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▽レス始

「幻想砕きの剣 11-9(DUEL SAVIOR)」

時守 暦 (2006-11-08 22:38)
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23日目 早朝 透


 日が昇る。
 天幕の中に設置された結界の中で、身動ぎもせずに透は太陽を見詰めていた。
 …ぶっちゃけ、目が痛い。

 天幕の中に目をやれば、そこに居るらしき憐。
 シュミクラムの送受信機能は完全では無いにせよ働いているため、少しだけなら憐の姿を見る事が出来る。
 昨晩は、憐と2人で延々と話し込んでいたのだ。
 …と言っても、憐の言葉は聞こえないので、拙いボディランゲージ…しかも時々姿が見えなくなる…を使って。
 単に憐と話したいと思っていたからでもあるし、そうでもしないと精神的な重圧に押し潰されそうだからでもあった。

 その憐は、2時間ほど前から全く反応を返さなくなっている。
 どうやら眠ってしまったらしい。
 朧げに写る憐の姿は、空中で丸くなって眠っている姿だった。
 ま、それはいい。
 透と話すのは流暢には出来なくても楽しかったらしいし、お蔭で透も随分救われた。

 正直な話、透は一杯一杯の状態だ。
 カイラと洋介を除き、機構兵団絡みの友人は全て昏睡状態。
 特にツキナが昏睡に陥った事は、透に強い衝撃を与えた。
 洗脳が解けたと思ったら、今度は意識不明。
 一体どうしてこんな事に、と思わずには居られない。
 昨晩ルビナスが訪れ、彼女達を助ける方法があると教えてくれたからいいものの…。


「…もうすぐ、作戦決行か…。
 みんな…何とかして助けてやるからな。
 ……クーウォンは…どうしてるかな?」


 クーウォンは、ルビナスが来る前にちょっと天幕に顔を出していた。
 曰く、フェタオの方に戻らねばならないそうだ。
 倒れたリャンも心配だし、何より自分達が犯した罪の結末…透達とリヴァイアサンの行く末を見届けねばならないと思っていたが、そうも言っていられない。
 今日の午後には、V・S・Sに襲撃をかけねばならないのだ。
 準備はアキラを初めとした幾人かで充分だが、やはり仕掛けるとなるとクーウォンの存在が必要不可欠。
 士気が断然違う。
 王宮との契約では、出動命令を断る事は出来なかったし、そもそもここで自分が見ているだけでは何の解決にもなりはしないし、手伝いも殆ど出来ない。
 なら、『結末を見届ける』などと言う『感傷』は捨て、自分の役割を果たすべきだろう。
 そう告げて、クーウォンは去っていった。


「…俺の洗脳解除能力、か…。
 発動した時は、あんまり気持ちいい物じゃなかったが…。
 そうも言ってられん…」


 透の頭を過ぎるのは、大河と交じり合いかけた時の感覚。
 またあのような感覚に陥るのだろうか。


「つーか、問題は…ひょっとして、夢の中に送り込まれたら、他の連中の記憶を垣間見てしまうんじゃないだろうか…?」


 可能性は大きい。 
 ルビナスに聞かされた時はそこまで気が回らなかったが、考えてみるとこれは結構危険だ。
 誰しも知られたくない過去くらいはあるだろうし…ナナシとかは疑問だが…。
 例えばアヤネの弟が殺された時の記憶を、またはツキナが洗脳される過程の記憶を、或いはリャンが実験台にされていた記憶を…忘れていたい記憶、知られたくない記憶を受け取ってしまうのでは?


「…それも問題だが、俺の事もな…」


 上記の懸念が的中したとすれば、当然透の記憶も同じ夢の中に居る人達に知られてしまう事だろう。
 ユーヤが死んだ時の記憶もそうだが…過去の女性経験とか、未だにツキナには隠したままのアレやコレとか、どのくらいに周期でオ○ニーするとか、出会って2日目にはカイラとナニしてしまったとか、あまつさえツキナの親父に連れられて風俗に連れて行かれ、一時期通い詰めていたとか、その辺の事がワラワラと。
 もし知られたら…?

 とてつもなく冷たい視線が飛んでくるのは間違いない。
 特にミノリの視線は、生来の生真面目さと潔癖症っぽい性癖のため、遠慮なく透の心を突き刺してくれる事だろう。
 特にアヤネの視線は、その性格と潜った修羅場のため、猛獣に睨みつけられたような恐怖心を与えてくれる事だろう。
 特にヒカルの視線は、子供特有の純粋さと性に対する興味から、微塵の躊躇もなく透の神経をガリガリ削ってくれる事だろう。
 特にリャンの視線は、その腕っ節と年頃故の潔癖さと相まって、徹底的に透の罪悪感を突付いてくれる事だろう。
 特にツキナの視線は、付き合いの長い彼女だけに『近寄らないで汚物』と全身で主張し、これでもかこれでもかと言わんばかりに透の魂を蹂躙してくれるだろう。
 …特にって全員やん。
 更に、それが憐にも知られた日には…『お兄ちゃん…フケツ…』とか、距離を空けながら言われた日にはッ!


「亜…唖吾ぁ!?」


 頭を抱え、転げまわる透。
 転がりすぎて、危うく結界からはみ出る所だった。
 危機一髪である。

 どうにかしなくてはと思うものの、はっきり言って透にはどうにも出来ない。
 自分の記憶だけ流れ出ないようにする?
 そんな器用な真似をどうやってする。
 夢に入らない方法を考える。
 ルビナス以上の策をどうやって考え付く?

 …結局、諦めるか開き直るしか透に選択肢は無かったのである。
 ちなみに、透が転げまわる音で起こされた憐がアレなモノを見る目で透を見ていた事をここに記す。
 …そのまま二度寝して、夢だと思ったようだが。


 日が昇り、午前。
 朝食の頃から、またもリヴァイアサンの咆哮が轟くようになった。
 アンドレセンなどは、「腹減ったって騒いでんじゃないのか」などと言っていたが…。

 咆哮が轟く度に、シュミクラムに繋がれているツキナ達の顔が歪む。
 透はすぐ側で、それを見ているしかなかった。


「…準備はまだなのか…!?」

『お兄ちゃん、私があの子を止めようか?』←ボディランゲージ

「…なぁ、ルビナスさん…」

「憐ちゃんにリヴァイアサンを止めさせようって言うなら、まだダメよ。
 準備が整ってないわ。
 兵の配置が終わるまであと1時間、その後微調整に30分。
 大人しく待ってなさい」


 ルビナスは機材を設置しながら、透の顔を見る事もなく答えた。
 その隣では、ナナシが何やら大河にレクチャーを受けている。
 …なんだかナナシの目が、普段以上に輝きまくっている。


「…と言う訳で、ナナシが最大の戦力だ。
 頑張ってリヴァイアサンを止めてくれよ?」


「任せるですの!
 普段は役に立たない癒し系キャラが、最大の見せ場を持っていく!
 これぞヒロインの王道ですの!
 ダーリン、上手く行ったら褒めて褒めて?」


「ああ、頭を撫でまくって摩擦熱で火が付くほどに褒めてやる!
 正念場だぞ。
 透の為にも憐ちゃんの為にも頑張れよ」


「ハイですの!
 …そー言えば、王宮で感じたのは憐ちゃんだったんですのねぇ」


 ナナシが言っているのは、幻想砕きの剣10−3で、ナナシ・ルビナス・クレアがシュミクラムの事について話し込んでいた時に感じた、正体不明の気配の事である。
 ルビナスは、憐を感知できるような機能は盛り込んでいない、との事だが…幼い子供ほど感受性が高いからだろうか?


「『うん、びっくりしたよ。
 今まで誰も私を見れなかったもん。
 結局話せなかったけど、とっても嬉しかった』…だそうだ」


 通訳は透です。
 わざわざ声色まで変えているが、キッパリと下手だ。


「…しかし透、本当にいいのか?
 こう言っちゃなんだが、ルビナスはいざとなったら本当に手段を選ばんぞ」


「怖い事言うにゃッ!
 余計な事聞いたらビビりそうだから、何も聞かないようにしてたんだよ!」


「…ヘタレっちゃヘタレだが、ある意味では正しい判断だな…」


 何を聞いても、洒落にならない答えしか返ってきそうにない。
 はぁ、と透は溜息をついた。
 ちなみにルビナスは聞こえないフリ。


『QUUUOOOOOooooooNN!!!!』


「「「………」」」


 リヴァイアサンの咆哮と共に、沈黙が満ちる。
 いや、咆哮を浴びた機構兵団達が苦悶の表情を見せていた。


「……俺が気付いてやれなかったから、憐はあんな風になっちまったんだよな…」


『お兄ちゃんのせいじゃないよ!
 憐が悪いの!』


「そんな風に我慢させちまってるから…いや、この話は後にしよう。
 リヴァイアサンの中の憐を、ここに居る憐の中に戻して、時間をかけてゆっくりと…な」


『…うん!』


 憐は笑った。
 時間をかけてゆっくりと。
 つまりそれは、それだけの間、憐と透が一緒に居ると言う事を示している。
 振りまいてしまった被害に関しては、憐は強い罪悪感を持っている。
 それがまたリヴァイアサンを強化させると言う悪循環。
 その全てを解消するなり昇華するなり出来るまで、透と一緒なのだ。
 不謹慎だと自分でも思いつつも、湧き上がる喜びを隠し切れない憐だった。

 機材の調整をしていたルビナスが立ち上がる。


「さて、ダーリン。
 こっちは大体終わってるから、他の皆に作戦の説明をしてきてくれない?
 最後の難関に関して、ちょっとでもアイデアが欲しいの。
 今のままじゃ、力押ししか出来ないからね」


「分った。
 透、憐ちゃん、幸運を祈る。
 ナナシ、楽しみに…もとい、頼りにしてるぞ」

「おう」

『ありがとう』

「はーいですの!」


 3者3様(大河から見れば2者2様)の返事を背に、大河は配置に付いている救世主クラス+α『えっ、ボク、オマケ扱い!?』の元に向かった。
 ルビナスが言う『最後の難関』とは、機構兵団が目を覚ました後、どうやってリヴァイアサンをホムンクルスの中に誘導するか、である。
 リヴァイアサン…霊団の核となっているのは、切り離された憐の狂気と寂寥、孤独、絶望。
 それを和らげる事が出来れば、自ずと霊団を縛り付けている力は弱くなる。
 そこに浄化の力を、全軍を挙げて叩き込み、リヴァイアサンの中の憐を引きずり出す。 
 そしてホムンクルスの中に放り込み、憐の本体も放り込んで融合させる。
 これが大雑把な作戦である。

 しかし、これがまた難物。
 特に、憐の狂気や孤独を和らげるのが難しい。
 あの状態の憐が他人の言葉に耳を貸すとも思えないし、身内こと透の言葉に耳を貸すかと言うと、これも怪しい。
 むしろ話を聞かずに、透に向かって特攻する可能性が大。
 どうにかしないと、リヴァイアサンの中の憐を引きずり出すのが非常に困難になってしまう。
 憐の耳を傾けさせる方法を、何か考えなくてはならない。


「さて、どうしたもんか…」


 で、それを話した所。
 未亜はあっさりと言い放った。


「多分出来るよ」


「…あの、ちょっと未亜?
 アンタ状況理解して言ってんの?」


 リリィの冷たい目にもめげず、未亜は拗ねたように主張する。
 リリィのみならず、大河もベリオもカエデもリコもユカも、疑わしそうな目で未亜を見ている。


「理解してるよ。
 その上で出来る、って言ってるの」


「んーな事言われても、そうそう信じられないでござる。
 十数年分の孤独と狂気の蓄積でござるよ?
 生半可な手段では…」


「まぁ、聞くだけ聞いてみましょう。
 で、未亜さん、どうするんです?」


「一応言っておきますが、マスターがリヴァイアサンを調教すると言うのは無しですよ」


「えっ、未亜ちゃんそんな事出来るの!?」


 ベリオがカエデの疑問の声を遮って、未亜を促した。
 しかしその表情は、やっぱりアテにしているようには見えない。
 未亜はそれを覆してやろうと、少々意地の悪い思いを抱く。
 余計な事を言ってるのが複数居るが、気にしない。


「だからさー、憐ちゃんはお兄ちゃん…この場合は相馬さんが大好きで、だからあんな風になっちゃったんでしょ?
 だったら、孤独を和らげるんじゃなくて、趣向を変えて…」

「ふんふん…」

「ほーほー」

「へ…マジですか?」

「ほほぅ…」

「いや、しかしでもそれは…」

「どうかな?」

「確かに勝算はあるけど…」

「相手は未亜じゃないのよ?」

「いや、何となく同類の匂いが…」

「憐殿に会った事もないのに、でござるか?」

「リヴァイアサンの方から匂いがするの。
 ものすっごいブラコンの匂いが」

「…まぁ、ある意味ブラコンの最終形態みたいな感じだもんね」

「世のブラコンがデジモン進化しても、あんな風にはなりません」


 暫し相談。


「…まぁ、一言に却下できない手段ではあるし…。
 ルビナスに相談してみるか」


「それがいいでしょ。
 ルビナスも、『どんな方法でもいいから』って言ったんでしょ?」


「でも、ヘタな事を言うとバツゲームとかありそう…」


「大丈夫じゃない?
 直接言うのは大河君なんだから、そっちに行くって」


「ユカ…俺をイケニエにする気か!?」


 ユカも徐々に救世主クラスに染まってきているらしい。
 はいはいいいから行っておいで、と大河を追い出した。
 ブツブツ言いながらも、大河は天幕を出てルビナスの元に走る。
 その後姿を、ユカを含め救世主クラスが笑っていた。


「ま、未亜ちゃん故の着眼点だよね」

「あっはっは、私はあの程度のブラコンじゃないよぅ」

「止めてください、マスターが言うと本気で説得力があります」

「実際、独占欲とかを表に出すか出さないかの違いですからね…」

「いや、最近はある意味出してないんじゃない?
 オコボレに預かれるから…言ってて気分がよろしくなくなってきたけど」

「…そう言えばさ、未亜ちゃんは…大河君に対する独占欲とか無いの?」


 さり気無くユカが振ってきた話題に、ベリオは『そら来た』と思った。
 ベリオはユカと顔を合わせて、すぐにこの問いを投げかけられた。
 大河を中心にして、ハーレムが形成されているこの状況。
 多数の女性の中の一人、としか見られていないと考えないのか?
 それで女性としてのプライドが傷つかないのか?
 どうして大河と他の女性が睦み合っているのに、平然としていられるのか?

 ベリオもこの問いには少なからず面食らった。
 正直、そこまで深く考えていなかったから。
 問いをきっかけにして深く考えたのだが、あまり明確な回答を返す事はできない。
 単純に、受け入れてしまったから…と言うのが最も解かりやすい答えだろうか。

 未亜はユカの問いに、大して動揺せずに答える。


「私は…最近はあんまり無いなぁ。
 アヴァターに来た頃は独占欲が強かったけど、それは…どっちかと言うと、依存してたからだし。
 元々ヤキモチ妬きだったけど、自立しようと決めてからは……決めてからは…」


「…マスター、自立なんて考えてたんですか?
 悪い冗談にしか聞こえませんよ」


「我ながらそう思う。
 …まぁ、なんだ、その、お兄ちゃんの心のド真ん中をガッチリ鷲掴みにしてれば、後はもういいかなーって思うようになって。
 地球に居た頃は、義理とは言え兄妹だったから、将来は名目上とは言え結婚相手を作らなきゃいけなかったし。
 一生独身の人も居るけど、まぁ色々とね」


 一瞬沈黙。
 そして、カエデが恐る恐る問いかける。


「…義理だったんでござるか?」


「へ…? あ、しまった…」


 実の兄妹だから結婚できないと油断させ、最後の最後でドンデン返しと言う構図を計画していた未亜は口を抑える。
 が、はっきり言ってそんな計画は無駄である。
 血が繋がっているから未亜は大河と結婚できない、なんて常識的な見解は、今更誰も持っていなかった。


「義理だったんだよ。
 私も子供の頃の事はあんまり覚えてないけど…。
 …まぁそんな理由だからさ、いざとなったら私が許容できる人を宛がって、所謂『妻公認の愛人』ならぬ、『愛人公認の妻』とか作ろうと思ってたの」


「何を考えてるんですか何を」


 未亜ならやりかねない。
 更にカエデが余計な問いかけを。


「じゃあ、未亜殿の偽装結婚相手はどうするつもりだったのでござる?」


「真性のモーホーを…。
 それなら私に手は出さないし、お兄ちゃんがタイプじゃない人を選べば問題なし。
 ホモだって事実を隠すために結婚する人って、意外と居るみたいだよ?」


「…さ、流石は大河と未亜の世界…。
 風紀もナニもあったものじゃないわ…」


 一同、絶句する。
 未亜は照れたようにまくし立てた。


「まぁね、このアヴァターでは、一夫多妻とか多夫多妻って認められてるでしょ?
 複数居る女性の中に、一人くらい義妹が居ても目立たないなじゃないかな」


「いや目立つ目立つ」


「目立つって事は、私がお兄ちゃんの妻として一番名前が知れ渡るって事だね」

「そーいう問題じゃなくて!」


 ユカは叫ぶと、眩暈を感じて蹲った。
 流石は大河の妹。
 イカレ具合が半端ではない。


「ま、ぶっちゃけ愛人を一人は認めなきゃいけない、ってのは昔から考えてたのよ。
 一人じゃ体が保たないし」

「今更だけど、近親相姦って事は全然隠さないんだね…」

「義理の兄妹だから近親じゃないもん。
 要するに、私の場合は自分の楽しみと、妥協ラインが一致してるから平気なのよ」

「さ、参考にならない…」


 ユカは、今度はカエデに助けを求めるように視線を投げる。
 それに気付いたカエデは、虚空を見詰めて頬を掻く。


(今度はマトモな返答を…!)

「…拙者の場合は…」 


 ユカの懇願に気付いているのか居ないのか。
 カエデはあっさり言い放った。


「単に育った環境の問題でござろう」

「へ?」

「拙者の故郷は、所謂戦国時代の真っ只中でござる。
 政略結婚もあるし、有力者が多数の妾を持つのは普通でござるし、大奥など珍しくござらぬ。
 拙者も、あのまま里に居れば何れはそういう運命を辿ったでござろうな。
 しかも、生まれが忍び故に、正妻や第一婦人など夢のまた夢でござる」

「は、はぁ…随分と生々しい話ですね…」

「そりゃ体験談でござるし。
 夫…つまり嫁ぎ先の有力者の機嫌を損ねる事は、即ち里に対する援助などに影響が出ると言う事でござる。
 そんな環境で、独占欲など発揮できるでござるか?
 正直な話、拙者のような日陰者にとっては、毎晩師匠の伽をさせていただけるだけでも、分不相応なくらいに幸せに思えるのでござるよ。
 独占欲など、殆ど湧かぬでござる」


 最近はそうでもなくなってるでござるが、と付け加えるカエデ。
 ユカも未亜達も、思わず沈黙した。
 都合よくマインドコントロールをされたようなモノだろうが、カエデにとってはこれが常識である。
 ともあれ、ユカの参考にはなりそうに無い。


(こ、これ以上聞いたら…ボクの常識とか、全部壊れそう…)


 結局、ユカは自分だけで答えを探すしかないらしい。
 リリィ辺りにも聞いてみようかと思ったが、もっと洒落にならない返答とか出てきたら耐えられそうにない。
 ちなみにリリィに実際に聞いたら…『躾けられた』とか返ってくるであろう。


「…も、いいや……」


 一言だけ呟いて、倒れこむように寝転んだユカを、ベリオが気の毒そうに眺めていた。


 一方、ルビナス。
 ルビナスは天幕から連れ出され、大河と話し込んでいる。
 大河から未亜発案の作戦を聞かされ、目を点にしていた。


「…やっぱ、無理か?」


「いや…充分勝算はあるけど…未亜ちゃんったら…」


 ルビナスは、ある意味自分の頭脳の上を行った未亜に賞賛の意を示す。
 しかし、幾らなんでも無茶苦茶である。


「成功したら、愛の勝利と言うか、ブラコン魂の勝利と言うか…。
 まぁいいわ。
 調整も終わったし、一丁キバって行きましょう!
 伝令、将軍達に準備が出来たって伝えて!
 相馬君、もうすぐ出番よ。
 憐ちゃんも、きっと大丈夫だからね!」


「おう!」


『………!』


 透の声と、なんか言ってるっぽい憐の返答。
 ここらが正念場ね、とルビナスは上唇を湿らせた。


 その30分ばかり後。
 既に兵達の配置は完了している。
 憐は空高く飛び上がり、リヴァイアサンの巨体よりも尚高い場所から、平野を見下ろしていた。
 …ぶっちゃけ、憐は怖い。
 幽霊みたいな状態だから、空を飛べる。
 だから落下の危険は無い。
 無いのだが…メッチャ高い。
 そもそも、耳元でゴウゴウと風の唸りが騒ぎ立てている。
 今すぐ飛び降りて、透の所に飛び込んで行きたいのを我慢して、ルビナスに頼まれたように、上空から見た兵の配置を精密に記憶する。
 そしてそれを、ミノリが接続されている機材に転送した。


 憐が転送したデータを受け取ったルビナスは、データを元に兵の配置を少しずつ動かして調整する。
 どうやって離れた場所の兵に伝令を伝えているかと言うと、光を使ったモールス信号である。
 ドムがホワイトカーパスで森を抜ける時に使用した、あの連絡方法だ。


「…これでよし。
 将軍、頼んだ物はそれぞれ渡してくれましたね?」

「無論」

「間違いなくね」

「そう…。
 これで魔法陣の準備は整いました。
 ナナシちゃんも…」


 テレパシー起動。


(チェックメイトキングトゥ、チェックメイトキングトゥ、こちらホワイトファング。
 応答せよ)

(ルビナスちゃん、何歳…もとい、なんかそれって配役おかしいですのよ)

(気にしない。
 で、伝えた場所には到着した?)

(バッチリですの!
 例の機能も、いつでも発動できますのよ!」)

(上等。
 それじゃ、作戦開始よ!
 発動のタイミングは、こちらで指示するわ。
 でも、私からの指令が無くても『もうダメ』って思ったら発動させていいからね)

(らじゃー!)

 テレパシー終了。


「ナナシちゃんも、配置に付きました。
 進路、オールグリーンです」


「よしッ!」


 ドムが気合を入れ、タイラーの表情も緊張を(少しだけ)浮かべる。
 後ろに立つ副官達は、これ以上無い程真面目な面持ちだ。


「では、これより戦端を開く!
 相馬透に掛けられた結界を外せ!」


「ヤー!」


 透は、応急とは言え修理されたシュミクラムを着て、胡坐をかいて座っている。
 気を失った直後に倒れないためだ。

 透はルビナスが操る機材に繋がれたミノリとリャン、気を失っているアヤネ、ヒカル、ツキナを見て、覚悟を決めたように歯を食いしばった。

 透にかけられていた結界が解除される。
 その途端。


『WWOOOOOOWOWOWOOO!!!!』

 今までで最大級の、リヴァイアサンの雄叫び…雌叫びが響き渡る。
 恐らく、これは見失っていた兄・透を発見した、歓喜の咆哮だろう。

 思わず耳を押さえるルビナス達。
 それと同時に、透の上半身がグラリと揺れ、前向きに倒れこむ。
 それをドムが支えて、仰向けに寝かせた。

 タイラーはルビナスの手元を覗き込む。


「…どう?」


「…上手く夢の中に突入できたようです。
 リャンちゃんに流れ込む信号の量が、目に見えて増えました。
 後は私達がリヴァイアサンを足止めし、洗脳解除プログラムが作動するのを待つのみ…」


「どれくらいで作動するかな?」


「…正直、未知数です。
 夢と言うのは、眠っている間に見続けるのではなく、目を覚ます一瞬前にだけ、何倍にも引き伸ばされた体感時間で夢を見る、とも言われています。
 それが事実だとすれば、彼らの体感時間は私達の時間とは全く違う。
 上手く行けば5分足らず、ヘタをすれば一日…。
 …まぁ、一時間以上待って効果が出なければ、私が強引に起動させますけどね」


 キラーンと目を輝かせるルビナス。
 さしものタイラーも、これにはビビった。
 思わず一歩退いて、何かあったら知らせてくれとだけ言い残した。


「リヴァイアサンはどうだ?」


「まだ動き出していません。
 ルビナス殿の予測では、すぐに相馬透に向かって動きだすと…」


「俺にとっても予想外だな。
 …まぁいい、好都合だ。
 とにかく時間を稼がねばならんからな。

 シア・ハス達に、浄化の準備を急がせろ。
 信号弾の貯蔵は充分か?」


「はっ!
 シア・ハス率いる魔法使い及び僧侶達は、既に詠唱を詠唱を始めております。
 信号弾は、全部隊に残っていた弾を有りっ丈収集しています。
 少なくとも4桁後半まで達しているかと」


 それだけあれば足りるだろう。
 連絡自体は光を使ったモールス信号で済ませられるが、やはりこっちが手っ取り早い。

 タイラーはルビナスに問う。


「憐ちゃんは大丈夫かな?」

「リヴァイアサンの性質上、彼女に危害を加える事は考えにくいですね。
 取り込まれたら…取り込まれたで、2人の憐ちゃんが融合する事には変わりないです。
 周囲の霊達がどんな影響を与えるかわからないので、あまり気は進みませんが…」

「そう…。
 万事が万事、スピード勝負って事か…。
 ごめん、邪魔したね」

「いえ…」


 ルビナスは生返事だけ返すと、機材に集中し始めた。
 機材に写る映像は、上空…憐から見たリヴァイアサンを中心とする映像。
 リヴァイアサンは、未だに動いてはいなかった。
 しかし、その周囲の空間の歪みが徐々に強烈になりつつあるのが見てとれる。

 それを遠巻きに包囲する人類軍。
 幾つものグループに別れ、ルビナスの指示によって配置されている。
 そのグループの一つ一つが、ディスプレイの中で徐々に輝きだす。
 マナが集中しているのである。
 憐はマナを媒介として存在するので、当然そのマナの偏差や変化などを視覚的に捉える事が出来る。

 ディスプレイの中で、輝きを増すマナの高まり。
 徐々にそれは帯状に広がって行き、グループとグループを繋ぎ合わせる。
 繋ぎ合わされたグループから、また伸びる帯状の魔力。
 それはぐねぐねと捻じ曲がり、幾何学的な文様を描く。


「…よし…よし…ああ、もうちょっと右…うんうん、それでいい…。
 …あとちょっと………よし!
 魔法陣完成!」


 ディスプレイの中に、リヴァイアサンを中心とした光る魔法陣が描かれていた。
 無論、これは肉眼で見える魔法陣ではない。
 純粋に、魔力を流して造っている魔法陣だ。
 普通、魔法陣を描く時には特殊な塗料を使う。
 これは流し込んだ魔力を誘導し、塗料そのモノの力で増幅し、計画通りの効果を発揮させるためだ。
 しかし、今回の魔法陣は規模が違いすぎる。
 ホワイトカーパスに描かれていた無限召喚陣でさえ、これに比べると小さく見えた。
 それだけの規模の魔法陣を描く為に必要な塗料は、残念ながら用意できない。
 故に、魔力そのもので魔法陣を描く。
 疲労はバカにならないが、その強力さは他に類を見ない。
 何せ、数百人分の魔力・生命力を振り絞った魔法陣だ。

 もう一度その出来栄えをチェックしてから、ルビナスは振り返った。


「タイラー将軍、ベリオちゃんに浄化開始の指令を送ってください!
 状況が一気に動き出しますよ!」


「わかった!
 ヤマモト君!」

「はっ!」


 ヤマモトは鏡を取り出し、ベリオが所属している部隊の居る方向に向けて高く翳した。
 太陽の光を反射し、強く光輝く鏡。
 その光は、離れた場所に居るベリオ達に、開始の合図をハッキリと伝えた。


「リリィ、行きます!
 サポートはお願いしますよ」


「お任せ!」


 ベリオは自らが敷いた魔法陣の上に立ち、ユーフォニアを地面に突き立てた。
 そして、ユーフォニアを握るベリオの手の上から、リリィが手を重ねた。
 魔法陣の中で、ユーフォニアを中心として向かい合っている。

 リリィは自らの魔力とライテウスの魔力を、ゆっくりとベリオの手に注ぎ込んだ。


「では、浄化!」


 ベリオの気合と共に、魔法陣から浄化の力が溢れ出す。
 ユーフォニア、ライテウス…召喚器二つ分の魔力が、一般的な魔法使い何百人分の浄化力を実現させる。
 それに合わせて、ベリオと共に行動していた8人の僧侶、2人の魔法使いが印を組んだ。

 溢れ出す浄化の力を、8人の僧侶が更に強化し、そして2人の魔法使いが誘導する。
 膨大な力の奔流だが、それを前にした魔法使い達に恐怖の色は無い。
 これは浄化の力だ。
 害があるモノではない。
 水清ければ魚棲まずとは言うが、少なくとも受けたら速攻で死ぬような代物ではないのだ。
 …ただ、欲求とかを不自然に消し飛ばされ、エセ聖人が誕生する恐れがあるが。
 例えるなら、某魔女によって煩悩を追い出された文殊使いだろうか。

 それはともかく、浄化の力を誘導するのは、然程難しくなかった。
 元々ベリオ達が居るのは、超巨大魔法陣を描く魔力の帯の中。
 暴走さえさせなければ、既存の魔力の流れが浄化の力を押し流してくれる。


「ぐ…うぅ…お、思ったよりキツイですけど…これなら、何とか…」


「まだまだ余裕…」


 想像よりもちょっとだけ強烈だった負荷に耐え、なおも浄化の力を量産する2人。
 これだけでも、ヘタな幽霊や邪妖など、問答無用で成仏…否、昇華させる事すら朝飯前だ。
 だが、まだ足りない。
 リヴァイアサンを浄化しきろうなどと、夢物語だ。
 例えて言うなら、普通の幽霊が人間サイズ、ベリオ達が量産している浄化の力は大きな山、そしてリヴァイアサンは……ユーラシア大陸?
 ベリオとリリィの全魔力(召喚器込み)を注ぎ込んだとしても、精々日本列島くらいだろうか。
 キッパリと桁が違いすぎる。
 その為の、極大魔法陣である。
 人類軍のほぼ全ての魔法使いを総動員し、浄化の力を強化する為の魔法陣を描く。
 その魔法陣を形成する魔力の帯を浄化の力で満たし、相乗効果で強烈な浄化力を生み出す。
 ハッキリ言って、スケールで言えば前代未聞の大魔法だ。
 ルビナスの考えを元にして、タイラーとドムが一晩で考え出した策である。


 ドム達は知らなかったが、浄化の力を持つ者は他にも居た。
 一握りの人間しかその存在を知らなかったが、その力はかなり強力だ。


「…ジャククト…お前も手伝うんだよな?」


『………』(明滅)


 ナナシと共に、リヴァイアサンを見上げている大河である。
 左手はナナシの頭を撫でながら、大河は周囲を舞う青い燐光に問いかける。
 ジャククトは当然だ、とばかりに光って見せた。


「リヴァイアサンの中には、ホワイトカーパスの住人も居るだろうしな…。
 ホワイトカーパスを守護する事が存在意義のお前にとっちゃ、放置できるような事じゃないか」

『……』(肯定)


 ジャククトは邪神とされているが、その本質は守護神だ。
 ただ、余りにも護るべき地…旧ホワイトカーパスへの思いが強すぎたため、死して尚、滅んで尚、ホワイトカーパスを護る事以外に存在意義を見出せない。
 旧ホワイトカーパスの為ならば、他の何もかもに犠牲を強いる事も厭わない。
 その在り方が括られていて、そして本人もそれを受け入れているのだ。


「俺を呼んだのも、旧ホワイトカーパスを助けるのに最も都合のいい人材だったから…。
 踊らされてるみたいで、いい気分じゃないな」


『………』(否定)


「ちょっと違う?
 …?
 なんだそりゃ?
 おい、言葉にしろ言葉に」


 ジャククトは大河をからかうようにその手を擦り抜けると、幾つもの青い光の珠になって空中に浮かんだ。
 そして一際強く明滅すると、四方八方に飛び散っていく。


「…チッ、逃げたか…。
 …ま、いいか。
 それよりも憐ちゃんを助ける事が優先だ。
 ナナシ、準備はいいな?」


「はいですの!」


 浄化の力が、周囲を覆いつくしつつある。
 あと10分もすれば、浄化の力で描かれる浄化の魔法陣が完全に完成するだろう。
 だが、その10分がクセモノだ。
 ジャククトも手伝うから、もう少し短縮できるかもしれないが…それでも、早くて8分。
 それだけの時間があれば、リヴァイアサンは人類軍に大打撃を与える事が出来るだろう。
 その時間を稼ぐのが、ナナシの役目だ。


「! ルビナスに伝えろ、リヴァイアサンが動くぞ!」


 大河の声とほぼ同時に、リヴァイアサンが鳴動し始める。
 物理法則が捻じ曲げられた空間越しでも、その様がよく見て取れた。
 巨体が動く事で、周囲の物体が徐々に壊れていく。



『OOOOOOOOOOOMMMMMMM!!!!!』


 響くリヴァイアサンの咆哮。
 今回のそれは、聞いているだけでも腰が抜けそうな程に凄まじい。
 透を奪おうとする世界に対する憎悪の叫びだろうか。


「ダーリン、ルビナスちゃんからの許可が出たですの!
 今こそ発動のトキ!」


「いよっしゃああぁぁぁぁぁ!!!!」


 この非常事態だと言うのに、大河は…なんと言うか、物凄く目が輝いている。
 お星様キラキラ、どころか両目が太陽だ。
 物凄い勢いで嬉しそうだ。

 ナナシは目を閉じ、両手を握り締めて『むむむむむ〜!』と唸っている。
 大河は少し離れた所で、それをワクワクしながら見ていた。


「むむむむむ…はーっ!」

「おおっ!!」


 ナナシの気合!
 果たして何が起こるのか!?
 ルビナスが付けたアレな装置の発動か!?
 ナナシの叫びは…。


「ーっくしょん!」

「ドリフかーーー!!!」


 単なるクシャミだった。
 思わず人間大砲のような勢いで宙を舞う大河。
 ナナシはテヘへ、と照れ笑いすると、今度こそ、と全身に力を篭める。


「うぬぬぬぬぬ……デュワーーーーッッッッ!!!!!」


「おおおおおおおーーーーーーーー!!」


 ナナシ、意味も無く発光!
 瞼を突き刺す光にもめげず、大河はナナシのシルエットを凝視する。

 ずん、ずん、ズン

 たちまちの内に、ナナシの影は大きくなる!
 ドシーーーン、と何かが大地を強く打ちつけた。
 大河はその震動でバランスを崩しそうになるが、根性で目を開けていた。

 閃光が治まった後。
 大河の目の前には、巨大な柱が立っていた。
 いや、ただの柱ではない。


「きょ〜だ〜い〜ナ〜ナ〜シ〜で〜す〜の〜〜〜!!!」


「「「「「「「「「「「「「「「「
 うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!!!!!」」」」」」」」」」」」」」」 


 平野のあちこちから、浪漫溢るる兵士達の驚愕と歓喜と呆れの叫びが響き渡る。

 その柱は、巨大化したナナシの脚だったのである!
 大河が空を見上げれば、それこそリヴァイアサンと同じくらいにでっかいナナシ。
 真下から見上げた大河には、ナナシのスカートの中身が丸見えだった。

 服が全く破れてないのはお約束だ。
 と言うか、ルビナスが可愛い妹分に、衆人環視の前でストリップなんぞ強制するはずがない。

 ナナシは足元で滂沱の涙を流しまくっていたノミ…もとい大河をしゃがんで拾い上げると、頭の上に乗せた。
 大河はナナシのリボンに捉まってバランスを保つ。


「フェードイン!」


 結構余裕だ。
 大河がしっかり捉まったのを確認すると…ナナシの声は、間近で聞くと音量兵器のようだった…、ナナシはすっくと立ち上がってリヴァイアサンを睨みつけた。
 ここがナナシの正念場だ。
 今まで戦闘では殆ど役に立てなかった。
 ここは一丁大活躍をして、大河のハートをキャッチ&ホールド。
 …巨大化したナナシに、別の意味で大河はハートをホールドされているのだが。

 突然大きくなったナナシにもリヴァイアサンは驚かず…驚いているのかもしれないが…その動きを激しくする。
 リヴァイアサンは、何の小細工も無しに巨大ナナシに正面から突撃した。


「ナナシ、受け止めろ!」


「ま〜か〜せ〜る〜で〜す〜の〜」


 言葉はゆっくりだが、動作は意外に速い。
 巨大化と同時に、加速装置のスイッチでも入ったのだろうか。
 ナナシは両足をどっしりと構え、腰を落として構える。
 そして、それこそ爆音と間違えるほどの踏みこみ音を伴って、リヴァイアサンに突撃する。

 頭の上の大河は、振り落とされないように必死でしがみ付く。
 ナナシが突き出した両手が、リヴァイアサンの周辺の空間に飲み込まれた。


「ナナシ、やれるか!?」


「負〜け〜な〜い〜で〜す〜の〜!」


 捻じ曲がった空間をモノともせずに、ナナシの腕はリヴァイアサンに接触する。
 それと同時に、ナナシの後ろ足が地面にズドン!と食い込んだ。
 どういう理屈か、ナナシは実体を持たない筈のリヴァイアサンを止めてしまったのだ。
 これにはリヴァイアサンも驚いたのか、妙な光をナナシに向かって放出した。


「させん!
 斬艦刀・大・車・りぃぃぃぃん!」


 だが、大河の斬撃がその光を全て切り払う。
 ブン投げたトレイターは、大河の意に応じてそのベクトルを変える。
 通常では考えられない軌道を描いて飛ぶトレイター。
 光を切り払ったトレイターは、大河の召喚に応じてその手の中に戻った。


「うにゅううぅぅぅぅぅ!!!!」


 だが、ナナシはそれに気付かない程に力比べに集中していた。
 いつもの注意力散漫な彼女と同一人物とは思えない程だ。
 まぁ、巡ってきた見せ場を取られまいと彼女も本気なのだろう。
 それに、彼女が何時まで時間を稼げるかで、透達の生還率は極端に違ってくる。
 心優しいナナシとしては、根性を振り絞らずにはいられないシチュエーションだ。
 痛いのはイヤだけど、機構兵団のお友達が帰ってこれなくなるのはもっとイヤだ。
 何が何でも堪えてみせる――!


 ギシギシギシと大地を軋ませながら、ナナシとリヴァイアサンは拮抗状態に陥った。
 何故かリヴァイアサンは、ナナシを避けて通ろうとしない。
 その気になれば、瞬間移動とて出来る筈。
 にも関わらず、それをしないのは…?


(…自分に触れる事が出来る存在を見つけて、喜んでるのか…?
 或いは…透に何かが?)


 大河はそう推測する。
 可能性は低くないと思う。
 或いは、一緒に遊べる仲間が出来た、くらいの認識しかないのかもしれないが…。
 透という最大の標的が目の前に居るのに、態々ナナシに構うか?


(さて、どうなってんのやら…透、早く帰って来いよ)


休暇 2日目 コテージ到着直後 透


 眠い。
 某タタリで現れた殺人貴のように呟いた。
 ここは寝心地がいい。
 木漏れ日が、もう一度昼寝をしようと誘いをかけてくる。

 目を覚ますと、見覚えのある森の中に居た。
 一瞬、自分が誰だったか思いだせない。
 フラフラと歩き、近くを流れていた川を覗き込んだ。
 …はて、こんな所に川があっただろうか?
 覗きこんだ川の水には、やはり見覚えのある顔が映っている。

 相馬透。


「そう、俺は…相馬透だ。
 ここは…?」


「どうしたの、お兄ちゃん?」


「え? あ、いや…」


 言葉を濁す。
 振り返ると、山の中の別荘に一緒に来ていた憐が立っていた。
 心配そうな表情をしている。

 透は頭を振ると、なんでもない、と笑って見せた。


「どうも寝不足らしい。
 昨日は殆ど寝てなかったしな…」


「もう…だから、もっと早く旅行の準備をしようって言ったのに…。
 リャン先輩だって、ずっと前から準備してたよ」


「ありゃ単にハシャいでただけだろ。
 実際、俺と同じで昨日は寝てないみたいだしな。
 何時にもまして、鳥頭が強烈だった…あふ」


「何時までも寝てないで、はやくご飯にしようよ。
 ゲンちゃんと一緒に、飯盒の準備してて」


「はいはい。
 …ゲンハは?」


「あっちでイノシシとか探してたよ」


 透は苦笑した。
 悪食はゲンハの幼い頃からの習性だ。
 悪食と言うか、食べられるモノなら何でも食べる。
 リャンをして中国人並みに雑食、と言わしめた。
 趣向を凝らした満漢全席も、料理オンチのヒカルが適当に作ったチャーハンっぽい物体も、あっさり平らげてしまう。

 そのヒカルは、どうやら別荘でパズルに夢中らしい。
 何もこんな所に来てまで、と思わなくもないが…ヒカルに言わせると、それが趣きってモノ、だそうだ。
 まぁ、個人の趣味だ。
 何も言うまい。
 憐はパズルに夢中のヒカルを、食事の準備に引き込むために戻って行った。
 透はそれを見送って、森の中に入る。


「ゲンハ、ゲンハー?
 どこだー?」

「……」

「うぉーい、メシだぞー」

「…」

「ゲンハー?
 舌長アフロー、返事しろー」

「…うっせぇぞ」

「あ、居た居た」


 森の中、一際木々が密集している所に、不機嫌顔のゲンハが寝そべっていた。
 腰にはいつも持っている、サバイバルナイフ。


「ゲンハ、戻ってメシの準備だ。
 それとも晩飯抜きになりたいのか?」


「……っせぇってんだろ。
 やりたきゃテメーで勝手にやりやがれ」


「…何を怒ってんだよ」


「………」


 ゲンハは耳を塞ぐと、そのまま背を向けて鼾をかき始めた。
 無論、単なるタヌキ寝入りだ。
 いくらゲンハでも、ここまで寝つきはよくない。


「おいおーい、腹が減るのはお前だぞ?
 それともアレか、憐にゲンちゃん呼ばれるのがそんなに嫌か」


「嫌に決まってンだろがッ!
 ええぃ、そうじゃねぇ!
 そうじゃなくて、テメェだテメェ!」


「…っとに、何を怒ってんだお前は…」


 流石に透も呆れてきた。
 ハッキリ言うが、ゲンハに怒られる覚えなんぞ無い。
 …いや、アレか?
 ゲンハが森をウロついている時に、適当に投げた木の枝が蜂の巣に直撃して、ゲンハが何度か刺されてアナフィラキシーショックであっち側を垣間見て大騒ぎになったアレか?
 いやいや、バレテナイバレテナイ。
 ならその辺に気紛れで仕掛けた、ウサギとか鳥とかとっ捕まえる為の罠に、何故か悉くゲンハが引っ掛かる事か?
 でもそれは透のせいじゃない。
 したらば、憐が皿を割って泣いてる時に、このままじゃ憐が    に怒られそうだからゲンハをスケープゴートにした事か?


「ほぉぉ…ありゃ全部テメーの仕業か…」

「え?
 何が?
 何か声に出してた?」

「…ケッ、声になんぞ出してねーよ」


 ゲンハは透の頭にゲンコツを落とすと、何故か顔を歪めて握った手を見た。
 頭を摩る透は、ゲンハを奇妙なモノを見る目で見詰めている。
 さっきから何事だ?
 何だか怒りっぽいと思ったら、透の心を読むは、いつものF語が影を潜めているは…。


「あーチクショウ!
 元はと言えばテメーのせいだっつの!
 よりにもよってテメーがそんなザマだから、俺もマトモに    やしねぇ!」


「あ? なんだって?」


「やかましい!」


「あ? おい、待てよゲンハ!」

 ゲンハは透に向かって木の枝を投げつけ、非常識なスピードで森の中に消えていった。
 追おうとした透だが、ゲンハに追いつくのは不可能だ。


「…なんなんだ…」


 透は途方に暮れる。
 この辺の森には、熊とか出ないだろうか?
 出たらいくらゲンハでもヤバイのでは?

 それにしても…なんという暗い森だろうか。
 ゲンハがその森の中に入ると、すぐさま姿が見えなくなってしまった。
 光が全く見えない。
 5歩も踏み込めば、それだけで暗闇の中に閉じ込められてしまいそうだ。


「………ま、ゲンハなら大丈夫か。
 人よりケモノに近いしな」


 何気に酷い事を言って、透は踵を返した。
 いつまでもここに居ても仕方ない。


「はぁ、それにしてもメシか…。
 あんまりやった事無いんだよな…。
 ったく、一人暮らししてたってのに………?」


 脚を止める透。

 一人暮らし?
 何を言っている、憐とずっと一緒に暮らしていたじゃないか。
 裕福とは言えないけれど、一緒に学校に行って……学校?
 本当に行ったか?
 記憶が無いぞ?


「………待て、俺は…どうしてここに居る?」


 そう、裕福な暮らしではない。
 バイトは必須で、節約・倹約は常識。
 こんな別荘など持っている筈も無いし、それは一緒に来ているメンバーも同じだ。
 じゃあ、ここは?


「どうしたの、お兄ちゃん?」


「え? あ、いや…」


 言葉を濁す。
 振り返ると、山の中の別荘に一緒に来ていた憐が立っていた。
 心配そうな表情をしている。

 透は頭を振ると、なんでもない、と笑って見せた。


「どうも寝不足らしい。
 昨日は殆ど寝てなかっ………」


「…お兄ちゃん?」


 憐は、心配そうな表情だった。
 そして、何かを『監視するような』目をしていた。

 透は言葉を失う。
 憐が、急に哀しそうな表情になった。


「…いや、なんでもない。
 あー、やっぱ寝不足だわ…意識が飛んだぞ」


「ふふ…。
 ご飯を食べたら、牛になっちゃわない程度にゆっくり寝ようね」


 憐は笑うと、踵を返して歩いていった。
 透はその後ろ姿を、辛うじて動揺を表に出さずに見送る。


(……ここは…ゆ、夢の中……か…)


 ハッキリと思い出した。
 透が何故ここに居るのか。
 自分がどのような人生を歩んできたのか。
 ユーヤ、アキラ、ツキナ、ミノリ、アヤネ、ヒカル、リャン、カイラ、洋介、クーウォン、大河…そしてゲンハと憐。


(……夢から…醒めないと)


 朦朧とそう思う。
 ガサリ、と横合いの茂みが揺れた。


「…このボケナスが…ようやっと目を覚ましやがったか」

「…ゲンハ…お前…」

「迂闊に喋るなタコ。
 ここは小娘のハラん中だぞ。
 また(記憶を)消された日にゃ、ただでさえクソみてぇなテメーのバカ面を拝むハメになる」

「あ、ああ…」


 このゲンハは、自分の知っているゲンハだろうか?
 しかし、それにしては随分と…穏やかだ。
 あくまで比較論だが。
 透が知っているゲンハは、狂気を体現したような性格だった。
 しかし、目の前に居るゲンハは、とてつもなく機嫌が悪そうだが、死の危険も醜悪な狂気も感じさせない。
 ゲンハ自身、その事に戸惑っているようだった。

 苛立たしげに木を蹴って八つ当たりしても、その後すぐに、罪悪感に顔を歪めている。
 何人もの人間を斬り殺し、恐らくは婦女暴行も拷問も平然とやってのけていただろうゲンハがそんな表情をするのは、透にとっても妙な気分だった。


「チクショウ、何だってんだ…。
 今まで俺様は、もっとヒデェ事やっても平気だったじゃねぇか…」


「それは…」


 何となく予想はつく。
 ゲンハが悪事に快感を覚えていたのは、脳に細工をされていたからだ。
 罪悪感に反応して、快楽神経を刺激する。
 しかし、体が無くなった今では、いくら脳を刺激しても精神・魂には何の関係も無い。


「…ゲンハ、お前は…」


「やかましい。
 俺はテメーと違って、昔の事をちったぁ覚えてんだよ。
 脳味噌弄られたのも知ってら。
 大方そん時に何かあったんだろうよ」


 忌々しげに吐き捨てる。


「お前、知ってたらどうして生きてる時に…」 


「ハん、興味なかったに決まってンだろうが。
 そんな事考えてる暇があったら、蛮刀振り回してた方がよっぽど楽しかったぜ」


「…それも、脳を細工された結果なのか」


「知るか。
 元々こういう素質があったのかもしれねぇし、100%が手術の結果かもしれねぇ。
 だがそれがどうした?
 どんな理由であれ、俺様が感じた事が全てなんだよ。
 かつて死に、そして今、小娘の腹の中で生きている。
 俺様はかつてお前らと一緒に暮らした俺様じゃねぇ、単なる精神とかいう代物のコピーかもしれねぇ。
 だがそれがどうした?
 俺様が自分をゲンハ様だと思ってる限り俺はゲンハ様で、それが全てだ。
 脳に小細工されて感じた衝動だろうが、生来のモンだろうが、俺様がそうしたいと思ったらそれが全てだ。
 『落ち着いてシンジ君、それは君の腕じゃないのよ!』?
 ざけんな、幻痛だろうが痛いもんは痛いんだよ。
 心頭滅却しても、熱いものは熱うござる、でも可」


「…」


 一理ある。
 どんな理由であれ、ゲンハは悪事に対して快感を覚える。
 それは否定できない。
 そしてその快感の味を忘れる事が出来ず、のめり込んでしまった。
 その快感が、単なる性根によるものでも、外部からの刺激でも、快感には違いない。
 …と言うか、ゲンハの言葉が生前と比べて少々変わっている気がするな…。

 ゲンハは喋りすぎたと思ったのか、踵を返す。


「俺ぁもう行くぜ。
 …他の連中は、この辺のどっかに居る筈だ。
 後は勝手にしろや」


「………」


 ゲンハはまた森の中に消えていった。
 自分を極悪非道の外道と認識していたゲンハにとって、罪悪感などと言う感覚を抱えたまま人に接するのは苦痛なのかもしれない。
 恐らく、誰も居ない所で昼寝でもするのだろう。

 他の連中、と言うと…憐の他に居るのは、リャン、ヒカルに…クーウォンは居ないだろう。
 彼は死んでないし、シュミクラムも着けてないからこの世界にやって来る方法は無い。
 しかし…会ってどうする?
 取り合えず、自分の役目は忘れていない。
 夢の中に入って、洗脳解除プログラムを発動させる。
 …しかし、その発動方法が解からない。
 あんまりグズグズしていると、外のルビナスが何かやらかしてくれる恐れもある。


「…歩くか」


 焦っても仕方が無い。
 とにもかくにも、人に会わねばどうしようもない。
 多分、先程の憐はリヴァイアサンの方だろう。
 となると、ここに居る筈のリャンとヒカルは本人だろうか?
 リヴァイアサンが作り出した幻影では?
 また、本人だとしたら、外の事を覚えているのか?


 森の中を歩く透。
 奇妙な森だ。
 自分の周りだけは明るいのに、少し向こうの森の中に目をやれば、昼尚暗いと言う表現がピッタリである。
 ふと聞こえる川の音。
 音を頼りに歩くと、小川が現れた。
 小川を辿って坂を下ると、小さなコテージが見えてくる。
 あれが別荘だ。


「…リャンと、ヒカル…」


 呟いて、足を急がせる。
 …少々、会うのが怖かった。


 森を抜けてコテージの前に来ると、見知った顔が飛び込んできた。
 コテージの入り口の段差に、リャンが腰掛けていたのである。
 何を見ているのか、リャンは庭に目をやったまま、ピクリとも動かない。


「……リャン?」


「! …なんだ、透か…」


 透が呼びかけると、ビクリと体を震わせて振り向いた。
 その表情を観察するが、単純に驚いただけのようだ。


「…何やってたんだ?」


「…別に…。
 ただ、こうしてボーっとする事も、最近は殆どなかったから…」


「…そっか。
 バイトで忙しいもんな」


 そういう『設定』である。
 リヴァイアサンの中の憐が、透達と共にある為に植えつけた記憶。
 そう認識していなければ、本当にその通りだったような気さえしてくる。


「…なぁ、何日まで居られるんだっけ?」

「? 来たばかりなのに、もう帰る事を考えてるの?」

「いや、そういう訳じゃないけど…」

「…ま、休暇が終わるまではね…」


 休暇。
 そういう設定だ。
 しかし、その休暇が何時まで続くかの設定はされてなかった。
 恐らく、放っておけば永遠にこのままなのだろう。
 平和で、憐の体があって、かつての家族…憐はその中に混ざれなかった…が居て、日々の柵に囚われる必要のない…。
 退屈で脳みそが溶けそうな、安らかな極楽。
 それこそが、憐の望んだ事なのだろう。
 正直、埋もれてしまいたいと思う。
 現実世界には、辛い事が山のようにある。


「…ところで、食事の用意はしなくていいのか?」


「ヒカルに言ってよ…。
 ずーっとパズルばかりやってて、食事の支度だって言っても聞いてない。
 中に居るから、ちょっと言ってきてよ」


「へいへい」


 リャンは体をずらし、道を開けた。
 透はコテージの中に入る。

 どうも、リャンは外の記憶を覚えていないらしい。
 単にニセモノだからか、それとも記憶を封じられ、植えつけられているためか…。


 コテージの中では、床に広げられたパズルを相手にヒカルが唸っていた。
 彼女はずっとこうだった気がする。
 それが『設定』の中でも、かつて本当に共に暮らしていた頃でも。


「ヒカル?」

「………」

「おい、ヒカル…」

「……………」


 微動だにしない。
 余程集中しているのだろう。


(ええと…こういう時は、どうしてたんだっけな)


 透は朧な記憶を手繰る。
 既視感をさっきから盛大に刺激されまくり、共に暮らしていた頃の記憶が徐々に蘇えりつつあった。
 そう…こう言う時、決まって…


(…ゲンハがパズルを蹴り飛ばしてたっけな。
 毎日のように同じ事をするから、パズルがある程度以上は完成しなかったっけ。
 その後、ゲンハが妙にうろたえてたな…)


 さすがに同じ事は出来ない。
 しかし、このままと言うのも…。
 話が出来ないにしろ、飯の支度はしてもらわないと困る。


「……背中に氷水でも垂らしてみるか」

「…やめて」

「あ、聞こえてんの」


 ちょっと残念そうな透だった。
 ヒカルはチラリと透に目をやると、今度は周囲を見回した。


「…彼女は見てないみたいだね」

「…憐、か…?」

「そういう結論に落ち着くって事は、透は外の事を少しは覚えてるんだ?」

「ああ、大体な…」


 透はホッとした。
 とりあえず、ヒカルは本物で、外の事を覚えているらしい。
 生身(?)の体では大した事は出来ないだろうが、単純に相談できる相手が出来てホッとした。

 しかし、ヒカルはまたパズルに目をやってしまった。


「おい、ヒカル…」

「悪いけど後にして。
 今、リャンを治療するためのプログラムを組んでるから…」

「何?」

「今、僕達の脳は繋がってる。
 多分、リヴァイアサンともね。
 この世界は、シュミクラムを介して創られた0と1で構成された世界なんだ。
 これはシュミクラムと接続してた僕だから解かるんだろうけど…」


 遠くのシュミクラムから送られてきたデータを受け取り、それを五感に通訳するのと同じ感覚がするらしい。
 ひょっとしたら、ヒカルの目には、この世界の所々に綻びが見えるのかもしれない。


「脳が繋がっているんだから、僕の頭の中で組みあげられたプログラムを、リャンの脳にそのまま転送する事も出来る筈。
 上手くやれば、リャンの記憶が消える症状を消す事だって…。
 だから、用事があるなら後にして。
 どの道、この夢から醒めようと思っても、僕には出来る事はないから…」


「……そうか」


 透は黙って引き下がる。
 これ以上何を言っても、ヒカルの邪魔にしかなりそうにない。
 突き放されたような気分で、透はコテージの外に出た。
 そこに居た筈のリャンは、何時の間にか居なくなっている。


「………他には、誰か居るのかな…」


 ここに居るのは、かつてV・S・Sの研究所で一緒に居た被検体のみ。
 しかも、その内一人は死人である。
 リヴァイアサンは死者の魂を山ほど飲み込んでいるのだから、それはあまり不思議ではないのだが…。
 そうなると、ここに居る人間以外にも、誰かが居なければ辻褄が合わない。
 まず一緒に気絶していた、ミノリ、アヤネ、ツキナ。
 そして、“破滅”との戦いの最中、リヴァイアサンの近くで死んだであろう兵士や一般人。
 ここにたった数人しか居ないのは、リヴァイアサンの中の憐が、そういう風に閉じた世界を作り出したからなのだろう。


「……何処に行けば…」


 暫く考えると、透は森に向かった。
 奥へ奥へと進んでいけば、どこかに辿りつくかもしれない。
 なに、ここは憐が作り出した世界の中なのだ。
 ならば、どうして危険があろう?
 せっかく手に入れた透を傷物にするはずが無いではないか。


 半ばヤケクソ気味に進む透。
 正直言って、少々焦っていた。
 洗脳解除プログラムが作動する気配が全く無い。
 現実世界で、どれくらいの時間が過ぎただろうか?
 さすがに脳味噌に電極突っ込まれるのは勘弁だ。
 と言うか、普通に拷問か処刑だろう、それは。


 ガサガサ茂みを掻き分けて進む内に、ふと後ろに気配が。
 振り返ると、憐が微動だにせずに立っていた。


「…お兄ちゃん…」

「憐、俺は…この世界は…」

「……!」


 憐は一瞬驚きを見せた後、泣きそうな顔になって透を睨みつけた。
 罪悪感に、口を閉ざしそうになる透。
 だが言わねばならない。
 ここで何も言わねば、もう一人の憐も孤独になってしまうだろう。


「言わないでっ!」


 透が口を開こうとした瞬間に、子供の癇癪のような憐の悲鳴が響いた。
 パチン、と何かが弾けるような音。
 しかし、透は一息に言い切った。


「憐…俺達を、現実に返してくれ。
 まだやらなきゃいけない事がある」

「……どうして…」

「大丈夫だ。
 お前を一人ぼっちになんかさせないから。
 ちゃんと戻ってくるから。
 だから「イヤッ!」!?」


 悲鳴と共に、憐が消える。
 そして、憐が居た所には黒い空間が出来上がった。 
 どうやら、この閉じた世界からの抜け道らしい。
 恐らく、恐怖に駆られた憐は、透の言葉を聞きたくないばかりに、この世界に穴を開けてまで逃げ出したのだろう。
 それほどの恐怖を与えてしまった事に、心が痛む。


「…憐…すまん…」


 透はそれだけ言うと、その抜け道に近付く。
 そして少し躊躇うと、思い切って抜け道に飛び込んだ。


 意識が飛んでいたのだろうか?
 ふと気付けば、透は見慣れた街の道に立っていた。
 懐かしい。
 最後に訪れてからまだ一年も経っていないと言うのに。
 ここは透とツキナが育った街。
 そして、かつてステッペン・ウルフとして活動していた頃の拠点があった街だ。
 所々に不自然だったり記憶と違う点が目立つが…多分、複数の人間の記憶からこの街を再現したのだろう。


「……ここに、居るのか…?
 ツキナと………ユーヤ」


 ツキナは多分ここに居るだろう。
 しかし、ユーヤは?
 死んだ後に、リヴァイアサンに飲み込まれたとも限らないし…。
 確かめるのが恐ろしく思える。

 まず透は、昔棲んでいた家…ツキナの実家に向かう事にした。
 ひょっとしたら、オヤジさんも居るかもしれない。
 もし居たら、世話になった、そしてツキナを護れなかった、と礼と侘びの一つも入れねばなるまい。
 まぁ、居ればの話だが。

 こうして歩くと、異常なまでの静けさを感じられる。
 静寂に勝る大音量無し、とはよく言ったものだ。
 いや、音が全く無いのではない。
 よく耳を澄ますと、あちらこちらから人の話し声や水音などの生活恩が聞こえる。
 それでも静かだと思ってしまうのは、大通りを歩いていると言うのに殆ど人に会わないためと、何よりも活気の無さが原因だろう。
 死者の都だからだろうか?
 しかし、ゲンハは死んでいるとは思えない程に生命力に満ちていた。


「…? あれ、待てよ?
 …俺が居るのは、シュミクラムを介して作られた夢の中で…。
 だったら、どうしてリヴァイアサンこと憐や飲み込まれた魂達が夢の中に居るんだ?
 そういやヒカルが、リヴァイアサンとも繋がっているかもしれないって言ってたが…何でリヴァイアサンとまで?」


 憐やゲンハがあまりにも普通に登場したから、全く気付かなかった。
 よくよく考えてみるとおかしい。
 透は首を傾げるが、すぐに考えるのを止めた。
 リヴァイアサンの周囲は、物理法則すら捻じ曲がっているらしい。
 ならどんな事があってもおかしくないだろう。


 透には見当もつかなかったが、タネを明かしてみれば簡単な事である。
 シュミクラムは、今でも遠距離通信用の装置を使って通信している。
 マナの送受信装置は、今でも動いているのだ。
 その受信装置の一つが、リヴァイアサンの波動をキャッチしている。
 そしてその波動だけでも、リヴァイアサンが夢の中に干渉するには充分だった。
 夢の中に入り込んだ透を、自らが作り出した世界によって閉じ込める。
 そして気付かれない内に、その世界ごと透の意識や魂を、リヴァイアサン本体に引きずり込む。
 それがリヴァイアサンの作戦だったのだろう。
 しかし、透は作り出された世界に気付き、そしてリヴァイアサンこと憐は、それによって透が怒るのではないかという恐怖に負け、透を手放してしまった。
 そして作り出された世界から飛び出した透は、リヴァイアサン本体と、シュミクラムの通信によって作り出された夢の狭間に居る。
 現実のようで現実でなく、夢のようで夢でない。
 世界の境界線…まるで三途の川である。


 疑問を抱きつつも、透は歩く。
 道行く人は、どこか優しげな、しかし虚無を抱えているような表情で、足音も立てずに道を行く。
 まるで苛立ちや怒りの類を、全て抜き取られたかのような印象を受けた。
 しかし、洗脳されているのでは無さそうだ。
 V・S・Sで感情を潰されかけた透だから分かる。
 彼らは、怒りを抜き取られているのではなく、忘れているのだ。
 この世界が、あまりにも穏やか過ぎて。

 この世界では、食べる必要も無いし、飲む必要も無いし、そうしたいと思えば、多分幾らでも可能。
 金などと言うモノは必要ない。
 ここはデータやイメージで作り出された世界なのだから。
 いくらでも複製が効く。
 争う必要も、あくせく働く必要も無く、自然と他者との関わりが希薄になっていく。
 彼らがどれ程の間、ここで暮らしているのかは知らないが…透は、そんな風になるのはゴメンだった。
 透は、ステッペン・ウルフ…狼なのだ。
 牙を抜かれた犬に成り下がるなど、身命を賭して拒絶する。


 現実世界では考えられない程に静かな道を抜け、透は平凡な団地の一軒家に辿り着く。
 何処と無くセピア色に見えるのは、透の心情故だろうか。
 透は、そこに入るのが何となく躊躇われて、暫く家を見上げていた。

 思えば、ここに引き取られてから色々あった。
 初めてツキナに会った頃は、透は心を閉ざしたガキであった。
 それをツキナは執拗に構って、ついには透を笑わせる。
 よくよく考えてみれば、世話になりっぱなしである。


 ふぅ、と溜息をつき、覚悟を決めた。

 その時だ。
 ガチャリ、と家のドアが開く。
 ツキナかオヤジさんか、と思わず身構えて目をやる。
 そして、次の瞬間には絶句した。


 そこに居たのは…。


「はい、それじゃ行ってらっしゃい。
 寄り道しないようにね?」


「ああ。
 それじゃ行ってくる。
 お前も遅刻しないように学校に行けよ?」


「私は透ほど不真面目じゃないわよ」


 どこかの学校の制服を着て、穏やかな表情を見せるツキナと…透だった。




こんばんは、時守です。
バルド祭りも佳境に入ってまいりました。
リヴァイアサン編は、あと3話程度でしょうか。

それが終わったら、ちょっと事後処理の話を入れて、いよいよ“破滅”の軍が動き出す…という算段なのですが…。
ああ、冗長になりすぎている…。

それではレス返しです!


1.アレス=ジェイド=アンバー様
ああ、久々にネコりりぃを書いたためか、非常に癒された気分ですにゃぁ…。
しっと団じゃなくても、流すヤツは流しますね。
…あれ?
この頬を濡らす赤い液体はナニ?

憐に幸せになってもらうためには、やはり体は必須ですからね。
アヴァターでは原作みたいに、ネットにダイヴして、なんて事はできませんから。
透は大河の逆ですからね…もう少し不幸やっててもらいましょうw


2.悠真様
はははは、ちゃんと来襲の予告はしましたよ?
まぁ、本当に書いてるとは思ってなかったのですが。

ロリの講釈は…ど、どうでせう?
なんか指が勝手に動いたのですが…(汗)
…ま、まぁ、信念を持っているという事は、内容の是非を問わず褒められた事なのではないかと…。

考えてみれば、千年前は誰がメサイアパーティの纏め役をやっていたのでしょう?
原作ではともかく、ウチのルビナスはマッドだし、ロベリアは苦労性を見る限りどちらかと言うと中間管理職だし、アルストロメリアは日記の内容からも解るように大雑把かつ能天気だし、ミュリエルに至っては…。

そーだった、普通はアザリンに助けを求めるんだった…。
…ま、まぁ、あのUMAは前にユカの恋愛相談に乗った事があるし、何より非常識に耐性があるから…かな?


3.なまけもの様
ご指摘ありがとうございます。
後で直しておきます…。

ъ( ゜ー^) (言葉無し)


5.イスピン様
個人的には、オフィシャルファンブックにある裸マントリリィとかもヨシ!

う〜む…イメクラプレイってコトでいつかやらせてみようと思ってたんですが…。
しかし、ゼンジーさんだと虎竹刀じゃなくて明らかにセリーヌ又は注射器を持ち出しますな。

な、何故ルビナスを!?


6.竜の抜け殻様
久々のネコでしたからねぇ…。
前回も、まさか本当に祈る人が出ようとは…。

正直、リヴァイアサンの中の事はちょっと纏め切れてないのですが…矛盾だらけになるかもしれません。
まぁ、夢の中だからの一言で済ませる事もできるのですが。


7.海月雲様
あ、そうだったんですか?
イヌと同じような感覚で捉えていたのですが…。
…ま、いいか。
ある人から頂いたレスにこうありました。
『世界は美しくなんか無くてもいい、萌えがあれば万事OK』と。
随分前に貰ったレスですが、まだ心に焼き付いていますw
…そう言えば、アレもネコりりぃの時だったなぁ。


8.陣様
同じく…電波に向かってGJ!
最近は中々降臨してくれなくて困っていたのですが、降りてきたと思ったら…うう、素晴らしいモノをありがとう!
きっと皆さんの祈りが電波神に届いたのでしょう!

うーむ…機構兵団チームは、ナチュラルに縮地を使えそうなヤツらが居ますな。
リャンとか武術が凄いらしいし、アヤネだって獣人の瞬発力で…。
…憐?
……彼女、まだレベルが低いとは言え未亜の同類デスヨ?
S属性があるかは別として。


9.米田鷹雄(管理人)様
いつもご苦労様ですm(__)m
お体にお気をつけて…。


10.あるふぁ様
ツン状態とデレ状態の差が大きい程、威力が高いですからね。
リリィはその点、ナチュラルに満たしてくれますw

…原作の場合は無意識に踊る、でしたが…この場合、無意識に発明・自爆・説明…どれだろう…。


11.YY44様
ありゃ、消されちゃいましたね…残念。
ぬぅ…な、何故かレスの内容が思い出せない…?
昔からトリ頭でしたが、これはちょっと深刻…。

ルビナス、真面目にしてれば格好いいんですけどね…。
身内に対しては悪乗りしまくるタイプだと思うんですが、どうでしょう?

確か、シュミクラムトレイター=救世主の鎧でしたっけ?
う…ん……これは…面白い設定………組み込めるかも…。


12.カシス・ユウ・シンクレア様
いやもう本当に、ネコりりぃ…恐ろしい子…!って感じです。

ここで18禁に突入しないのも不自然かな、とは思ったのですが…。
やはり次の日に一大決戦が迫っていますから、もう泣く泣く…。
まぁ、あのよーな天幕でヤられたら声が漏れまくってエライコトになりますが。

小柄な影ですか?
うーん、関係者ではありますね。
でも別人です。

ちゃんとセルにも出番を作らないとなぁ…。
実を言うと、今その辺を書いているのですが…ああ、停滞しまくって冗長になってる…。
冬休み辺りに週2回更新とかしないと、新年までにアルディアさんが出てこないっぽいです。


13.なな月様
ええ、危うく風邪を引くところでした。
ウチには冬でも半袖の大馬鹿妹が居るのですが、先程風邪薬飲んでました。

アニメの方ですか、そりゃ知らないッス。
むぅ、我、不勉強也…。

擦り寄ってくる犬猫は本当に可愛いですからねぇ。
多少ヤンチャでも許してしまいますよ。
…だからネコりりぃに引っ掻かれても怒っちゃ……いや、むしろ喜ぶ人が沢山居そう…。

炉理万歳!炉理万歳!炉理万歳でも低年齢!
うむ、やはり大河はこうでないと!
何時ぞやベリオに向かって語ったアレを再現してみたくなりましたw

どくたールビナスはでゅわっ!を実行させていただきました!
巨大!巨大!ロボじゃないのが残念だけど、ナナシ巨大化!
大技です!

あ…あー…そう言えばそんなのが居ましたなぁ…。
……やっぱ王宮を飛ばしてガルガンチュワとドッグファイトとか…いかん、本気で手に負えん。

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