???チームサイド
『黄昏の式典』参加選手が泊まる専用のホテルには激闘を繰り広げる選手のために温泉や図書館など数々の施設が備えられている。
それらの施設の中の一つに世界中のどんな病院をも凌ぐほどの設備と世界中のあらゆる治癒の神秘を集めた大きな医務室がある。ここには試合で傷ついた選手などが運び込まれることになっており、今もまた気を失っている一人の女性がホテルの従業員であるマネキンのような人形によって運ばれてきた。
人形の背後からは付き添いでついてきたのだろう男性と女性。いや、二人の背後を見ればさらに三人の人影がある。
これほどの人数が入っても医務室にはまだまだ余裕があり、治療室を別にして選手の人数分のベッドがカーテンに仕切られながら並べられているほどだ。
女性は人形によってベッドの一つに寝かされる。それでこの人形の仕事は済んだらしく、律儀にも付き添いの者たちに一礼して去っていった。
「えっと、わざわざありがとございます。次の試合もすぐ始まるに……」
頃合を見て、最初に医務室に入った男女のうちの男性、第三試合に出場していた柾木天地が向かいに立つ三人に頭を下げる。
だが、それを受けた三人の中の一人、第三試合で天地と戦ったトレイン=ハートネットは見ている者を清々しくさせる笑みで軽く言う。
「気にするなって。試合ならスヴェンが見てくれてるし、こっちが好きでついてきただけだしな」
「そうだよ。それに、戦いが終わったら友達だって本に書いてあったし」
トレインの傍らに立つイヴもベッドに横たわる阿重霞を見ながらトレインに同意を示す。本当に、心の底から阿重霞の心配をしてくれている事を感じ取った天地は試合に負けた悔しさなどどこかに吹き飛び、むしろこの人たちと戦うことが出来て良かったと思えた。
この気持ちは天地の傍らで阿重霞の顔を覗き込んでいる魎呼も同じだろう。その証拠に魎呼は三人が同行することに文句を言わなかった。
「しっかし、阿重霞の奴も無茶するよな〜。普段そんな気合なんて無いくせに、ああいう時に限って妙な意地を出しやがるんだから」
「……それだけ必死だったのでしょう」
魎呼の何気ない言葉に阿重霞と戦い、結果的に医務室に運ぶ原因を作ったセフィリアは口を挟む。
「彼女の瞳には譲ることの出来ない意志がありました。だからこそ、私も本気で応じたのです」
「……んなこと、言われるまでも無くわかってるよ」
なんとなく場がしんみりしだしたが、次のイヴの一言によってそれはあっけなく終わってしまった。
「そういえば……鷲羽…ちゃんはどこに行ったの?」
わずかにさん付けにするかどうかで迷ったようだが、結局は天地たちの呼び方を真似る事にした。
その名を出した瞬間。周りの大気が魎呼を中心に怒りで張り詰めていく。
「わ・しゅ・う・だ〜〜〜」
途切れ途切れに、ありったけの怒りを込めて呟く魎呼に天地とイヴはおろか、トレインやセフィリアまでもが距離を取る。それだけ今の魎呼には鬼気迫るものがあった。
元々無いも同然の冷静さは血が頭に上るとともにいとも容易く崩壊し、爆発した。
「あの野郎〜〜〜〜!!勝手に棄権して勝手にどっか行きやがってェーーーー!!」
身体からは紫電が漏れ、バチバチと音を鳴らしている。はっきりいって手が付けられない。
どうしようかと四人が途方にくれていると、
「うるせェーーーー!!静かにしやがれ!!」
「うるさいですよ!!医務室では静かにするようにって親に習わなかったんですか!?」
両サイドのカーテンが勢いよく開かれ、ウニ頭と法衣が現れた。
「は?」
「え?」
「あァ?」
「ん?」
それぞれ顔を見合わせた四チームの代表的なチームの面々は総じてそれぞれの心情を表す声を短く上げる。
ここに、鷲羽チーム、黒猫チーム、裏稼業チーム、月夜チームが奇妙な会合を果たした。
黄昏の式典 第十三話 〜勝利の先〜
先鋒戦 朧VS八神和麻
スプリガンチームサイド
「……いきなりエース同士の戦いかよ」
対戦表を見て漏れた優の第一声は呆れと期待が半々でこもったものだった。
戦いの中に生きる者としては、この組み合わせの結果が気にならないといえば嘘になる。なにせこの二人はそれぞれの分野で世界最強の称号を持つ大会でも指折りの強者。
こんな機会でないと一生お目にかかれない好カードだ。だが、当然不安もある。
「あんたの強さは骨身に沁みて知ってるけどよ、正直どうなんだ。勝てるか?」
この場にいる三人はそれぞれが朧と戦ったことがある。だからこそ朧という人間の規格外さはよく知っているつもりだが、流石に相手が巷で有名な『契約者(コントラクター)』ではもしかしたらという嫌な予感も出てきてしまう。
だが、朧はそれに答えない。闘技場の先を見据え、微かに口元を綻ばせている。
まるで、それが返答だとでも言うかのように。
「いい修行になりそうです」
自分自身に言い聞かせるような言葉をその場に残し、朧はさっそうと出陣した。
聖痕チームサイド
「……最悪だ。思いっきりハズレ引いちまった」
前方のスクリーンに映し出された対戦相手を見た瞬間、和麻の中にわずかにあったやる気は跡形も無く抜け落ちた。心から嫌そうに、和麻は表情を盛大に顰めている。
滅多に見ることが出来ない和麻の本気の表情に隣に立っていた綾乃は軽く驚いた。
「なに?あの人ってそんなに強いの?」
それを聞いた途端、和麻はまず綾乃を信じられないとでも言いたげな視線で見据え、続けて胸中に溜まった鬱憤などもこの機会に出そうとしていると思えるほど深く重いため息が吐きだした。
「……親父、この無知なバカに説明頼む。ついでにこの大会の非常識さも死なないうちに教えてやってくれ」
「誰が無知なバカよ!!」
間髪いれず食って掛かる綾乃だったが、その先にいる厳馬の迫力に思わずたじろいでしまう。
「……綾乃」
「は……はい」
「お前は次代の神凪を背負う者だ。それは同時に、この世界に巣食う者たちを知っておくことにも繋がる。これを踏まえ、綾乃。お前はこの場に集まった者たちの事をどれほど知っていた?」
「え、えーと……真祖の姫アルクェイド・ブリュンスタッド、遠野家当主遠野秋葉、最強のシャーマン麻倉ハオ、それに最高のGS美神令子と魔神殺し横島忠夫です」
この五人は最近では結構有名だ。真祖の姫は日本に在住した時に政府から万が一の時は神凪一族の力を貸して欲しいという話が持ち込まれ、遠野家は神凪一族との関係を考えれば当然耳に入ってくる。麻倉ハオはこのごろ知ったがその力は神をも滅ぼすと父の重悟が言っていたのを覚えている。後の二人は世間には隠蔽されているようだが魔神アシュタロスに止めを刺した者としてこっち側では有名だ。
綾乃自身にしてみれば結構知っているつもりだが、その回答に和麻はあからさまに肩を落とす。
「……それだけか?」
「そう、だけど……」
「はあ……せめて鬼里人の毒蜂とHELLSINGのアーカードぐらいは知っておけよ。未来の神凪当主様」
「う、うるさいわね!鬼里人自体は知ってるけど、その親玉なんてわかるわけないでしょう!」
確かに。鬼里人は名前こそ有名だが一族を支配している者たちの名はそこまで有名というわけではない。だが、和麻は冷たい瞳で綾乃を見ると続けて厳馬の隣に立つ煉に声をかける。
「煉。お前はどうだ?」
「え!?あ、えーと、その……知ってました。一応、鬼里人は僕たちの管轄ですし、吸血鬼の人もネットで噂を聞いたぐらいは……」
そうなのだ。英国のアーカードはまだいいとして、鬼里人は完全にこちらの管轄なのでそこら辺の知識は当然他より深くなる。流石に七頭目を全員挙げろと言われたら煉も無理だが、毒蜂は頻繁に外界に接触するので七頭目の方でも有名だったりする。
「今の煉の言葉を踏まえて、他に言う事はあるか?」
「……ないわよ。だからさっさと逝け」
綾乃は和麻を射殺さんと睨みつけている。言葉の端の微妙な響きに当然和麻は気づいたが、らしくもなくそれを真剣に受け止め、
「……どうなるかね」
と小さく漏らした。
「え?」
あまりにも似合わないその呟きに綾乃は呆けるが、当の和麻はそれ以上なにも言うことなく闘技場を進んでいった。
闘技場サイド
片や威風堂々と、片や意気消沈の心情で闘技場の中央に進み出た朧と和麻は若干遠い二十メートルほどの距離を離して相対する。
身を包む雰囲気こそまったくの正反対である二人だが、どちらにも一つ、万人が認める共通する事項がある。
それは――――最強という称号。
かつてのスプリガン最強であり、世界最強の特殊部隊であった〈COSMOS〉の部隊長にたった一人で〈COSMOS〉と双璧をなすとまで言わしめた世界最強の氣法師、朧。
たった一人で〈アルマゲスト〉の首領、アーウィン・レスザールを殺し、最近では破壊の魔女、蒼崎青子との戦いで自然災害級の被害をもたらした世界最強の風術師、八神和麻。
こちら側の世界に足を踏み入れ、さらにその奥深くに足をつけて初めて聞こえてくる最強という名を持つ存在。
これがどれほどのことか、その領域に達したものは自ずと察する。なにせ現代の世界はかつての神代に比肩するほどに強者が世に蔓延っているのだ。
その中での最強。それは人、人外に関わらず一握りの存在のみに登る事を許された『高み』へと至ったという一つの証明でもある。
だからこそ、最強対最強。これに惹かれない者などいようものか。
確かに今までの試合を振り返れば最強同士の激突はあった。
王立国境騎士団に所属する『星』側の真祖にして不死という点においては最強の吸血鬼として君臨するアーカードと千年もの長い時を経て現代に蘇った有史以来人類最強のシャーマンとの誉れ高い、麻倉ハオ。
現代に生き残った『世界』側の最後にして最強の真祖の姫、アルクェイド・ブリュンスタッドと運命が交錯する城、無限城下層階に絶対的な暴力を以って君臨した最強の暴君、天野銀次。
どちらも世界の広さと深さというものを観客や選手に垣間見せ、鮮烈として記憶に刻み込んだ。だが、少し考えてみて欲しい。この二つの試合は、どちらも人間VS化け物なのだ。
ならば、人が次に求める最強の戦いは自然と決まってくる。
すなわち、化け物VS化け物か、人間VS人間の死闘。
「先鋒戦!朧選手VS八神選手!!始め!!」
司会の合図が闘技場全体に蔓延する緊張の中で高らかに響き、闘技場で静かに向き合う二人の耳を打ち身体を動かす。
いや、正確には違うか。実際には耳を打つ一瞬前。それこそコンマ数秒前に朧はわずかに身体を傾けた。
本来構えを持たないはずの朧の行動に彼を知る者は一様に眉をしかめ、そのらしくも無い行動の真意を探るが、まったくわからない。
唯一その行動の真意を正確に理解した和麻は軽い驚きと共に、やる気の無かった心情をようやく引き締める。わかりきっていたことだが、目の前の男は本気で相手をしないとヤバイとあらためて認識し直す。
「……いきなり容赦がないですね」
体勢を自然体に戻しながら朧は和麻へと言う。だが、その内容は見ているだけの第三者にはわからないものだ。
「当たり前だ。生憎俺は化け物に情け容赦なんて掛ける気はない」
「化け物、ですか。それはあなたにも当てはまることですよ。あれほど見事な奇襲……数々の戦いに身を投じてきた私でも見たことがありません」
「へっ……嫌味にしか聞こえないぜ?」
何気ない、戦いの前のやり取りだと言えばそれまでだろう。だが、この会話には決定的にその元となった主語が欠落している。二人には何かが起こった言う認識はあるが、見ている側からでは皆目見当もつかない。
そう。ピシッという音が、何気ないやり取りの中に波紋を起こさなければ。
音は次第に広がり、最後には轟音を立てて何かが崩れ落ちる。
悩むことは無い。音の原因は単純にして明快だ。ただ、朧の背後に積まれていた瓦礫の山が鋭利な刃物に斬られたように崩れただけなのだから。
「……本当なら、あの瓦礫と一緒にあんたの首も落ちるはずだったんだけどな」
「残念ながら、私の首はそう安くはありませんよ」
二人は最後に皮肉を交え、同時に動いた。
朧は前方に。和麻は後方に。それぞれ飛ぶようにして向かうべき方向へ。
当然だが、氣法師である朧に遠距離からの攻撃手段は無い。必然的に相手との距離を詰める事を必要とする。対する和麻は中・遠距離からの攻撃を得意とする風術師。故に二人のこの動きは戦う前から定められていたものだと言えるだろう。
突然始まった戦いの先制は当然といえば当然だが遠距離を得意とする和麻からだった。指一本動かすことなく生み出された不可視の風の刃は膨大な風の精霊を伴う疾風として宙を疾る。その数はおよそ十。通常の人間は言うまでも無く、中級の妖魔ですら容易く滅ぼせるほどだ。
それらは直線、左右からの迂回、真上、全てが異なる進路を辿ることで朧を囲むように襲い掛かる。逃げ道は皆無。そもそも逃げ道を残してやるなんて不手際を和麻がするはずが無い。
だから、それは和麻の落ち度ではないはずだ。一瞬の停滞もなく、朧が風の刃を全てかわして見せたのは。
「ッ!?出鱈目野郎が……!」
そこで行われたことなど、和麻にはわからない。今の風でわかったことはただ二つ。接近戦では勝てそうに無いこと。中級の妖魔ですら容易く滅ぼせる程度では、足止めにすらならないということだ。
朧は走る。その胸に滾る強者と戦える歓喜を噛み締めながら、地を這う黒い稲妻と化して突き進む。障害など、この身には無い。外部からもたらされる障害などは修行の一環。それが人にして、仙人骨を持たぬ身で仙人に至ろうしながらすでに並の仙人を凌駕してしまっている究極の矛盾。それが、最強の氣法師、朧の在り方。
だが、忘れてはならない。最強と対峙しているのは同じく最強だということを。
十の刃で倒せぬのなら、百の刃で殲滅するだけのことだ。
最低限の殺傷能力だけを持たせた風の刃は例外なく不可視。全周囲に隙間無く展開された刃は黒い稲妻に標準を定め、主の意に従って動き出す。
一撃でも当たればその時点で和麻の勝ちだ。どんな達人とて攻撃を受けた直後の動きは鈍る。そこを見逃さずに風の刃を際限無く打ち込めば、肉片すら残すことなく消滅させることが可能だろう。
もうわかっていると思うが、和麻には朧を殺さずに倒そうなどという気は微塵も無い。それは敵対するものは老若男女皆殺しという信念から来るものではなく、単純に殺す気でかからないと勝てるかどうかわからないからだ。
世界各地を回った和麻は色々な人物と出会ってきた。それこそ本物の魔法使いから最古の討滅者とレア度の高い人物にも。
ちなみにこれは余談だが、魔法使いとの戦いにはなにやら時計塔(ビッグ・ベン)のことが関係しているらしい。
それはともかく、その中の一人に世界最高の諜報員と呼ばれる男がいた。色々な要素がこんがらがって最終的には戦うことになったのだが、その男と朧は似ているような気がするのだ。
そう――――特別な武器や異能の力を使わずして自分と互角以上の戦いをして見せた、あの『ウインド』と。
だからこそ、和麻には油断も慢心も無い。あの時に付けられなかった戦いの決着を変わりにこの場でつけようとするかのように。
見えないはずの風の刃を捉えた朧は流石にこの数は避けきれないと判断したのか、今までの直線的な軌道に変化が生まれる。左右に身体を振り、身体を揺らし始めたのだ。緩慢な動きは幻影を見せ、相手を惑わす魔性となる。しかし、相手は世界最強の風術師。その程度のまやかしがきくはずがない。
「これで終わっとけ!」
似合わぬ気合の咆哮の下、控えていた風の刃は一斉に動き出す。上下左右縦横無尽。あらゆる角度から風を切る音すら潜めて獰猛にして冷徹な牙を打ち込まんとする刃たちの包囲網はここに完成した、ように見えた。
目標たる朧の姿が陽炎となって掻き消えるその時までは。
「なっ!?」
驚きも束の間、和麻は瞬時にそれに気づいた。炎術師や水術師、地術師では気がつかなかっただろう。不純物が混じったこの異様な大気の流れを。
「くっ……!!」
とっさに腕に氣を集中させ、和麻は頭をガードする。その一瞬後。大砲が打ち出されたような音が大気を震わせ、和麻の身体を宙に浮かせた。わずかに痺れる身体を無視し、和麻は強引に体勢を立て直すと風の如き速さで元いた場所から距離を取り、そこに射殺さんとするほどの敵意を乗せた視線を向ける。
「……驚きました。まさか、私の氣のほとんどを相殺するほどの氣をあの一瞬で練り上げるとは。どうやらあなたは氣法師としても一流のようですね」
そこには、身を包む服の幾箇所を裂き、身体のいたる所からからわずかに血を流す朧の姿があった。
「そいつはどうも。世界最強の氣法師に褒めて頂けるなんて光栄の極みで」
和麻は軽口を叩きながら、内心で激しく舌打ちする。ぎりぎりで氣の一撃を防ぐことは出来たが、そもそもそのぎりぎりというのがおかしいのだ。和麻ほどの術者ならその気になれば数十キロの範囲内で特定の人物の動きを把握することも不可能ではない。ましてや、たかだか百メートル以内の敵を捕捉することぐらい出来ないはずが無いのだ。
だが、実際には和麻は朧の姿を見失った。より正確に言うならば、まるでそこにあることが当然のように感じてしまった。ここから導き出される答えは、一つしかない。
「そういうことか……お前、大気と同化しやがったな」
トリックの答えはこうだ。あの時に身体を揺らしていたのは単なるフェイク。本当の目的は自らの氣を消して大気そのものと同化することだったのだ。もちろんその程度で騙される和麻ではないが、これはほんの一瞬で事足りるのだ。コンマ数秒のわずかな間でも稼げれば、一気に接近することも朧なら不可能ではない。
「その通りです。普通の精霊術師なら気づかないところですが、氣にも精通するあなたほどの使い手を騙すことは出来ませんか」
「……風術師にとっての天敵だな」
苦い顔で呻く和麻だが、胸中ではすでに次の手を考えている。どうやら普段の中・遠距離から風の刃で攻撃する戦術では勝つのは難しい。なら、勝てるように戦術を変えるだけだ。
「――――それなら、こういうのはどうだ?」
言葉と同時に、何の加工もしていない風の塊を全周囲に亘って叩きつけた。
「!?」
突如として巻き起こった暴風に朧の身体はなす術も無く吹き飛ばされる。だが、それ自体には殺傷能力は無く、軽く身を翻すと容易く地面に降り立った。しかし、今の暴風のせいでせっかく詰めた距離は再び離されてしまった。
「……賢い選択です」
離された距離は約三十メートル。試合当初からもさらに遠い、朧にとっては完全に有効範囲外だ。しかし、一方の和麻にとっては態勢を立て直すのは元より、攻撃も自由自。
つまり、この状況は朧には絶対的な不利。
「俺は二度とお前を近づかせない。せいぜい逃げ回ってくれ」
淡々と宣告する和麻を中心に風が渦巻く。最早小細工は不要ということだろう。風には己の意思を乗せ、秒単位で風の精霊を召喚していく。一流の風術師が見たら現実感の無さに思わず空笑いが漏れてしまいそうな光景だが、これでさえ真の意味で和麻の全力ではない。これはあくまで今の段階で出せる全力だ。
本来なら『聖痕』の力を使い真の全力で挑むべき相手だが、残念ながら場所が悪い。こんな万国ビックリショーじみている所で迂闊に全力を出せば、後々に絶対に厄介なことになる。
それに今の状態でも負けないであろう事をすでに和麻は見極めていた。確かに朧は風術師にとっての天敵となりえるが、逆に風術師は氣法師にとっての天敵になりえるのだ。
とても簡単な答えだ。
ただたんに、遠距離から連続の攻撃を加え続ければいいだけだ。
「くたばれ」
和麻は適当に人を殺せる程度、つまり銃弾と同等の威力を持たせて無数の風の弾丸を構成する。風の刃と比べると殺傷能力は無いも当然だが、そこは文字通り塵も積もれば山となる。一見地味に見える戦術だが、大技に比べれば格段に隙が無く、散弾のように飛び交う風の弾丸をかわし続けることなど出来ることではない。
「…………」
しかし、それを可能にしてこそ最強の名を持つ者。
広範囲に亘って迫り来る風の弾丸は無数の礫の壁として朧の身に襲い掛かるが、朧はその独特の奇妙な動きによってかわし、氣を纏った手で方向をずらす。
だが、それも長くは続かないだろう。なぜなら、あまりにも数が多すぎる。
わずかに、本当にわずかずつ朧も前進してはいるが、それは亀にも等しいどうしようもなく遅い歩みだ。
戦況は和麻に有利なままに時計の針を進めていく。いかに朧といえども体力には限界がある。下手に策を弄するよりもこのまま力尽きるまで待ったほうが和麻にとっても楽でいい。
しかし、和麻の朧を見据える視線に宿るのは抵抗し続けることに対する侮蔑でもいつまでも膝を屈しないことに対する苛立ちでもない。それは羨望だ。
和麻は追い詰められた状況でなお無表情に風の弾丸を巧みにかわす朧の姿を羨望すら込めて見つめている。この状況はだいたい和麻の予想通りではあるが、やはりこうして朧の卓越した戦闘技巧を見せつけられるとわずかでも武術を嗜む者には共通して憧れのようなものを抱かずにはいられない。
それほどに朧の動きは非の付け様が無いほど素晴らしいのだ。
だからこそ、和麻は警戒している。これほど見事な技巧を見せ付ける朧がこの程度で終わるはずがないと。半ば直感で判断していた。
そして、それは現実のものとなる。
いつの間にか朧の歩みの速度は速まり、普通に歩く程度には戻っている。いや、それよりも眼を見張るべき箇所は他にある。
――――当たらないのだ。
頭を、腕を、足を、腹を、射抜こうと襲う万にも等しい弾丸の雨が、いつの間にかまったく当たらなくなっているのだ。近くに積まれた瓦礫の山をうまく使っていることも理由の一つに挙げられるが、何よりも身体の動きが先ほどまでとはまったく違う。
今までの朧は腕を、足を使うことで風の弾丸を省いていたが、やはり全ては防げずわずかずつだがダメージを負っていた。しかし、今はその逆。四肢を使うことなく、まったく傷を負わないのだ。
当たる直前、朧の身体が風圧に揺らされるかのように緩やかに動く。まるで、風に揺れる木の葉のように。
軽氣功――――
それが現在、朧が使っている技の名だ。己を“無”にすることで重さを消す。気の遠くなるような修練によって到達する人を超えた領域。
これによって朧は文字通り風に、いや、大気に乗っているのだ。無数の風の弾丸がか細く乱す大気は一つの道として和麻へと通じる道になる。ならば、朧はその道を辿ればいいだけの話だ。
本来ならばこの軽氣功は己の修行のために朧の中で封印されているものだ。だが、今回は例外。なにせ相手は最強。これに全力を以って答えない理由など無い。
「…………」
不意に風の弾丸の掃射が止む。朧はそれに悩むことも無く当然の事のように軽氣功を解くと、正面から和麻を見据えた。
お互いの距離は試合開始当初と同じ約二十メートル。違うところといえば、朧が身体のいたる所から血を流していることぐらいだろう。その出血量は素人でも明らかにヤバイとわかるほどだが、そのどれもが致命傷には至らず、身体の動きに影響を与えない箇所だった。
和麻は冷ややかに朧を見据え、続けて一つため息をつき、
「やっぱ、殴られたままっていうのは性に合わん」
そう抜け抜けと言い放った。
「……あなたは今の私の姿を見てそんなことが言えるんですか?」
確かに。おそらく和麻は最初に入れた一撃の事を言っているのだろうが、どう見ても朧の傷の方がひどい。
「言っとくが、さっきので俺のなけなしのプライドはかなり傷ついたんだぞ。そんなもんじゃとても採算がつかないぐらいにいな」
別に精霊術師の誇りがどうのこうの言う気はさらさら無いが、それでも傷つくものは傷つく。むしろ和麻の反応はまだまだ甘いと言っていい。これが炎術至上主義に傾いている厳馬ならば、呆然と一撃を受けた事を噛み締めた後、怒り狂うかもしれない。
とにかく、そうした理由も合わさり和麻は風の弾丸の掃射を止めた。まあ、たんにこれ以上撃ち続けても無駄だと判断しただけなのだが、それはそれこれはこれだ。和麻が万倍にしてさっきの一撃を返したいと思っているのは本当なのだから。
「とりあえず……次で殺す」
明確な殺人宣言を告げ、和麻は片腕を宙に向ける。
たったそれだけの動作で大気は鳴動し、風が激しく渦巻いていく。和麻の手元に集まった風は極限まで圧縮され、大型の台風を形作れるほどの暴風を押し固める。一人の人間が使うにしては、過ぎた力だ。
「…………」
対する朧はその場を動くことなく静かに眼を瞑っている。身を突き放すほどの暴風を肌で感じながら、始まりの時を待っている。その心に退くという選択肢は無い。ただ、この身を以って自然に挑むのみ。
「…………」
「…………」
ここに来て二人の会話は完全に途絶えた。勝負は一瞬。その狼煙を挙げるのはやはり、
「――――跡形も無く消え失せろ」
最強の風術師だった。
解き放たれた暴風は瞬く間に闘技場を覆いつくす破壊の渦となる。瓦礫を塵に変え、そこを平らな平地へと変貌させていく。逃げ道など皆無。防ぐことも叶わぬ。どんな手段を取ろうと朧が無事でいられることなどありえない。
だがそれは、言い方を変えると――――
――――己の無事を度外視することで、不可能を可能に出来るかもしれないということに他ならない。
迫り来る暴風が眼前に迫り身を八つ裂きに引き裂こうとした瞬間、朧の目蓋がカッと見開かれる。
後退する事は無い。なぜなら暴風は己の出せる速さの上をいく。
耐える事は無い。なぜなら暴風は己の肉体の耐久を容易く超える。
諦める事は無い。なぜならそれは生きる事に対する放棄に他ならない。
退く事もできず、耐える事もできず、諦める事も出来ない。
ならば残された道は一つ。
この身を以って、眼前の暴風に挑むのみ!
朧は一歩、足を踏み出す。
それに――――己の覚悟と決意を込めて。
踏み出したからにはもう退く事も立ち止まる事も諦める事も許されない。
この身が押し潰されようと、この身が引き裂かれようとただただ眼前に進むだけだ。
朧は駆ける。身体中に自身に出来る最高の硬氣功を施し、最低限進める隙間を探して暴風の中を駆け抜ける。
すでにいたるところが切り裂かれた。そのどれもが致命傷に達するほどに深い傷。
暴風に巻き上げられた血は彼方に消え、身体からは暖かさが失われていく。
すでに身体は死に体。動いていること自体が奇跡。徐々に霞む視界。だが、それでも意志ある瞳は一つの人影を映し出す。
最強と呼ばれる風術師。
朧の目標とする仙人は己の心を殺し、自然界の“氣”と一体化する事を必要とする。
ならば、この最強の『風』を倒すことが出来れば、その『高み』に限りなく近づけるのではないか?
そんな馬鹿げた考えが思考を過ぎる。
だが、それでいいのだ。人は馬鹿な事を愚直に信じ、突き進むことで不可能を可能にしてきた。
「ぐっ!?」
――――付け根から左腕が吹き飛び、血が赤い絵の具をぶちまけたように流れ出る。
だから、最強の契約者を倒すという不可能を、修練という努力を重ねてきただけの男が可能にする事もありえないことではない。
「なっ!?」
血飛沫を引き連れ暴風の中から現れたソレに、和麻は思わず言葉を失った。
服は本来の役目を果たせなくなるほどに無残に破れ、身体中には痛々しいという言葉すら生温い骨すら見える傷が多数あり、左腕はすでに存在していない。だが、その瞳。それだけはなおも冷徹でありながらも獰猛に輝いている。
ソレは……朧は駆ける。
そもそも暴風を抜けるのはついでに過ぎない。その先にいる敵を倒すために必要な、ただの障害に過ぎないのだ。
「ちッ!!」
激しい舌打ちで大気をわずかに震わせ、和麻は風の精霊を召喚しようとする。
だが、それはあまりにも遅すぎる行動だ。二人の距離はもはや二メートルも無い。和麻がどんなに足掻いたところで、間に合うはずが無いのだ。
だが、和麻もまた数々の死地を歩んできた歴戦の戦士。
不可能を可能にすることなど、日常のようなものだ。
最速の風の精霊といえども本来ならありえない召喚のスピードを以って刃を形成した和麻は躊躇無くそれを放つ。
狙いは自身の足元。
たとえ直接狙おうと絶対に当たるという保障は無い。それならば踏ん張りを利かせる足場に向けて刃を放ち、踏み止まって体勢が崩れたところで首を断つ。
これがこのわずかな一瞬で和麻が思い描いたシナリオだ。確かに勝つためには堅実な手段だろう。
そう……この朧という氣法師が相手で無ければ。
ズドンッ!という重たい音が和麻の腹部から響く。その瞬間、吹き荒れていた暴風も止み、辺りには静寂が訪れた。
「てめぇ……」
渋りだすような声を上げ、和麻は消えそうな意識を繋ぎとめる。内部に浸透し、身体の氣の流れを狂わせる氣功の一撃を完璧に受けたのだ。意識があるだけでも和麻の精神力は賞賛に値する。
苦しい呻き声を口の端から漏らすが、これだけは何としても言っておかなければならない。
「普通、戸惑うだろうが……」
和麻が足元に風の刃を放ったあの時……朧は踏み込んだのだ。
風の刃の着弾地点である足場に。
ズルっという音ともに朧の踏み込んだ右足がズレ、地面に落ちる。言うまでも無い。着弾地点に足を出したのだ。その結果は、当然といえた。
だが、腕を和麻の胸に突き出した体勢で固まっている朧の表情には苦痛の色は無い。むしろ、安らかな色があった。
「……あなたに勝つことにはそれほどの価値があると判断したからです」
「へっ……だったら、引き分けにしてくれ」
「私個人の戦いならそうしても良かったんですが……残念ながら、この戦いは団体戦ですよ」
朧の手が和麻の胸にさらに埋まる。その瞬間、和麻の身体は意志に反して膝を折ってその場に倒れ、今度こそ和麻の意識を闇に落とした。
そして朧もまた、自身の勝利宣言を聞き届けた後、その場に崩れ落ちた。
次鋒戦 ボー・ブランツェVS神凪綾乃
スプリガンチームサイド
初戦が終わり、瀕死の重傷を負った朧が医務室に運ばれた後、残された三人は沈黙を貫き、重苦しい空気が場を満たしていた。
だが、それも無理が無いことだろう。朧は確かに勝利した。あの現代最強の風術師に奇跡的にも打ち勝ったのだ。しかし、その代償はあまりにも大きかった。左腕と右足の切断に加えて全身裂傷、おまけに出血多量による心肺機能の低下。いかにこの大会に集った医者や治療を専攻する魔術師たちでもこれほどの怪我、治せるとはとても思えない。それ以前に、それほどの重傷を負って生きていられること自体が奇跡なのだ。
「クソッ!」
優は苛立ちに任せ、壁を強く殴る。殴られた壁には無数のか細い亀裂が奔り、まるで今の優の心境を表しているようでもあった。
そこにジャンが優の肩に手を置きながら言う。
「落ち着けよ、優。あいつが死ぬわけ無いだろうが」
「その通りだな。あの男がそう簡単にくたばるものか!」
それは根拠が無い慰めにも似た言葉の様だが、この二人が言うに限ればまた違った意味を持ってくる。単純なことだ。二人は朧の生存を欠片も疑っていない。信頼でもなんでもなく、それが当然であるかのように二人は信じていた。
「……わかってる。わかってるけどよ……」
歯を噛み締め、呻く様に吐き出す優の声には苦渋に満ちていた。優にとって朧は兄であり、師であり、超えるべき目標であった。その朧が目の前であれだけ傷つき、倒れたという事実は理解していても感情が言う事を聞かなくなっている。
「ふん!情けない……貴様、それでも御神苗 優か!!」
いつまでもグズグズした態度にボーは声を張り上げて怒りを露にすると、苛立ちのままに闘技場の中央に向かっていく。
「そこで俺の戦いでも見ていろ!」
最後にそう言い残し、ボーは戦場へと足を踏み入れた。
聖痕チームサイド
スプリガンチーム側が重苦しい空気を発していたのなら、こちらは戸惑いの空気で満たされていた。一様に、それこそ厳馬までもが片眉を吊り上げている。
「……おい。もうちょっと柔らかい空気で迎えてくれてもいいんじゃねーか?」
腹部を押さえ、表情を苦痛に歪めながら戻ってきた和麻も流石にこの空気には不快の念を示し、そう三人に進言する。だが、三人はそれには答えない。逆に綾乃が戸惑いというか、幽霊でも見たような面持ちで和麻を見据え、口を開く。
「あのー、あんた、負けちゃったの?」
これは綾乃にのみならず煉にとっても信じられないことだ。なにせ和麻は『契約者』。確かにその力を封印しながら戦っていたが、それでも一介の人間に負けることなど絶対にありえない。
ありえないはずなのだが……
「見りゃわかるだろう」
和麻はあっさり肯定した。
「っ!!」
ここにきて綾乃はあらためてこの大会の異常なレベルを認識しなおした。なにせ綾乃にとって和麻とは超えるべき目標。その和麻が、負けたのだ。運や偶然が相手に味方をしていたとしても、この事実は驚愕に値する。
「……覚悟の差が出たな」
そこに厳馬の静かでありながら場を満たす声が響く。そう。厳馬の言う通り結局は覚悟があの試合を決めた。四肢を切り落とされてでも勝利を渇望した者と、後々に面倒になりそうだからという理由で本気を出さなかった者。二人の間にそれこそ天と地ほどの実力の差があれば話は別だが、朧ほどの遣い手を前にその程度の覚悟ではこの結果になったのはある意味自然であるともいえる。
「はあ……しかし、これで初戦敗退が確定したか……」
「……ちょっと待ちなさい。それ、どういう意味?」
「ん?なんだ、まだいたのか。ほら、さっさと行ってやられて来い。こうしてる時間がもったいないだろう」
綾乃の額に青筋が浮かぶ。
「こんの、負け犬が〜〜!!」
炎雷覇を抜きそうになるが、ぎりぎりのところで堪える。綾乃は最後に和麻を一睨みして荒々しく闘技場の中央に進んでいった。
闘技場サイド
闘技場の中央に進み出た二人は今までの気持ちを一新して相手と相対する。初戦が始まる前まではあったはずの瓦礫は和麻が最後に放った暴風によって消滅しており、視界を遮るものは何も無い。
すでに綾乃は神凪一族の至宝である炎の神剣、炎雷覇を抜き放ち自然体でたたずんでおり、ボーもいつでも戦闘を始められるように若干腰を落としている。
二人は相手の情報と外見から戦闘スタイルを予想し、自分の取るべき戦闘スタイルを模索する。
(子どもに手荒な真似をする事は好まん。ここはやはり……)
(近接戦闘が主みたいだけど、それ以上はまったくわからないわね。やっぱり、手っ取り早く……)
さて……突然だがこの二人は似通っている点がある。それは、
「次鋒戦!ボー選手VS綾乃選手!始め!!」
((先手必勝!!))
戦闘に対して良い意味でとても単純に考えることが出来るという点だ。
二人は司会の始まりの合図が終わるか終わらないかという際どいタイミングで眼前の敵を打倒する為に同時に駆け出す。思考、行動、ここまでは全てが同一として進んでいるが、ここでそれは崩れることになった。
次期神凪一族当主の座を約束されている綾乃は当然炎術の他に炎雷覇を自由自在に操るための体術を磨いている。綾乃にとっては悔しい事に和麻にはまだまだ及ばないが、それでもかなりの実力があると自負しているつもりだ。
だからこそ、目の前の光景が信じられなかった。
(速いっ!?)
確かにスタートを切ったのは同時だったはずだ。だが、気づいたらあっという間に距離を詰められていて、後一歩踏み込まれれば無防備の身体に拳を叩き込まれるほどの所まで侵入を許していた。
「くっ……!」
とっさに綾乃は足に掛けたベクトルを真横に強引に移し変え、その場で軸足を基点に回し蹴りを放つ。しかし、ボーはそれを紙一重のタイミングで見極めると身を深く屈め、一瞬の停滞も無くいとも容易く綾乃の懐に飛び込んだ。この間、試合開始からわずかに二秒と少し。
(もらったぞ!)
狙うは腹部。余計な苦痛を与える事無く一撃で確実に気絶させる。
最速の風の精霊ならいざ知らず、ここから炎の精霊を召喚していてはとても攻撃、防御には間に合わないだろう。だが、別に今から召喚する必要など無い。
拳を打ち込もうと身を捻ったその時、ボーは確かに見た。炎雷覇がわずかに揺らいだのを。
「!!」
一瞬の判断で絶好のチャンスを放棄して後方に跳んだボーは前方で炸裂した炎の勢いに押され、予想以上の距離を取ることになった。
「グッ!?」
炎から発せられる熱風に顔を顰めながらボーは炎の中心に立つ綾乃の姿を直視する。
悔しげに見てくるボーの視線を受けながら、綾乃は人知れず冷や汗をかいていた。
(あ、危なかったー……試合前に溜めてなかったら負けてたかも)
実を言うと、先ほどボーに懐に入り込まれたのはかなり危なかった。見かけによらない俊敏な動きに虚を突かれたという事もあるが、渾身の一撃を容易く避ける体捌きも予想外に良かったためだ。あの危機を脱する事が出来たのは先制に炎雷覇を打ち込もうと溜めておいた炎の精霊をとっさに開放したからに他ならない。下手をすれば、開始数秒でやられるなんて間抜けを犯すところだった。
相手が自分より速く、妙な体術を使うという事を思考にいれ、綾乃は放出したままの炎を炎雷覇に収束していく。単純な力、つまり扱うことが出来るエネルギー量のみで綾乃の力量を測るならば、その力は大会でも指折りとなるだろう。
それほどの力が一つの器であり増幅器のようなものである炎雷覇に一切の力が漏れる事無く収束されるのだ。
その威力は烈火の持つ八竜が一、虚空を連射しているようなものと言っても過言ではない。
当然、急激な力の向上に気づいたボーも感覚を鋭く、なおも研ぎ澄ませる。
「これが、噂に名高い炎雷覇の力か……面白い!」
炎の炎雷覇。風の虚空閃。この二つの神器はスプリガンの間でも有名だ。なにせ正真正銘それぞれの精霊王から携わったものなのだ。古代文明の超遺跡を専門とするアーカムにとっても気にならないといえば嘘になる。もっとも明確な所有者が存在するため封印対象にはなっていないが。
「そんなこと言ってられるのも今のうちよ。せいぜい灰にならないように逃げ回ることね」
最強の炎剣の真の力を解放した今、お前など恐れるに値しない。
綾乃は言外にそう含め、炎雷覇の切っ先をボーへと向ける。
「ふん!優れた武器も遣い手がお前のような子どもでは宝の持ち腐れだ。痛い目を見る前にさっさと棄権するのだな」
だが、ボーはそれに嘲笑を持って答える。絶対の自信と勝利への確信を込めて。
「……へぇ。見かけによらず冗談がうまいんだ。今のはけっこう面白かったわ。お礼に、殺さない程度には手加減してあげる」
「それこそ私の台詞だ!子どもなど殺すどころか一発で倒して見せるわ!!」
二人の間にそれ以上のやり取りは不要だった。ただ単に頭に血が上ってしまっているだけかもしれないが、戦闘には支障が無いので気にすることでもないだろう。
「…………」
「…………」
ゆっくりと、二人は各々の凶器たる拳と剣を構える。場を満たすのは沈黙。場を支配するのは闘気。そこに探りなどというものは存在しない。相手の戦闘スタイルがはっきりした以上、この二人の取るべき行動は同じだ。
単純でいて効果的な戦術。強引に、己の力で捻じ伏せる。
「いくぞ!」
それは余裕か、はたまた性格か。わざわざ高らかに攻撃宣言を言い放ち、ボーは一直線に綾乃へと駆け出す。
これが優なら様子見をかねて相手の出方を図るところだが、先に述べたとおりボーは単純なのだ。
仕掛けられるよりも先に仕掛ける。
大まかにボーの戦術はこれに限る。
実を言うと綾乃も飛び出そうとしていたのだが、そのことを考えると結果的に出鼻を挫かれたことになるだろう。しかし、すぐさま気分を入れ替えるとその場に大木のように立ち迎撃に努める。
相変わらずボーの動きは速いが、辛うじて捉えられる。その動きも直線的であるため、カウンターという一点に集中すれば迎撃も十分可能だろう。
ならばなぜわざわざ打って出ようとしたのか疑問に思われるが、それが神凪綾乃なのだから仕方が無い。
試合当初と同様に二人の距離は瞬く間に縮まっていく。
十メートル……九……八……七……六……そして、綾乃の領域たる五メートルにボーが侵入した。
それは同時に、綾乃を動かす引き金となる。
「はっ!」
気合一発。短く息を吐き出しタイミングを計ると綾乃は垂直に剣を振るう。が、そこに気遣いなど見られない。もっとも、掠れば一瞬で灰になるほどの火力を秘めているのだから綾乃が言っていたような手加減は最初から不可能に近いわけだが。
流石にボーとてそれぐらいの事はわかっている。だが、それでもボーの足は止まらない。まるで自分から炎雷覇の刃に斬られにいくように進んでいく。
(あれ――――?)
無謀なボーの行動に訝しげな視線を向けながら、綾乃はボーの背後におかしなものを見たような気がした。
そう――――まるで、ボーが二人いたような――――
「っ!?」
認識した途端に突如として背筋が凍る。今まで数多の危機を救ってくれた直感が警報を鳴らし始める。なぜこれほどの絶好のチャンスに危機を訴えてくるのかわからないが、無視するにしては胸騒ぎが強すぎた。
わずかに従うべきか無視するべきかで迷うが、どうするかなど、最初から決まっている。
「はぁ!」
急遽、身体を痛める可能性すら無視して腕と足に込めた力を変えるとその場で一回転しながら真横に剣を振るう。
そのとっさの行動が綾乃を救った。
「なに!?」
迫る剣に、ボーは驚愕する。そう……綾乃の四方を取り囲むようにして拳を繰り出そうとしていた四人のボーは全員が驚愕した。
だが、本当に驚いたのは綾乃の方だ。大慌てで距離を取るボーを追撃も忘れて呆然と見ながら、
「分身って……あんたいったいどこの忍者よ……」
思わず呆れた声が漏れた。
何らかの技を持っているとは思っていたが、まさか分身だとは予想すらしていなかった。
賞賛の言葉として受け取ったのか、ボーは得意げに語り始める。
「驚いたか!これが日本の忍者に憧れて数年にも及ぶ苦労の末に会得した分身の術だ!!」
「……素直に凄いと思うわよ。うん」
というより、憧れたというだけで架空の技を現実に再現してしまうなどそうできることではない。しかも対戦相手の意見として言わせてもらえばあの速さと組み合わられるとけっこう実用性に飛んだ実践向きの技となるので厄介極まりない。
「ったく。世界は広いわ」
この大会に来るまでは持っていた認識を全てぶち壊され、綾乃は不機嫌そうに、それでいて面白そうに微かな笑みを刻んで呟く。
知らなかった。こんなにも世界には強者たちが満ち溢れている事を。おそらく、この大会に集ったのも一角に過ぎないのだろう。
まったく以って、世界は広い。
だが、だからこそ、
「今度はこっちからいくわよ!」
今に満足する事無く、先へ先へと己を磨き上げることが出来る。
「来るか!?」
そして、それはボーも同じだ。ボーは知っている。己がまだまだ弱い事も、これから強くなれる事も。だからこそ、ここで負けるわけにはいかない。
それは自分だけのためでなく、命を賭してまで勝利した仲間のために。
火の粉が舞い、拳が大気を切り裂く。
絶え間なく行われる舞踏のような戦いを、二人は決して退く事無く踊り続ける。
身を襲う緊張は最高潮に達し、徐々に二人の体力を蝕んでいく。
だがそれでも、舞踏は終わらない。終わることはない。
どちらかが力尽きぬ限り、何故この闘争という名の舞踏が終わることがあろうか?
「いい加減、観念しなさい!!」
炎の巫女が振るうは神にも等しき精霊王より携わった神器、銘を炎雷覇。振るわれた後に残る炎の軌跡は形容する事さえも戸惑わせるほどに美しく、万人を魅了する魔性の火となる。
「それはおれの台詞だ!分身烈風拳!!」
対するは遥か昔に主君に仕えた忍の技を現代に蘇らせた愚直なまでに真っ直ぐな心を持った男。四つの身を持って戦場を動き、信念を宿す拳で打ち倒す無慈悲な拳を繰り出す。
延々と限りなく接近して続けられる剣と拳の舞は終わらない。
だが、終わりには刻一刻と近づいている。
それは、体力の差。
いかに技術が、力が、経験が拮抗している者同士でもそれが男と女、大人と子どもでは長引けば長引くほどに後者の方が不利になる。
それは、この戦いとて例外ではない。
「くっ!」
身体があった所を通る拳に顔を顰め、綾乃は苦しげに声を吐き出す。反射的に炎雷覇で牽制するが、すでにボーは有効射程外に逃れている。
「はぁ…はぁ…はぁ…」
切れる息に歯噛みしながら、綾乃は現状の不利を悟る。見たところボーも息を切らしているが、それはまだ穏やかなもので、自分のように体力が無くなってきたからではない。
基本の体力にはそれなりに自信を持っていた綾乃だったが、流石に体力勝負では相手が悪かった。なにせ相手は曲がりなりにもスプリガンにせきを置く者。何十、何百人が競争相手であるのが当たり前の戦場で生き抜いてきた歴戦の猛者だ。
せいぜい十数分の攻防でだらしなく息を切らすような真似をするはずがない。
(長引かせたら不利……だったら、次で勝負を決めにいく!)
綾乃は炎雷覇の柄を強く握り直して決意を固めると、残りの精神力、体力の全てを総動員するように炎雷覇に纏わせる炎を強める。
(次で終わらせる気か……面白い!返り討ちにしてやる!!)
ボーも炎雷覇に漲る炎の猛りから綾乃の意思を読み取り、堅実な戦いを捨て、あえてそれに真っ向から挑む事を選択した。
炎の代わりに戦意を漲らせて身体中に力を込めるボーを呆れたように見つめ、綾乃はため息混じりに言う。
「やっぱりね。何となくそうだとは思ってたけど……あなた馬鹿でしょ?このまま戦ってたら勝てるかもしれないのに、わざわざ乗ってくるなんて」
「馬鹿とはなんだ馬鹿とは!この私は姑息な真似が性に合わんだけだ!!」
「それを馬鹿っていうのよ。でもまあ、そういう馬鹿は嫌いじゃないけどね」
「子どもが何を言うか!まったく人を馬鹿馬鹿と連呼しおって……しかし、お前ならば、優れた指導者になれるだろう」
最後に二人は穏やかに笑いあい、何かに示されるかのように同時に動いた。
「はあぁぁ!!」
綾乃は上段から炎雷覇を振り下ろし、
「うらぁあ!!」
ボーは分身を伴って拳を下段から振り上げる。
己の全てを込めた渾身を超える必殺の一撃。
視線は空中で交差し、勝負はついた。
(勝った!!)
自身の勝利を確信し、ボーは胸中で勝利の咆哮を上げた。
間一髪のところで分身を三つ切り裂いた綾乃の炎雷覇に纏われた炎をかわしたボーはさらに一歩深く踏み込み、反撃のチャンスすら与えない。瞳に映るのは唖然とした綾乃の顔。最早為す術が無い敗北を受け入れるだけの哀れな敗者の姿だ。最後の情けとして殺さずに気絶に止めるため、ボーは溜めに溜めた拳を綾乃の腹部に進ませる。
(ああ……私の負けか)
迫るボーの姿をコマ送りのようにゆっくり捉えながら、綾乃は思う。これではどうしようもないと。文字通り全てを炎雷覇に注ぎ込んだ綾乃にはわずかな力しか残っていない。そのわずかな力だけで、ボーの一撃を凌ぐことが出来ると思うほど綾乃は楽観的ではなかった。
だが、ここでボー、いや、綾乃にとっても予想外の出来事が起きた。
がくんっと綾乃の膝が折れ、力が抜け落ちたように身体が崩れたのだ。
「へ?」
「なっ!?」
綾乃は唖然と、ボーは驚愕の声をそれぞれ上げる。
あろうことか、綾乃の顔がボーの拳の前に来てしまった。
(あ、死んだ)
まるで他人事のように綾乃は確信した。あんな明らかにやばすぎる一撃を顔にもらって生きていられる自信は生憎無い。
「ぐっ、おおおおお!!?」
ボーは全身の筋肉を総動員してすでに放たれた拳の軌道を必死になって変えようとする。その際にブチブチと何かが切れる嫌な音が響くが、当然そんな事は無視だ。今はそんな些細な事に構っている場合ではない。
「っっっっだあああ!!」
振り切った拳には肉に食い込み、骨を砕く衝撃が……無かった。
「な……」
呆然と真横を通り過ぎていった拳の風に髪を揺らしながら、反射的に、鍛えられてきた身体が綾乃の意思に反して動く。重心、体勢が滅茶苦茶になったボーの足元に足払いをかけたのだ。
当然無理な身体の行使をしたボーは為す術も無くその場に倒れ、その首元に綾乃は炎雷覇を突きつけた。
「…………」
「…………」
沈黙が満ちる。選手も、観客も、誰一人として声を上げる者はいない。
「……なんで、はずしたの?あそこで拳を振り切ってたら私の負けだったのよ」
静寂の中、綾乃は静かに、冷徹な瞳で地に倒れるボーに問いかける。
戸惑いよりも、命が有る事の安堵よりも、綾乃は怒りがあった。
情けをかけられたというどうしようもない怒りが。
綾乃にもわかっている。この怒りは筋違いなものだと。
それでも綾乃は言わずには、怒らないことなど出来ない。
普通なら言いよどむだろうその問いかけに、ボーはいとも容易く答えて見せた。
「バカもの!この私は自分の言葉に従っただけだ!!」
「言葉って……あ」
言われてすぐには何のことだかわからなかったが、ボーとした何気ないやり取りを思い出す。
――――子どもなど殺すどころか一発で倒して見せるわ!!
確かに言っていた。しかし……
「……呆れた。あんなどうでもいいのを守ったって言うの?」
「どうでもいい事ではない。一度口にした以上、それを守るのが優れた指導者というものだ!」
「…………」
開いた口が塞がらないというのはこういう事を言うのか。偏った論理を持つこと自体は別に悪いことではない。実際に和麻も敵に対してはそういう偏りすぎている論理を持っているからだ。
だが、自分の命が危険に晒されるかもしれないというのにそれを貫き通すなど、果たしてどれほどの者ができるだろうか。
「……はぁ」
ある意味天晴れな歪んだ思想に綾乃は深く嘆息する。しながら、ボーの首元に突きつけていた炎雷覇を消した。
その行動の真意を測りかねたボーは眉を顰めるが、次の綾乃の言葉に耳を疑った。
「引き分けね」
「…………なんだと?」
言葉の意味を理解するまでくっきり五秒ほどかかったボーは聞き返すが、すでに綾乃は「引き分けでお願いね」などと司会に言っている。
「ま、待て!どういうつもりだ!!」
「どうもこうも聞いた通りよ。このまま私の勝ちになったら私が悪役になっちゃうじゃない。こんな各業界の大御所がわんさか来てそうな所でそんな真似はできないの。だからって和麻と同じって言うのは嫌だから引き分け」
綾乃の言葉にも一理ある。確かに傍目から見たら綾乃がボーの情を利用して勝利したようにしか見えないのだ。多数の観客はそれを理解しているだろうが、それがわからない者たちも当然いるだろう。その中に退魔関係の者がいたとしたら自身の評判に響きかねない。
もっともそれは取って付けた様な理由で実際にはもっと単純なのだが、それは言わぬが花だろう。
「しかし……」
納得がいっていないボーはなおも食い下がろうとするが、綾乃は止めとなる言葉を言い放つ。
「あ、もう司会の人が了承しちゃって変更不可能だから」
「なに!?」
慌ててボーが視線を司会の方に向けた瞬間、
「ただいまの試合は引き分けとなりました!」
と司会の声が高らかに響き渡った。
結局、未だに納得がいかないボーは文句を言いながら、対して綾乃は妙に清々しく仲間の下へと戻っていった。
あとがき
どうもー黒夢です。
予想より早く仕上がり、投稿することが出来ました。
いやー、当初の予定からずれるわずれるわ。構想していたものとは別物になってしまいました。
一番変わったのはボーVS綾乃ですね。本当は綾乃の勝ちで終わるはずだったんですが、というよりそういう風に書いたんですが途中で変更してしまいまして。
理由はわかりません。何となく、こっちの方がいいかなー、と思っただけです。
試合の内容についてはたぶん今回が一番苦労しました。なにせキャラのタイプが根本から違うため下手をすれば書くことも無く一瞬で勝負がつく可能性すらあったので。
朧VS和麻ですが……何故こんなに熱くなってしまったんだろう?書き終えてから読むたびに思います。結果について予想できた人は多分いないんじゃないでしょうか?私にも朧が勝てたのが不思議なぐらいですからね。本当なら事細かにこの場で説明したいんですが、説明すべき点が多すぎますので気になったところがある方はレスにて質問してください。
ボーVS綾乃については真っ向勝負を根本にして書きました。キャラの性格的に小細工無用だと思うので。意外に健闘を見せてくれたボーですが、私は一対一に限ればこれぐらいいくと思っています。速さならジャンに認められるほどですし、優にしてもその力を認めていましたしね。
断言しておきますが、原作でボーが死んだのは相手が悪すぎたためです。もし同じ条件下で綾乃が〈COSMOS〉と戦えばほぼ間違いなくボーと同じ結果になるでしょう。
それほどに〈COSMOS〉は一つの部隊として究極と言っていいものでした。もしもアレが完全になっていたらと思うと空笑いすら起こります。というより風術師である和麻はともかく厳馬でも〈COSMOS〉と戦えば死ぬんじゃないだろうか?
おまけ
相性表
朧 ― 八神和麻 △
はっきり言って日常でこの二人が付き合うことは絶対にありえません。朧はともかく、和麻と○以上がつくのは五人いるかいなかぐらいです。
ボー・ブランツェ ― 神凪綾乃 △=○
当初は△でしたが戦いを経て○にランクアップ。ともに一直線な性格なため事あるごとに気が合うタイプです。
裏設定は後で修正して載せますので、少々お待ちください。
それでは次回、『黄昏の式典 第十四話 〜妖精と炎〜』をよろしくお願いします。