どんなに盛り上がった熱狂的な騒ぎも、やがて時間とともに徐々に沈静化する。
アークエンジェルに乗り込む羽目になってしまった民間人達の騒ぎも例外ではない。
騒ぎ疲れた人々は自然と解散し、それぞれの部屋へと戻っていった。
同様に部屋に戻ったヘリオポリスの学生プラス一の集団から、逢い引き中のサイとフレイ、当直中のミリアリアとカズイ、何かしているのであろうキラを除いた、トール、リサ、リョウコ、カガリの計四人は、キラ達男性陣に与えられた部屋に集まっていた。
トールとリサ、リョウコが楽しげに会話をする傍らで、カガリは一人沈み込んでいる。
一時の熱狂が過ぎ去り、また元の憂鬱な気分が蘇ってきていた。
「……私もキラの手伝いがしたかった」
先ほどの戦闘のことで話し込むトール達を前に、カガリはポツリと呟く。
その口調に浮かぶのは悔しさ。
その表情は泣き出しそうですらあった。
短い言葉にこめられた想いの強さを感じ取り、トール達は沈黙する。
「……でも、こう言っちゃなんだけど、能力的にもあの五人についていくのは難しいと思うわよ。モルゲンレーテの新型戦艦なんて、最先端技術の塊じゃない。普通はそんなもの扱えないと思うわ」
「そうよね。何しろ、この歳でモルゲンレーテ工業カレッジの学生だもの」
沈黙を破り、言いづらそうに言ったリサの言葉に、リョウコが相槌を打つ。
リョウコがが名を挙げた、キラ達の通うその大学は、工業分野の最高学府と言っても過言ではない。
かつてキラのいた世界で言えば、MIT(マサチューセッツ工科大学)に例えられるだろうか。
コロニーにある分校とは言え、そのレベルの高さは並大抵ではない。
そして、キラ達五人は、まだ十六歳なのである。
「キラ君だけじゃなく、ミリアリアもサイもトール君もカズイ君も、みんな何回かスキップしてるのよ」
「ちなみに、私達とフレイはまだハイスクールの学生。私達だって、何かできることがあれば手伝いたいけど、きっと足を引っ張るだけだもの」
カガリの心理が伝染したかのように、三人の少女はため息を吐く。
だが。
「おいおい、何でそこで落ち込んでるんだよ。ちゃんと助けてくれたじゃないか」
トールの苦笑を含んだ言葉に、三人は顔を上げる。
「この艦に乗ってるみんなで応援してくれたんだろ? あの部屋に入ったとき、みんなが好意的に迎えてくれたの、すっげえ嬉しかったんだぜ」
言いながら、トールは快活に笑う。
「キラも、サイも、カズイも、ミリアリアも、それどころかこの艦の正規のクルーの人達だって、ああいう空気は絶対に嬉しいと思うぜ。キラの受け売りなんだけど、『意志の力だけで勝つことはできないけど、意志の力が無ければやはり勝つことはできない』ってさ。だから、ありがとう」
トールは三人に深く頭を下げる。再び顔を上げたとき、三人の表情には明るいものが戻っていた。
と、ちょうどその時。
部屋の入り口の自動ドアが開いた。
全員の視線が、そちらに向いた。
「ただいま。何か楽しそうだな、お前ら」
声の主は言いながら部屋の中に入ってくる。
見慣れない少年だった。
トールと同じ、青い軍服を着崩して着ている。
十代半ばくらいで、その年頃にしては割と小柄だ。
柔らかそうなダークブラウンの髪に、青みの強い紫の瞳。
そしてその左手には日本刀を提げている。
「……って、キラじゃん! 誰かと思った」
「……やめてくれよ、お前まで」
本気で驚いたトールにその見慣れない少年、キラ・ヤマトはため息を吐きつつ憂鬱そうに答えた。
トールは目の前に立つ少年の姿を頭のてっぺんからつま先までじっくりと眺める。
「……キラ、一つ言って良いか?」
「言わないで良い」
「お前、ほんっっっっとーに洋服似合わねーのな」
「言わないで良いっつってんだろうが! そんなこと言われないでもわかってんだよ! ここまで来るのにもさんざん『誰だかわからない』だの『コスプレに見える』だの言われてマジで凹んでんだ! 追い討ちかけるんじゃねえ!」
キラの絶叫が、部屋中に響き渡った。
だが、そんな風に言われるのも無理はないだろう。
着崩しているからどうのこうの、というレベルではなく、軍服の持つ雰囲気とキラ自身の雰囲気が致命的にズレている。
軍服のビシリとした厳格な雰囲気がキラの内面からにじみ出る覇気に駆逐され、しかし完全に消滅するわけでもなく、異様なまでの不協和音を奏でているのだ。
結果として、軍服を着ているはずなのに何故か軍服に見えない、軍服のような服、あるいは軍服のコスプレにしか見えない、という事態を発生させていた。
「だったら、着なきゃ良いじゃん」
「そうもいかないんだよ。いつ戦闘になるかもわからないんだから、着替えに余計な手間を取る和服に着替えるわけにはいかないだろ」
「……そいつはご愁傷様」
「全くだ」
しみじみと慰めたトールの言葉に、キラは大きくため息を吐いた。
第06話 女神の受難
「そもそも何でキラは和服着てるんだ? あんなひらひらした服、動きにくいだろ?」
肩を落とすキラにカガリが首を傾げて聞いた。
「俺にはこんなぴっちりした服の方が動きにくいんだよ。体の動かし方がそういう風になってるからな」
「そういう風、って?」
「ガキの頃から日本の武術をやっててな。そういう動きが体に染み付いてるんだ」
「それでめちゃくちゃ強いんだよな。確かシントーリューって言ったっけ?」
「ああ。神の刀の流派って書いて『神刀流』だ。平安時代の日本で生まれた香取神道流っていう古流剣術の流れを汲んでて、戦国時代に枝分かれしたらしい。源流の香取神道流もそうだが、中心になるのは剣術でも、棒、槍、薙刀、手裏剣、小太刀、二刀、果ては素手の柔術まで何でもあり。それに加えて、戦略・戦術なんかの座学もあるわけだから剣術どころか、もはや武術って呼んで良いのかどうかもわからん」
「……それを子供の頃から?」
「ああ。物心ついた頃にはもう始めてたな」
「何か、キラが化け物じみてるのも当然って気がしてきた」
こめかみを指先で押さえ、カガリが呟くように言う。
その場の全員が、大きく頷いた。
それに対してキラは苦笑を浮かべる。
「化け物とは失敬な。俺の師匠はもう七十を超えるじいさんだが、一度も勝てたことが無いんだぞ」
「でも、今のキラなら勝てるんじゃないのか? 『こっち』に来てからは当然、一回も戦ってないんだろ?」
「……いや、無理だな。確かに身体能力は上がったが、その程度でどうにかなるような相手じゃない。向こうは七十年近く、こっちは十三、四年。はっきり言って技術の桁が違う」
トールの問いに、キラは苦笑して首を振った。
そんな話をしていると、再び自動ドアが開く。
入ってきたのはサイとフレイだった。
「おー、おかえり」
トールが軽く言って迎える。
「ただいま。何の話をして……」
トールに答え、問いかけようとしたサイの言葉が、止まる。
その視線はまっすぐにキラへと向けられていた。
「「コスプレ?」」
まったく同じタイミングで、二人が言った。
どさり、とキラの身体がベッドに倒れこんだ。
明らかに意図せずにハモっているだけに、余計キラの受けたダメージは大きい。
「ブルータス……お前もか……」
倒れ伏したキラの腕がプルプルと震えながら、親友とその恋人に向かって伸ばされる。
「悪いけど、それ以外には見えない」
「ごふっ……」
トドメの一撃に、キラの口から血を吐くような声が漏れ、伸ばされていた腕がトサリとベッドに落ちた。
その部屋に、ユーラシア連邦軍の兵士が雪崩れ込んできたのは、その数分後だった。
「やれやれ。乱暴なことだな」
銃で小突かれながら、キラ達はアルテミスの兵士によって食堂に追い立てられて来ていた。
入り口からは、続々と兵士に追い立てられた乗員が入ってくる。
食堂の一角にあるテーブルを占拠し、キラ達は残る二人の友人達を待っていた。
この状況では、彼らもすぐにここに連れて来られるはずだから。
と、その彼らの視界に、青とピンク、二種類の軍服が飛び込んできた。
そんな軍服を着ている者は、この艦の中では非常に限られている。
「お〜い。カズイ、ミリアリア」
トールが声を上げ手を振った。
それに気付いたのだろう。
二人は彼らの方に手を振り返し、歩いてくる。
だが、キラ達の方に向かって来ていた二人の歩みが、不意に止まる。
怪訝そうな表情が、その顔に浮かんだ。
しばし迷うような表情を見せた後、カズイは首を傾げながら口を開く。
「……誰?」
その視線は、まっすぐにキラに向いている。
キラはもはや何も言わなかった。
黙って立ち上がると、部屋の隅で壁の方に向かってしゃがみこんだ。
「……もう好きにしてくれ」
しくしくと涙を流しながら、右手の人差し指でいじいじと床に「の」の字を書く。
それを見て、ミリアリアは思った。
ああ、やっぱりキラだ、と。
「ど、どうしたんだ、いったい?」
「軍服姿をいろんな人に散々に言われて凹んでるんだと」
自分の言葉がもたらした効果に戸惑うカズイにトールが答えた。
ミリアリアはその言葉に苦笑を浮かべ、キラに歩み寄る。
「もう、そんなにいじけないの」
キラの傍らに立ったミリアリアは、慰めるように言いながら、よしよしとキラの頭を撫でた。
「……ああ……ミリアリアが天使に見える……」
「洋服を着てると変な格好にしか見えないんなら、コスプレだと思って開き直れば良いのよ」
「堕天使だったぁぁぁぁ!」
立ち話もなんだろう、ということになり、サイ達はアークエンジェルの正規クルー達と共にテーブルを囲んで座っていた。
「ユーラシアって味方のはずでしょ? 大西洋連邦とは仲悪いんですか?」
「そういう問題じゃねえよ」
サイの問いに、トノムラが不機嫌そうに答える。
「識別コードが無いのが悪い」
ロメロがため息を吐いた。
「それって、そんなに問題なんですか?」
「どうやらね」
識別コード、というものの重要性がイマイチ理解できないトールは首を傾げる。
チャンドラがそれに皮肉っぽく肩をすくめてみせた。
「本当の問題は、どうやら別のところにありそうだがな」
「ですよね」
それに対して、マードックとノイマンが小声で言う。
会話が途切れた。
全員が分かっているのだ。
本当の問題が何なのかということを。
これまでの地球連合軍の水準を遥かに上回るこの艦そのものと、ストライクが問題なのだということを。
「……ところで……」
ノイマンが、一度閉じた口を躊躇いがちに開く。
「彼はいったいどうしたんだ?」
言ったノイマンの視線の先には、部屋の隅で壁に向かって体育座りをしているキラがいた。
敢えて無視していたことを思い出させられ、クルー達の表情が引き攣る。
「ああ、良いんです。放っておいてやってください」
「い、良いのか、おい」
答えたサイに、チャンドラが引き気味にツッコむ。
「良いんですよ。キラのことだから、多分わざとです」
「……わざと?」
「意識的にかどうかはわかりませんけどね。僕達が必要以上に深刻にならないように、わざと道化になってるんです、多分。だったら、こっちは思いっきり弄くり回してやるのが礼儀というものでしょう」
当たり前のように言うサイと、それに当たり前のように頷く学生グループに、クルー達の表情がいっそう引き攣ったようだった。
部屋に押し込められたまま時間は過ぎていき、状況が動かないまま夕飯時になった。
食事の配給が開始され、民間人から順に食料が配られていく。
「いつまでこんな状態なんですかねえ」
やっと順番が回ってきたトノムラが、配給された食事の乗っているトレイを運びながらぼやく。
「わからん。艦長たちが戻らなきゃ、何もわからんよ」
「友軍相手に暴れるわけにもいかないしな」
「そう長く待つ必要は無いと思いますよ」
テーブルの向こう側で交わされる艦橋要員達の会話に、つい先程復活したキラが割り込んだ。
「……どういうことだ?」
「もうすぐこの要塞は落ちると思います」
平然と答えながら、キラは割り箸をパキリと割る。
日本文化の影響が色濃いオーブで造られた艦だけに、食事は洋食でもスプーンやフォークと一緒に割り箸が用意してあるのが、キラにはありがたかった。
「例えハードウェアが一流でも、ソフトウェアが三流では話になりません。今聞いた感じだと、このアルテミスは防御兵器としての優秀さに依存し切っているようです。ゆえにその盾、光波防御帯が破られれば、為す術も無いでしょう。アルテミスは落ちるべくして落ちます」
「その光波防御帯を破る方法が無いから、ザフトもわざわざ手出ししないで放置してたんじゃないか」
「ミラージュ・コロイド」
反論するロメロにキラは短く答える。
「……! ブリッツか!」
「当たりです、ノイマン曹長。こっちに残されたデータを見る限り、ミラージュ・コロイドを展開したブリッツの隠密性は現時点では完璧に近い。『傘』を閉じたアルテミスに侵入して内側から攻めるには最適の機体でしょう」
「大変だ、知らせないと!」
トノムラが椅子を蹴って立ち上がる。
だが、キラはそれに冷めた声をかけた。
「なぜ?」
「な、なぜって、友軍を助けるのは当然じゃねえか」
「それが当然のことなら、俺達はこんな目にあってないと思いますがね」
キラは皮肉っぽく言って肩をすくめると、さらに言葉を継ぐ。
「そもそも、俺達から情報を引き出してそれを防衛に役立たせるのはここの司令官の役目です。欲しい情報があるなら艦長に聞いているでしょう。俺達の中でGの仕様に一番詳しいのは艦長なわけですし。それをしないとしたら、それはここの司令官の怠慢、あるいは無能です」
「そんな……」
「忘れないでいただきたいですね。俺は軍人ではなくただの民間人のボランティアです。俺にとって優先順位の第一位は俺自身と友人。二位が不運にも同乗することになった民間人。三位がアークエンジェルとクルーの皆さん。それで手一杯です。ここの人も軍人なんですから、自分の命くらい自分で守るべきです。自滅する公算が高いようなら、俺達が生き残るために最大限利用させてもらいます」
むしろ、後々のことを考えれば、キラとしては、アルテミスには是非とも落ちてもらいたいくらいだった。
だが、無論そこまで言うわけにはいかない。
キラはそれ以上は言わず、食事をかきこんだ。
状況が動いたのはそれから数時間後だった。
廊下からいくつかの足音が近づいてくるのに気づいたサイは、入口に視線を向ける。
入ってきたのは異様に尊大そうな男と、それに付き従う妙な髪形の男だった。
尊大そうな男は倣岸な態度で部屋に集められた者達を眺め回した。
「この艦に積んであるモビルスーツのパイロットと技術者は、どこだ」
人々の、特に民間人の中からざわめきが起こった。
技術者はともかく、パイロットが誰かなどと言うことは、民間人を含めて乗員達で知らない者などいない。
だが、それを言おうとする者は誰もいなかった。
怯えたような表情を浮かべ、身近な者同士で身を寄せ合いながらも、誰もが沈黙を守る。
当然であろう。
この雰囲気からして、引き渡された者がどうなるのか、明るい想像などできようはずもない。
例え戦う力を持たない民間人でも、黙して語らないことくらいはできる。
銃を向けられた中での高圧的な質問。
この状況は確かに一般人には辛い。
だが、それでも命の恩人を売り渡す者など、この場には一人としていなかった。
サイもまた、沈黙を守りながら、自分の手を握ってきたフレイの手を握り返した。
「パイロットと技術者だ。この中にいるだろう」
妙な髪形をした男が、誰も何も言わない状況に苛立ったように、威圧的な声を上げる。
「なぜ我々に聞くんです?」
男の問いに応じる声。
だが、それは彼らが望むような言葉ではなかった。
サイ達の視線が集まる中で立ち上がったノイマンが、二人の男に歩み寄っていく。
「なに!?」
質問に質問で返したノイマンの答えが気に食わなかったのだろう。
妙な髪形の男がノイマンの胸倉を掴み上げる。
だが、ノイマンは少しも怯まずに男の目を睨みつけた。
「艦長達が言わなかったからですか? それとも、聞けなかったからですか?」
「なるほど。そうか、君達は大西洋連邦でも極秘の軍事計画に選ばれた優秀な兵士諸君だったな」
尊大な男が、感心したような口調に嫌味をこめて言う。
ノイマンは目の前の男から、声の主に視線を移す。
「……ストライクをどうしようっていうんです」
「別にどうもしやしないさ。ただ、せっかく公式発表より早く見せていただける機会に恵まれたんだ。それで、パイロットは?」
「フラガ大尉ですよ。お聞きになりたいことがあるなら大尉にどうぞ」
「先ほどの戦闘はこちらでもモニターしていた。ガンバレル付きのゼロ式を扱えるのはあの男だけだと言うことくらい、私でも知っているよ」
マードックの言葉に馬鹿にした様な笑みを浮かべ、男はミリアリアに歩み寄った。
反射的に身構えるミリアリア。
男はその腕を掴んで力任せに立ち上がらせた。
「キャッ!」
反射的に立ち上がろうとするサイ。
サイだけではない。
トールもカズイも、あるいは正規のクルー達も、少しでも気持ちに余裕のある者は、立ち上がろうとした。
だが、それよりも遥かに早く動いた者がいる。
「女性がパイロットと言うこ……」
言いながらミリアリアの腕をねじり上げようとする男。
その手首を別の手が握る。
次の瞬間、男の体は宙を舞っていた男の身体が床に落ちる音が響く。
サイはほっと息を吐いて座り直した。
「あんたに対しては色々と言いたいことはあるが、まず真っ先に、暴力を振るう相手に明らかに自分よりも弱そうな子供、しかも女の子を選ぶその根性が気に食わん」
床に這った男を見下ろしながら、言う。
右手では男の手首を掴んで極め、刀を鞘に入れたまま持つ左手では腕で包み込むようにミリアリアを支え、キラ・ヤマトは昂然と立っていた。
「大丈夫か?」
男を見下ろしていたキラが、ミリアリアに問う。
ミリアリアはその心配そうな表情と、今までにない距離の近さに顔を真っ赤に染め、口を開くことすらもできずに、ただこくこくと頷いた。
「そうか。良かった」
キラはそう言って微笑む。
ああ、あれは致命傷だな。
サイとトールとカズイは、同時にそう思った。
三人のどこか呆れたような眼差しが、キラとミリアリアに向けられている。
その視線の先では、腕を放したキラに肩を押され、ミリアリアがもとの席に座るところだった。
ミリアリアはカガリの殺人的な視線にも気づかずに、頬を染めたままぽーっとした表情でキラを見つめている。
あの様子では、しばらく使い物にならないだろう。
今すぐ出撃、などということになったら、何か大変なミスを犯しそうな気がする。
と、その時。
「貴様! 何をしている!」
せっかく和んだ雰囲気をぶち壊す、無粋な怒声が響き渡った。
声の主、妙な髪形の男に視線が集まる。
男は、ホルスターから引き抜いた拳銃をキラに向けている。
ドアのところに立つ二人の兵士も、キラに銃を向けていた。
「先に手を出したのはそっちだ。非難される理由は無いな」
だが、三つの銃口に囲まれてなお、キラは平然としていた。
「人にものを尋ねるんなら、それなりの態度を見せたらどうだ? まずは自分が何者なのか、名乗るくらいするべきだろうな」
言ってキラは男の手を離した。
その一瞬。
キラの視線がサイ達に向いた。
サイに、次いでトールに、最後にカズイに。
何かを伝えようとする視線だった。
すぐにキラの目は目の前の軍人達に戻る。
サイ達は、互いに視線を交わした。
テレパシーなどできないのだから、何を伝えようとしたのか、明確にわかるわけではない。
だが、キラがサイ達に何かをやらせたがっているらしいことは理解できた。
サイ達は互いに頷きあうと、応酬するキラ達に視線を戻す。
キラの意図を見逃さないために。
「……私はガルシア。この要塞の司令官だ」
ガルシアは、忌々しげに歯を噛み締めながら名乗った。
パチパチパチ、とキラはおどけて手を叩く。
「はい、よくできました。それじゃあ、こちらも答えるとしよう。パイロットは俺で、技術者はそこにいるマードック軍曹だ」
「ふざけるな!」
キラの言葉に、ガルシアの後ろに控えていた男が怒鳴る。
「貴様のようなひよっこにアレを扱えるわけがあるか! 真面目に答えろ! 隠すとためにならんぞ!」
男の言葉に、キラの視線が一瞬、もう一度サイ達に向く。
それで、サイは理解した。
「本当ですよ。彼はコーディネーターですから」
一触即発の空気が漂った場に、サイの声が響く。
「コーディネーターであれば、モビルスーツを操縦できても何の不思議も無い。違いますか?」
冷静なサイの声に、ガルシアがキラに再び視線を向ける。
「……コーディネーター、か」
そして、キラはマードックと共に、ガルシア達に連れられていった。
キラの計算どおりに。
「ちょっと、サイ! 何を考えてるのよ!」
キラ達の去った食堂に、フレイの声が響き渡る。
少女は恋人の襟首を掴み、がくがくと揺さぶりながら捲し立てる。
「サイが余計なことを言うから、キラが連れて行かれちゃったじゃない! どうするのよ!」
「お、落ち着け、フレイ! これには理由があるんだ!」
「そ、そうだ! とりあえず落ち着けって。サイが死んじゃうって」
「トール! あなたもあなたよ! 何で止めないで黙ってるの!?」
恋人から加えられる初めての暴行に、サイは悲鳴のような声を上げる。
止めに入ったトールにまでフレイは食って掛かった。
「ミリアリア! あなたももっと怒りなさい! サイはキラを、親友を売ったのよ! こんな男だなんて思わなかった」
「え、え? で、でもあれは……」
「だから落ち着け、フレイ! これには理由があるんだって」
ミリアリアにまで怒りの矛先を向け始めたフレイを、サイはどうにか宥めようとする
「ふーん。理由、ね。良いわ。とりあえず聞くけど、変な理由だったら承知しないわよ」
フレイはなおもサイを睨みながら、とりあえず手を離す。
サイはふぅ、と一息吐くと、声を潜めて話し始める。
「これはキラの指示なんだ」
「どこの世界に自分が酷い目にあうような指示を出す人がいるのよ!」
「うわぁぁぁ!」
再びサイに襲い掛かったフレイを、同じテーブルに着いていたノイマンやチャンドラまで加わって、どうにか制止する。
「だ、だからな。キラはこの要塞にもうすぐ敵の攻撃があるって考えてるんだ。だったら、パイロットであるキラと、出撃準備をするマードックさんがストライクの近くにいないと大変だろう? それで、わざと連れて行かれたんだよ」
どこかフレイに対して怯えたような態度を醸し出しつつ、サイは声を潜めて言う。
「そ、そう言えば言ってたな。この要塞はもうすぐ落ちるって」
サイをフォローするように、ノイマンが言う。
「で、でも、そんな指示なんていつ出したのよ。キラはずっとあいつらの相手をしてたじゃない」
「アイコンタクトだよ。なあ?」
サイに話を振られ、トールとカズイが頷く。
「アイコンタクトでそこまでわかるものなの?」
「アイコンタクトで分かったのは、キラが俺たちに何かさせたがってるってことだけだよ。あとは全部推測だけど、間違ってはいないと思う。だから、キラも黙って連れて行かれたんだろうし。キラが本気になったらあの程度の相手が五人、六人いても相手にならないの、知ってるだろ?」
「……そうね」
サイの言葉を最後まで聞き、少し考えた後、頷いた。
ようやく落ち着いたフレイに、サイを始め、その場の全員がほっと安堵の息を吐く。
だが……
「……ふうん。やっぱりそうなのね。……ずるい」
小さな声なのに、その言葉は何故か大きく響いた。
全員の視線がゼンマイ人形のようなぎこちない動きで声の主、ミリアリアに向く。
少女は何やら黒い空気を纏っていた。
「男の子同士だけで勝手に分かり合って。そんなのずるい」
「い、いや。そんな、俺達にまで嫉妬されても困るんだが」
「確かに許せないな」
そして、同じ空気を纏っている少女が、もう一人いた。
「え、えーと、カガリさん?」
「あははははは……」
「うふふふふふ……」
黒い空気を纏った二人の少女による針の筵が、規模を拡大して再び現出した。
キリキリと胃の痛くなるような沈黙が、その場、どころか室内に下りる。
それを破ったのは突然の振動だった。
「な、なんだ!?」
声を上げたのは、アルテミスの兵士だっただろうか。
それとも民間人だっただろうか。
だが、サイ達には、この振動に心当たりがあった。
キラが言っていた可能性が、現実になったのだろう。
サイ達を含めた艦橋要員達の間で視線が交錯し、互いに頷きあった。
むしろ、この針の筵を破壊してくれて嬉しいくらいだ。
動揺し、司令部と連絡を取ろうとするアルテミスの兵士に向かい、トールが駆ける。
それに気付き、慌てて銃を構える兵士。
だが、遅い。
右手で銃身を上に押し上げながら、左の掌底が兵士の顎を横から叩く。
それほど強い打撃ではない。
だが、兵士の脳を揺らし、一瞬の隙を生むには十分だった。
その一瞬の間隙に、トールの身体は兵士の懐に潜り込む。
右の掌底が、水月に触れた。
ズダンッ!
右足の靴底が、信じられないような大きな音を立て、床に叩きつけられる。
その力が全て、トールの右手から、兵士の水月へと叩き込まれた。
声すら立てず、兵士は崩れ落ちる。
残心。
数瞬の間、構えたまま倒れた兵士に注意を残す。
「こっちも終わった。行くぞ!」
サイの声に、トールも身を翻して走り出す。
もう一人の兵士も、床に倒れて意識を失っているようだった。
「……驚いた。君もかなり強いんだな」
トールの隣を走りながら、ノイマンが言う。
「まあ、キラに武術を習ってるんで。キラには全く敵う気がしませんけど」
答えてトールは笑う。
走り続ける彼らが、艦橋に到着した。
そこにいたアルテミスの兵士を排除し、それぞれが持ち場に着く。
「艦長達はすぐに帰ってくる。発進準備をして待つぞ」
ノイマンの号令の下、サイ達はアークエンジェルのシステムを起動させる。
通信システムが回復した瞬間、通信を告げる電子音が響き、音声がそれに続く。
『あー、あー、マイクテスト、マイクテスト。こちらストライクのキラ。艦橋の皆さん、聞こえてますか〜?』
「……キラ。もう少し真面目にやらない?」
スピーカーから聞こえてきた能天気でさえある声に、ミリアリアはこめかみを押さえる。
『やだね、そんな柄じゃないこと。ともかく、俺は出撃してブリッツの相手をするんで、逃げ出す準備をお願いします』
おどけたような口調でミリアリアに答えた後、通信は切られる。
その直後、エール・パックを装備したストライクがアークエンジェルの『足』から飛び出していくのが見えた。
その先にいた黒いガンダム、ブリッツと戦闘を始めるストライクをミリアリアは見守る。
格闘戦に入ってしまえば、ミリアリアにできることはほとんどない。
それが、ミリアリアには歯痒かった。
そんなミリアリアの背後で、自動ドアの開く音。
振り返ると、随分と久しぶりに見る気がする三人の士官の姿があった。
「艦長!」
その声は誰が上げたものだっただろうか。
「よくやったな、坊主ども!」
やってきたフラガが、サイとミリアリアの頭をぐしゃぐしゃと撫でる。
フラガに続いて入ってきたラミアスが艦長席へ、バジルールがCICの中心の席に収まる。
「ここでは身動きが取れないわ。アークエンジェル、発進します」
ラミアスの号令と共に、動力炉に火が入れられる。
浮上し、向きを変えていくアークエンジェル。
それが終わるのを待たずに、ラミアスは次の命令を下す。
「ストライクを戻して。反対側の港口よりアルテミスを離脱します」
ラミアスの言葉に、ストライクへ通信を入れるミリアリア。
「キラ! キラ、戻って! アークエンジェル、発進します」
『りょーかい。すぐ行く』
ミリアリアに答えたキラは、ストライクを突っ込ませてブリッツとビームサーベルを鍔迫り合わせる。
数秒の間。
隙をついてストライクがブリッツを蹴り飛ばした。
ブリッツが離れ、その反動でストライクはアークエンジェルへと戻ってくる。
「ストライク、着艦」
ストライクが艦に辿り着いたのを確認しバジルールが報告する。
ラミアスが、それに頷いた。
「アークエンジェル、発進」
エンジンを最大までふかし、大天使は女神の名を冠した要塞から飛び立つ。
その直後、宇宙要塞アルテミスは大爆発を起こし、宇宙の塵となった。
(続く)
あとがき
またしても遅くなってしまってごめんなさい。
霧葉です。
今回の話は書こうと思うことが多すぎて、どうしても長くなってしまいました。
しかも、すごく駆け足で話を進めてしまったように思います。
それにしても、キラってこんなキャラだったかなあ(爆)
もはや作者の最初の設定すら無視してキャラたちが走るようになった今日この頃。
一番走ってくれてるのは、キラとフレイですね。
そして、書いていて楽しいのもこの二人だったりします。
さて、次回はついに『彼女』の登場です。
次回こそ、もっと早く書き上げなければ。
それでは皆様、また来週〜。