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「幻想砕きの剣 10-1(DUEL SAVIOR)」

時守 暦 (2006-07-26 23:44/2006-07-27 15:39)
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14日目  午後 大河


 幸いな事に、用意されていた馬は本当に度胸が据わっていた。
 あるいは調教しつくされているのかもしれないが、大河が近付いても怯えない。
 表情に多少の変化は見られたものの、そのまま逃げだすような事はなかった。

 ホッとしつつも、大河は馬に乗って慣れない乗馬中である。


「と、ととっ……ホウッ、お前は賢いなぁ…」


 手綱を取りながら、馬に向かって呟く。
 当の馬は、カケラも聞いていないようだ。
 馬の耳に褒め言葉。

 基本的に、訓練された馬は十二分に賢いといえるだけの知能を持つ。
 人を乗せるためのノウハウを、自力でか教えられてか確立してしまうのだろう。
 不慣れな大河でも、充分な速度を出す事が出来た。
 この分なら、あと30分もあれば港町まで行けるだろう。

 馬から転げ落ちないよう、重心に気を配りつつも大河は考える。
 あの木は一体、何だったのか?
 森の中で、幻術結界に隠されていた木。
 あまり汚れていなかった以上、放置されているのではない事は予想がつく。

 ひょっとして、“破滅”の本拠地だろうか?
 いやいや、あれを造るにはかなり時間がかかるだろう。
 少なくとも、1年程度で出来るような代物であはるまい。
 だが、“破滅”が始まる前から存在していたとしても、“破滅”の民という存在も居る。
 “破滅”に備えて、何年も前から準備していたのかも?

 だが、その考えには根本的な問題がある。


「どう考えたって、あのメタリックな輝きはオーバーテクノロジーだよな…」


 少なくともアヴァターでは。
 例え“破滅”の民だとしても、あれほどの技術を持っているだろうか?
 ルビナス辺りに見せたら、嬉々として調査を始めるだろう。
 その程度には高度な技術が使われているはずだ。

 残してきた兵士達を思い出し、これでよかったのかと自問する。
 確かにあの施設は調べねばならない。
 ホワイトカーパスを去れば、あの施設を調査する事は当分不可能になるだろう。
 恐らく、“破滅”をホワイトカーパスから、アヴァターから駆逐するまで。
 そのため、兵士達に任せてきたのだが…。

 あの施設を覆っていた幻術結界は、大河でも全く見破れなかった。
 つまり、それだけの術者があそこに居る可能性があるのだ。
 もし戦う事になったら…あの兵士達は、生き残れるだろうか?
 調査など任せずに、引き上げさせた方がよかったのでは?
 何度も思い返すが、もう遅い。
 今となっては、深入りしない事を祈るばかりだ。

 だが、実際あの施設の中身は?
 ジャククトが大河に何を見せようとしたのか。
 喉に刺さった小骨のように、大河の神経に引っ掛かっている。


「お、そろそろ港町だな。
 さて、警戒しろって言われてるが…。
 ……港町自体は無事みたいだな」


 大河の目に、高い塀に囲まれた町が写る。
 塀はとても頑丈そうで、いっそ城壁と呼んでも差し支えないほどだ。
 よく見ると、そこかしこに弓を据え付けられた窓が開いている。
 完全に要塞である。
 “破滅”を警戒しているのか、数人が屋上で見張りをやっている。
 恐らく、大河の事も発見されている。
 門の側に行っても、最初は弓を向けられるだろう。
 まぁ、それは仕方ない事だ。
 正規兵のように、紋章付の鎧でも着込んでいなければそうそう簡単に信用などされまい。
 まして、大河は一張羅の学生服のままだ。
 そんなのが馬に乗って一直線に駆けてくれば、怪しいと思うのも当然だろう。

 だが、港町に顔を出さない訳にもいかない。
 挨拶もせずにその辺をウロウロしていては、スパイ容疑で狙い撃ちにでもされかねない。

 硬く閉ざされた門扉が見えてきた。
 プレッシャーをかけようとしているとしか、思えない形である。
 極力大勢の人を一度に迎え入れる為に大きくしたのだろうが、不必要に威圧感も増している。

 その扉を見て、大河は渋い顔をしてぼやく。


「やれやれ…まるで劉備の逃避行だな。
 長叛破、だっけか?
 字が違ったっけ……。
 劉備が荊州に行った時と違って、受け入れられないとも思わないが…」


 アザリンや避難民を拒んでも、港町に益はない。
 むしろ不利益が山盛りだ。
 拒めば信用を失い、自分達を護ってくれる軍からも見放され、結果は“破滅”の魔物に囲まれて嬲り殺しにされるのがオチ。


「ま、アザリン様が劉備なら、俺は趙子龍と洒落込みますかね。
 もう一騎駆けやってきたしな。
 赤ん坊は居ないけど」


 大河は馬に指示を出し、港町に近付いた。
 適当な位置まで近付いて、馬から飛び降りる。

 見上げれば、設置されている弓が大河に向けられていた。
 城壁の上に、人が立つ。


「あ、あーあー、ただいまマイクのテスト中。
 地声だけどな。
 そこの、聞こえるか?
 聞こえたら馬の上で逆立ちしろ。
 あと動いたら弓が飛ぶからな」


「逆立ちすんのか動かないのかどっちだよッ!」


「口が動いた、撃て!」


「ちょっと待ったらンかィ!」


 何もない空間に、裏手でツッコミを入れる大河。
 と、同時に宙を裂く音。
 ザクッ、と音がした。
 ……大河から10メートルほど離れた所で。
 矢が突き刺さっている。

 本当に撃ちやがった、と大河は戦慄した。
 何考えてんだ。


「こらソコォ、一発目はネタか脅しだから撃つなって通達してあったろォが!」


「ひええぇ、すいませーん!」


「殺傷能力の高い武器で人を狙っといてネタもクソもねーわぁ!」


「うっせーぞ!
 そういうテメェはどうなんだ!?
 そのツラはネタのためなら他人様に爆弾を渡し、デンジャーなブツをあっちこっちに振りまくツラだ!」


 当たりだ。


「しかも、あっちこっちの女にコナかけて全く悪びれないツラだ!
 あまつさえモテると来た日には、そいつは悪魔よりも始末が悪いんだ!」


 大当たりだ。


「外見でヒトを判断すんじゃねぇ!
 いや外見も重要だが、そりゃ偏見だろが!」


「理屈っぽいんだよ鬱陶しゴヅ


 城壁の上で大河と怒鳴りあっていた男が消える。
 代わりに、童顔の少女が顔を出す。
 目が細い。
 というか、顔が手抜きだ。
 あれはここでしか登場しない、一発キャラの顔だ。


「うちの班長が失礼しました。
 先日頭を打ってこの調子なのです、ご勘弁ください。
 それで、貴殿は?」


「あ、ああ…救世主候補の当真大河だ。
 ドム将軍から、先行してこの辺りの魔物を探しておけって指令を受けた。
 それより…あ、頭大丈夫か?」


「失礼な、誰がガイキチですか」


「いやそうじゃなくて、頭から血が…」


 少女の頭は、血らしき液体でベットリ濡れている。
 だが、少女は苦痛を感じる様子を全く見せない。


「ご心配なく。
 これは返り血ですから」


「だ、誰の?」


「班長のです。
 班長はタフなので、頭突きを慣行しないと正気に返りません。
 なお、私の頭はレンガでも叩き割れるので心配ありません」


「そうか、なら大丈夫だな」


 班長の頭の心配はないのか?
 結構な勢いで返り血を浴びたようだが。


「とにかく、俺はこのまま周囲を偵察してくる。
 3時間以内に、本隊から避難民が送られてくる筈だから、受け入れの準備を進めておいてくれ」


「了解しました。
 それではご武運を」


 最後まで淡々と言い、少女は頭を引っ込めた。
 塀の向こうが、少々騒がしくなった。
 どうやら受け入れと警戒の準備を進めているらしい。

 と、先ほどの少女が顔を出した。
 そして何かを大河に向けて放り投げる。


「?」


 見事なコントロールで、大河の手元に飛んでくる。
 キャッチしてみると、紙切れのようだった。
 どうやら石ころを包んで投げたらしい。

 塀の上から少女が告げる。


「それはこの辺りの詳細な地図です。
 魔物達が潜んでいそうな場所にはチェックを入れておきました。
 ですが、どうも普通の隠れ方ではないようです」


「どういう事だぁ?」


「実は既に何度か魔物の集団を撃退しているのですが、その魔物達はチェックを入れている場所付近から出没しているのです。
 しかし、その地点は何度も調査してあります。
 おまけに、出現した魔物はゴーレムを筆頭とした、巨大な魔物達です。
 何処かから召喚術で飛んできたか、私達の目を誤魔化す何かがあるのかもしれません。
 充分にお気をつけください」


「忠告感謝する。
 では、行ってきまーす」


 今度こそ首を引っ込めた少女を背に、大河は再び馬にムチを入れる。
 どうでもいいが、仮にこれが汁婆だった日には、ムチを振るった途端に蹴り落とされるだろう。

 大河は少女の忠告に頭を巡らせる。
 これから行く所…地図に印を入れてある場所に、魔物達が隠れているらしい。
 少女の話では、そこから現れたという事だったが…集団がここに隠れているのか?
 本当に?

 可能性は複数ある。
 まず、少女の言った通り、普通ではない隠れ方をしている時。
 しかし、どうやれば調査を潜り抜ける事が出来る?

 それから、逆召喚で何処かから送られている可能性。
 これは結構信憑性が高い。
 無限召喚陣なんぞという大技を使えるくらいだ。
 予め陣を敷いておけば、逆召喚くらい朝飯前だろう。

 そして…かなりぶっとんだ想像。
 大河はこの想像に引っ掛かりを覚えている。


 港町は、何度か魔物の群に襲われたらしい。
 撃退したと言っていたが、それにしたって違和感がある。
 綺麗すぎるのだ。
 戦闘の痕跡が、全く見られなかった。
 塀にも傷一つ入ってなかったし、その辺の草むらや地面にも血の跡は見られなかった。
 何本か矢が刺さっていたが、その周辺には足跡すらなかったのだ。
 超重量を誇るゴーレムの足跡さえ。
 草を踏みつけにした後すらない。

 これが何を意味するか?


「…港町の連中が、ウソをついているか…。
 さもなくば…」


 ウソはついていないが、魔物の襲撃は無かったか。
 このどちらかだ。
 多分、前者はないだろう。
 根拠はないが、そんな気がする。
 ドムの言う『ひらめき』に近い感覚かもしれない。
 別に回避率100%になる精神コマンドの事ではない。

 しかし、それはそれで話がややこしくなってくる。
 何故彼女達は、存在しない敵を認識し、そして攻撃すら仕掛けたのか?
 集団幻覚?
 いやいや、度が過ぎる。
 自分たちの手柄を増やそうと?
 ノー、少し調べたらすぐにばれる。
 十中八九、襲撃があったのは本当だ。
 だが、襲撃してきた魔物は居なかった。

 一聞すると矛盾するようだが、決して矛盾ではない。
 つまり。


「襲撃してきたのは人間…。
 魔物の可能性もあるが、どちらにせよ極めて少数。
 恐らく…撃退したという魔物の群は、単なる幻だ」


 大河は歯を食いしばる。
 これは洒落にならない。

 大人数に幻覚を見せる実力者が居るというのもそうだが、もっと厄介な状況を引き起こされかねない。
 つまり、避難してきた本隊を、攻撃してきた魔物の群に見せかける。
 そうなってしまえば、やっと終着点に着いたと安堵した民衆と兵士達は、あっという間に大損害を蒙る事になるだろう。

 逆も有りだろう。
 魔物の群を、避難民だと偽って中に入らせる事も出来る。

 まさかとは思うが、これまで戦ってきた魔物達も?
 それなら、この逃避行の間に異常に被害が少なかったのも納得できる。
 いや、それは無いだろう。
 中には幻も居たかもしれないが、大河の手には魔物達を切り払った感触が残っているし、無限召喚陣は確かに存在した。


 見つけなければならない。
 幻覚を見せた者か、さもなくば幻覚を食い破る方法を。
 後者には当てがある。
 だが、前者は…。


「くそっ、何処だ!?
 何処に居る!?」


 幻術は、仕掛ける時には極力近くで仕掛ける事が望ましい。
 対象がどれだけ深く幻術にかかっているか、つぶさに観察できるからだ。
 それに、本当に精巧な幻術を見せようと思ったら、術をかけている最中もリアルタイムで術式を調整しなければならない。
 気温や風向き、日の翳りなども幻術に影響を及ぼすからだ。

 だが、今回はあまり精密な映像を創り出す必要もない。
 何せ塀の中から覗き見る程度の距離。
 多少ビジョンが狂っても、誰も気付かないだろう。


「まさか、“破滅”の民が港町の中に…?」


 時間が無い。
 大河は知らなかったが、そろそろ本隊からの避難民第一号が港町に到着する頃だった。


14日目 午後 ユカ・汁婆


 ユカは自分の甘さを罵っている。
 汁婆も、珍しく冷や汗だか脂汗をかきながら走っている。

 ユカと汁婆は、結局地図に示された場所へ行ってみた。
 大抵の事なら大丈夫、と腹を括っていたが…甘かった。
 大いに甘かった。

 別に魔物の集団が居たのではない。
 むしろ、人気は全く無かった。
 無限召喚陣で小動物や虫は死に絶えているものの、不自然は所は何処にもない。
 罠も仕掛けられてないし、伏兵も発見できない。
 文字通り、何も居ない。


 だが、この地へ到着した途端に、ユカと汁婆は本能的に察した。
 『ここはヤバい』と。
 すぐさま汁婆は駆け出し、離脱を図った。
 しかし走っても走っても、同じ場所をグルグル回るだけ。


「汁婆、これって幻覚だよね!?
 でもそういう気配は全くないよ!?」


『俺が知るか!』


 曲がりくねった道だが、迷うような道ではない。
 似たような景色が続くが、同じ場所を回って入るはずがない。

 それよりも何よりも…。
 ずっと首筋に、冷たいナイフを突きつけられているような感触。
 死の感触、死の予感だ。
 ユカも汁婆も、この感覚をよく知っていた。

 近くに何か居る。
 それも、ちょっとでも油断すれば即座に首筋を切り裂くようなバケモノが。
 正面から戦えば、多分勝てる。
 だが、正面から戦いにこないのは確実だ。
 典型的な暗殺者タイプ…しかも恐ろしく完成度が高い…だと思われる。


 一頻り走り回った後、汁婆は足を止めた。
 どうにも、この場所から離脱できないようだ。
 となれば、無駄に走り回っても体力を消耗するだけだ。
 一箇所に留まっていれば、その辺に仕掛けられた罠にかかる事もないだろう。

 ユカも同じ事を考え、汁婆から降りる。
 背中を流れる冷や汗は、どんどん多くなっていた。

 ここから先は、持久力の勝負。
 ユカと汁婆の緊張の意図が一瞬でも途切れれば、どこかから即死の刃が飛んでくる事だろう。
 死の恐怖と隣り合わせの状態で、チャンスを待ち続けねばならない。
 しかも、ユカも汁婆もこれ程のプレッシャーは産まれて初めてである。
 このままでは、そう長くは保たない事は目に見えている。


「汁婆…何か方法はない?」


『無い…。
 迂闊に罠に踏み込んだ俺達のマヌケだ』


「どっちかが隙を見せて、ある程度のダメージは覚悟で相手の動きを止める」


『ダメだ。
 敵が何人居るかわからん。
 それに、暗殺者なら刃に毒くらいは塗ってあるだろう。
 もう大河からもらった神水も残ってないんじゃないか?』


「ここに来る前に飲んだのが最後の一滴。
 大河君の話だと、飲んで暫くの間は、軽い毒なら無効化できるって…」


『軽い毒で済むものか。
 敵の攻撃は、全て致命傷になると考えろ。
 …クソ、どうやら敵も移動してるみたいだな』


 殺気の密度が揺れ動いている。
 恐らく、殺気に慣れをつけさせないためだろう。

 そう思った時、ユカはふと疑問を感じた。
 緩みそうになる気を慌てて引き締めて、背中合わせになっている汁婆に声をかける。


「ねぇ、ちょっとおかしくない?」

『何がだ』

「この殺気だよ。
 暗殺者が、どうして態々自分の存在を教えるような事をするの?」


『…そう言えばそうだな』


 暗殺者…伏兵の類は、己の存在を気取られない事が何よりも優先される。
 気付かれれば、伏兵は伏兵ではなくなってしまうのだから。
 そうなったら、単に迂回されるか、それとも先手を打たれて叩き潰されるかだ。

 今の状況では、暗殺者は存在を気取られても大して痛くはないだろう。
 ユカと汁婆は、脱出不能の罠の中に入り込んでしまっている。
 暗殺者を避けて迂回しようにも、事実上掌の中で走り回っているようなものだ。
 放っておけば、勝手に消耗するか焦りで集中力が切れるかだ。
 やはり態々自分の存在を教えるような理由にはならない。
 こうやって警戒させるより、罠の中を走らせて姿を消して追跡し、一瞬の油断を狙う方がずっとお手軽だろう。
 少なくとも、その方が発見される危険は少ない。


『嬲っているつもりか…』

「暗殺者が?」

『……』


 これほどの殺気を放ち、汁婆とユカにさえ恐怖を抱かせる暗殺者。
 それが獲物を無駄に嬲るような、逆転の余地を与えるようなマネをするとは思えない。
 確実に仕留められる時にしか動かないのが基本とは言え、その気ならもっと冷徹に仕留めにくるだろう。


『…いつまでもこうしていても埒が開かん。
 ここは一つ、大博打を打ってみるか…?』


「? 何をする気?」


 汁婆は明後日の方向を指差した。
 その先に目をやるが、何もない。


「向こうが何?」


『さっきからずっと走り回ってただろう?
 その時に、周囲をずっと観察してたんだが…影がおかしい』


「影?」


『いや、太陽が…と言った方がいいか?
 走ってる間に、何時の間にか全く違う方向へ移動している。
 直線で走っているはずなのに、右側にあった太陽が何故か後ろに回っていたりな』


「それって、方向感覚が狂わされてるって事だよね。
 太陽を目印に、一気に駆け抜ける?」


『ああ。
 だが、リスクは正直言って大きいぞ。
 どうも、俺達が思ってるような結界じゃ無さそうだ。
 普通は徐々に方向を狂わせて行くもんだが、一歩進んだらもう別の方向に太陽が動いた事もある。
 多分……空間そのモノをズレさせているんだろう。
 小さなズレを幾つも乱立させて、迷宮みたいにしてるんだ』


「…空間のズレにハマったら?」


『空間のズレと言っても、捻れてるだけだ。
 異空間に放り出されるなんて事はない。
 だが、右の目と左の目から入ってくる情報が、全く別物になるだろうな。
 左目は前を向いているのに、右目は自分の背後から見下ろしている、とかな。
 もっと酷くなると、地面に確かに立っている筈なのに、感覚的には逆様になっている…なんて事も在り得る』


 ユカは苦い顔になった。
 そんな状態では、流石に戦えない。
 もしそうなってしまえば、それこそ敵の位置も把握できずにお陀仏してしまう。


「ズレに嵌る可能性って大きい?」


『90%以上。
 周囲を囲むように空間を弄ってるんだろうから、どっちへ行ってもズレはある。
 あとはそのズレが小さい事を祈るだけだ』


 それでも、このままこうしているよりはマシだろう。
 汁婆は、『やるか?』と視線で問いかけてくる。
 ユカは無言で頷いた。

 こうしている間にも、本隊は襲われているかもしれないのだ。
 伝令に伝えられた場所が罠であった以上、ユカが本来付く筈だった防衛地点は無防備に近いだろう。

 それに、この罠を無理にでも突破しないと、MIA扱いなんて事になりかねない。


「汁婆、準備はいいよ」


『じゃあ行くぞ。
 太陽を正面にして、一気に駆け抜ける!
 急激な方向転換も何度もあるだろうから、気をつけろよ!』


 ユカは汁婆に乗り、その首を力一杯抱きしめる。
 汁婆は速度よりも安定性を重視し、四本足モードで疾走の体勢に移った。

 一人と一匹は、一瞬周囲を睥睨する。
 このタイミングで襲ってきてもおかしくない、と思ったからだが…。
 幸か不幸か、敵襲はなかった。
 ここで敵が出てきて、それを倒せば罠も消える…なんて展開も期待したのだが。

 覚悟を決めて、ユカと汁婆は走り出した。
 全速力で走ると方向転換と停止が大変なので、普段の半分以下のスピードである。
 だが、それでも瞬く間に景色が歪んでいく。
 早く走る事で視界が制限されているだけではない。
 空間がズレ始めているのだ。

 ユカは目を閉じ、周囲の空気の流れだけを感じ取ろうとした。
 空間が歪んでいても、空気だけはほぼ一様な密度で存在する。
 その密度が極端に変化したり掻き回されたりすれば、それは多分敵が近くに居るという事だ。
 移動は汁婆に任せ、自分は敵襲に備える。

 とは言え、汁婆が方向転換する際の急激なベクトル移動は、ユカの集中を邪魔するのに充分すぎた。
 右へ左へ上へ下へ前へ後ろへ、それどころかユカ自身に向かって、はたまた言葉では言い表せない方向…3次元空間には存在しそうにない方向…へ向かって、汁婆は縦横無尽に駆け巡る。
 実際はどのような軌道を描いて走り回っているのだろうか?
 方向転換が何度もある以上、真っ直ぐ進めてないのは明らかだ。
 好奇心が疼いて目を開けようかと思ったが、洒落にならない映像を見る事になりそうなので止めた。
 例えば、目を開けたらいきなり真正面から汁婆が突撃してくる…とか。
 …実際は、今目を開けたら自分自身の下着が見える状態なのだが…まぁ、見なければ何だって同じだ。


 一方、汁婆はかなり四苦八苦していた。
 足元を見ずに走ると言うのは、結構危ない。
 汁婆のスピードなら尚更だ。
 自分が走っている方向を確認するため、常に太陽の位置を確認しているのだが…これがまたポンポン位置が変わる。
 ちなみに、一度太陽の位置が変わってまた変化するまで平均約4秒。

 正直言って、汁婆にとってもかなり恐ろしい状況である。
 敵の存在も然る事ながら、目隠しをしたまま走っているに等しいのだ。
 今の汁婆は、『空間の捻れで見えない場所』に向かって踏み込んでいる。
 目の前には確かにちゃんとした地面があるが、一歩踏み出したら即座に落下…なんて事になりかねない。
 乗せているユカを不安にさせまいと、普段通りの走りを演じているが…。
 正直、それも限界と言えた。
 さしもの汁婆の三半規管や渦巻き感も、本気でパニックに陥っていたのである。
 ちなみに今の汁婆の感覚を説明すると、『右前足が天井にくっついて、左前足は壁を走り、右後ろ足は空中を蹴り、左後ろ足は自分の腹に向かって蹴りを連発し、尻尾はちょうちょ結びになっている。更に足元を見下ろすと太陽』と言った所だろうか。
 自分でも、まともに走れているのが不思議で仕方ない。
 まぁ、実際は走っているつもりになっているだけかもしれないが。

 汁婆は走るのに集中していて気付かなかったが、ユカは敵の殺気が少しずつ退いて行くのを敏感に察知した。
 どうやら、敵にとっても捻れた空間の中に入り込むのは結構な危険を伴うらしい。
 だが、それでも安心するにはまだ早い。
 飛び道具という手がある。
 空間が捻じ曲げられているせいで狙った場所には素直に届かないだろうが、数撃ちゃ当たるという名言もある。
 ここで立ち止まる事は非常に危険だった。

 走っている汁婆は、いよいよまともに進めなくなってきた。
 足を動かしているのか首を動かしているのか、冗談抜きで混乱している。
 汁婆の視界に移る空間の移動が、徐々に緩やかになっていく。
 どうやら、知らず知らずの内に足が止まりかけているらしい。
 何とか足を動かそうとするが、時折意図してない動きをするばかり。

 とうとう汁婆の足が止まってしまった。
 クソッタレが、と内心で毒付きながら、汁婆はまた足を動かそうとした。
 動いたのは尻尾。
 ならばと尻尾を動かすと、今度は両腕が動いた。
 右に向けて尻尾を動かすと、何故か腕は前方へ。
 下に向けて尻尾を動かすと、何故か腕はダラリと垂れ下がった。
 なら、尻尾をピンと立てると?
 今度は腕が上を向いた。
 その腕が……肘から先が消えている。

 目を疑う汁婆。
 こんな状況だから、目ぐらい疑って当然ではあるが…。
 理解不能と思った汁婆だが、ハッと気がついた。


『ここが出口か!?』


 手(前足)の感触を起点として、汁婆は体を慎重に動かす。
 少しずつ、少しずつ進み、その度に汁婆の体が消えていく。
 消滅しているのではなく、普通の空間に戻ったため捻れた空間からでは見えなくなっているのだ。
 汁婆の前足が、地面を掴んだ。
 こうなればもう、こっちのモノである。
 腕力だけで体を動かし、正常な空間へ一気に飛び出した!


『突破ああぁぁぁーーー!』


 らしくもなくフリップに大文字で書き記し、5,6枚まとめて宙に放る。
 が、次の瞬間には汁婆は凍りついた。


『こ、ここは……』


「ん…?
 汁婆、どうなったの?
 目を開けても大丈夫なら、頭を二回叩いて…」


ポンポン


 呆然としながらも、汁婆はユカに言われた通り頭を叩く。
 恐る恐る目を開けるユカ。
 まず、視界に移るのが普通の光景である事に安堵した。


「ふぅ、抜けたんだ……?
 汁婆、どしたの?」


『…周りを見てみろ』


「?」


 苦々しげな汁婆。
 ユカは言われた通り周囲を見回した。
 特にどうと言う事はない景色。


『ここは…さっきと同じ場所だ』


「…ええ!?」


 気付かなかったが、言われてみればその通り。
 先程までと全く同じ景色である。
 目印になるようなモノが殆ど無いので解からなかった。
 よくよく見れば、汁婆が走った後が少し向こうに残されている。


「これって…回り回って、結局元に戻ったの…?」


『…らしいな』


「そんな…」


 出られない。
 ユカの精神力が、大幅に削られる。

 今暗殺者に狙われたら、回避するのは難しい。
 歯を食いしばる。
 その時、ユカはふと違和感を覚えた。
 汁婆の足跡だ。

 足跡の幅を見る限り、どうやら2足歩行で走ったらしい。
 だが、先程は四足歩行で走っていた。
 これはつまり…?


「ひょっとして……汁婆、足を貸して!」


『ン?』


「汁婆の蹴りとボクのジャンプで、思いっきり高く飛びたいんだ。
 悪いけど、着地は手伝って?」


『ああ…何だ、一体…』


 ユカは汁婆が差し出した足に乗り、体をかがめる。
 3,2,1とタイミングを合わせ、汁婆は思い切りユカを打ち上げた。
 同時にユカも飛び上がる。
 2人の脚力は凄まじく、あっという間に高く高くユカは打ち上げられた。

 高所に居るという恐怖を無視し、下界を見下ろすユカ。


「! こ、これは……やっぱり!」


 眼下に広がる光景に、驚きの声をあげるユカ。
 細かい理屈はよく分からないが、何をされていたのかは大体想像がついた。
 昔読んだ事がある歴史の本に、この術は記されていた…ような気がする。

 抜けられない筈だ。
 自分達は、敵の計算の中で踊らされ続けていたのだ。


「でも、もうタネは割れた。
 Seedの事じゃないけど。
 これなら何とか…」


 脱出できる。
 そう判断した時。
 微かに耳に届く、ヒュッという空気を裂く音。


(ヤバ…!)


 咄嗟に体を捻った。
 だが、次の瞬間肩口に鋭い熱。
 それが痛みだと認識した時は、既にユカはバランスを崩していた。

 肩に短刀が突き刺さっていた。
 ユカが空高く飛んだ事で、罠のタネが割れてしまったのに気付いたのだろう。
 身動きできないユカを、先に始末しようとしたのだ。


 続いてまたも宙を裂く音。
 動かない片腕はそのままに、手刀と足で飛んできた短刀を叩き落した。
 1つ、2つ、3つ、4つ。
 短刀は五つ。
 間近に迫った最後の一つを、肘で打ち上げて逸らす。


(!!!)


 だが、まだ。
 黒く塗られた短刀が、ユカの目前にまで迫っていた。
 あと数センチで眉間にめり込む。

 ユカは無意識に、背を強く反り返らせた。
 意識してやった事ではない。
 彼女が積み重ねてきた研鑽の結果が、防衛本能に触発されて全力で発揮されたのだ。
 背骨に急激な負担がかかるが、何とか短刀を避ける事が出来た。

 それにしても、凄まじい手練である。
 ユカは結構な高さに居たというのに、恐らくは目測で、これほど正確に短刀を投げつけてきた。
 しかも、影刃のオマケ付で。


(も、もう高度が…!
 汁婆…!)


 短刀を弾き飛ばした代償に、ユカのバランスは完全に崩れてしまった。
 地上に激突するまでに、体勢を立て直すのは不可能だ。
 あとは汁婆に任せるしかない。


(昨日は大河君が助けてくれたっけ…)


 現実逃避気味にそう思う。
 それと同時に、ユカは汁婆の腕に抱きとめられた。


 何とか無事に着地したユカと汁婆。
 ユカは持っていた包帯で応急処置をしながら、自分が見た物を汁婆に話していた。
 短刀に毒が塗られてない事を祈っているが、正直厳しい。


『奇門遁甲?』


「そのものじゃないと思うけどね。
 草むらや岩で作られてる似たような平原が、5×5個並んでた。
 勿論、それだけだったら簡単に出られる。
 罠や曲がりくねった道で、ボク達の方向感覚と位置を狂わせてたんだ。
 ボク達が居るのは、一番東側の、北から2つ目。
 このまま東に突き進めば出られる筈だよ」


 奇門遁甲。
 元々は占いの術だが、兵法として使われた事もある。
 兵法として使われた場合は、入って来た兵を惑わし、閉じ込めてしまう物である。
 人間の行動はある一定のパターンに基づいていて、それを解析する事で標的の動きを全て予測。
 後はその道に罠を張り巡らせておけばいいだけ。
 同じような景色が延々と続き、深い霧や意図的に配置された岩などのレッドへリング…思考を誘導するための偽の手がかりで、陣の奥深くに誘い込む。
 石亭八陣なども、これに分類されるのだろうか。
 この場合は、石亭八陣が正確だろう。
 ユカと汁婆は、見事にそれに嵌まってしまった訳だ。


「多分、普通の陣に加えて、ボク達が予想外の方向に進もうとした時、それを修正するために空間を歪めておいたんだと思う。
 更に不自然さを感じさせないために、幻覚まで使って…。
 厄介な罠だよ…」


 ユカが地面に描いた図を見て、汁婆は思わず唸る。
 なるほど、これは厄介だ。
 右に進んでも左に進んでも前に進んでも、同じような景色が続く。
 明後日の方向に行こうとすれば、幻覚と空間湾曲のコラボで強引に既定の道に放り出される。
 これに深い霧なども追加されれば、抜け出すのは事実上不可能だろう。

 必殺を期すなら、その辺に罠を仕掛けたり伏兵を配置すればいい。
 だがユカと汁婆が相手では、それは攻撃どころか目印を与えているだけになってしまうだろう。


『そうと解かれば、さっさと逃げるぞ。
 いい加減、暗殺者が追いついてきてもいい頃だ』


「うん、もう止血も済んだ。
 早いところ逃げよう。
 ここの暗殺者は…もう放置するしかないね、危険だけど」


 ユカは汁婆に跨り、左手だけで抱きついた。
 右腕も使えない事はないが、あまり力を入れると傷口が開いて血が噴き出す。

 幸いな事に、まだ殺気は近付いて来ていない。
 どうやら、汁婆が突っ切ったルートは、かなりのショートカットだったらしい。
 これだけややこしい罠だ、巻き込まれないためには複雑な手順を踏まねばならないのだろう。


『毒が回らない内に、本隊に合流する。
 もう暫く辛抱しろよ』


「ボクならまだ大丈夫。
 毒の影響は感じられないし、大人しくしてれば血もあんまり出ないから。
 いいから飛ばして!」


 ユカはギュッと目を瞑る。
 汁婆は太陽の位置を見て方角を確認し、再び四足歩行で走り始めた。
 あの支離滅裂な空間に突っ込むのは正直勘弁してほしかったが、怪我人が居るのにそんな事を抜かす汁婆ではない。
 覚悟を決めて、一気に駆け抜ける。


『いくぞッ!』


 一際力強い正楷書体(筆っぽい書体)で書かれたフリップを放り出し、汁婆は前傾姿勢で突撃する。
 先程の経験で、体が思うように動かなくなっていく事は承知していた。
 なので、心中でリズムを取りながら、スキップでもするかのような足取りで走る。
 背後から迫ってくるかもしれない攻撃を警戒しながら、汁婆はこの屈辱を心に刻む。
 今度会う時は、必ず叩きのめす…と。


「…?」


 汁婆の背で揺られながら、ユカは奇妙な気配を感じた。
 敵意ではない。
 不思議と見知った感じがする、だが全く知らない気配だ。
 振り返りたかったが、汁婆はまだ走っている。
 どうやら捻れた空間から抜け切れていないらしい。


(…ボクを……見てる?
 誰…知らない……けど、知ってる…。
 この感じは…?)


 ユカの背中を、誰かが見詰めている。
 誰なのか?
 何のつもりなのか?
 暗殺するつもりなら、今が絶好のチャンスだろう。
 だが、気配からは親しみすら感じるような気がした。


「…あれがユカ・タケウチです。
 …やれますか?」


「…やるよ」


 奇門遁甲陣の中。
 中心付近に、歪んだ空間で隠された小高い丘がある。
 その丘の頂点で、2人の女性が走り去っていくユカと汁婆を見送っていた。

 一人は、小奇麗な服を着た妙齢の女性。
 しかし、服のそこかしこに刃が収められていた。
 何本か無くなっているのは、先程ユカに投擲された小刀が収納されてあったのだろう。


「本当に?
 なら、どうしてここで仕留めなかったんです?」


「…まだ体の調子が完全じゃないから。
 それに、経験もあっちが上。
 もっと確実に倒せる瞬間を作る」


「…そうですか」


 もう一人の女性は、妙に感情の起伏が見られない。
 年齢的には少女と言ってもいい程度だが、妙に幼く感じられる。
 だが、その体には強い力が宿っている事が分かる。
 しかし、その力はどこか脆さを感じさせる力。


「…ユカ…。
 感じてるんだ…」


「何をですか?」


「ん…」


 女性は問いかけに答えず、ユカを見送っていた視線を外して空に投げた。
 ボーッとして、雲を眺める。


「……イノシシ食べたくなってきた…」


「あらあら、もうお腹が空いたんですか?
 じゃあ今日のご飯は牡丹鍋ですね」


「ううん、できれば丸焼きがいい
 あと別にお腹は空いてない」


 雲を見て何故イノシシ、と思った女性だが、疑問を口に出すのは止めた。
 別段知りたいとも思わないし。


「…あのさぁ…」

「はい?」


「空を飛んで、雲の中に突っ込んだら溺死ってするかな?
 水の粒の集まりなんでしょ、雲って。
 湖とかも、水の粒が隙間なくギッシリ詰まってるんだから、原理的には溺死するよね」


「……雲が好きなんですか?」


「うん。
 水の粒々を全部凍らせたら、削る手間のかからないカキ氷とか出来そうだし。
 それにふわふわしてて、羊みたいだし」


 遠い目で地平線を眺めながら、少女の独白は続いた。
 ユカと汁婆は、もう豆粒になっている。
 少女はもう一度ユカの背を見ようと身を乗り出し。


「あ…」

「ああっ!?」


 足を滑らせて転び、ボケっとした声を残して丘を転がり落ちて行った。


 ユカと汁婆は、無事に本隊へ合流する事に成功した。
 命令も出してないのに帰還してきたと聞いたドムは一瞬眉を潜めたものの、2人の容態を見るやすぐに事情を理解した。
 ユカの治療を急がせる傍ら、疲れてはいるが傷は負ってない汁婆から細かい事情を聞いている。


「…そうか、やはり少数精鋭で来たのか…。
 囮にかからぬ訳だな。
 …それで、その暗殺者は?」


『分からん。
 足止めの細工をする余裕もなかった…。
 すまん』


「いや、お前が無理なら誰でも無理だろう。
 よく生きて帰ってきてくれた…」


 ドムの視線の先では、アザリンがユカの手当てを手伝っている。
 親友の前だからか、ユカも無理して笑っているが、意外と受けた傷は深い。
 魔法を使えば、傷はすぐに塞がるが…解毒を優先せねば、毒の効果が活性化されかねない。

 それはそれとして、ドムは自分が遭遇した(と言っても存在を感知しただけだが)敵を、その場で倒せなかった事を悔いていた。
 ユカと汁婆をハメたのは、十中八九あの者だろう。
 しかも奇門遁甲と来たものだ。
 厄介な策を会得している。
 恐らく一人ではあるまい。
 4人、5人…少なくともその程度は、あの敵と同等の力量を持ったのが居る。

 してみると、やはり民衆を分けて送るのは正解だったかもしれない。
 非情かつ不本意な、弱気な決断だが…グループの内、幾らかは無事に到着する事はなくても、全滅はない。
 ドムとしては全員無事に送り届けてやる、ぐらいの意気込みはあるが…何せ相手が相手。
 汁婆すらも手玉に取った敵、流石のドムも確実に勝てるとは言えそうにない。


『それで、俺達はこれからどうする?』


「その罠が張ってあった地点と、兵から偽の情報を受け取った場所を詳しく教えてくれ。
 進行ルートを練り直す」


『ああ、分かった…。
 ところで、あの兵士達は?』


「…お前達に伝令を持っていった兵士なら…行方不明だ」


『何?』


「おそらく、もう…」


 悔しげに首を横に振るドム。
 汁婆も、苛立ちを地面に叩きつける。


『この分だと、大河の方も危険かもな』


「いや、それは問題ない。
 戻ってきた兵が、大河を港町付近で見かけたそうだ。
 …しかし、その大河に伝令を伝えた兵達が戻って来ておらん。
 やはり襲撃されたと考えるべきか」


 重要な情報を持った伝令役を狙うのは、セオリーといえばセオリーである。
 素早く伝令を伝えるため、彼らは少数で行動する。
 専ら最前線一歩手前付近で、将兵達の間を行ったり来たりする危険かつ重要な役目である。
 少数である故に狙われやすく、それ故単純な武力よりも生き残る技術に長けた者が任されるのだが…。
 どうも、今回はそれが裏目に出たようだ。
 敵も同じく少数精鋭、しかも桁外れの実力者らしい。
 大人数で警戒しながら進んだ方が、まだマシだろう。


『民衆達は襲撃を受けていないのか?』


「受けているが、普通の魔物だけだ。
 我が兵団だけで、充分殲滅可能。
 民衆達も恐慌に陥りかけてはいるが、そういう輩は叩いてでも進ませる。
 まぁ、女子供を張り飛ばすのは気分の良いものではないが」


 そう言って、ドムは苦々しげに自分の手を見詰める。
 どうやら、この期に及んで駄々を捏ねだした者が居たらしい。
 それとも、とうとう精神力の限界が来たのか。
 どちらにせよ、ドムとしては不本意な事だったろう。
 だが、当然の処置と言えなくもない。

 一人を甘やかせば、あっという間に伝染してしまう。


「正直、ここまで耐えてくれただけでも僥倖と言える。
 感謝の念が尽きぬほどに…。
 だが、あと一息なのだ…。
 軍人である無しに関係なく、生き延びるために力を振り絞るのは人として、生物として当然の事。
 例え辛いから、怖いからと言って、歯を食いしばるのを止める理由にはならん。
 自分の意思で生きようとするのを止め、抵抗を放棄した存在は自らの生を否定したも同じ。
 人…いや、生在る者は自らの意思で生き、自らの意思で尊ぶからこそ尊い」


『生物が生物である所以、か…。
 だが、それは強者の理屈だ。
 牙を持たない子供にまでその理屈を当てはめるのか?』


「非道と言われようと、現実という場所が誤魔化しの効かぬ世界である以上は。
 確かに人には向き不向きがある。
 だが、不向きなら不向きなりに出来る事はあるだろう。
 嫌だと言った所で、魔物のみならずテストもピーマンも小遣いカットも消えてはくれんよ。
 意に沿わないモノがある以上、誰であろうと戦うという選択肢を持つ事が出来る。
 幼子でも痴呆でも同じだ。
 いきなり生死を分かつ戦場に放り出すというのは、無茶苦茶だがな」


『キライなのか? ピーマン』


「俺は基本的に食に拘りは持たんよ、酒は別だが。
 お前こそ雑食だろうが。

 とにかく、俺は生を放棄するヘタレは好かん。
 一人で生を放棄して朽ちるならまだしも、己が泣き喚く事で他者の足を引っ張っている事も気付かない大馬鹿者など、一から叩きなおしてやりたくなるわ。
 代わりに…」


 ドムは次に出発する民衆の集団に目を向ける。
 母親らしき女性に連れられて、幼い子供が立っていた。
 ぬいぐるみを抱え、涙や埃で所々汚れながらもじっと前を見詰めていた。
 ここまで歩き通しで疲れただろうに、泣き言を漏らしつつも歯を食いしばっている。


「年齢や性別に関わらず、逆境に立ち向かおうとする輩は大好きでな。
 涙を流しながらも歩みを止めない者は例え弱者でも、いや弱者だからこそ心底尊敬に値する。
 力を振り絞るという事を、不屈という魂を持っているからだ。
 …陛下のように、な」


 見詰められていた子供が、ドムの視線に気付いた。
 ちょっと困ったような顔をしたが、黙って頭を下げる。
 ドムは見事な敬礼で応えた。


『…言う事は尤もだがな…。
 そう多弁になる事はないぜ。
 例え民間人に暴力を振るった汚名を着せられても、お前の行動は正しい。
 生き残らせるためには、必要な処置だったろう。
 だから、喋りすぎるのは止めておけ。
 己の中の後味の悪さが、一層増すだけだぞ』


「…お見通しか」


 苦笑するドム。
 人は自分を誤魔化す時には、必要以上に口を回す。
 ドムも例外ではなかったようだ。

 そもそも、ドムとしては民衆に、命を賭ける戦場の理屈を押し付ける事自体が不本意だ。
 今まで恐慌を起こさず、黙って歩いてきた事こそ、民衆が戦っている証と言える。


 それはともかく、ドムは目の前にある地図に若干の修正を加えていく。
 汁婆から受け取った情報を元に、新しい進軍ルートを打ち立てているのである。
 ユカ・汁婆が戦力から抜けてしまったのは痛いが、まだ不可能になった訳ではない。


『後方の様子はどうだ?』


「どうやら、タイラーの部隊と合流したらしい。
 損害も出たようだが、何とか追撃する魔物は全滅させる事が出来たそうだ。
 油断は禁物だが、追い立てられる事はなくなったと思っていいだろう。
 それ以上の報告はまだ来ておらん」


 舌打ちする汁婆。
 だがまぁ、これ以上を求める必要も無いだろう。
 セルの安否は気にかかるが、知った所で何もできない。


「汁婆、平原での偵察を頼む」


『走り回れってか?』


「いや、風下に立って匂いに重点を置いてくれ。
 いかに暗殺者と言えども、匂いまでは消しきれまい。
 言わばレーダー役だな」


 多少地味な役割かもしれないが、汁婆は頷いた。
 先程嵌められた罠では、暗殺者の匂いは全くしなかった。
 だが、それは一箇所に留まっていたからだろう。
 今日は日差しも強く、長距離を移動するとなるとそこそこ汗を掻くのは間違いない。
 香水の類を使って匂いを消そうとし、なおかつこびりついた血の匂いが感じられれば、それが恐らく暗殺者だ。


「全避難民を送り届けるまで、あと半日と言った所か…。
 そろそろ港町に、あれが到着する筈だがな…」


14日目 午後 港町


「リリィさん、見つけた?」


「いえ、収穫は無しよ。
 リコは?」


「同じく。
 ダリア先生?」


「ん〜、ちょっと怪しいのなら」


「本当ですか!?
 行ってみましょう!」


「でもぉ〜、その人が何処に居たか忘れちゃったの。
 適当にうろつきまわってる時に、偶然見つけたから」


「「「思い出しなさい!」」」


 怒鳴りつけられて、泣き真似をするダリア。
 この忙しい時に、とリリィは溜息をついた。
 彼女の仕草は、自分達をリラックスさせるための物と理解してはいる。
 実際に緊張を程よく抜いてくれているが、正直苛立たしいとも思う。


「マスター、ご主人様は何と?」


「追加の連絡は無し。
 魔物も発見できないって言うからには、やっぱり内部に居るんじゃないかな」


 現在、港町に到着した船から降りた未亜達は、大河から緊急の連絡を受けて港町の調査に乗り出している。
 到着の少し前に唐突に大河から未亜へ通信が入り、港町に内通者か工作員が入り込んでいる可能性がある、と言ったのだ。
 竜巻を起こした事に関して色々と詰問しようと思っていた未亜だが、流石にそれ所ではない。
 すぐにリリィに頼み、テレパシーでリコとダリアにも内通者の可能性を伝える。

 港町に到着し、色々と作業に入る作業員の皆様への労いもそこそこに、すぐさま街の中を走り出した。
 船には、港町に到着した避難民が続々と乗り込んでいる。
 とは言え、所詮船は船。
 乗せられる乗員数にも限りがあるし、それ以上にスピードが風任せな部分がある。
 今は間に合っているが、もう少しすれば避難民が大挙して押し寄せてくるだろう。
 そうなったら、港町に収まりきらなくなってしまう。
 そうなる前に、次の工程を完成させねばならなかった。
 まぁ、その辺は作業員の皆様の領域だ。

 とにもかくにも、未亜達は内通者を探して走り回っているのである。


「ところで、内通者を見つけたらどうしよう?
 ……その、流石に…殺す…っていうのは…」


「………」


 未亜が苦しげに言うと、リリィも口元を歪めた。
 何だかんだと修羅場を潜り抜けてきたが、人間を相手に殺し合いをした事など一度として無い。
 例え“破滅”に強力していると言えど、未亜にもリリィにも「人殺し」という行為は受け入れがたかった。

 苦虫を十匹ほど纏めて噛み潰したような表情の2人に、ダリアがお気楽に声をかける。


「だぁいじょうぶよ〜、殺さずに生け捕りにしちゃいましょ?
 “破滅”の民の尻尾を握れるチャンスなのよ。
 とっ捕まえて、色々尋問とかゴーモンすればいいじゃない。
 カワイイ女の子だったら、未亜ちゃんに任せるって言う手もあるわよ?」


「いや、それって条約違反なんじゃ…」


 にこやかな笑顔のダリアに、遠慮がちに未亜が突っ込む。
 Sモードが作動しない事を多少意外に思ったが、確かに条約違反だ。
 性的虐待である。


「う〜ん、でも“破滅”を相手に条約なんか結んでないしぃ。
 “破滅”の民なら嬲り殺しにしてもいいとは言わないけど、飴とムチは有効よ?
 それに、状況が状況だから多少の無茶も許されると思うの」


 何せ、人類が滅びるかどうかの瀬戸際だ。
 山賊行為に走る者は処罰されても、敵から情報を引き出すための行為にはそうそう処罰は付くまい。
 まぁ、無駄に苦痛を与えたり虐待されたりと言うのは、充分に処罰の対象だろうが…。


「そんな事より、ダリア先生が見たっていう怪しい人の所へ案内してください。
 まさか本当に忘れたとは言いませんよね?」


「う〜ん…ぢつは、ちょっと曖昧…」


「…それでもいいから、とにかく案内してください…」


 などと言いつつ、しっかりした足取りで歩くダリア。
 これなら多分大丈夫だろう…と思いたいが、ダリアの事だから自信満々に見えても、適当に歩いているだけって事も充分在り得る。


「それで、どう怪しかったんです?」


「どーもこーもdocomoも、窓の外を見ながら壁に何か刻んでるのよ?
 あれって練成陣よ、きっと。
 こう、パンって手を合わせて…」


「はいはい、銅像でも大砲でも作ればいいでしょ。
 で、明らかに何か小細工していた、と…」


 これは当たりか?と、気を引き締めるリリィ。
 時刻を見ると、結構な時間が経っていた。


「ダリア先生、船の出発時刻は?」


「見切りであと40分前後って所かしら。
 船が定員ギリギリになったら、その場で出発するわよ。
 その時になったら、船に一人ずつ護衛として乗船してね」


「こっちはどうするんです?」


「私がどうにかするわよ〜w」


 事も無げに言うダリア。
 これを聞いた3人がどういう反応をしたかは、書き記すまでも無いというものだ。

 だが実際には、ダリアとしては個人プレーのやり易い。
 未亜達に知られたくないような手段も大っぴらに使えるし、何よりも彼女は敵を殺す事に躊躇が無い。
 例え相手が人間でも。
 そこが救世主候補達との決定的な違いである。


「それで、どういう順番で乗り込みますか?」


「あ、次の角を右にね。
 う〜ん、順序としては…まずリコちゃん。
 それから未亜ちゃん、リリィちゃん。
 最後に私…と言いたい所だけど、戦力的に考えると…私が一番最初なのよねぇ」


 いい大人が真っ先に逃げ出すみたいだけど、と困った顔をするダリア。
 彼女がいい大人かどうかは脇に置くが、リコとしてはダリアの判断に賛成だ。
 これから港町は、避難民を収容しつつ敵を寄せ付けないという篭城戦に入る。
 当然、港町の塀の内側からの攻撃が重要になって来るわけだが…この点では、誰が最初に行こうと大差ない。
 ダリアも攻撃魔法はそこそこ使えるし、他の3人も遠距離攻撃が専門だ。
 リコは多少事情が違うが、何なら久々にリコれーざーをブッ放すのもいいだろう。


 だが、船の上での戦闘となると、これまた話が違ってくる。
 レビテーションはダリアの18番だ。
 リリィでさえ足元に及ばない程のスピードとコントロールで、空中戦を楽々とこなす。
 故に、先鋒を務めるのは彼女が適任だ。
 伏兵が潜んでいた時、船から先行して奇襲をかける事も出来るし、後続の船にテレパシーで危険を伝える事もできる。

 2番手リコも同じ理由だ。
 空中戦はリリィ以上に得意だし、テレポートも出来る。
 海洋生物を召喚して、海中に何か居ないか監視させる事も出来るが…実際、襲われる危険性は初手よりも大きい。
 初手の船の存在に気付いて追いかけるよりも、2番手の船を待ち伏せる可能性が高いと考えられる。

 次に未亜だが…彼女は飛べない。
 よって、極力飛ぶ必要がない港町の防衛を担当する。
 彼女の弓は、篭城戦では強力な戦力である。
 使わない手はない。
 …多少コントロールが不安だが。

 で、リリィだが…彼女はちょっと事情が違う。
 後から到着する、奥の手に乗り込んで護衛するのだ。
 純粋な攻撃力と狙いの正確さでは、このパーティの中では郡を抜いている彼女である。
 高速で移動する『奥の手』の上では、彼女以上の適任は居ない。


「とにかく、早い所その不審者を見つけないと…。
 あ、ダリア先生!
 ひょっとしてこれって…」


「あら?」


 ダリアに付いていく途中、リリィが唐突に壁を指差した。
 首を傾げて覗き込むダリア。
 そこには、明らかに最近着けられた傷跡…魔法陣が描かれていた。


「これ…ひょっとして、ダリア先生が見た小細工…」


「…っぽいわねぇ…。
 考えてみれば、私が見た一箇所だけにしか仕掛けてないって事はないものね。
 とにかく、解析してみましょ?
 リリィちゃん、お願い〜」


「…自分でやろうと思わないんですか?」


「だってぇ〜、餅は餅屋って言うじゃない。
 だからリリィちゃん、ハイ」


「…そういう事なら、私よりもリコが専門です。
 陣を使う術は、あまり詳しくないので…。
 リコ?」


「はい」


 リリィに呼びかけられて、リコは魔法陣を覗き…こめない。
 背の高さがちょっと足りなかった。


「ん……ん…しょ…っと」


 壁に張り付き、爪先立ちして魔法陣を正面から見ようとするリコ。
 限界まで爪先立ちすれば、何とか見えるのだが…そうすると、当然バランスが崩れて魔法陣を見る所ではない。
 それでも意地になったように爪先立ちを繰り返すリコは、微妙に癒されるものがあったかもしれない。

 もうちょっと見ていたかったダリアだが、時間が無い。
 後ろからリコを抱き上げた。


「あ、どうも…………すいません、やっぱり下ろしてください。
 マスター…いえ、リリィさんお願いします」


「え〜どうして〜?」


 素直に礼を言おうとしたリコだが、急に顔を厳しくしてダリアを拒絶。
 不満そうなダリアと、急に矛先を向けられた未亜とリリィは首を傾げる。
 まだ抱き上げられたままのリコは、不機嫌そうな顔で後ろに肘を突き出した。


ふにょん


「あん♪」


「何でって、何でって!
 このふにょふにょして自慢ったらしい塊のせいに決まってるじゃないですか!
 無闇に柔らかいから、返って安定しないんですよ!
 だからもっと「ちょっとリコ」…は?」


 くる、と首を動かしてリリィを見るリコ。
 そこには…肉食獣が立っていた。


「それは…私の胸が未亜より小さいって言いたいのかしらああぁぁぁぁぁぁ!?」

「ヒッ!?
 じ、事実は事実ですよ!?
 間違った事なんか言ってませんよ!?
 リコちゃんは悪くないですよ!?」


 ビビリながらも、リコのフォローに入る未亜。
 だが、リリィにギロリと睨みつけられて竦みあがった。
 完全に肉食獣、狩猟者の目だ。
 と言うか、既に黒ヒョウモードが発動している。
 考えてみれば久々だ。


「普段はそうでも、今は違うわ!
 ネコになれば未亜と同等、黒ヒョウになれば未亜よりは大きいんだからね!?」


「なっ!
 そ、それはドーピングです!
 ルビナスさんが手術して、シリコンを埋め込んでるんです!
 そんなのは同じ女として認められ……認め…ません、今は!」


「マスター、その間は何ですか?」


「……中には…ペチャに耐えられない人も居るもの…」


 リリィからもリコからも視線を逸らして、ボソリと呟く。
 確かに豊胸手術を認めない女性は、小さいのに耐え切れないという悲哀は理解できまい。
 認めないという事自体、その悲哀に耐えられていると言う事だ。
 リコもリリィも、一旦休戦して天を仰いで涙を流す。

 ダリアも一応涙を流した。
 小さいのに耐え切れないという悲哀は解からなくても、純情だった(比較的)少女時代は、彼女にとって大きすぎる胸はコンプレックスだった……前世の前世のそのまた前世、原始時代以前の話だが……ので、身体的な欠陥(特徴)に耐えられないという悲哀は分かる。


「とにかく、黒ヒョウになったら私より大きいなんて、そんなの認めません!
 それは一旦脇に退けるとして、黒ヒョウからノーマルにチェンジしてリコちゃんを支えればいいじゃないですか!」


「うっさいわね、元はといえばリコが…………リコ…。
 レビテーションするなら、最初からそうしなさい…」


 2人の舌戦を他所に、リコはさっさと宙に浮かんで魔法陣を見入っていた。
 ヘタに首を突っ込んだり仲裁しようとすると、とばっちりが飛んでくるだろうし…よい判断である。


 で、結局。


「…確かに魔法陣です。
 恐らくは幻覚を見せるような…」


「…内部に害を与える陣じゃないのね?」


「はい。
 少なくとも、物理的な破壊力を伴うものではありません。
 単純に考えれば、避難してきた人々を魔物の群に見せかけるのではないかと思われます」


「…胸糞悪い真似を…」


 吐き捨てるリリィ。
 しかし、効果的な策である事は間違いない。
 例え騙されていたとしても、それで被害を受けた…殺された者、その親しい者は強い憎悪を抱くだろう。
 必死に逃げてきてようやく安全地帯に辿り着いたと思ったら、その安全地帯から攻撃を受ける…。
 裏切られたと思っても無理はない。


「ねぇ、こっちにも同じのが書いてあるよ!?」


「傷を付けてください。
 こういう魔法陣は、ちょっとでも間違っていたらすぐに機能しなくなります。
 幸い蓄えられている魔力も少ないですし、暴発の危険もありませんから」


「それじゃあ、私は港の責任者に知らせてくるわね〜。
 内部に工作員が居るって知られるとパニックが起こるけど、何もしない訳にはいかないし」


「お願いします。
 リリィさん、マスター、魔法陣を見つけた端から潰してください。
 私は適当な魔物を呼んで、それらしき人物を探します」


「分かったわ。
 多分まだ近くに居るから、気をつけるのよ!
 あ、それと未亜、後で決着つけるからね」


「かかってきんシャイ!」


「誰ですかマスター」


 四人は頷きあって、それぞれの方向に駆け出して行った。


 さて、3人と別れたダリアだが…。
 リリィ達に言ったのとは裏腹に、角を一つ曲がった所で足を止めていた。
 その目は相変わらず笑っているようだが、宿る光はひどく剣呑である。
 しかも、その体からは…所謂、透明な殺気が放射されていた。

 普通の殺気は、ちょっと神経が鋭敏な者なら感じ取る事が出来る。
 達人一歩手前の人間が放つ殺気は、よほど鈍い者でない限りプレッシャーを感じる。
 しっとする女が放つ殺気は、無条件で死の危険を感じさせる。
 そして、ある一定以上の力量を持っている者の放つ殺気は、返って普通の人間には感じられない。
 本物の達人はその力を感じさせないと言うが、殺気もそれと同じである。

 これを感じ取る事が出来るのは…同じように、透明な殺気を放てる程の実力者のみ。


 ダリアは懐からナイフを取り出し、未亜達が見えなくなったのを確認して窓際に戻った。


「さて…いい加減に出てらっしゃい?
 ここから先は、オトナの時間。
 お子様達には、見せられないでしょう」


「………子供は我々が思っているよりも大人ですよ…」


 ダリアの声に応え、何処からともなく現れる。
 都市用の迷彩服を着た、男とも女ともつかない成人。
 その顔は、妙な仮面で覆われている。
 …ラウ・ル・クルーゼの仮面ではない。
 彼の顔を模したお面を被っている。
 何を考えてそんなモノを被っているのかは、誰にもわからなかった。


「あら、素直に出てくるのね。
 …一人だけは!」


 ダリアは惚けた表情を一変させ、素早く頭を下げた。
 それと同時に、一瞬前まで頭があった位置を貫き通す黒い線。
 間髪居れずに、ハイヒールを履いた足を背後に叩きつけた。
 しかし、手応えはない。
 構わず今度は壁を蹴り、三角飛びの要領で天井近くまで跳ね上がる。

 見下ろし、確認する。
 手勢は2人。
 どちらもお面を被っていて、顔は見えない。
 服装は同じ。
 武装…少なくとも黒く塗ったナイフを一本ずつ。
 光を反射しないように造られたナイフは、先程ダリアの頭を狙ったものだろう。

 単なる迷彩服では無さそうだ。
 暗器を仕込めるスペースが山ほど見て取れる。

 後ろから襲い掛かった者の靴音がしなかった事から考えて、靴にも何か仕掛けをしてあるだろう。
 他には…少なくとも予備のナイフが数本、鋼糸を持っている可能性も高い。
 口の動き及び呼吸の仕方からして、含み針は無さそうだ。
 目晦まし用の閃光弾なり煙球なりも持っている筈。


(これは…思ったより厄介ね…)


 一人がダリアに向けてナイフを投げつける。
 ダリアはマントに魔力を篭めて対刃能力を強化し、これを包み込んで止めた。
 そのまま更にマントを振るい、投げつけられたナイフをもう一人に向かって放り出した。

 ダリアの着地地点に先回りしようとしていた工作員は、咄嗟にナイフを払い除ける。
 やはり、ヘタに持つと何かの仕掛けが発動するようだ。

 払いのけた隙を付いて、天井を蹴ってダリアが着地。
 見かけ以上によく伸びる足を振って、工作員その1の足元を狙う。
 工作員その1は飛び退いて避けた。

 だが、その2は既に攻撃の準備を整えていた。
 ダリアの視界から外れた一瞬を逃さず、死角から一気に近付く。
 その手のナイフが一直線に突き出される瞬間、ダリアはまるで後ろに目があるように体を逸らした。
 突き出されて死に体となった腕を取り、ダリアは立ち関節をかける。
 だが、折れない。
 その隙を逃さず、その2はもう一方の手でナイフを持って突きかかる。
 普通の工作員なら、これは避けられない。

 だが。


「あん♪」


 ふにょり


 一瞬だが工作員その2の動きが鈍る。
 ダリアの常識外れに巨大な胸に手が当たり、そっちに意識が行ってしまったようだ。
 アホらしい手段だが、これで結構有効である。
 不意打ちになるし、男なら大抵はそのサガで、女なら泣きたくなるような戦力差で一瞬だが意識が飛ぶ。

 それで鈍ったスピードはほんの僅かだったが、ダリアにはそれで充分。
 片手を離して、後ろに肘を突き出す。
 鳩尾を狙った一撃は、正確に吸い込まれた。
 その反動で更に腕を動かし、もう一発肘打ち、更にスナップを効かせた裏拳を顔面に叩き込む。

 そして、すぐさま体を入れ替えてその2の体を、工作員その1との間に放り出した。
 組み合って動けなくなったダリアを狙っていたその1は、慌てて足を止める。


「喰らいなさいッ!」


 その隙を逃がさず、ダリアは呪縛の魔法を放つ。
 お互いに、派手な魔法は使えない。
 工作員としては、ここで騒ぎを起こせばこれ以上の工作が出来なくなるし、ダリアとしては、未亜達に戻って来てもらっては困る。
 人間同士の殺し合いをなるべくさせたくないと言うのもあるが、それ以上に足手纏いだ。
 魔物としか戦った経験のない彼女達では、工作員1&2の素早い動きには対応しきれまい。
 カエデ辺りなら話は別だが。

 呪縛の魔法をかけられた工作員2人は、その術が完成する前に魔力を練る。
 その波動により、一瞬だが呪縛の魔法の力が弱まる。
 そこを逃さず、工作員その1は魔力を乱す作業を続け、その2はその乱れから脱出。
 呪縛の魔法が締めに入る直前に、ダリアに向かって腕を振った。

 咄嗟に首を捻るダリア。
 目前を、重い何かが通り抜けた。
 そして首に何かが触れる感触。


「このっ!」


 ダリアは魔力を篭めた手刀で、首付近を切り払った。
 糸を切る感触。
 一拍置いて、硬くて重い何かが壁に激突する音がした。

 工作員その2が投げたのは、どうやらヨーヨーのような代物だったようだ。
 しかし、ただのヨーヨーではない。
 本体に当たる部分は少なく見ても50キロはありそうだし、糸に巻きつかれた首からは血が流れている。


「ふぅ、やっぱりカンが鈍ってるわねぇ…。
 お気楽な学園暮らしが長かったし…」


 ボヤきつつも、ダリアは余裕である。
 王家直属の諜報員、その中でも最高峰を誇る(部下達にも信じられないが)彼女の実力を舐めてもらっては困る。
 直接戦闘は専門ではないものの、それは彼女がそう言っているだけであって、彼女は部下達の誰よりも強い。
 特に生き残る事にかけては、空前の実力を持っていると言っていいかもしれない。

 その彼女が。


「さて、そろそろ反撃に出てもいいかしら?
 ようやく感覚を思い出してきたしね」


 反撃に出る。

 誰ともなく呟くと共に、懐…と言うか胸の谷間から、小さな玉2つを取り出す。
 文殊ではないので悪しからず。
 ……彼女が『巨乳』と入れたらどうなるだろう?
 リコが入れたら?

 警戒し、同時に逃げ道を探す工作員1&2。
 正しい判断だろう。
 彼女を逃せば、自分達の存在もばれるが、これ以上の工作は既に望めそうにない。
 ここは適当にあしらって、さっさと逃げるのが吉と言うものだろう。

 逃げ道を逸らした一瞬の事である。
 それこそ、PCで言えば1クロック以下の時間。
 たったそれだけの時間、ダリアから意識を逸らした。
 次の瞬間には、既にダリアを視界に捕らえている…筈だった。


「「!?」」


 だが、目に入ったのは銀色の玉。
 ダリアから意識を逸らしたたった一瞬を逃さなかった。
 恐らくは、取り出した玉を指弾で弾き飛ばしたのだろう。
 見事に視界を覆い隠すそれを、僅かに顔を逸らして受ける。
 そのままであれば、お面の穴を通り抜けて目に直撃したであろう銀玉は、お面に新しい穴を開けて顔を痛打するに留まった。
 かなり痛いが、我慢できる。

 だが、それよりも。


「「…!?」」


 2人は背中合わせに立って、周囲を警戒する。
 ダリアが居ない。
 視界を塞がれたのは、ほんの一瞬。
 だが、そのほんの一瞬でダリアの姿は完全に消えていた。
 逃げたのか?
 ノー。
 工作員1&2のカンは、『自分達はここで死ぬ』と言わんばかりに喚きたてている。
 ここに居る。
 自分達が発見できないだけで、彼女はここに居る。

 工作員達の背中を、イヤな汗が伝う。
 ここは逃げるべきだ。
 だが、何処から?
 窓から、別の廊下から、或いは穴を開けて下の階、上の階から。
 しかし、何処から行くにしても隙を見せねばならない。

 そもそも、彼女は何処に隠れている?
 ここはただの廊下だ。
 壁に多少の凸凹はあるが、隠れられるような場所ではない。
 では、曲がり角から?
 それなら、こちらに接近するまで多少の時間があるが…気配が全く無い。
 天井にヤモリの如く張り付いているのでもない。
 何処にも姿が見えない。


「くぅ…おい、ここは……おい?」


 工作員2は、一か八かで窓から飛び出そうと決断した。
 別々の窓から飛べば、どちらか一人は逃げられるだろう。
 相棒に声をかけようとして、反応が無い事に気付いた。

 振り返ろうとした。


「!」


 瞬間に、首筋に違和感。
 呼吸が出来ない。
 そして、何を理解する間も無く意識が暗転した。

 地面へ倒れていく。
 工作員は、何をされたのかすら解からなかった。

 意識を失う瞬間に。
 隠れていた3人目の工作員が、額を貫かれて息絶えているのが見えた。



書ききって読み返してみましたが…展開が詰まってるなぁ、とシミジミ思う時守です。
もう暫くこの調子が続きそうでアタマ痛いッス…。
いっそ8月中だけでも、週2回の投稿に切り替えてやろうか…などと画策する始末。
いや、実を言うと既に5話以上ストックがあるんです。

それではレス返しです!


1.アト様
他のメンバーじゃ、マトモな意見なんて出ませんからねぇ…。
UMAが一番常識人ってどうでしょ?
まぁ、多少偏った意見だったかもしれませんが。

剣の投擲は、一度はやってみたいシーンでした。


2.アレス=アンバー様
本当にドコまで続くんだろう…。
気楽な学校生活が懐かしいです。
あぁはっちゃけたい!
でもネタが無い!
今回なんてダリア先生までシリアスだし!
世界が滅ぶ!

ベリオは…さて、何をつけようかなぁ…。
やっぱり大河と再会して、ナニしてる時にいきなり…が定番かな?
見ないで、と言いつつ弄ばれたりw


3.イスピン様
ネタがそろそろ尽きてます…。
しかし、未亜はオヤシロモードを生来備えていそうですな。

V.G.はプレイしたでしょうか?
個人的にはプレステのV.G.が懐かしいのですが。

足の裏で呼吸する生物…そんなのが居たような気がするな…。
足の裏に耳がある宇宙人なら、ペンギン村に居たと思いますが。

4.カシス・ユウ・シンクレア様
まぁ、UMAでも経験豊富なオスって事でしょうね…。
ドム提督は…あの人の新婚生活は想像できん…。
女性を口説くにしても、戦場辺りでさりげなくやってそうだなぁ…。
武骨で誠意溢れる対応をしてくれるでしょうが、流石に相談できませんね。

ヤマモト君とシア・ハスについては、今後どうしようか迷っています。
言ってはなんですが、本気で出番が…。
進行の遅さは、亀っつーよりナメクジ並ですね。

実際、ルビナスはベリオのボディに細工してます。
前に「余計な機能を人知れず付けている」とか書いた覚えがありますしw


5.なまけもの様
フタナリが萌えですか?
それともエロ?
と言うか、未亜辺りが素足かハイヒールででっかくなったのを踏みつけそうな気が…。

また伏線を増やしてしまい、回収できるか戦々恐々としています。


6.根無し草様
UMAを舐めたらいけませんねぇ。
と言うか、誰を相手に経験を積んだのでしょう?
やはり牧場の馬?

“破滅”側も動かさないと、アッサリ通ってしまいそうです。
でも名前のあるキャラは出さない時守…。

ヤマモト君とシア・ハス。
何だかこの2人が妙に人気がありますね?
やはりアレですか、周囲がイカれた連中ばかりなので、この2人がオアシスに見えるのでしょうか。


7.舞ーエンジェル様
摂取するなら塩分よりもアルコールがいいですよ!
…私、いつか肝臓がエライコトになるかもしれません。
いやマジで。

しかしBALDBULLET "REVELLION゛は、2002年に発売したBALDBULLETのリメイクなのでは…?
いや、やった事ないから時守的には新作と同じですが。
時間と資金に余裕があったら買おうと思ってます。
…しかし、それで登場キャラが更に増えたら手に負えません…。

実際、破滅の将は半分リアイヤ状態なんですよね…。
無道はお陀仏してるし、シェザルは汁婆に蹴り飛ばされて行方不明。
ロベリアは無道を生き返らせてる最中でしょうし…どうしたものか…。


8.神〔SIN〕様
む、楽しみにしていたのでちょっと残念です…。

V・S・Sと謝華グループですか?
繋がりがありますよ、勿論。
無道とシェザルの登場は…この先、でっかい山を二つほど越えたら出ると思います。
シュミクラムは、2話後のお楽しみと言う事で。
エンジェルブレスは、お店で見かけません。
クロス作品、勿論面白くて仕方ありません!
銀魂のキャラ性が大河達に見事に伝染していて、とてもマッチしていますw
バルトのキャラは…もう暫く待ってください、四苦八苦してます。


9.なな月様
時守も似たよーな生活サイクルです。
大学4年ともなると、どーにもね…。
夏休みだし。

やはりユカはギリギリ境界線を彷徨うのがいいですね。
くっつくにしても、当分先になる事でしょう。

うむ、お約束ですね。
怪しい喋り方。
そして見事に引っ掛かる主人公サイドw

大河は最近シリアスモードばかりだったので、微妙にイロモノから外れていた気もします。
こんなの大河じゃなーいと叫びたいw

ヤマモトは…死亡フラグよりも、出番終了フラグが…(汗)

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