土地柄とでも言うべきか、それとも若者が多いからか、麻帆良の朝は活気に溢れている。それは週で最も憂鬱な時間と評される月曜の朝にしても同じことだ。日々を愉しみとしている者達にとって、平日の始まりが苦になることはない。
ストレスという言葉がもてはやされる現代において、麻帆良は例外的な場所だ。そしてもちろん、その例外の中にも更に例外はいる。
(ったく、どうしてこいつら、こうもテンション高いんだよ)
長谷川千雨は、教室の一番後ろの席で物思いにふけっていた。彼女の眺める視線の先では、今日もクラスメート達が取るに足らない話題で大騒ぎをしていた。
(普通のクラスはここまで騒ぐようなもんなのか?いや、んなわけねぇよな…)
千雨は今までの学校生活を思い返し、とたんに頭痛に襲われる。
いつからだろうか?このクラスはヤバイと気付いたのは?
デカイのやら園児みたいのやら、忍びやら格闘家やらピエロやら、挙句の果てに明らかにロボな奴。おまけにどかどかと留学生が流れ込んでくる。さらには取り立てて個性のない連中も、それら異常集団を抵抗なく受け入れていく。
千雨が気付いた時には、変人集団で唯一の常識人という状態が出来上がっていたのだ。
それでも突っ込みを入れそうになる自分を抑制して、目立たぬ生徒として二年近く過ごしてきた。
だが運命は、あまりに過酷な時間差付きのダブルパンチを用意していた。
一つ目は二月ごろにやってきた子供教師。
そしてもう一つは―――
「ちーっす!」
(来やがった……!)
教室の前方、入り口の方から聞こえてきた声に、千雨は戦慄すら覚えた。
声の主は、千雨の心の平穏を嘲笑うかのようにやってきた、史上最悪の非常識転校生だった。
転校初日に行方不明となり―――
翌日、座らずの席の幽霊、相坂さよを文字通り白日の下に連れ出し―――
三日目にして、自分は同性愛者だと全校に響き渡る大声で宣言した、クイーン・オブ・ザ・非常識。横島忠緒だ。
その卓越した容姿とぶっ飛んだ言動の前に、一瞬クラスメート達が常識人に見えてしまったほどの逸材だ。
(突っ込まん!私は絶対突っ込まないぞ!)
反射的に目を瞑り、千雨は自分に言い聞かせる。もし今、突っ込みを入れてしまったら、それが切欠で日頃溜め込んでいたその他の突っ込みも全て吐き出してしまうかもしれないからだ。もしそうなってしまえば、突っ込みキャラとして変人集団いらっしゃい、となってしまう。それだけは、なんとしても避けねばならない。
目を瞑ったのはファーストインパクトを回避し、落ち着いた対処をするためだ。
もはや悲痛とすらいえるような覚悟で、他のクラスメート達の反応を待つ千雨。だが、
(…誰も一言も喋らないだと!?)
瞼によって作られた暗闇の中で千雨は戦慄した。
誰も言葉を放つものはなく、喧しいまでの喧騒が完全に停止しているのだ。
(どんだけの異常事態だよ!?)
瞬時、千雨の頭の中で、さまざまなパターン(横島が頭を丸めて来たとか、猫耳&尻尾をつけて登校して来たとか、男になったとか)をシミュレートするが、どれもここまでのインパクトを生じせしめるとは思えない。
(だ、大丈夫だ。目を開けて、私も他のバカ共と同じように黙っていればそれでいいんだ)
再度自分に言い聞かせ生唾を飲むと、千雨はゆっくり目を開けて、入り口の方を見た。
結果から言って、千雨は突っ込みを入れずにいることには成功した。というより、突っ込みを入れることも出来ず、周囲と同じように硬直した。
「ま、待て!みんな何かを誤解してるだろ!」
と言い訳がましく叫ぶ横島が、
「これじゃ、誤解されてもしょうがないし……」
と、観念したように呟く、真っ赤な顔のアスナを横抱き―――俗に言うお姫様抱っこしていた。
(ああ……これじゃあコメントのしようもねぇわな……)
千雨もまた、その光景を見て沈黙したのだった。
霊能生徒 忠お! 12時間目 〜夢の中へby井上陽水〜
結論から言うと、当然の如く誤解だった。
「臭っ!湿布臭っ!」
「アスナ、大丈夫?」
「あはは、ダメかも……」
机に突っ伏したアスナは、心配そうな木之香に力ない笑い声を返す。
その体には、あらゆるところに湿布が貼られていた。怪我、ではない。筋肉痛だ。
日曜日の朝、戦い方を教えてほしいというネギとアスナに横島は、午前中は美神流除霊術―――つまりは反則技や裏技、午後は実戦をとりおこなった。その結果、普段は使わない筋肉を酷使したため、流石のアスナもダウン。翌朝のバイトは何とかこなしたもののそこで力尽き、登校途中に会った横島に運んでもらったというわけだ。
「―――なんでお姫様抱っこやったんや?」
「体格が似たようなもんだからな、背負うよりそっちのほうが楽なんだ」
「ううう……いろんな人に見られたぁ……。
笑いながらヒソヒソ話してたぁ……」
亜子の質問に答える横島と、その横で赤い顔をしてうなっているアスナ。
「っていうか、運動神経だけはいいアスナが…」
「ここまで酷い筋肉痛って…」
「運動神経だけって何よ…」
桜子とまき絵が信じられないといった顔でアスナを見る。アスナは首を曲げるのも辛いのか、二人とは反対の方向を向いたまま、反論した。
「横島、一体、何をやったアルか?」
「ん、ちょっと日曜に護身術をね」
クーフェの質問に曖昧にぼかして答える横島。だが、そのぼかしかたが仇となった。
「ほう…」
護身術と聞いたとたん、クーフェの目がきらりと光った。やばっ、と思った横島だったがもう遅かった。
「横島、それは大陸系アルか?それとも日本系アルか?大陸系といったら当然、中国武術アルね?」
「え、あ、いや…流派っていってもそんな有名なんじゃ…そ、それにあんまり強くないし…」
「えぇ?横島さん、めちゃくちゃ強かったわよ」
「ア、アスナちゃん!」
何とか回避しようとする横島だが、そこにアスナから横槍が入る。今朝の、恥ずかしい体験への意趣返しかも知れない。
「へぇ…横島さんって、武術もするんだ…」
「もう何でもありって感じよね」
「是非とも勝負したいアルね。例えば今日の放課後あたりにでも…」
「え、遠慮したいかなぁ何て…」
妙に生き生きした様子で詰め寄るクーフェに、基本的に平和主義、というかバトルジャンキーではない面倒くさがりな横島は、どうしたものかと言い訳を考える。
「おはようございます……」
丁度その時、ネギが教室に入ってきた。これぞ天佑と、横島はネギの入ってきたほうの入り口を見る。
ぱたん
見た瞬間、ネギはうつぶせに崩れ落ちた。
「ハハハ、実は僕、日曜日に横島さんから護身術を…」
「横島さん!アナタ!ネギ先生に一体何をしたんですか!?」
「あー、すまん……」
ネギに膝枕をしながら、あやかは横島に食って掛かる。その剣幕に、横島は素直に謝った。
ちなみに横島がアスナとあったのは登校の途中。ネギはアスナが新聞配達のバイトをしている間に部屋を出たのだが、途中何度も力尽きながらも学校にたどり着いたのだった。
「僕が頼んだことですし…イタタタッ」
「ネギ先生、無理をなさらなくとも……」
「大丈夫です、いいんちょさん」
辛そうに、しかししっかりとした口調でネギは立ち上がった。
「みなさん、出欠を取りますよ」
『はーい』
教卓に立ったネギの声に、クラスのみんなはそれぞれの席に戻っていく。
全員が座ったところで、一人ひとり点呼していくネギ。その姿は先週末とは違って、どこか自信とか覇気とかが溢れている。
「あぁ…いつも以上に元気で凛々しいですわv」
「なんかやる気がみなぎってるよねー」
「ネギ君、土日挟んで元気出たなーv」
「んーv」
ネギの点呼が終わり、茶々丸とエヴァが今日もいないことに気付く。
「茶々丸さんとエヴァンジェリンさんは今日もサボりか…」
「あ、ネギ先生。エヴァンジェリンさんは風邪でお休みするて連絡があったよ。
茶々丸さんもその看病て連絡が…」
「へ…あ、そうですか」
肩透かしを食らった感じのネギは、亜子から差し出されたメモを受け取り考える。
(うーん。魔法使いで吸血鬼な人が風邪ひいて寝込むわけないよな…。けど仮病で登校の呪いから逃れられるのかな?)
時間割では、ネギの授業は午前最後に一コマあるだけで、ホームルームが終われば大体暇だ。
「よし…。みなさん、今日も一日、頑張ってください。じゃあ!」
言うが早い、ネギは筋肉痛でぎこちない動作ではあったが、急いで教室を出て行ってしまった。
その様子が気になった生徒もいたが、ほとんどの生徒は雑談に興じ始めた。
(横島の姉さん!良いんスか?)
横島がかばんの中から教科書を取り出していると、カモが話しかけてきた。
(何がだ?)
(何がって、兄貴のことっスよ。あの様子じゃきっとエヴァンジェリンのところに行く気ですぜ。風邪って言うのも多分ウソでしょうし、ついていかないと…)
(その必要はないだろ。エヴァちゃんが不調なのは多分本当だし)
横島の推測の根拠は、昨日のシロタマ訪問だった。
登校の呪いの影響らしいが、エヴァは不正規な基準で学園内に入ってきた者を察知することが出来るらしい。だが昨日のシロとタマモは、明らかに正規の手順を踏んでいないはずなのに、エヴァが何も言ってこなかった。
もっとも、単に普通に道路沿いに走ってきたから大丈夫だったと言う可能性もあるが…
(ま、昨日は丸一日かけて逃げることを重点的に教えたからな。いざとなったら俺が駆けつけるし、それまではネギだけで何とかするだろ)
横島はこれ以上カモと話していると怪しまれると判断し、話を切り上げるとカモを摘み上げ床におろす。
「ほれ、お前はコンビのアスナちゃんのところへ行っとけ」
「コンビじゃないわよ」
不機嫌そうに言うアスナだが、やはり筋肉痛が辛いのか、横島が座らせたままの体勢で動いていない。
横島がその様子を苦笑して見ていると、スピーカーの電源が入った。
『中等部3年A組の横島さん。学園長室へお越しください。繰り返します、中等部3年―――』
クラス名簿に書かれていた住所を頼りに、エヴァの住家に向かったネギは、ある意味意外な光景を目にした。
桜ヶ丘にあったのは、打ち捨てられた墓場でも、重々しい雰囲気の洋館でもなく、慎ましやかなログハウスだった。
「へぇ…。案外、素敵な家だなぁ」
扉の前に立ったネギは、懐から『果たし状』と書かれた封筒を取り出す。
―――ネギ、アスナちゃん。ぶっちゃけた話、二対二じゃお前らに勝ち目はない―――
昨日の朝、最初に横島から言われた言葉を思い出す。
―――エヴァちゃん達はかなりハイレベルなコンビ。それに対してこっちは急造のにわか仕込み。付け焼刃の連携なんて下手をすれば足の引っ張り合いになっちまう。
だから二対二じゃなくて一対一×2の形にもってかなくちゃならん。ま、それでも不利な条件が少し減るだけだがな―――
もし、エヴァがパートナーの同伴有無の決定権をこちらによこしたのなら、ネギは迷わずパートナー無しでの勝負を選択するつもりだ。
横島の言うとおりなら、アスナを巻き込むパートナーありの勝負は、こちらのメリットにはならないからだ。
「それに、アスナさんを巻き込まないで済む…」
ネギは頷く封筒を懐に仕舞い込み、呼び鈴を鳴らす。
「担任のネギです。家庭訪問に来ました」
カランカランと、主流である電子音とは違い柔らかい呼び鈴の音。
だが、それでも人が出てくる気配はない。
「おかしいな…」
少し逡巡したネギだったが、失礼と這い知りつつ扉を開いて、中を覗き込んだ。
「わわぁっ…。中は結構ファンシーだ」
覗きこんだ部屋は、質素な調度と間取りの居間であり、そこにはところ狭しと人形やぬいぐるみが置かれていた。中には製作中らしいものもあった。
(エヴァンジェリンさんが人形作り?)
凶悪な笑みを浮かべながら自分をいたぶるエヴァが、針と糸で女の子らしく人形作り…。
その光景を想像することができずに悩むネギ。その後ろから声がかけられた。
「どなたですか?」
ギクリとして振り向けば、エプロンドレス姿の茶々丸が、ティーセットを持って立っていた。
「こんにちはネギ先生。マスターに何か御用でしょうか?」
「うわっ!?ビックリした。茶々丸さんですか」
跳ね上がった鼓動を落ち着けると
「あ、こないだはどうもすみませんでした」
「いえ、こちらこそ…」
とりあえず気になっていたこと謝って頭を下げる。茶々丸も呼応するようにお辞儀をした。
「あ、あの、エヴァンジェリンさんは…」
「連絡したとおりマスターはご病気です」
「またそんな…不老かつ不死たる彼女が風邪なんてひくわけがないでしょう」
無表情な茶々丸に、まるで笑えない冗談を言われたような気分でネギは言う。
「―――その通りだ、私は元気だぞ」
その返答は茶々丸からではなく、頭上から聞こえた。
「エヴァンジェリンさん!?」
「よく一人出来たな」
ネギが見上げれば、階段の手すりに腰をかけた寝巻き姿のエヴァの姿があった。
「フフフ…。魔力が十分でなくとも、貴様ごときくびり殺すくらいわけがないのだぞ…」
自信満々の口調で言うエヴァだったが、その様子は明らかに変だった。汗をかいた顔は赤く息も浅く荒い。ふらついているようにも見える。
果たし状を突きつけようと思っていたネギも、その様子に思わず躊躇われる。
ネギの隣で、茶々丸は心配そうに表情を曇らせる。
「マスター、ベッドを出ては…」
「え、エヴァンジェリンさん。まさか本当に具合が悪いんですか?」
「わ、私は、元気だといったはずだ。ここで決着をつけてやっても…」
エヴァは階段の手すりに足をかけ、手には魔法薬を構える。だが、セリフを言い終わるより早く、エヴァの体が大きく傾き
「あっ!」
前のめりに一階の床へと、ゴチンといたそうな音を立てて落ちた。手にしていた魔法薬の小瓶は、力を示すことなく床で砕ける。
「な、何!どうしたんですか!?」
慌てて抱き起こすネギは、そのエヴァの体温に驚く。熱く火照ったその体は、体温計を使うまでもなく、明らかに平温ではなかった。
「風邪って本当だったんですか!?」
「はい。土曜日の午前中に急に体調を崩されまして。マスターはその他に花粉症も患っています。2階のベッドに寝かせてください」
「本当に吸血鬼なんですか、この人!?」
最強種に対するイメージが壊れるのを感じながら、ネギは茶々丸を手伝ってエヴァを2階へ運んだのだった。
学園長室で横島を待っていたのは学園長と、勤め先の上司にそっくりの、しかし上司にはありえないほどの深い落ち着きを備えた美女だった。
「ずっと前から愛して(ぶしゅぅぅぅっ)ぐおぅ!目が!俺の目がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
「そんな姿になっても、そういうところは変わらないのね」
「む、惨いのぅ…」
超人的な跳躍を見せた横島を催涙スプレーで撃退したその女性は、来客用のソファーに腰掛け、呆れたような穏やかな微笑を浮かべる。行いとのギャップが甚だしく、学園長は戦慄する。
一方、催涙ガスのゼロ距離放射を受けた横島は床を転げ周り、それで少し落ち着いたのか、目の前の美女の正体に気づく。
「って、誰かと思えば隊長じゃないっすか…」
「お久しぶり。人妻に跳びかかるなんてよっぽど溜まってるのね」
「しょうがないじゃないっすか。セクハラしようにも俺の周りにいるのは、手を出したら犯罪の年頃の子ばっかなんスから」
横島はよろよろと起き上がり、美女―――美智恵の隣に座った。
「横島君も大概不死身じゃのう…。普通、あんなのをまともに食らったら、一時間はまともに動けんのに…」
「ま、慣れというか日々の鍛錬っスよ」
「令子のシャワーを覗くのがかしら?」
「いや、ははは……。ま、そこは男の浪漫というか俺のライフワークと言うか…。
そりゃそうと、隊長も魔法使いのことを知ってたんスね」
「ええ。とは言っても、実際に会うのは初めてですが」
分が悪いことを悟って、横島は話題を急転換する。
そこは大人の美智恵もそれに乗る。視線の先は学園長だった。
「霊能とは異なる、しかし超常的な力を行使する魔法使い。GS時代にもその噂は聞いていましたが、実際にこうして話すことになるとは思いませんでしたわ」
「まあ、ワシらのことを知っているのは各国のトップと国連の一部、そして大規模な霊能組織のトップクラスだけじゃしな」
「……そんなトップシークレットだったのか……」
改めて知った魔法使いの秘匿っぷりに、横島は自分なんかがそんな秘密を知っていていいのかと、小市民的な不安を覚える。
「ええ、トップシークレット。おかげで魔法使いの社会的貢献は、霊能力者と比べてかなり制限されているわ」
「ほう…」
美智恵の言葉に込められていた小さな棘に、学園長が反応した。
「関東魔法協会の理事であるワシが言うのもなんじゃが、魔法使いの社会貢献は中々に大きいぞ。その秘匿のおかげで管理も行き届いておるから、それによる事件も滅多に起きないしなぁ」
「それは、霊能力者が引き起こすオカルト犯罪について仰ってるのですか?」
横島は、美智恵の纏っている雰囲気が変わったのを感じた。愛想笑いや座り方に変化はない。だが、背負っているオーラに『ゴゴゴ…』という効果音がついたに違いない。そしてそれは学園長にしても同じだった。
「お言葉ですが、オカルト犯罪は霊能力者が公的に動けることから速やかに解決しています。それは十分管理と言えます。むしろ公的に動けないことによって対処が遅れる魔法使いよりははるかに効率的と思われますが?」
「いくら対処したからといっても事件が起こり、被害が出たと言う事実は消えんし、完全な補填は不可能じゃよ」
「しかしそれはオカルト関係の事件以外にもいえること。オカルト技術の導入によりさまざまな事件、事故、災害への予防、対処を含め生活水準の向上が成されていますよ?
NGOとしての括りに囚われた『正義の味方』的な活動では限界があります」
「生活水準の向上というがのう。車の例を考えてみてはどうかな?
もし世の中に車がない時代、『年間数十万人の命と大気の汚染を引き換えに、人類に車を与えようと』と神か悪魔に言われたとして、君はおいそれと首を縦に振るかね?いわんや魔法技術は車と比較しても、はるかに悪用が容易じゃ。
多少の不便を容認しても、徹底した管理が求められると思うがのう」
「それは力を持てる者の理論ですわ。力を持たざるものからしてみれば、それは持てる者達の独善と奢りです」
云々云々…。まるで日曜の朝9時からNHKでやっているような論議に、横島は自分が場違いな場所にいるような気分でいたたまれなくなる。普段の横島なら居眠りをこくようなシーンだが、二つの巨大なプレッシャーに押されてそれも叶わない。しかも片方の存在感は頭の上がらない自分の上司とそっくりな、しかし圧倒的に重いものだ。
このままでは胃がもたないと感じた横島は、決意を込めて口を出すことにした。
「あ、あのぉ…」
「おや、横島君。何か意見があるのかな?」
「そうね、一般の代表としての考えを伺ってみたいわね」
藪を突いたらドラゴンが出た。内容の半分もついていけない、というかついていくつもりがなかった横島に、気の利いたことが言えるはずもない。
「いや、えっと…なんで俺がここに呼ばれたのかなぁ…なんて…」
ひんしゅくや冷たい視線を覚悟していった言葉だったが、言われた二人は、はっとした表情を見せた。
「お、おお!そうじゃった、すっかり忘れていたわい」
「お、おほほほ…ごめんなさいね」
どうやら本題を忘れて論議していたらしい二人だった。美智恵は取り繕いの笑みを浮かべながら、机の上に置かれていた大判封筒から写真を取り出した。
「なんスか、これ?」
「テレビ局の定点カメラの映像よ。ここを見て」
美智恵が指差した写真の隅。そこには翼の生えた影があった。だが、鳥ではない。空中にいるため比較対象がなく、サイズはわからないが日本の、それも人里近くに生息するようなサイズではない。
その上、全体像は鳥とは明らかに異なっていた。
「人間?」
「ええ。もっとも、腕の変わりに翼がついているけれど」
厳しい表情で美智恵は頷く。影の全体的な形は、鳥というより人間―――それも女に近かった。
腕の変わりに翼を生やした女。
横島の記憶に、該当する魔族がいた。
「ハーピーっスね」
「…そうとは限らないけど、可能性は高いわ」
「これ、どこで撮れた写真ですか?」
「麻帆良の郊外よ」
「さらに言うなれば、昨日の深夜、魔族が麻帆良内に入り込もうとした形跡もあったぞい。
もっとも察知系の魔法の存在に気付き、すぐに侵入は諦めたようじゃが」
「ひょっとして、俺が麻帆良にいることと…」
「偶然、ってわけじゃないと思うわ」
「げっ…」
横島は渋い顔をしたが、それ以上に美智恵は渋い顔をする。
仇敵という意味では、美智恵の方がはるかにこの魔族とは因縁が深い。それに、ハーピーと横島の間の因縁も、元はと言えば彼女と彼女の娘、美神令子が発端なのだ。
「ごめんなさいね」
「よしてくださいよ。俺だってGSの端くれっスよ?
けど、何で俺なんでしょうね?順当に考えて俺より先に隊長や美神さんが狙われてもおかしくないでしょうに…」
「それなんだけど……こっちも見てくれないかしら?
北アルプス、飛騨山脈西部で撮影されたものなんだけど」
次に差し出された写真を見て、今度こそ、横島の表情が凍りついた。
写っていたのは、既に息絶えた奇怪な生物だった。
四肢はなく、その代わりなのか強靭な牙と顎。幾つもの目が頭部についる。蛇とはかけ離れた姿なのに、どうしても蛇としか言いようのない異形の獣。
「こいつ……!」
「―――ええ。ビックイーター。メドーサの眷属よ」
エヴァンジェリンを2階に運んだ後、茶々丸はエヴァの看病をネギに任せて、大学の病院へ薬を貰いに行ってしまった。
敵であるネギだったが、流石に弱っている相手に危害を加えることも出来ず、献身的な看病を続けた。
エヴァが喉が渇いたといえば飲み物を用意し(結局エヴァが飲んだのは、ネギの血だったが)、熱いと言えばカーテンを閉めて日光を遮り、寒いと言えば服を着替えさせた。
どうにかエヴァの様態が落ち着き一息ついたネギは、その寝顔をみてふと疑問を覚えた。
「エヴァンジェリンさんは、どうして吸血鬼なんてやってるんだろう?」
そもそも真祖とは、儀式によって人間が自ら吸血鬼になった者であり、10歳の女の子がそんなことをするとは(ネギの常識では)考えられない。
15年前から登校の呪いを受けているらしいがその経緯も不明。
そしてなにより父であるサウザンドマスターと何かしらの関係があったらしい。
「なんな…いろいろ気になってきた」
ネギは悪いと思ったが、写真でもないかと部屋を探してみることにした。わずかな罪悪感と期待でドキドキしながらあれこれと見回し始めた丁度その時
「や…めろ…」
「うひっ!?ご、ごめんなさい!悪気があったわけじゃ…」
驚いて振り返るネギだったが、エヴァは起きていなかった。
「サ、サウザンドマスター…待て、やめろ…」
「!?サウザンドマスターの夢…」
寝言だったのかと、ネギは胸をなでおろす。しかし、エヴァの寝言の続きを聞いて、再び鼓動が跳ね上がる。
ネギは少しの逡巡の後、魔法の杖を手に取った。
(女の子の夢を覗き見するなんて、いけないコトの気がするけど)
だが、それでも父の、サウザンドマスターのことについて知りたかった。
「ラ・ステル、マ・スキル、マギステル。
夢の妖精、女王メイヴよ(ニュンファ・ソムニー・レーギーナ・メイヴ)
扉を開けて夢へといざなえ(ポルターム・アペリエンス・アド・セー・ノース・アリキアット)」
呪文を唱え終えたネギは、自分の意識が現実から乖離していくのを感じた。
コスモプロセッサ――――宇宙演算器によってアシュタロスが最初に成したことは、滅ぼされた魔族や悪霊を、自分の配下として再構成、復活させることだった。
そのコスモプロセッサが破壊された時、多くの再生魔族たちは宇宙意思の修正力の前に消滅したが、力ある魔族はその限りではない。
「それに、コスモプロセッサが起動していた間、魔族たちは何度やられても復活したわ。
あなたが倒したメドーサも、きっとすぐ再生されていたはずよ」
「アシュタロスがやられるまで出てこなかったのは、再生場所が離れていたからだってことっスか…」
油断したなと、横島は唇を噛む。
「美神さんには?」
「西条君が今朝、行ったわ」
「この情報はいつ入ったんですか?」
「今日の未明よ。とは言っても、このビックイーターの写真が撮影されたのは二ヶ月前のことだけど」
「に、二ヶ月!?」
切れ者である美智恵らしくない情報の遅延に横島は驚く。その様子に美智恵はすまなそうな表情をする。
「ごめんなさいね。けど仕方ないのよ。何せ関西方面にはオカGやGS協会の支部はほとんど機能してないんだから」
「何でっスか?」
「関西呪術協会じゃよ」
横島の疑問に答えたのは学園長だった。
「あの辺は関西呪術協会という魔法使いの組織の勢力下なんじゃが、関西の連中はガチガチの閉鎖主義での。政府や政治家に働きかけて霊能力者の組織の活動を邪魔してるんじゃよ」
「GS協会もオカGも数人程度の人員を派遣するのが精一杯。一応、大阪支部はあるけど実質休業中よ」
「け、けど美神さんは大阪城の瓦を割って走り回る、忍者の幽霊の退治とかしてましたよ?」
「その事件の文部科学省―――国から依頼でしょ?しかも文化財がらみだったから結構ニュースになってたし。だから魔法使いが動かなかったの」
「関西だとGSはほとんどおらず、民間の霊障は大抵魔法使いが請け負っとるんじゃよ。ま、向こうさんは魔法使いじゃなくて陰陽師とか退魔士と名乗っておるがな」
「へぇ…」
横島はステレオで聴かされたオカルト業界の裏話に、確かに大阪や京都などで、民間依頼の除霊をしたことがなかったのを思い出し、そういう事情があったのかと納得する。
「でも、それならビックイーターの方は慌ててどうこう、って話でもないですね。
二ヶ月以上も何もアクションを起してないんでしょ?」
「うむ。先程、ワシも西の方に問い合わせたが、他にビックイーターが目撃されたということはないらしい」
「けれど…ハーピーがあなたを目的として麻帆良に近づいているというなら、話は別ね」
「……そっスね」
横島は最初に見たハーピーと思われる影が映った写真を見る。
ハーピーとメドーサは、ともに同じ陣営に所属していた。その間に何らかの関係があったとしても不思議はない。関西でメドーサが仕込みを終え、それに応じてハーピーが動いたという筋書きもありえるのだ。
「もしハーピーが個人ではなく、元アシュタロス陣営として動いているとしたら、ハーピーが美神さんじゃなくて、俺の方を優先して狙うのは当然ですね」
「アシュタロスに止めを刺したのはあなたですものね。それに…あなたを倒さずに令子を殺し、あなたが全てを捨てて復讐に走る、というのは向うにしても最悪の展開でしょうし…」
「まっさかぁっ!いくら美神さんのナイスバディに危害が加えられたとしても、機動戦艦の劇場版みたいなこと、俺がする訳ないじゃないっすか」
「…信用できないわよ」
冗談めかしていう横島だったが、美智恵はにこりともせず、厳しい表情で横島を睨む。だが横島は、普段なら萎縮するような視線を受け、それに気付いていないかのようなとぼけた表情を作るのみ。
(なるほどのぅ…。横島君の一年の空白は、彼の仲間達にとっても望んでいなかったことじゃったのだな…)
その二人の様子を、学園長は興味深げに眺めて思う。
取り寄せた二つの資料のうち、裏の資料に書かれていた人界最強の道化師、横島忠夫。あの一年、基本的に楽天的で陽気、軟弱な印象すらある彼が神魔にすら恐れられる修羅に堕ちた理由はわからない。
だがもしも、彼の身近な者たちに危害が加えられたとしたら?
それを守るため、あるいは復讐のために、自ら再び堕ちることも、あるいはありえるかもしれない。
横島と美智恵。結局、一方的に睨んでいた美智恵が、ため息を漏らして終わった。
「…とにかく。しばらくは警戒してね。令子にも言っておいたけど、あまり危険な行動は慎みなさい。怪しい事件の依頼も受けないように」
「了解。明日の夜8時過ぎには呪いが解けるんで、直ぐに電車に乗って東京に戻ります」
「8時過ぎ?…そりゃすぐ帰るのは無理じゃぞ」
「どうしてっすか?」
「停電じゃよ」
学園長はどこからともなくお知らせの手紙を取り出して机に置く。
そこには明日、20時から24時までメンテナンスのため、麻帆良全体の電力供給がストップする旨が書かれていた。
そのお知らせに、美智恵は眉根に皺を寄せる。
「電力供給がストップって…結界は大丈夫なんですか?麻帆良を包む結界は麻帆良の霊的な安定を守っているのでしょ?」
霊的な存在が集まる場所には、雑霊などが引き寄せられ、悪霊などの霊障も発生しやすくなる。それは、横島の通っていた高校でも起こっていた現象であり、いわんや大量の魔法使いが住んでいる麻帆良では、数時間の結界停止すら、どういうことになるか予想が付かない。
だがその懸念に、学園長は笑って応える。
「結界の方は停電中も予備電力で維持するから大丈夫じゃ。それに問題が起きてもいいように、学園中の魔法先生や魔法生徒が総出で警備する予定じゃ。
電車が復旧するのは12時以降じゃな。復旧したら直ぐに何本か東京駅行きの電車が出るから、それに乗ればいい」
「じゃあ、横島君が帰ってくるのは水曜の朝ね」
「事務所に出るのはそうっスね。電車が復旧したら直ぐに電車に乗るっスけど、一度帰りますから。
くうぅ……長かったぁ…。」
言いながら、横島はもう少しで帰れるという事実に感涙を流す。
「そんなに3Aはイヤじゃったのか?」
「イヤって言うより、セクハラできないのは辛かったっスね。
体育前の休み時間なんてもう苦行っスよ、煩悩のままに動くのを止めるために。着替え中になんかしたら、一生ロリコン野郎の十字架を背負って生きてかなきゃならないっスから…」
「それは大変じゃったのぅ…」
(中学生に対して煩悩が生じる時点で既にロリコンじゃないかしら…?)
しみじみと言う男二人に対して、3A生徒のラインナップを知らない美智恵は座りなおして、隣に座る横島から心なしか距離をとった。
「それで隊長、他に何かありますか?」
「いいえ。今のところ解かってるのはそれだけよ。もう少し人を派遣して調べてみるつもりだけど…」
「そっすか。んじゃ、もう行きますね」
「おや?意外と真面目じゃのう。授業にもきちんと出ているようじゃし」
一応は高卒の横島。報告書にもあったように、横島は授業をサボりまくるものだと思っていた学園長は、その意外な勤勉さに感心した様子を見せる。
「ま、何だかんだで仲良くなっちゃいましたし。あと少しなんで、なるべく一緒にいようかと思いまして。それに、ちょっと人のいない時間帯に寄っておきたい場所もあるんで…」
流石に真面目な学生ではなかったと自覚している横島は、学園長室から出て行った。
横島を見送った学園長は、独り言のような何気なさで美智恵に話しかけた。
「横島君はいい子じゃのう」
「ええ、いまどき珍しい、という表現が似合う子です」
「ふむ、買っておるようじゃな。気持ちは解かるぞ。あんな良い若者は滅多におらんからなぁ…。まったく、あれがあの人界最強の道化師とは信じられん」
美智恵の書類をしまっていた手が少し止まった。
「どういう意味でしょうか?」
「美神君や。ワシはこれでも関東の魔法使いを束ねる者の一人であり、魔法使いとして世界を脅かす危険に立ち向かう義務もある。
そのために知っておきたいのじゃよ。横島君に何があったのか」
「横島君を疑っていらっしゃるのですか?」
「可能性の問題じゃよ。魔鈴君の保証や横島君の人柄からして、彼女―――彼が信用に足る人物であるのはわかる。だが、その判断が過ちでないとも言い切れん。
個人的には無条件で信じたいのじゃがなぁ」
しばらくの間、美智恵が書類を封筒にしまう音だけが学園長室に聞こえる。
美智恵が口を開いたのは、書類入りの封筒をしまってからだった。
「私に言う権利はありませんが、ただ一つだけ」
「なんじゃ?」
「私は横島君に、できることなら息子になってもらいたいと思ってます」
「なるほど」
それが決着の言葉であったかのように、美智恵は立ち上がる。
「では、私は仕事がありますのでこれで」
「お茶も出せずにすまんな。また機会があったら来なさい」
「ええ。その時は霊能力差者と魔法使い、どちらのあり方がより良いかの議論に決着をつけましょう」
「楽しみにまっとるぞ」
社交辞令と愛想笑いを交わして、美智恵は学園長室を辞した。
独りになった学園長は、ソファの上で力を抜く。
「ふぅ…。やれやれ、まだ若いのに油断ならんな。流石、アシュタロス事件を指揮した女傑じゃ」
学園長は首を左右に振る。ポキポキという傍から見ていると不安になりそうな音がする。
「いや、この場合はその女傑にそこまで見込まれた横島君の方こそ、すごいというべきかもしれんのう。…よっと」
木之香の見合い相手にしてみるのも良いかもしれないと思いながら、今度は胸を反り大きく伸びをして…腰の辺りから不吉な音がした
「フォッ!?」
急に真面目な顔をした学園長は、そのままのポーズで硬直し、冷たい汗をだらだらとかく。
「お、お〜い。すまんが誰かおらんか〜…」
GS界にありといわれた女傑と対等に渡り合った大魔法使いは、腰に響かないように押さえた声で、か細く助けを求めたのだった。
魔法によってエヴァの夢の中に入ったネギの目の前で、二人の人物が対峙していた。
場所は夕暮れの川岸。片方はマリオネットを操る妙齢の美女。
初見であるはずの女性だったが、ネギにはその顔に見覚えがあった。
(ま、まさかエヴァンジェリンさん!?全然違う!)
夢の中と現実で、人物の姿が異なるのはありえることだが、さすがにあまりに違いすぎた。だが、その髪や目つきには共通するものがある。
エヴァンジェリンの髪が風をはらんで舞い、夕日を受けて煌いた。
「ついに追い詰めたぞサウザンドマスター、この極東の島国でな。
今日こそ貴様を打ち倒しその血肉、我が物にしてくれる」
サウザンドマスター。その言葉にネギははっとして、夢の情景の中にいるもう一方の人物、フードを目深に被った人物を見る。
「『人形使い』『闇の福音』『不死の魔術師』エヴァンジェリン…。恐るべき吸血鬼よ。
己が力と美貌の糧に、何百人を毒牙にかけた?」
(あ…)
フードを被った人物の手には、父の形見のものと同じ杖。
「その上俺を狙い、何を企むかは知らぬが…あきらめろ」
フードの奥から、鋭い双瞳がエヴァンジェリンを見つめる。
「何度挑んでも俺には勝てんぞ」
確かな実力に裏打ちされた、冷徹さすら感じられる圧倒的な自信。
まるでサーガから現れた英雄。その姿を見たネギは、壊れた。
(うわぁぁぁぁい!カッコイー!さすがサウザンドマスターだ!僕のお父さんサイコー!イメージどおりだ!まさに最強の魔法使いだ!やっほぉぉぉう!)
霊体のままイメージ世界を踊り転げるネギ。
だがそうしている間に、状況は進んでいく。
「パートナーもいない魔法使いに何が出来る!
いくぞチャチャゼロ!」
「アイサー!御主人!」
大人エヴァと糸から解き放たれたマリオネットが駆け出した。
エヴァは手に魔力を集め、チャチャゼロと呼ばれた人形は武器を両手にサウザンドマスターとの距離を詰める。
しかしサウザンドマスターは、呪文を唱えるどころか魔力を集める様子も見せず、足で砂を探っているだけ。
何か不審に思ったのか、僅かに焦りに似た表情がよぎるエヴァだったが、ここまで来て退くわけにもいかない。
「フ…遅いぞ、若造!私の勝ちだ!」
迷いを断ち切るように叫ぶエヴァ。
(と、父さぁぁぁぁぁぁぁん!)
無駄と解かっていて叫ぶネギ。
そしてサウザンドマスターは
「お、ここだ」
呟いて地面を杖で突く。その瞬間、サウザンドマスターの眼前まで迫っていたエヴァの足元の地面が沈み込んだ。
「うわぁぁっ!」
ドパーン!
エヴァとチャチャゼロは転げ落ち、同時に立った水柱。どうやらかなり深く掘った上に水が満たされていたらしい。
(な、ななな…)
開いた口がふさがらないネギ。一瞬魔法かとも思ったが、魔力の発動もなければ呪文もなかった。純粋な、古典的な、魔法なんて一つも関係ない落とし穴だ。
一方、足もつかないほど深かったのか、エヴァとチャチャゼロは溺れていた。
「ふはははは!」
サウザンドマスターはそれを見て笑い声を上げながら、どこからともなくズタ袋を持ち出し、袋の口をあけて
ドバドバドバ…
「うひぃぃっ!私の嫌いなニンニクやネギ!」
「フフ…お前の苦手な物は既に調査済みよ!」
涙目のエヴァは、必死に水を掻いて水面に浮かぶニンニクやネギから離れようとするが、サウザンドマスターは杖で落とし穴をかき混ぜる。
「落チ着ケ御主人!」
「あっ、ああっ…!ダメー!」
ボンッ☆!
軽い爆発と共に、エヴァの姿が大人な美人から見知った少女のそれに戻る。
「あううっ!」
「アア、御主人ノ幻術ガ解ケタ!」
「わははは。噂の吸血鬼がチビのガキだと知ったら、みんな何と言うかな」
「バカー!やめろー!」
落とし穴の中で泣き喚くエヴァと、その中に容赦なくニンニクとネギを投げ込むサウザンドマスター。それこそ間抜けな地獄絵図だった。
「ひ、卑怯者!貴様はサウザンドマスターだろ!魔法使いらしく魔法で勝負しろ!」
(そそそ、そうです!父さん!ここは一つ格好良く……!)
「やなこった!」
(え…)
エヴァの言葉に思わずネギも同意するが、返ってきたのは妙に軽薄な声だった。
サウザンドマスターはフードを取る。そこから現れた顔は確かに精悍な印象ではあるものの、威厳よりもむしろ闊達さが先にたつ。
「俺は、本当は5、6個くらいしか知らないんだよ!勉強は苦手でな!」
(ええっ)
「魔法学校も中退だ、恐れ入ったかコラ!」
(えええっ!?)
「なっ!」
ドン!という植写が入りそうな迫力で凄むサウザンドマスター。驚きの事実にネギは開いた口がふさがらない。それはエヴァも同じようだった。
混乱したのか、エヴァは分けのわからないことを口走り始める。
「お、おい!サウザンドマスター!私の何がイヤなんだ!」
「だからガキに興味はないってば」
「歳か!?歳なら百歳越えてるぞ、私!」
「オバハンだなー」
「オバハンいうな!」
「ダカラ落チ着ケッテ御主人」
チャチャゼロはたしなめるが、エヴァはまるで外見相応の子友のように喚き散らす。
面倒くさそうに頭を掻いてサウザンドマスターは、すこし真面目な表情をして、エヴァを見る。
「なぁ…、そろそろ俺を追うのはあきらめて、悪事からも足を洗ったらどうだ?」
「やだ!」
「そーか、そーか。なら仕方ない。へんな呪いをかけて、二度と悪さの出来ない体にしてやるぜ」
最後通告は終わったとばかりに、サウザンドマスターの雰囲気が豹変する。それと同時に、エヴァンジェリンも顔色を変えるような、強大な魔力が溢れ出す。
「確か麻帆良のじじいが警備員を欲しがってたんだよな。えーと、マンマンテロテロ…長いなこの呪文」
「バ、バカ!やめろ!そんな力で適当な呪文を使うな!助けて!だ、誰か助けてー!」
最強種族の恥も外聞もなく、うろたえて逃げようとするエヴァ。だが泳げない彼女に穴から出ることなど出来るはずもなく、味方になってくれるはずのチャチャゼロも「御主人ピーンチ!」と助ける気がない。
そうこうしている内に、強大な魔力を背景に、適当な術式が力任せに編まれていく。
「あっ!やめっ!ひどいぞ、サウザンドマスター!あっ、イヤァァァ!す、好きなのに…」
ポロリとこぼれかけた告白すらも踏み潰し
「登校地獄(インフェルヌス・スコラスティクス)」
世界一、いい加減な呪いが完成した。
「いやあああああああああっ!」
目覚めの理由は夢か自分の叫び声か。エヴァは跳ね起きて、今まで見ていたのが夢だったことを知る。
「ま、また、あの夢か…」
夢と知り、乱れた呼吸を整えるエヴァ。そのとき、自分のベッドの上に、見慣れない茶色いものがあるのに気付いた。それは赤毛の人の頭だった
「うわっ!ナ、ナギ!?」
夢から覚めたばかりの頭は、それが夢の中で自分に呪いをかけたサウザンドマスターかと誤認するが、それにしては幼すぎることに気付く。
「な、なんだ。ボーヤか…」
安堵とかすかな落胆を込めて、眠り込んでいるネギの顔を覗き込む。
「殺せといっているようなものじゃないか…」
だが夢現に、ネギが看病してくれていたことが思い出されていた。
「チッ…」
舌打ちすると、エヴァは安らかな、どこかナギの面影を残す顔から視線をずらす。丁度その時、ネギが目を覚ました。
「……はっ!しまった!寝てた!大丈夫ですか、エヴァさん!」
「…ああ、大丈夫だ。今日のところは見逃してやる。風邪は治ったからさっさと帰れよ」
「あ…はい……そ、そうですね。それじゃあ、今日はコレで。で、では……」
夢の残滓か、まだ少し赤い顔でエヴァはネギに言った。その普段にない雰囲気の柔らかさに、戸惑ったネギだったが、夢を覗いていた負い目もあり、あたふたと帰る準備をする。
その態度に、エヴァはかえって不審を覚える。
(うひゃ〜〜〜〜。いろいろ見れちゃったな。けど…あれって本当に父さんだったのかな?)
そそくさと部屋を出て行こうとするネギだったが、その背中にエヴァの声がかけられる。
「…オイ貴様?何故寝ながら杖を握ってたんだ…?」
まさかとは思いながら、そんなことがあっていいはずがないと思いながら、問いかけたエヴァだったのだが、ギクッ、と震えたネギの背中が、その予想を肯定した。
「まさか……私の夢を……?」
エヴァの顔に赤みが差す。だがそれは体調が悪いゆえの赤さではなく、怒りと羞恥心の混ざった赤さだった。
「べ、別に…!何も…!」
応えるネギの狼狽ぶりは、むしろ首を縦に振っているようなものだ。
見た、確実にネギはあの夢を見た。
どこまでか?どこからか?いや、そんなことは関係ない。あの記憶は600年生きてきたエヴァにとっての最凶最悪の記憶であり、その一片たりとも知られてはならない最高機密。それが…それを…よりにもよって、こいつにっ!
「殺す!」
「うひぃぃぃぃぃぃぃっ!」
「横島さん。ありがとうございます」
「いいって別に。あれ壊した原因は、元はといえばネギがなんも考えずに突っかかっていったからだから」
エヴァの言えに続く森の中、茶々丸と横島が歩いていた。
話しているのは、破壊した教会についてだ。
横島が学園長室で言っていた「行かなくてはならない場所」とは、重装備のマリアが破壊しつくした教会だった。人目がないうちに行って、文珠で修繕しようと考えていたのだ。
しかし行った先にいたのは、薬を貰う帰りにネコにエサをやりに行っていた茶々丸だった。
「薬って……まさかカオスの爺さんの!?」
「いえ。最初はそれも考えましたがマリアさんに止められまして、普通の薬です」
「ナイスだ、マリア」
しっかりロボット三原則に違反しているマリアに、横島は賞賛を口にする。
教会を修理した後、茶々丸の誘いで横島はエヴァの見舞いに行くことにした。
「ネギに看病?けど、あいつ一応、敵だぜ?つか、俺もだけど」
「ええ。ですが、ネギ先生は優しいですから。横島さんも同様の理由で信用に足ると思います」
「…ま、風邪で弱った女の子を攻撃できるタマじゃねぇよな、俺もあいつも」
ぼやきながら森を抜けた横島と茶々丸だったが、その耳に、静かな森に似つかわしくない声と物音が聞こえてきた。
「何を見た!?どこまで見たんだ!?言え貴様!?」
「す、少しだけですよ!ほんの少し!」
「やっぱりか!き、貴様ら親子はそろって…!殺す!今、殺す!」
ドカンッ!シュババババキャ!
「うひぃ―――っ!」
不吉というには少々間抜けた雰囲気の遣り取りに、横島と茶々丸は顔を見合わせてから、小走りにエヴァの家へと向かう。
やがてエヴァの家の前にたどり着き、先行した茶々丸がドアノブに手をかける。
「マスター、ネギ先生。一体何が…」
ズボムンッ!
扉を開ける前に、茶々丸への返答が家の中から飛び出した。
一際大きな爆発が居間の辺りで起こり、横島達の左の窓が、窓枠ごとぶっ飛んだ。その爆発と共にネギが、発射された。
「ぺぁぁぁぁぁぁっ!ムギュ!」
べちゃっ、という感じで地面に叩きつけられたネギだったが、すぐに飛び起き転がるようにその場から避る。
「逃がすかぁぁぁぁぁっ!」
僅かに前までネギの頭があった場所に、家財道具であろうタンスが投げつけら砕け散る。小さなタンスだったが、その威力でぶつかれば完全な凶器だ。
命拾いをしたネギは、横島を発見して一瞬安堵の表情を浮かべるが…
「避けるなぁぁぁぁぁっ!」
『ひぃっ!』
爆煙立ち上る壁の穴から聞こえてきた声に、ネギはすくみあがり、なぜか横島も一緒に恐怖の表情を浮かべる。
声に続いて現れたのは、パジャマ姿のエヴァだった。その手に握られた魔法薬は、発動を待ちかねるように、ヤバ気な光を放っている。
「エエエエエヴァちゃん!?落ち着け!一体何が…」
「ふ、ふふふ…横島か?そうか、貴様か?貴様の差し金か?フフフッ…」
なにやら暴走しているエヴァは横島の言葉に耳を傾ける様子がない。
あまりにヤバイ、具体的には切れた美神と同じくらいのヤバイ雰囲気を感じ取った横島は、ネギの方に説明を求める。
ここで、ネギの几帳面な性格が裏目に出た。事の次第を最初から説明をしだしたのだ。
「実は横島さんが昨日言ったとおり…」
一対一の状況を作るために魔法使いの決闘を申し込みに来た、と続くはずだったのだが、だが頭に血が上っているエヴァは
「やはり貴様の指示か、横島ぁっ!」
短絡的に結論を導き出したエヴァは、魔法薬を投げつける。
「どはぁぁぁぁぁぁっ!」
格好良さや華麗さとは縁遠い、ゴキブリのような挙動で避ける横島。ちなみに茶々丸はすでにその場を離脱していて無事だった。
安全地帯である屋根の上から、茶々丸は三人の挙動を見る。
「ネギ!お前一体何をしたぁっ!」
「すみませんすみませんすみません!女の子のプライバシーをちょっと覗いてしまい…」
「殺す!今ここで二人とも!記憶と共に消え去るがいい!」
雨霰と投げつけられる魔法薬。
『ぎょいわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!』
声をそろえて逃げる二人。
「こ、こんなに怒る女の子のプライバシーって…はっ!ま、まさか乙女の秘め事を!
愛しい人の名を呟き、エヴァちゃんはシャワーを浴びて火照った指先を…」
「んなわけあるかぁっ!」
「げぼばぁっ!」
妄想を吐き出しかけた横島の頭部に、エヴァは椅子を投げつける。見事にヒットした机は砕け散った。
「よ、横島さぁぁぁぁん!」
「ぐ、だ、大丈夫」
転げまわりつつ距離をとる横島と、それを追うネギ。
「そうか、まだ大丈夫か?そいつは殺しがいがあるというものだ…」
悠然とした態度で迫ってくる死神、エヴァンジェリ。その姿を見て、横島とネギは覚悟を決めた。
横島は霊波刀を呼び出し
「ネギ…こういう場合の対処は教えたよな!?」
「はい!」
ネギは魔法の杖を構える。小さく頷きタイミングを合わせ、飛び出した。
「蝶のように舞い…!」
「蜂のように刺します!」
向かってきた二人に、エヴァは迎撃の構えを見せる。だが2、3歩進んだ二人は突然向きを変えて
『と、見せかけてゴキブリのように逃げる!』
全力疾走で森の中へ駆け出した。僅かにあっけに取られたエヴァだったが、すぐさま怒りは再燃する。いや、騙されたことで以前より遥かに強い火力で燃え上がる。
「どこまでも私をコケに…!逃がさんぞぉぉぉぉぉぉっ!」
いままで病人だったことを微塵も感じさせない速さで駆け出した。
三人が消えた森の中で、魔法による爆発音と二つの悲鳴と一つの怒声が響き渡る。
茶々丸は半壊したログハウスの上で、その様子を観察していたが、やがて一言。
「マスターが元気に…。よかった…」
「言いたいことはそれだけかぁぁぁぁぁぁっ!」
果たして聞きつけたのだろうか、横島の絶叫が騒がしい森の中に響き渡った。
続く
横島が本筋に関わってない話は非常に楽だと思う詞連です。
実は当初、夢の下りは省略する予定だったのですが、省略しすぎてネギまに詳しくない人には敷居が高い感じがするという意見があったので、こんな感じにしました。どうでしょうか?
では、レス返しを
>D,氏
横島の語り、気に入ってもらってよかったです。けど刹那回りはもう少し後にとっておかせて貰います。
>長官氏
今回は短め。その分密度は高めのつもりです。楽しめていただければ幸いです。ご期待に応えれるように努力します。
>暇学生氏
シロタマ登場は書き始めた当初からの構想でした。GSキャラはみんな好きなので、可能な限り沢山登場させたいものです。
>tomo氏
いえいえ、辛口な批評こそ作家の成長に必須の栄養。ありがとうございます。ですが一応言い訳を。
1について。早速ですがごめんなさいorz言い訳不能です。気をつけます。
2について。一応不特定多数に知られたくない、という理由です。楓は状況的にネギの敵でもないし他の霊能力者とつながっているようにも思えなかったので、という感じで教えちゃいました。
3について。まじでごめんなさいorz。直せば直すほど誤字が…。今度こそないようにしてみました。ああ、けどきっとあるんだろうなぁ…。精進します。
4について。三つ子の魂百までといいますか、基本的には変わりません。というか大人の人狼も、フェンリル戦で出てきた理由がドックフードにつられてですし、横島だってほとんど行動の原則が変わってませんし。一応、シリアスではシリアスで切るようには変わっている予定ですが…今回はギャグだったので無理でした。
ま、もっともシロがでかいのは、所詮超回復による水増し。内面はようやく外見に追いついたばかりということでひとつorz。
5について、ぶっちゃけ本当に体調不良です。というより、私も結界についてはよく解からないのですよねぇ…。本当は茶々丸のシーンを入れてエヴァに気付かせ、けれども直ぐに出て行った、という感じにしようかとも思ったんですがシーンのつなぎが悪くなったのでやめました。
今後も容赦ない批評をよろしくお願いします。
>ハク氏
お楽しみいただけたようで光栄です。今後の予想については秘密ということで、今後の投稿を楽しみにしてください。
>みょー氏
そういっていただけると光栄です。キャラの動かす感じが、実はGSとネギま、というか椎名作品と赤松作品ってにているんですよね。ギャグとシリアスが極端なわりに、その境界線が曖昧だったり、ギャグシーンだと緻密な設定を簡単に無視していたり…。
キャラを殺さないように頑張っていきます。
>わーくん氏
ありがとうございます。バランスを大事に頑張っていきます。
> hagetya氏
ござる口調が二人で、自分でも苦労するかと思ってましたが、実は結構楽でした。やっぱりキャラが大きく異なりますし。
エヴァ戦いまでもう秒読み。頑張ります。
>鉄拳28号氏
>やはり横島は馬鹿でスケベでギャグキャラじゃないと。
ですよね。聖人横島やダーク横島を否定するわけじゃないですが、やっぱり横島は馬鹿でスケベでギャグキャラじゃないと!
ご期待に応えるように頑張ります。
>さらしな氏
ご指摘を受けて今回は描写を多くしてみましたがどうでしょうか?
じつは以前、別のクロスのコメントの中で「原作と同じシーンをだらだら書くのはダレる」という意見があったのですが、やはり省略のしすぎも良くなかったかと反省しました。
こんな感じでよかったでしょうか?
>黒川氏
レスありがとうございます。
シロタマは確かにあの二人と気があいそうですよね。なおこれは設定ですが、あの二人はまだ子供です。というのも、タマモは実際に原作中では生後一年経ったかすら怪しいですし、シロだってあの体格は超回復で無理矢理でかくなっただけで、ようやく外見に中身が追いついてきたくらいでしょうし・・・。
>暴利貸し氏
いつもコメントありがとうございます。誤字は頑張ります。言い訳がましいのですが長意から云々以前に、実は掻く時の癖でシーンを入れ替えたり、後で書いている途中に、矛盾点やもっといい流れを思いついたら遡って修正したりするので、誤字が多いのはそのせいかもしれません。今回こそ誤字ゼロを目指しました!…どうせ私のことだからあるんでしょうが…。
赤カブトには気付いていただけたようで何よりです。本当は青カブトにしようかとも思ったのですが、それだともっと気付いてもらえないかもと心配になりまして。
今回の本筋は横島の人生論がメインですから、あえてコワレに近い勢いを意識したのですが…やりすぎでしたでしょうか?
ちなみに、私は一応ギャグでシリアスをコーティングする派です。証拠になるかどうかは解かりませんがGS小ネタに一作あるのでそちらを…。あ、けどそこのアシュ様微妙に壊れだし無理かも…。
レス返し終了。
さて、次回ではついに横島の滞在一週間目です。皆さんの予想を裏切れるように頑張ります。では…。