振動が、止まった。
その事実で、ラクスは自分の乗る救命ポッドがどこかに到着したことを知った。
窓すら無いポッドの中からではそれがどこなのかを知る術は無いが、どこかの艦船に拾われたと思って間違いないだろう。
先程から続いていたGのかかり方からして、何らかの方法で運ばれているとしか思えなかった。
深呼吸を繰り返しながら、ラクスは宇宙を漂流しながら考えていた手順を、もう一度確認する。
扉が開いたら、まずはハロを飛ばす。
親友からもらったこの機械仕掛けの友達は、確実に外の人間の気を引いてくれるだろう。
そちらに視線が向いている隙に外を確認。
このポッドを拾った艦がザフトの物なら良し。
中立国、例えばオーブの物でも問題は無い。
地球連合の物だった場合は、その場で最も影響力の強そうな人物を選び出し、可能な限り自然に接近し接触する。
色仕掛け、などと呼べるほどのことはできないが、相手の意表を突き、警戒を解かせ、油断させるのは得意中の得意だ。
ただ一人親友と呼べる少女の言によれば、「ラクスは見ているだけで気が緩む」そうだし、今まで会った人々の反応を見てもそれが事実らしいことはわかる。
それをほんの少し、意識的に利用してやればよいだけなのだから。
と、ラクスの耳に小さな電子音が響いた。
一瞬送れて、機械の作動音と空気の抜ける音。
扉が、開いた。
(……お行き)
小声で囁き、ラクスは軽くハロを放り上げた。
耳のようなパーツをぱたぱたと動かして、ハロがポッドから出て行く。
「ハロ! ハロ!」
「「「「「「……は?」」」」」」
ハロの声に一瞬送れて、間の抜けた声の合唱。
ラクスはそっと外を窺う。
そこに並んでいたのは地球連合軍の軍服。
予想していた事態の中では最悪だが、それでもまだ想定の範囲内だ。
続いて、取り入るべき相手を選別にかかる。
地球軍の階級章など知らないが、「偉い人」というのは雰囲気でわかる。
それを吟味しようとして……
目が、合った。
そこにあったのは、青みの強い紫色の瞳。
覇気とさえ呼べるような強い意志を湛えたアメジストの輝き。
それが、不敵な笑みを浮かべてラクスをじっと見ていた。
大人の社会で鍛えられたラクスの洞察力が告げる。
この相手は危険だ。
が、味方につけることができればその恩恵は計り知れない、と。
一瞬迷う。
ハイリスク・ハイリターンの賭けに出るか、それとも無難なラインに落ち着けるか。
そして決めた。
「ありがとう。ご苦労様です」
ポッドの出口に足をかけ、ただ一人自分を見ていた瞳の持ち主、妙に似合わない青い軍服を着た少年の方に向かって、ふわりと飛び出す。
が。
「あら……あらあら……」
緊張していたのだろうか。
地を蹴る力が強すぎ、ラクスの身体は思い描いていたのよりも高く飛んでいく。
焦って手足をばたつかせるが、うまくいかない。
自分の運動神経の無さは知っていたが、こんな場面で出なくても良いだろうに、と軽く自己嫌悪に陥る。
と、その手が誰かに握られた。
その手の先を視線でたどると、件の少年の苦笑があった。
「大丈夫か?」
その声に、急速に心の内が沈静化する。
「ありがとう」
微笑んで返事を返しながら、素早く計算を巡らせる。
周囲の表情を見る限り、今のは「ドジな女の子」という印象を与えたようだ。
ならば、とそれを利用する方向に思考をシフトした。
「……あら……あらあら?」
驚いたように言って、ラクスは頬に手を当てた。
自分に向けられた視線が、何事か、と疑問を含んだものになったのを感じる。
「まあ、これはザフトのお船ではありませんのね」
表情、口調、タイミング。
ほとんど無意識のうちに計算し尽くされた言葉が、一瞬、場の空気を止める。
一瞬後、ラクスを取り囲む者達は、それぞれ苦笑や呆れを顔に浮かべた。
その中に、もはやラクスを警戒する者はいない。
ただ一人、表情の裏の読めない少年のことだけが気になった。
第08話 策士達の策戦 前編
「しっかし、すごいキレーな人だったよな、ラクス・クラインって」
言ったトールに視線が集まる。
ここは食堂。
積み込み作業の休憩時間として、学生グループプラスカガリ、別名「キラと愉快な仲間達」は食堂でくつろいでいた。
カズイの脳裏に、つい先程会った――というよりも見かけた程度だが――少女の姿が浮かぶ。
緩くウェーブのかかったピンクの長い髪。
上質の陶磁器のように白く滑らかな肌。
柔らかく整った顔立ち。
あどけない無邪気な表情。
カズイは大きく頷く。
「プラントのアイドル歌手なんだろ? 歌の方は知らないけど、確かに頷ける話だよな」
「ふ〜ん。トールとカズイって、ああいう子が好みなんだ」
「いやいや、サイだってそう思ってるはずだぜ。なあ?」
からかうように言ったフレイに、トールが逆襲するようにサイに振った。
振られたサイは苦笑する。
「まあ、確かに見てる分には良いな」
「……サイ?」
「い、いや、だから見てるだけならだって」
「ふーんだ。どうせ私にはあそこまで華はありませんよーだ」
じろり、とサイを睨んだフレイに慌てて取り成すが、フレイはそっぽを向いてしまう。
おろおろとするサイだが、半ば以上わざとやっているのがわかっているため、皆の顔に浮かぶ表情は楽しげな微笑だった。
「で、キラはどう思うんだ、彼女のこと。もしかしたら恋人になるかもしれないんだろ?」
人の悪い笑みを浮かべ、トールが向かいに座るキラに問う。
止せば良いのに、と思いながらカズイは隣に座るトールから急いで距離を取る。
近くにいては余波を食らってしまう。
見れば、反対隣にいるサイもトールから離れるところだった。
ギシリ
空気が軋む。
遅まきながら失言に気づいたようで、トールは恐る恐るキラの隣に視線を向けた。
「トール? この前話したときに、『原作』での人間関係はもうあんまり関係ないっていう結論に達したわよね」
「ソ、ソウデスネ」
「なのに、どうしてそれをわざわざ蒸し返すのかしら?」
「イ、イエ、深イ意味ハアリマセン、ハイ」
「そう。それなら良いわ」
目だけは笑っていない満面の笑みを浮かべたミリアリアに、トールは顔面を蒼白にして震えながら答える。
だが、カズイはふと訝しく思った。
いつもほど空気が怖くならないのだ。
理由は簡単。
ミリアリアとはキラを挟んで反対側に座る少女が黙っているのだ。
そのため黒いオーラの相乗効果が起こらず、直接睨まれているトール以外は普通にしていられるのである。
そのことにはサイとフレイも気づいたようで、心配そうな視線をカガリに向けている。
カガリが元気なら元気で多大な被害を受けるにも関わらず心配する辺り、気の良い連中である。
カガリが悩んでいる原因については簡単に想像がつく。
間違いなく、キラとの関係であろう。
今まで恋焦がれていた相手が血縁、それも双子の兄、あるいは弟だなどと知ったら、普通は悩む。
絶望すらするかもしれない。
近親婚に関するタブーとはそれほどのものである。
生物としての本能がそれを拒むのだ。
血の純潔を尊ぶ昔の王侯貴族くらいにしか、それを肯定し、奨励すらする文化は存在しないだろう。
オーブの王族にあたる五氏族に連なるカガリだが、養子ですらも継承権が与えられるオーブの首長家には、そのような価値観は存在しない。
理解をすることはできても、それに解決策を提示することはカズイ達にはできない。
カガリが自分でどうにかするしかない問題である。
カズイは小さくため息を吐いた。
とりあえず、この空気を変えねばなるまい。
「だけど、真面目な話、キラは彼女のことをどう思ったんだ? あんまり考えたくないけど、彼女が敵に回る事だって可能性としてはあるんだろ?」
「確かに可能性として無いわけじゃないな」
カズイの言葉にキラが答え、視線が集まる。
ミリアリアから解放されたトールがほっと胸を撫で下ろしているのが、カズイの視界の隅に映った。
「だが、無いわけじゃないとは言え、相当低い可能性だ。もしも彼女が『原作』同様に平和を求めるのならば、ほぼ確実に味方に引き込めるわけだからな」
「そうじゃなかったら?」
「今のうちに叩いておいた方が良いだろうな。あのカリスマ性は敵に回せば脅威だ」
「そこだけど、彼女の能力についてはどうなんだ?」
サイが言葉を挟んだ。
「『原作』の彼女は相当に有能だったみたいだけど、実際はそうじゃない可能性もあるわけだろ?」
「それに関しては多分大丈夫だ。敵に回る可能性があることを考えると、一概に大丈夫とも言えないんだが、少なくとも『原作』よりも無能ってことは無いと思う」
「何でそう言える?」
「さっき、ほんの少しの間だけど、ずっと観察してたからな。洞察力には結構自信があるんだが、ほとんど何も読めなかった。あんなに巧妙に内心を隠せる奴は見たことが無い」
「……そ、それはすごいな。でも『ほとんど何も』って言うからには、少しくらいは読めたんだろ」
「ああ。あの時、扉を開けて最初にハロが出てきたよな?」
「ハロ……ああ、あのロボットか。けど、それがどうしたんだ?」
「ハロが出てきた直後から、ラクスがこっちの様子をポッドの扉の影から見てやがった。出て行くのに一番効果的なタイミングを計ってたんだろうな。それに、その後のあのドジっていうか抜けたところのある動作。動き自体に不自然なところは無かったから素なんだろうが、その後の言動は明らかに計算して喋ってる。その程度だな、読めたのは。それだって『原作』の知識で警戒してたからかろうじて、って感じだ」
「つまり、あの天然っぽいところは仮面ってことか?」
「いや、そうじゃない。そこまで作為的なものなら、そうとわかるはずだ。おっとりとしたところも狡猾なところも、どちらも彼女の素顔と考えた方が良いだろうな。子供の頃から大人の社会で生きてきた影響で、自然と使い分けるようになったんだろう。さしずめ、天然ボケな上に策士ってところか。読みにくいことこの上ない」
「……なんか、そう聞くと物凄く厄介な相手のような気がしてくるな」
「そう言ってるんだよ。『原作』中で彼女が果たした役割については話しただろ? 見た目に騙されない方が良い」
言いながらキラが時計に目をやり、立ち上がる。
カズイも視線を時計にやると、そろそろ休憩時間も終わる頃だった。
「ともかく、ラクスに関してはまだ結論は出せないな。もう少し探ってみることにしよう。多分、もう少ししたら食事を届けに行くことになるだろうから、その時にでもな」
キラの言葉に全員が頷き、彼らは再び作業へと戻っていった。
ハロを使って部屋の鍵を外したラクスは艦内を歩いていた。
目的地は無いが、目的の人はいる。
脳裏に浮かぶのは、意志の力で光り輝くようなアメジストの双眸。
その印象が強すぎて、実は顔立ちに関する記憶が曖昧である。
だが、軍服が異様なほどに似合っていなかったのは覚えている。
多分、あんな人は一人だけだろうから、探すのに苦労はしないだろう。
そんなことを考えながら、廊下に並ぶ部屋を覗き込みながら歩く。
見つけたのは八部屋目くらいだっただろうか。
聞き覚えのある声がして覗き込んでみた部屋に、彼はいた。
その部屋はおそらく食堂なのだろう。
数人の人が食事を取っており、目当ての彼はそれぞれ一人分の食事が乗ったトレイを両手に持っていた。
「あら、おいしそうですわね」
ラクスは声をかけながら食堂に入っていく。
ちょうどお腹が減ってきたところだったから、口調を取り繕う必要は無い。
その言葉に振り向いた目当ての少年と、その両隣にいる黒髪の少年と赤い長髪の少女が驚きの表情を浮かべる。
だが、両隣にいる二人の表情は、どこか演技のような違和感があった。
「何で君がここに?」
「あら、いてはいけませんか?」
目当ての少年が問うのに、ラクスはクスリと微笑んで答える。
「いけないというか、部屋には鍵がかかってただろ? どうやって出てきたんだ?」
「このピンクちゃんはお散歩が好きで……というか、鍵がかかっていると、必ず外して外に出てしまいますの」
その言葉に、少年達の視線がハロに集まる。
ラクスの言葉は嘘ではない。
今回はラクスがそれを利用した、ということを言っていないだけで。
「ラ、ラクスさん。ここは地球軍の船で、あなたは民間人とは言えプラントの人なんだから、あんまり勝手に出歩かない方が良いと思うわよ」
「そうなんですか? 私はお散歩がしたかっただけですのに」
答えたラクスの言葉に、赤い髪の少女は呆れたような表情を浮かべる。
「ところで、ここは食堂ではありませんか? 私、少しお腹が空きました。よろしければ、ご一緒しませんか?」
「あー、それなんだがな。君は基本的にあの部屋から出ちゃいけないことになってるんだ。それでこれからこれを届けに行くところだったんだ」
目当ての少年が、手に持ったトレイを軽く上げてみせる。
「まあ、そうでしたの。でも、なぜ二人分なんですの? 私、そんなに食べられませんわ」
「これは、俺の分。一人で食事は寂しいだろうと思ってな」
言って少年は微笑する。
だが、その瞳はどこか不敵な光を湛えていた。
ラクスは察する。
自分がこの少年を見極めようとしているのと同様に、この少年も自分を見極めようとしているのだ。
願ってもないチャンスと言えた。
「まあ、ありがとう。それではお願いします。あなたのお名前は?」
「キラ。キラ・ヤマトだ」
もといた部屋に戻り室内に入ると、キラは二つある机にそれぞれトレイを置き、ドアにロックをかけた。
ラクスはそれに対して何も言わない。
年頃の娘としては身の危険を感じるべき場面なのかもしれないが、彼女の直感が、そういう意味ではこの少年は安全だと告げていた。
二人はそれぞれ机に備えられた椅子に腰を下ろす。
「それにしても、あなたがキラ・ヤマトですか。アスランから聞いていたのとはだいぶ違うお方なのですね」
先に口を開いたのは、ラクスの方だった。
「へえ、アスランを知ってるのか。あいつは俺のことをなんて言ってたんだ?」
「優秀なのにぼーっとしていて抜けてるところがある、お人好しの平和主義者。そう言っていましたわ」
「別に間違っちゃいないと思うけどな」
「あら、この期に及んでおとぼけですか? このような場を設けて下さったということは、腹を割って話し合おうということだと思ったのですけれど」
クスリ、とラクスは笑う。
「あなた方は何者ですか?」
「……何のことだ?」
「食堂で会った、あの赤い髪の方。あの方は私のことを『ラクスさん』と呼びましたわ。しかもその事に、あなた方は誰一人違和感を覚えた様子がありません。おかしいですわね。私はあなた方とは初対面ですのに」
「艦長達から名前くらいは聞いてたからな」
「それにしても、名前を思い出すまでの間が短すぎですわ。まるで、私のことを呼び慣れているようでしたよ」
「……フレイが迂闊なのもあるだろうが、君も相当鋭いな」
「あら、その程度はもう気づいてらしたのでしょう?」
少し悪戯っぽく言ったラクスの言葉に、キラは苦笑して頭をかいた。
「オーケー。腹を割って話し合うことにしよう。ラクス・クライン、君はこの戦争をどう思う?」
言葉と同時に、キラの瞳が、まっすぐに、ラクスの瞳を射抜いた。
ぞくり、と背筋に走るものを感じる。
だが、不快なものではない。
高揚感、あるいは武者震いといった類のものだろう。
芸能界という大人の社会の中で生きてきたラクスにとっても、こんな目をする相手は初めてだった。
「痛ましいことだと思いますわ。こうしている間にも、どこかで大勢の人が亡くなっているのでしょう。どうして、ナチュラルもコーディネーターも、みんな仲良くできないのでしょうね」
キラはじっとラクスの瞳を見つめてくる。
ぞくぞくと背筋に何かが走る。
こんな目で見られたら、嘘など瞬時に見破られてしまうだろう。
ラクスも負けじとキラの瞳を見返す。
おそらく、キラが見ているのはラクスの意志と能力。
意志は示した。
ここが、彼を味方にできるかどうかの正念場だろう。
どれだけの間見合っていたのだろう。
見詰め合うという言うには強すぎ、睨み合うと言うには弱すぎるそれは、一瞬にも数分にも感じられた。
不意に、キラがにやりと笑った。
そして口を開く。
「嫌なものだな、戦争というのは」
「そうですわね」
「戦争ってのは雑草みたいなもんだ。植えてもいないのに後から後から勝手に生えてきて、平和に咲いてる花を枯れさせていく。むしってもむしっても、またすぐに生えてくる。根絶する方法は、多分無い」
「ですが、だからと言って草むしりを怠っては、花壇のお花がみんな枯らされてしまいますわ」
「だが、今生えている雑草はもうかなり成長してしまっているぞ。根から引き抜くのは簡単じゃない。除草剤でも撒くか?」
「それでは周りのお花まで枯らしてしまいます」
「ならばどうする?」
「人を集めますわ。私一人の力ではどうにもできないでしょうけど、みんなで力を合わせればどうにかなるはずです」
「時間がかかるな」
「ええ。ですが、そうしなければ根が残ってしまいます」
「道理だな。それじゃあ、俺は君が人を集めている間に、鎌を持ってきて見えている部分を刈り取るとしよう。放っておくとどんどん成長するからな」
「危なくはありませんか。この雑草には鋭いトゲがたくさんついていますわ」
「放っておくと真っ先に枯らされそうな場所に、俺が大事にしている花が植わってるからな。それにこんな危険な仕事まで可愛い女の子にやらせるわけにはいかないさ」
「あら、お上手ですわね」
ラクスはクスリと笑った。
「それではお言葉に甘えてお任せします。くれぐれもお気をつけて」
「ああ。心配するな、俺も自分一人でやるつもりはない」
どちらからとも無く、二人は右手を差し出す。
その手が、しっかりと握り合わされた。
その後二人で食べた食事は、すっかり冷め切っていたにも関わらず、とても美味しかったようにラクスには思えた。
(続く)