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▽レス始

「幻想砕きの剣 11-10(DUEL SAVIOR)」

時守 暦 (2006-11-15 22:39)
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 夢の中を彷徨う透。
 ゲンハ、リャン、ヒカル、そして憐の存在は確認できた。
 ならば、今度は同じように夢の中に居る筈のツキナ、ミノリ、アヤネの安否を確認しようとしていたのだが…。


「…どーなってんだこりゃ?」


 透の目の前を、学生服を着た透が走っていく。
 その後ろをツキナが追いかけて行った。
 どちらも、透…学生服を着てない方…に気付いた様子は無い。
 特に隠れてもいない…どころか、道路のど真ん中に突っ立っていたのに。


「…俺が見えてないのか…?」


 呆然として、多分学校に向かっているのであろう透とツキナを見送った。
 透は暫く考えると、ツキナ達が出てきた家に足を向ける。
 正面から入ると面倒な事になるかもしれないので、他人に見つからないように庭に入って、適当な窓から中を覗き込む。
 かつてはここで暮らしていたのだ。
 間取りもバッチリ覚えている。

 覗きこんだ窓から見えたのは、妙に色褪せて見える部屋。
 透の胸中を郷愁が過ぎる。
 ツキナの親父さんが生きていた頃は、ずっとこんな間取りだった。

 その懐かしい間取りの中に、一つの人影。
 何をするでもなく、壁に寄りかかって座り込んでいるようだ。
 それは…。


「…ツキナ?」


「? …透…?」


 先程出て行った筈の、ツキナだった。
 ツキナは立ち上がり、玄関に向かう。
 透もそちらに向かった。

 勝手口が開き、ツキナが中から出てきた。
 何やら気まずさを感じているようだが…。


「…えぇと…ツキナ、状況とか…把握してるか?」

「夢の中だって事くらいは…」

「…さっきの俺とツキナは…」

「…まぁ、入ってよ。
 どうせ誰も私達の事には気付かないから」


 勝手知ったる何とやら、である。
 ちなみに、靴は脱がない。
 洋風だからだ。

 透とツキナは、かつて一緒に暮らしていた頃の、お決まりのポジションに腰を据えた。
 ツキナはソファーの上、透はベランダに近い椅子。


「……ねぇ透…。
 何がどうなってるの?
 なんでこんな夢を…」


「…推測でしかないけどな…。
 どうも、リヴァイアサンとシュミクラムが繋がって、夢を見せてるらしいんだ」


「リヴァイアサン?
 なにそれ?」


「…あー、何て言ったらいいかな…。
 ほら、気を失う前に…でっかくて黒い丸が浮かんでるの、見なかったか?
 ツキナは後方に居たけど、そこからでも見えると思うんだが」


 細かく説明しようとしても、そんな時間も無いし、そもそも透自身、深くまで理解しているのではない。
 取り合えず、V・S・Sの犠牲になって肉体を失った少女を核とし、魂が集まって出来た一種のブラックホール、と説明する。
 ツキナはどういう事か理解してなかったようだが、まぁいい。


「それで、目を覚ます方法はあるの?」


「一応な。
 俺もつい最近知ったんだが、どうも俺には『絶対に洗脳されない、洗脳されても自力で解除できる』っつう特性があるらしい。
 この夢の中でそれを発動させれば、俺もツキナ達も目を覚ます事が出来るんだと」


「…そんな能力、あったの?
 でも、透はV・S・Sで…」


「思い出すなって…。
 完全に洗脳されたんじゃなかったしな。
 まぁ、細かい事は気にするな。
 ルビナスさんがそう言ったからそうなんだろう、ってくらいだし」


「ふーん…」


「それじゃ、今度はこっちが聞きたい。
 …さっきの俺達、ありゃ何だ?」


 透が言っているのは、学生服を着て何処かに走っていった二人の事である。
 ツキナはちょっと困った表情をした。
 …それと同時に、顔がちょっと赤くなる。


「…ツキナ?」

「私にもよく解からないけど…可能性、じゃないかな…」

「可能性?」

「実は、居るのは私と透だけじゃないの。
 …お父さんも居たんだ…」

「!」


 やはりリヴァイアサンに飲み込まれていたのだろうか?
 何処に居るのか、と見回す透。


「あ、そうじゃなくて…。
 ほら、ここに居る私や透に気付かない私達…さっき出掛けていった私達だよ。
 あれと同じように、私の事に気付かずに、どこかの会社に出社して行ったの」


「出社…?
 親父さんは、定職には就いてなかったよな…?」


「うん、私達と同じ義賊団だった」


 透達と違って、手に入れた物を換金したりしていたが…。
 結構な凄腕だったらしい。
 2,3人の小さなチームで、時々仕事をしていた。


「…それで、私はこう考えたの。
 ここは夢の中だけど、全然脈絡の無い世界じゃない。
 そう…『在り得た可能性』を見せる世界なんじゃないか、って…」


 ツキナの言っている事は、直感頼りで根拠に乏しい。
 そもそも、在り得た可能性、と言うならばどんな事でも起こり得る。
 ひょっとしたら、単なる願望を見せる世界なのかもしれないし…。


「…ツキナ、この世界に来てどれくらい経った?」


「え?
 うーん……ここ、時間の流れがサッパリ解からないから…。
 さっき私と透、お父さんが出掛けていったと思ったら、10分もすると何時の間にか帰ってきて夕食の準備をしてたり、逆に一眠りして起きても戻ってきてなかったり…。
 お腹も減らないし、眠くなるのは退屈だからだし…」


 少なくとも、時間感覚が麻痺する程度にはここに居るらしい。


「…ねぇ、目を覚ますのに私達が手伝える事って無い?」


「…そうだな…水色の髪の毛の女の子、見なかったか?
 ほら、お前が洗脳されてる間に、夢の中で出てこなかったか?」


「…ああ、あの子…?
 ……ねぇ、あの子の事、透に話したっけ?」


「その話はまた今度な。
 その子を見つけたら、出来れば引き止めておいてくれ。
 怒らせると危険だから、無理に引き止めたりはしなくていい」


「そう、分った。
 …私、もう少しここに居てもいいよね?」


「…ああ」


 透は返事を躊躇った。
 ツキナが言う『ここ』とは、単純にこの家の事だった。
 しかし、透には『親父さんが生きていて、透とツキナがのんびり暮らしている世界』に聞こえたのだ。
 ツキナ自身、そういう環境に身を置きたいと思ってはいるだろう。
 だが、ここは所詮夢の世界。
 いつかは醒めねばならない。
 そして、その『いつか』を告げ、ツキナの夢を否定するのは…透なのだ。
 ツキナはそれを責めたりしない。
 ただ、せめてそれまで……この穏やかな家族を見ていたい。


「…透は…」

「ん?」

「透は…これから、どうするの?」

「…憐を探す。
 ああ、さっき言った水色の髪の女の子だ。
 そいつに会わなきゃ、目を覚ませそうにないんでな」

「そっか…。
 気をつけてね」

「おう」


 透は家を出た。
 扉を閉めて歩き、振り返ってみると、家は全くの静寂に包まれている。
 ツキナ一人が家の中に居ても気配が出てくる訳でもないが、透はふとした不安に駆られる。
 あの中には、誰も…ツキナも居ないのではないか、と。

 透は首を振って不安を追い払い、道を急いだ。
 今度は高台に上ろう。
 この世界が多数の記憶から再現されたモノなら、必ず何処かに大きな歪みがある。
 そこに別の世界への通路があるかもしれない。


 透が去った後、ツキナは溜息をついた。
 一人になった家の中で、膝を抱える。

 ツキナは、ちょっとした事を透に告げなかった。
 別に告げたからと言って、どうなるモノでもない。


「…ここの私と透…恋人同士なんだよね…」


 正直言って目の毒だ。
 透がその光景を見なくて、ツキナはちょっとホッとしていた。
 目の前で自分達と同じ顔をした…と言うか同一人物がイチャついていれば、イヤでも意識してしまう。

 ツキナは、ここのツキナと透のキスシーンを思い出し、頬を赤らめて顔を伏せた。


 現実世界


 ギシリ、ギシリと音が響く。
 大地が砕け、軋む音だ。

 巨大ナナシは、移動しようとするリヴァイアサンを必死に抑えていた。
 普段のおちゃらけた雰囲気は消え去り、歯を食いしばっている。

 すでに数十分が過ぎている。
 ナナシとリヴァイアサンの力比べは、両者一歩も譲らずに拮抗状態を保っていた。
 リヴァイアサンが一箇所に強引に繋ぎとめられた為か、空間の捻れが酷くなってきていた。
 時々ナナシに触れそうになるが、その空間の捻れは大河が切り捨てる。
 しかし捻れ自体は蓄積しつつあり、放っておけば厄介な事になるのは目に見えていた。
 どっかの竜の騎士と超魔生物の戦いのように、ちょっと均衡が崩れれば空間の捻れが急激に集中するか、あるいは捻れば復元されて、周囲に破壊を撒き散らすだろう。

 と、ナナシの頭頂部の髪が右側に引っ張られた。
 ナナシは体をずらし、足を交差させて横に移動する。
 足元が砕け、また一つ巨大な靴跡が刻まれた。

 ナナシの髪の毛を引っ張ったのは、頭頂部に居る大河である。
 リヴァイアサンが進行方向を変えようとしたのを敏感に見て取り、ポジションを替えるようにナナシに指示したのだ。
 既に、このやりとりは4度行なわれている。
 リヴァイアサンはその度に、逃亡を阻まれてナナシに押さえ込まれていた。


「………〜〜〜〜〜!!!!」


 ナナシが無言で気合を入れる。
 喋る余裕すら無いようだ。
 お気楽なナナシにあるまじきシリアスシーンだが、ここが見せ場とばかりに、震える手に鞭打ってリヴァイアサンを抑えこむ。

 頭の上の大河は、少し考えると右手を翳した。


「…ジャククト、聞こえるか?」


 大河の右手に、青い光が集う。
 随分と数を減らしているが、ジャククトは健在だ。
 恐らく、力の殆どを周囲を覆う浄化の魔法陣に注ぎ込んでいるのだろう。
 既に魔法陣は発動しており、平原には強烈な浄化の力が立ち込めている。
 少々強力な程度の霊団なら即座に浄化される程だが、リヴァイアサンは揺るがない。
 死者が他の死者を束縛し、浄化される事を拒んでいるのだろう。
 どこの七人ミサキか。

 それはともかく、大河はジャククトに向かって頼む。


「浄化の力はいいから、先にナナシを回復できないか?
 魔力を活力に変えて注ぎ込むなり、なんなら俺の体力とかを使ってもいい。
 このままじゃ、ナナシは保たないぞ」


「………」(肯定)


 ジャククトは軽く輝くと、大河の右手に集まった。
 大河はナナシのリボンを強く握り、体を低くする。
 それを待っていたかのように、大河の全身に虚脱感が広がってきた。
 ジャククトが大河の体力を吸い取ったのだ。

 ジャククトはそのままナナシの全身を掠めるように飛び回る。
 吸い取った体力を満遍なく振りまいて、ナナシを回復させているのだろう。
 当のナナシは、必死だったので気付かなかったようだが…。


「…キツイな…。
 だが、それだけ回復したって事か。

 ……透、早くしろ…。
 ルビナスはマジで脳に電極とか突っ込むぞ」


 大河が呟いた丁度その頃、ルビナスは…。


「………ふ…ふふ…うふふふふふふふふ(バチバチバチバチ)」


「お、落ち着いて…まだもうちょっと待とうよ…」


「そ、そうだな。
 まだナナシ殿は保ちそうだし、いきなり電撃は性急というものだろう」


 座った目で、スタンロッドを片手に透の頭を睨みつけていたそうな。


「うおっ、な、なんか寒気が!?
 …そろそろヤバイか?」


 夢の中でも寒気は感じるらしい。
 防衛本能とは、かくも偉大なものか。
 が、その防衛本能も、洗脳解除能力を作動させてはくれなかったようだ。
 となると、やはり何か劇的な切欠が必要なのだろうか。


「ぬぅぅ…早いところ、何か打開策を見つけないと…」


 唸る透の前には、王宮内の施設の一つが聳え立っている。
 兵舎の一つで、主に機構兵団が使っていた。
 しかし、ここは王宮の中ではない。
 ツキナの家から然程離れていない丘の上に、何の脈絡も無く兵舎はあった。
 無論、現実にはこんな建築物は存在しなかったが…。


「どうやら、この街の中には色んな記憶が圧縮されてるみたいだな。
 だから普通は人が寄り付かない所とかには、実際には別の場所にあった筈の建物が配置される。
 ……さて、アヤネとミノリは…ここかな?」


 ひょっとしたら、リャンもここかもしれない。
 と言うか、そうであってくれ。
 さっき別荘で見かけてから、姿が見えない。
 フェタオのアジトに行っているのかもしれない。
 いやしかし、先程のリャンは完全にフェタオの事も忘れていたようだが…。
 いずれにせよ、会ってもう一度話した方がいいだろう。

 しかしどうする?
 フェタオの地下アジトを見つけるには、この街はちょっと広すぎる。
 ヒカルに至っては、一体何処に居るか…。


「…いや、心当たりはあるか。
 ステッペン・ウルフのアジトがあった…」


 死んだ親友に会うのが躊躇われて、まだ行っていない。
 こうしている間にも、洗脳解除能力が作動するかもしれない事を考えると、このままだと会えず終いになる可能性もある。
 それまでには会いに行かないと、一生の悔いになりそうだ。

 少々焦りながらも兵舎に踏み込めば、見慣れない兵士達が屯していた。
 恐らく、殆どが“破滅”との戦いで力尽きた新人なのだろう。
 兵士達はチラリと透を見ると、それぞれの日常に戻る。
 …彼らは、ここが夢の中だと認識しているのだろうか?
 自分が死んだ事を覚えているのだろうか?
 いや、仮に死を認識していたとしても、今彼らはここに生きている。
 …もしもリヴァイアサンを浄化してしまったら、彼らはどうなる?
 今度こそ魂は輪廻の輪に戻り、彼らの意識も消えてなくなる。
 それはつまり、再び死ぬ事を意味する。


(…憐を助ければ、彼らを殺す事になるのだろうか…)


 例え死んでいようが魂のみだろうが幽霊だろうが、意識があるなら生きている、と透は考える。
 そうでなければ、憐を死者として見なければならないから。


「…透?」

「透さん?」

「!」


 振り返ると、探していた二人…ミノリとアヤネが並んでいた。
 2人とも、何処かリラックスして見える。


「透さんも、ここに来ちゃったんですね…」

「……やっぱり私達、死んでるの?」

「いや、そうでもないんだが…」


 やはり、彼女達は状況を把握してないようだ。
 透は周囲に目をやる。
 ここでは誰に聞かれるか解からない。
 もしも聞かれて、それがリヴァイアサンの解放…つまり成仏を願わない人物だったら、少々厄介な事になりそうだ。


「ちょっとここじゃ…。
 ……2人とも、部屋を使えないか?」


「ええ!?
 い、いやあの、私の部屋はちょっと…」


「わ、私も…」


「…?
 何かヤバイのか?」


「「………そ、それは秘密です」」


 何処のパシリ魔族だ。
 しかし、イヤだと言うのを無理に推す訳にもいかない。
 2人が顔を赤くしている理由は定かではないが、女性の部屋に無理に侵入したら警察沙汰になりそうだ。
 ここに警察が居るのかは別として。

 彼女達の部屋でなくても構わないのだ。
 透の部屋を使おうと言わなかったのは、単にこの兵舎に透の部屋があるか解からなかったから。


「…よく解からんが、取り合えず俺の部屋に行くか。
 誰も使ってなければ、そこで話をしよう」


「…はい」

「分った」


 結論から言うと、透の部屋には人が居た。
 …しかし、彼は透達の姿が見えていないようだ。
 それだけでも充分首を傾げるに値するが、それ以前の問題だ。


「…なんで俺が寝てるんだよ」


 透の部屋に居たのは、透だった…ええい、ややこしい。
 以後、本物の透を透、その他の透を透´と呼称する。

 透´は、真昼間から暢気にシェスタを決め込んでいるようだ。
 意外と寝相がいい。
 透は眠っている透´をマジマジと見詰める。
 眠る自分を見るなんて、滅多にない機会だ。
 幽体離脱でもしなければ、自分の寝顔を生で見るなんて不可能ではないか。


「…やっぱりここに居たのね…」

「…この透さん、どっちの透さんでしょう…?」

「? 何か知ってるのか?
 と言うか、どの透さん…って、俺がこれと俺以外にも、まだ居るのか」


 別に何人居たっておかしくない。
 透本人以外にも、ツキナの所に居た透´、そしてここに居る透´。
 あと何人か居てもおかしくない。


「はぁ、確認しているだけでは、この透さんと、もう一人透さんが居ます。
 何故なのかは解かりませんけど…」


「ついでに言うと、その透達はお互いの存在が感知できないみたいね。
 勿論、私達の事も」


「何がどうなってるのやら…。
 ……ま、いいか」


 これ以上ゴチャゴチャ考えても、頭がこんがらがるだけだ。
 とにかく憐と接触しなければ。

 透は透´が寝転んでいるベッドに腰掛けた。


「なぁ2人とも、憐を見てないか?」


「? 見てないわ。
 ミノリは?」


「私も見てませんけど…憐ちゃんもここに来てるんですか?」


「ああ。
 …ここは憐の世界だからな」


「「…はぁ?」」


 何を言ってるんだ藪から某に。
 唖然としている2人に、透は大体の経緯を説明した。


「…つまり、夢から醒める前に、リヴァイアサンの中の憐ちゃんに会って…」

「リヴァイアサンを弱体化させなければならない、と」

「そういう事だ。
 ……?
 アヤネ、どうした?」

「…いえ、なんでもないわ」


 透は顔を顰める。
 アヤネがまた死にたがっているのではないか、と危惧したのだ。
 或いは、このまま夢の中で微睡むように朽ちてしまいたい、と思っているのではないか。
 現実世界は、アヤネにとっては辛すぎるだろう。
 弟を殺され、仇と追い求めたゲンハは既に死に、自分自身は透の親友を手に掛けていた。
 居場所を見出せないアヤネにとって、この夢の中は心地よいかもしれない。
 誰に関わる必要もなく、ただ流れに身を任せて最後の眠りを待つ。

 しかし、透の危惧は杞憂だった。
 アヤネが躊躇っているのは、この夢の中で見た光景と、弟のためだ。
 夢の中の光景は、失ったモノが全て揃っていた。
 両親こそ居なかったが弟は元気に生きていたし、彼を世話するアヤネ自身も実に活き活きとしていた。
 それは単なる夢でしかない。
 だが、アヤネにはどうしてもただの夢には思えなかった。
 そして、あの弟も、単なる夢の産物だとは思いたくない。
 そう思ってしまえば、弟の楽しそうな表情も否定してしまう。
 しかし…。


「…協力するわ、透。
 …何時までも、ここには居られないから…」

「…アヤネさん…」

「…いいの。
 ……ずっと見ていると…また、辛くなりそうだから…。
 …お別れをしないとね…」


 そう言って、儚く笑うアヤネ。
 透は衝動的に、アヤネを抱きしめそうになった。
 しかし、それはぐっと堪える。


「…ミノリ、君は…」


「そんなの、決まってるじゃないですか。
 私達は、まだ生きていられるんです…。
 ここは優しい世界ですけど…まだ、ここに来るには早すぎます。
 …いえ、ここって言うのはリヴァイアサンの中って意味じゃないんですけど」


 苦笑。


「これでも、元は教師志望です。
 幼い子供達に頑張って生きろと言っておきながら、私だけこんな所で宙ぶらりんになってちゃ、あの子達に申し訳が立たないわ」


 どこか気弱なイメージは、毅然とした態度に払拭されている。
 これならいい教師になっただろうに、と透とアヤネは思う。


「とは言え、どうしたものか…」


「…憐ちゃんは何処に居るのか…。
 それが問題ですね。
 …あちこち動き回っても仕方ありません。
 私とアヤネさんは、ここで網を張っています」


 流石はオペレーターと言うべきか、この辺の判断力は兵士のエースだったアヤネより上だ。


「それが妥当か…。
 それじゃ、俺はもう行くよ。
 …捨て台詞みたいな事を言うけど、多分この世界に居られるのはあまり長くない。
 それまで、しっかりと…ここであった事、心に刻んでおこう」


「ええ」

「…本来なら、もう二度と会えなかったのだしね…」


 透は立ち上がり、チラリと透´に目をやった。
 まだ眠っている。
 …我ながら、暢気な寝顔だ。
 そもそもこの透´は何なのだろう?


「…じゃあ、な」


 透は部屋を出た。
 背後では、ミノリとアヤネが透´の寝顔を覗き込んで何かやってるようだったが、気にしたら負けだ。
 布団の一部を盛り上げてる何かとか、その辺を気にしたらイケナイ。


 部屋を出た透は、目の前を歩く人を見てちょっと目を見開いた。
 ミノリである。
 妙にめかしこんでいる…率直に言って美人だった。
 ミノリの造形が整っているのは知っていたが、ちょっと化粧をするだけでこうも化けるのか…と思う。
 透個人としては、微妙に野暮ったいスッピンも好きなのだが。


「…ひょっとして、ダリアさんに教わったヤツじゃないよな…」


 王宮で、ダリアがミノリに何やら吹き込もうとしていたのを思い出す。
 …微妙に不安だ。

 ミノリ´は、透の姿が見えないらしい。
 妙にソワソワしながら、透´の部屋の前に立つ。
 深呼吸して、コンコン、と扉を叩いた。


 これから何かするのか非常に興味があるが、透の意識は別の方向に向いていた。
 今度はアヤネ…と言うかアヤネ´である。
 ミノリ´と同じ通路を、アヤネを中心とした3人が歩いてくる。
 一人は、どこかアヤネの面影を宿す少年。
 恐らく、彼がアヤネの弟なのだろう。
 そして、もう一人は透´。


「…同じ顔が何人も居ると、目が回りそうだ…」


 自分と同じ顔なら尚更だ。
 アヤネ´達は、やはり透が見えてない。
 3人でワイワイ話しながら透´の部屋に歩いていく。
 アヤネの弟は、透に何やら突っかかっているらしい。
 透はそれを余裕で往なしている。


「…平和な事で…。
 ゲンハの事、アヤネに教えなかったのは正解だよな」


 ふぅ、と溜息をついた。
 …残りの2人も、同じ光景を見る事になるのだろうか?
 自分と同じ顔をしているのが数人居ると思うと、どうにも気が重くなる透だった。


「…何を考えてんだよ、憐…」


「…何とか誤魔化せましたね」


「そうね…。
 ……?
 と、透ッ!?
 ………って、幻の方か…ビックリした…」


「アヤネさんと腕組んでますよ。
 弟さんは、それに突っかかって…シスコンですか。
 …微笑ましいですね〜」


「…その黒いオーラは止めて。
 大体、私と透が仲良くしてるのを見るのが不満なら、ミノリと透がベタついてるのを見てればいいじゃない」


「…いや、あんなベタベタなラブシーンを自分の顔で演じられると、流石に…」


「…まぁ気持ちは解からなくもないけどね」


 ミノリとアヤネの背後では、ミノリ´に起こされた透´が、ミノリを引きずり込んで二度寝の真っ最中だ。
 そしてミノリとアヤネの前では、アヤネの弟をからかい倒した透が、扉を閉めてアヤネを後ろから抱きしめている。


「……目の毒ね」


「…逃げましょうか」


 兵舎から出てきたはいいものの、透は行く当てに迷う。
 一応ステッペン・ウルフのアジトと言う選択しはあるものの、どうにも足が進まない。
 やはり、自分のせいでユーヤを死なせてしまったと言う後悔は、ずっと胸の奥にしこりとなって残っているのだろう。
 どんな顔をして会いに行けばいいのだ。
 会って、もし恨み言を吐かれたらどうすればいいのだ。
 ユーヤはそんな事をする人間ではないと思いつつも、怯えている自分に嫌気が刺した。


「…あれ?」


 ふと顔を上げる。
 今、妙に色鮮やかな色彩を纏う人が居たような…。

 この世界は互いに無関心を保っているためか、目の前に人が立っていても、ちょっと意識を逸らすだけですぐに見えなくなってしまう。
 だと言うのに、その人物の気配は透の感性にダイレクトでその存在を伝えてきた。


「…リャン!?」


 特徴的なチャイナドレスが見えた。
 確かにそれはリャンである。
 しかし、声を掛けられたリャンは振り向きもせずに走っていく。


「お、おい待てよ!」


 透は慌てて追いかけた。
 しかし、リャンの身体能力は透よりも幾分高い。
 クーウォンに師事して戦闘訓練を受けていたという話だし、それなりの運動神経を持っていても不思議ではない。
 だがそんな事が分かっても追いつく手助けにはならず。


「………!!!!」


 透は全力で追いかけているというのに、リャンは少しずつ遠くなっていく。
 何を動揺しているのか、走りながらフラフラと左右に揺れ、道行く人に時々ぶつかる。
 …半分以上は擦り抜けて、残りの半分はぶつかった事にも気付いてなかったが。
 透自身も、見えにくい通行人達をカンを頼りに避けて走る。
 多少ではあるが、透が有利。
 リャンの跡を正確に追って走れば、邪魔になる通行人は居ないから。


 そのまま、リャンは人気の無い方へと走り続け、町外れの空き地に迷い込んだ。
 透の記憶では有刺鉄線が張ってあったはずだが、ここには無い。
 透が来なくなってから取り払われたのか、それとも再現されてないだけか。

 リャンは空き地に駆け込むと、置くまで走り、塀に突き当たって右折。
 そのまま直進するが、これまた塀に突き当たる。
 またしても右折。同じ事をまた繰り返して、繰り返して繰り返して、空き地の中を塀沿いに延々と走り回っている。


「……っは…っは…な、何を…やっとるんだ?」


 走り回るリャンの姿を見て、何となくハムスターを連想する。
 何処まで走る気だ。
 透は息を整え、改めてリャンを観察する。
 透が居る事に全く気付いてないようだ。
 エンドレスランを続けている所を見ても、錯乱しているのは間違いない。


「……ま、取り合えず止めるか」


 走り回るリャンの表情は、泣きそうだったり苦しそうだったり酸欠になりかけていたりと、忙しい事この上ない。
 放っておくとそれこそくたばるまで走り続けそうだったので、取り合えず透は片足を出した。

どどどどどどガシベチャ

 …リャンは透の足に躓き、普通にコケた。
 勢い余って回転しつつ塀に突っ込むと言う事もせず、ただコケた。


「…捻りが無いな。
 芸人の道は遠いぞリャン」


「…な・に・するんだー!」


 ちょっと鼻が低くなったように見えるリャンが、目にも止まらぬ速度で立ち上がって透に掴みかかる。
 リャンの戦闘能力は、生身では透よりずっと上。
 ヘタに掴まれれば、そのまま気絶するような打撃とか喰らいそうである。
 普段なら間違いなく逃げ切れないだろうが、リャンは全力疾走しまくった為にヘロヘロな状態だ。
 透が軽くバックステップを繰り返すだけで、簡単に距離が開いてしまった。


「まぁ落ち着け。
 一体どうしたんだ?
 と言うか、さっきまで別荘に居ただろ」


「……後で覚えてろ…。
 ………なぁ、透…ちょっと聞きたいんだけど」


 リャンの表情は、不安に揺れている。
 透は飛び蹴りを警戒しつつも、リャンの言葉を待った。
 どうにも様子がおかしい。
 さっきの大暴走といい、一体何事だ?


「…私と透が始めて会った時の事、覚えてるか…?」


「…ああ、覚えてる…よ。 一応」


「それって、どんな風だった?」


 返答に迷う。
 『設定』の話をするべきだろうか?
 『設定』によれば、リャンと透は幼馴染で、近所に住んでいたクーウォン(大学生)の家にリャンが遊びに来た時、傍の公園で遊んでいる時に仲良くなった…と言う事になっている。
 しかし、それを答えるべきなのか?
 それとも、現実世界で、ステッペン・ウルフとして活動していた透と、フェタオのリャンが偶然鉢合わせした時の事を言うべきなのだろうか?
 あるいは、透も覚えておらず、リャンも記憶に無いであろう、かつて実験台として扱われていた頃の事を?


「…なんでそんな事を聞くんだ?」


「…聞いているのは私だ」


「聞いてるのはリャンだけど、聞かれる俺にも聞く権利はあるだろう?
 等価交換ってヤツだ。
 …リャンが話してくれれば、俺も何でも話そう。
 それこそツキナにも秘密にしてる、ヘソクリの隠し場所とか」


「そんなの聞いても…。
 どうせ端金だし」


「げふっ!?」


 血を吐くマネをしてみせる透。
 リャンは少し笑い、すぐにまた沈んだ表情になった。
 ポツリポツリと話し出す。


「…なぁ透、イミアって覚えてるか?」


「…イミア?
 いや…心当たりはないけど…どんなヤツだ?」


「こう、目付きは…タレ目で、髪はザンバラで…そうだ、右肩にでっかい刀傷があった」


「刀傷…?
 …あぁ、アイツか」


「覚えてるのか!?」


「名前までは知らなかったけどな。
 口癖が『酒飲みてぇ〜』のヤツだろ?」


「そう、それだ!」


 イミアとは、現実世界でフェタオに所属していた男で、何かと言うと酒を飲みたがる半アル中だった。
 透との接点は、これまた何度かリャンと一緒に鉢合わせした程度。
 肩の傷が印象的だったので、何となく覚えていた。
 そのイミアは、何らかのミッションの途中で息絶えた、との話を聞いたが…。


「で、そのイミアがどうした?」


「……向こうに、居るんだ…。
 私の事は見えてないけど、私がもう一人居て…その私は、イミアやクーウォン達と一緒に働いてる。
 クーウォン達の仕事は主に建築業で、私は昼食とかを届けに行ってる」


 なるほど、と透は内心で溜息をつく。
 ツキナ、ミノリ、アヤネにも同じ事が起こっている。
 リャンはそれを見て混乱したのだろう。


「…あのな、リャン」


「それはいいんだ。
 理由は解からないけど、みんな楽しそうだから。
 …あれは、私本人じゃないから」


 透は口を噤む。
 リャンが戸惑っているのは、その現象に対してではないらしい。

 リャンはガタガタと震える体を抑え、恐怖に満ちた声を出す。


「でも…私はどうしてイミアの事を知ってるんだ?
 フェタオには、イミアは居なかった…いや、居たけど居なかった!
 私はイミアの事を知らない!
 でも、イミアは私と一緒に居た!
 私はイミアと何時会った?
 イミアがクーウォンと一緒に仕事をするようになってからだ。
 でも、それじゃイミアはフェタオじゃない!
 イミアだけじゃない、カルツは?
 ニオは?
 エイヴィーは!?
 私は、私はどれだけ忘れてるんだ!?
 私が持ってる記憶は、どれが本当なんだ!?
 全部ニセモノじゃないのか!?
 じゃあ私って「リャン!」


 透はリャンの告白…否、絶叫を強引に遮り、リャンの体を抱き寄せた。
 リャンは溺れる人間が浮いている板にしがみ付くように、透に抱きつく。

 どうやら、リャンは自らの記憶に対して、想像以上にデリケートだったらしい。
 元々発作に怯え、忘却を恐れていたリャン。
 イミア達の事を忘れていた所に、紛い物の記憶を植えつけられて、その矛盾に耐え切れずに拒絶反応を起こしてしまったのだ。
 本来の記憶は、イミアといつ会い、いつまで一緒に居たのかは覚えてないが、フェタオとして活動していたのは覚えている。
 紛い物の記憶…『設定』では、リャンもクーウォンもイミアもフェタオに属さず、平凡に生きている。
 そして更に、その『設定』を体現している自分ではない自分の存在。
 この三つが重なって、説明しようのない矛盾をリャンは抱えてしまった。
 どれが本当の記憶で、どれが嘘の記憶なのか?

 透はリャンのパニックが再発しない内に、一気に畳み掛ける。


「いいか、リャン。
 お前の記憶は、一部だけ嘘の記憶を植えつけられている。
 でも、俺はその中で本当の事…本来の記憶の事を、俺は知っている。
 それを元に、ゆっくり思い出すんだ」


「と、透…でも、怖い…」


「大丈夫だ。
 俺も居るし、ヒカルも対策を練ってくれてる」


「ヒカル…ヒカル?」


「ああ、お前は忘れてるかもしれないし、俺も忘れていたけど…ずっと前に一緒に居た、あのヒカルだ。
 食事だって言ってもパズルに熱中して、全然返事をしなかったあのヒカルだ」


「……ごめん、その頃の事は覚えてないよ…」


「俺も、その頃の事はな…。
 …いいか、リャン。
 俺とお前が会ったのは、フェタオの活動をしていた時だ。
 だから、お前自身が生きてきた記憶は、大部分がフェタオとして生きている記憶なんだ」


「……フェタオ…なんだ…」


 リャンの表情に、安らぎの色が浮かぶ。
 例え嘘かもしれなくても、自分の目安となるモノができた。
 宙ぶらりんだったリャンにとっては、それこそ天国から伸びたクモの糸にも等しい。


「じゃあ、イミアと会ったのも…」


「そう、フェタオだ。
 …お前の言う『嘘の記憶』は、放っておいてもそれが嘘だと理解できる。
 だから、安心して待っていればいい」


「時間が解決してくれるの?」


「時間は最も有能にして、残酷な医者…ってね。
 …冷酷だったかな?
 とにかく、その記憶を今すぐどうにかする必要はないよ」


「…透には、分からないよ…。
 自分の記憶が本当の記憶なのか、何かとても大事な事を忘れてるんじゃないかって気持ち…。
 現に、私はイミア達の事を忘れてた…」


 死んでしまった戦友の記憶を。
 しかし、リャンは透の腕の中から抜け出して、無理をして笑う。


「でも、よかったのかもしれないな。
 みんなの事を覚えていられないのは辛いけど、だから今まで戦えた。
 …冷たい事を言うけど、V・S・Sを倒すまでは…それでいい」


「………」


 自分に言い聞かせるような口調に、透は何も言わなかった。
 そう言い聞かせるからこそ、今のリャンは自分を保っていられる。
 自虐的なのはよくない事だが、それを性急に変える事もできない。


(…憐の事を頼めるような心境でもないな)


「…リャン、これからどうするんだ?」


「…もう、さっきの所に戻るよ。
 折角イミア達の顔を見られるんだ。
 まるで実物大の映画を見てるような雰囲気だけどね…。
 ……もうちょっと、眺めてる」


「…そっか。
 じゃ、俺はもう行く。
 やらなきゃいけない事があるんだ」


「…うん、がんばって」


 リャンを途中まで送っていく透。
 その間、リャンはずっと何かを考え続けているようだ。
 気にはなったが、これ以上時間をかけていられない。
 いくらユーヤに会うのが気が引けるとは言え、これ以上自分を誤魔化し続けるのは不可能だ。


「…リャン、俺はこっちだから」

「そうか?
 …気をつけてな」


 リャンはちょっと寂しそうだったが、引き止めなかった。
 透は少々重い足取りで歩いていく。
 その後姿を見送って、リャンは呟いた。


「…こっちの透もあっちの透も、そういう所は同じなんだな…」


 偽の記憶の中の透は、リャンとも幼馴染で、なおかつ友人以上恋人未満という微妙な関係だった。
 リャンは『その記憶だけは、嘘でも覚えていたいな』とふと思い、顔を赤くして首を振った。


 ステッペン・ウルフのアジトは、街の中心部近くにある。
 中心部と言っても、最も栄えている場所の事ではない。
 確かに街全体で見れば賑わいがある方だが、少し道を外れればすぐに人気が少なくなる。
 人は多くないが、全く居ないのでもない。
 そういう所を、ステッペン・ウルフは根城にしていた。
 目撃者を作る可能性は少ないし、仮に目撃されたとしても、ちょっとアウトロー入った青少年で誤魔化せる。
 …流石にヒカルことバチェラはそこまで入ってこなかったが。


「…ずっと思ってた。
 透達と一緒に、ここに来たいって…」

「…ヒカル…」

「結局ステッペン・ウルフと居た時はシュミクラム越しだったし、透達もボクの顔を知らなかった。
 ずっと、知られるのが怖かった。
 バチェラがこんな子供で女の子だって知られたら、絶対バカにされて、仲間外れにされるって…」

「…そうだな、最初はそういう反応をすると思う」

「…正直だね、透…。
 でも、嘘をついて誤魔化されるよりは幾らか嬉しい」


 ヒカルは少し寂しそうに笑った。
 ふぅ、と額に浮かんでいた汗を拭う。


「リャンの治療プログラムは完成したのか?」


「うん、後はリャンの頭の中にちょっとずつ流し込んで、発動を待つだけだよ。
 この辺はオートでやるしかないから、後は待つばかり」


「そうか…ありがとな」


「いいよ、仲間で家族だろ?
 …ずっと前の、家族だけど…」


 知ってたのか、と問うと、ヒカルは顔を顰める。
 頭痛でもするのか、米神を抑えた。


「ずっと前から、幾つかの引っ掛かりはあったんだ。
 それを強引に繋ぎ合わせてみても、どうにもちゃんとした形にならない。
 …元々ステッペン・ウルフに入ったのだって、その情報を探しての事だったんだ」


「…そんな重要そうな情報、ウチが手を出すか…?」


「まぁ、それは建前ってヤツで。
 ……ステッペン・ウルフの事は、前から色々聞いてたんだ。
 …理想のチームだったよ。
 ボクにとって、ステッペン・ウルフは全てだった。
 ボクが欲しかったもの、全てがあった。
 …だから、ボクを仲間外れにして最後に一花咲かせようとした時は、すごいショックだったんだよ。

 ボクがステッペン・ウルフに入ったのは、結局衝動的な事だったんだ。
 何処かに都合のいい、利用できるチームは居ないかって探してたら…パラダイスみたいなチームに遭遇した。
 それから何度か尾行したりして…」


「…ストーカーじゃあるまいし…。
 しかし、全然気付かなかった…」


「そりゃ、シュミクラムの遠隔武器のカメラを使ってたからね」


 そこまでするか。
 しかしこの行動力こそがバチェラである。

 透はふと首を傾げた。


「…おい、まさかとは思うが…その遠隔武器のカメラ、ずっと使ってたんじゃないだろうな?」

「へ?」

「…一日の内、何時間くらいそのカメラで覗き見してた?」


 ギクッ、とヒカルの表情が引き攣る。
 ジト目になる透。
 ワシッとヒカルの頭を掴み、ギリギリギリとアイアンクロー。

 まだあまり力は入れてないが、放っておくとヤバイ。
 そう踏んだヒカルは、口元をヒクつかせながら片手を出した。

 …二本。


「…二時間くらいか」


「……い、いちにちにじゅうじかん……」


「テメーはどこの褌ストーカー侍か!?」


「ボク高所恐怖症じゃないよー!」


 ギリギリギリ、と地味に痛く締め付ける。
 ヒカルは手足をバタつかせて脱出を図った。

 たっぷり3分は締め付けられたヒカルは、ちょっと涙目になっている。


「…仕方ないじゃないか…。
 ボクは男の子になりたかった。
 女の子で子供じゃ、すぐに仲間外れにされちゃうから…」


「女の子同士で遊べばいいんじゃね?」


「同世代の女の子なんて、バカばっかりだよ。
 全然話が合わないんだ」


 透は舌打ちした。
 なるほど、これがクーウォンが言っていた事か。
 確かにヒカルの頭の回転速度は頭抜けている。
 同世代の子供など、それこそガキにしか見えまい。
 頭が良すぎる故か、集団のノリに付いていけず、疎外感を味わっていたのかもしれない。


「透は、ボクが想う理想の形だったんだ。
 こういう男の子になりたいって…。
 ……そ、そりゃ…ちょっとアレな所も見ちゃったけど…」


「………」


 沈黙。
 透はフリーズしたように動きを止めていた。
 それを見て、慌てて弁解するヒカル。


「べ、別に気にしてないよ!?
 透だって男なんだし、そういう事もあるってちゃんと知ってるし!
 最初はフケツだって思ったけど、でも目が離せなくてそのいつのまにかあれだつまりボクも体がちょっと「ヒカル」…へ?」

「記憶を失えーーーーーーーーー!」

「ひぃやああぁぁぁあぁ!!!!」


 破壊音。


 5分後、息も絶え絶えにへたり込んでいるヒカルと、どっから持ち出したのか金属バット(ボコボコになっていた)を杖代わりにしている透が居た。
 ちなみに、殴打の後があるのは周囲の壁と床だけだ。
 さすがにヒカルをブン殴るのはヤバイ。


「わ、忘れたか…?」

「もう思い出しません…」

「…ならば、まぁよし」


 涙ながらに返事をするヒカルだった。
 息を整え、咳払いをして気を取り直す。
 …随分脱線したものだ。


「と、とにかく…ボクは自分の過去の事を何度か調べてみた事があるんだ。
 最初はただの好奇心だったんだけど、どうもおかしい事が幾つも出てきた。
 …V・S・Sが何か関係しているって事は掴んだんだけどね…。
 そこでちょっと問題が起こった。
 ちなみに透達と会う前の事だよ」


「問題…?」


「…リヴァイアサンさ。
 ボクがシュミクラムを手に入れた時の事、話したっけ?」


「何かV・S・Sで騒動が起こったって聞いたが…」


「そう。
 それがリヴァイアサンの起こした騒動だったんだ。
 …リヴァイアサンは、透の面影を求めて彷徨っていた。
 まぁ、何だかんだ言っても、ボク達はV・S・Sで何年も幽閉生活を送っていた。
 それを嗅ぎつけたんだろうね。
 今ほどではないにしろ、大きな質量を持っていたリヴァイアサンはV・S・Sの施設に殴りこみをかけた。
 その時の大騒動で、シュミクラムが流出したのさ。
 それをボクが拾ったって訳」


 ほほぅ、と相槌を打つ透。
 しかし、そうなると幾つか疑問が出てくる。
 まず最初に、ヒカルは何故そこまで知っているのか?
 リヴァイアサンの姿を見る寸前くらいに、咆哮を喰らって気絶しただろうに。

 透がそれを問いかけると、ヒカルは苦々しい表情をする。


「…どうやらボクは、この夢を創り出すのに一役買ってるらしいんだ」


「…?
 そういやルビナスさんも似たような事を言ってたな…。
 リャンがデータバンクで、ヒカルが処理装置とか…」


「あ、やっぱり予測してたんだ?
 さっすがルビナスさん…」


 …やはりあのマッドに憧れているようだ。
 本当に大丈夫かいな、と思う透だった。


「で?」


「うん…。
 ルビナスさんの言う通り、ボクは機構兵団とリャン、それにリヴァイアサンから送られてくる情報を処理し、人間に理解できるような形に加工してる。
 意識してやってるんじゃないよ。
 どうやら…」


 自分の頭をコンコンと叩く。


「ここにされた細工が、全力で働いてるみたいなんだ。
 …現に、さっきから知恵熱みたいなのが…」


「おいおい…」


 頭に手をやると、成る程少し熱い。
 透は持っているハンカチを濡らし、ヒカルのオデコに乗せた。
 …しかし、これは夢の中で頭を冷やしているだけなので、あんまり意味はない。
 どっちかと言うと、『冷たい』という情報が増えた分、負荷が増したくらいだ。
 まぁ、気分的に楽になるのはあるが。


「ありがと…。
 それで、主にリャンが集積した情報は、ボクの脳に全て送られてくる。
 ボクはその全てを何らかの形で加工し、それを送信。
 …つまり…送られてきた情報…みんなの過去や記憶は、ボクの頭の中を一通り経由していくんだよ。
 例えば…ほら、ツキナの家で、ボク達を認識できないツキナが居ただろ?
 あの辺、ボクが演算してるみたいなんだよね。
 現在何やってるか、大体わかるよ。
 ちなみにボク´は、町外れでステッペン・ウルフのメンバーと遊んでる。
 …勿論、シュミクラム越しじゃなくて生身でね」


「ぷ、プライバシー侵害じゃん!
 しかもメチャクチャ著しい…。
 まさか俺のアレとかコレとかソレも!?」


「いや、全部は把握できないよ。
 情報処理速度が速すぎて、ボクの頭に残っても意識に残らない。
 単に断片を拾い上げて推測したんだけど…その様子じゃ、大体合ってるみたいだね」


「…お前、ヘタするとルビナス二号になれるかもな…」


 戦慄を篭めた呟きは、ヒカルには褒め言葉に聞こえたらしい。


「ま、そんな訳だから、ボクには説明は不要だよ。
 憐の事も、見かけたら捕まえてあげる。
 だから……行ってきて」


「……ああ」


「そんな沈んだ声出さないでよ。
 透は僕の憧れだった、って言っただろ?
 僕の憧れた人は、友達に会う為にそんな暗い顔をするような根暗じゃないよ。
 大丈夫、透ならちゃんと目を見て話せるさ」


「へっ、言ってろ」


 ヒカルはアジトの奥を指差した。
 透も気を引き締める。

 指差された先に居るのは、間違いなくユーヤ。
 透は緊張と恐怖で高まる鼓動を強引に抑えて、ゆっくりと足を進める。
 ヒカルはその後姿を、見守るように見詰めていた。


 光の入らない廊下を歩く。
 現実ではただの薄暗い廊下だったのに、今では現世と幽世を繋ぐトンネルのようにも見えた。
 そう言えば、神話でそんな話があった。
 根の国…死者の国へ、親友やら妻やらに会いに行き、連れ帰ろうとする話。
 …しかし、死者を現世に連れ戻す事に成功した話は聞いた事がない。
 恐らく、今回もそうなのだろう。
 この先に居るのがユーヤの魂なのだとしても、多分生き返らせる事はできまい。
 既に体は墓の中だし、例えルビナスがホムンクルスの体を用意してくれたとしても、ユーヤの魂そのものが成仏するしか道がない程に衰弱している。
 いや、衰弱というのもおかしいが…。

 体感で1キロ、実際には10メートルそこそこを進むと、突き当たりに扉が見えた。
 この扉の先こそが、ステッペン・ウルフの根城である。
 透は扉の前に立ち、ノブに手を伸ばし…引っ込めた。

 前にここに来たのが、もう何十年も昔のように思える。
 ユーヤの顔を見る事は、二度とないと思っていた。
 在り得ない筈の再会。

 透は勝手に引っ込められた手を見た。
 震えている。
 自分はこの先に行ってもいいのだろうか?


「……ユーヤ…」


 親友の名を呟く。
 尚も震える手を叱咤して、透は扉をゆっくりと開いた。

 開いた扉の先は、薄暗い空間だった。
 窓にはカーテンが引かれ、電灯も点いてない。
 透は周囲を見回すが、動くものは何もなかった。


「……誰も…居ないの『パァン!』にゃあああぁぁ!?」


「ははは、引っ掛かった引っ掛かった!
 お前でもそんな声を出すんだな」


 突然背後から響く破裂音。
 透は文字通り天井まで飛び上がった。
 強かに頭を打ちつけ、バランスを崩して落下する。
 バキャ、という音と共に床にめり込んだ。


「おいおい、そんなに暴れるなよ。
 ただでさえ安普請だってのに、壊れたらどうするんだ」


「ユ…ユ…ユ、ユーヤ…!?」


 シャッ、とカーテンが引かれる音がして部屋に光が差し込んだ。
 明るくなった部屋の中に、親友の姿が浮かび上がった。
 透は頭が真っ白になる。
 ユーヤに言いたい事は山ほどあった。
 主に懺悔の言葉と、ついでに貸した金を返せ。
 あれから色々あったんだ、ツキナを傷つけちまったけど何とか持ち直した、実はバチェラは小さな女の子だったんだぜ、アキラに至っては何故かフェタオに入ってるんだ、何だかンだ言っても俺達は元気だぞ、恨んでないか…?
 だが、その全てを口に出そうとしても、舌が空回るばかりで。
 結局言葉に出来たのは。


「いきなり何するんじゃあ!」

「うおっ!?」


 クラッカー(使用後)を弄んでいるユーヤに対する怒号だった。
 どうやら、ユーヤは透が部屋に入ってきた時、扉の影に隠れていたらしい。
 そしてユーヤの姿を探す透に向けて、クラッカーを一発。
 何故クラッカーなどというパーティーグッズがあるのかはともかくとして、透はとてもとても驚いた。
 亡き親友に会うのに、神経が目茶目茶張り詰めていた所に、いきなり『パァン!』である。
 心臓が止まるかと思った。
 ここで止まったら、本体の方はどうなるのだろう?


「まーまー落ち着け透。
 なんかガラにも無く緊張してたみたいだから、解してやろうという小さな親切だ。
 バチェラと騒いでいたのが聞こえたから、態々準備していたんだぞ」


「Biggestなお世話じゃ!
 死んじまったってのに、なんでそんなに軽いんだ!?」


「何でって言われてもなー。
 俺が死んだのは、もう一年近くも前の事だぞ?
 そりゃ多少は心の整理もつくし、そもそも死んだ記憶はあるけど、俺は確かにここに居る。
 死んではいるけど消えちゃいない…そういう意味では生きてるんだ。
 自縛霊とか怨霊ならともかく、死人ってのは気楽なもんさ。
 何せ試験も学校もないからな、生きてる時から行ってなかったけど。
 メシとか食えなくてちょっと不満だが」


「そ、そんなアッサリと…」


「死んで文字通り身も心も軽くなったのさ」


「性格と性根もな…」


 頭を抱える透。
 これではずっと悩んでいた自分がバカみたいではないか。

 ユーヤはもう一度高い声で笑った。


「ま、このご時世だからな。
 死に方としちゃ悪くない方だ。
 義賊団なんかやってたんだから、いつ何処で死んでもおかしくなかった。
 警備兵に見つけられて射殺かもしれないし、V・S・Sみたいな企業に捕まって人体実験かもしれない。
 仲間を庇って死ねるなら、まぁ死ぬ本人としちゃマシな方だって思わないか?
 残されたお前達は、悲しんだだろうけどな…。
 ある意味じゃ当然の帰結だったのさ」


「でも、俺があんなトコでミスしなけりゃ…」


「そう言うなって。
 結局の所、俺達はヤバイ目に合わなけりゃ自分達がどんなに危険な事をしているか、自覚すらしなかった。
 本来なら、そのヤバイ目に合う所で全滅しててもおかしくなかったんだ。
 死人が一人で済んだ事を、返って幸運だと思おうぜ。

 …ああ、それからな。
 俺を殺した獣人だけど…」


「……」


 これまた軽い口調のユーヤ。
 透はコレに対しては黙り込んだ。
 アヤネの事。
 透はアヤネの事は結構好きだし、今更彼女を殺せるかと言われると…。
 さりとて許す事も難しい。
 何とか関係を一度清算できないものか。


「その様子だと、知ってるみたいだな」


「…ユーヤも知ってるのか?」


「ああ、死んだ直後辺りにな。
 リヴァイアサンだっけ?
 幽霊になってアレに飲み込まれる前に、俺を殺した獣人を何となく眺めてたら…彼女に変身してな。
 まぁ、なんだ、許してやれよ。
 彼女だって意識は無かったんだし、お前の友人なんだろ?」


「…それでいいのかよ?
 本当に恨みとかは無いのか?
 せめて一言言ってやりたいとか…」


 ユーヤは鼻で笑った。
 無理している様子など、一切無い。


「言っただろ。
 死んで身も心も軽くなったのさ。
 死んじまったヤツはいいヤツだ、ってな。
 俺は仇討なんざどうでもいい。
 透がそれでもやるって言うなら止めないが、それは不毛ってもんだろう?」


「…ふん」


 透は顔を逸らした。
 これでもう、完全にアヤネを殺す理由が無くなってしまった。
 元々敵討ちも、道を見失った透がユーヤの死因から目を逸らすために掲げていただけ。
 今の透には、リハビリ中のツキナの面倒を見なければならないし、色々と義理や恩も出来てしまった。
 生きる理由なら、今はある。
 戦友を手に掛ける事も勘弁だし、そもそも殺された当人が『別にいい』と言っている。
 これ以上敵討ちに拘るのは、単なる妄執というものだろう。


「はは…ま、この後ついでに、アヤネさんとやらにも『気にするな』って言っておくよ。
 兵舎に居るんだろ?」


「…何で知ってるんだよ?」


「バチェラに聞いた。
 ……色々とな。
 お前の妹を探すんだろう?」


「ああ。
 ……それに、洗脳解除プログラムも起動させなきゃならないし…。
 …でも、それをやったらこの世界は…」


「おいおい、俺はここも嫌いじゃないが、抜け出して成仏したいと思ってるヤツの方がずっと多いんだぞ。
 なんと言っても退屈だしな。
 元々棚ボタみたいに転がり込んできた、言ってみれば死ぬ瞬間に見る走馬灯みたいな場所だ。
 終わらせた所で、誰も文句なんか言いやしないさ」


「……」


「それに…お前はまだ生きてる。
 狼として…最後のステッペン・ウルフとしてな。
 なら、こんな所で燻っていられるか?
 現実世界じゃ、エライコトになってるんだろ?
 死者の為に生者を見捨てるような事をするなって」


 つくづく気楽なヤツだ。
 溜息をつく透。
 これでは必死で生きている生者がバカみたいではないか。
 死人の方が楽で楽しそうだなんて…。
 本来ならこうして話す暇もなく成仏するのだろうが、透は嘆息せずには居られなかった。


「しかし、どうやって洗脳解除プログラムを起動したもんか…」


「…聞いた話じゃ、要するに…脳が妙な刺激を受けると発動するんだよな?」


「それもヒカルから聞いたのか?
 そうだよ、脳が不正なアクセスを受けた時に発動するらしい。
 この状況なら発動してもおかしくないと思うんだが…」


 ふむ、とユーヤは顎を摩る。
 素人考えで悪いが、と前置きする。


「要するに、この程度じゃまだ発動しないか、そもそも発動条件が満たされてないんじゃないか?
 そうだな…例えば、それこそ自分の意識を強引に塗りつぶされるような事にならなきゃ発動しないとか」

「…そう…なのかな?」


 確かに、この夢はある意味バーチャルリアリティであって、透の意識をどうこうしようと言うのではない。
 しかし、『強引に意識を塗りつぶす』が発動条件だとすると…。


「催眠術でもかけるか?」

「お前、そんな器用な真似できる?」

「無理」


 出来るヤツにも心当たりは無い。
 となると…。


「意識を塗りつぶす…か。
 気絶か自殺が確実な方法だな」

「いきなり物騒な方向に飛躍したな…」

「まぁ、自分が死んでるとな…。
 こうして幽霊になって生きるんだから、それもまぁいいだろと気楽に考えちまって」

「…ま、まぁ、考慮には入れておくよ…」


 苦笑いする透。
 ユーヤは透に、冗談めかしてこう言った。


「おいおい、そんなにアッサリ信じていいのか?
 ひょっとしたら、俺はお前を恨んでいて、復讐のために自殺させようとしてるのかもしれないぜ?」


 ユーヤの口調は軽かったが、目の底には淀みがあった。
 しかし透はフン、と鼻で笑う。


「狼は家族を大切にするもんだ。
 そして俺はお前を信じると決めている。
 そんな試し方をしなくても、お前が俺を恨んでるなんて思ってないさ」


「そうか…。
 それでいい」


 ユーヤは胸の痞えが取れたように、清々しく笑う。
 いくらユーヤが口で『恨んでない』と言っても、透がそれを信じきれねば意味がない。
 例え透が信じようとしても、心の何処かで『実は恨まれているのではないか』『やはり仇を討つべきではないのか』という自責の念が巣食う。
 信じようとする、ではいけないのだ。
 信じられなければならない。
 意識して信じようとするのではなく、『ユーヤがそう言ったからそうなのだ』と心底から思えなければ。

 しかし、その心配は杞憂だったようだ。
 透はごく自然にユーヤの言葉を受け入れている。
 後悔こそ一生背負っていくだろうが、それに引き摺られるような事はあるまい。

 ユーヤは大きく伸びをした。


「さて、それなら俺の役目はもう終わりだな。
 …ああ、シドーさんにもういいんだ、って言ってこなけりゃならないか。
 それが終われば、俺はゆっくり眠れるって訳だ」


「…急げよ?
 そろそろルビナスさんが俺の頭蓋骨の裏側にスタンガンとか叩きつけようとしてるから。
 将軍達でも、止められそうにないしなぁ…」


「…現実世界は怖いな…。
 それじゃ、俺はもう行く。
 余裕があればツキナの所にも顔を出すか。
 …アキラによろしくな。
 猫背でいると背骨が曲がるぞって伝えてくれ」


「…遺言がそれかい…。
 っとに性格変わったな、お前…」


 ブツブツ呟く透に笑いかけ、ユーヤは扉を開けて出て行こうとする。
 扉の向こうから、大分傾いた夕日が差し込んできた。
 その背中を、透はじっと見詰めていた。

 初めて会った時の事を思い出す。
 その時透は悪戯をしようと、とある建物に忍び込もうとしてトラップに引っ掛かり、逆様に釣られていた。
 どうしようかと悩んでいる時に、天地逆となった視界に光が差し込んだ。
 思わず目を閉じると、知らない男の声がした。
 薄目を開けてみれば、逆光を纏う男の姿。
 どんな会話をしたのかは覚えてないが、透はその男…ユーヤによってトラップから助け出される。
 その時のユーヤは、それこそ光の中から現れたように思えた。

 昼の光の中から現れたユーヤは、仮初の夕陽の光の中に去っていく。
 透は神話の終わりに立ち会うような気持ちで、ずっとユーヤを見つめていた。
 扉が閉まり、ユーヤの背中が見えなくなるまで、細部まで緻密に、その記憶を全て心の内に刻んでおけるように。


 扉を開けると、既にユーヤは居なかった。
 その代わり、ヒカルが扉のすぐ側で三角座りで壁に凭れ掛かっている。
 足で作られた三角の内部に目が惹かれたものの、気合で視線を剥ぎ取る。


「…ヒカル…」


「……憐は、透が最初に居た別荘に居るよ…。
 透に来て欲しくて、この世界を壊されるのが怖くて、ずっと泣いてる。
 …行ってあげて。
 僕じゃ何もできない」


 ヒカルは透が何か言う前に畳み掛けた。
 透は気圧される事もなく、黙って頷いた。


「…ここに来た時の穴を使えば、別荘に行けるか?」


「うん。
 さっきまでは穴は塞がれてたけど、僕がこじ開けた。
 憐は閉じようとはしてないけど、早く行って。
 何時まで穴が開いてるか解からないから」


「…わかった。
 ……もう、思い残す事はないんだな?」


「それ、もうすぐ死ぬみたいだよ?
 …僕は無いよ。
 この世界の僕達を見ているのは楽しいけど…僕は現世がいい。
 適わなかった過去の願いを見続けるのは、意外と苦しいのさ」


「……」


「…もう時間が無い。
 …憐をお願い」


 もう話す事は何も無い。
 透は踵を返し、この街に来た最初の場所まで走り始めた。


 街を走る透。
 その途中、色々な人を見た。
 殆どは強く意識しないと細部までは見れないが、そこに居ると言う事だけは分かる。
 街の中には、ツキナと一緒に歩いている透が居た。
 めかしこんでいるミノリとレストランで食事をしている透も居た。
 アヤネと一緒に、彼女の弟をからかっている透も居る。
 クーウォンやイミアに混じって仕事をし、リャンが持って来た昼食を貪る透が居る。
 ステッペン・ウルフのメンバー全員で、何故か街を逃げ回っている透…多分、何か悪戯をしたのだろう…。

 この世界はなんなのだろうか。
 憐が作り出した幻覚?
 ヒカルも自分達´が何なのかは分っていなかったようだ。
 ただ解かるのは、結局の所、あれは夢なのだ。
 この世界が解放されると同時に消える夢。
 楽しい、在り得たかもしれない泡沫の夢。

 だが、その夢ももう終わる。
 この手で終わらせる。
 憐を解放する代償として。
 この世界に居る人々を解放し、成仏させ、ある意味では殺す事で。


 最初に居た場所に戻ってきた透。
 そこにはヒカルが言った通り、黒く丸い穴が開いていた。
 球体ではない。
 ただ丸い。
 横から見ると穴は全く見えないが、正面から見ると黒い口を開けている。


「…あんまり気分のいいものじゃないが…待ってろよ、憐…」


 透は覚悟を決めると、黒い穴に頭から突っ込んでいく。
 一瞬の浮遊感。
 意識が途切れるような感覚。

 ふと気がつけば、透は森の中に倒れていた。
 どうやら別荘に戻ってこれたらしい。
 揺れる頭を強引に制御し、透は立ち上がる。
 フラついたが、木に手をついて支えた。


「さって、憐は何処に……」


 居るのか、と続けようとしたが尻すぼみに消える。
 透の目の先には、すっかり忘れていた彼が立っていた。


「…ゲンハ…」


「…遅ェぞ、阿呆が…」


 いつもよりも幾分青ざめ。
 今にも『何か』が切れてしまいそうな目をして。
 その手に、禍々しく光る蛮刀を持って…。


 ゲンハはゆらゆらと、ゾンビのような足取りで透に近付いた。
 3歩歩いた時点で、その手からゴトリと蛮刀が抜け落ちる。


「…終わったのか…?」

「…これで最後だ。
 憐は…ここに居る…」

「…ああ、そうかい…。 
 ハッ、俺にゃあ関係ねぇがな…」


 自分で聞きながらも、本当にどうでもよさそうだ。
 その目は狂気一歩手前の恐怖を浮かべている。

 透は思う。
 ユーヤは『死んで身も心も軽くなった』と言った。
 ならばゲンハはどうなのだろうか。
 軽くなったのかもしれないが、脳の細工が無力化されている今、ゲンハを襲う後悔や罪悪感は如何程か。
 それこそ、今度こそ本物の狂気に走ってもおかしくない。


「透よぉ…俺はお前が気に食わなねぇんだよ…。
 理由?
 理由なんざ知るか。
 あぁ…昔はそうでもなかったかもな。
 俺達がクーウォンに連れられて、ここに居た頃はな…」


「…そうかもな…。
 朧にしか覚えてないが…お前とは時々ケンカしてたような気がする」


「ケッ、普段はボケっとしてる阿呆のクセしやがって、キレたらやたら強ぇんだ…。
 今にして思えば、そんな所も気に入らねぇ…。
 何だか知らねぇが、テメェの存在は俺様をイライラさせんだよ」


 ゲンハは大きく溜息をついた。
 この男らしくもない。


「気に入らねぇモンは排除する。
 気に入ったモノは奪い取る。
 当たり前の事じゃねぇか。
 俺様はテメェが気にイラネェ、小娘が作ったこの世界が気にイラネェ、あっちの街で安穏として、死人みたいに呆けながら暮らしてる奴らも気にイラネェ」


 狂気が大きくなっていく。
 ゆっくりと、本当にゾンビになったかのような足取りで透に一歩一歩近付く。


「俺様はこの世界で暴れるぜ。
 お前を殺して、小娘を犯して、リャンを犯して、街の連中を殺しまくる。
 当たり前だろォ、俺様はゲンハ様だぜ?
 殺すのとオンナを犯すのが何よりも楽しいゲンハ様だぜぇ!?」


 ギラギラと狂気に輝く目。
 既に透を写してはいない。
 空を仰いで絶叫し、目を見開いて長い舌をチラつかせた。

 しかし、すぐにゲンハは脱力し、グラリと揺れて透に向かって倒れこんだ。
 反射的にゲンハを支える透。
 すぐに罠かと思って突き飛ばそうとしたが、その前にゲンハは透の肩を掴む。
 その手は、まるで夜の闇に怯える幼子のように震えていた。


「透…なぁ透…。
 助けてくれ…。
 助けてくれよォ…。
 キモチ悪ぃんだよ…。
 なんなんだよコレは…?
 アタマん中グチャグチャしてて、吐きそうなんだ…。
 なんでこんな感じがしやがるんだよ…?
 何なんだよこりゃあよ…。
 何なんだよこりゃあ…なんだよ…ナンだってんだよおおぉぉ!」


 絶叫するゲンハ。
 透は何か言う暇もなく、ゲンハに突き飛ばされた。
 バランスを崩したが、すぐに立て直す。


 ゲンハは透を突き飛ばした反動でフラフラと後退し、蛮刀が落ちている場所まで下がった。
 体を震わせながら手を伸ばす。


「! にゃろ…!」


 透が蛮刀を握らせまいと全身しようとする。
 しかし、急にゲンハの動きが鋭くなる。


「!?」


 咄嗟にバックステップ。
 透の左手に痛みが走る。
 ゲンハが蛮刀を振るったのだ。


「ゲンハ、お前は…」


「るッせぇんだよダァホが!
 俺様に殺される前に、精々足掻いて楽しませろや!」


 ゲンハの目は、完全に狂気に染まっていた。




最近しっとマスクのテーマなる曲を聴いたのですが…歌詞はともかく、なんか格好いい曲だな〜と思ってしまった私は、既にヒトとして末期でしょうか…。


それではレス返しです!


1.イスピン様
アレが原因ですかぁ!
そーかそーか、言われてみればそうでした。
…でも逆に捕らえられて人体実験されますよ?

巨大化はやったから、次は巨大ロボか…。
ルビナスだけじゃちょっと手が足りないかなぁ…。

VSゲンハは次となります。
彼の狂気は本当に難しい…。


2.くろこげ様
コチラコソ、イイネタヲアリガトウゴザイマス。

はっはっは、何のために汁婆を出したと思ってるんです?
竜巻斬艦、いつかマジでやらせますよ?


3.パッサジョ様
一度はやらせてみたい能力ですよね、巨大化。
自分がなるのもいいけど、誰かを巨大化させるのもまた…。

未亜の発案した作戦ですけど…結局ブラコン魂ですからね。
ギャグになるのがオチですよ。


4.アレス=ジェイド=アンバー様
今思い出しましたけど、現在のナナシボディって単純にロリとも言い辛いんですよね…。
作り直した時に、結構オトナっぽい体にしてますし。
…いえ、巨大化したから胸の揺れも壮観だなぁ、なんて思ってませんヨ?

リヴァイアサン内部を書くに当たって、何と言うか色々と疲れました。
投稿前に矛盾が見つかり、慌てて訂正した次第です。


5.悠真様
ウルトラマンかぁ…思い返せば、小学生の頃に見たっきりだなぁ…。
何故かタロウがお気に入りだったような…。

むぅ、先に透が幻想を砕いてしまいますか…。
本気で主役の座が危ないぞ、大河w
でも透は剣を使わないなぁ。

エンジェルブレスのアレですか?
一応存在くらいは知っていたのですが、ミュリエル達と同期なのでしょうか?
カシス・ユウ・シンクレアさんも言っているように、同期かどうかは確認できないので…千年前のメサイアパーティは、四人だったという設定で進めようと思います。

「ファイトぉ〜〜!」と来たからには、こう返すのが礼儀でしょう。
いっぱぁ〜〜つ!


6.竜の抜け殻
今思い出しましたが、クシャミは「いぇっきし!」の方がよかったでしょうか、加藤茶のように。
流石に3分のみでは、リヴァイアサンは食い止められませんから…。
いっそ3分粘って、小さくなって、5秒でまた巨大化、とかやろうかと思いましたが、考えるだけで面倒なのでパスw

透はもう一人どころかワラワラ居ましたw


7.カシス・ユウ・シンクレア様
ルビナス科学に天然ナナシですからねぇ。
何が起きても何をやれても不思議はありません。

リヴァイアサン編は次が山ですかね。
はてさて、どうしたものやら…。

クリミア嬢及び寧々子嬢に関しては、今回はパスという事で…。
ただでさえバルドをクロスさせたために、人数多すぎて一杯一杯ですから…。
うう、でもこの後まだ何人か増えるんだよなぁ…。
何人か退場せにゃならんかも…。


8.YY44様
規定に触れる云々はともかくとして、個人的には色々とアイデアが貰えて大助かりなんですけどねw
ナナシ巨大化だって、レスを頂いた時に貰ったネタですし…。

流石にリヴァイアサン周辺の流れを弄るのは、ちょっと所じゃなく難しいです。
ヘタに暴走させたら、それだけで手のつけようが無いですし…。
いっそリヴァイアサン解放は最終決戦付近にしようかと思った事もあるのですが、それこそ人数多すぎてグダグダです。

あの状態でナナシが自爆したら、それこそ洒落になりませんぜ。
『天さん、ゴメン!』とか言って…ああ、ナッパどころかジャネンバも消し飛びそう。

うーん、時守的には一流の悲劇よりも三流の喜劇、がモットーですから…。
実際、YY44さんと同じように彩音に負けてちょっとトラウマ作りましたよ。


11.陣様
う…うぬぬぬぬ…アレに…アレに祈れば電波が…来るかも…。
いやしかしそれは人として…でも電波がくれば、最近行き詰ってるのが一気に…。
祈るべきか祈らぬべきか、それが問題だ…。

縮地って、天剣が宗次郎が使ってたアレですか?
…むしろ瞬身の術とか使いそうですが…そうなると天井にも立てるかな?

さて、透のヒミツは暴露するべきかな…w


12.伊上様
いっそ科学ではなく、可学というべきでしょーかね。
マッドに不可能は無い!と言い切られそうで怖い…。
ただでさえ、工学的な技術に加えて魔法という全く別系統の技術があるんですからね。
技術で不可能なら魔法で、魔法で不可能なら技術で…両方併用すれば、それこそ大抵の事は出来そうです。

流石にキレたゲンハには笑えませんが…。
どうせだし、もうちょっと笑わせてもらおうかなぁ…。

おお、SSが完成なされましたか!?
楽しみにしております!
ちゃんと感想も書き込みますので!


13.神竜王様
もし原作にネコが出てきてたら、人気投票の獲得票が何倍かになったでしょうか…。
一枚だけでいいから絵にしてほしい、と思う時守って自意識過剰でしょうか?

修羅場のタネは着々と撒かれていますぜ?
爆発するのが楽しみですw

ルビナスの一撃?
…やるならやはりロケットパンチか…いや、脳に電撃流さないと意味ないから、頭蓋骨に穴あけて指先をズボっとやって…そして…グレートマジンガーよろしくサンダーブレイク?

はははは、世の中にはパンチラ防止機能付きのスカートがあるのですよ?
主に武装錬金とか格闘ゲームの世界でお目にかかれるのですが、ルビナスがその手の機能を盛り込んでいないとお思いで?

霊に触れられるのは…ナナシの場合、何となくの一言でも片付きそうです…。


14.なな月様
ヤガミの前になな月様が倒れますよ…?
かく言う時守も、10月末くらいまでタンクトップで過ごした事があるバカモノですが。

そうですなぁ、透の懊悩…リヴァイアサンの事が無くても、一度は経験するでしょうね。
ある意味羨ましい…と言っていいものか…。
そー言えば、しっと団の皆さんは風俗とか行かないようですね?
まぁ、行っても叩き返されるのがオチですが。

なるほど、怪獣なのか!
確かにリヴァイアサンって、元ネタが怪獣以外の何者でもありませんし。

ネコりりぃが…しっぽをピンと立てて……ぐはっ!
も、萌え……

出血多量で逝きましたが、萌えがあるから万事OK!

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