タマモは目を閉じて自分の部屋のベッドで寝ころんでいた。
タマモの部屋といっても数十分前までは来客用の部屋であり、レンガ造りの壁、簡素なベッド、机、スタンド、戸棚といった物しかない。
横島家でもっとも生活感がない部屋でタマモは悩んでいた。
横島家ニュージーランド宅は広い。
二階建てで、五つの寝室があり、そのうち二つには独自のバスルームがついており、居間には大きな暖炉がある。
冬の寒い日に暖炉の傍で横島の膝か頭の上で丸くなるのがタマモの趣味の一つ。
二階に続く階段の傷だらけの手すりはタマモのお気に入りの場所の一つ。
手すりの傷は足が不自由な横島が手すりにしがみつきながら階段を上がる練習をした証拠。横島の優しい匂いが染みついた手すりがタマモは好きだった。
一番のお気に入りは横島のベッド。タマモにとって温かく、いい匂いがする。
でも、やっぱり一番好きなのは横島の頭の上だった。
タマモは横島のことが好きだ。
嫌いな人間の中で信頼できる唯一の人間。
それがタマモにとって横島という人間の定義だった。
妖怪のタマモにとって人間の家が居心地良いのは横島の匂いがしみ込んでいるから。
タマモが心優しい少年を誰よりも愛しているから、タマモは少年の本当の家族になりたかった。そして、その夢は叶った。タマモは横島タマモになった。
しかし、それはタマモが望んだ形ではなかった。本当は横島の妻、横島タマモを望んでいた。
タマモはいつからか横島がいなくなるのを恐れていた。
あまりにも生きる年月が違いすぎる人間と妖怪。
もし、横島が死んだら自分は正気でいられるだろうか?
いられると断言できる自信がタマモにはなかった。
もし、タマモが妻という形で横島タマモになったら、横島は人間であることを捨てて、ずっと自分と一緒にいてくれるかもしれない。
心のどこかでそう願っていた。
タマモに前世の記憶はほとんどない。が、たまに夢で前世の記憶らしき物を見る。
あまり、幸せと呼べる生涯ではなかった。その悪夢にタマモがうなされるたびに横島は起きてタマモの背中を撫ぜた。横島の優しさはタマモの支えだった。
タマモはいつも横島と一緒に行動していた。
だから、タマモはあの事故以来、横島が大きく変わったのを知っていた。
横島はペシミストだ。他人と自分を比較して常に劣っている自分を真底嫌悪している。それは変わらないし、今後も変わらないだろう。
だが、あの事故を契機に自分が犠牲になって誰かを助けてもその人にキズを残し、本当に助けたことにならないことを横島は知った。
だから、スケベで怠け者だった横島は努力家になった。
優しく、強くなりたい。よくタマモに言っていた。
優しいだけの偽善者ではなく、優しくて強い存在になろうと努力する横島の姿勢がタマモは好きだった。
タマモは横島忠夫を愛している。なぜなら……………
「前世の夢でも、現世でも私を温かいと言ってくれたのは忠夫だけだから」
そう呟き、タマモは少しだけ泣いた。夢は叶ったが、それは望んだ形ではなかった。
姉という身分を手に入れたがために恋人になる機会を失った。そう思い、泣いた。
そのままベッドでゴロゴロしているとドアがノックされた。
タマモが無言でいると横島が勝手に部屋に入ってきた。
「タマモ!散歩行こうぜ!歩く練習したいから付き合ってくれ!」
「私はもう忠夫の姉で狐として甘えられる時間は終わったの!」
腫れた目を腕で隠し、タマモはそう怒鳴りつけた。
嬉しいのに悲しいという複雑な心境でタマモは横島に八つ当たりをした。
そんなタマモを不思議そうに横島は見詰めた後ベッドの傍まで歩み寄り、タマモの横に寝ころび、優しく抱きしめ、頭を撫でた。
鈍い横島に事情が理解できたわけではないが、何となくそうしなければいけないような気がして、行動した。タマモが落ち着くまで横島は撫で続けた。
「じゃあ、こうしよう。タマモが人型の時は「タマ姉」って呼ぶ。で、狐の時はいつもの「タマモ」って呼ぶ。これでいいか?」
タマモは笑いだした。悩んでいた自分が滑稽で笑った。
タマモは誰よりも知っていたはずなのに忘れていたのだ。
横島忠夫はこういう人間だということを。
忠夫を絶対に自分好みのいい男にして、自分に振り向かせる!好きになった時からそうする予定だった。法律上は兄弟関係?それがどうした?自分は妖怪だ!人間の法律なんて関係ない! 傾国の美女と呼ばれた自分に堕せない男などいるはずがない!
そう自分に言い聞かせ、照れ隠しに、本当の意味がバレないように、慣れない英語でこうタマモは答えた。
「I love you my brother. Did you know that?」
(私はあなたを愛している。それ、知ってた?)
ようやく手に入れた温もりを放さないように、タマモは思いっきり横島を抱きしめ返した。
そんな二人を鏡越しに最高指導者達は見ていた。ニヤニヤと珍獣でも見るような目つきで。
「本当に面白い子供ですね。傾国の美女がメロメロじゃないですか。あれなら放置しても問題はありませんね」
「せやな。あの二人ならアシュと「四本目の柱」を作ってくれるやろ」
「では、私たちは私たちのできることをしましょう。ブッちゃんが先ほど許可のない「時空移動」を完全に封印しました。これであの平行世界のような悲劇は起こらないでしょう」
「それでええ。横っちが覚醒するまで無駄に平行世界を作らせるわけにはいかへん」
「まあ、アシュタロスがあそこまで変わるのは予想外でしたが………」
最高指導者達は笑い合った。横島忠夫という奇妙な少年がどう育つのか。それが楽しみで仕方がなかった。
ただ、最高指導者達は忘れていた。横島忠夫を守護する存在が、心優しい少年がただの駒になるのを黙って見ているはずがないことを……………
魔王アシュタロスは天才だ。
宇宙意思という超越的な存在に抵抗する方法すら生み出す天才的な頭脳を持っている。それは魔王アシュタロスが芦原優太郎になっても変わらなかった。
いや、魔族特有の破壊衝動から解放されたためその能力は飛躍的に伸びていた。
そのため、芦原は瞬時に己のすべきことを理解していた。
最高指導者達の部屋を去った芦原は横島家ではなく、すぐに南米の秘密基地に向かった。
人類には用途不明な様々な機械が並ぶ膨大な地下空間。その最深部に芦原は向った。
そこに存在する無数の培養液で満たされた円形の水槽。
そのうち三つには年齢が異なる三人の子供が眠っていた。
芦原は物凄いスピードで機械を制御しているキーボードを叩き始めた。
監視プログラム解除、肉体強化キャンセル、リミッター制御プログラム解除、強制成長をキャンセル、特定年齢まで人間と同様に成長に設定、etc, etc, etc. 次々と文字がスクリーンに映し出されては消えた。
そして、全ての文字が消えると芦原はフーっとため息をついた。
「私の娘は三姉妹になったか。まあ、いい。これも一興だ」
優しく微笑み、最後のキーを叩いた。そして、スクリーンには芦原が期待したメッセージが現れた。
No.1 ルシオラ No.2ベスパ No.3パピリオ スリープモードを解除します。
培養液が水槽の底に吸い込まれ、ガラスが水槽の上部まで引き上げられた。
芦原の三人の娘たちは眠たそうな表情でノロノロと立ち上がった。
そんな娘たちを芦原は愛おしそうな表情で順次に見渡した。
芦原の目にまず、最初に止まったのは長女のルシオラ。ショートカットの黒髪に頭がよさそうな顔立ち、外見年齢では横島と同じ十歳前後。
不思議そうに周りを見渡している姿は非常に愛嬌を感じさせるものだった。
次に芦原の目にとまったのは次女のべスパ。長い綺麗な金髪に意志の強そうな顔立ち。外見年齢が、ルシオラより一つか二つほど年齢が下であるにも関わらず、明らかに発育がルシオラよりよかった。
肉体設定を間違えたかもしれん。冷や汗を掻きながらそう心の中で芦原は呟いた。
そして、芦原の目は末っ子のパピリオに向けられた。緑色の短い髪に幼すぎる顔立ち。現状がよく理解できでいないらしく目を瞬かせていた。
穏やかな沈黙を破ったのは異常に気づきその場に慌てて駆け込んできた土偶羅だった。
「アシュタロス様!いったい何事ですか!それにそのお姿は!」
「ああ、土偶羅か。ちょうどいいところに来た。今から私が話すことをよく聞いてほしい。我が娘たちもだ」
そして、芦原は語り出した。魔王アシュタロスが一人の心優しい少年と妖狐に出会い、魂の牢獄から解放され、芦原優太郎になり、新しい道を歩むことを決めたことを。
「では、私たちはどうなるのでしょうか?用済みとして破棄されるのですか?」
おずおずとルシオラが尋ねた。その声には死に対する脅えが含まれていた。
かつて魔王アシュタロスの頃では信じられないほど穏やかな表情で芦原は答えた。
「土偶羅にはハニワ兵とともにこの拠点の保護とヒドラの量産、そして究極の魔体に人格プログラムを組みこむことを命じる。娘たちは私とともに一旦ニュージーランドに来てもらう。不要な監視プログラムはすでに解除してあるからその後は自由だ。私個人としてはルシオラは私とともに技術面のサポートと忠夫君の教師役、べスパは戦闘面でのサポートと戦闘関連の教師役、パピリオのことはもう少し成長してから考えればいいと思っている」
芦原の予想外な答えに対し今度はべスパが質問した。
「アシュタロス様は恩義があるとはいえ人間の教師役で生涯を終えるつもりですか?私たちに望むのは本当にそれだけですか?」
「私は魔王アシュタロスという身分から解放されるために娘たちを道具として利用し、他の存在を踏みにじる予定だった。だから、当然、今までの過程を無駄にするつもりはない。新しい方向性はすでに考えてある。だからこそ先ほど土偶羅にあの命令を出した。これからいろいろと忙しくなるだろう」
芦原はそこで一度言葉を切った。そして、全員を見渡しこう言った。
「だが、今は芦原優太郎という一人の父親として自分の子供の幸せを願っている」
そう宣言した顔があまりにも綺麗でべスパの頬は朱に染まった。
他の面々も意外な言葉に驚いていた。
「アシュ様のことをパパかお父さんって呼んでもいいでちゅか?」
舌足らずな話し方でパピリオが尋ねた。
「好きに呼ぶがいい。ただ一つだけ訂正しておかなければいけないことがある。私の名前は芦原優太郎だ」
横島忠夫を連想させる少年のような笑みで芦原は答えた。
それを見たべスパの顔はさらに林檎のように赤く染まり、パピリオは無邪気に喜び、ルシオラは生命の危機が去ったことを理解し安堵のため息をつき、土偶羅はさっそく与えられた仕事を始めた。
温かい芦原家が成立した記念すべき瞬間だった。
あとがき
タマモの想いと三姉妹の登場でした。
どうやって、いつ三姉妹を出すか散々悩んだ結果がこれです。
いかかでしょうか?
横島と三姉妹の関係がどうなっていくのかいろいろと今考えてます。
次に誰を登場させるかは決まっていますが…………
それと、第二話の誤字は修正しました。ご指摘ありがとうございました。
皆様のコメントをお待ちしております。