物心付いた頃には、彼女の両親は事故で亡くなってしまっていた。
動かない足のために普通の暮らしもできず、学校へも通えなかった。
その気になれば、どうにか学校へは通えただろう。
だが、誰にも迷惑をかけたくないと、頑なに拒否したのである。
胸に去来する割り切れない思いを、仕方ないからと仕舞い込んで。
幸い、父の友人だという人物のおかげで、お金に不自由する事はなく。
毎日ヘルパーの人が家事を行ない、家庭教師が何時間か勉強を教えてくれる。
そんな無味乾燥な生活を、ずっと続けて来ていた。
寂しくなかったと言えば嘘になる。
何で自分ばかり不幸なんだろうと思った事も有る。
けれど、いつしか彼女の身を支配していたのは、年に似合わぬ乾いた諦観だった。
原因すら不明で、直る見込みの薄い足の麻痺。
時々呼吸さえ困難な程に痛みを訴える胸は、余命が長くない事を教えてくれたから。
このまま誰にも悲しまれる事なく天に召されるのだろう。
そう思っていたのである。
それが一転したのは、九歳の誕生日を迎えたその日。
初めて、はやての目前で“闇の書”が起動し、守護騎士達が現れた時。
理解の範疇を超えた出来事を、彼女の柔軟な心は苦もなく受け入れた。
彼女の事を主と呼んで付き従う四人との、穏やかで暖かい大切な日々。
いつ死んでも良いとさえ思っていた心に、生きたいと言う欲求が生まれていた。
だが――
守護騎士達が何かをしていると薄々と勘付いてはいたが、結局何も言えないまま。
クリスマス・イブの日に訪れたのは、悲しみに引き裂かれた無残な別れ。
主を助けるための騎士達の悲痛な決意を無駄と嘲笑われ、目の前で為す術なく奪われて。
そして、彼女の心と体は闇へと堕ちたのである。
けれど、彼女は“闇の書”と呼ばれた“彼女”の記憶と悲しみを知った。
望んでもいない運命を強いられる辛さを、理解できてしまった。
彼女の聡明さと心の強さは、決して望んで得たものではなかったけれど。
それなくしては、その奇跡は決して起こらなかっただろう。
こうして、彼女――八神はやては、夜天の王としての力を得た。
何よりも大切な、彼女の守護騎士達を取り戻す事もできた。
今までの人生で縁のなかった魔導の知識と力も、“彼女”から受け継いだ。
“闇の書”として悲しい運命を見続けていた、五人目にして最後の守護騎士。
主を守るために自らの消滅を選んだ“彼女”――リインフォースから。
あれから六年の歳月が経ち、はやては概ね平和な日々を満喫していた。
守護騎士――シグナム、ヴィータ、シャマル、ザフィーラの四人も同様である。
平日、はやてが学校に通っている間は、守護騎士達は時空管理局に詰めている。
これまでの罪を問わない代わりに、戦力として加わる事を要請されたためだ。
はやてもまた、魔導騎士として管理局に在籍して働いていた。
その勤務振りは非の打ち所がなく、四人の年季が明けるのも、そう遠くない未来だろう。
本当であれば、守護騎士達は、はやてを戦いの矢面に立たせたくなかった。
だが、主のたっての希望となれば、僕たる彼女らに拒否する事はできない。
「ウチは、みんなのマスターやから」
そう優しく微笑まれてしまっては、どうしようもしなかったのである。
義務教育の年齢の間は、きちんと学校に通って勉学に励んでもらう事。
それが、どうにか折り合った双方の妥協点でもあった。
八神家の広いリビングで、テレビから電子音が響いている。
その場にいるのは、テレビゲームに興じている赤い髪をお下げにした幼い少女。
少女の傍で、体を丸めて、とろとろとまどろんでいる小さな仔犬。
ソファーに座って黙々と新聞を読んでいるポニーテールの若い女性。
この日は非番だったため、騎士達は家で怠惰な時を過ごしていたのである。
「あ〜あ、はやて、早く学校から帰って来ないかなあ。なあ、シグナム」
「……主はやてに学校へ通って頂いているのは、我ら全員の意思でも有る。
あまり我がままを言うものではないぞ、ヴィータ」
格闘ゲームをしていた少女――ヴィータが、コントローラーを放り出して嘆く。
それを新聞を読んでいた女性――シグナムが窘めると、少女は面白くなさそうに頬を膨らませた。
「わぁ〜ってるよ! でも、退屈なのは仕方ないじゃんか。
……そうだ! あたしもはやての学校に通えば、護衛もできて一石二鳥……」
「おまえが? 普通の学校に通う? 寝言は寝てから言うものだ」
表情をころころと変えながら、床を叩いて強く主張するヴィータ。
その言葉を、全く視線を動かさないまま、シグナムは鼻を鳴らして笑い飛ばす。
「……面白えじゃねーか。今のどこが寝言だってんだ」
「それが解らん様では、主はやてに迷惑がかかる可能性が高いと言っている。
おまえは、もっと自分と言う人間を知るべきだ」
「ふっ……上等だ、表へ出ろよ、シグナム!
今日こそ、レヴァンティンとてめえの高慢ちきな鼻をへし折ってやる!」
「勝てない喧嘩を吹っかけるのは、馬鹿のする事だぞ?」
と、ここでシグナムは頭を動かし、まじまじとヴィータの顔を見詰めた。
そして、「な、なんだよ?」とヴィータが怯んだ所で視線を新聞に戻し、
「……ああ、すまん。そう言えば、おまえは馬鹿だったな。
あまりにも当たり前の事で、うっかり忘れていた」
面白い様に表情が引きつったヴィータが、大音声で吼えた。
「殺スッ!!」
もはや対決は避けられないものと思われたその時――
一触即発の空気を孕んだ二人の間に、柔らかい声が割り込んだ。
「二人とも、喧嘩はあかんて昨日もゆうたばかりやないの」
それは、彼女達が聞き間違えるはずもない声。
敬愛する主、八神はやてのものであった。
「はやて、どうして? 学校から帰るにはまだ……」
「そうです。それに、今この時に現れたのも都合が良過ぎるかと」
驚愕の表情を顔に貼り付けた二人に、はやては胸を張って得意そうに笑った。
「驚いたか? ザフィーラが念話で教えてくれたんよ。
シグナムとヴィータが、また喧嘩をしようとしてるって。
だから、ちょうどホームルームが終わったから、急いで転移して来た」
「ごめん、はやて」
「申し訳ありません、ご迷惑を……」
笑みを浮かべながらもはやての目が怒っている事に気付き、二人はしゅんとした。
「主は御学友との約束が有ったにも関わらず来て下さったのだ。
二人とも、充分に反省する様に」
そこへ、落ち着いた男性の声で、重々しい言葉がかけられる。
だが、その声質とは裏腹に、発言したのは小さな仔犬でしかなかった。
「てめえ……はやてにチクっといて、偉そうにすんなよな。
大体なんだよ、アルフに言いくるめられて仔犬になるわ。
自分で直接あたしらを止めずに、はやてに泣きつくわ。
盾の守護獣としてのプライドは、一体どこへやったんだ?」
「私は自分のプライドより、主の心の安寧を優先しているだけだ。
ただ不満を漏らして周囲にあたるだけのおまえに言われる筋合いはない」
シグナムとの衝突が回避できたかと思えばこれである。
だが、ヴィータとザフィーラにとっての誤算は、はやてが傍にいた事だった。
「もう、ヴィータもザフィーラも喧嘩は止めぇ!
いい加減にせんと、いくらウチかて本気で怒るよ!?」
両手を腰に当て、眉を吊り上げて凄むはやて。
その様子は、客観的に見ても可愛らしさを強調するだけのものだったが。
睨み合いを始めていた二人には、かなり堪えた様である。
体をぴくりと震わせ、目に見えて落ち込んだ様子となった。
「ごめん。もうしないよ、はやて」
「私とした事が、お見苦しい所をお見せしました」
一応頭を下げて謝罪する二人だったが、そのまま互いの目を合わさずそっぽを向く。
こんなやりとりは恒例行事なので、はやても強くは言わないが。
それはもはや、保母さんと幼稚園児の様相を呈していた。
毎日こんな風に何かしらの問題が起こるため、はやてには色恋に走る余裕もない。
有れば有ったで、更なる問題が浮上して来る事になるだろうけれど。
「んもう、仕方ないなぁ、みんなして。
……あれ? そう言えば、シャマルはどこ行ったん?」
「はい。シャマルなら夕食の買出しにでかけています」
「そうなん? 誰か付いてってあげたら良かったのに」
「それほど量は多くならないだろうから、一人でも大丈夫だと言っていました」
頭を振りつつため息を吐くはやては、この場にいないもう一人の事に気付く。
その疑問に、ちゃっかり新聞を読む事を再開していたシグナムが答えた。
「ん〜〜? シャマルはうっかり屋さんやからなあ。ちょう心配や」
「然程問題はないでしょう。シャマルも、そうそう失敗は……」
「あ〜〜ん! お財布忘れちゃったあ〜〜!」
顎に人指し指を当てて考え込むはやてに、シグナムがフォローを入れようとすると。
半泣きのシャマルが、リビングのドアを開けて中に飛び込んで来た。
日頃のドジっぷりを如何なく発揮した形のシャマルに、その場の全員が絶句する。
普段は鷹揚に構えてあまり動じる事のないはやてさえも。
そんな空気に気付いた様子もなく、シャマルは財布を見付けて安堵の息を吐いていた。
そんな重々しい空気の支配するリビングで。
見付けた財布を片手に出て行こうとした所で、シャマルは勢い良く振り向いた。
ここで初めて、はやてが帰っている事に気付いたらしい。
一頻りあたふたと慌てた後、ばつが悪そうに小さく微笑み。
誰に聞かれた訳でもないのに、帰って来た理由を話し始めた。
「あ、はやてちゃん、お帰りなさい。
ちょっとスーパーに買い物に行ってたんですけど。
清算しようとしたら、レジでお財布がない事に気付いちゃって」
「そか。ウチも買いたいものが有るから、今から一緒に行こか」
苦笑するしかないはやては、鞄をシグナムに預け、シャマルに近付く。
かすかに瞠目したシャマルは、財布を握り締めながら首を横に振った。
その必死さは、この場では滑稽なものにしか見えなかった。
「そんな、言って下されば、私が……」
「ええからええから。少し散歩もしたかったんよ。
せや、ヴィータも一緒に買い物に行く?」
尚も何か言いたげなシャマルの肩に手を置いて、はやてはヴィータに話しかける。
「はやて、お菓子買っても良い?」
「ええよ。ただし、一個だけな?」
「じゃあ行く」
食い気に釣られたヴィータも伴い、はやて達はリビングを出て行った。
その様子を、シグナムとザフィーラは半ば呆気に取られたまま見送る。
そして、それからしばらく立ってから、何となく顔を見合わせた。
「我らが主は、年若いのに気遣いに長けているな。
シャマルの感じる負担が少ない様に、一緒に付いて行く口実を作るとは」
「そうだな。だが、それが幼き頃からの孤独によるものだとしたら、寂しくはある」
低く呟いたザフィーラの言葉に、どこか悔しそうにシグナムは俯いた。
「これからはずっと我らが共に在り、何ものからも主を守る。
以前は孤独だったとしても、もう問題はないだろう」
「ああ。主はやてとの誓約を破る様な事は、もう二度とないと思いたい。
しかし……シャマルの粗忽は、どうにかならないものか」
そんな彼女に気付いたのか、慰める様に言葉を続けるザフィーラ。
その心遣いを汲んで、ため息と共にシグナムは話を変えた。
「無理だろう。あれはもう、個性とも言うべき代物だ。
プログラムを修正すれば直せるかもしれんが、それはシャマルとは言えん」
「そこまで言う程の事か?……いや、その通りなのかもしれんな」
至極真面目なザフィーラの述懐に、頷かざるを得ないシグナム。
サポートの面では全幅の信頼を寄せられているシャマルだが、日常生活では異なる。
その粗忽さは料理の方に顕著に現れていて、今でも微妙なものを作ったりもするのだ。
決して下手な訳ではないが、調理の過程で味付けをうっかり間違えるせいである。
それに付いて面と向かって文句を言うのは、ヴィータ一人だけではあったが。
そんなやり取りがあってから数日後。
土曜日で学校が休みの日に、はやてへ管理局からの出動の依頼が舞い込んだ。
レベルとしては、守護騎士達四人で対処可能なものだったのだが。
一人だけ残る事を善しとするはやてではない。
渋る四人を強引に説き伏せ、主として同行したのである。
ミッドチルダに存在している人の住まない鬱蒼とした森。
寒風吹きすさぶその上空を、五人は身を寄せ合う様に飛んでいた。
守護騎士四人は、六年前と同じくはやての考案した騎士甲冑。
そしてはやてもまた、六年前と似た様な甲冑に身を包んでいた。
甲冑とは言っても、要は魔力によって構成されたバリア・ジャケットである。
その強度は、術者がどれだけ魔力を割り当てているかで決まるのだった。
「寒くはありませんか、主はやて」
「全然平気やて。シグナムは心配性やなあ」
隣を飛んでいるはやてに、横からシグナムが心配そうに声をかける。
いつまでも子供扱いして来る彼女に、はやては苦笑して首を横に振った。
そう言うはやても、騎士達には目下として対応するくせが染み付いている。
はっきり言って、どっちもどっちであったが。
視線を前に戻したはやては、六年前の事を思い出していた。
管理局の仕事を手伝うに当たって、リンディから受けた言葉を。
貴女に対して、私達時空管理局は拭い切れない罪を背負っている。
その事実は、貴女が一人立ちできた時に知らされる事になっているけれど。
それが、決して許してはいけない類の事だとだけは伝えておきたかった。
それでも貴女は、私達の仕事を手伝ってくれるのか、と。
けれど、その時のはやては、迷う事無く魔導騎士となる道を選んでいた。
なのはやフェイトが、どれだけ自分や騎士達を助ける事に心を砕いてくれたか知っている。
自分を救うためとは言え、騎士達がした事も簡単に許されるものではない。
そんな心情とは別に――
直接関わったアースラのスタッフは、なのは達の助言も有り、騎士側の事情も知っていた。
だが、そんな事は無視して、闇の書の関係者を危険視する輩は存在しただろう。
確かに騎士達を伴い、別の世界に逃げるという手も確かに有りはしたが。
管理局に所属する事は、ずっと五人でいるための最良の方法だったのだ。
優しく暖かな思い出の詰まったあの家で、みんなで笑って生きていくために。
それに、リインフォースの記憶を垣間見たはやては、リンディの言う罪に付いても推測はできていた。
今までのマスターが辿った末路を考えれば、当然とも言える措置だったのだろうと。
一旦起動した闇の書は、主の意思を呑み込み、死に至るまで魔力を搾り取ろうとする。
そこから管理者権限を取り戻す行為が、いかに難しい事だったかも解っていたのだ。
だから、どんな事実を知らされても、少なくとも許す努力はしようと考えていたのである。
全てが終わったあの日、なのはやフェイトの腕の中で泣いた記憶が有る限り。
少なくとも、彼女達やアースラのスタッフは、心から信じる事ができたから。
「……大丈夫、はやて?」
「ん。平気やよ。ありがとな、ヴィータ」
物思いにふける主の顔を、捨てられた仔犬の様な目で覗き込む少女に微笑んで。
ため息にも似た言葉と共に、はやては帽子の上から頭を軽く撫でてやった。
今回はやて達に課せられた任務は、ミッドチルダの魔導テロ集団の逮捕。
時空管理局という組織を興し、数多の世界の魔法災害に対応している世界ではあっても。
人である以上、自らの力を悪しき行ないに使う人間は後を絶たなかった。
遥かな過去に滅んだ世界の強大な魔法遺物――ロストロギアも、人の欲望の生み出したもの。
と言うよりは、人の欲望によって本来の在り方を歪められたもの、だろうか。
どれだけ文明を発達させても、人の身である以上、欲望とは逃れ得ない業なのかもしれない。
「はやては、後ろであたし達を指揮してくれてれば良いから」
「ヴィータの言う通りです。戦うのは我ら騎士の役目。
主はどっしりと構えていて下されば充分なのですから」
「せやけど、ウチだけ何もせえへんのは……」
気負っているのがすぐ解る声音ではやてと向き合うヴィータに、シグナムも賛同して頷く。
仕事の際の、いつもの事ながら、はやては眉根を寄せて言い返そうとするが。
「はやてちゃん、二人の言う事を聞いては頂けませんか?
命に関わる怪我でなければ、私とクラールヴィントが治せはしますけど。
それでも、私達ははやてちゃんに戦って欲しくないんです」
「……解った。大人しく見てる」
それを抑えるかの様に、横からシャマルが口を挟んで来た。
唇を尖らせて不満そうな態度を取るが、結局、はやては引き下がった。
この件に関しては、四人が決して引かないと思い知らされていたために。
どんなに彼女達が自分を大切に思ってくれているか、嫌と言うほど理解していたから。
何故なら、はやて自身も、同じ気持ちだったからである。
そして、彼女自身の死は、守護騎士達の死をも意味する。
長い旅路の果てに出会えたはやて以外に、二度と主を持つ事は有り得ない。
それは守護騎士全員の総意で有り、破られる事のない誓いでも有ったのだ。
プログラムを実体化させた存在である守護騎士は、限りなく不死に近い。
けれど、はやてを失った後にまで生き続ける理由など、騎士達にはないのである。
そんな心の在り様を悲しみながらも、はやては騎士達を翻意させる言葉を持ってはいなかった。
「では行くぞ、ヴィータ。ザフィーラとシャマルは主の護衛を」
「おう!」
「心得た」
「了解」
魔法による対人戦闘においては、彼ら守護騎士に敵など存在しない。
ベルカ式のカートリッジ・システムを取り入れたなのはやフェイトは、互角に戦えはする。
だがそれは、総合力で上回る事によって互角に持ち込んでいるだけ。
決して、対人戦闘で騎士達に勝てる事を保証するものではない。
ましてや、一介の魔導師程度では、まるで相手にはならないのだった。
そのため、守護騎士達の任務は、今回の様な人間相手のものが多かった。
一つ間違えば、相手を殺してしまうかもしれない危険な任務。
大切な主を、そんな任務に同行させたくないと考えるのは当然であろう。
矢のごとき速さで飛び出していくシグナムとヴィータ。
そんな二人を、心配そうに見守る事しか今のはやてにはできない。
二人の飛び抜けた実力を熟知してはいても、保護者としての心配が先に立つのだ。
守護騎士――ヴォルケン・リッターの“剣の騎士”、烈火の将シグナム。
その二つ名から解るように、彼女の武器(アームド・デバイス)レヴァンティンは炎の剣である。
「レヴァンティン、カートリッジ・ロード!」
『Explosion』
カートリッジを消費する事で炎をまとったレヴァンティンで、敵に踊りかかる。
「紫電一閃!」
その攻撃の前には防御結界も用を為さず、炎の剣は敵対する者を薙ぎ倒して行った。
ヴォルケン・リッターの“鉄槌の騎士”、紅の鉄騎ヴィータ。
彼女の武器グラーフアイゼンは、大きな鉄槌の形をしていた。
そして、幼い外見とは裏腹に、その戦闘能力はシグナムにも匹敵する。
「グラーフアイゼン、カートリッジ・ロード!」
『Explosion. Raketenform』
カートリッジを消費すると、鉄槌の片側にスパイクが、もう一方に推進器が現れる。
長い柄を両手で構え、ヴィータは鋭い雄叫びを上げた。
「ラケーテン・ハンマー!」
推進器から噴出される爆炎をその場で回転する事でいなし、敵へ突撃する力へと変える。
なのはの硬い防御結界をすら砕いたその威力は、今尚健在である。
そして、“湖の騎士”、風の癒し手シャマルと“盾の守護獣”、蒼き狼ザフィーラ。
この二人は、はやてが同行する際は、主の護衛役として後方に控えるのが常だった。
立ち塞がった数十人の魔導師達を、鬼神の様な強さで倒して行くシグナムとヴィータ。
その戦いの内容に、ようやくはやてが胸を撫で下ろした時、それは起こった。
敵の残りが十人程度になった所で、シグナムとヴィータは違和感に気付いた。
それぞれ相対している敵の防御力がやけに固いのだ。
疲れから攻撃力が落ちているのかと一瞬疑うが、そうとも思えない。
だが、原因を突き止める前に、事態は流れる様に推移した。
「あの人達の編んでいる魔法、まさか……」
「え?」
隣で一緒に見守っていたシャマルの呟きに、はやては目を凝らしてみる。
相手の防御が硬いという事は、攻撃の手が鈍ると言う事である。
そして、僅かでも動きが鈍るという事は――
「シグナム! ヴィータ!」
「これは!?」
「バインド!?」
はやての悲鳴に、ヴィータとシグナムの驚愕の声が重なる。
目の前の敵が、自らをも巻き込み捕縛結界を発動するなど、予想の埒外だったのだ。
ベルカ式の魔法を極めた者は、騎士と呼ばれる対人戦闘のエキスパートである。
けれど、そんなベルカの騎士達も、搦め手で来られると存外に脆い。
かつて、魔力の源――リンカーコアを奪われたのも、不意を突かれ拘束されたためだった。
魔導の光に縛られ足掻く二人を、敵の攻撃魔法が狙いを付ける。
彼らの仲間の何人かも間近に拘束されているが、全くお構いなしに。
人としての尊厳を捨て去った卑しい笑いを浮かべる男達。
彼らの作った魔法陣に破壊の力が宿り、見る見る内に膨れ上がって行く。
「お願い、間に合って!」
「くそっ……!」
すかさず飛び込もうとしたシャマルやザフィーラの後ろから、一筋の光が疾った。
「はやてちゃん!?」
回復や防御に特化した二人では、その速度に追い付く事ができず。
叫ぶシャマルの目前で、その光はシグナム達の元へと到達し、
「リインフォース、防御!」
『りょ〜かい、マイスターはやて』
差し伸べられたはやての杖に重なる様に現れた少女の映像が、手に持つ蒼い本を掲げた。
現在、はやての所有するデバイスの名は“蒼天の書”と言う。
インテリジェント・デバイスと融合型デバイスの中間に位置する魔導器だ。
使用時に現れた少女の映像は、その管制人格、リインフォースIIである。
はやてが夜天の魔導書から得た知識と、無限書庫から発見された資料を元に製作した蒼天の書。
その製作の過程には、クロノやユーノも助言の形で深く関わっている。
この魔導器を、完全な融合型デバイスにしなかったのには訳がある。
一つは、それを製作するための方法の幾つかが再現できなかった事。
もう一つは、闇の書の再来を怖れた管理局上層部が、暴走の危険を指摘した事。
記録に残された融合型デバイスは、すべからく暴走の憂き目を見ていたのだ。
だが、使いこなせさえすれば、強大な力を得られるのもまた事実。
ストレージ・デバイスより、魔法の詠唱から発動までの時間が速く。
インテリジェント・デバイスより、術者の補助が効率良く行なわれるのだから当然だろう。
なのはやフェイトに先んじてS級魔導師の資格を取得できたはやて。
その事に関しては、間違いなく蒼天の書の力があったのである。
「ばりや〜!」
場違いな程可愛らしい少女の映像が、気の抜ける様な掛け声を上げるのと同時に。
シャマルの眼前で、襲い来る攻撃魔法の余波のために、はやて達の姿は視認できなくなる。
そして――
「はやてッ!」
余波が収まったその時、ヴィータとシグナムは、主により守られた事を知った。
「大丈夫か、二人とも?」
「う、うん……」
「問題ありません……」
振り返って気遣いの言葉をかけるはやての傍に、シャマルとザフィーラも到着する。
「……ッ! はやてちゃん、怪我を?」
「ん? ああ、こんなの唾付けとけばすぐ治る」
頬にかすかな擦過傷ができていたはやてに、シャマルが心配そうに尋ねるが。
怪我の度合いに比べて、その心配振りは大げさに過ぎただろう。
「今すぐクラールヴィントで治療しますからッ!」
「いや、いらんて」
顔色を蒼白にしてデバイスを使おうとしている所からも、動揺が伺える。
けれど、そんなシャマルをも凌ぐ程の精神的なダメージを受けた者が存在したのだ。
主が怪我を負った事実を、拘束された二人が理解した時――
何かが切れる様な異様な音が聞こえた。
ぎょっとしてその音の方を向いたはやては、内心で慌てまくる。
「シグナム……」
「ああ、ヴィータ……」
やけにあっさりと拘束を排除した二人がそこにいた。
俯いて顔に影を落としたまま、怨嗟に満ちた声で二人は静かに呟く。
大言壮語を吐きながら、主の手を煩わせ、怪我までさせた己の不甲斐なさ。
醜く卑しい欲望の果て、仲間まで巻き込んで他者を傷つける輩への怒り。
その想いは尽きる事無く、二人の理性を大きく削り取って行く。
「あの、二人とも? ウチなら全然平気やから……」
このままでは、冗談抜きで人死にが出かねない。
異様な雰囲気に呑まれて、先程まで戦っていた相手も茫然としたままだったので。
何とか宥めようとするはやてだったが、その声にも二人は全く反応を示さず。
胸中に渦巻く感情を鎮める、たった一つの方法を選択した。
「レヴァンティン……」「グラーフアイゼン……」
「「カートリッジ・ロード!!」」
『『Explosion!!』』
「あああああっ! やめてぇ!」
カートリッジ・システムの駆動音と重なって、はやての悲鳴がその場に空しく響く。
だがそれも、暴走を始めたシグナム達を止めるには至らなかった。
シャマルやザフィーラも、参加はしないものの、二人を止めるつもりもないらしい。
「飛竜、一閃!」
鞘に収められたレヴァンティンを、シグナムは居合い抜きの要領で放ち。
シュランゲ・フォルム――鞭状連結刃が、残った敵へと襲い掛かる。
「ギガント・シュラーク!」
グラーフアイゼンを肩に担いだヴィータが、勢い良くそれを振り下ろすと。
冗談の様に大きくなった鉄槌の部分が、敵の頭上目掛けて落下して行く。
「我が怒りの刃、何人たりとも止める事能わず!!」
「てめえら、まとめてぶっ潰す!!」
こうして、目を覆わんばかりの地獄絵図が描かれる事になったのだ。
ちなみに、この時の捕縛劇で、何とか死人はでなかったそうである。
後書き
こんばんは、Rebelです。
前回のフェイト×クロノ的な描写は駄目だったのかなあと思いつつ、はやて編です。
はやての場合、家族(騎士達)第一で、この時点で恋愛の目はなかろう、てな感じで設定しています。
A'sの時に、既に肝っ玉母さんしてましたからねぇ。
守護騎士達も同様で、まだはやて以外は基本的にどうでも良い扱いかな、と言う事で。
それと、蒼天の書(リインフォースII)は、名称以外の設定は捏造ですので、あしからず。
それではレス返しです。
>黒アリスさん
感想ありがとうございます。
フェイトは自分を抑えるのに慣れてるというか、自己評価が低い感じだったので、ああなりました。
リンディとクロノの薫陶を受けて育てば、任務に私情は然程挟まないかなあ、と。
このシリーズ内では、クロノに気はあるものの、相思相愛かというと不明だったり。
こんな風に設定したのは、サウンドステージの影響が大きいですね。
>博仏さん
感想ありがとうございます。
前述した通り、フェイト×クロノ的な描写を入れたのは、サウンドステージの影響です。
そちらでは、エイミィとクロノの絡みがほぼ皆無で、リーゼが少し言及する程度なので。
アニメ版だけ見てたら、間違いなくクロノ×エイミィにしてたでしょうけど。
はやてに関しては、恋愛沙汰はまだ早い状態かなあと思ってます。