料理くらいしか想像できなかったので」
「あれは伝統らしいから。私は普通に料理をするわよ」
「俺は駄目ですね。いくら練習しても、旨く作れないんです。ご飯を炊くのが精一杯で・・・・・・」
「じゃあ、明日は期待していてね」
「楽しみにしていますよ」
「じゃあ、明日の10時に人口緑地で」
俺は明日の行楽(デートではない!)を楽しみにしながら、初佳先輩と別れたのであった。
「あら。女性を待たせないなんて、意外と紳士なのね」
「10分前集合が、習慣になっていますからね」
翌日の午前9時50分に人口緑地で町田先輩を待っていると、彼女は日頃の制服姿ではなく私服姿でお弁当を入れたバスケットを持って現れる。
「だから、私も10分前に来たんだけどね」
「それを予想して、更に5分前に来たわけですよ」
「ふーん。そうなんだ」
「とりあえず、座りましょうよ」
「そうね」
俺達は、近くのベンチに座って景色を眺め始める。
この人口緑地は、手前には各種の樹木や草花が埋められ、奥のスクリーンには時刻や季節に応じて、様々な映像が投影される仕組みになっていた。
「今日の景色はどこかしら?」
「ああ。日光ですね」
今日のスクリーン画像は、誰が見ても華厳の滝周辺の映像であった。
「そういえば、見た事のあるような・・・」
「修学旅行ですか?」
「孝一郎君もでしょう?」
この時代の日本の小学生の修学旅行の定番は、やはり京都か日光であった。
「初佳先輩、お茶でも飲みます?」
「あら、気が利くわね。でも、大丈夫?」
「お茶くらいなら淹れられるんですよ。茶葉は高級品ですし」
俺は、水筒に淹れておいたお茶をカップに注いで初佳先輩に渡す。
「本当に良い茶葉を使っているのね。ちょっと意外」
「全部もらい物ですよ。俺は、今年度は物持ちなんで」
俺は「ステルヴィア」に来てから一部の生鮮食料品以外、ほとんど買い物をした事がなかった。
大抵は、大量のもらい物の中から必要な物が見つかるからだ。
「そうか。君は、ゴールドメダリストなのよね」
「ここのところ、色々とあり過ぎて忘れていましたけどね」
「ケントのお兄さんも浮かばれないわね。自業自得なんだけど」
「ケント先輩には悪いですけど、あいつはバカですから」
「ケントとも仲が良くないのよ。お母さんが違うらしいから」
「お金持ちの家って大変ですね」
「そうよね」
そんな話をしながら周りを観察すると、俺達と同じように休暇中の乗組員達が、景色を眺めたりしていた。
人数は1人から5人程度が主流で、中にはカップルに見える2人組の姿も確認できた。
「平和よねーーー。何か、この前の事が嘘みたい」
「ですね。でも、本当に死んでしまった人が大勢いるんですよね・・・」
「あなたは、良く頑張ったわよ。おかげで、犠牲も減らす事ができたし・・・。少なくとも、私はそう思っている事は覚えていて」
「初佳先輩・・・・・・」
「私も、あの時にやよいを助けられなかった。でも、やよいは私の事を親友だと言ってくれた。きっと、スピアーズ隊長も他のパイロット達も、あなたの事を良い弟子で部下だったと褒めてくれるわよ」
俺は、死者が物を語るとは思っていなかったが、初佳先輩にそう言われると、何となくそう思えるのが不思議であった。
俺はあの事件以来、心のどこかで誰かの慰めを求めていたのかもしれなかった。
恋人であるアリサがいないので、俺は訓練や任務に集中する事で、悲しみを無理矢理忘れていたからだ。
「さあ。暗い話はこれで終わりよ。そうねえ。孝一郎君の昔の事が聞きたいな」
「昔の事ですか?」
「孝一郎君は、光太君と幼馴染だったんでしょう?」
「ええ。これでも、兄貴分でしてね」
「その頃の話をしてよ」
「わかりました」
俺は、初佳先輩に昔の事を語り出した。
「ねえ。何かあの2人って、恋人同士に見えない?」
「そう言われると、そう見えなくもないかな?」
「孝一郎君、アリサを裏切るつもりなの!許せない!」
「志麻ちゃん、落ち着いてよ。孝一郎も色々とあったんだよ」
「光太君!男同士って、浮気をかばうものなの?」
「あれを浮気と判定するのは、時期尚早だと・・・・・・」
「ナジィ、また町田君を焚き付けたのかい?彼には、グレンノース君という彼女がいてね」
「知っているわよ。でも、この程度の事で別れるなら、それだけの関係だったという事」
人口緑地内のベンチで楽しそうに話している2人の様子を、同じく休暇中の6人の男女が密かに観察していた。
「この大切な時に、彼女の不在は痛いな。厚木も、初佳と2人きりでいる事にあまり疑問を抱かなくなっている」
更に、もう1人の男が話に加わってくる。
「厚木君本人は、行楽気分なのだろうが、これがグレンノースにバレたらどうなるんだろう?」
「というか、藤沢君に知られても修羅場が確定だよね」
「私、どうしたら良いんだろう・・・・・・。孝一郎君はこの前の事で大きく傷付いていたのに、私は自分の事ばかりを考えて手を差し伸べる事ができなかった・・・。ここで、孝一郎君を責めるのは簡単だけど、町田先輩のおかげで孝一郎君が癒されているのは事実だし・・・・・・。でも、アリサも可哀想だし・・・」
「志麻ちゃん・・・・・・」
しーぽんは、付き合い始めたばかりの光太と一緒にいるのが楽しくて、大切な親友のフォローを忘れていた事を後悔していた。
「まさか。この短期間で、ここまで関係が進むとは意外だったわ。事実は小説よりも奇なりね」
「ナジィ、この状況を楽しんでいないかい?」
「そんな事はないわよ。ただ、偶然とはいえキスまでしてしまった以上、初佳の肩を持ちたかっただけ」
「「「「えーーーーーーっ!」」」」
ナジマの突然の暴露に、事情を知らなかったしーぽん、光太、りんな、笙人が驚きの声をあげる。
実は、ナジマはその場にいなかったのだが、御剣先輩に詳細な事情を聞いていたし、初佳からも相談を受けていたのだ。
「ナジィ!それを暴露しては!」
「孝一郎君が、町田先輩とキスぅ!」
「まさか!そんな事が・・・。いや、ありえるかも・・・」
「ナジマ先輩、どういう事なんです?(蓮先生に続いて、孝一郎ったら!もう!)」
「それは、俺も初耳だな。黙っているなんて酷いぞ。ケント」
それぞれが驚きの声をあげて収拾が付かなくなったので、ケントは細かい事情の説明し始める。
「偶然とはいえ、時期が良くないですね」
「ちょっと前の孝一郎君なら、町田先輩と2人きりで出かけるなんて事は絶対にしないと思う。やっぱり色々とあって、精神状態が不安定なのかな?」
「あっ!何かを始めたよ」
「手作りのお弁当か・・・。これはますます・・・」
いつの間にか時間はい昼になり、2人は監視を続けている7人の見ている前で一緒にお弁当を食べ始めるのであった。
「何か、外野がうるさいですね」
「ひょっとして、デートだと思われているのかしら?」
「蓮先生に言わせると、恋人同士でなくてもデートは可能だそうですよ」
「それで、ランジェリーショップに引きずられたのね」
「お嬢とアリサも乱入してきて、酷い目に遭いましたよ。おっ!初佳先輩って料理が上手なんですね」
俺と初佳先輩は、周囲をあまり気にせずに作って貰ったお弁当を食べながら、様々な内容の話を続けていた。
更に、初佳先輩手作りのお弁当のメニューは、同じ日本人同士という事で、俺の好みにあった物であり、味もとても良かったので大満足であった。
「そう。気に入って貰えて良かったわ」
「毎日食堂のメニューじゃ飽きるけど、自分では作れないですから」
「毎日は無理だけど、たまに作ってあげるわよ」
「ありがとうございます」
「孝一郎君ったら!そういう事は、私に頼みなさいよ!はい、光太君のお弁当」
「ここで、素直にありがとうというのは問題があるよね。志麻ちゃん、ありがとう」
「これで、(ステルヴィア)に戻ったら修羅場確定だね。ナジィ、今日は僕の当番だったよね。はい。お弁当」
「恋は戦いなのよ。現状に胡坐をかいていたら、すぐに他の人に取られてしまうわ。今日のは特に美味しそうね。ジェット」
当初の目的を行いながらも、既にカップルになっているしーぽん・光太ペアとナジマ・御剣ペアは用意していたお弁当を食べ始める。
「君達ね・・・・・・」
「ケント、食事の時間を守る事は大切な事なのよ」
「ナジィ・・・・・・。君って・・・・・・」
ケントが1人呆れていると、自分の目の前にお弁当が差し出される。
「これは?」
「私が作ってみたんです。どうぞ、食べてください」
「ありがとう。風祭君」
「いえいえ。新しい恋人ができた時の、予行演習ですよ」
お互いに独り身である笙人と食堂でも行こうと思っていたケントは、思わぬプレゼントに顔をほころばせる。
例え、自分のより8歳も年下の子供のような少女からとはいえ、嬉しい事に変わりはなかったのだ。
「ちなみに、俺の分は?」
「すいません。忘れてました」
「ふっ、そうか」
笙人は、りんなの一言に傷付く素振りも見せないで、自分で用意していた竹の皮の包みをそっと開ける。
中身は、自分で作った梅干のおにぎりとタクワンであった。
更に、用意していた魔法瓶の中身をカップに注ぐと、暖かいままのワカメの味噌汁が出てくる。
「ステルヴィア」内で忍者の末裔と噂される笙人律夫は、どんな状況下でも冷静な男であった。
「ごちそうさまでした」
「綺麗に全部食べてくれると嬉しいものね」
「本当に美味しかったですから」
食事を終えた俺達は、食後の散歩を兼ねて人口緑地内の通路を散策していた。
「あのね。孝一郎君」
「何ですか?」
「もし、私があなたの事が好きだって言ったらどうする?」
「それは・・・・・・」
思えば初佳先輩と俺との出会いは、入学式後の歓迎ダンスパーティーであった。
始めは「綺麗な先輩」くらいの認識であり、次にはしーぽんへの接し方もあって、「優秀だけど少し冷たい先輩」というイメージを持っていた。
そして、「グレートミッション」時には敵意と憎しみを持たれ、あの大事件を起こされるまでになっていた。
だが、その後は劇的に関係が回復し、今では友達以上の感覚を持っている可能性も否定できなかった。
俺は今でもアリサが好きであったが、「初佳先輩が好きではないのか?」と問われると、それを否定できないくらいのところまで気持ちが進んでいたのだ。
「でも、私は孝一郎君に酷い事をしてしまったし・・・」
「それは、既に関係ないです。今の初佳先輩は、俺に色々と気を使ってくれるし、優しいですから」
「そう言ってくれると嬉しいわ」
「でも、俺はまだアリサの事が好きだと思います」
「やっぱりね。私の予想通り」
「えっ?」
「私は、やよいのように焦らないから。今はこのままの関係で良いと思うの。数年して、孝一郎君が私を選んでくれればそれで良しと思っている。だから、変に考えたり焦ったり罪悪感に悩まないでね」
「はい。わかりました」
「それで良し。さて、これからどうしましょうか?」
「勉強を教えてくださいよ。ここのところ、さっぱりわからなくて・・・」
「当たり前よ。あれは、本科生のやる内容だもの」
「しーぽんと光太は、さほど苦戦している様子は見られませんけど・・・・・・」
「あの2人は別格よ。あなたも教えれば理解できるんだから、そう悲観したものでもないわよ」
「ですかね?」
「さあ。図書室にでも行きましょうか?」
「そうですね」
俺と初佳先輩は、人口緑地を出て図書室へと向うのであった。
「どうしよう。孝一郎君は、完全に否定しなかったよ!」
「志麻ちゃん、落ち着いてね」
2人の会話を盗み聞きしていた7人の男女は、その内容に大きな衝撃を受けていた。
更に、これだけの人数が、2人に見つからないように盗み聞きや覗きをする事は不可能なので、内容を聞かれても構わないという意思の表れなのであろう。
「片瀬君が慌てても、しょうがないじゃないか」
「御剣先輩!ですが・・・・・・」
「君は(ステルヴィア)に戻ったら、今日の出来事を正確にグレンノース君に伝えるんだよ。何しろ(グレートミッション)後に、片瀬君に先に告白されて、厚木君を諦めかけていたグレンノース君の背中を押したのは僕なんだからね」
「そうなんですか?」
「事実だよ。ここで、グレンノース君が焦ったりすると、待ちの姿勢で体制を整えている町田君に敗北する可能性がある。厚木君はまだ彼女の事が好きなんだから、どっしりと構えて無用な動揺はしないように伝えるんだ」
「御剣先輩って優しいですね。でも・・・」
しーぽんは、御剣先輩の彼女であるナジマの方を見る。
「僕とナジィは付き合ってはいるが、絶対的に意見が一致しているわけでもない。僕は愛弟子であるグンレンノース君を、ナジィは可愛い妹分である町田君を応援しているのさ」
「わかりました。そうですよね。まだ、アリサと孝一郎君が別れると決まったわけでもないんだから・・・」
「片瀬、人の事より自分の事を心配しなさい」
「私は大丈夫です。ナジマ先輩こそ、自分の事を心配した方が良いと思いますよ」
「そうね。せいぜい気を付ける事にするわ」
「片瀬君。ナジィ。何かお互いに棘のある一言だね」
「そうかしら?」
「そうでしょうか?」
「さて、我々も引き上げるとするか」
「光太君、行こう」
「そうだね」
「ジェット、私の部屋にでも行きましょう。初佳も留守な事だし」
「そうだね」
「風祭君、今日のお昼のお礼にデザートでも奢るよ」
「ありがとうございまーーーす」
「俺は、修行でもするかな」
2人の監視という目的を遂げた7人の男女は、それぞれのペアに別れて人工緑地を後にするのであった。
「りんな!その男は危険だ!」
「あなた!そんな無駄な事をしないで、解析作業を急いでください!ロスコフ司令がカンカンですよ!」
「地球の未来も大切だが、りんなの事も・・・・・・」
「オースチンさんに、その気は100%ありませんから心配しないでください!それよりも、あなたは一々りんなの外出先を尾行するつもりなんですか?」
「できればそうしたい」
「駄目です!ちゃんと仕事をしてください!」
「痛ててっ!ナターシャ、耳を引っ張らないでくれ!私はりんなが可愛いからこそ!」
「だったら、見守るのも愛です!」
「だって!悪い虫が付くと!」
しーぽん達よりも更に外側で監視を続けていた風祭技官は、奥さんであるナターシャさんに耳を引っ張られながら、退場するのであった。
「さて、今日の直衛任務も終わったから。勉強でもするかな。バカって辛いですよね。初佳先輩、教えてください」
「いいわよ」
翌日の夕方、初佳先輩と同じ組で直衛飛行を終えた俺は、「ビアンカマックス」を降りてから、同じく「ケイティー」を降りてきた初佳先輩に、いつのもように家庭教師役をお願いをする。
「孝一郎君。今日は、私が教えるわよ」
「そうそう。僕も、及ばずながら教えるからさ」
ところが、急にその場にしーぽんと光太が現れて、初佳先輩の代わりに自分達が教えると言い始めたのだ。
こんな事は、始めての事であった。
「でも、2人は(インフィニティー)の調整があるんじゃないの?」
「それは、もう終わらせたから。行こう、孝一郎君」
「でもさ。初佳先輩に教えて貰った方が・・・・・・」
「行こう!」
「さあ。早く!」
「ちょっと!待ってよ!」
俺は断る暇も与えられないまま、しーぽんと光太に強引に引きずられて行くのであった。
「あら。今日はフラれたの?初佳」
初佳が突然の事に少し驚いていると、次のローテーションで哨戒飛行をする事になっているナジマが話しかけてくる。
「片瀬さんと光太君は、友情に厚いのね」
「余裕ね。初佳」
「昨日、言った通りよ。私は焦らない」
「(太陽と北風)かしら?」
「その例えって、合っているの?」
「多分」
ナジマの何でも文学に例える特徴は、相変わらずであった。
「それでね。ここは、こうなっているの。わかる?」
「そんな簡単な説明でわかるか!俺は、天才じゃないんだから!」
「じゃあ、僕が説明を・・・。ここは、こうなって・・・」
「・・・・・・・・・」
強引にしーぽんの部屋に拉致されてから、勉強を教えて貰っていた俺であったが、秀才型の初佳先輩と違って、天才肌の2人の教え方に付いていく事ができないでいた。
「(駄目だ。明日、初佳先輩に教えて貰おう・・・)」
「だからね。ここはこうなって」
「さっぱり、わからない・・・・・・」
「だから、ここはね・・・(まずい!ちゃんと教えないと、再び町田先輩の元に行ってしまう!)」
「ここは、こうして(頼む、孝一郎。理解してくれ!)」
「わかりません」
俺は、自分のバカさ加減にただ呆れるばかりであった。
「今日の授業は、久しぶりに体育を行う」
数日後、今日は「ステルヴィア」を出てから初めての体育の授業を行っていた。
何でも、最低でも何時間かの授業を行わないと単位が不足してしまうらしい。
今日の体育の競技は柔道で、帰り道のために空いている消費材用の倉庫を借り、そこに柔道用の畳を敷き詰めて全員が柔道着を着て乱取りを行っていた。
そして、柔道の授業の教官は、再び黒帯を締めた迅雷先生であった。
「白銀司令、艦隊の指揮の方は良いんですか?」
「何かがあったら、すぐに駆け付けるさ。それよりも、俺はお試し授業の時の敗北を決して忘れたわけじゃないんだ!俺は密かに鍛錬を重ねていたし、厚木はここのところ、柔道をやってる暇もなかっただろうからな。俺の勝利の確率は、かなり上がっているはずだ!」
「そうですか・・・(手加減しないとな・・・)」
「(ステルヴィア)の○賀選手と呼ばれた事もある、俺の実力をとくと見よ!」
「どこから調べてくるんだろう・・・。そんな古いネタ・・・」
確かに、ここ一ヶ月以上は柔道の練習はしていなかったが、技の打ち込みや受身の練習等は自室で行っていたし、勝負の勘は厳しい訓練と実戦でそれほど退化してないと感じていた。
「俺に勝ったら、優をくれてやるぞ!」
「本当ですか?」
「男に二言はない!」
「では、行きます!」
それからきっかり3秒後に、迅雷先生は再び畳に叩きつけられたのであった。
「迅雷君、またボロ負けしたの?」
「おかしいな。俺の計算では・・・」
再び畳に叩き付けられた迅雷は、臨時で作られた柔道の試合場の端で蓮の手当てを受けていた。
「迅雷君も素直じゃないな。厚木君を元気付けようとしていた癖に・・・・・・」
「俺は、本気で勝とうとしたんだ!」
「はいはい。そういう事にしておいてあげるわよ」
「しかし、奴は本当に強いな」
迅雷と蓮が孝一郎の方を見ると、ケント、笙人、光太が次々に投げ飛ばされる光景が目に入ってくる。
やはり、金メダリストというのは伊達ではないようだ。
「あの子、ここ数週間で良い男になったわよね」
「蓮!まさか!お前!」
「あくまでも、一般論よ。それに、厚木君じゃあ少し若すぎるからね。もし、彼が告白してきたら断る自信がないけどね」
「あいつ。モテるんだな」
「ちゃんと仕事を成し遂げた男は、格好良いものよ」
「そうだな・・・。俺とは違って、あいつは大した事をしたからな。普通の人は音山と片瀬の方ばかりを注目するが、スピアーズの部下達の喜びようと言ったら・・・」
「そうね。一番最初に敵を一機撃破して、仇を取ったんだものね。でもね。今回は、迅雷君も格好良かったと思うわよ」
「そうかな?」
「だから。今日は夕食をご馳走してあげるから、私の部屋にいらっしゃいな」
「そいつは、ありがたいな。レイラも一緒か?」
「ううん。2人だけよ」
「でも、それって・・・・・・」
「たまには良いじゃないの」
「うへえ。大人の会話ですね」
「孝一郎君も、たまにアリサに夕食をご馳走になっているじゃない」
「俺がアリサに夕食をご馳走になりに行くと、隣でしーぽんがツマミ食いをしているからね。それとは違う、大人の世界の話を俺は耳にしたんだよ」
「あれは、自分で作るための研究の一環なのよ!」
「ほほう。光太のためですかな?」
「あのですね・・・。それは、その」
「隙あり!」
俺が小さく小内刈りを掛けると、しーぽんは簡単に一本を取られてしまう。
「もう!ケント先輩や笙人先輩でも子供扱いなのに、初心者の私が勝てるわけないよ!」
「技を教えてあげるよ。2人きりの時に、もし光太が豹変して襲い掛かってきても、ポンと投げてしまえば良いさ」
「光太君は、そんな事をしません!」
俺達の会話を聞いていた光太が、こちらを驚いたような表情で覗き込むが、その隙を突かれて、乱取りの相手である笙人先輩に綺麗に内股で投げられていた。
「それは、保障の限りではないな。勿論、俺も含めてだけど」
「えっ!それって本当?」
「相手にもよるかな?しーぽんは、ちょっとお子ちゃまだからね・・・・・・。柔道着の下にTシャツが必要ないかもってぇ!」
油断していた俺は、急にしーぽんに懐に潜り込まれてから、背負い投げで投げられてしまう。
「うそっ!」
「そうそう。その調子でね」
投げた自分が驚いている状態のしーぽんに、俺は冷静に綺麗に技が決まった事を褒める。
実は油断をしていたので、本当に投げられてしまったのだが、ゴールドメダリストとしてのプライドから、わざと投げられたように見せかける事にしたからだ。
「片瀬君、やるじゃないか」
「今のは、綺麗に決まったな」
「ケント先輩、笙人先輩。ありがとうございます」
「次は、私と勝負してちょうだい」
「いいですよ」
「多少は手加減してね」
しーぽんとの乱取りを終えた俺は、初佳先輩と勝負する事にする。
勿論、実力が隔絶しているので、かなりのハンデを付けていたが。
「駄目ね。この分野では、孝一郎君に全く葉が立たないわね」
「そりゃあ、何年もやっていますから」
初佳先輩も柔道は授業でやっている程度なのだが、しーぽんよりは多少は上手であった。
だが、素人の域を出ていなかったのは同じで、俺に簡単に投げられてしまう。
「もう!手加減してよ!」
「してますよ。初佳先輩は、力で投げようとするから駄目なんです。相手を崩して、その力を利用して投げないと」
「相手を崩すか・・・・・・。孝一郎君、またキスでもしようか?」
「えっ!」
初佳先輩が急に接近してから耳元で爆弾発言をしたので、俺は動きを止めて硬直してしまう。
「えい!」
「あれ?」
初佳先輩は俺の懐に入り込むと、綺麗な一本背負いをきめて、俺を畳に叩きつけた。
「おや?初佳もかい?僕なんて、一回も厚木君を投げた事がないのに」
「厚木は女性に弱いのか・・・。俺も女装して対戦してみようかな?」
「笙人、それはまずいから・・・」
「なるほど。厚木は女性に弱いのか・・・。俺も女装すれば・・・」
「迅雷君、それなら私が対戦した方が勝ち目があるから」
俺が簡単に女性に倒される様を見て、迅雷も笙人と同じような事を考えていた。
(4月12日、「ステルヴィア」到着一週間前)
「いよいよ、あと一週間ね」
「そうですね。しかし、宇宙旅行ってのは、時間がかかるものなんですね」
「昔の人に比べたら、これでも大分早くなったみたいだけどね」
今日も夕方の直衛飛行を終えて、初佳先輩と格納庫に降り立った俺ではあったが、その場で例のジュノ氏に頼み事をされてしまい、その足である備品倉庫に向かっていた。
ちなみに、ジュノ氏は先の活躍が評価されて「ステルヴィア」の船団の副整備主任に臨時で着任し、その力量を発揮していた。
そして、「ステルヴィア」帰還後は、その足で整備関係の要職に就くとの噂も流れていた。
「何と言うか、これくらい学生に押し付けないで欲しいですよね」
「これくらいの事だから、私達に押し付けられたとも考えられるわ」
「えーと。薬品の類は、あと10日分か・・・」
整備関係のジュノ氏に頼まれたので、部品関係の倉庫だと思ったのだが、そこはなぜか医療品関係の倉庫であった。
きっと人手不足の折、ジュノ氏も他の人に頼まれたのは良いが、持て余したので俺達に押し付けたのであろう。
「普通はもっと余裕を持って用意するんだけど、予想外の怪我人の多さに、3日分しか余裕がないのね」
「本当ですね。でも、不足していたらもっと大変な事になっていましたよ。さすがは、蓮先生ですよね」
「そうよね。えーーーと。毛布が残り10枚か。これでチェックは終了よ。ここ寒いから早く出ましょう」
「おかしいな?何でこんなに寒いんだ?食料倉庫じゃないのに・・・」
俺達が急いで空調のパネルを見ると、なぜか温度設定がマイナス10度に設定されていて、ボタンの操作を全く受け付けない状態になっていた。
「壊れたのかな?というか、早く知らせないと、使えなくなる薬品とかが出てくるぞ!」
「急ぎましょう!」
2人で倉庫の入り口に向かうのであったが、更なるアクシデントが俺達を待ち構えていた。
「「何で!入り口にロックがかかっているの(んだ)よ!」」
俺達は、まるでドラマか漫画のようなアクシデントに見舞われてしまうのであった。
「すまない。こちらでも原因を調べているんだが、皆目見当がつかないんだ。一時間を目処に駄目なら扉を壊して救出するから、毛布にでも包まって待っていてくれ」
「ちょっと!せめて30分以内に救出してくださいよ!」
「ごめんね。扉を壊すと、この忙しいのに半日も時間を取られちゃうからさ。なあに。死にはしないから、美女との楽しいひと時を過ごしてくれたまえ」
緊急用の内線電話でジュノ氏に連絡を入れると、彼は暢気そうにそう答えた。
正直なところ、ぶん投げてしまいたい気分であった。
「孝一郎君、何だって?」
「一時間経っても原因がわからなかったら、扉を壊すそうです」
「一時間も!」
驚きの声をあげた初佳先輩の唇は紫色になり、口からは白い息を吐いていた。
俺達の服装は、快適な温度に保たれている宇宙船の中やファウンデーションに対応した宇宙学園の制服なので、マイナス10度という環境には酷な服装であったからだ。
特に初佳先輩はスカート姿だったので、ストッキング一枚の足が寒いらしく、その場で足踏みを続けていた。
「とにかく、体温を維持しないと」
2人は備品の毛布を床に敷いてから、もう一枚で自分の体を包み込んだのだが、いまいち暖かくならなかった。
「寒いわ」
「くそ!中途半端に寒い!」
男の俺は毛布の中で手をこすり合わせていると、それなりに暖かくなってくるのだが、女の初佳先輩はそうもいかないようだ。
「なんか、さっきよりも寒くなっていたような気がする」
「そういえば・・・・・・」
初佳先輩の指摘で、俺が毛布に包まりながら空調のパネルを見ると温度がマイナス13度になっていた。
「まずい!少しずつ温度が下がっている!」
「本当なの?」
「ジュノさん!まずいですよ。温度が下がってきています!」
「本当か?原因が見つかったので、今修理をしている最中なんだ。そこを壊すよりも時間はかからないから、15分だけ我慢してくれ!」
「扉なんて、すぐに壊せると思いますが・・・・・・」
「宇宙にある設備は、大抵は万が一の時の事を考えて丈夫にできているんだよ。その扉も気密性が高いから、特殊な機材を使わないと壊せないんだ。壊すよりも直した方が早いから、悪いけど我慢して待っていてくれ。じゃあ、急ぐから!」
「えっ!ちょっと!」
再びジュノ氏に連絡を入れると、今度はえらく真剣に状況を説明されてしまったので、俺は何も言い返せないでいた。
「何だって?」
「15分待って欲しいそうです」
「無理よ・・・・・・。寒いわ・・・・・・」
「(俺は何とかなるけど、初佳先輩がまずいよな)」
再び空調のパネルを見ると、また温度が下がっていた。
「(仕方がない!これは、人助けのためなんだ!決して、やましい考えではないんだ!)初佳先輩!すいません!」
「どうしたの?えっ!」
俺は初佳先輩を自分の毛布の中に入れてから、その体を抱き寄せる。
「暖かい・・・・・・」
「とにかく、体温を維持しないと」
「そうね。でも、これは悪くないかも・・・」
「ははは・・・・・・」
2人で一枚の毛布に包まり、身長差の関係で俺の胸板に初佳先輩が顔を寄せている光景は、他の誰が見ても恋人同士に見えるであろうが、これは緊急避難処置であり、断じてそういう事はなかった。
「(初佳先輩から良い匂いが・・・・・・。ああ。女性の体って柔らかいな・・・・・・。心臓がバクバクいって、体温が上昇しているのは良い傾向だな。しかし、理性の方が・・・・・・」
「(孝一郎君って、見た目よりも逞しいのね。それに暖かい・・・)」
「初佳先輩、大丈夫ですか?」
「これなら大丈夫そうよ。とても暖かいから」
初佳先輩の方に視線を降ろすと、彼女は何かを期待するような目付きで見上げられてしまう。
「(これって、キスくらいしてもオーケーって事ですか?いや、俺にはアリサという彼女がいて!)」
「(これって、チャンスよね。でも、無理に焦らないで、孝一郎君の方から・・・・・・)」
この大変な状況や寒さすら忘れて、2人は見つめ合っていた。
「(ああ。もう駄目かも・・・・・・)」
「(いけるかも)」
2人の顔が近づき、唇が重なろうとした瞬間、急に閉まっていた扉が開き、中に数人の男女が乱入してくる。
「あれれ?お邪魔だった?」
「ジュノさん!何を言っているんですか!」
防寒着を着て一番初めに乱入してきたジュノ氏に、俺はムキになって反論する。
「それで、原因は何だったんですか?」
「実は、こいつが配線を齧ってオシッコをしたみたいなんだ」
初佳先輩の疑問に、ジュノ氏は小さな鼠の屍骸を見せながら答える。
「鼠かよ・・・・・・」
「人類の宇宙進出と共に、鼠とゴキブリと蝿も進出してきているからね」
「それは、そうなんでしょうけど・・・・・・」
「厚木君。町田さん。大丈夫だった?って、大丈夫そうね。町田さん、暖かくて気持ち良さそうね」
「いえ・・・。その・・・」
続いて、防寒着を着た蓮先生が入って来て、いまだに毛布に包まったままの俺達を羨ましそうに眺め、初佳先輩は顔を真っ赤にしていた。
「あーーーーっ!孝一郎君!何をしているのよぉーーー!」
「志麻ちゃん、この際はしょうがないよ」
「しーぽんと光太か・・・・・・」
更に光太としーぽんも防寒着を着て乱入し、しーぽんは毛布に包まって抱き合っている俺達に抗議の声を上げ始めた。
「片瀬さん、厚木君の行動は医学的にも正しい事なのよ」
「今は、もう必要ありません!」
「まだ温度が上がっていないから、もう少しこのままの方が良いわ。風邪をひいてしまうからね」
「うううううっ!ジュノさん!早く温度を上げてください!」
「上げてるけど、もう5分は待たないと」
「やあ。災難だったね」
「厚木、羨ましい事をしているな」
「初佳、良かったわね」
「うーん。ここまで偶然が重なるとね・・・・・・」
最後に、「ビック4」の面々と御剣先輩が乱入して声をかけてくる。
「ナジマ先輩!良かったってどういう事なんですか!」
「あら。私は2人が助かって、良かったと思っただけよ」
「ううううっ!」
しーぽんはナジマ先輩の発言に抗議をするが、どちらが見てもナジマ先輩の方が上手なので、その抗議は軽くかわされていた。
「いやあ。助かったな」
「本当よね。孝一郎君のおかげで、凍死しないで済んだわ」
「そこまで、大それた事はしていませんよ」
倉庫内の温度も上昇したので、2人毛布を剥いで立ち上がると、俺は初佳先輩にお礼を言われる。
「お互いに、大変な事に巻き込まれてしまったわね。今日は、夕食を食べてから早めに寝てしまいましょうか?」
「ですね。何か精神的に疲れましたよ」
「ごめんね。今度は定期的に計器のチェックを入れるからさ」
「うん。2人健康そうで良かったわ」
ジュノ氏は俺達に素直に謝り、蓮先生は面白い物が見れたという表情をしながら俺達の無事を喜んでいた。
「孝一郎君、アリサに黙っていてあげるのも、これが最後だからね!」
「孝一郎、災難だったね」
偶然とはいえ、ここのところの半浮気状態に腹を立てているしーぽんに怒られつつも、その恋人である光太に慰められていた。
多分、過去の自分の姿を見ているようで、同情しているのであろう。
「色々とあるものだね(ひょっとして、誰かの工作?)」
「そうだな(ナジィの謀略か?)」
「偶然って怖いわね(何で何もしていないのに、こう事件が続くのかしら?)」
「(ナジィの工作の線が強いけど、問い質すわけにいかないし・・・・・・)」
ケント・笙人・御剣が、ナジマの謀略を疑いつつも、「医療倉庫閉じ込め事件」は、無事に解決を迎えるのであった。
「はっくしょん!」
「38度2分か。うーん。風邪みたいね。やっぱり、急激に温度が下がったからかな?」
翌日、全身のダルさと悪寒を感じたので蓮先生の元へ行くと、風邪であると診断されてしまう。
「俺だけですか?」
「君はちょっと疲労が溜まっていたからね。注射をしておくから、今日は寝てなさい。レイラには、私が詳細を報告しておくから」
「わかりました」
「消化の良い物を食べて、暖かくする事。わかった?」
「了解です」
蓮先生に注射をして貰ってから、自室で寝ているとお昼になり、お腹が空いた俺は目を覚ましてしまう。
「食堂で何かを食べるかな?」
「ピンポーン!」
「はーーーい。開いてますよ」
「孝一郎君、お昼ご飯を作って来たわ。私のせいで風邪を引いてしまったんだもの。これくらいはさせてね」
「孝一郎君、私もお昼ご飯を作ってきたから。アリサが不在の今、あなたの面倒は私が見る!」
部屋のチャイムが鳴ったので返事をすると、そこに初佳先輩としーぽんが競うように乱入してくる。
更に、後ろにりんなちゃんと光太が、呆れたような表情で立っていた。
「孝一郎君は、風邪を引いているのよ。そんなに食べられないわ。私が作ってきた玉子入りのおかゆと煮魚をどうぞ。あとアイスクリームも持ってきたから」
「孝一郎君、コーンスープとプリンを作ってきたから」
「それは、どうもすいません」
「はい。あーーーんして」
「町田先輩!孝一郎君には、アリサという!」
「でも、今はいないし、私が昨日迷惑をかけてしまったせいで、孝一郎君が風邪を引いたのだから、面倒を見るのは私が適任なのよ」
「あれは純然たる事故ですから、私が面倒を見ます!」
「じゃあ、私にも平等に面倒を見る権利があるのよね。私は可愛い後輩が風邪を引いているから、面倒を見ているのよ」
「孝一郎君は、アリサ以外の女性に渡せません!」
「片瀬さんが言っている事の意味がわからないわ。はい。温かいうちにどうぞ」
「すいませんね。初佳先輩」
「孝一郎君、こちらを食べなさい!」
「はいはい(なぜにこんな事に?)」
「光太、妬けない?」
2人の女性の意地の張り合いを見ていたりんなが、光太に質問をする。
「全然。でも、志麻ちゃんも友情に厚いのは良いんだけど、孝一郎は病人なんだよね・・・・・・」
「孝一郎も、大変よね」
「昨日はわが身で、今日は孝一郎で、明日はまたわが身かも・・・・・・」
「それは大丈夫よ。他に候補がいないし」
「それもそうか」
結局、2人の意地の張り合いは夕食時にも発生し、俺の風邪は1日で治ったものの、今度は食べ過ぎで腹痛を起こし、翌日もまた寝込む羽目になるのであった。
「孝一郎君、今日は消化に良いものを・・・」
「町田先輩!私が作ってきたから必要ありません!」
「本当に、勘弁して下さい・・・・・・」
(4月20日、「ステルヴィア」内宇宙船発着場)
往復90日近い「ウルティマ」遠征はようやく終了し、俺達は無事に「ステルヴィア」に帰還する事に成功していた。
「ケイティー」部隊に大きな損失を出し、未だに「ウルティマ」の消息も不明らしいが、帰り道では例の未確認飛行物体の襲撃もなく、新型DLSの調整と例の紐状天体の解析もほぼ完了していたので、結果は上々と言えるであろう。
おれ自身も、普通の予科生では習わないような高度な学習と実習を経験できて、本職のパイロットに一歩前進という感じだったので、亡くなったスピアーズ隊長とその部下のパイロット達の事を胸に秘めつつ、この遠征の総括を行っていた。
「「「ただいま!」」」
「「「「「「おかえりなさい!」」」」」」
俺と光太としーぽんとりんなちゃんが荷物を持って発着場に到着すると、そこには懐かしいという感覚になってしまった友人達が待ち構えていた。
「孝一郎。お前、背が伸びたんじゃないの?」
「3cmほどね」
ジョジョの指摘通りに、俺はこの90日の遠征で身長が少し伸びていた。
「それに、少し大人っぽくなったかな?」
「お嬢もね。急にイメチェンするからビックリしたよ」
「まあね。でも、昔は髪を下ろしていたから元に戻しただけ。眼鏡はDLSを使う時に邪魔だから、思い切って変えてみたの」
「へえ。そうなんだ」
「ピエールは・・・。(なかなかその想いが、報われないままか・・・)」
ピエールは、お嬢の方を見ながら顔を赤くしていたが、肝心のお嬢にその気は全くないようだ。
「ジョジョは・・・。栢山さんとラブラブか・・・」
ジョジョと栢山さんは、その仲の良さが更に進展しているようであった。
「俺が、(ウルティマ)遠征メンバーに選ばれなくて良かったよ。晶と会えなくなるからな」
「ジョジョが選ばれるんなら、みんな選抜されているから、その心配はないんじゃないの?」
「大!本音を語って楽しいか?」
「ごめんごめん」
「孝一郎、おかえりなさい」
「ただいま。アリサ」
そして、最後に会いたくてたまらなかった自分の恋人と挨拶をかわす。
今までも、散々電話で通信をしていたのだが、実物が目の前に立っていると、やはり何かが違っているらしい。
「元気だった?」
「うーーーん。機密の関係で話せない事が多いけど、まあ元気だったよ。でも・・・・・・」
「でも?」
「やっぱり、アリサに会えないのは辛かったな」
「ちょっと!孝一郎!恥ずかしいから!」
俺は人目も気にしないで、アリサをそっと抱き寄せる。
「もう、しょうがないな・・・」
この遠征では様々な事があり、他の女性に針が振れそうになった事もあったが、俺はやはりアリサの事が好きなのだという事に気が付いていた。
だが、このあとに現れた初佳先輩の一言が、俺とアリサの仲に微妙な波紋を広げる事になるとは、現時点では誰も気が付かなかった。
「やよい、ただいま」
「おかえりなさい。初佳。あなた、綺麗になった?」
「まあね。(恋をしているからかな?)やよいこそ、昔の髪型に戻したのね」
「ちょっと、思うところがあってね」
「私も、実は思うところがあってね」
「へえ。何なのかしら?」
「(やよい。ごめんね。私も孝一郎君の事が好きになったみたい)孝一郎君、また明日ね」
「初佳先輩、また明日」
初佳は、やよいにだけ聞こえるように自分の正直な気持ちを伝えると、アリサと抱き合っている俺に挨拶だけをして、その場を立ち去ってしまう。
「(ふふふ。初佳。あなたも、私に立ち塞がる敵なのね)」
お嬢は体を微かに震わせながら、誰にも聞こえないように小声でブツブツと何かを呟いていた。
「(ここで焦りは禁物よ。明日から気長に勝負するとしますか)」
一方、初佳は特に焦った様子もなく、自分の部屋へと帰って行くのであった。
「孝一郎。お前、町田先輩の事を名前で呼んでいるのか?」
ピエールが驚きと尊敬の表情を顔に出しながら、俺に質問をしてくる。
「色々とあってね。戦友として敬意を示したというか・・・」
「孝一郎君!どうして、私の事を名前で呼んでくれないの?私って、その程度の女?」
今度は自分の親友に、俺と名前で呼び合う事を、先に越されてしまったお嬢が、珍しく声を荒げながら文句を言ってくる。
「何でそうなるの?」
「これからは、お嬢ではなくてやよいと呼んで」
「それは、まずいと思うんだけど・・・・・・」
「本人がそうして欲しいと言っているんだから、それで良いのよ」
「わかったよ。やよい」
「(はあ。甘美な響きね)それで良し」
「(孝一郎め!90日間で何かがあったな。あとで、御剣先輩に聞いておかないと・・・・・・)」
その日の夕方までに、御剣ジェットの口から俺の半浮気話が全て伝わり、俺はアリサに頭を下げ続ける羽目になるのであった。
そして、その2日後の4月22日。
突如、例の紐状天体の目前に姿を現した「ウルティマ」は、縮退して超小型ブラックホールになった後、X線バーストを起こして蒸発したというニュースが流れたのであった。
この事が例の紐状天体にどんな影響を与え、俺達がそれにどう関わっていくのかは、現時点ではまだわからないままであった。