終業を告げる鐘の音と共に、ハルヒは砲弾のような勢いで教室を飛び出した。その両手に僕とキョンを文字通り引き摺って。
視界の端で米粒のように小さくなった朝倉が僕達の名を呼んでいる。そう言えばまだ、ホームルームが済んでいない。
……良いのかなぁ。
「良いのよ」
僕の呟きを両断し、ハルヒは早足で廊下を進む。哀れむような周囲の視線が中々痛い。八つ当たり半分で訴えるぞ。そして勝つぞ?
「どこ行くんだよ」
キョンの当然の疑問に、
「部室っ!」
八方から注がれる奇異の視線を物理的に蹴散らしながら歩を進めつつハルヒは短く答え、後は沈黙を貫いた。流石に男二人を引っ張り歩くのは体力的に些か辛いのかもしれない。ハルヒ、逃げやしないから取り敢えず手を離そうよ。
渡り廊下を渡り、一階まで下り、一旦外に出て別校舎に入り、また階段を上り、薄暗い廊下の半ばで漸くハルヒは立ち止まった。
此処は文化系部の部室棟、通称「旧館」。美術部や吹奏楽部のような特別部室を持たないクラブや同好会の部室が集められた、夏の夜に何かが出てもおかしくないような旧校舎。以前僕が仮入部しようと思ったがハルヒに捕獲されて結局行けず終いだった漫研もこの棟の一階にある。
そして僕達の目の前には一枚のドア。「文芸部」と書かれたプレートが斜めに傾いで貼り付けられている。
「ここ?」
「ここ!」
問う僕に、ハルヒは息を弾ませながら頷いた。ちなみに此処に来るまでの間、ハルヒが僕達の手を離す事は遂に無かった事をここに追記しておく。
「……涼宮。俺の眼が正しければ、そこのドアには「文芸部」と書いてあるように見えるんだが?」
プレートを指差しながら、キョンがハルヒにジト目を向ける。安心してくれキョン、僕の眼にも確かに「文芸部」と映っているから。
「今年の春に三年が卒業して部員ゼロ、新たに誰かが入部しないと休部が決定していた唯一のクラブなのよ。……で、」
言いながら、ハルヒはノックもせずにドアを引き、遠慮も無く入って行った。
十数畳程の部屋の真ん中に、長テーブルが無造作に配置されている。隅に置かれた空の本棚は天井や壁に走る亀裂と相成って、何とも言えない物淋しさを醸し出していた。
そしてこの閑散とした風景に溶け込むように、眼鏡を掛けた髪の短い少女がパイプ椅子に腰掛けて分厚いハードカバーを読んでいた。
「ーーあのコが一年生の新入部員」
「てことは休部になってないじゃないか」
「紹介するわ。彼女は有希、我がSOS団の記念すべき四人目よ」
「いや聞けよ」
名前を呼ばれ、有希なる文芸少女は一瞬だけ顔を上げた。それなりに整った顔には何の感情も浮かんでおらず、人形めいた雰囲気が存在感を希薄にしている。いてもいなくてもきっと気付かない、身も蓋も無い言い方をすればそんな感じだ。
一瞬、僕の脳裏に朝倉涼子の顔が浮かんだ。仮面じみた微笑みと、人形めいた無表情。一見すれば対極に位置しているような二人の表情だが、無機質的という意味では非常によく似ている。
朝倉とは違った意味で、この文芸少女はロボットに似ている。感情をまだ知らないロボット、という表現が一番しっくりくるだろうか。
そんな事を僕が思考している間に、この騒がしい覧入者への興味が失せたのか、有希は手許のハードカバーへと視線を戻していた。
ところで、ハルヒがいきなり名前呼びした為に僕もキョンもこの文芸少女の名字をまだ知らない訳だけど、その辺りはスルーしてしまっていて良いのだろうか?
「涼宮まさかとは思うが、……部室欲しさに何の関係も無い文芸少女を毒牙に掛けたのか?」
「そんな訳無いでしょ。この部室は言ってみれば棚ぼた、お菓子のオマケみたいなものよ」
キョンの身も蓋も無い一言に、ハルヒは心外とばかりに眉間に皺を寄せる。
というかハルヒ、毒牙云々は否定しないんだ。
「あたしね、萌えって結構重要な事だと思うのよね」
……今、何か幻聴が聴こえた。
「王道としてはロリとか巨乳とかドジっ娘とかなんだけどね、最近ではこういう無口で眼鏡でミステリアスな文芸少女も結構需要が高いのよ」
幻聴じゃなかった。というかハルヒ、需要って何さ。
「……涼宮、つまり何か」
頭痛を堪えるように額に掌を当て、もう片方の掌をハルヒに向けてキョンが口を開いた。
「ーーお前はこの某有希さんとやらが無口で眼鏡で萌えだったからという理由なだけで、SOS団なる正体未定の同好会に部室ごと引きずり込もうとしているのか?」
「そうよ。こういう無表情系キャラも必要と思って声掛けたんだけど、部室までついてくるなんてラッキーだったわ」
キョンは両手で頭を抱えて黙りこんだ。その気持ちは解らないでもないが、情けないぞツッコミ担当。
「王道の方もちゃんと目星はつけてるから、そっちの方は安心して」
何を安心すれば良いのかは僕には解らなかったし解らない方が良い気もしたが、ツッコミ役が沈黙していた為に結局解らないまま流されてしまった。
ちなみに二人の話題の渦中にある件の文芸少女某有希だが、これだけキョンとハルヒが大騒ぎしているのに顔を上げようともしない。たまにページを捲る指先だけが、彼女の時の動きを僕達に知覚させている。僕達の存在を完璧に無視して読書に没頭している様は、行きつけの和菓子屋の店先でドラ焼きを吟味する某猫型タヌキの背中に通じるものがある。
それにしても、本当にこの娘の名字は何なのだろうか。流石にいきなり名前呼びは拙いと思う、何となく。
僕の心の声が通じたのか、文芸少女は予備動作無しで再び顔を上げ、眼鏡のツルを指で押さえた。その何気無い仕草が何となく格好良く見えて、今度真似してみようと密かに決意を固めたのは全くの余談だ。
「長門有希」
初めて彼女が口を開いた。それがフルネームらしい。感情の欠片も無いような平淡な声だった。
「……長門さんとやら」
漸く復活したらしいキョンが口を開いた。
「こいつはこの部屋を何だか解らん部の部屋にしようとしているんだが?」
「いい」
何やら説得を試み始めたキョンの言葉に、長門はタイムラグ無しで返答を返す。
「しかも萌えとかいう訳の解らん理由でお前自身も頭数に数えられてしまっているんだが?」
「そう」
「多分、いや絶対物凄く迷惑を掛けると思うぞ」
「平気」
キョンの説得に即答を返しているが、えらく無感動な応対だと思う。心の底からどうでも良いと思っている、そんな感じだ。そんな事を考えながら僕はキョンと長門有希を交互に眺めていたのだが、気がつけば長門の方はハードカバーに視線を戻していた。本当にどうでも良いらしい。
「ま、そういう事だから」
ハルヒがキョン達の会話に割り込んだ。こちらの声はやたらに弾んでいる。
「そうと決まればこうしちゃいられないわ! 今、必要なものを揃えてくるから。待ってなさい!!」
言うや否や、ハルヒは陸上部が是非我が部にと勧誘したのも頷けるスタートダッシュで部室を飛び出した。右手に僕の手首を握り締めて。
……あれ?
違和感に気付いた頃には既に時遅く、僕は風になっていた。ハルヒに引っ張られて。
「……ハルヒ、何故今僕は風になっているんだろう?」
「荷物持ちの為よ!」
婉曲的な僕の問いにとても解り易い返答を返し、ハルヒは更にペースを上げる。
薄暗い廊下を駆け抜け、階段を二段飛ばしで下り、一旦外に出て本校舎に戻り、二階まで上り、マナーを無視して職員室前の廊下を爆走し、辿り着いたのは生徒会室前。疲れた。
……ところでハルヒ、まさかいきなり殴り込むつもり?
「そんな訳無いでしょ。こっちよ、こっち」
呆れたようにハルヒが指差したのは、生徒会室横の物置代わりの空き教室。
「準備も整わないまま敵陣に乗り込むような下手を打つつもりは無いわ。まずはこちらの態勢を完璧にしてからじゃないとね」
意気揚々と引き戸を開けて中へと入り込むハルヒの背中を追って、僕も薄暗い空き教室へと足を踏み入れた。何やら物騒な科白を聴いたような気もするが、精神衛生の為に取り敢えず聴かなかった事にしておく。
埃っぽい教室の壁際にはダンボール箱が高く積み上げられ、外光が遮られた薄暗い空間に長テーブルやパイプ椅子、体育祭用と思われる和太鼓やどう見ても神輿としか思えない用途不明の物体が周囲の勉強机を押し退けるように鎮座している。
そしてハルヒが何をしているのかと目を向けてみれば、手当り次第にダンボール箱をひっくり返しては中身を漁るという空き巣紛いな作業の真っ最中であったりする。片付けは自分でしてよね。
「ーーあっ、あったあった」
嬉しそうな声を上げて立ち上がったハルヒの右手には、どこかの会議の議長席にでも置かれていそうな三角錐が握られていた。そして左手からは、黄色く細長い布切れが床に垂れている。あれは、襷?
「のび太、あんたはそこのパイプ椅子を持って。四つね。あとついでにコレもよろしく」
言いながらハルヒは僕の目の前へと歩み寄り、ブレザーの左右のポケットに襷と三角錐を押し込んだ。というかそれって結局、僕が全部持てって事だよね。
「ねぇハルヒ。文芸部室に一つあるんだから、椅子は三つで十分なんじゃない?」
比較的傷の無いパイプ椅子を選びながら、僕はそんな疑問を問ってみた。長門有希を頭数に入れても、僕達の数は計4人。一つ余計じゃないだろうか。
「これから5人目を捕まえに行くのよ。あんたは黙ってあたしの言う事を素直に聞いてなさい」
つまりこれから早速また一人、ハルヒの犠牲者が増えるという訳か。
僕は小さく嘆息し、選び抜いた椅子を両脇に二つずつ抱え上げた。言いたい事は色々とあるけど、平和主義者の僕としては無用な諍いの種は播かずに摩り潰して蕎麦にでも混ぜて食べてしまうに越した事は無いと主張してみる。
別に逆ギレしたハルヒに殴られるのが恐かった訳ではない。無いったら無い。
……だだ、僕が言える事は唯一つだけ。トラウマって恐いね。
キョンと長門有希は、今頃どうしているのだろうか。
ーーーあとがきーーー
グルミナです。『退屈シンドローム』第六話をお届けします。ハルヒの仲魔集め編前半戦です。長くなりそうだったので二つに分けました。
七月も終わりそうなのに梅雨も明けず、このまま夏通り越して秋になっちまうんじゃねーかと微妙に不安な今日この頃ですが、皆さん如何お過ごしでしょうか。ちなみにこちらは一週間雨が降り続き、太陽とは暫くご無沙汰しておりました。
>kouさん
のび太は一応一般人です。ただ、wikiののび太の項目を見てたら自信なくなってきましたが。ドラえもんの道具無しで他人の顔や声を完全コピーって、キサマはどこぞの女子寮管理人の義妹ですかww
ドラえもんの道具は物理法則完全無視ですからね。ただ現時点では未だその箍に繋がれてますが。
長門組と未来組がハルヒに固執する理由については、実は青狸も一枚噛んでいるとか噛んでいないとか考えています。詳しくは禁則ですがw
>蒼夜さん
のび太の愉快な仲間達、確かに普通人の括りに入れるのは些か無理があるかもしれませんね。……主に攻撃力とか。
のび太の役割ですか?んー、……チシャ猫?
>Siyさん
はじめまして、読んで下さってありがとうございます。
のび太の性格が戯言遣いそのまんまというのは第一話の段階から指摘されていた事なのですが、そんなに似ているのでしょうか。実は戯言シリーズは二次ssしか読んだ事がないので、何とも言えないのが本音です。
>佳代さん
SOS団がハルヒの翼ですか。良い喩えですね。本文中のどこかで使って良いですか?
キョンとは別個にのび太へお願いする古泉、自分は古泉と一緒に悪巧みするのび太の姿を垣間みました。(ヲイ
>剣さん
おひさしぶりです。
ハルヒはジャイアニズムの継承者で確定です。スネ夫の探偵姿は夜中にビビッと電波を受信したので入れてみました。
夏バテ、というかまだ梅雨も明けてないんですよね。もう夏休みなのに……。
>D,さん
のび太は巻き込まれる運命の下に生まれてるんですよ。
屁理屈云々の話は、のび太は一度ハルヒを言い負かしていますから、そこら辺から生まれた誤解です。のび太の口先程度ではスネ夫には敵いませんよ。
>龍牙さん
キョンとの差別化はこれから少しずつ進めていくつもりです。
二陣営の出方は、取り敢えずは様子見というところでしょうか。未来組はバリバリ警戒してそうですが。