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「ある少年達の選んだ道 第08話 後編(SEED)」

霧葉 (2005-08-18 00:18)
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 艦長席に座るラミアスは、重いため息を吐いた。
 次から次へと出てくる難問・奇問に、ラミアスの頭脳は過剰労働気味である。
 ただでさえ厳しい状況なのに、プラントの姫君などという厄介なものを拾ってしまった。
 尉官の身分で艦長という時点で重責なのに、外交問題まで絡んでこられては明らかに権限の範囲外だ。
 そもそも、元来は技術屋であるラミアスの頭脳は、この手の思考に徹底的に向いていない。

「しっかしまあ、補給の問題が解決したと思ったら、今度はピンクの髪のお姫様か。悩みの種が尽きませんなあ、艦長殿」

 おどけたような口調で言ったフラガが、艦長席でため息を吐くラミアスに敬礼してみせた。
 その仕草に、ほんの少し、ラミアスの口元に笑みが浮かんだ。
 ヘリオポリス脱出以来、本当にこの男には助けられてばかりだ。

「あの子もこのまま、月本部へ連れて行くしか無いでしょうね」
「もう、寄港予定は無いだろ」
「でも、軍本部へ連れて行けば彼女は……いくら民間人と言っても」
「そりゃあ大歓迎されるだろう。何せクラインの娘だ。色々と利用価値はある」
「できれば、そんな目には合わせたくないんです。民間人の、まだあんな少女に」

 そう。
 ラミアスの権限ではそうせざるを得ないとわかっていても、そこが人の好いラミアスには引っかかるのである。
 だが、それをバッサリと切り捨てる者がいた。

「そう仰るなら、彼らは?」

 艦長席の後ろから、声がかかる。
 振り向いたラミアスの目が、CICから上がってきた冷たい美貌の副官を捉えた。

「こうして操艦に協力し、戦場で戦ってきた彼らだって、まだ子供の民間人ですよ」
「バジルール少尉……それは……」
「キラ・ヤマトや彼らを止むを得ぬとは言え戦争に参加させておいて、あの少女だけは巻き込みたくないとでも仰るのですか?」

 ナタルの糾弾するような言葉に、ラミアスは答えられない。
 理ではわかっていても、情がそれを受け入れないのだ。

「彼女はクラインの娘です。ということは、その時点で既にただの民間人ではないということです」

 艦橋に沈黙が落ちる。
 それを破ったのは、気楽なほどに明るい声だった。

「まあまあ、そんなに艦長を苛めないであげてください、バジルール少尉」

 その場の全員の視線が声の出所、艦橋後部に向く。
 そこには、奇妙に似合わない軍服の少年がいた。


   第08話 策士達の策戦 後編


「すいませんね、少し出て行きづらかったもので、そこで聞かせてもらいました。彼女に関してですが、俺は今すぐに解放することをオススメしますよ」

 ここの食堂のランチセットですが、B定食がオススメですよ、という程度の軽い口調でキラが言う。
 それをナタルが睨んだ。

「キラ・ヤマト。君の意見は求めていない」
「そんなこと言わずに、聞くだけ聞いてもらえませんか? 一応メリット・デメリットを考えた案なんですから」

 軽く肩をすくめて言ったキラを、ナタルはじっと見つめる。

「……それならば聞く価値はありそうだな。艦長、彼に発言の許可を」
「「「「「え!?」」」」」

 驚きの声が、唱和した。
 あのナタル・バジルールが、と。
 艦橋に詰めるクルー達が互いに視線を交わす。
 これはどんな天変地異の前触れか。
 また何か事件でも起こるのではないだろうか、と。

「……どうかなさいましたか?」
「い、いえ、何でもないわ。じゃあキラ君、聞かせてもらえるかしら」

 どうにか気を取り直し、ラミアスがキラを促した。

「それではお言葉に甘えて。まず我々が彼女に関する処遇として考えられるのは、大きく分けて二つあります。捕虜として拘留し続けるか、解放するか」

 艦橋をふわふわと漂いながら、キラは指を二本立ててみせる。

「拘留し続けることのメリットはいざという時に人質にできる、ということでしょう。短期的には襲ってくるザフト軍に対する盾とすることができるし、長期的には政治的な交渉のカードとして使うこともできる。何しろプラント最高評議長の一人娘で、大人気の歌姫ですからね。人質としての価値は申し分ない」

 盾、人質、という生々しい言葉に、ラミアスを含め数人の顔に嫌悪の表情が浮かんだ。
 だが、構わずキラは続ける。

「ですが、それは同時に大きなデメリットでもあります。彼女が地球軍に捕らえられ、あまつさえ人質として利用された。そんなことになったら、プラントに大勢いる彼女のファンや、父親のシーゲル・クラインが率いる穏健派を刺激することになります。下手をすれば、穏健派が強硬派に回ることもあり得るでしょう。せっかくプラントの国論が穏健派と強硬派に別れているんです。わざわざ統一させてやる必要などありません。ただでさえ不利なんですから」

 言って、軽く肩をすくめた。
 空中を漂っていた小柄な体が、緩い重力に引かれ艦橋の床に着地する。

「ましてやそのラクス・クラインが地球軍に捕らえられ獄中で死亡した、なんてことになったらどうなるか。彼女はたちまちのうちに偶像に仕立て上げられ、プラントの国論を統一する道具となる。格好のプロパガンダです。むしろ強硬派なんかは、それを狙って地球軍に捕らえられた彼女に刺客を放つ可能性もありますね。その上で『地球軍兵士に暴行を働かれ、それを恥じて自決した』なんて噂を流せば完璧です。まあ、そういうわけで拘留し続けるのはデメリットの方が大きいでしょう。ここまでで何かありますか?」

 キラが一同を見回した。
 ラミアスもそれにつられるように視線を巡らせる。
 ナタルでさえも不承不承といった感じではあるが、話を聞いていた。

「では続けます。それならば逆に解放する場合はどうなるか。解放と言っても宇宙空間に放り出すわけですから、その後は別の地球軍に拾われるか、ザフトに拾われるか、漂流の末に死亡するかの三つのどれかになります。俺の提案の狙いは二つ目、ザフトに拾わせることです。
 ザフトが彼女を拾ったらどうなるでしょうか。彼女はVIPで民間人ですからね。艦に乗せて戦闘をするわけにはいかない。かと言って連絡艇か何かに乗せて放り出すわけにもいかない。彼女一人が救命艇に乗る羽目になった、先の事態の二の舞になりかねませんから。結果、彼女を乗せた艦は一度本国に帰還せざるを得なくなる。
 先ほどのアルテミスでの戦闘ではナスカ級の姿はありませんでした。おそらく、我々を追ってきているのはローラシア級のみでしょう。それが引き返してくれれば、一時的にせよ、我々にかかっている追っ手はいなくなります。現在の戦力では極力戦闘は避けるべきでしょう?」
「でも、ナスカ級が追ってきていないという保証はないわ」
「それにしたところで、二対一のところが一対一になるんです。万々歳じゃないですか。はっきり言って、もう一回G四機とやって勝てる自信はありませんよ、俺」

 口を挟んだラミアスに、キラはおどけた仕草で軽く両手を挙げてみせた。

「要するにはラクス・クラインは戦場にあってただの厄介者。ババ抜きのババみたいなもんです。そんなもの、相手に押し付けるに限ります。で、あの二人の捕虜さん達ですが……まあ、はっきり言ってどうでも良い。どうでも良いですが、セットにして解放するのが良さそうです。たいして情報を引き出せそうにありませんし、訓練を受けたコーディネーターの兵士だけに監視するのも一苦労でしょう。ただでさえ人手が足りないのに、捕虜の監視にまで人手を割かれてはたまらないんじゃないですか?」
「だが、だからと言って捕虜を解放したりすれば、敵に我々の居場所を教えることになる」
「どうせ、もうバレてますよ。さっきあのジンの通信ログを見てみたんです。消去されていたのを無理に復元したので詳しい内容は不明ですが、俺が撃墜する直前にどこかに通信してました。状況からして、俺達を発見したことを伝える緊急連絡でしょう」
「本当なの!?」

 ラミアスは思わず立ち上がりかけた。

「ええ。長距離強行偵察型のジンとは言え、モビルスーツの航続距離はたかが知れてます。母艦が近くにいるはずですから早く発進しましょう……って言いに来たんですよ、本当は」

 ラミアスの脳裏に長距離強行偵察副座型ジンの詳細なスペックが浮かび上がる。
 それから割り出した行動半径を航路図と照合し、キラの言葉に頷く。

「そうね。すぐに発進しましょう。ノイマン曹長、お願い」
「了解」

 ラミアス下した命令に、ノイマンが艦を発進させた。
 緩いGがかかり、アークエンジェルの巨体が前進を開始した。

「まあ、俺の意見はこんな感じです。何かありますか?」

 発進の加速が一段落すると、キラが周囲の顔を見回して言う。
 それに答える者はいない。
 みな、自分の中でキラの意見を吟味しているようだった。
 と、そこに。

「ちょっと良いですか?」

 キラとは別の少年の声がかかった。
 今度は後ろからではなく下からである。
 視線を向けると、サイがCICから上がってくるところだった。

「今のキラの提案に俺も賛成です。ちょっと良いですか。こちらをご覧ください」」

 言いながらサイはオペレーター席に移動し、チャンドラに断って端末を操作する。
 艦橋のモニターに、何かの表が現れた。

「これは現在この艦に積み込まれている物資のリストです」
「ちょっと待て。何なんだ、その水の量は? ユニウス・セブンには一億トン近い水があったんだろう?」
「それに関しては、宇宙空間での作業だったことが影響しています。氷を破砕して詰め込むという方法を取らざるを得なかったため、かなりの無駄ができてしまったんです」

 サイは一度言葉を切り、端末を操作する。
 縦に並んだ物資の量を示す数字の横に、別の数字を記した列が加わる。

「今、追加したのは、ここから月面基地方向に移動して第八艦隊と合流するまでにかかる日数を十日とした場合の、物資の必要量です。それから割り出した充足率がこちらです」

 言葉と共に、また一列、表に加えられた。

「ご覧の通りの状態です。先程補給したとは言え、物資は未だに欠乏状態にあると言えます。特に……」

 サイはどこからともなく取り出したレーザーポインタで表の一点を示す。

「水が足りません。先程言ったとおり補給できた量自体が十分とは言えない上、必要な量が非常に多いのが原因です。飲み水の他に衛生管理や、全身が精密機械といっても過言ではないモビルスーツの部品洗浄にも、水は必要になってきますから。また、このデータを作成するのに使用した第八艦隊と合流するまでに十日、という条件はあくまで予定であり、伸びることも想定しなければなりません。戦闘によって機関部が破損したりすれば、かなりの遅延は免れないでしょう」

 データに基づいて理路整然と。
 一瞬たりとも言葉を詰まらせることなど無く、まるで台本が用意されているかのようにサイは滔々と言葉を紡ぐ。
 流れる水のように繰り出される論は、早口であるわけでもないのに、ラミアス達に口を挟む暇すら与えない。

「それを踏まえた上でこちらをご覧ください。この艦に乗る人間が三人増えた場合の影響を表とグラフにしました」

 またもや、モニターに移される映像が変化する。
 先程から映っている表の横に、物資の必要量と充足率が微妙に違う表が映し出され、その下には二本の折れ線が書き込まれたグラフが現れた。

「ご覧の通り、十日で第八艦隊と合流できるのならば問題はありませんが、それ以上合流が遅れると、たった三人のお荷物でもまずいことになる、というのがこの艦の現状です。僕達のようなヘリオポリスの民間人を拾った時点で、艦の能力を超えているくらいですから。先程のキラの論を考えると、捕虜、あるいは人質としてあの三人にそれほど価値があるとも思えません。故に、僕も解放という案に賛成します」

 そうしめくくり、モニターに映るデータを消し、サイは一礼した。

「……どうしました?」

 反応の無い聴衆に、サイは戸惑ったような声をかける。
 半ば唖然としていたクルー達は、その声にはっと我に返った。

「あ、は、はい。とりあえず、サイ君ご苦労様。この件に関して他に意見はありますか?」
「……やれやれ。ここまで明確に根拠を示されちゃあ、反論のしようが無いな」

 フラガは頭を掻きながら苦笑して言った。

「バジルール少尉、何かありますか」
「いえ、何も」

 ラミアスに話を振られて答えたナタルの怜悧な容貌にも、どこか困ったような表情が浮かんでいるようだった。

「それではキラ君の案を採用し、ラクス・クライン及び二名の捕虜を解放することとします」

 反対意見が無いことを確認し、ラミアスは艦長として告げる。
 誰よりも自分自身がこの結論を望んでいるのを、彼女は自覚していた。
 ほっと安堵の息を漏らす。
 と、そこで一つの疑問が湧き上がった。

「……ところでサイ君。今のデータ、いつの間に作ったのかしら?」
「キラが話している間ですけど……それが何か?」
「……いえ、何でも無いわ」
「そうですか。それでは失礼します」
「それじゃあ、俺も戻ります。解放の準備もしなきゃいけませんし」

 サイはラミアスの問いに答えると一礼してCICに戻っていき、キラも艦橋から出て行った。

「……キラ君の話って、五分くらいだったわよね?」

 誰にとも無く、ラミアスがポツリと問う。

「ああ、そんなもんだろ。最近の子供っていうのは、みんなああなのか?」

 半ば呆然と言うラミアスとフラガに、答えられる者はいなかった。


「キラ」

 解放の話をしてラクスの部屋から出たところで、キラは声をかけられた。
 視線を向ける。
 サイが廊下の向こうからやってくるところだった。

「サイか。さっきはありがと。さすがはヘリオポリスのディベート王ってところだな。助かったよ。俺の理屈には色々と穴があったから、フォローしてくれなかったら通ったかどうかわからん」
「気にするな。俺の論にだって穴はあるからな。通ったのは、結局のところあの案を通したいって、みんなが思ってたからだろ」

 近づいてくるサイに向かって、キラは軽く手を挙げる。
 その手に、サイが軽く掌を打ち合わせた。

 パン!

 小気味の良い音が響く。
 そして二人は肩を並べて歩き始める。

「これでフレイの父さんは死なずに済むわけか?」
「確実とは言えないがな。その場合は俺が直接守らなきゃならなくなるわけだが、それはそれで勝算もある」
「……そこまで考えてるのか。よくもまあ、考えつくよな」
「たいした事じゃないさ。何せ一年近くもずっと考え続けてたんだ。情報と時間さえあれば、サイだってこれくらいは思いつくはずだ」
「買いかぶりだと思うけどね」

 サイは軽くため息をついて、キラが一年かけて熟成した策の説明を思い出す。

 クルーゼ隊と第八艦隊先遣隊が戦闘すれば、まず間違いなくクルーゼ隊が勝つ。
 ならば、この戦闘をそもそも起こしてはならない。
 もともとデブリ・ベルトと月、プラントの位置関係からして、ラクス捜索のために妙な場所を通らなければ、この二者は会うはずはないのだ。
 クルーゼが妙なルートを取る前にラクスが発見されれば、それは回避できる。

 そこで、この解放という手段を取ることになる。

 長距離強行偵察型のジンとは言え、モビルスーツである以上、航続距離には限りがある。
 そのジンが乗っていた母艦が、数時間から十数時間の移動でたどり着ける距離にいるはずだ。
 すぐにラクスを解放すれば、その日の内に回収されるだろう。
 そのことは、アークエンジェル発見の報告とともにクルーゼに送られることは間違い無い。

 ヘリオポリス崩壊直後の戦闘では、アークエンジェルは二隻対一隻の状況を切り抜けている。
 クルーゼは優秀な軍人だからこそ、戦力を小出しにしても各個撃破されるだけと考え、十分な戦力を以ってことに当たろうとするはずだ。
 変に先回りしたりせずに、真っ先に合流しようとするだろう。

 かくしてアークエンジェルの追撃は遅れ、第八艦隊先遣隊が攻撃を受けることも無くなる。
 それに、ラミアス達に語った内容も決して嘘ではない。

 ジョージ・アルスターの命を救うこと。
 敵の戦力を当面の間だけでも削ること。
 味方に引き入れたラクス・クラインという人材を有効活用すること。
 アスランに和解の可能性を信じさせること。
 ミゲルらにキラが敵ではない可能性を考えさせること。
 キラの策は一石で五鳥を狙っている。

 作業に入る前、部屋で聞いたときには驚きを通り越して呆れたものだ。

「でも、物資……数字の方から攻めるって考えは俺には無かったからな。あの論は俺も目から鱗だったぜ」
「まあ、キラにできないことをやるのが俺の役目だと思うしな。それに……」
「それに?」
「シャワーを浴びれなくなると、フレイが近寄らせてもくれなくてな。それで少し気にしてたんだ」

 ゴンッ!

 歩き始めた途端によろめいたキラが、廊下の壁に頭をぶつける。
 気のせいか、先程のハイタッチよりもさらに良い音がしたような気がする。
 軽くめまいすら覚えて、キラは壁に手をついてよりかかる。

「……アホだ。頭良いけどアホだ、こいつ……」

 ぶつぶつと、キラは小声で呟いた。

「……? どうしたんだ、キラ?」
「……いや。お前って色んな意味で凄い奴だと思っただけだよ、うん。気にするな」

 訝しげにサイがそれを見下ろす。
 キラはそれに対して、乾いた笑いを浮かべながら答えた。

 ちなみに、時折自分も同じ評価を受けていることに、当然だがキラは気づいていない。


 ザフトの緑色の軍服に身を包んだ少年、エドワード・キリルは、閉じ込められた独房らしき部屋の中を苛立たしげに歩き回っていた。
 狭い室内を行ったり来たりするたびに短く切った黒髪が揺れ、数秒おきに琥珀色の大きな瞳が忌々しげに鍵のかけられた扉を睨みつける。

「こんなところに閉じ込められてる場合じゃないのに……」

 つい癖で爪を噛みそうになり、手を慌てて戻しながら少年は呟く。
 拿捕されたジンから先輩のミゲルと共に引っ張り出された格納庫。
 そこで見た、プラントの船によく積まれている型の救命ポッド。
 おそらく、発見されたばかりなのだろう。
 ポッドを開放しようと作業している男達の姿が周囲にあった。
 発見されたばかりということはこの近くを漂っていたということで、それならば位置からしてあれに乗っているのはラクス・クラインである可能性が高い。

 ラクス・クライン。
 プラントの若年層のほとんどがそうであるように、彼もラクス・クラインのファンだった。
 自ら望んだこととはいえ、十代も半ばで戦場を駆けるのは辛い。
 それが彼女の歌声でどれだけ癒されたことか。
 ラクス・クラインの歌と、同僚であるニコル・アマルフィのピアノで心を癒すことができなければ、とうに自分は潰れているだろうと思う。

 それだけに、心配する気持ちも強かった。
 ラクスの政治的な価値は彼にもわかる。
 もし地球軍に捕まったりしたら、どんな目に遭うか知れたものではない。
 だから、ラクスの捜索に志願したのである。
 だが、事態は彼の想像の最悪の方向に進んでいるように思えた。

 と、その時。

 コンコン、と扉をノックする音が聞こえた。

「入るぞ、良いか?」

 扉の向こうから聞こえてくる声。
 彼と同年代くらいの少年の声だ。
 しかも、格納庫で暴れたエドをほとんど瞬時に気絶させてくれた、ストライクのパイロットらしいあの憎たらしい少年のものではない。
 素早くドアのすぐ脇の壁に背を張り付け、エドは息を殺す。

「……開けるぞ」

 数秒して、再び少年の声。
 ロックの外れる電子音。
 空気の抜ける音と共に扉が開く。
 瞬間、エドは飛び出した。
 そこに立っている人影に向かって踏み込み、拳を放つ。

「やっぱりかよっ!」

 少年の悲鳴のような声。
 だが、エドの拳は少年の左掌によって向きをずらされていた。
 体重を乗せた右ストレートを外され、エドの身体が泳ぐ。
 同時に少年の右肩がエドの胸元に触れた。

 ズドンッ!

 激しい衝撃音と共にエドの身体が後ろに弾け飛ぶ。
 そしてそこには、壁。

 ゴンッ!

 後頭部がまともに壁にぶつかり、エドの脳内で星が弾ける。
 あまりの痛みに、一瞬意識が飛びかけた。
 その隙に両手を後ろ手にねじり上げられている。

「おー、お見事お見事」

 ポンポンと気の抜けた拍手と言葉が、朦朧としかかる意識に届いた。

「お見事、じゃねえ! わかってるんならキラがやれよ!」
「いや、だって俺はコイツから目を離せないし。まあ、師匠が弟子に与える試練だとでも思ってくれ」

 そんな会話にくらくらする頭を上げてみれば、地球軍の軍服を着た少年がエドの背後に一人と正面に一人。
 剣らしきものを左手に提げた、妙に軍服の似合わない正面の少年の隣には、ミゲルが立っている。

「……ミゲル先輩。これはいったい……」
「……エド。いつも言ってるが、状況を確認する前に動くのは止めろ」

 ようやく正常に戻った視界の中でミゲルがこめかみを押さえているのが見えた。
 エドはしゅんと肩を落とす。

「あー、面倒だから俺から説明するが、こっちの色々な事情を鑑みた結果、ラクス嬢は解放することになった。で、君達二人には彼女が無事に帰りつけるようエスコートしてもらう」
「……え?」

 その時のエドの表情は、鳩が豆鉄砲を食らったような、という表現の用例にぴったりだった。

「だから、君達二人とラクスを解放することになったから、ついて来いって言ってるんだよ。ほら、行くぞ」

 そう言うと、キラと呼ばれたその少年はさっさと歩き出す。
 その後ろにミゲルが続いた。

「……離せ。そういうことなら、もう暴れたりしねえよ」

 言いながら掴まれた腕を振り解こうとすると、背後の少年はあっさりと手を放した。
 後ろを振り向き、その少年を睨みつける。

「今度会ったときはただじゃ済まさん。覚えてろよ」
「いや、そんなに根に持たれても困るって。それに、先に殴りかかってきたのはそっちだろ」

 癖の強いブラウンの髪を持つ少年の顔を脳裏に刻み付けるように睨みつけ、エドは小走りにミゲルの後を追い、隣に並んだ。

(いったい、どういうことなんでしょうか)
(わからん。だが、解放してくれるって言うんだから、素直に従った方が良いだろうな。それに、逃げ出すにしても前の奴を抜くのはまず無理だ)
(……え?)

 エドは信じられない、と言った調子でミゲルを見る。
 彼が知る限り、ミゲルは生身での戦闘も一流の領域に達していたはずだ。
 それが、いくら強いとは言えナチュラル一人を倒せないなどとは、到底信じられない。

(気付いてないのか? 前の奴はストライクのパイロットだ。確実にコーディネーターだぞ)
「えっ!?」

 思わず漏れる驚きの声。
 エドは慌てて口を押さえるが、既に遅い。
 前を歩いていた少年が振り向いて二人を見ている。

「お二人さん。内緒話も結構だが、その程度じゃあ、全部聞こえるぜ。別に聞かれて困る内容でもないんだから、普通に話せ」

 苦笑した少年は、再び前を向いて歩き出す。
 その背中に、エドは声をかける。

「おい、お前。お前がコーディネーターって本当か?」
「ああ。それがどうかしたのか?」

 振り返りもせずに少年は答える。
 その答えに、ミゲルが頷いた。

「やはりそうか。ストライクのスペックを見る限り、あれはナチュラルには過ぎた機体だ。あんな機体を実戦レベルで扱えるナチュラルがいてたまるか」
「そりゃあ、差別ってもんだ。ナチュラル、コーディネーターを問わずかなりの人が勘違いしてるみたいだが、ナチュラルとコーディネーターの差なんて、言われるほど大きなものじゃない。比較するのがナチュラルの上の方とコーディネーターの下の方ってことになれば逆転するしな。現に、ラクスの運動神経なんて小学生並だし、エドって言ったか、君はトールに負けている。近いうちにナチュラルも普通にモビルスーツを使うようになるだろうさ」
「……何でだよ。何でそんなにナチュラルに肩入れするんだよ! 何で地球軍なんかに味方してるんだよ! コーディネーターなんだろ!?」

 軽く笑いながら言う少年の言葉に、エドは激昂した。
 コーディネーターでありながら地球軍に味方するなど、彼にとっては重大な裏切りにしか思えなかった。
 だが、それを少年は鼻で笑う。

「アホか、お前。コーディネーターがプラントに味方しなきゃいけないなんて、誰が決めたんだ。だいたい、中立のヘリオポリスで平和に暮らしてた俺達を戦場に引きずり込んだのはお前らだぜ」
「……え……」
「確かにヘリオポリスのモルゲンレーテは地球軍のモビルスーツを作ったかもしれない。だが、住人のほとんどはそれとは無関係だ」

 少年はゆっくりと振り返りエドを見据える。

「ヘリオポリスのことは事故だった、とお前らは主張するかもしれない。だが、そんなことは関係ない。犠牲者にとっては地球軍の核攻撃もザフトのモビルスーツの攻撃も対して違いは無い。忘れるなよ」

 少年は、一瞬言葉を切った。


「お前らがユニウス・セブンを忘れないように、俺達はヘリオポリスを忘れない」


 ガツン、と頭を殴られたような衝撃が走る。
 エドは数瞬の間、その場に立ち尽くしていた。


 これだけ言っておけば、「種蒔き」としては十分だろう。
 そんなことを考えながら、キラは立ち止まってしまったミゲルとエドを促し、先へ進む。
 ほどなくして格納庫に着いた。

 格納庫には一機の作業ポッドが用意されており、その前にラクスが立っていて、その周りにはナタル、チャンドラ、マードック、それにサイ、ミリアリア、カガリ、フレイがいた。

「お待たせしました。ザフトの捕虜二人、連れてきましたよ」
「ご苦労。済まなかったな、こういうことは任せてばかりで」
「いえいえ、生身での戦闘能力はこの艦で俺が一番なのはわかってますから」

 ナタルに笑って答えたキラは、傍らの作業ポッドに目を向ける。

「結局、これになったんですね」
「ああ。救命ポッドに移動能力は無いから漂うだけになるし、かと言ってジンを返してやるわけにもいかん」
「ま、妥当なところですね」

 相槌を打ってナタルとのやり取りを終えると、キラは後ろの二人に振り向く。

「というわけで、これに乗って行ってもらうことになる。さっさと放り出したいから早く乗ってくれ」
「……礼は言わんぞ。何の考えも無しに解放してくれるわけじゃないんだろうからな」

 キラの言葉に答え、ミゲルが乗り込む。
 それに意気消沈したエドが続いた。

 二人が乗り込んだのを確認すると、キラはラクスに向き直る。
 ラクスは静かに、穏やかに微笑みながらキラを見つめていた。
 そして、キラに向かって深々と頭を下げる。

「キラ様。この度は本当に色々とありがとうございました」
「礼は良いさ。ラクスのためだけにやったわけじゃない」
「それでも、ですわ」

 キラの言葉に、ラクスは微笑む。
 もはやその裏を読む必要は無い。
 キラもそれに微笑み返す。

「そう遠くないうちに、また会えると良いですね」
「ああ、そうだな」

 どちらからともなく右手を伸ばし、その手を握り合わせた。
 そこで、ラクスがキラから視線を離し、ちらりとミリアリアとカガリを一瞥する。
 その視線は、何やら意味ありげだった。

「キラ様、ちょっと耳を貸していただけますか?」
「ん? どうした?」

 問いながらも、キラは身を屈めてラクスの口元に耳を寄せる。
 何一つ警戒せずに、無防備に。
 ラクスはもう一度ミリアリアとカガリに視線をやり、楽しげに笑った。
 ラクスの両手が持ち上がり、キラの顔を挟むように頬に触れる。
 そしてその顔を自分の方に向け……


 時が、止まった。


 その場にいる全員が凍り付いている中、ラクスは一歩、キラから離れる。

「それではキラ様、御機嫌よう」

 踵を返しポッドへと歩んだラクスは、一度振り返りキラに向けて手を振った後、乗り込んでいく。

「ミゲルさん、エドさん、何をしていらっしゃるんですか? 早く参りましょう?」

 その声に、ポッドから顔を出して呆けていたザフトの二人は、慌ててポッドの中に戻る。
 ラクスを迎え入れたポッドは、未だに時の止まっている格納庫から、そそくさと発進して行った。


 ゴゴゴゴゴゴゴゴ……

 はっとキラは我に返る。
 背後から何やら恐ろしげな音が聞こえてくる気がした。
 ぎこちない動きでゆっくりと振り返る。
 そこには、黒い空気と不気味な笑みを纏った二人の少女が立っていた。
 ふと気づけば、三人の周りには誰もいない。
 皆、十メートル以上離れたあちこちの物陰からこちらを窺っている。

「え、えーと……カガリさん? ミリアリアさん? いかがいたしましたでしょうか?」
「……うふふふふ……キス……キラの唇……こうなったら私も……」
「……あはははは……そうだ……そうなんだよな……どんなに悩んだって、結局この気持ちが答えなんだよな……」

 キラの問いに帰ってくるのは、その問いを全く無視した独り言のような言葉。
 キラの額にたらりと冷や汗。
 それどころか、背筋をだらだらと冷たい汗が滝のように流れ落ちていくのが分かる。
 鍛え抜かれたキラの勘が、全力で危険を訴えている。
 二人から与えられる威圧感はそれほど凄まじいかった。
 特に、カガリ。
 例え養子であっても氏より育ち。
 獅子の子はやはり獅子、ということか。
 それに加え、最近鬱々と悩んでいた分が、何かが吹っ切れたことによって一気に噴出しているようでもある。

 逃亡を訴える頭脳とは裏腹に、キラの体は動こうとはしない。
 二人の放つプレッシャーに、その場に縫いとめられたかのように動くことができない。
 二人の、少女の姿をした般若がゆっくりとキラに近づいてくる。


 迫る二人の少女。
 押されるように後ずさる一人の少年。
 もはやお馴染みになりつつあるその光景を、トールはストライクの足の影から見ている。
 自分に被害が及ばない場所から見ている分には、これほど面白い見世物はそうそう無い。
 隣にはサイ、カズイ、フレイもいる。
 周りに視線をやれば、マードックとフラガがメビウス・ゼロの影から、整備員達が様々な機械の影から、ラミアスがストライクのもう一方の足の影から同様に見物していた。
 していないのは、ラミアスの隣で頭を抱えているナタルくらいだろう。
 それでも止めに入らずちゃっかり避難している辺り、このクール・ビューティもだいぶ『染まり』つつあるようだった。

「あ、逃げた」

 カズイの声に、トールは視線を戻す。
 キラが渾身の力を振り絞って足を床から引き剥がし、脱兎の如く逃げ出したところだった。
 それを二人の少女が追う。
 壮絶な追いかけっこが始まった。
 追う方と追われる方で身体能力に大きな差があるはずなのに、その差は縮まることもないが開くことも無い。
 恋するオトメには何か物理法則を超越した力が働くのだろうか、とトールは呑気に思いながらそれを見物し続けた。


 艦内全域を使ったおいかけっこは、その後数時間続いた。
 艦内モニターで中継されたそれの観戦は、娯楽が少ない上に危険な航行をする艦で、民間人を含めた乗員達の心を少なからず楽しませたようである。

 なお、トト・カルチョを始めようとしたトールが、さすがにこれはナタルに止められ、絞られたことも明記しておく。


 その翌日、第八艦隊先遣隊から通信が入り、アークエンジェルは沸いた。
 そのさらに一週間後、アークエンジェルは何事も無く第八艦隊先遣隊と合流する。
 クルーゼ隊の妨害は、何一つ無かった。


 (続く)


あとがき
 霧葉です。
 一週間ぶりですが、皆様元気でしたか。
 私は相変わらず偏頭痛やら何やらでわりと不調です(爆)

 内容についてですが、まずは一言。
 ごめんなさい!
 こんなに長くなるとは思ってもみませんでした。
 いつもの倍も行くとは……

 言い訳っぽいんですが、長くなったのには一応理由があります。
 少々思うところがありまして、これまでよりも描写をかなり多くしてみました。
 今までの感じと今回の感じと、どっちが良いのか、できたら読者の方に聞いてみたいです。
 色々描写を増やしてみた結果、書いていてかなり楽しかったので、書く方としてはこういう感じが良いですね。

 それにしてもラクスは書いていて楽しかった。
 こんなキャラにしてしまって描ききれるか不安ですが頑張ります。
 それでは皆様、また来週〜

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