アスナは新聞配達のバイトを気に入っている。
元は学費を稼ぐためにはじめたバイトであるが、バイト先の人も親切だし、体を動かすのも嫌いではない。特に晴れた朝などは格別だ。澄んだ空気の中、人気のない早朝の住宅街を走っていると、小さい悩みなど簡単に忘れられる。
だが今、アスナが抱えているモヤモヤは、そんな小さなものではなかった。
「……ふぅ」
配達が終わったアスナは、公園のベンチで一休みしていた。
「横島さんって、何なんだろう?」
アスナは頬杖をついて考える。
横島忠緒についてアスナが知っていることは、彼女がGSであることと、呪いを解くために麻帆良に来たということ。
とても強いらしいけど、どうにも頼りない。
行動はバカ丸出しの癖に、頭が良い。
不意に真面目になったかと思えば、次の瞬間にはおちゃらける。
とても優しい人のはずなのに―――
―――殺すことにしたんだな?
―――お前らも殺そうとしてたろ?
―――あの二人、殺して欲しいか?
あの時は、横島のことを心底、恐ろしいと思った。
横島が『殺す』という単語を口にするたびに、冷たい鉄塊が腹の中に詰められたようだった。
直後に放った横島のギャグで、恐怖感はうやむやにされたが、部屋に帰り布団に入って一人になったとき、その時のことが思い出されて、急に怖くなった。
ひょっとしたらあの時、自分は殺されていたのかもしれない。横島が締まりのない笑顔でしずな先生に飛び掛る瞬間に、ようやっと生き返ったのかもしれない。そして、何時また殺されるのかわからない。
布団の中で、そんな妄想じみた考えが付きまとった。そのせいか、寝付くまで時間がかかってしまい、少し寝不足だ。
「ふぅ…」
あまり良くないと自覚している頭で、しかも寝不足の状態で答えが出るとは思えない。
ため息を一つついてアスナは顔をあげる。
するとその目の前を
「せんせぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇえええぇぇぇぇぇぇえぇえぇっ!」
と大声を上げて、女の子が駆け抜けて行った。
「…………………えっと?」
何の脈絡もない異常事態に、アスナのアンニュイな思考は吹き散らされる。
「女の子、よね?」
誰にともなく呟くアスナ。アスナの目が正しければ、駆け抜けて行った物体は、ロングの銀髪に赤いメッシュを入れた、自分と同い年ぐらいの女の子だった。
オッドアイを点にしていたアスナだったが、呆然としてばかりもいられなかった。
駆け抜けていった少女が、しばらく行ったところで急ブレーキをかけ、方向を転じてアスナに向けて駆けよって、
「すみませぬが、道を教えていただけないでござるか?」
と時代がかった口調で話しかけてきた。
「え、は、はい?」
降って湧いて駆け寄ってきた異常事態についていけないアスナ。
異常事態本人の姿も、その混乱に拍車をかける。
銀髪に赤いメッシュ、白地のシャツに片方が大胆にカットされたジーパン。ここまではまだわかる。
問題は尻尾。その少女に白い尻尾が生えているのだ。その上、背中には自転車が背負うように括り付けられ、頭の上にはなぜか尻尾が沢山生えている狐が乗っかっている。
「麻帆良学園の中等部へ行きたいのでござるが、方向はこっちでいいのでござるか?」
「えっ?あ、うん。その先に標識があるはずだから、それを見ていけば行けるけど…」
「かたじけない。では、御免!
せんせぇぇぇえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっぇぇえぇぇぇぇぇぇぇぇっ!散歩でござるよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ♪」
踵を返すと銀髪の少女は再び駆け出した。
ドップラー効果すら残しつつ走り去るその後姿を、アスナはただ呆然と眺めていた。
事態についていけず固まったままのアスナの足元で、小鳥が小さくさえずった。
霊能生徒 忠お! 11時間目 〜散歩でござるよ!〜
―――静かな湖畔の森の陰から―――
歌声が聞こえる。そんな気がして横島は目を覚ました。
寝袋からもそもそと顔を出し、半開きの眼で枕もとの携帯電話(仕事の都合で美神が持たせた。有料系アダルトサイトにつなぎまくった前科により、颯癲璽匹發任ない旧式)で時間を確認。
8時半。一瞬、遅刻という単語が頭をよぎって目が冴えるが、その横の土曜という文字を見て、再びまぶたが重くなる。
二度寝でもしようかと、再び寝袋に潜り込む。だが完全に頭が隠れる前に、音律を持った声が耳に届く。
―――静かな湖畔の森の陰から
出でらっしゃいとカッコーが鳴く―――
遠くから風に乗って運ばれてきた童謡は、子守唄にしてはいささか明るく活動的な内容だ。無視して寝てしまうというのも一つの選択肢だが、幸か不幸かその声には聞き覚えがあった。
「……ま、出てらっしゃいと言われちゃしょうがねーな」
横島は、大儀そうに寝袋から這い出した。
「んー、いい感じいい感じ!はい、そこで笑ってみて」
「こ、こうですか?」
朝の林の中に三人の少女の姿があった。
麻帆良のパパラッチと名高い朝倉が、さよにカメラを向けていた。まだ完全には昇りきっていない太陽の光が、木立の間に斜めに差し込み、さよの白い髪を輝かせる。
「………はいっ!OK!練習続けて」
「じゃ、もう一回いってみよっか?」
「はい!」
三人のうち最後の一人、タクトを柿崎にさよは答えて背筋を伸ばす。
柿崎のタクトが一度、四拍子を打ってから、さよは今朝既に何度も繰り返したフレーズをまた口ずさむ。
―――静かな湖畔の森の陰から
出でらっしゃいとカッコーが鳴く―――
完璧な―――少なくとも朝倉には欠点が見出せない旋律で歌うさよ。指揮している柿崎から見ても、なかなかのものだった。
だがそのささやかなリサイタルに、無粋な中断が入る。
「お、やっぱりさよちゃんか」
歌に呼び寄せられた様に、姿を現したのは横島だった。
その横島の姿に、さよ達は絶句して動きを止めた。
横島は自然の姿で経っていた。わずかばかりの無粋な布が、その体の一部を覆っているのみ。彫刻家が全霊を込めて白大理石から掘り出した女神像のように白く滑らかにして、石にはありえない温度と躍動が感じられるその柔肌が、ほぼ余すことなく大気にさらされていた。
ぶっちゃけると下着姿。具体的に言うと下はパンツ、上はランニングシャツ。
一瞬の沈黙の後
「シャッターチャァァァァァァァンス!」
「だめですぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!」
最初に再起動したのは朝倉、次に動いたのはさよだった。
事実をありのままに大衆に伝えるという使命感に燃え、目の前に現れたお宝映像をフィルムに納めるべく、最近買ったばかりの一眼フレを獲物=横島に向ける朝倉。
さよは跳躍して朝倉と横島の間に立ち塞がり、横島のあられもない姿の激写を妨害する。
「さ、さよちゃん、どけて!」
「ダメです!禁止です!女の子のそんな写真なんてとっちゃいけません!」
「私には使命があるのよ!この一眼フレの月賦支払いという使命が!」
「それと横島さんの春画の撮影とどう関係するんですか!?」
「いや、高く売れるっしょ?男子に」
「尚更ダメぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」
「んあ?何やってんだ、お前ら?」
突然の事態に膠着したままの柿崎の視線の先で、状況がわかってない横島は大きなアクビしつつ、たおやかな曲線を描くウェストをぼりぼりと掻く。美少女というものに対する尊い幻想を粉みじんに打ち砕く、極めて残忍な所業だった。
「柿崎ってコーラス部も掛け持ちだったのか!?大変じゃないか?」
「テント暮らしよりは楽だと思うよ?」
柿崎の切り返しに、朝倉とさよも無言で頷いた。
あの騒ぎの後、横島を含め四人はテントの前でガスバーナーを囲んで座っていた。ガスバーナーの上には、いかにも使い込まれた風な凹みや傷のあるヤカンが湯気を立てている。
そして胡坐を掻いた横島のすぐ目の前には、蓋を開けたカップヌードル。
朝倉がもしやと思って質問する。
「それ、ひょっとして朝ごはん?」
「ああ」
「っていうか、普段からそれ?」
「普段はバイト先で食わせてもらってるけど、それがなければこれか、白米オンリーと余裕があればスーパーのお惣菜……と、そろそろ沸いたな」
横島は麺にお湯を注き、まだ割ってない割り箸で挟んで蓋を閉じる。実に手馴れた動きだった。時間を計っている様子も無いのは、三分間待つということを何百、何千回も繰り返してきたがゆえの、時間間隔への自身の証し。
おそらく、主食がカップメンであるということは事実だろう。
(((それでどうやってこの体を維持してるんだろう?)))
朝倉や柿崎どころか、体型が不変のはずのさよですら横島を見つめる。念のために言っておくが、今の横島の姿は、原作風のジーパン、ジージャンだ。だが横島忠緒の肉体は、その起伏に飛んだラインをデニム地の下から主張している。
羨ましい。ほんっっとうに羨ましい。
「えっと…どうしたんだ?」
『な、なんでもないです!』
横島に言われて、慌てて敬語でそっぽを向く三人。
横島はどういうことかと思案したが、理解できないだろうと見切りをつけた。
「で、さよちゃんは歌の練習で、柿崎がそれに付き合ってたのは良いとして……お前は何やってたんだ、朝倉?」
「さよちゃんの特集のために取材をやってたのよ」
「さよちゃんの特集?」
「そっ!突然麻帆良に現れた謎の謡う美少女!?その真実と正体に迫る!って感じでまほら新聞に特集を組んでみることになったの」
「正体って…普通の自縛霊だろ?」
「普通じゃない幽霊ってどんなのよ?」
ギャグか何かだと思って気軽に突っ込んだ柿崎。だが、横島はいたってマジだった。
「俺が会った事のあるのは、恥ずかしい自作ポエム隠すために怨霊になったヤクザのボスとか、銀行強盗する前に事故死して決行できなかったのが未練で幽霊になったコンビとか、女子高の先生が井戸の中に『チチシリフトモモ』って叫びまくって欲求を発散した挙句に分離したやつ…いや、あれは幽霊とはちと違うな。あと…」
「も、もういいです…」
そんなのと会った事のある横島こそが一番普通じゃないと悟った柿崎は、もう二度と不用意に突っ込まないと心に誓った。それとは対照的に麻帆良のパパラッチはその話に興味を持つ。
「ねぇ、横島?さよちゃんの時、もしかしてって思ったんだけどさ。ひょっとして幽霊の友達、いたりするの?」
「あ、私もそれ、気になります」
さよは自分以外の幽霊の存在を知らない。
いくら3Aの面々と友達になったとはいえ、人と幽霊の間には大きな溝が横たわっている。自分と同じか近い境遇の仲間を欲するのは、当然のことだった。
一人でも、例え幽霊以外でも、似たような境遇の人はいないのかな?
そう思い、淡い期待を込めての質問だった。
だが返答は、その想像を遥かに超越していた。
「友達で幽霊はいないな。元幽霊の女の子はいるけど。あ、学校つながりなら机の九十九神ならいるぞ」
「九十九神って、あの古いものが化けるって奴?」
「よく知ってるな、柿崎。俺が通ってた高こゲフン!えぇ……と、ま、前に通ってた学校にいたんだ。愛子って名前でさ。そういえばあのクラスにはピートやタイガーもいたっけ」
「外人?」
「美形?」
朝倉と、彼氏がいるはずの柿崎までも揃って目を輝かせて訊く。
「タイガーは虎人の血を引いているらしい。奴は美形じゃないな、確実に。ピートは、腹立たしいことに美形だ。ちなみにバンパイヤーハーフ」
「吸血鬼と人間の混血ってこと!?」
「きゃーvカッコイイv」
「くっ……まだセリフですら登場してないくせに…!」
「あ、あの、他にもいますか?その、人外なお知り合いって?」
朝倉達の反応を見て、額に血管を浮かべて歯軋りする横島。さよは慌てて話題転換を試みる。
「他にか?そうだな。学校以外となると、まずはカオスのおっさんとマリアかな?それから隣に住んでる家族に憑いてる、貧乏神か福の神かよく解からん奴。
友達って括りからすると外れるかも知れねーけど、妙神山ってところで管理人している小竜姫様や老師。ヒャクメと保護観察中のパピリオ。滅多に連絡取れないけどワルキューレやジーク、ベスパもいるな。
あとはよくメシをたかりに来る雪之丞ってやつだが…あいつは自称人間だけど、嗜好や顔つきからして、明らかに集英社系の戦闘民族じゃないかって俺は睨んでる」
雪之丞本人に聞かれたら「ふざけるな!」とボコボコにされそうなことをのたまう横島。一方、朝倉たちはその冗談のようなレパートリーの多さに、感心を通り越して呆れていた。
「なんつーか…実は人間の知り合いのほうが少ないんじゃないの?」
「ひ、否定できんな。バイト先だと人外の方が多いし…」
「バイト先も!?」
「うん。バイト先ってGS事務所なんだけど。まず建物自体に人工幽霊ってのが憑依してるし、軒先には女好きな女妖精が巣を作ってる。除霊メンバー五人のうち俺を含めて三人は人間だけど、そのうちの一人、おキヌちゃんて子は元幽霊だし。ってそれを考えれば美神さんも前世は魔族だったんだよなぁ…。
……まともに人間なのってひょっとして俺だけ?」
「いや、私に聞かれても」
自分の置かれていた境遇の異常さを、他人に説明することで再確認した横島。聞かれた柿崎は、呆然とした表情で答える。
一人でもそういう知り合いがいてくれれば、という気持ちで質問したさよも、もう何と言っていいやら解からない。適当に買った宝くじが一等から三等まで総なめにしてしまったような気分だった。
「ちょ、ちょっと、横島?それ全部ホント?」
「ウソついてどうすんだよ?と、時間だ」
横島は呟くと、カップメンを手に取った。朝倉が腕時計を見てみると、お湯を入れてから丁度3分経っていた。無駄に器用な能力だ。
朝倉はさよの取材が終わったら、次は横島の特集でも組もうかと考えながら、先を促す。
「で、5人の内3人は人間だって言ってたけど、他の二人は?」
「人狼のシロと、金毛白面九尾…って言ってもわかんねーよな。つまり妖狐のタマモだ。どっちもまだ子犬と子狐でな。散歩をねだるわ、きつねうどん奢らせるわで鬱陶しいこともあるけど…ま、そこが可愛いっちゃ可愛いところなのかもな」
「へぇ〜」
「うわぁ、見てみたいなぁ…」
朝倉たちはじゃれあう子犬と子狐の姿を思い浮かべ、知らずに口元が緩む。実際はそんな可愛いもんでもない事を知っている横島は、苦笑交じりにラーメンの一口目を口に運び
―――ぇ…―――
「?」
何か聞こえたような気がして、横島は麺を口からはみ出させた状態で動きを止めた。
嫌な予感がした。それもどこか慣れ親しんだ予感だった。
―――せんせぇぇぇぇぇぇ……―――
予感は確信に変わった。一瞬、逃げようかとも思ったが、元の肉体でも難しかったことが、能力的に弱化した少女の体で逃げれるわけがない。
とりあえず口にしたラーメンをズズッとすすって咀嚼する。
「まずい…」
「そんなにまずいの、そのカップメン?」
「いや、そうじゃなくてだな……。噂をすれば影って言うか…」
どう説明したものかと考える横島だったが、その答えが出る前に、それはやってきた。
「せんせぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」
何かを叫ぶ一陣の白い風にぶちかまされた横島は、ラーメン片手に吹き飛んだ。
横島と飛び込んできた何者かは、そのまま進行方向にあった木に激突した。
「ばろぷっ!」
横島の悲鳴だけが聞こえたことからして、どうやら横島がクッションになったらしい。
「よ、横島さん!」
そこに至って、ようやくさよ達の思考が認識に追いつき、慌てて横島の方に目を向ける。
その目に映ったのは、吹き飛ばされる前に手にしていたカップメンを頭から被った横島と、その首っ玉に抱きつき
「先生!ようやく探し出したでござる!」
と、横島の顔をうれしそうに舐めまわしている白い髪の少女だった。その背中にはなぜか自転車が括りつけられている。
再び思考が認識に取り残される三人。その視界で舐めまわされている横島は、無表情のまま自分を嘗め回す少女の頭に手をやり
「前言撤回だ、馬鹿犬ぅぅぅぅっ!」
一転して憤怒の表情となり、頭に添えた手へ握りつぶさんばかりに力を込める。
「いいい、痛い!痛いでござるよぉぉぉぉぉっ!」
「痛いかシロぉ!?これがお前に駄目にされたカップラーメンの痛みだぁぁぁぁぁぁっ!」
「きゃいん!わ、訳がわからないでござる!」
頭を振って逃げようとする少女―――シロだったが、横島はあっさり手を離し、その頭を小脇に抱えるとウメボシに変更する。
「どーしよ、これ?」
「こうすりゃいいのよ」
声は朝倉達の背後から聞こえた。
声の主は、朝倉達と同年代程度の、クールな印象の少女だった。金髪を九つに分けて纏めた、ナインテールともでも言うべき髪形をしていた。
彼女は朝倉達の横を通り過ぎ、横島達の数歩前に立つと、口元に投げキッスの前動作のように指を二本唇に添えて、
「狐火」
火を噴いた。
『…なっ!?』
一見して自分達と変わらない少女が見せた特撮怪獣の如き行動に、朝倉たちは目を丸くする。
噴出された炎は、横島の肩から上だけを包み込む。シロには焼けど一つなく、力が抜けた横島の腕から脱出。他にも類焼はなかった。
横島は頭から焦げ臭い煙を昇らせながら、白目を剥いて膝から崩れ落ちた。
沼の底のような沈黙のあと
「た、タマモ…てめぇ…」
『い、生きてたぁっ!?』
怨嗟を呻きながら立ち上がる横島に、朝倉たちは悲鳴を上げて後ずさる。
「こうでもしないと話が進まないじゃない」
しかし肝心の焼いた当人―――タマモは平然とした態度で、子馬のように、と言うかダメージを受けたゾンビのように震えながら立ち上がる横島を睥睨する。
反論しても仕方ないと悟った横島は、諦めた態度で二人に訊く。
「で、お前らなんのために麻帆良になんか来たんだ?」
「散歩に付き合ってほしいござる」
「きつねうどん奢って」
「断る!」
即断だった。いつの間にか焦げ目がなくなっていた横島は、力強く断言する。
「今現在、俺が置かれている状況は知ってるだろうが!その上で更なる負担を強いるか貴様らは!」
「……どうしてもダメでござるかぁ?」
「うっ…!」
シロは営業停止処分を食らった消費者金融のCMに出てくるチワワの如く、横島におねだりする。狼のプライドはどこいったという風な攻撃に、横島のなけなしの良心が刺激され、思わず目を逸らしてしまうが…
「…ってぇ、騙されんぞ!お前の散歩はチワワの散歩と違って、サラ金の取立てより厳しい鉄人レースだろうが!」
「ちぇっ。ダメでござったか…」
「まだまだね。ここは私に任せなさい」
妙に黒い感じで舌打ちをするシロの肩に、タマモは手をやって自信ありげに言う。
嫌な予感に脂汗を流す横島を見つめ、タマモは軽く笑ってから、肩越しに朝倉たちを指差す。
「ヨコシマ。あいつら、アンタの友達?」
「あ、ああ…クラスメートだ」
「そ」
一つ頷いたタマモは、とてもいい笑顔で朝倉達の方を向いて
「ねぇアンタ達、知ってる?ヨコシマってこんな姿してるけど、実はおと「うわぁっ!散歩かぁ!すっげー楽しみぃ!あまりに嬉し過ぎて帰りにきつねうどん奢っちゃうぞぉ!」
タマモが再び振り向いた時には、横島はシロの背中に括りつけられていたはずのマウンテンバイクに跨り、チリリンとベルを鳴らして、まぶしい笑顔でヤケクソ気味に叫んでいた。
その口元や額に浮かぶ血管はご愛嬌だった。
「それでいいのよ。
じゃあ、こいつ借りてくから」
タマモは木偶の様に立ち尽くしている朝倉たちに言ってから、横島の後ろに乗る。もっとも乗るといっても荷台がないので、スタンドのところに足を乗せた立ち乗りだった。
「おい、タマモ、危ないぞ?獣に戻ってシロの頭の上にいた方がいいんじゃないか?」
「大丈夫よ。転びそうになったら簡単に跳び降りれるし」
タマモは横島にしがみ付く。横島はその背中に当たるほのかな膨らみに
「チクショウ!
なんで原作終了3年後って設定なのに、シロタマの外見は中学生のままなんだっ!これじゃあ生殺しじゃねぇかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
「妖怪の成長速度が人間と違うからよ。それに私達二人とも、実年齢10歳以下だし。アンタが手を出したら犯罪よ?
ほらシロ、出発」
「了解でござる!」
「待て!まだ火の始末ぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!?」
横島が何か言い終わるより先に、シロは駆け出し自転車が引っ張られる。およそ自転車の設計者が想定してないであろう加速度で自転車は林の向こうに消えていく。
タマモが火を噴いて以来、互いに抱き合って硬直していた朝倉達の耳に聞こえるのは、草木を掻き分ける音と、シロの楽しげな笑い声と、
「あ、朝倉!火の始末を頼む!それからさよちゃん!夕方の歌の練習は今日もいつものところで…」
だんだんと小さくなっていく、横島の声だった。
まさに台風一過。嵐のように現れたシロタマコンビが去った後の林間に、まるで何事もなかったかのような静寂が戻った。
だが、それが夢や幻覚の類でなかったことは、ガスバーナーにかけられたままのヤカンと、地面にぶちまけられたカップメンが証明している。
やがて、朝倉が誰にともなく呟いた。
「私…なんで横島があんなに非常識か解かった気がする。
周りがもっと非常識だったからだ…」
さよと柿崎も、コクコクと頷いたのだった。
バイトから帰ったアスナを待っていたのは、怒り心頭といった様子のカモだった。
「兄貴!やばいよ!何であの茶々丸ってロボに情けをかけたんスか!?昨日あそこで仕留めておけば万事解決!こっちの勝ちだったのに!」
「あんたねぇ…昨日の横島さんの話を聞いてなかったの?」
「横島の姉さん?あの人がなんか行ってたんスか?」
呆れた様子でカモを見るアスナ。だが、カモは首をひねる。そういえばカモはあの時気を失ってたな、と改めてアスナは思い出し、説明してやることにした。
「あのね、あんたの作戦じゃ二人を止めるためには、結局二人とも殺さなくちゃいけなくなるのよ。そんな作戦、やって良いと思ってるの?」
「そうだよ。やっぱり二人とも僕の生徒だし…」
「甘いっ!兄貴は命を狙われてんでしょ!?奴ァ生徒の前に敵ッスよ敵!」
「ちょっとエロオコジョ、そこまで言うことないんじゃない」
カモの剣幕にたじたじになりながらも、アスナは抗弁する。
「エヴァンジェリンも茶々丸さんも二年間、私のクラスメートだったんだよ。あんま話したことないけど…。本気で命を狙ったりとかまでするとは思えないんだけどなぁ…」
「だからそういうところが甘々なんスよ!」
カモはそういうと、傍らに置いていたオコジョ専用パソコンを広げると、一つの画面を呼び出す。そこにはWANTEDという文字の下に、エヴァの写真が貼られていた。
「見てください。俺っちが昨晩まほネットで調べたんスけど、あのエヴァンジェリンって女、15年前までは魔法界で600万ドルの賞金首ですぜ!?
確かに女子供を殺ったって記録はねーが闇の世界でも恐れられる極悪人さ!」
その話を聞いたアスナは、流石に顔を青ざめさせる。
「なんでそんなのがウチのクラスにいるのよ!?」
「そいつはわかんねーけどよ…。とにかく奴らが今、本気で来たらヤバイッス。
姉さんや寮内のカタギの衆にまで迷惑がかかるかも……」
「えっ、マジッ!?」
「………」
知らぬ間に切迫していた状況に、ネギは突き落とされたような衝撃を覚える。
(…僕のせいで…?)
落ち込むネギに、普段ならフォローの一つでも入れるアスナとカモだが、流石にこの状況では、そこまで余裕がなく青い顔をして会話を進める。
「とりあえず、兄貴が今、ここにいるのはマズイッスよ」
「そ、そうね。今日は休みで人も多いし…」
「…!」
その言葉が、決定打だった。
ネギは杖と上着をつかむと、窓を開け放った。
「あっ」
アスナ達が何か言うより早く、ネギは窓から外へと身を躍らせる。
「ネギ―――――――ッ!」
「兄貴―――――――っ!」
窓に駆け寄り呼び戻そうとする二人だったが、既にネギの姿は、遠く小さくなっていた。
「あ、あんたがあんなこというから!」
「姉さんだってっ!」
責任の擦り付け合いを始める二人だったが、しかしすぐそんなことをしている場合ではないと気付く。
今、ネギを一人でいさせることなど、猛獣のいるジャングルの中に子羊を放つようなもの。いつエヴァという猛獣がネギを襲うか知れないのだ。
「と、とにかく、追うのよ!」
「合点だ!」
アスナはカモを伴って部屋を飛び出ようとして、その直前、協力してくれそうな人物のことを思い出す。
「そうだ!」
片方の足を突っ込んだスニーカーを脱ぐと、アスナは部屋に戻り携帯を手に取る。
「何やってんスか、姉さん!?」
「連絡よ!横島さんに連絡……あっ!電話番号知らないんだった!えっと、そう言えば住んでる所って…そうだ!ネギのクラス名簿に何か……!」
ロフトにあるネギの部屋に駆け上がるアスナ。その様子をやけに静かな様子でカモは眺めていた。
「アスナの姉さん!横島の姉さんのことなんだが…」
「ん?なによ?」
ネギの机の上を探しながら、生返事を返すアスナに、カモは意を決してこう言った。
「横島の姉さんについて、お話があるんスけど…」
それを聞いて、ネギの机を探るアスナの手が止まった。
「はぁ…僕はどうしたら良いんだろう」
緑豊かな山々の上を飛びながら、ネギは深いため息をついていた。
アスナや他のみんなに迷惑をかける訳にはいかない。だが、この日本に身を寄せれる場所などない。頼れるとすれば…
(ダメだ…きっと横島さんも呆れてる)
ネギは力なく首を横に振る。
横島は自分の『穏便に済ませたい』という意図を汲み、エヴァたちとの直接対決を避けてくれていたのだ。それを自分の勇み足で状況を悪くしておいて、今さらどんな顔をして会いに行けというのだ。しかも勇み足の動機の半分は見直してもらうため―――かっこつけるためだ。考え無しの行動で、その全てを台無しにしてしまったのだ。
目の前が真っ暗になったような感じがする。
(故郷のウェールズとは山の形が違うけど…)
暗い考えから逃避するように、ネギは見渡す限りの稜線から、山がちな故郷と、そこにいる人たちのことに思いを馳せる。
「ウェールズに帰っちゃおうか…。そうすればエヴァンジェリンさんも諦めるだろうし……ん?」
そう思った矢先、目の前の視界がなくなった。
バシンッ!!
高度を取る暇もなく、ネギは杉の木の先端にぶつかった。
杉の木の先端は柔軟で、大怪我を負う事もなかったが、ネギは杖からはじき落とされた。
「しまった!落ちるぅぅぅっ!」
ネギの悲鳴が、山麓に木霊した。
「ん?今のは?」
テントを張っていた楓は、山彦と不審な水音を耳にした。明らかに野生の動物が立てるような音ではない。しばらくしてから、今度は明らかに人間――おそらく子供と思しき声がする。
「こちらでござるか?」
遭難者かも知れないと考え、楓はそちらの方へ向かってみることにした。
真の恐怖とは、不可知である。
ネギにとって幸運だったのは、落ちた場所が川の中だったことだ。だが、フォーチュンのサービスはそこまでだった。ネギはすぐ、自分の半身を失ったことに気付く。
「あああ!僕の大切な杖、どっかいっちゃった!」
杖がなしではほとんど魔法も使えず、帰ることもままならない。慌てて周囲の茂みを掻き分けて探し始めるネギ。
その声は、その時聞こえた。
………あははははのぎゃおぅああぁぁぁぁ……
「……えっ?」
それは名状し難い奇声だった。笑い声にも悲鳴にも似た奇怪な鳴声。少女のような声色でありながら、そこに込められているのは歓喜と恐怖という背反した感情。これが人のものなら、その主は明らかに狂人だ。
その断末魔とも嬌声ともつかないそれは、草木を掻き分ける音を立てながら、すさまじい速さで移動している。その方向は右へ左へと方向性もなく動き回る。
…やめとめハハハハばかいぬぅぅぅぅっ!
恐怖のため指一本すら動けず立ち尽くし、呆然と聞いていたネギだったが、その声と草木を分ける音が、段々と大きくなっていることに気付いた。
邪神を称え召喚するための祝詞の如きその声は、時に近づき時に離れ、まるでネギをいたぶるかのように、ゆっくりと近づいているのだ。
「う、うわぁぁぁぁっ!た、助け…お姉ちゃ、あうっ!」
得体の知れない恐怖から逃げようと駆け出したが、恐怖によって竦みあがった足はすぐにもつれ、無様に地面に転がった。
ぬぅおいとまはははいいかげんにははは!
追ってくる声が無様なその姿をあざ笑っているように聞こえた。
「うっ…うぇぇっ…アスナさん…」
心身ともに疲弊したネギは、起き上がることもせずに泣き言を漏らす。無理もない。追われる恐怖に心を削がれ、魔法も使えずただ独りなのだ。
だが、泣く時間すら与えられない。目の前の茂みががさがさと音を立てる。
「ひっ!」
目を閉じることも出来ず、ネギは前を向いたまま固まった。その茂みから出てきた者は
「おや、誰かと思えば…」
それは、見覚えのある長身の
「ネギ坊主ではござらんか?」
「な、長瀬さん!?た、助かっ……」
ネギは、見知ったその姿に安堵しかけるが、後ろに迫った狂気が、それを許さない。
いいかげんとまははははひょぎゃぁぁぁぁぁぁ!
狂った鳴声は、確実にこちらに近づいている。
「うわぁぁぁぁっ!」
「むむ?」
思わずネギは楓に抱きつき、楓はそれを庇うようにしてクナイを構える。
混乱し恐怖に完全に取り付かれたネギとは異なり、長瀬はその奇怪な鳴声を冷静に聞き、それは一つの声ではなく、二人分の声が合わさったものだということに気付いた。
死ぬマジ死ぬ大丈夫でござるよ大丈夫なわけあるか!
草木を掻き分ける音が近づき、声が二人の少女の会話であると聞き分けることが出来るようになり……
ずばっ!
断ち割るような音を立てて、その声の主が茂みから姿を現した。
「もっと飛ばすでござるよぉっ!」
茂みから姿を現したのは、一部に赤いメッシュのはいった銀髪の少女―――シロと、
「もう飛ばさんでいいわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
シロに引っ張られたマウンテンバイクに乗った横島と、その後ろに乗る黄金色の髪の少女―――タマモだった。
『よ、横島さん(殿)!?』
全く以って予想外の人物の乱入に、二人は声をそろえて名前を呼ぶ。
それを聞いた横島は反射的にそちらを向き…
「あ、バカ…」
タマモが呟く。だが、遅かった。
ただでさえ悪路で高速走行をしていた自転車のバランスにとって、乗り手が向きを変えたのは致命的だった。
自転車はコントロールを失い、木の根に乗り上げ宙を舞った。
当然、二人の乗り手は投げ出される。
「のぽろぉっ!?」
「はぁ…」
タマモは、小さくため息をつくと、空中で身をひねり音もなく着地した。
横島自身も空中で身をひねり、
「ぺぶっ!」
しかし飛んでいった方向にあった木の幹に叩きつけられる。木に抱きついてコアラのような格好で沈黙する横島。
「アハハハハッ!散歩散歩ぉぉぉっ♪」
シロはランナーズハイでも入ってるのか、自転車が倒れたのも気付かない様子で走り去る。タマモは横島を一瞥するものの、さしてその安否を気にした様子もなく、
「ちょっと、シロ!私を置いていかないでよね!」
シロに劣らないほどの速度で走り去ったのだった。しばらく、二人の少女が草木を掻き分ける音だけが響き…
「よ、よう…ネギと楓…ちゃん。こんなところ、で偶然…だな」
横島は呻くように言ってから、やがてゆっくりと木の幹からずり落ちたのだった。
横島について話がある。
アスナの中で今朝、吹き散らされた疑問が再び形をとりはじめた。
さよの歌の練習に付き合っていた横島。
冷たい目でエヴァを殺すと言っていた横島。
前者が本当の横島だと信じたいという気持ちと、後者が本当の横島だったらと疑う気持ち。
急いでネギを探さなくてはならないというのに、横島に対する不安と疑念が泥沼のように、駆け出そうとする足を絡め取る。
「姉さん、コレを見てくれ」
若干の焦りを覚えつつも、カモの言葉が気になって、アスナはカモのパソコンを覗き込む。
「GS協会?」
「そのホームページっすよ。ここでGSを検索できるんすけど」
カモはボードを叩いて、フォームを呼び出すと『横島忠緒』と入力する。
だが…
「該当者…なし?」
「そうなんすよ。少なくとも日本のGS協会には横島忠緒ってGSは登録されてねぇんだ。で、今度は世界レベルで検索するってぇと…」
カモは検索範囲を広げてYokoshima Tadaoと入力する。するとようやく一件出てきたが…
「横島忠夫…って男じゃない!」
出てきたのは、今年21歳になる青年だった。それなりに顔立ちの整った、童顔気味のバンダナを巻いた青年だ。そのバンダナのせいか、どこか忠緒と印象が重なり……
「…まさか、エロオコジョ、あんた……横島さんが実は男で、女装して学校に通ってるなんて言うつもり?」
「ち、違うんだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
「うわっ!」
気絶していたはずの横島が上げた大声に、心配そうに顔を覗き込んでいたネギは、跳び上がって驚いた。だが横島はそんなことを気にせずに、その場でごろごろ転がりだす。
「事情があるんだ!仕方なかったんだ!好きでこんなことしてるんじゃないんだ!俺はロリコンじゃないんだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
「うるさい」
タマモはそちらを向くのもめんどくさいとばかりに、指をパチンと一つ鳴らす。その瞬間、横島の体が狐火に包まれる。
「ぎょえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」
有名RPG二作目のオープニングで焼き殺された王様風な悲鳴を上げて、火達磨になった横島は更に激しく転げまわり、
「あ」
楓たちが止める間もなく、そのまま近くの崖から転げ落ち
どぼぁぁ……ん
水しぶきを上げて川に落ちたのだった。
アスナは考える。
横島が実は男。
考えればおかしいところは多い。
自分を俺と呼ぶ言葉遣い然り。女性好きという性癖然り。
そう!きっと横島忠緒という少女の正体は、実はこの横島忠夫という男なのだ。
そうすれば全ては納得が―――
「って、そんなわけないじゃないっスか、姉さん」
「そーよねぇ、アハハハ」
呆れた様子のカモに、アスナは思考がぶっ飛びすぎたと、照れた様子で頭をかく。
横島の言動や趣味にしてみても、ショタコンの親友を初めとして変わり者の友人知人に事欠かないアスナにしてみれば、まだ許容範囲。
その上、アスナは横島の湯上り姿を目撃していた。その時に見た横島の肢体が、男のものとは思えない。魔法というものを知っていても、よもやここまで完璧に女性化するとは、アスナには考えられなかった。
横島の知らないところで、ある意味人生最大の危機は、ぎりぎり回避されたのだった。
「けど、カモ。確かに木之香のおじいちゃんは、横島さんのことをGSだって言ってたわよ」
「そうなんスよね。まあ、GSってぇんなら呪いを回避するために偽名を使ってるってのも考えられるんスけど……」
「…けど、何よ?」
「あの文珠と、この横島って苗字が問題なんスよ」
カモは、パソコンの電源を切り姿勢を直す。
「姉さん。コレは横島の姉さんと関係ないかもしれませんし、そもそもその噂が本当か同かも怪しい話っス。そのことを前提にして聞いてくれ」
そう前置きして、カモは語り始めた。
それは二年ほど前に、魔法界やGS業界を問わず、裏の世界に流れた噂話―――人界最強の道化師・ヨコシマの話だった。
「ぶえっくしゅん!……なんか、不条理な理由で燃やされた気がするぞ、俺」
「気のせいでしょ?」
川から這い上がった横島に、タマモはそ知らぬ顔で返答する。
現場を見ていたネギとシロは複雑な顔をするが、横島が
「そっか?」
と、本人が納得しかけているのを見て、話がややこしくならないように黙っていることにした。
「ほれ、タオルでござるよ」
「あ、サンキュ。けど、大丈夫だ」
楓に差し出されたタオルだったが、横島は受け取らずに2枚のタロットを出す。特殊な加工でもしているのか、濡れた様子はない。
「蛍惑・刀剣の符に乾燥の能を与えよ」
そう唱えてから、カードの内の一枚を自分の服に押し当てる。すると服から大量の蒸気が噴出す。
「んー、茹で野菜みたいでござるな」
「ほっとけ!…つーか、生乾きかよ」
蒸気の噴出が収まった横島の服は一部乾いた様子だったが、まだ着れるほどは乾燥していなかった。
「仕方ない」
横島は文珠を作ると《干》と入れて、発動。今度は蒸気すら出ずに、一瞬で服が乾燥した。
それを見ていたタマモが眉根を顰める。
「もったいないわね。美神に怒られるわよ?」
「仕方ないだろ。陰陽術じゃあと数回、術をかけなきゃいけないし」
言いながら横島も、ちょっともったいなかったかと思った。だが仕方ない。本当なら最初の術で服はちゃんと乾いていたはずだった。しかし美少女化のせいで威力が弱まり、半分も乾かなかったのだ。
(……エヴァちゃんとやりあうとすれば、このままじゃちょっと不安だな…)
何とか力を取り戻すべきかと横島は思案する。その横から、楓が乾燥した服を興味深げに眺めていた。
「ふむ、これが横島殿の霊能力でござるか?」
「ああ、大体こんな感じだ」
と答えたところで、横島は我に返る。周囲を見渡せば、そこは清流の畔だった。空気の澄み具合や木々の様子からして、結構山奥だと思われる。
うむ、空気が美味しい。
横島は排気ガスに冒されていない清清しい空気を一杯に吸い込み
「この馬鹿犬ぅぅぅぅぅぅぅっ!」
一喝した横島は、日光で温まった石の上でいびきをかいていたシロの脳天に、ハリセン状にした霊波刀を振り下ろす。
「きゃいん!な、何をするでござるか!?」
「何をするかじゃねぇ!シロ!こんな道も通ってない山奥まで突っ走りやがって!なんでサドルに乗ったケツが砕けそうになるようなオフロードを選んだんだよ!」
「この近くが里の雰囲気に似ていたのでござるよ!だからつい…」
「ついじゃねぇ!これからはせめて舗装された道を走れ!」
「ク〜ン…」
横島の剣幕にシロは尻尾を丸める。
「話を聞く分には、横島殿は自らこんな山奥に来たというわけじゃないようでござるな」
「ああ、俺は散歩に付き合ってこいつに引っ張られてきたんだ。って、そういえば紹介が…」
「それなら済んでいるでござるよ。人狼のシロ殿と化け狐のタマモ殿でござろう?」
「九尾の狐よ。そんじょそこらの狐と一緒にしないで」
「尻尾が多いだけで同じようなもんだろ。そう言う楓ちゃんはどうしてこんな山奥にいるんだ?」
「修行でござるよ。土日は寮を離れてここにいるのでござる」
「修行………まさか散歩の?」
「んー、答えは秘密でござるが、少なくともそれはハズレでござる。そういう予想をしたのは横島殿が初めてでござるなぁ」
どこか満足げに頷く楓。
「で、ネギは楓ちゃんが誘ったのか?」
「いいや、横島殿が転んだところで、偶然会ったのでござるよ。
それで、ネギ坊主はどうしてこんな山奥に?」
「……えっ?…あ、はい!いえ、あの…」
俯いて居心地悪そうに座っていたネギは、話を振られてもどこか気まずげにもごもごと言うばかり。
「まあ、話したくなければいいでござるよ」
「…だな」
本当に気にしていないという風な楓に対し、横島は大体、予想がついていた。
(こいつ……さては大浴場を覗き見して追い出されやがったな!ってあのクラスの子達は逆に引きずり込むだろうしなぁ、チクショウ!羨ましい!)
と横島が、自分が原因の一端だなど露にも思わず、的外れなことを考えていると、どこからともなく腹の虫が鳴く音がした。
横島は自分のかとも思ったが、鳴いた虫の住処は自分の腹ではなく、そのすぐ目の前で赤面しているネギの腹だった。
「ふふ…少々早いが昼ごはんにするでござるか?」
「あ、俺もご相伴にあずかっていいか?朝飯、食い損ねてさ」
「いいでござるが、ここでは自給自足が基本でござる。
まずは岩魚でも獲ってみるでござるか?」
「お、いいじゃねぇか。シロやタマモはどうだ?」
「任せてくだされ!伊達に野生の狼をやっているわけではないでござる!」
「ま、こんな山奥でお揚げって訳にもいかないしね」
張り切るシロに対して、仕方がないという風なタマモだったが、その目はどこか楽しそうに輝いていた。横島は肩をすくめると、《干》の文珠を使ってぶら下がっていたネギの服を乾かし、
「ほれネギ。乾かしたから着替えろ。それから岩魚獲りだ。お前もいいよな?」
「あ…はいっ!」
半ば勢いに飲まれる形でネギは頷く。それに加えて空腹だったことや、何か行動して今の自分の情けない現状から、少しでも逃避したいと言う心理が働いたのかもしれない。
「こっちでござるよ」
歩き出す楓にネギたちはついていく。横島はネギたち三人を視界に収めながら最後尾についていこうとして、そのとき自分の上着のポケットに入れておいた携帯のことを思い出す。
「やば…」
顔を青くして携帯を取り出し電源を入れる。だが、携帯の液晶は何の反応も示さない。完全に壊れたらしい。横島は肩を落とす。
「また美神さんにどやされるな……とほほ」
「先生!はやくするでござるよ!」
「はいはい!今行くよ!」
壊れた携帯をポケットにしまうと、横島は楓たちの向かった方に歩き出した。
横島達が食料採集に乗り出した頃、アスナとカモは学園の外れの森にいた。
「ねぇ、本当にこっちないの?」
「俺っちの鼻に間違いはないはずっスけど…」
カモは地面に顔を近づけ鼻をならす。
「やっぱこっちっスよ、姉さん!」
カモが再び歩き出した。その向かう先は森の更に奥。このまま行けば山の中だ。
方向的にもネギが飛んでいった方向だ。
「まったく、あのガキは…」
愚痴りながらカモの後を追うアスナ。
だが、独り言の愚痴などそう続くものではない。
無言で歩き始めると、その意識は出かける前にカモから聞いた話を思い出し始める。
カモが語った噂話は、荒唐無稽なものだった。
今から二年ほど前。数多くの神族、魔族が人間界にやってきた。
本来は人間界に不干渉であるはずの神族と、召喚でもされない限り来るはずもない魔族。どうして彼らがやってきたのかとさまざまな憶測が流れたが、その中で最も信じがたい予想の一つに、次のようなものがあった。
―――大量にやってきた神魔の目的は、ある一人の霊能力者を殺して、魂を回収するためだ―――
それこそロズウェルの宇宙人のような、胡散臭い話だった。
たかが人間一人の魂のために神魔が大挙するなど考えられないし、そもそも人間界にやってきた神魔のなかには、神話級の者たちがいくらでもいた。神魔に対抗できる人間というのもいるにはいるが、神話級の相手とやりあえる者など、それこそ神話級の英雄だ。人間一人を狩るためにそれほどの存在が押し寄せるなど、家庭内害虫を退治するために、バルサンの変わりにサリンを焚きこむようなものだ。
その噂が最初に流れた時、誰しもが下らぬゴシップだと信じて疑わなかった。
だが数ヶ月で、その認識はひっくり返った。
人間界に降り立った神魔たちが次々と敗退し、中には滅ぼされたものまでいたのだ。
その最期を目撃した中に、必ずと言っていいほど一人の男の姿が目撃された。
―――黒い服を着た霊能力者が、サハラで魔族たちと戦っていた。
―――ある男が文珠を使って海神を殺し、インマウスの海を断ち割った。
―――霊能力者の男が、中国奥地で神仙と戦い山を崩した。
―――ロサンゼルス上空で一人の男が天使を霊波刀で斬り殺した。
世界各地で神魔と戦い、滅ぼしていく文珠を使う黒服の霊能力者。
最初の1ヶ月は、単なる酒の肴として『裏』の酒場で話され―――
数ヶ月目には、その噂はいくつもの証拠により事実として認識され―――
半年を過ぎた頃には、禁忌として誰もが口を閉ざした。
神魔に公的なスポークスマンがいるわけでもなく、直接的なコネを持つものもほとんどいなかったため、その真偽は確かめられることはなかった。とばっちりを恐れてか、それとも神魔からの圧力のためか、GS協会を初めとして、霊能力者、魔法使い、その他諸々の諸勢力も本腰を入れて調べることはなかった。徹底して調べた機関もあったらしいが、それこそ闇の中の更に奥のことであり、それでも真相に辿り着いた者はいないとされている。
だが、数十、数百、名も無い下位も含めて千をも超えるだけの存在を退けた男の噂は、そのトリッキーな戦い方や、当時、噂になっていた文珠のことも含めて、裏の世界を駆け巡った。
だがその生きた伝説は、噂が流れてから一年もすると、ぱったりと姿を消した。同時に、神魔も人界から去った。
神魔に敗れて殺されたとも、姿を隠しただけだとも言われているが、その真偽は定かではない。だがその噂は、裏の世界では現代最新の神話として、未だ忘れられることなく囁かれている。
霊波刀を執り―――
黒衣に身を包んだ―――
文珠を駆使する―――
―――最強の道化師、ヨコシマ。
そして、そのスタイルと苗字は、転校生横島忠緒のそれと酷似していた。
深い森の中、ただでされ気分が滅入る環境で、頭をよぎる不安な噂。それが昨日の保健室での横島の様子と重なり、気分は沈んでいく。
それに耐え切れず、アスナはカモに話しかけた。
「ねぇ……カモ。寮を出る時の話って、ホント?」
「人界最強の道化師の噂っスか。そういう話があるってのはホントっすよ」
「……散々、横島の姉さんとかって言ってたくせに疑うの?」
「そ、そういうワケじゃないっスよ!ただ、文珠や霊波刀を使ってヨコシマと名乗ってる、ってぇのが何か引っかかるなぁ、ってことっすよ!
別に危険だとか敵だとかそう言ってるわけじゃないって!」
慌てた様子でカモは言う。
カモとしても、自分が横島についてどう考えているのか掴めていないのだ。
横島には恩義があり、女の身でありながら溢れ出るその漢気にも尊敬している。
だが、オコジョ業界でも噂になった、神魔を殺戮しつくしたヨコシマという存在への恐怖感がその信頼を揺るがしている。アスナにこのことを話したのも、その不安感を一人で抱え込みきれなかったから、というのもあるのだ。
「まぁ…それならいいんだけどさ…」
歯切れの悪いアスナの返事。アスナにしてみても、横島の事は信頼している。
クラスでの様子を見る限り危ない人には見えないし、昨日は身を挺してネギを庇い(結局、怪我をさせたが)治療までした。保健室での話だって、こちらを想っての諌めだと理解できる。
だが心のどこかに、横島を疑っている自分がいる。
アスナは横島の正体云々以前に、友達を信じきれない自分がたまらなくイヤだった。
「……横島さんに連絡とってみるね」
アスナはそう言うと、携帯を取り出してアンテナが辛うじて立っていることを確認する。
横島の携帯番号はネギのクラス名簿に書かれていた。だが登録しただけで、結局はかけなかった。ネギを探すくらい自分達だけで十分だと自分自身に言い訳して。
だが、これ以上山奥に進むと言うなら、女子中学生とオコジョだけでは心もとない。ここは横島に助けを求めるべきだろう。
そう考えての電話だったが、だが実際は自分が横島を疑っていると言う事実を、否定したいだけかもしれないと、アスナは考えてしまう。
(……なんか、今の私って言い訳ばっかりして、嫌な奴よね…)
そう思いながら通話ボタンを押すアスナ。
『おかけになった電話は電波の届かないところにあるか…』
だが自動で奏でられる連続したプッシュ音の後に聞こえてきたのは、無感情なメッセージだった。
そのことに安堵している自分に気付いたアスナは、また少し暗澹とした気分になったのだった。
ドパァァ……ンッ!
山間に爆発音が木霊する。
爆発したのは楓に紹介された、岩魚がいるという川の水面だった。
「おっし!よくやったぞ、ネギ!」
ネギの肩を叩く横島だったが、ネギは投球姿勢のまま固まったまま。
「よ、横島殿〜、いったい何のつもりでござるか?」
「何って、猶所正しいガチンコ漁法だぞ?っと、お〜い、シロ、タマモ!そっちに流れて言ったぞ!」
あまりの豪快さに開いた口がふさがらない楓に、横島は下流に待機したシロとタマモに指示を飛ばしながら答える。
事の次第は読者諸氏の想像通りだろう。
例の如く、岩魚が集まるポイントで楓が
「んー、ホレ、もっとこうしてポポーンとv」
バッ!したんっ!うぎゅるるっ!スポポーン!ボチュ!ボチュッ!ボチュンッ!
と岩魚をクナイで数尾捕まえる。ネギも同じように頑張るが、当然ながら上手くいかない。そこで横島が文珠を作り、コレを川の上流に向かって投げろとネギに渡した。
ネギは素直に従って、それを思い切り上流に向けて投げ……
「よよよ横島さん!あんなにすごい爆発をするなんて聞いてないですよ!」
「ま、言ってなかったからな。けどあれでも威力は制限した方だぞ。でないと魚が粉々になるし」
「うむむ…修行場を荒らすのはやめてもらいたいのでござるが…」
「あははは…悪い悪い…けど、クナイで岩魚を取るなんてすごいな楓ちゃん。さすが忍者」
「さーて、何の話でござるかな」
汗をかいて苦笑いする楓に、少し悪乗りが過ぎたかと、無理な話題転換を図る横島。
楓やネギもこれ以上言っても仕方ないと、シロタマ達と一緒に浮かんだ岩魚たちを集める。さすがと言うかなんと言うか、五人では少し多いのではと言うくらい岩魚が取れのだった。
「さてさて、次は山菜取りでござる。横島殿、爆発は勘弁でござるよ?」
「山菜取りで爆発なんてさせないって」
手をひらひらさせながら横島は言う。
その横でネギは、汚名返上と意気込んで尋ねる。
「楓さん?山菜取りのコツってありますか?」
「んー、そうでござるな。強いて言うなれば…」
シュパパパパパパパパパパパパパパパパッ!
「「「「「「「「「「「「「「「「16人に分身すれば16倍の速さで採れるでござるよ」」」」」」」」」」」」」」」」
『うわぁぁぁぁぁっ!?ニンジャだぁぁぁぁぁっ!』
コレには流石の横島も、ネギと一緒に驚きの声を上げる。
が、タマモはその様子を見て対抗心を燃やしたらしく
「ふん、16人くらい何よ」
ボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボボンッ!
そこらかしこで煙が上がり、現れたのはタマモの団体
「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「こっちは32人よ!」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
「こっちも増えたぁっ!?」
「って、アホか!」
シパンッ!
「キャンッ!」
しかし今度の横島は、驚く側には加担せず、霊波ハリセンで32人の中から本物のタマモを見切って一撃する。その瞬間、他のタマモの全てが煙に戻って消えた。
「な、何すんのよ!?」
「増えりゃいいってもんじゃねぇだろ!?幻覚に山菜取れるか!?」
「大丈夫よ、山菜も幻覚で32倍にすれば…」
「意味がない!」
「クンクン…楓殿!こちらにもいっぱいあるでござるよ?」
「おお、かたじけないでござる」
横島とタマモが口論を繰り広げる横で、シロは嗅覚を生かして、楓たちと真面目に山菜を探していたのだった。
等々、紆余曲折はあったものの、十二分に食料が集まり焚き火を囲んでの昼食となった。
少々量が多いかもしれないと思ったが、実際はそんなことはなく
がつがつムシャガむごくガツはむバリゴくん!
モリばりバクバクぶしゃパクぶりがぶりんぐ!
もはや破壊音といっても差し支えない音が二つ、食べ切れないかもしれないという危惧など杞憂だったと証明するように、魚やキノコを消費していた。
「ひぇんひぇい!ひょれはせっしゃはひていたしゃかれほひゃひゅよ!?(訳:先生!それは拙者が焼いていた魚でござるよ!?)」
「もふぉふぉ、はまひひょひりょ!ひょひぇんほのほはひゃひひくひぇいひょふ!ひゅよへりゃひゃひひく、よひゃへひゃひぇよひゃんひゃひゃ!(訳:ふはは、甘いぞシロ!所詮この世は焼肉定食!強ければ焼肉、弱ければネコ飯だ!)」
「へほへははふほうかみひぇこひゃる!(訳:ネコではなく狼でござる!)」
「あの、ひょっとしてお二人ともちゃんと意思疎通できたりしてるんですか?」
ほとんどハ行だけで会話を成立させている師弟に、ネギは目を丸くする。
そんな騒がしい食卓の風景に、ネギの心も大分軽くなっていった。
そうしているうちに山のようにあった食材は、あっという間にその姿を消していった。
「ご馳走様、おいしかったわよ、油揚げには劣るけどね」
「拙者も満腹でござる」
「あいあい、お粗末様。
最後のキノコが焼けたでござるが、ネギ坊主と横島殿はいるでござるか?」
「いや、俺はもういいわ」
「あ、僕、ほしいです」
「ほい。熱いから気をつけるでござるよ」
皿に盛ってもらった焼きキノコを食べながら、ネギは楓のことを考える。
(すごいなー、楓さんは。
落ち着いていて頼りがいもあるし、忍者で分身も出来るし…。
もしかして僕のパートナーに…)
――――それをお前達が選ぶかどうかは、その責任を取るお前達自身の自由だ――――
「……あっ」
昨日の横島のことが脳裏に蘇った。パートナーに誘うということは、戦いに巻き込むということだ。
しかも今、自分が何をするべきかすらわかっていないのに!
(僕のバカ!パートナーって言っても一方的に頼ってるだけじゃないか。
僕が原因の揉め事なのに、生徒をこんな形で巻き込んでもいいの?
昨日の事だって、僕は危険だとかそういうことを何も考えもせずに、アスナさんを巻き込んで…)
「ちょっと、どうしたのよ?」
「腹でも痛めたのでござるか?」
「えっ?あ、なんでもありませんよ」
シロとタマモの気遣わしげな声に、ネギは食べかけのキノコを口にする。
(ったく…また落ち込みやがった。何を考えてるかは知らんが、考えすぎじゃねぇのか?)
そう胸中で思って、横島はどうしたものかと楓に目配せをする。その視線を受けて楓は小さく頷く。楓は立ち上がり、食べ終わったネギの頭にポンと手を置く。
「ほれ、ネギ坊主!行くでござるよ」
「え?行くって…また食料集めですか?」
「あいあい♪山での修行は食料集めが主でござる」
「狩りでござるか?ならば先程見つけたイノシシを…」
「バカね。また魚やキノコよ」
岩の上から跳び下りる楓。それにシロとタマモも続く。
「ま、待ってぇっ!…あっ」
岩を降りていこうとしたネギは、ベルトをつかまれ持ち上げられる。
何事かと見てみれば、自分を持ち上げたのは横島だった。
(ま、メンタルケアもサポートの一環だ)
そう思いながら横島は、ネギの体を小脇に抱えて
「舌、噛むなよ」
笑顔で言って跳躍した。
「うわぁぁぁぁぁぁっ!」
本日何度目かのネギの悲鳴は、森の中へと消えて行った。
「この頂上のキノコが美味でござるよ」
「ひえ〜〜〜、たた高いです〜〜〜」
「き、気を付けろよ、ネギ…(ズルッ)ぬ、ぬをぉ?」
「せ、先生っ!(ガシッ!)」
「シ、シロぉ!?…よし!ファイトォォォォッ!」
「いっぱぁぁぁぁつ!でござるぅぅぅ(ボコッ)……あ、あれ?岩が崩れ…」
ひゅぅぅぅぅぅぅ…
『のぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!』
「………バカ」
「よ、横島さぁぁぁぁん!!?シロさぁぁぁぁん!?」
「ガァァァァァァァァァァァァァァァッ!(待てコラ人間!ここを俺様、赤カブト縄張りと知って入ってきやがったのか!?)」
「くくくくくクマ!クマ!Wild Bear!?」
「あいあいv」
「たた、食べられるぅぅぅぅっ!?」
「グワォォォォォォォ(おい!命が惜しけりゃ蜂蜜をおいて…)「てい」(ドゴスッ)ガブハッ!」
「先生、これどうするでござるか?」
「うぅん…………鍋か?」
「だ、駄目ですよ、横島さん!?」
「そうよ、ヨコシマ。冬眠あけで痩せてて美味しくないわよ、きっと」
「そうじゃなくて自然保護って言葉知ってますか!?」
「はぁ…はぁ……な、何か……すごく……疲れたん……っ、ですけど、主に精神的に」
「だらしないなぁ…」
先にダウンしたネギを連れて、横島は楓のテントに戻ってきていた。楓とシロタマは野苺の群生地によってから帰ってくるらしい。
横島はネギを座らせると、昼に使った焚き火の残りに火をつけ、ネギに水の入ったコップを差し出す。
ネギは無言で受け取り、一気に飲み干す。それでようやく人心地がついた。
「あ、ありがとうございます」
「どういたしまして」
横島はコップをしまい、ネギの隣に座る。
「…で、お前は何を悩んでるんだ?」
「…!」
何の前触れもなく投げつけられた問いに、ネギは驚いて隣を見る。横島は木の枝で焚き火を突いて燃え方を調節しながら、それとない口調で続ける。
「エヴァちゃん絡みか?」
「……はい」
俯いて身を小さくしたネギは観念したように答える。
焚き火の中で、木の一つがはぜ割れた。
横島は手にしていた枝を折ってそれも火にくべる。
「……で、今日ここに来たのは?」
「…………ごめんなさい!」
ネギは、溜め込んでいたものを吐き出すように、声を大きくする。
「僕……!横島さんやアスナさんに迷惑をかけて…!迷惑掛けちゃいけないと思って…!けどどうしていいかわかんなくなって!それで……!それで……」
「逃げ出した、と?」
「……はい」
答えたネギは、いっそう身を小さくした。
もう消えてしまいたかった。エヴァンジェリンに歯も立たず、深く考えず行動していろんな人に迷惑をかけ、逃げ出した。
自分の相棒たる大切な魔法の杖にも愛想を突かされ、今また憧れの人に弱音を吐いている。
最悪だ。もし今、魔法が使えたのなら、自分を跡形もなく消してしまいたい…。
膝を抱えて俯くネギ。その肩を、横島がトントンと叩いた。
暗い表情のまま隣を向いたネギの額に、横島は手をかざしてデコピンを入れた。
「あうっ!」
「はははははっ!相変わらずいい反応するな、お前」
仰け反るネギを指差して横島は笑う。その様子に、流石のネギもカチンと来た。
人が真剣に悩みを打ち明けてるのに……!
「…迷惑だ何ておもってないぞ」
ネギは眉を立てて横島を睨む。だがその怒りは、横島が返してきた優しげな、まるで母親が幼子に向けるような笑顔と口調によって、毒気を抜かれてしまった。
「アスナちゃんだって迷惑だ何て思ってないだろうし、カモだって何だかんだ言ってお前を慕ってる。大変だとは思っても、迷惑だとか重荷だとか、そんな風には思ってないって。
それに、お前はよくやってるさ」
横島はそう言って、倒れるように寝転がる。
「俺がお前の年のころなんて、ミニ四駆いじってばっかりの、何も考えていないガキだぜ?それにくらべりゃお前はすごいって」
「けど、僕……エヴァンジェリンさんのことで失敗ばかり…」
「失敗ってのは、何かやったから生まれる結果だろ。俺の人生なんて、ほとんど状況に流されてばっかりの、その場しのぎの連続だぜ。自分で考えて行動なんて出来るようになったのなんて、ここ最近だ」
「自分で、考えて……」
そう言われたネギは、自分の行動を振り返る。
自分は、本当に自分で考えて行動していただろうか?
例えば学園長からエヴァの問題の解決を命じられた時。自分はしっかりと考えて引き受けたのだろうか?
例えばカモに言われて茶々丸を襲った時。自分はその行動の意味や結果をちゃんと考えて実行しようとしたのだろうか?
「お〜い?」
「へっ?うわぁ!?」
「おっと?」
いつの間にか思考の海に潜っていたネギが、呼ばれて顔を上げてみると、横島が至近距離で覗き込んでいて、ネギは顔を赤くして飛び退いた。
「どうしたんだよ、いきなりへんな声出して」
「す、すみません…」
「…また、何か悩んでたな?」
「……はい」
俯いて応えるネギ。横島は小さくため息をつくと、ネギの頭を、力を込めてぐりぐりと撫で回す。
「うわっ!や、やめてくださいよぅ!何するんですか!?」
「褒めてんだよ」
ネギは横島の手から逃げ出し、抗議の意思を込めて横島の顔を見上げる。だが卑怯なことに、その時の横島の顔はまたあの優しい笑顔だった。
「悩むのはいいことだ。俺は何にも考えない馬鹿だったから、そのせいでいろいろ失った。だからちゃんと悩めるお前のことは羨ましい。だからしっかり最後まで悩めよ。戦うにしても、逃げるにしても、ろくに考えずにに選んで失敗した結果は絶対に後悔しか生まないんだ。
俺はお前じゃないから、お前の問題を解決することは出来ない。けどその時間稼ぎくらいは俺が何とかしてやるからさ。これ以上、悩めないってくらい悩めよ。それから進めばいいさ」
「横島さん…」
横島は再びネギの頭に手をやって、今度は優しく撫でる。
ネギはその横島の表情が、酷く大人びて見えた。いや、それどころか、まるで魔法学校の校長や今、故郷で石化されているおじいちゃんといった、尊敬すべき―――女性に手向けるべき褒め言葉ではないが―――年長者達と同じ影が見えた。
数多の絶望を経て、傷つき、疲れ、だがそれでも生を否定しない強かな、古木のような強さとでもいうべきかも知れない。
「せんせぇぇぇぇっ!採って来たでござるよぉぉぉぉっ!」
「お、帰ったか!収穫はどんな感じだ?」
シロの声が聞こえてきて、横島はネギの頭に載せていた手を振って応えた。
(悩むこと…自分で考えること……)
横島の手の温もりを惜しく思いながら、ネギは横島の言ったことを思い返していた。
昼下がりの太陽は、ゆっくりと夕日へと変わっていこうとしていた。
夕刻、少し早めの夕食を済ますと、横島たちは帰ることにした。
「泊まって行けばいいでござるのに」
「いや、こいつらの保護者の美神さんも心配するし、おれもさよちゃんと約束があるからさ。あ、ネギ。アスナちゃんにはちゃんと言っておくから心配するな」
「はい。よろしくお願いします」
応えるネギの顔は今朝と比べて、大分ましになって見えた。ネギの顔を見てから、横島はブレーキを確認する。
ブレーキの効きが十分と判断した横島は自転車に乗り、タマモもその後ろに乗る。
「よし!シロ、いいぞ!」
「合点でござる!」
言うが早いシロは駆け出し、数瞬後には自転車もそれに続く。
「ご馳走様でござる!いつかまた来るでござるよ!」
「ま、そこそこ楽しかったわよ、またね」
「あいあい。またねでござる!」
楓の返事を背中に受けて、自転車は森の中に消えていった。やがて草木を分ける音と、横島の悲鳴らしき声も聞こえなくなる。
「おもしろい連中でござったな」
「そうですね」
ネギと楓は、汗と泥だらけの顔を見合わせて笑う。
「さて、ネギ坊主。風呂にでもはいるでござるか?」
「え?こんな山奥にお風呂があるんですか
夕暮れの山に、まるで騒がしさの余韻を楽しむかのような静かな空気が流れた。
一方、騒がしさの原因の一角はそれど頃ではなかった。
「死ぬ死ぬ死ぬ死ぬぐぉ!?」
「ちょ、ちょっとシロ!下り坂なんだから手加減しなさいよ!」
「了解!全力で手加減するでござるよ!」
「会話しろぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
普通に下るだけでもかなり度胸の必要な急斜面を、人狼の脚力で引っ張られるという恐怖に、横島は愚か、流石のタマモも色を失う。だが走っているシロ当人にしてみれば、引っ張らねばならない質量が減ったことで、むしろ嬉しいばかり。
シロは数秒前に言われたことをすっかり忘れ、さらなる加速をしようとして…
「………すんませんでしたぁぁぁぁぁぁっ!」
「すまんで済むかぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
シロとタマモの耳に、どこからともなく自分の師匠とその雇い主との会話に似たノリの声が聞こえた。しかも後者には聞き覚えがあった。
そして横島にとっては、両方とも聴き覚えがあるものだった。
「シロ、声のする方に行ってみるぞ!」
「了解でござる」
「狐が恩返しするとろくな事にならないんだけどね…」
漢気を尊ぶ者の原則その1。いかなる非常時においても慌てて騒ぎ立てることをしてはならない。
カモはその原則に従って、葉巻をくわえてライターで火をともす。
「エロオコジョ?手が震えてるわよ?」
「や、やだなぁ、姉さん。お、俺っちの手の、どの辺りが震えてるんでやんスか」
「……とりあえず、何を隠してるのかはっきり言いなさい」
語尾が微妙なオコジョ妖精に向けて、アスナの視線はいよいよきつくなる。
二人、というか一人と一匹がいるのは山の中。しかも日没間近の光は、生命力豊かに生い茂る広葉樹の葉によって、完全にシャットアウト。カモのライターの方がよほど光源としては強力になってきている。
そんな中でろくな装備もない一匹と一人。
間違いない。この状況こそ、有名なアレだ。
「ほら、何とか言いなさいよ?」
感情が感じられない口調で問い詰めるアスナ。もちろんこの詰問は、現在自分の置かれた状況がわからないから聞いているのではない。単なる確認、通過儀礼だ。
「遭難、したんでしょ?」
「いやーそうなんすよ、なんちて」
むせ返るような草木の香りにタバコの匂いが混じった大気が、完全に凍結してから数秒…。
「………すんませんでしたぁぁぁぁぁぁっ!」
「すまんで済むかぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
土下座した小動物を、現役女子中学生が思いっきり踏みつけた。
動物保護団体とカメラ装備の大きなお友達が見ていたら卒倒するような光景だったが、生憎その場にいるギャラリーは、上空を飛んで巣に帰ろうとするカラスだけ。
アスナは足をよけると、下が腐葉土だったため、地面にめり込む以外、取り立ててダメージを受けた様子もないカモをつかみ上げる。
「どうしてよ!ネギの匂いを追ってたんでしょ!それでどうして迷子になんのよ!」
「いや、そもそも飛んでった兄貴の臭いは地面を嗅いだって解るわけがないから、多分、別の臭いを間違えたんじゃないかと…」
「アホか!?それじゃあ、自分達の臭いを辿って帰る事はできないの!?」
「それも厳しいっスね。なにぶんでたらめに歩き回ったせいで、同じところを何回も通っちまいまして……」
「どーすんのよ!」
「いやぁ、どうしましょうかね、はっはっはっ…」
「笑ってごまかすな!コレで死んだら私達バカよ、バカ!」
涙目になって叫ぶアスナに、さすがは野生動物、意外と落ち着いているカモ。
まさにそんな時だった。どこからともなく、草木を掻き分ける音が聞こえてきた。
「……ま、まさかクマ?」
「いや、そんな臭いじゃねぇ、こりゃ狼の臭いだ!」
「ニホンオオカミはもう絶滅したわよ!」
などといがみ合っている内に、ガサガサと言う音源はすぐ近くまで迫ってくる。
『ひっ!』
二人は身をすくませる。そんな二人の前に現れたのは
「おお!やはり今朝の親切な方ではござらんか?」
と言うのはアスナが今朝、道を教えた銀髪の少女と
「なんでお前らもこんなところにいるんだ?」
という、連絡の取れなかった横島だった。
意外な人物の登場にアスナは反射的に思ったことを口にしてしまった。
「……やっぱりこの人も横島さんの関係者だったのね」
「……やっぱりってどういうことだ?」
横島は苦い表情で言ったのだった。
夕暮れの中、さよが歌っている歌は、古いデズニーアニメの主題歌だった。
木彫りの人形がブルーフェアリーの助けで本当の人間になる。そんな有名な御伽噺そんな主題歌だった。
その透き通った歌声を聴きながら、アスナは自分の隣に座っている、横島のことを盗み見ていた。
山で横島一行と出会ったアスナ達は、ネギが楓と一緒にいて、今晩は楓に泊めてもらうことになったという旨を伝えられた。それから自転車の後ろに乗せてもらい、麻帆良まで帰ることができた。ちなみにタマモは狐に戻り、シロの頭の上に乗ることにした。
その後、今までの人生で乗ったことのあるジェットコースターなど、滑り台の親戚に過ぎないということを思い知らされたアスナは、放心状態のままさよの歌の練習についていくことになったのだ。ちなみにカモはまだ気絶中だ。
シロとタマモは最初の一曲が終了した時点で、門限がどうのこうのといいながら、名残惜しそうに帰って行った。
「なんつーか、ちょっとしたリサイタルだよな」
「え?」
横島がこちらを見ずに言った言葉に、アスナはまるで見咎められたような気持ちになって驚いた。だが、横島にはそんなつもりはないらしく、同じ言葉を繰り返した。
「だから、結構人が集まってるな、ってこと」
「…う、うん。そうね」
横島が言うとおり、普段は人気のない校舎裏には、2、30人程の人だかりが出来ていた。大半が3Aのクラスメートだが、そうでない人もちらほらといる。さよの歌を聞きにきた、言うなればさよのファンだそうだ。
「ま、さよちゃんはかわいいし、歌も上手いから当然だけどな」
横島は我がことのように嬉しそうに言う。
その直後、コンポが次の曲を流し始めた。今度は比較的新しいポップスだった。打って変わって明るい曲調で、恥ずかしがりながらもフリも付いている。朝倉あたりの差し金かもしれない。
(横島さんって、どんな人なんだろ?)
アスナの脳裏に、今朝から何度も繰り返してきた疑問がよぎる。
とても強いらしいけど、どうにも頼りない。
行動はバカ丸出しの癖に、頭が良い。
不意に真面目になったかと思えば、次の瞬間にはおちゃらける。
とても優しい人のはずなのに、あの時は本当に怖かった。
(あの子達は、とても懐いてたわよね)
思い出すのは、横島のことを先生と呼ぶ人狼だというの少女と、ヨコシマというちょっと変わったイントネーションで呼ぶ、狐の少女。二人はその態度は違うものの、横島に信頼を寄せていた。
(とりあえず、人外に好かれる体質なのは間違いないわね)
振り付けの途中で横島に向けて手を振ったさよに、笑顔で手を振って応える横島を見て、アスナは更に考える。
次に思い出すのは、自分の横で目を回して気絶しているカモから聞いた噂。
聞いた時もその後も、その噂が頭から離れなかった。カモの前置きにもかかわらず、その噂に出てくる霊能力者ヨコシマと、自分の隣に座っている横島とが何らかの関係にあるという考えを、除外できなかった。
だが、実際に横島と会ってみると、そんな考えは吹き飛んでしまった。
シロに引っ張られる自転車の上で泣き叫ぶ横島。
さよを慕う者が増えたことを喜ぶ横島。
その様子からは、暗い印象など微塵も感じられない。
だが、それでも心の奥のどこかで、叫んでいる自分がいる。
騙されてはいけない。
あの時、こいつの本性は見たはずだ。
いい人ぶった演技に過ぎないと。
「なあ、アスナちゃん」
「なっ!なに?」
驚いて大声が出そうになり、慌てて口を押さえるアスナ。横島は気にした風でもなく、不思議そうな顔で聞いてくる。
「最近、難しい顔して悩むのって流行ってんのか?」
「は?」
「いや、ネギもだけどさ。アスナちゃんも難しい顔をしてたから」
「そ、そんなことないわよ」
自分が横島について疑っていたことがばれたのかと、おもわず焦って答えるアスナ。
だがその取り繕いは無駄だったようだ。サビに入ったさよの歌を聞きながら、横島は、まるで大したことでもないように切り出した。
「俺が信用できない、とか?」
「!?」
アスナは、心臓を鷲づかみにされたような気分になった。
さよの歌う明るい歌詞が流れている現実が、まるで薄布一枚を隔てた異世界のことのように思えた。
だが、そんな感覚は一瞬で消えた。
「ま、しょうがないよな」
苦笑交じりで、それこそ大したことでないような口調で横島は言った。
あまりのあっさり振りに、アスナは二の句が告げなかった。
どうにか次の言葉を思いついたのはさよの歌が二つ目のサビに入った時だった。
「な、なんで!そんなあっさりとしてるのよ」
大きくなりそうな声を抑えながら、アスナは言う。
「だって俺、GSだぜ」
「どういう意味よ」
「そのままの意味さ、ゴーストスイーパー、幽霊を排除するもの。けど排除するのは幽霊だけじゃない。妖怪とかもその対象になる。そして、退治するってのはつまり―――」
そこまで言われて、アスナは気付いた。
シロやタマモを見ても解かるように、妖怪も他の動物同様に命がある。それを退治するということは、どういう意味か。
「ま、そんなこんなで俺も結構、倫理って面からすると真っ当な道を歩いてないからさ。信じられないのは当然だよ」
「………ごめん」
「気にすんな」
会話が途切れる二人。
さよの歌は最後のサビに入る。
アスナの中で、横島象が大分固まり始めていた。
明るい面、暗い面。横島にもその両方がある。ただそれだけなのだろう。この世には聖人も救いようのない極悪人も、実のところ滅多にいない。誰しもが、二つの面を持っているからだ。ただ横島の場合、あまりもその個性が強烈過ぎてそれをアスナが見失っていただけだ。
そう考えると、アスナは何となく楽になった。あのカモから聞いた噂も気にならなくなった。たとえあの噂のヨコシマとこの横島とに何か関係があったとしても、隣でさよの歌を嬉しそうに聞いている横島が、ウソになるということではない。
だが―――だがどうしても、たった一つ、聞いておきたいことがあった。
「横島さん?もしも、あの時さ。ネギがエヴァンジェリンを殺してくれって頼んだらどうするつもりだったの」
それは難解な質問だと、問いかけたアスナ自身も思った。
殺すならば、それは横島が知り合いでも殺せる人間だと言う証明になる。
殺さないならば、本当に味方とは言い切れなくなる。
だがそんな質問に横島は、迷うそぶりもなく答えた。
「ネギをげちょげちょに殴ってエヴァちゃんに差し出す」
丁度その瞬間、曲が終わった。
『みなさん!ありがとうございます!』
さよのお礼がマイクを通して響き、半数以上がイェー!と返す。
ライブ終了特有のざわつきの中で、アスナだけが一人なにも喋らず固まっていたが
「って!どうしてそういう回答になるの!」
大声を上げてアスナが横島に詰め寄る。周囲に居た数人が何事かと目を向けてきたが気にするだけの暇はない。
しかし横島は、アスナちゃんこそ何を言ってるんだといわんばかりの表情で応える。
「将来的にモテまくりそうな美形の坊主と美少女二人。どっちを取るかといえば、普通に考えて断然美少女だろ!?」
「どこら辺が普通の発想なのよ……」
もはや気力的にも体力的にも突っ込みつかれて、アスナは芝生に腰を下ろす。
もうどうにでもしてくれという様子のアスナ。だが、心の中では安堵していた。
横島は、つまりはこういう奴なのだ、と。
「ねぇ、横島さん」
「ん?」
「私、横島さんのこと信用することにした」
「なんで?」
「だって疑ってるのが馬鹿らしいし」
「……なんかさ、アスナちゃんて俺の事、徹底的に馬鹿にしてないか?」
「横島さん!神楽坂さん!どうでしたか!」
渋い表情をして見せて文句を言おうとした横島だが、文字通り飛んできたさよのため、それは中断された。
日は沈み、空には星が瞬き始めた。
同じ頃、ネギは楓と一緒にドラム缶風呂に入りながら、同じように星を眺めていた。
「辛くなった時はまたここに来れば、お風呂くらいには入れてあげるでござるから、今日はゆっくり休んで、それからまた考えるでござるよ」
「長瀬さん…」
ネギは星空を見上げながら、横島と楓に言われたことを思い出していた。
―――これ以上、悩めないってくらい悩めよ。それから進めばいいさ―――
―――ゆっくり休んで、それからまた考えるでござるよ―――
二つの言葉は、一見対極的に見えて、どこか似ていると思った。
悩むことと休むこと。二つとも立ち止まることだ。
今まで急ぎすぎて、そのまま進めて、そして上手くいってきた。
休む必要もなく、悩む必要もなく、何の障害もなしに魔法学校を良い成績で卒業した。
けれども日本に来て、どうにもならない問題が起きた時、アワアワ慌てて、ろくに悩みもせずに行動して、それが失敗し、現状に疲れて逃げ出した。
『ほんの少しの勇気が本当の魔法』
(そんなことを偉そうに言う資格なんて、今の僕にはないのかもしれない)
けれど、とネギは思う。
ここで逃げたら、それこそ本当にそんな資格はない。
壁にぶつかったら悩んで、辛くなったら少し休んで、それからまた進めば良い。
そうやって立ち向かっていくことこそが『本当の魔法』なんじゃないだろうか。
ネギの見上げる空の上で、半月が静かな光を放っていた。
翌日の早朝、人気のない通学路で横島が公衆電話の前でぺこぺこ頭を下げていた。
『この……バカタレェェェェェェェェェェェェェェェェッ!』
「すんません!本当に本当に申し訳ございません!」
相手が受話器の向こう遥か彼方にいるというのにその腰の低さは特筆に価するだろう。
だがそれも仕方がない。何せ電話の相手、美神令子の恐怖は本能、というより煩悩の髄まで染み込んでいるからだ。
『あんたねぇ!自分が何でそこにいるのか解かってんの!?』
「はい!文珠の効果を消すためです!」
『じゃあ何で半日も結界の外に出てんのよ!その分、呪いが解けるのが遅くなるって解からないの!?』
美神の怒っている理由はそれであった。
横島は服の中にペンダントをつけている。そのペンダントは神族の技術で作られたもので、周囲の霊的エネルギー(霊力・魔力問わず)を特定の霊波に変換して持ち主に照射するというものだ。もっぱら霊力の回復に用いられるものだが、今回は調整して、横島にかけられた美少女化が解けるような霊波が出るようになっている。
「そりゃ解かるんですが、その場のノリと言いますか天然岩魚が美味しくてつい長居を…」
『そんな言い訳通じるか!』
「ごめんなさぁぁぁぁぁぁい」
『とにかく!もう外にでちゃ駄目よ、解かった!』
「はい!天地神明に誓って麻帆良から一歩たりともであるきません!」
『……もし、外にでたら一生女の子のままよ(ガチャン!)』
「……っ!へいへい、解かりましたよ。つーか俺だって好きででたわけじゃないやい…」
いじけながら横島はペンダントを取り出す。底にはデジタル風な文字盤になぜかアラビア数字ではなく漢数字が表示されていた。いかにも明神山製といった感じだ。
表示されている時間はおよそ62時間。今は朝の6時過ぎなので、呪いが解けるのは火曜日の午後8時過ぎだ。
「ふっふっふっ……呪いが解ける…元に戻れる!
そうすれば大手を振ってナンパもセクハラし放題じゃ!」
邪悪な喜びに目を血走らせる横島。
実のところ、男に戻ってもナンパなんぞ成功しない。セクハラにしても現在の方が堂々とやれるのだが、ぶっちゃけ女の体でセクハラなんかしても、ふざけてるとしか思われず、実に悲しい独り相撲なのだ。
「グフッ、グフフフフフフッ!
美神さんおキヌちゃん小鳩ちゃんシロタマ小竜姫様ワルキューレ魔鈴さんマリア愛子ベスパパピリオエミさん隊長冥子ちゃん!
待っててくれ!もうすぐみんなの横島が帰りまぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁす!」
いろいろ溜まっているのか、普段なら完全にアウトな対象までシャウトする横島。
その様子を、呆れてみている二人がいた。
「あ、あの横島さん?大丈夫ですか?」
本当に心配そうな様子で話しかけてきたのはネギだった。その隣には可愛そうな生き物を見るような目をしたアスナもいた。
「ああ、大丈夫だ。それでどうしたんだ、二人して?」
今まで顔中の穴からいろんなものを噴出していた横島は、何事もなかったかのような口調で問う。
まともな状態に戻った横島に、アスナを見て、アスナがそれに頷き返したのを見てから言った。
「横島さん……僕達に、戦い方を教えてください!」
つづく
今回、すこしタグを利用してみた詞連です。忠お!11をお送りします。今回は少々長めです。ギャグに苦労しました。と言うか本来、私はシリアス:ギャグが8:2くらいなもんで、ギャグを組むのが苦手なんですよね。そのクセシリアスもそんな巧くない…がんばります。
さてレス返しを
>D,氏
前回が戦術的な心得だとしたら今回は戦略的な心得。横島には良い保護者になってもらえるように頑張ります。
>チップス氏
誤字訂正感謝です。
>暇学生氏
そうです!アルトアイゼンといいフルアーマバルキリーといい、重武装はロマンです。
魔族の方々には、知恵を絞って横島をはめていくような方向で頑張ります。
>SIMU氏
うむ・・・やはりバランスが悪かったですか?今回はシリアス大目ですがどうでしょう?
展開についてはなるべくご期待に添えるよう頑張っていきたいと思います。
>hagetya氏
セクハラしようにも人としての最後の一線がじゃまして思うようにできない横島。堕ちてしまえば楽なのに(笑)
魔族の皆さんは正面きって戦わないように知恵を絞ってもらう予定です。
>石頭氏
削除されたので覚えている限りで。
>横島のセクハラ云々
横島がレズに否定的なのは、あくまで自分に回ってくる女性が減るからであって、自分がその立場になったら意見を翻すと思います。なぜならもし本当にもてない男の代表を自認しての発言なら、ハーレムというものにも嫌悪を抱くはずですし。因みに私は同性愛系はギャグまでならOKの人です。
>マリアの行動云々
そういう魅力もありますが、あえて私はマリアの登場時などのボケキャラぶりをクローズアップしてみました。
>ネコ云々
あいつらは意外と命知らずです。友人のネコはバイクをいじっているところにやってきます。後輪が回転しているところに手をやろうとしてるのを見て、友人は焦ったと言ってます。また他の案としてカモがネコを人質に取る、逃げ送れるという案も会ったのですが、そうなると茶々丸に撃った矢を戻しフラグが立つ、というイベントが消化できないため、これにしました。
以上終了。では次回、忠お!!12で・・・。
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