旧館廊下からドア一枚を隔てたSOS団のアジトこと文芸部室の中からは依然として朝比奈先輩の悲鳴そのものの悲鳴とハルヒの雄叫びにも似た怒号が交互に轟き続け、この騒音は後で絶対に苦情が来るだろうな等とどうでも良いようなそうでもないような心配が僕の思考を徐々に浸水し始めてから、そろそろ五分が経過しようとしていた。
悲鳴の内容から推測するに朝比奈先輩はまだ完全には剥かれていないらしく、ハルヒの暴挙を前に精一杯の抵抗を続けていると思われる。最早陥落までは時間の問題だと思うけど。どうせハルヒには何を言っても無駄なんだから、あの人もさっさと開き直ってしまえば良いものを。
とか何とかニューロンネットワークの隅でつらつらと思考している内にいつの間にか騒音そのものの悲鳴や怒号は消え去り、代わりにドアの奥からは啜り泣くような声が小さく聴こえ始めてきた。遂に朝比奈先輩最後の砦が堕とされたらしい。御愁傷様。
それから更に暫くしてハルヒの合図があり、何やら心の迷宮に引き蘢っているらしいキョンを文字通り引き摺りながら部室に戻った僕の目に映ったものは、プラカード片手に正月の仮装大賞に潜り込んでいても全く違和感が無い程に完璧な三人のバニーガールだった。……三人?
「ハルヒは兎も角、長門の分まで用意してたんだ?」
というかそんなものどこから持って来たのさ。しかも三つも。
「演劇部」
そんなコアでマニアックな衣装が何の変哲も無い筈の県立高校に普通に置いてある時点で充分驚くに値する謎だと思うのは僕だけだろうか。というか前々から一度は言おうと思っていた事だけど、どう考えても変だよこの学校。何か曰くでもありそうな怪しいブツは転がっているし神輿はあるし蝙蝠はいるし。巷に蔓延る学校の怪談は数あれど、こんなシュールな怪奇は見た事も聴いた事も無い。唯一対抗出来そうなものがあるとすれば練馬の某小学校の裏山に一時期設置されていた巨大砲台位のものだが、あれは犯人と言うか元凶が最初から解っていたし最終的にはしっかりと片付けた筈だから今は害は無い。多分。話が逸れたが兎に角もう一度敢えて言おう。ハルヒ、高校にバニー衣装があるのは絶対に変だ。
……と、未成年の主張よろしくキャラにもなく熱弁を振るってみた僕であるが、
「良いんじゃないの? 演劇部なんだし」
と言うハルヒの不条理極まりない一言であっさりと撃沈してしまった。初敗北だ。
ハルヒはチラシの詰まった紙袋を片手に、
「行くわよ。有希、みくるちゃん」
ハルヒの命令に読んでいた本を無言で閉じる白いバニー姿の長門と、助けを求めるような目でキョンを見上げる黒いバニー姿の朝比奈先輩。思わず笑ってしまいたくなる程に正反対な二人だった。きっと着替えの時もハルヒに言われた通りに淡々とバニーガールの衣装を身に着けたんだろうね、長門は。ちなみにハルヒのバニー衣装は赤、お約束通り機動性三倍なのだろうか?
ちなみに蛇足だが、キョンは朝比奈先輩のバニースタイルに魂まで抜かれてしまったように間抜け面を浮かべて見とれていて、正直言って何の役にも立ちそうにない。引き摺られるようにハルヒに連れ去られる朝比奈先輩を見送りながら、僕は胸の前で十字を切った。貴女の魂に安らぎあれ。
「あ、そうだ」
何か忘れ物でもしたのか、朝比奈先輩の手首を掴んだままのハルヒが再び部室に顔を出した。
「あんた達暇でしょ? それ、」
言いながらハルヒの指差す先には、脱ぎ散らかされた二組のセーラー服。あとブラジャー。
「掛けといて」
セーラー服を指していた指先をそのままハンガーラックの方へと滑らせ、再び廊下へ顔を引っ込めようとするハルヒをどうにか捕まえ、僕は取り敢えず言うべき事を口にした。
「僕もキョンも一応男なんだけど?」
「だからあんた達のバニーは用意しなかったでしょ?」
僕の指摘に的外れな返事を返し、ハルヒは長門と朝比奈先輩を連れて廊下の向こうへと消えてしまった。そういう事が言いたいんじゃなかったんだけどなぁ。結局、僕はキョンを殴り倒して正気に戻し、手分けして二人の制服を拾い上げてハンガーに掛け始めた。気付けの意味を籠めて振り下ろした手刀が偶々タンコブを直撃したのかキョンが何やら目尻に涙を浮かべていたが、だが気にするな、僕も痛かったさ。間違えて怪我している右手で殴ってしまったから。ちなみに長門はしっかりと自分の制服は畳み、長机の上に重ねて置いて行ってくれたらしい。ハルヒもこれ位の几帳面さはあって良いと思うんだけど、どうなんだろうね。
「まだ体温の残っている女の服を拾って顔色一つ変えないお前も似たようなものだと思うぞ? このムッツリスケベめ」
朝比奈先輩のものらしきスカートに付いた埃を叩きながら、キョンがジト目を僕に向けて来る。失礼な、僕は立派なオープンスケベだ。他人に自慢出来るような事じゃないけど。
「嘘つけ」
間髪入れずに否定された。ますます失礼な奴め。
ハルヒの制服をハンガーラックに掛け終え、僕はパイプ椅子に腰掛け天井を見上げた。それに倣ったのか、キョンも向かいの椅子に座り頬杖をついた。
「本当だよ。小学生の頃はよくスカート捲りもとかしてたし、幼馴染みの風呂を覗いてはお湯を掛けられて逃げ出すなんて事もしてた」
「そんな犯罪者ギリギリのエロガキがどんな成長をしたらこんなマイナス方向に悟りを開いた陰険鉄面皮野郎になるのか、是非とも知りたい所だな」
キョンが僕をどう思っているのか、よく解るお言葉だね。キョン、後で覚えておけ。
「……君の処刑は取り敢えず後回しにして話を進めるけど、昔の僕がエロガキだったって事は認めるよ。その頃に比べて今の僕が多少は変わったって事も自覚はあるし、その心当たりも何となくある」
まぁその一つは、転校したから馬鹿をやる相手がいなくなったって事なんだけどね。
ふとキョンへと目を移してみると、またしても僕にジト目を向けていた。何さ、何か言いたい事がある訳?
「いや別に。多少どころかどう考えても別人だとか、そもそもお前の少年時代が全く想像出来ないだとか、そんな事は一切全く考えていないからどうぞ話を続けろ」
キョン、月の無い夜は精々背後に気を付けろ、という言葉を贈ってあげるよ。
「……更に無視して話を進めるけど、僕が変わった原因だと予測している最大の心当たりは、」
「最大の心当たりは?」
キョンが長机から身を乗り出して、顔を僕に近づけてくる。そんなに興味のある事なのだろうか。というか、暑苦しいから少し離れろ。
僕は咳払いしながら少し勿体ぶってみて、ゆっくりと口を開き言葉の続きを紡ぎ始めた。
僕の考える最大の心当たり、それは、
「ぶっちゃけ飽きたから?」
あ、キョンの頭が長机に墜落した。あれは痛いだろうなぁ。
「飽きたって、お前なぁ……」
打ち付けた額を擦りながら、長机に突っ伏したキョンがせり上がる百万語を無理矢理呑み込んだような眼で僕を見上げてくる。君は一体何を期待していたのかな?
……まぁ本当の所は、ダメ人間やっててももう全部無駄なんだって、気付いただけなんだけどね。
「……何?」
キョンの視線に懐疑の色が混じった。しまったな、また口に出していたらしい。昨日に引き続きまたしても失敗だ。
「まぁそういう訳で僕は叩いても埃一つ出ない程にオープンスケベな訳であるから、妙な言いがかりを付けるのはやめて欲しいね」
「無理矢理結論に持って行きやがったなお前。そもそも着目し否定すべき点が根本的に間違っているように思えるのは俺の気のせいか? そして結局お前が顔色一つ変えずにハルヒの服を扱っていた点に関してはノータッチかよ」
おお、ツッコミの三連コンボとはやるなキョン。その成長に敬意を表してもう一つだけ教えてあげよう。僕は年上趣味なんだよ、きっとね。
「……朝比奈さんは年上だぞ?」
「どー見てもそうは見えないでしょ?」
あ、キョンが頭を抱えて沈黙してしまった。やっぱり情けないぞ、ツッコミ担当。
二十分後、締め切り明けの漫画家か何かのように憔悴した朝比奈先輩と、大して何も変わっていない長門が戻ってきた。長門の手に提げられた紙袋にはまだ三桁を脱していなさそうな量のチラシが入っているみたいだったが、部室に入るや否やバニー姿のまま机に突っ伏して肩を震わせ始めた朝比奈先輩を見れば何があったのか位は大体予測出来る。
痛々しそうな背中を取り敢えずどうにかしてやろうとブレザーを脱ぎながら立ち上がったら、同じようにブレザーを脱いで立ち上がっていたキョンが何故か僕を睨み付けていた。一瞬の視線の交錯。次の瞬間、荒事になる度に世話になった僕の愛銃こと未来製光線銃に撃たれたような痛みが僕の眉間に奔った、ような気がした。あくまで気のせいだったから気絶はしなかった。解り易く喩えるならば本来僕のそれと空中で衝突して火花を散らすべきだったキョンの殺気と言うか眼光と言うか兎に角そんな感じのものが、失敗して僕の眉間を直撃したと言った所だろうか。……ニュータイプがたまに受信する白い電波っぽいアレも、実は同じ現象なのではないだろうか? 最近では全く関係無い筈のキャラとかも受信してるみたいだし。
余談だが、朝比奈先輩にブレザーを掛けてやる役は当然だがキョンに譲ってやった。だって後が怖いし。
めそめそと泣く黒バニーと何事も無かったように本を読み始める白バニー、困惑する役立たず一号と無関心を貫く僕こと役立たず二号。文芸部室はいつからこんな人外魔境になっていたのだろうか。初日からこんな感じだったような気がする。などと自問時等している内にハルヒが帰って来ないまま更に三十分が過ぎ去り、いい加減退屈を持て余し始めた僕はふと壁際に鎮座する本棚へと眼を向けた。
「長門。本棚の本、読んでも良い?」
この部室の本来の主に一応お伺いを立ててみる。長門は手許の本から視線を一瞬僕へと移し、そして再び本の文面へと戻した。了承してくれたのだろうか、あれは。
スチール製の本棚に整然と並べられた本はその大半がSFを題材としたものだったが、中にはファンタジーらしいタイトルが書かれた背表紙も所々に見受けられる。その数少ないファンタジー系小説の一つを、僕は本棚から引き抜いた。作者は、ラヴクラフト?
パイプ椅子に腰掛け何処かのお花畑にでも逃げそうになる意識をしっかりと捕まえ覚悟完了ながらこの上下段にみっちり詰まった活字の海の切り崩しに掛かった僕であったが、やっぱり僕に読書は無謀だったらしく1ページも読み終えない内にもう睡魔に襲われ始めていた。朦朧とする意識の中読書挫折の最短記録の更新を確信しながら這い寄る甘美な誘惑の前に敢え無く夢の世界に旅立った僕は……、
「腹立つーっ!!」
というハルヒの怒鳴り声に叩き起こされたのだった。余談だが、その時僕はハルヒの怒声に物理的攻撃力を感じた。気のせいだと信じたいが。
気が付けば部室の窓からは西陽が差し込み、代わりにと言っては少し違うかもしれないが朝比奈先輩達が帰って来た頃には遠くで鳴っていた吹奏楽部の中途半端に下手なラッパや野球部の不明瞭な怒鳴り声は消えていた。どうやら僕は相当の時間を寝て過ごしていたらしい。新記録樹立じゃないだろうか。
「何なの、あのバカ教師共! 邪魔なのよ、邪魔!!」
「何か問題でもあったのか?」
バニー姿のまま地団駄を踏むハルヒに、どうせ解っている癖に敢えて訊くキョン。ある意味勇者だ。
「問題外よ! まだ半分しかビラまいてないのに教師が走って来て、やめろとか言うのよ!! みくるちゃんはワンワン泣き出すし! 有希はさっさと帰っちゃうし! あたしは生徒指導室に連行されるし! 挙げ句にハンドボールバカの岡部まで来るしっ!!」
どうやら校門は僕の想像以上の地獄絵図と化していたらしい。帰らなくて良かった。
「兎に角腹立つ! 今日はこれで終わり、終了!!」
怒鳴りながらウサミミをむしり取り床に叩き付けているハルヒのお許しも出たという事で、僕は鞄を手に持ちさっさと帰宅したのだった。君子危うきに留まらず、余計な矜持など持たずにさっさと戦略的撤退を図る事が長生きの秘訣なのだ。
● ● ●
次の日、朝比奈先輩は学校を休んだ。が、その翌日には普通に部室に顔を出していた。可愛い顔してあの人も結構図太い神経をしている。もしもまだ猫型タヌキが健在な頃に僕達と出会っていれば、ちゃっかりレギュラー陣に混じって大暴れしていたに違いないなどと訳の解らぬ確信を思わず抱いてしまう程の剛胆さである。惜しいと言うべきか、出番を喰われずに済んで良かったと胸を撫で下ろすべきか……。
ーーーあとがきーーー
グルミナです。『退屈シンドローム』第10話をお届けします。遂に話数が二桁突入です。
前話から何やら話のノリが妙な方向に進み始めたような気がしないでもありませんが、このノリで更に加速しながら突っ走って逝くつもりなのでご安心下さい。「壊」表記を付けないで済む程度に。
今回書いていて楽しかった箇所は長門の初コスプレとのび太とキョンのエロ談義でしょうか。後者には微妙にのび太の過去への伏線とかも隠してみました。
今回の原作コピペは五割位でしょうか。オリジナル設定とかも交えて今後更なる分離を進めて逝きたいと思っています。
そして遂に次回はあの人の再登場、……まで書くのが目標です。
>kouさん
長門の奇行は作者の暴走です。今の所は大した意味は考えていません。しかし個人的に結構気に入っているシーンなので、長門には今後天然キャラに成長してもらうという可能性はあります。
のび太の知り合い、確かに反則的な連中が多いですよね。その筆頭が猫型タヌキな訳ですが、他のメンツやゲストキャラも非常識が常識のような連中が多いですしね。
>髭男爵さん
はじめまして、読んで下さってありがとうございます。
ドラやきを長えもんに食べさせるのび太ですか。実は執筆当初に似たようなシーンを考えていました。色々あって今は保留になっていますが、機会があればそのようなほのぼのも入れたいですね。
ちなみに我が家の台風の被害ですが、ベランダのタイルが持って行かれた程度で済みました。過ぎ去ってくれて本当に良かったです。
>sigesanさん
はじめまして、読んで下さってありがとうございます。
のび太はマイペースというよりもゴーイングマイウェイなキャラとして書いていますね。最近微妙に参考にしているのは某天の道を往き総てを司る男、あんな感じに突っ走って欲しいですね。
本編の盛り上がり部分、コンピ研のパソコン強奪事件の事でしょうか。すみません書くのが面倒臭かったからカットしました、という訳では無く、のび太とコンピ研のメンツを敢えて会わさなかったのは今後の小さネタへの種蒔きです。具体的に言えば射手座の日の決戦辺りの。
>HEY2さん
フハハハハ騙されましたかこの野郎! ちゃんと「もう少し」待っててくれていましたか!?(挨拶)
という訳で何の脈絡も無く出してみました長門バニー。萌え担当一号がバニーをやらないなどという愚挙などあってはならないのですよワトソン君。
本で攻撃、元ネタはシャーマンキングの知識のハンマー(万辞苑)です。でも今は図書館探検部員の物理攻撃コマンドの方が有名ですね。
女性の裸には免疫があるというか、どちらかと言えば無関心なんですよね、ここののび太は。ある意味欠陥です。そしてその欠陥は本編の重要な鍵の一つ、かもしれません。
黒い三角錐にマジックは、……ま、良いか。(逃
>龍牙さん
腕章はハルヒの手作りです。原作読んでてハルヒって衣装代だけで結構散財してるよなーなんて思いまして、こんな設定にしてみました。
当方が初めて映画館で観たドラえもん映画は「銀河超特急」でしたね。そして生まれて初めて映画館に入ったのも。「雲の王国」はテレビ放送されていたのを見たんです。
無表情でもだえる天然長門、それはそれで見てみたいですね。
朝倉の活躍というか暗躍は書く方が輪としてもとても楽しみな要素の一つです。表にしろ裏にしろ。