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「蒼い師と緑の弟子 第15話―もしくはまぶらほ編11話―(まぶらほ+風の聖痕)」

キキ (2005-01-30 22:19/2005-01-30 22:22)
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『式森和樹についての報告書・第一期調査まとめ』と表に書かれた書類を生徒会室で風椿玖里子は見ていた。
 書類を端的にまとめればこうなる

 〈式森和樹・・・東京都西部出身、十六歳、生年月日十月二十五日、身長百七十センチ、体重五十九キロ 六歳までは、父と母の三人家族で平凡な生活を行っており、活発な性格をしていたとの証言多数。だが、六歳のとき飛行機が中南米の紛争地域に墜落、父母を失う。そこで何をしていたのかは不明。その地域は軍によって焼き払われていたため現地での証拠は無いが、生存者は東洋人の少年がいたと証言。昨年の三月、日本に帰還。ロサンゼルスからの航空便を使用したことを確認。その後葵学園に入学、成績優秀で穏和な性格のためか教師・生徒からの評判は良い。伝説の鬼である山の貴人を破ったことから見て戦闘能力は高いと思われる。――以上のこと以外は調査中だが、これ以上の新たな情報はないものと見ていい〉

 「ウチの調査部が調べてこれか……あっさり調べられたものね」

 ため息をついているが内容には不満はない。約二週間という短い期間からしてみれば、十分な情報が集まった。正直に言って和樹の用意周到な性格から、何も出てこないことさえ覚悟していたのだ。
 不満があるとしたら、これ以上は調べても意味がないというところまで来ても和樹の秘密の肝心なところ―和樹の先生など―が何もわからないということだった。 加えて、女の勘なのだが―女性には男にはない不思議な力がある、マジで―この情報は不自然なところがないので逆に怪しい気がする。 
 そう考えた玖里子はある考えを持った。

 「この情報、ほとんど嘘ね。あってる部分もあるんでしょうけど……」

 そこまで考えると、玖里子は調査の打ち切りを命じた。和樹のことは自分で調べたかったし、必要でない限りあまり他人のプライバシーを調べるのは彼女の好みではない。
 ということで玖里子は、猫騒ぎの件を和樹に手伝ってもらうことにした。


 「でも、驚きましたよね。グラウンドの真ん中がいきなり爆発するなんて」

 先程の昼休みの連絡放送中、突如グラウンドが爆発して大騒ぎになり放送の内容が聞こえなくなったことを夕菜が隣に居る和樹に語りかけた。

 「まったくだね。ガス爆発か何かわからないけど、魔法じゃなかったんだよね?」

 今日の朝食が、夕菜が作りに来る日だったのでそのときに夕菜が作った和樹の分の弁当―エリスが「一緒にお弁当食べたいな♪」と言ったので承諾―を先程平らげ、空になった弁当箱をしまいながら和樹は答えた。
 因みにクラスの人間は夕菜が作ったことは知らない、和樹が夕菜に三人分―和樹・エリス・夕菜―作る時に一目見てもわからないようにおかずの配置を変えたり、違うふりかけを使ったりした上に出来るだけ平凡な外見―ハート型とかを禁止―にしてくれと言い、食べる場所も学校の中庭の楓の木の下だからだ。

 「ええ……それにしても昨日も昼休みと放課後に事件が起こったじゃないですか。「なんだっけ」ガス漏れと科学室の不審火ですよ。何かへんなこと起きるんでしょうか」

 不安げに膝の上で寝ているエリスを撫でながら訊く夕菜に和樹は鞄から魔法瓶を取り出しながら答えた。

 「でも、けが人どころか物の被害さえなかったんだよね」

 「はい……でも、だから今まで被害がなかった分何か起きるってことは……」

 「ん〜大丈夫だと思うよ。職員会議で問題になったから、明日業者の人を呼んで、安全確認してもらうようだし……第一今日で、決着つくからね」

 「え?何か言いました」

 後半が小声のため聞こえなかった夕菜が、不思議そうに和樹を見た。その夕菜に対し和樹は、明日には解決するんだから大丈夫と言って安堵させた。 
 夕菜が納得したのを見た和樹は食後の茶を飲み始め、夕菜はそれを飲み終わるまで待つことにした。こういう気遣いが自然に出来るところは夕菜の美徳だろう……たまーに忘れることがあるが。

 「そういえば……駿司さんは、今どうしていらっしゃるんですか?」

 食後のお茶を飲み終わるのを待っての夕菜の質問に和樹はあっさりと答えた。

 「とりあえず、本家にいるってことになったらしい。それからのことは、今向うで話し合っているんだってさ。どうするか決まるまで、一ヶ月はかかりそうだって言ってた」

 その後、ふたりは取り留めない話で盛り上がった。
 数分後エリスが起きて近所の子供と遊ぶ約束したからということで名残惜しげに帰るのを見送った夕菜が和樹に、入院した中村の病院を聞いてくるといって去っていった。


「ところで、玖里子さん。なんか用ですか?」

 ぼうっとしている和樹を驚かせようと、背後から静かに近づいてきていた玖里子はビクッと立ちすくんだ。

 「あ、あはは……バレてた」

 頬をかきながら引きつった笑みを浮かべる玖里子に、和樹は振り向きながら「ええ、バレバレです」と言って微笑んだ。

 「ちょっと頼みたいことがあるのよ」

 「なんです?報酬によっては考えますよ」

 単刀直入に言ってきた玖里子に対して、和樹も単刀直入に返した。

 「報酬のことは、後で話すってことで先に用を聞いてくれない?用を聞いた後の方が報酬の話決めやすいし」

 「 (気に食わない奴相手だと法外な報酬要求して断られるんだけど、玖里子さんにやっても仕方ないよな)……まあ、それでもいいですよ」

 「ありがと。学校に犬や猫が出るって話、知ってるでしょ」

 「ええ、エリスのことについては玖里子さんも納得しましたよね」

 「もちろんよ……って言うより、エリスちゃん目立つじゃない。でも、エリスちゃんを見た人いないからエリスちゃんは関係ないわよ。見つかったらまずいんだけど、見つかってないから」

 銀の毛並みに金の瞳という外見をしたエリスのことかと言う飼い主に対して、駿司との戦闘準備期間のうち一緒に食べていた―凛もいた―玖里子はバレなきゃいいというように言って続きを語った。

 「大体、見つかったのは一匹、二匹じゃなくって何十匹単位よ。野良犬や野良猫にしては数が多いのよ。この広い敷地内で今日も一年の子が見たって言うから、職員会議が最近の爆発とかに目を向けてるうちに、大きくなる前に生徒会で探そうってことになったの」

 「犬や猫探すんなら、俺よりも生徒会の玖里子さんの下僕使った方がいいと思いますよ」

 「犬や猫だけ探すんならそうするけど、あの数でしょ持ち込んでいる奴がいるようなのよ。別に乱暴なことにしたくはないんだけど、あの変な唸り声のこともあるでしょ。念のために戦力確保しとこうと思って」

 「だったら、凛ちゃんを」

 「凛にも応援頼むわよ。後それと夕菜ちゃんにも、そうしたら二手に分かれて探せるし、二人とも口堅いし信用できる。ね、どう」

 「……それって今からですか」

 「ううん、放課後から探そうと思ってるの。猫と犬持ち込んだ奴を」

 「だったら、いいですよ。これから、ちょっと用事があったところだから」

 「そう、ありがと……報酬は」

 「いつか飯でも奢ってくれればそれでいいですよ」

 報酬などいらないも同然の言葉で式森和樹は承諾して、用事を済ませるために去っていった。
 残された玖里子は、戻ってきた夕菜に「和樹、用事があるらしいから行ったわよ」と言うと、和樹から聞かされていたらしい夕菜は頷き。和樹が玖里子の頼みごとを了承したと聞き、自分も行くと言って玖里子の頬を緩ませた。
 このとき玖里子が、もう少し和樹を注意深く見ても――この後のことは変わらなかっただろう、和樹の表情変わってなかったから……


 「……それでは、夕菜さんと私、玖里子さんと式森の組み合わせでいいですね」

 念を押すかのような凛の言葉が、不満そうに膨れている夕菜、うんうんと頷く玖里子、どうでもよさげな和樹に届いた。 
 先程、グーパーで決めた組み合わせでこのように決定したのだ。反対意見がなかったのに、凛がこういう口調で言ったのは和樹が何か言ってくるのではないかという漠然とした不安感―ウサギなどの小動物が大型の肉食獣に感じるそれに近い―からだ。
 凛の不安感はある意味当たっているかもしれない、組み合わせをグーパーにすると提案したのは和樹だし、和樹は「最初はグー」でやればじゃんけんで相手が出す手が見えるという男だからだ。 
 まあ、前半はともかく後半を知らないというのは致命的だ。三人のうち特に玖里子にとって――今はまだ玖里子だけと言うべきだろうか……


 「……で、どこから探すんです」

 夕菜と凛が、校舎の上のほうから犬や猫が発していると思われる咆哮の発生源を探していくことになり、和樹たちは下のほうを探すことになったので階段で別れた後に和樹は玖里子に尋ねた。

 「あら、まるであたしが見当ついてるかのような言い方ね」

 からかうような玖里子の言葉に、和樹は肩をすくめてひょうひょうとした言葉で返した。

 「違うんですか?」

 「わかるの?」

 「というより、何の当てもなくこの広い敷地探したくないんですよ。玖里子さんもでしょう」

 その言葉に玖里子は得たりと微笑すると頷いた

 「まあね。見当はついてるわよ。でも証拠がないの」

 「じゃあ、証拠探しに行くんですね。校舎の外ですか?」

 玄関まで来たことで、そう尋ねる和樹に玖里子は

 「そ、教員用の駐車場」

 そう答えると、体育館の裏を抜けて教職員用の駐車場まで先導した。駐車場についた玖里子はしばらく見回し、黒いツードアの外車に目をつけるとそのドアの傍にしゃがみこんだ。

 「車盗むなら、その車は防犯がしっかりしてるから道具持ってこないと無理ですよ」

 車の傍らで立つ和樹は、ドアのあたりをごそごそやる車上荒し同然の玖里子に忠告した。

 「違うわよ。車盗むんなら、もっと手際よくやるし、もう少し準備するわよ」

 和樹の忠告のために頬を引きつらせながらも、きっちりと玖里子は返答した。 その玖里子に「わかった」というように頷くと、和樹は玖里子がドアの隙間から小動物の毛を何本か取り出して「あったあった」といって体を起こすまで黙っていた。

 「猫の毛ですか。ドアのこんなところにまでついっているって事は一匹二匹じゃないですね。それじゃあ、この車が持ち主の何ですか?」

 「多分ね……ふっふっふ、思った通り。面白くなりそうね……行きましょう」

 「飼い主のところにですね「そうよ」りょうか〜い」

 和樹に声をかけるとそのまま歩き出した玖里子の背中を見て、和樹は上手くいったという笑みを浮かべると確認の言葉を吐き玖里子の後を追い始めた。


 保健室の前まで先に歩いた玖里子は、和樹も保健室の前に到着すると、ノックもせずにドアを開けた。

 「式森君と……風椿君か。あまり礼儀正しいとは言えないな」

 「あらごめんなさい」

 とがめる口調ではなく気が付いたから言ってみたという口調の紅尉に対し、玖里子も全然すまなさそうな口調で返事をしながら、後ろ手で扉を閉めた。

 「センセ、お話があるんですけど」

 「ほう。なにかな」

 「さっき、センセの車のところで、こんなのを拾ったんですけど」

 駐車場で手に入れた猫の毛を取り出す。

 「これ猫の毛ですよね」

 「そのようだな」

 「どうしてセンセの車の扉に挟まっていたか、説明していただけるとありがたんですけど」

 「説明もなにも、猫くらいそこいらにいると思うのだがね」

 「そうかしら。あたし、同じ毛をついさっき、保健室の前でも見ましたけど」

 ここに入るとき、そんな素振りを玖里子が全くしていなかったことを思い出した和樹は「嘘ついちゃいかんだろ」と、出来る限り嘘をつかずに言葉少なくして相手を騙している自分のことを棚にあげて思っていた。

 「学校の犬猫騒動って、センセと何か関係あるんじゃありません」

 「……だからと言って、なにか法に触れているわけでもあるまい。生徒会で問題にでもするか?」

 「もちろん、あたしもこんなつまんないこと、取り上げる気にならないんですけど。でも、この猫たちがどこにいるか、ちょっと気になるんですよね」

 紅尉が絶対に他人を入れない『開かずの部屋』を猫の毛を持った手で指差す彼女。

 「あそこ、中見たいんですけど」

 「部外者は入れないことになっている」

 「あら、どうしてですか」

 「素人が扱うと危険な薬品とかがあるからな。それに私の私物しかない。見てもつまらないだろう」

 「ねえセンセ。ここ二,三日、犬や猫だけじゃなくて、獣みたいな鳴き声が聞こえる事件もあるんですけど、知ってます?」

 「知ってる」

 「どうもそれ、ベヒーモスの声らしいんですよあたし、センセの昔の論文読んだことあります。そこに確か、動物の魂を使って召喚魔法を行う方法があったんですけど」

 「…………」

 「学校で犬や猫が出てくるのは、召喚魔法のためじゃないかって思ってるんです。その部屋でやってるんじゃないかなあーって。確かSランク召喚獣って法に触れますよね……実験マニアも度が過ぎましたわね。さ、見せてくださいます?」

 にやりと笑う玖里子の前を通り過ぎながら、紅尉は無言で隣室への扉に手をかけた。首だけをこちらに向ける。

 「よかろう……存分に見たまえ」

 封印の札を大量に張った木製の扉が開くと、そこから黒い霧が溢れた。 
 その霧の向うにいる生物の気配に思わず身構える玖里子。
 霧の向うから地を揺るがすような唸り声がする。巨大な生き物が動くときの振動がして、隣室から獣が姿をあらわした。

 「ベヒーモス」

 玖里子の口から、かすれ声がでる。その声に含まれているのは畏怖であり感嘆でありそのどちらでもなかった。
 首を一度振って気を取り直すと玖里子は紅尉のほうを向いた

 「これが隣室の成果ですか」

 「まあな。放っておくと、どんどん大きくなる」

 その言葉を聞いたからではあるまいが、ベヒーモスの体は扉よりも大きくなっていた。それに従って凶暴性も増している――というより自分を閉じ込めた人間に対する殺意というべきだろう。

 「すでに退治するのは難しい。暗示と封印で暴れだすのを押さえているが、ここまで来るともう無理だ」

 「やっかいなことをしてくれましたね。ヘタすると自衛隊の魔法旅団が出動しますよ」

 Sランク召喚獣をどうにかするには、警察ではなくその国最強の暴力機関である軍隊の出番となる。その場合、校舎を魔獣か自衛隊によって全壊されるかもしれないのに、玖里子も紅尉も落ち着いていた。

 「確かに普通なら、大災害になりかねんが、我が校ではそうならん」

 「そうですね。SSランクの山の貴人を倒した人間が生徒としていますから」

 ふたりは振り向き、この状況下で悠然とペットボトルのお茶を飲んでいる和樹を見つめた。

 「……ところで風椿君、君の話はそれで終わりかね」

 突然の紅尉の台詞の意味がわからず眉を潜めた玖里子だったが、自分との話を終えて和樹との交渉に移るつもりなのだと判断した。

 「いえ、和樹を協力させるには条件があります。紅尉晴明、あたしのものになりなさい」

 その言葉に紅尉は怪訝そうな顔をして、眉一つ動かさずに目の前の出来事を見ている和樹を見た。そして、和樹の顔色が変わっていないことを確認すると

 「式森君を君がどうこうできるとは私には思えんが」

 その予想していた問いに玖里子は頷いた

 「確かに和樹に言うことを聞かせるっていうのは、基本的に無理です。でも今回の場合、あたしは和樹を雇っているんです……結構和樹って義理堅いですから、一度約束した依頼を断るなんてことしません。まあ、無茶言わなければの話だと思いますけど」

 義理堅いのもあるが、それ以前に信用第一の術者の世界にいたからなのだが、玖里子の考えは間違っていない。その証拠に和樹は玖里子の言葉に頷き

 「まあ、基本的に間違ってないですよ。今回玖里子さんからの依頼は、猫を探して連れ込んだ奴を捕まえるというものでしたから。あの時も、見当がついていても紅尉先生という確信はなかったわけですから、玖里子さん嘘ついてません。だから、それより先に異なる依頼を受けて、その依頼と利害が異なる場合でなければそうしますよ」

 その親切な答えを聞いて玖里子は満足そうに頷いたが、紅尉もまた満足そうに頷きなにやらごそごそとやっているのを見て顔を曇らせ「先に受けた異なる依頼と利害が一致しなければ依頼を破る」と言った和樹の言葉を思い出して顔を引きつらせた。 
 顔色が三段階の変化をした玖里子の耳に浮かんだ考えを肯定するふたりの話が聞こえた。

 「つまり今回の場合、君は私からの依頼を遂行するってことだな。式森君」

 「そうなりますね……すいませんね、玖里子さん。紅尉先生は三日前からなんですよ。ほら、月下美人を貰ったって……言ってませんでしたっけ」

 こくこくと頷く玖里子を見て、和樹は「あーあ」と天を仰ぐと「ま、運が悪かったと思って諦めてください。紅尉先生が持ち込んだって知らなかったんですから」と言い、「三日か」と言って首を振る紅尉のほうに向き直った。

 「まさか、三日間逃げ切るとは思わなかったよ。おかげで、私は君の検査ではなく退治の依頼をする事なった」

 「逃げ切ったなんて人聞き悪いですよ。俺は紅尉先生が校内放送したり中村先生に託したりしたことなんて“偶然”知らなかったんですから」

 「ほう……校内放送のときにガス漏れが起きたり不審火が発生したり原因不明の爆発が起きたりした挙句に、中村君が突如病院に担ぎ込まれたりしたことは“偶然”かね」

 「当たり前ですよ。三回とも、俺は他の人間といましたし……中村先生はいつ担ぎ込まれてもおかしくありませんでした。今まで頑張られていましたけど、とうとう……」

 担任教師の冥福を祈るかのように一度目をつぶり黙祷すると、和樹は目を開けて言葉を続けた。

 「だから今日の昼ここに来るまで、俺は知らなかったんです」

 「君の言葉で言うと“偶然”ベヒーモスが抑えられなくなった時にだな」

 「不幸中の幸いでした」

 お互い微笑んではいるが、「昼休みのときの用事ってこれだったのね」と呟く玖里子には、剣で斬りあっているようにしか見えなかった。

 その時、無視されていたのに怒ったのかベヒーモスが咆哮した。空間を揺るがす叫びに、玖里子は耳をふさぎ、紅尉は机の一番上の引き出しをあけ、和樹はベヒーモスに初めて向いた。今までのそこら辺の野良犬や野良猫を見ているのと変わらない気だるげな目つきのまま。

 それを見たベヒーモスは、自分を恐れるどころか歯牙にもかけていない人間をターゲットとした。威嚇の唸り声を上げながら口を開き、鋼鉄をも噛み砕ける自慢の牙を見せびらかし、目の前の子憎たらしい小僧を恐怖させてから食おうと考える。 だが、その怯えてなければならない小僧は、顔だけ白衣を着た男のほうを向かせて

 「紅尉先生、いいですね。ベヒーモスを退治することが―」

 「月下美人の代金。三日遅れたサービスとして、一部始終を映像に残していい。ただし、私以外の者に見せないし、聞かせない。さらに、退治した方法や手段について質問は受け付けないだったな「ええ」誓紙にも書いたんだ、忘れんよ……さて、準備が出来た」

 言葉の途中で、机の引き出しの一番上を紅尉が操作すると 部屋のあちこちからビデオカメラが出てきた。
 どれもこれもテレビ局で使うような一台ウン十万円はする最新式の代物ばっかりだ。配置から見て、部屋のどこにも死角を作らないようになっている。 
 生徒会を牛耳っている玖里子でさえ、こんなものが学校にあるとは知らなかった。呆気に取られる玖里子に対して、紅尉はウキウキと目を輝かせ、同じく知らなかった和樹は「このくらいやってるだろ」と考えていたので気にしていなかった。

 ドンという巨大な足を振り下ろした音が聞こえて三人が向き直ると―どうでもよさそうにが一人、若干急いでが一人、ゆっくりが一人―金色の目を怒らせたベヒーモスが荒い息を吐き出しながら睨みつけていた。

 「かなり、頭にきているようだな」

 紅尉の声に「ですね」と返すと、和樹は二歩前に進んだ。これでベヒーモスと和樹との距離は、ベヒーモスならば一足で十分な距離になった。

 あからさまな挑発に恥辱を感じたベヒーモスが今までで最大の咆哮をあげると 和樹の雰囲気が変わった 
 外見にまったく変わりはないし、本能が鈍くなった人にはわからないほど小さな、変化と呼べないような変化。 
 だがベヒーモスにはわかる。いや、わかってしまう……目の前の存在が自身がどうあがいても勝てず、逆らうことすら考えてもならない存在だと

 突然魔獣が咆哮を止め、あとずさったのを見て、玖里子は目を丸くして紅尉は眼鏡を押し上げて、両者の見ているものが信じられない気持を表した。 
 彼らの目がおかしくなければ魔獣は、Sランク召喚獣のベヒーモスは 明らかに怯えていた。

 キュゥーンと、まるで子犬のような声をベヒーモスが出すと、和樹はにっこりと笑って手を伸ばし

 「お手」

 「きゃいん!」

 巨体とは思えない機敏な動作でベヒーモスが和樹の手に手を載せる。 
 あなた様が今から宇宙にまで自力で跳んでいけとおっしゃるなら、すぐにいたします。ですから先程の無礼をお許しください契約者様!と全身で語っている。   が、和樹以外のふたりにはさっぱりわからなかった。彼らにわかるのはベヒーモスがその金色の目に涙を浮かべて、誰にでもわかる哀願の視線を和樹に送っているということだ。

 「このまま何もせずに、もと居た場所に帰ってくれないか?」

 契約したときの力で、魔獣の話していることが理解できる和樹がそういうと。 
 こくこくこくこくこくと首は大丈夫かと訊きたくなるような凄まじい速度でベヒーモスは頷き、契約者様の寛大な御心に感謝します、若年なので気付かずこのようなことをして申し訳ございません。と咆えると、全身を銀の光に包んで幻想世界に帰っていった。


 「依頼完了です」

 毎度どうも、という意思がカタチになった笑みで紅尉に笑いかける和樹に対して、当然

 「式森君何が――」

 目前で起こった不可思議な出来事に対して、すぐさま手元のパソコンで映像を編集しながら、目を輝かせ訊いてくる紅尉に対して

 「紅尉先生。退治する手段、方法についての質問は受け付けないという約束でしたよね」

 誓紙を取り出して確認する和樹。それを見て「む……」と紅尉は唸ると

 「……映像を見て、自分で分析しろということか……まあ、そのほうが面白そうではあるな」

 自分を納得させるかのように言った。ただ、和樹のほうを見る目は純粋な好奇心で覆われていた。誓紙を大切にしまっている和樹と、これ以上ない興味の対象を見つけた喜びで目を輝かせる紅尉の対峙にたいして

 「えっと……もしかして、これで一件落着?」

 ピエロ以外の何者でもなくなっている玖里子の声が届いた。その言葉に対して、和樹は「用事が」と言って出て行こうとする紅尉を押しとどめると、にこやかに笑った

 「何言ってるんです。これからが本番なんですよ」

 「えっ!?」

 その笑顔を見て、悪寒のようなものを感じた玖里子は思わず聞き返した。その玖里子の反応が意外だったのか、和樹は軽く目を見開くと

 「玖里子さん、校内から聞こえてくる唸り声って聞いた場所が結構バラバラなんですよね」

 「ええ、そうよ……まさか」

言葉の意味に気付き、顔色が蒼くなった玖里子と軽く眉をあげた紅尉に対して、まったくいつも通りと変わらない口調で

 「その答えは、すぐにでますよ」

 「いつごろだね?」

 「そうですね……後十秒後にはここに来ますね」

 何かを確認するかのように瞑目をした和樹が答えた直後、「無念です……」「きゃああああ……」という声が巨大な生き物が走っているような地響きの音と一緒に聞こえ始めた。
 思わず顔を引きつらせて「夕菜ちゃん……凛!?」と呻く玖里子の声の後、「まさか、まだ居たとはな」と紅尉が呟いた直後 轟音とともに保健室の壁が粉砕されて、灰色の巨体が二本の象牙色の角にそれぞれ気絶した凛と夕菜をぶら下げて登場した。 

 「大きい……」

 先程のベヒーモスよりも優にふたまわりは大きいベヒーモスを見て、玖里子がうめき声をあげた。 

 その声を聞いたベヒーモスは、玖里子をその金色の瞳で美味しいご馳走のように見た。圧倒的な威圧感とベヒーモスの目付きに怯えてあとずさる玖里子を見てニヤリと笑うと、邪魔だというように首を振って凛と夕菜を角から放り投げるベヒーモス。 そのふたりを、地面に落ちる前に捕まえてベッドの上に置く和樹には目もくれない。どうやら――

 「玖里子さんが一番美味しそうだと見たようですね……女の人のほうが柔らかいだろうし、玖里子さん肉付きいいからなあ」

 気の毒そうに言いながら、一番遠いベッドにふたりを寝かせる和樹。

 「……か、和樹」

 「式森君、風椿君を放っておくのかね」

 無関係だというようにベヒーモスから距離を置く和樹に対して、玖里子は目の前の涎をたらす魔獣から目を離せずに引きつった声を出し、紅尉は今の振動で全てのカメラが破損したことに顔をゆがめたものの玖里子を気遣う言葉を出した。 
 それを聞いた和樹は、にこやかに微笑むと非情な一言を吐いた

 「自力で頑張ってください」


 かなり痛い沈黙がその場を支配する。
 最も、にこやかに微笑む一人と目前のご馳走に夢中の一匹には関係がなく、一匹は生存本能によって無意識にあとずさる玖里子への距離を詰めていた。 

「風椿君を見捨てるつもりかね?」

 さすがというべきか玖里子が目の前に魔獣がいるのにまだ呆けているのに、和樹に対して語りかけた紅尉に、和樹は軽く肩をすくめた

 「紅尉先生……自分をネタにしようとした人を喜んで助ける趣味は俺にはないですよ」

 「むう……確かにな」

 その時には自分を取り戻した玖里子は「センセ、納得しないでください!」「和樹、謝るしもうしないから助けて!」と絶叫した。

 「玖里子さん……」

 目をつぶり沈痛な口調で言う和樹を「な、何!」と希望と恐怖を混ぜた視線で見つめる玖里子に

 「大声で絶叫したり、立ってあとずさったりする場合、攻撃衝動が増すらしいですよ」

 その言葉を聞き、目の前の魔獣に視線を向けた玖里子は、獲物の匂いをかぐように鼻を鳴らし、その匂いに満足したのか巨大な舌で舌なめずりしてその真下のコンクリートを濡らすベヒーモスを目にした途端 
 人間の限界に近い速度で、口を手でふさいで腰を地面に落とし―半分は腰が抜けた―あとずさったが、すぐにその背中が壁にあたり進退が窮まった。 

 「……式森君「なんです」私の記憶違いでなければ、君の言った対処法は南米のキュラカリシラのもののような気がするのだが……」

 藁にすがるような面持ちで和樹が言ったことを実行する健気な玖里子を見ながらの紅尉の言葉に和樹は感心したように頷き

 「博識ですね、さすが紅尉先生。その通りです。ベヒーモスに対する効果的な対処法なんてほとんど知りません」

 非情を通り越して鬼のような一言に「ええっ!!」と悲痛な声で叫ぶ玖里子――は、とりあえず気にせずに和樹との話を紅尉は続けた。

 「……嘘をついたのかね」

 「そんな!嘘なんてついてないですよ。いつ俺が嘘なんてついたんです。うっかりして、主語が欠けていただけじゃないですか。それを玖里子さんが勘違いしてベヒーモスのものだと思ったからこんなことに……」

 「……つまり騙したのだな――」

 気の毒そうな表情で『俺は悪くない』と全身で語る和樹に、さすがの紅尉も呆れたように言いかけたとき、玖里子の絶叫が届いた

 「こんなときに言われたら誰だってそう思うじゃないの!!」

 その尤もな非難の叫びに、和樹は傷ついたような表情になって

 「そんな風に言われると、一つだけ知ってるベヒーモスの効果的な対処法を言うのが悪いような気がしてしまいます、玖里子さんが後悔するのを見たく――」

 「いいから言いなさい!!速く!お願い!」

 椅子に縛られ三日間断食された上に、目の前でご馳走を食べるのを見せ付けるような和樹の言葉に、玖里子は大声で食ってかかった。その玖里子に

 「本当に後悔しないんですね」

 「しないわよ!するわけないじゃない!だから速くその方法!」

 大声で返す玖里子に、何処か満足したように頷くと和樹は答えた。

 「大声で叫ばない」

 「え!?」

 あまりの衝撃に凍りつき何とかという感じで呟く玖里子に、和樹はもう一度細かく言った。

 「大きな声で叫んだりすると、ベヒーモスって大きな声出してる相手に目を向けてその相手にしか目を向けなくなるんですよ。ベヒーモスって生物が出してる声から、相手の感情だとか考えていることとか読み取るらしくて、声に敏感なんです。だから、ベヒーモスから逃げたい場合大声、しかも切羽詰ったものや恐怖の叫びなんてものはご法度ですね……ほら、後悔したでしょ」

 ものすごく嬉しそうにサディスティックな笑みを浮かべる和樹は、玖里子にとって目の前のベヒーモスより恐かったので視線をそらした。
 そうなると自動的に玖里子が目にするのは、大声で玖里子が叫びまくったため、玖里子以外眼中になく。どこが美味しそうかと考え、食事前の歯磨きだというように牙の一本一本を舌で丁寧に磨くベヒーモスになるわけで 

 「い……いやあああ」

 最初の『い』は大声だったものの、和樹の忠告―と言う名の止め―を思い出しすぐに口を手でふさいだのでくぐもった悲鳴を玖里子は上げた。前門にベヒーモス(物理的な恐怖)、後門に和樹(精神的な恐怖)という追い詰められた叫びだった。

 追い詰められた表情で目を潤ませる玖里子を見て、和樹は満足げに笑った。

 「これで、ネタにされたぶんは堪能できた。後は、趣味と実益の時間だな」

 「……予想していたよりも君は、いい性格をしていたんだな」

 和樹の鬼畜な呟きを耳にした紅尉はある程度予想していたとはいえ、今の今まで知らなかった優等生の本性を目のあたりにして、ある意味感心して言った。

 「……ところで、君はあのベヒーモスを放っておくつもりかね。かなり危険だぞ」

 「そうですね。“紅尉先生が小動物を使って召喚したベヒーモス”が、このまま暴れたらいろいろと面倒なことになるでしょうね」

 『紅尉が召喚した』を強調する和樹の意図を紅尉は理解した。つまり――

 「脅迫するつもりか?あのベヒーモスを私が召喚したなどという証拠はどこにも――」

 「猫の毛と、隣室の封印札。この二点を隠したとしても、魔力の残滓は残ります。日本の優秀な捜査班にばれるでしょうね。第一、ベヒーモスを確実に召喚できる魔力を持つ人間はこの葵学園では限られています。生徒の数人と、教師の数人に」

 自分がかなり追い詰められていると紅尉は認めるしかなかった。そして、学業や運動の成績はともかく、魔法回数八十台の和樹はベヒーモスを召喚できる技量は“ない”と判断されるということも……

 「君が先程のベヒーモスのように、あのベヒーモスに命令していないという証拠は?」

 それでも、召喚したのは和樹ではないかと疑う紅尉はそう問うた。

 「さっきの奴と比べてあのベヒーモスが、俺に命令されてるように思えるところってありますか?」

 逆に質問を返され、紅尉はさらに注意深くベヒーモスを見た。そして、先程のベヒーモスとは決定的に違う点を見つけた

 「あのベヒーモスは、式森君に目を向けていない……」

 自分が知る限りのベヒーモスなどの召喚獣の習性からいって、召喚獣というものは内心で叛意を抱いていても召喚者を無視するようなことは絶対にしない。事前に命令されていても召喚の鉄則みたいなものなのか、召喚者が近くにいるときは何度も視線を向けるものだ。 
 今回保健室に出てきたベヒーモスも、直接の召喚者たちである子猫たちを探していたが、見つからなかったので自らの意思で目の前の人間を食べようとしたのだ。 

 「……要求はなんだね」

 和樹が召喚者だということがありえないということと自分が追い詰められたことを理解した紅尉の率直な言葉に対して、和樹はにこやかに微笑みながら「たいしたことじゃありませんよ」と、そうやって追い詰めた相手を本人が知らず知らずのうちに安堵させて過剰な要求をする詐欺師の業を見せた。

 「この誓約書にこのペンでサインして母印を血で押してもらえれば……」

 持っていた鞄から一枚の羊皮紙のような紙と何かの動物で出来た羽根ペンを取り出し、紅尉に手渡す和樹

 「どれ……『紅尉晴明は式森和樹に対して検査・検診・実験などを行わない』……ふむ、難しいな」

 「どこが難しいんです……」

 迷う紅尉に対して呪いさえこもった玖里子のうめき声が聞こえた。その玖里子は――とりあえず放っておいて紅尉は気になったことを訊いた。

 「この紙はリャマを原材料としたもので、この羽ペンはハゲタカのものではないかね?」

 「良くご存知ですね」

 「妹が中南米によく行っていてね。南米にまでは足をあまり向けないのだが、そのときに見たそうだ」

 「妹さんがいらっしゃるんですね」

 「うむ……それで以前妹から聞いたのだが、リャマで作られた紙とハゲワシで作られた羽根ペンを使うと、製作者の技量と使用者の魔力によっては相手に絶対服従するほどの強い契約書になるらしいのだ。あまり知られてないが……どういうことだね?」

 紅尉の疑いの眼差しに対して、内心舌打ちして「知ってやがったのか」と思いながらも表面は何も後ろ暗いことがないというように微笑みながら和樹は返した。

 「紅尉先生、覚えていますか。去年の九月のことです」

 突如関係のないと思えることを言い自分の虚を突く作戦かと思い警戒しながらも、記憶の糸をたどる紅尉だったが

 「夏休み明けで、文化祭の前というわけか……残念だが、覚えていないな。なんだったか?」

 「夏休み明けなので、生徒の中に潜在的な食中毒の菌を持っているものが増えていると紅尉先生が職員会議で言ったので、急遽生徒全員の検査をしたときです」

 午後が休業になったので、ほとんどの生徒が喜んだ出来事だった。

 「ああ、確か私が受け持つはずだった君のクラスが、突然起こった爆風が直撃して呼んでいた医者が一人気絶してしまったために医者の数が足りなくなったので行った順番変えの結果、他の医者に任されてしまったのだったな」

 「不幸な事故でした……でも、おかげでその医者がセクハラ行為の常習犯であの時も小型カメラを持っていたことがわかったんですから、結果的には不幸中の幸いでしたね」

 「そうだな……生徒の中にいた潜在的な食中毒者も早期に入院して、授業中に担ぎ込まれるということもなくなったのだから、今年もやるべきかもしれん」

 半径六百メートル以内であれば、どこを基点にしても炎術を使うことができる桁外れの炎術師と、都内の高校生を百人調べれば四,五人は絶対に注意するだけの量、食中毒の菌を保持している者がいることを理解している医者は穏やかに話し合う。

 「ところで、式森君。その話は今するべき話なのかね」

 最近起こっている事故と何処か似ていることに考えが至り「まさか……こいつら」と思ってはいるものの、目の前の脅威が何時噛み付くかで一杯一杯なため注意を払う余裕がない玖里子は、紅尉の言葉を聞き二度に渡って僅かに首を縦に振った。

 「その時、紅尉先生は俺に言ったじゃないですか」

 「……何をかね」

 「『何も考えないで、全てを任せたまえ。悪いようにはならないと思うから』って、別にその言葉を気にしてるわけではないんですが、今の状況にぴったりなので使わせてもらうことにしました♪」

 悪意のない口調でそう言い、紅尉の目前に契約書と羽根ペンを両手で突きつけ、実に嬉しそうな顔で微笑む和樹。

 「何も考えずに、この契約書にサインと母印を。何も心配することはないです。怖いことなんてないんですから……♪そういうわけでちゃっちゃっと一筆、どうぞ♪」

 「……式森君」

 重苦しい口調の紅尉と弾むような口調の和樹。このふたりが正面きっての最初の戦いの形勢はそれだけで明らかだった。

 「なんです♪俺が聞きたいのは紅尉先生のイエスの返事だけで、見たいのはこのペンでこの契約書にサインを書く時の紅尉先生の表情だけなんですけど♪」

 「……君、執念深いとか、性格悪いとかよく言われないか?」

 「いえ、まったく。温厚だとか、穏和だとかはよく言われるんですけど、そういうことは、あんまり……」

 確かにそれは事実なのだが、真実は少し違う。和樹のことをそう評する連中は一人も例外なく「和麻に比べて――」とその前に言っているのだ。

 「…………」

 そのことを幸か不幸か―幸福だと思われる―知らない紅尉は、さすがに絶句した。どういう連中ならそういう言葉を出せるのかという深刻な疑問に考え込んでしまい玖里子のことを忘れかけたところに

 「た……たす……」

 玖里子のかすれ声が届いた。その言葉を聞いても――いや考えに没頭して聞こえない紅尉は振り向かず、和樹が振り向いた。

 「玖里子さん。もうちょっと待ってください、後二歩って所なんです」

 その言葉が終わると同時に、生臭い息の匂いがわかるくらいに玖里子に近づいていたベヒーモスはペロリと玖里子の頬をザラザラとしたその舌で舐めた。それはまるで――

 「味見してるみたいですね」

 のんきな和樹の声のおかげで失禁が免れたとはわからない―わかるはずがない―玖里子は当然文句を言った

 「あ、あんた、あたしに恨みでもあるの……あたしが死んだらどうするのよ……色々とまずいんじゃない。も、目撃者もいるし」

 説得と脅迫の間のような言葉を震える声でだす玖里子に対して和樹は柔らかく微笑んだ

 「玖里子さん……」

 「な、なによ」

 「人を呪わば穴二つという言葉があります……他人に何か酷いことをされたら数倍にして返しても問題ないって言う意味の言葉です」

 「か、勝手に意味を曲解しないでよ」

 震えながらも気丈に突っ込みを入れる玖里子を無視して、言葉を続ける

 「……でも、俺はそんなひどいことをしたりしません。例え、最近、風椿の家の人達が俺の過去を探ったりしていてうるさいなと不快に思っても――」

 「あ、あんた、気付いて……じゃ、じゃあ、あの情報ってやっぱり嘘」

 見透かされていることに戦慄する玖里子に構わずに言葉を続ける。

 「――その書類見ながら、俺をダシにして紅尉先生という教育者の鏡のような素晴らしい先生を脅迫することを決めて早速実行したとしても――」

 「な、なんで知ってんのよ……盗撮でもしてるんじゃ……そ、それに、あんたも脅迫してるじゃない……人のこと言える立場じゃないでしょう」

 玖里子の性格からいって思い立ったらすぐ実行だと推測しているだけで、盗撮のような足がつきやすいことなんてしない和樹は言葉を続ける。

 「――それでも俺は、玖里子さんに復讐しようなんて思いません。ただ――」

 「た、ただ」

 「骨は――」

 そこで言葉を切って、ベヒーモスの口を見る。玖里子の横幅よりも大きな口を

 「――拾えそうにないけど……銅像を建ててあげます。風椿玖里子基金というものも作ります。だから――」

 涙を拭くように目をぬぐう和樹の感極まったような言葉を聞いて、これ以上の言葉を聞くのが恐くなった玖里子だが、魔獣に食われたくなければ訊くしかなかった。

 「だ、だから――」

 その瞬間和樹は、満面に晴れやかな笑みを浮かべた

 「――俺の幸せのために犠牲になってください。そうしたら、玖里子さんに酷いことしません」

「じゅ、十分酷いことやってて何言ってんのよ……あんたはぁ……ゆ、夕菜ちゃん、り、凛、お願いだから起きて、お願い」

 絶叫したかったがこれ以上目の前のベヒーモスを刺激することなどできず小声になっているものの、本能に圧力がくるベヒーモスが居るので普通なら飛び起きるはずなのに、ベッドの上で薬でも嗅がされたかのように眠るふたりに、半泣きで必死に助けを求める玖里子。 
 二人―というより目撃者―が見ているところでは、そこまで酷いことをしないだろうという最後の希望を粉々に打ち砕く声が聞こえた。

 「無駄ですよ、玖里子さん。ふたりは、当分目覚めませんよ」

 「な、なんで……」

 顔を動かしたら食われるのではないかという恐怖のために、ほとんど目しか動かしていなかった玖里子だが、その一言を聞いてとうとう顔を動かして和樹のほうを見た――見てしまった。
 和樹は二人が寝ているベッドの横――玖里子のほうに近いところで立っている。そして、その左手、先程までの玖里子にも紅尉にも死角で見えない手に一つのビンを持っていた。こちらに向いた玖里子のほうにラベルのほうを向ける。
 そこには、七文字のカタカナが書かれていた――『クロロフォルム』と

 「ほ、本物の鬼か……あんたはぁ」

 「玖里子さん。ご家族―幼児退行した麻衣香、脅迫され大金を搾り取られた洋志ら―そろって人を悪し様に言うのは良くないですよ……鬼っていうのは、襲撃してきた連中の長の妹を捕らえて、廃ビルの一室に縛って放り込み、長に『妹は預かった、午前零時にここに来なければ殺す。そこで戦おう』という手紙を長に送って、信じた長が取り返そうと一族郎党で攻め込み、次々と罠で一族を亡くしても取り返そうと頑張り苦難の末、縛られた妹さんを見つけて涙ながらに触った瞬間ビルごと吹っ飛ぶような仕掛けを残して、本人はホテルのスイートルームで「花火か、季節はずれだな」なんて言ってすっかり忘れてるような人のことを言うんですよ」

 「……だ、だれかぁ……助けて……」

 玖里子のマジ泣きの悲鳴を聞いて、和樹は背筋をぞくぞくさせながら至福を味わっていた。凛にしても、玖里子にしても、どうしてこういじりがいがあるのだろうか。特に先程の紅尉とのやりとりを見た後では、屈服させている快感が混ざり数倍に楽しい。

 (よかった……ベヒーモスの長に頼んで、演技力のある巨体のベヒーモスを雇っといて本当によかった)

 凛・玖里子ときたら次は夕菜だが、どうやっていじろうかと考えながら、和樹はベヒーモスの長に対してお礼の品と演技をしているベヒーモスに対して謝礼を弾まなければならないと決意していた。

 三日前、保健室で召喚のために幻想の大地で待機しているベヒーモスが来そうになっているのを感じた時から練っていた策が、当初の目的よりも順調に進んでいることに満足したが、ここで緩めるつもりはない。
 目的は紅尉を下僕にすることにあるのであって、玖里子で遊んだのは風椿の調査員が昨日帰ったため、何か動きがあると踏んだからやっただけであくまでもついでだ。

 「紅尉先生……見てください。あの悲嘆にくれた玖里子さんを見ているだけで悲しくなりませんか……あれを見たら教師というより良識ある大人として、この契約書にサインをする気になりますよね♪」

 「まさか……君のような生徒が入学していたとは……油断していたようだな」

 考えに熱中していても、玖里子と和樹のやり取りを聞いていた紅尉は、和樹のことを優等生と見ていた自分の迂闊さを呪いながら 
 ――震える手で、ペンを取った。 
 そして、今まさにサインをしようとした瞬間

「助けて、和樹!」

 ベヒーモスが目前で口をあけて噛み付こうとしたため、心の奥底で助けてくれると確信している少年の名を咄嗟に玖里子が叫んだ。


 「っ…………」

 覚悟していた衝撃が来ないことを不思議に思った玖里子が、恐る恐る目を開けると、紅尉の隣に立っている和樹がこちらを見ていた。
 和樹は顔が整っているわけではない。普通のパーツが普通に置かれているような感じだ。それが分かっていても玖里子は目を奪われた。 
 ベヒーモスを還した光が薄れゆく向うで、鋭い黒の視線を和樹はこちらに向けていた。その瞳は、今まで玖里子が見たことのないものだった。 
 何度も何度も鍛えられた鋼を宿す瞳。厳しく強いものの何処か哀しく純粋な瞳。その生の困難な道のりを僅かなりとも知ることが出来る瞳。 
 「ああ……」とその瞳をしながら和樹はため息をついた。艶やかと言ってもいいその動作に目を奪われた次の瞬間。
 いきなり和樹は地面に突っ伏すと

 「ああ……俺の馬鹿……俺の意気地なし……俺の甘ちゃん……紅尉を下僕にする絶好の機会に仏心出してどうすんだよ」

 心底からの後悔の言葉を呟いた。その和樹を見ると、紅尉は安堵のため息を吐き

 「……式森君。この話は無しだな。実に興味深いひと時だった。いずれ語り合おう(何らかの手を打ったらすぐに)」

 「そうですね。いずれ語り合いましょう(ああ、その時はそれなりの対応してやるから楽しみにしてろ)」

 お互い相手の考えていることを理解しながら微笑み、立ち上がったふたりは握手した。

 「……玖里子さん、手を伸ばして」

 紅尉が部屋から立ち去ると和樹はため息をつき玖里子に手を伸ばした。和樹の真剣な目を見てからの急転する周囲の出来事にぼうっとしている玖里子は和樹の手を見ても「小さな傷が結構あるのね」と思っただけで、何の動作もしなかった。 
 それを見てもう一度ため息をつくと和樹は座り込んだまま動かない玖里子の前に背を向けてしゃがみこみ「手を首の前に回してください」と声をかけ、おずおずと玖里子が伸ばした手が和樹の首の横に来ると 
 壁にはりついた玖里子の背中を手で押して玖里子の体を自分の背中にもたれさせて立ち上がった。

 「きゃ……ちょ、ちょっと和樹。な、何やって」

 「腰が抜けてるでしょ。ベッドまで連れて行く間。大人しく負ぶさりなさい」

 その衝撃で意識を取り戻し、自分が和樹におんぶされていることを理解し、顔を赤らめる玖里子にたしなめるように和樹が言った。

 「う、うん……」

 そう言うと、玖里子は和樹の背中に体をゆだねた。硬いだけではなく柔らかさも宿す背中は、素人の玖里子にも鍛え上げられていることを肌で感じさせると同時にたとえようもない心地よさを覚えさせた。
 その心地よさにあまり親におんぶしてもらった経験のない玖里子は、思わず小さな声で呟いた

 「あたしは……もうちょっと長くおんぶしてもらいたいな」

 「へ?何か言いまし――寝ちゃったか」

 仕方ないな、と苦笑して和樹はそのまま立っていた。


 三十分後、夕菜が起きたとき、和樹が玖里子を背負ったまま「おはよう」と言ったので、色々とあったのは、ただそれだけの話。

 そして、ベヒーモスに対する感謝の手紙付の謝礼が予定より多く届けられたので、「追い返された、何か不快に思われることをしたのではないか」と気を揉んでいたベヒーモスたちは安堵したのもそれだけの話。


和樹が甘いなあと思ってしまいます。玖里子を噛みつこうとする振りをベヒーモスがしただけで、計画を放棄してしまったんですから……

次回から賢人会議編なのですが、最近公私にわたって忙しいため一週間以上かかるかもしれません。ご了承ください。


 ではレスを

>アルマジロ様
 教えていただき本当にありがとうございます。まだ第二話 C−PARTまでしか見ていないのですが、面白いです。今まで知らなかったのが罪だと思えるくらいに

>D,様
 ぶっちゃけトゥスクルという名前は、『うたわれるもの』から頂きました。
 めんどくさいという単語を本屋で適当に調べていたら、何語かも忘れたのですが『ドォスレキシカ』(これで合っているのだろうか)みたいな単語があったので、それをいじって

>ハル様
 申し訳ありません。次回からの第一回賢人会議編では、和麻の出番はないです。
 出てくるとしたら和樹の回想みたいなものですね。

>突発感想人ぴええる様
 実際、和樹も和麻も殺人貴には殺されかけました。和麻も和樹も黒い姫とは会っていません。
 風雅流の原作をよろしければ教えていただけますか。座敷武芸としか見つからなかったので

>皇 翠輝様
 『うたわれるもの』を元にしました。キャラは出ない予定なんですが……おっしゃる通り『うたわれるもの』のSSが最近更新停止していますね。
 青本に収録されていた短編にやっぱ日本人は忍者だろという考えと軋間が好きなので書いてしまっただけなので、どこかのSSに居るのか分からないです。お力になれず申し訳ありません。

>柳野雫様
 駿司さんと佐平翁は、いずれ出します。凛とかみ合わせると楽しいので。
 神城の屋敷に和樹が行くのもいいなあと考えています。

>紫苑様
 他人を弄ぶと言うのがこの師弟の基本的なスタンスです。
 エリスは、純粋無垢なままにします。もちろんです。純粋無垢じゃないエリスなんて私は認めません。たまに王の娘としての部分は出しますが

>ヤナユウ様
 最初のほうしか見ていないのですが、あのシンジくんも相当なものだと思います。

>雷樹様
 私的な考えでは『悪人』と言うのは性格が悪い者で『悪党』というのは行動が悪のものだと思っています……和樹って悪党ですね。性格も悪いから、さらにやばいです。

>黄金盗虫様
 ここの殺人貴は、遠野に襲われる前までに習った基礎的な七夜の体術を覚えてはいるのですが、『業』というレベルにまで覚えていません。そのため、今回殺人貴が使ったのは、彼がうっすらとした記憶と幾多の殺し合いの経験から編み出した『点』『線』を見なくとも素手で確実に人間を殺せるモノのうちの一つです。だから、閃鞘・七夜の延長線上の業といえる代物です。

>MAGIふぁ様
 夕菜と玖里子と和樹に協力してもらったので、ただでさえ頑な凛が『この戦いは恩返しでもある』と考えてしまい。大抵の手段では、駿司を受け入れないと思ったのですが……言われてみれば確かに無理矢理でした。精進いたします。

>マネシー様
 素晴らしいです。ブラボーと言いたいくらいに淫靡な光景が見えてきます。感動です。卑しいだなんて言わないで下さい。
 『駿司お兄ちゃん』と小さい時の凛なら言っていたんだろうなー言っていたらいいなあと考えていたら、気が付くとかいていたという代物です。こんな風に言われたら、私なら閻魔大王の前からでも帰ってきます!

>零様
 神城家は無事です。風椿もある意味無事ですから。
 今回で中村教師が入院したので、かおりが出せます。長かったなー。
 生存者の数の少ないところその通りですとしかいえません。

>nao様
 『ロミオとジュリエット』の仮死薬のとき、ロミオ気づけよ!なんて思っていたのですが、今考えると気付かなくてもしょうがないかななんて思っています。
 あ、大当たりです
 賢人会議編のヒロインは……複数いるようなものですね。


>ヒロヒロ様
 溺死、最も苦しい死に方といわれているあれが最初ですか……哀れな(涙)


 

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