とある休日の午前――唐巣教会の庭先で、二人の男女が戦っている。
「どうしたァッ! ボディがお留守だぞ!」
「くっ……!」
片や、魔装術を纏った雪之丞。片や、水晶観音を纏ったかおり。息をつかせない雪之丞の猛攻の前に、かおりは防戦一方だった。今も腹部に掌底の一撃をもらい、1メートル近く後方に吹き飛ばされたところである。
「二人とも頑張ってますノー」
「けど、雪之丞はともかく弓さんみたいな美少女が暑苦しく熱血すんのって、もったいねーとは思わねーか?」
「いいじゃないの。高みを目指して頑張るのも、青春ってものよ。部活じゃないのが残念だけど」
ここ最近、週に何回か手合わせをするようになった二人を見て、ギャラリーのタイガー、横島、愛子が口々にコメントする。その後ろでは、陰念が唐巣神父に「茶菓子もう終わりか?」などと尋ね、華に「やめなさい、厚かましい」とたしなめられていた。問われた唐巣はピートと一緒に、苦笑いするだけである。
「弓さーん! がんばってー!」
横島の右隣に座るおキヌが、両手でメガホンを作って声援を送る。その直後、かおりは雪之丞の手を取り、四本の腕を使って柔道技の肩車のように雪之丞を投げ飛ばした。
一方、横島の左隣に座る小竜姫は、それら一連の攻防を、ただ黙って観戦している。その表情は、いつも妙神山にいる時のような、武神としてのものになっていた。
やがて、勝敗は訪れる。雪之丞の一撃でかおりがダウンし、蓄積したダメージによって、水晶観音を維持できなくなった。
「勝負ありだな。ほら、立てるか?」
「……それぐらい、自分でできますわ」
魔装術を解いて手を差し伸べる雪之丞に、かおりは苦々しい表情でその気遣いを辞し、自力で立ち上がった。
そんな二人のもとに、小竜姫が寄って行く。
「お疲れさまでした、お二人とも」
「小りゅ……シャオさん」
「呼び慣れないのでしたら、今は小竜姫でも構いませんよ。ここには関係者しかいないことですし」
わざわざ言い直すかおりに、小竜姫は苦笑しながらそう言った。しかし、彼女は言い終わると、すぐに表情を引き締める。
「弓さんは、少々肩に力が入りすぎてますね。幼い頃から名門の跡継ぎとして修行していたというだけあって、年齢に見合わないほど地力が高いようですが……力みすぎているせいで、あなた本来の反応速度を引き出せていません。あなたの実力なら、もう少し自然体でいられたのであれば、雪之丞さんの攻撃だって凌ぎきれたはずです」
そうアドバイスをかけ、次に雪之丞の方に視線を向ける。
「雪之丞さんは、攻撃に意識を割き過ぎです。相手の隙を見つけた瞬間に攻撃に移れる反応速度は大したものですが、逆に攻撃の合間を狙って繰り出された反撃に対し、反応が遅れてます。もう少し防御に意識を向けていれば、急な反撃にも対処できるようになるでしょう」
「……よく見てやがんな」
「封印状態とはいえ、これでも武神ですから。ところで、体力はまだ大丈夫ですか? よければ、横島さんとも手合わせしてみて欲しいんですが……」
言いながら、ちらりと背後の横島に視線を向ける。そこでは横島が、「俺?」と間抜け面で自分を指差していた。
対し、雪之丞は嬉しそうに獰猛な笑みを浮かべる。
「へっ、横島とか。おもしれえ。俺の方はまだ大丈夫だから、遠慮はいらねえぜ。ついでだ……GS試験の借りを返させてもらうとすっか」
「ちょっと待て! 俺はやるとは言ってないぞ! 聞いてないっスよ、小竜姫さまー!」
やる気満々な雪之丞に、横島は焦って抗議しだした。それを聞いた小竜姫は、またかとばかりにため息をついた。
「言ったら逃げるじゃないですか。たまには真面目に積極的に修行してください」
「たまにって、GS試験前は真面目にやってたじゃないっスか!」
「修行は続けてこそ意味があるのです。あんな一夜漬けみたいな修行を一回やっただけで、真面目ぶらないでください」
「そんなーっ!」
「ウダウダ言ってねえで、とっとと始めようぜ。おら、来いよ」
「うっせー! いきなり魔装術で戦闘準備してたって、俺はやんねーぞ!」
「横島さん!」
とことん逃げ腰の横島に、雪之丞と小竜姫が二人がかりで詰め寄る。
横島はなおも拒否し続けようとするが、やがて壁際まで追い詰められ――
(……まあ、いいのではないか?)
(心眼?)
心眼が念話で話しかけてきた。
(美神殿も修行でパワーアップしたのだ。同期合体のための霊力バランスを考えるのでも、今ならば多少パワーアップの余地はできたと思うが)
(うーん、確かに……でも、やっぱ痛いのは嫌だしなぁ……)
(お前は結局それか)
心眼はこっそりとため息をつくが、横島が説き伏せられるのも時間の問題だろう。
そんな彼らを横目に、おキヌのところまで歩いて行ったかおりは、彼女からヒーリングを受けていた。
「……まったく心構えというのがなってませんわね、横島さんって」
「まあ、本当は争い事とか好まない人ですし」
呆れたようにため息をつくかおりに、おキヌは苦笑してフォローする。
やがて、彼女たちの見ている前で、横島と雪之丞の組手が始まった。とはいっても、攻撃を仕掛ける雪之丞に対し、横島はひたすら防御や逃走(回避ではない)に終始するという、組手というよりは鬼ごっこといった風情のものであるが。
「……無様ですわね」
かおりはその様子を見て嘆息した。見るべきものは何もないとばかりに、早々に二人へ向けていた視線を外す。
そして彼女は、「それはそうと……」と小さくつぶやき、すぐ近くにいる巨漢――タイガーの方に視線を向けた。
「ちょっとよろしいかしら、あなた――えっと、タイガー寅吉さん、でしたっけ?」
「はい? なんですカイノー?」
かおりから声を掛けられるとは思ってなかったのか、横島と雪之丞を見ていたタイガーは、驚いたような顔をしていた。
『二人三脚でやり直そう』
~第六十九話 ギザギザハートの狂詩曲!~
横島たちが唐巣教会に集まっている一方、魔理は一人、河川敷で何をするでもなく座り込んでいた。
「…………」
最近、誰ともろくに口を聞いていない。学校に行けば周囲は霊能力者ばかりである――霊能力を無くしたことで、クラスメイトとどう接すればいいのか、わからなくなっていたのだ。
今日も、帰りに唐巣教会へと寄って行くというおキヌ、かおり、愛子の誘いを断ったところである。
「はぁ……」
ため息をつき、適当に拾った小石を川面に投げる。小石は一回だけ跳ね、川の中へと沈んだ。
理事長と鬼道は、「霊能力に目覚める前に戻っただけ」と言っていたが、彼女自身、どうやって霊能力に目覚めたのか覚えていなかった。突発的な事故のようなもので霊能力に目覚め、気が付いたら霊力を発揮できるようになっていただけである。それを再現しろと言われても、はいそうですかと出来るものではない。
そういった理由で、彼女は霊能力を取り戻すのに手間取っていた。結果が出ないことに焦りばかりが募り、集中が乱れて結果が出なくなる――いわゆる、悪循環というやつである。
だが実際のところは、霊能力の素養はあるのだから、ちゃんとした教え方のできる者の下で指導を受ければ良いだけの話であったりする。
とはいえ、彼女の周囲にいる高レベルの霊能力者たちは揃って天才肌であり、霊力の覚醒といった初歩の初歩という段階は未経験――要するにすっ飛ばしていたので、それを教えるのには向いてなかったりする。それでも唐巣あたりなら教えられるのであろうが。
ついでに言えば、その方法だとどれほど時間がかかるか不明であった。教えられればすぐに霊能力を取り戻せる可能性があるのは当然だが、反面、彼女が落第確定するまでには間に合わない可能性だってあるのだ。
いずれにせよ、魔理自身がそれらの結論に達していないので、彼女かあるいは彼女の周囲の者が気付くまでは、ないも同じな手段であるわけだが。
――閑話休題。
「くそっ!」
苛立ち、もう一度川面に向かって石を投げる。今度は一度も跳ねることなく、代わりにドボンと音を立て、水しぶきを撒き散らして石が沈んだ。
と――唐突に、魔理の頭上に影が差した。
「……?」
誰か近くに来たのか――そう思い、顔を上げたその時。
ゲシッ!
「がっ!?」
いきなり腹部をローキックで蹴られ、魔理はそのまま仰向けに倒れた。痛みに顔を歪め、片目だけ開けていきなり蹴り飛ばしてきた襲撃者の顔を見る。
と――魔理の顔が、驚愕に染まった。
「お、お前……!?」
「よう……久しぶりじゃねえか。元気にしてたか?」
はすっぱな笑みを浮かべるその女は、中学時代に魔理が霊能力に目覚めたその時に喧嘩をしていた、名も知らぬ高校の不良少女であった。
「あら、これ可愛い」
「あっ、ほんとですね。隣のも可愛いですよ」
小竜姫に部屋探しの手伝いを乞われ、繁華街に出ていた横島。その眼前では、二人の少女がウィンドウショッピングに興じていた。
二人とも仲良さげに笑い合い、店頭に並んでいる品々についてあれこれと話し合っている。
「まん丸い目が可愛いですね」
「寸胴な体も愛嬌があります」
片方は言わずと知れた小竜姫、そしてもう片方はおキヌであった。唐巣教会での組手が終わって解散となった後、小竜姫に手を引かれた横島におキヌが付いて来たのである。仕事の時間まではまだ間があるし、どの道横島とは出勤時間が同じであるため、折角だから一緒にいようということだ。
余談ではあるが――あの後、横島と雪之丞の戦いは、唐巣の乱入によって勝敗が流れてしまった。
正座する二人に説教をする唐巣。彼の背後で壁が半壊していたのと、彼の足元にはらりと何本かの髪が落ちていたことから、説教の内容は推して知るべし……といったところか。
「そのうち、育毛剤の一つでもプレゼントしなきゃなあ……」
「どうしましたか?」
「いや、なんでもないっス」
その小さなつぶやきを耳にした小竜姫が尋ねてきたが、横島は曖昧に濁した。その返答に小竜姫は小首を傾げるが、特に気にした様子もなくウィンドウショッピングに戻る。
きゃっきゃっと笑い合う二人の姿は、どこから見ても仲の良い友人同士である。横島の目から見ても、それは間違いない。片方は本当は武神という人智を超えた存在なのだが、今の彼女の様子はどう見ても年頃の少女であった。
微笑ましい。本当に微笑ましい光景なのであるが――
(……見ているものがコレっつーのはなぁ……)
二人の眼前のショーケースに飾られているもの――それは小さな『赤べこ』であった。いかに見た目は完璧な現役女子高生であっても、二人とも中身は昔の人なわけなので、感性がどこかズレているのも仕方ないのかもしれない。
「つーか、なんで東京に会津の郷土玩具があるんだよ」
独り言じみたその小さなツッコミに、しかし返ってくる言葉はどこにもなかった。
さて、それはともかく。
小竜姫の部屋探しの手伝いとして呼ばれたものの、部屋探し自体は意外と簡単に終わった。
道中でウィンドウショッピングに興じていたものの、不動産屋へはそれほど時間もかからずに到着した。店頭に張り出されてある物件を、三人であーでもないこーでもないと品定めし、最終的に小竜姫が決めた物件は、意外と質素なものであった。
エアコン、給湯、バス・トイレ独立、収納スペース、洗濯機置き場、シャワー、都市ガス、洗面台、ガスコンロ可、和室6帖、間取り専有面積2K、家賃7万のアパートである。多少値が張ったが、これだけ設備が充実している上に築一年以内、しかも東京23区内であることを考えれば、それでも常識範囲内――むしろかなり安い方だ。
しかし、彼女の生活資金は神界から出ていることでもあるし、横島としてはもっと高級感のある部屋でも良さそうだとは思った。なにせ神様が住むことになるのだから、あんまり安っぽい部屋もどうかと思うわけだ。
だが――
「私は豪華な生活なんて望んでませんから。それに生活資金が自分の懐から出るものではない以上、節約するのは当然でしょう?」
と、小竜姫はさも当然とばかりに答えた。税金を無駄遣いしてばかりの日本の役人に、是非とも聞かせてあげたい言葉である。
一応、業者の案内で実際の部屋を見せてもらい、納得すると契約の手続きをした。一通りの手続きが終わった頃には、既に日はだいぶ傾いていた。
そして、三人は茜色の空の下、並んで河川敷を歩いていた。
部屋も決まり、あとは入居日を待つのみという状態になった小竜姫は、肩の荷が一つ下りたせいか、上機嫌な様子である。もっぱら、共通の話題でもある横島のことで、おキヌと会話に花を咲かせていた。
「それで、横島さんがですね――あれ?」
と――その途中、おキヌは台詞を中断して河川敷のある一点に視線を向けた。
「ん? どったの?」
「いえ、あれ……もしかして、一文字さん?」
「え?」
その言葉に、横島も小竜姫も揃っておキヌの視線を追う。
そこでは――魔理が河川敷を舞台に、他校の不良少女と殴り合いをしていた。
「はっ! そんなモンかよ!」
「ケッ、そっちこそ!」
拳を握って嘲笑する不良少女に、魔理はペッと血の混じったツバを地面に吐き、不敵に笑った。彼女らの後ろでは、不良少女の後輩らしき二人組が、「センパイがんばれー!」などと声援を送っている。
「去年やり合った時は、確かお前、まだ中坊だったよなァ! あン時霊能力に目覚めて、六道行ったんだって?」
「ハン、ストーカーかよ。よく知ってんなぁ?」
「ハッ! アタシと同類のお前がお嬢様学校の制服着てりゃ、そりゃ覚えるってもんさ! 似合わねえんだよ!」
「うっせえ!」
吼えて殴りかかる魔理。しかしその拳を、不良少女はパンッと手の平で受け止めた。そしてそのまま一歩踏み込み、魔理の額めがけてパチキ――要するに頭突きをくらわせた。
「くっ……! この、石頭……!」
「そりゃこっちの台詞だ……!」
その衝撃で、互いにふらつく二人。不良少女は一回頭を振り、改めて魔理を見る。
「霊能力者ってのは強ええって聞いたけど、噂ほどじゃねーみてーだな! ちょうどいいぜ! こないだ守護霊を自称してたジジィに説教くらってからこっち、ツイてねーことばっかりでムシャクシャしてたんだ! てめーをボコにしてスッキリさせてもらうぜ!」
「ふざけんな! 返り討ちにしてやるよ!」
互いに罵り合い、殴り合う二人。そこには技術も何もなく、ただ感情と本能に任せた力と力のぶつかり合いだけがあった。
「うわ、おっかねー……」
「た、大変! 止めなきゃ……!」
そして、それを遠巻きに見ていたおキヌは、慌てた様子で走り出そうとする。横島は、女の子とはいえ不良同士の殴り合いを目にして腰が引けている様子だったが、それでも片方が知った相手であることから、おキヌに続いて走り出そうとしていた。
が――
「待ってください」
その二人を、小竜姫が背後から止めた。
「小竜姫さま?」
「彼女は……確か、一文字魔理さんでしたよね。先日妙神山に来た美神さんと同じく、力を失っていると聞きましたが」
「そうっスけど……」
「もう少し様子を見てみましょう。彼女の拳、迷いが見て取れます。おそらく、力を失ったことで心の内に何かを溜め込んでいると見ましたが……」
言われ、改めて殴り合っている二人へと視線を向ける。確かに、相手側の少女がどことなく殴り合いを楽しんでいるような表情であるのに対し、魔理の表情は優れない。
「どういう形であれ、鬱積した想いはいつか吐き出さねばなりません。ここは一つ、気の済むまでやらせてあげてはどうでしょうか?」
「でも……」
小竜姫の言葉に、おキヌはそれでも魔理が心配なのか、止めたがっている様子である。
だがそんなおキヌに、小竜姫は小さく微笑を浮かべると、「それに……」と言って堤防の一角に指を向ける。
「彼女が心配なのは、おキヌさんだけではないようですよ?」
「「え?」」
その言葉に、横島とおキヌは揃って小竜姫の指の先を目で追った。
「はぁっ……はぁっ……このっ、ぶっ殺してやる……!」
「そりゃこっちの台詞だ……!」
もうどれほど殴り合っていただろうか。相対する二人の少女は、息も絶え絶えになりながらもなお闘志を燃え上がらせている。
「そもそも、なんでアタシに突っかかってきたんだよ! 去年の借りを返すにしても、遅すぎだろーが!」
「知ったことかよ! ムシャクシャしてたところに蹴りやすそうな背中が見えた、ただそれだけだ!」
「それだけで人を殴るのかよ! わけわかんねーよ!」
「人を殴るのにちゃんとした理由がいるのかよ! てめーだって同じだろーが! 常識人ぶってんじゃねーよ!」
「ちっ……!」
殴り合い、蹴り合いながらの言葉の応酬。アウトロー独特の自己中心的な理屈に、魔理は不快感を覚えると同時にある種の共感を覚えていた。自分とて、かつて目の前の相手と同じ理由で、人を殴っていたことがあるのだから。
だが――
「そんなの……知ったことか!」
叫ぶと同時、放ったボディブローが相手の腹部を抉った。
「ぐはっ!」
「アタシは確かに常識人なんかじゃねーよ! 今だって、中坊ン頃から通してきたアウトローのスタイルで周りから白い目で見られてるよ! けど、だからどうしたってんだ! 常識人ぶるとか、そんなんじゃねえ! 筋の通らねーことが気に入らねーから、文句言ってんだよ! わかったかこんタコ!」
「気に入らねえ……気に入らねえんだよ!」
一息に吐き出したその直後、相手の反撃の拳が魔理の左の頬に入る。
「筋が通るとかどうとか、小奇麗なゴタク並べるんじゃねえよ! アタシらみてーなのは、一度染まったら戻れねーんだ! これしか生き方を知らねー奴が、今更そんなつまんねー枠に戻れるものかよ!」
「……?」
投げつけられたその言葉に、魔理は奇妙な違和感を感じた。
だが――殴り合いの最中に、そんな些細なことに意識を割いている余裕はない。
「てめーの勝手な尺度でモノ言うんじゃねえ!」
魔理は感じた違和感を脇に置き、反撃とばかりに殴り返す。その拳が相手の顔面にクリーンヒットし、彼女は思わず顔を押さえ、たたらを踏んで数歩後退した。
「はぁっ……はぁっ……」
「はっ……はっ……ふうっ……」
肩で息をするほどに疲労を蓄積させた両者は、しかしそれでも闘志を萎えさせない。現在の二人の立ち位置は、魔理が相手の不良少女を川べりに追い詰めているような形であった。
相手の少女としては、もう後退はできない。前に進んで殴り合いを続けるしかなかった。
「まだまだ……っ!」
そう口に出して自身を奮い立たせ、一歩前に出ようとした――その時。
ガッ――
彼女の足を、『何か』が掴んだ。
「えっ!?」
「な……!」
何が、と思う間もなく、彼女の体はそのまま川の中へと引きずり込まれる。突然のことに、彼女の取り巻きの二人の少女たちが、「センパイ!?」「い、一体……!?」と戸惑った声を上げた。
「こ、こりゃあ……!」
その現象に、魔理は心当たりがあった。彼女が霊能力に目覚めて以来、常に傍にあった現象――
それを裏付けるかのように、肉声とは違うおぞましい声が、魔理の耳に届く。
『ケッケケケ……苦しいか……? 苦しいだろう……? 俺はこうやって苦しんで死んだんだ……だからお前も、苦しんで死ね……!』
「ま、また……こんな……!」
その声――悪霊の声と共に、引きずり込まれた少女の苦しげで悔しげな声が、魔理の耳を打つ。
そう……そうだ。これはあの時とよく似ている。悪霊の姿も違うし、喋っている内容も似ているが違う。だがこのシチュエーションは、魔理が霊能力に目覚めたあの時と、まったく同じであった。
あの時、魔理はタイマン勝負に水を差された怒りで悪霊を殴り飛ばし、それで自身の霊能力を自覚したのだ。
だが、今は――
(……アタシに……できるのか?)
悪霊に引きずり込まれながらも、じたばたと暴れて抵抗する不良少女。助けを必要とする彼女を前に、しかし魔理は自身の拳に視線を向け、迷っていた。
ちらりと周囲を見る。今この場にいるのは、自分を除けば彼女の取り巻きの少女二人のみ。そしてその中で、この状況をどうにかできるとすれば――それは、自分以外にない。
だが、実体を持たない悪霊を攻撃するのには、霊能力が必要である。能力を失っている自分にそれが出来るのかといえば、当然のごとく否である。実体を持っていたビッグ・イーターを角材で殴りつけた時とは違うのだ。
「くっ……!」
どうにもならない。その現実に、魔理は歯噛みした。
そうやって迷っている間にも、目の前の少女は必死に抵抗を続ける。彼女は酸素を欲して水面に手を伸ばしているが、しかしバシャバシャと水しぶきを上げるのみに終わっていた。
(見てるだけしか……)
魔理はじっと、目の前の光景を見る。まるで親の仇を見るかのような目で、悔しそうに睨みつける。
川面を跳ねるしぶきの量は、目に見えて少なくなっていっていた。少女の抵抗が、弱まっている。
(見てるだけしかできねーってのかよ……!)
魔理は呪った。自分の無力を。
魔理は恥じた。無力を理由に何もしない自分を。
やがて――悪霊に抵抗していた少女は、力尽きたのか唐突に静かになり、完全に川の中へと沈む。
(だからって……だからって……!)
彼女の口から出ているであろう空気が、気泡となって川面に浮かび上がる――
「見捨てられるわけがねーだろがアアァァァーッ!」
叫ぶと同時、魔理は川の中へと飛び込んで、振り上げた拳を水面へと打ち付ける。いつの間にか力強く発光していたその拳は、水中にいる悪霊へと真っ直ぐに突き刺さった。
『ガッ……!』
確かな手応え。その一撃に、大して力もなかったその悪霊は、小さい断末魔の悲鳴を上げて霧散した。その結果に、魔理は驚愕で目を見開く。
(で、できた……!?)
出来るとは思わなかった。ただ、無理だからと言ってじっとしていられなかっただけだった。
なのに、それが結果を伴って目の前に現れたのだ。魔理は驚くと同時、心の奥底から湧き上がる熱い感情を自覚する。
彼女は拳を振り下ろしたそのポーズのまま、呆然と自身の拳を見下ろしていた。その脇で、解放された少女がゲホゴホと盛大にむせながら、弱りきった動きで川べりに這い上がる。そんな彼女の元に、取り巻きの少女たちが心配そうに駆け寄ってきた。
「……どうやらまた、助けられたみたいだね……ゴホッ、ゴホッ」
「あ、ああ……」
苦々しい感謝の言葉にも、魔理は生返事しか返せない。ゆっくりと水中から拳を引き上げると、その拳はいまだに力強く発光していた。
その拳を見て、魔理の心臓が早鐘のように高鳴る。大きな興奮が、達成感と共にこみ上げてきて、その表情は自然に緩んだ。
「邪魔が入っちまったね。興醒めだよ」
横合いから掛けられたその言葉に、魔理は振り向く。そちらでは、不良少女が仰向けに寝っ転がっていた。
魔理もいつまでも川の中にいられないので、「そうだな」と一つ頷いて川べりに上がって座り込む。
「……すまなかったね」
「え?」
突然投げかけられた謝罪の言葉。思いもかけないその台詞に、魔理はきょとんとして不良少女の方へと視線を向ける。そこにいた彼女は、茜色に染まった空を見上げながら、自嘲気味に笑っていた。
「八つ当たりしちまったことだよ。アタシ、羨ましかったんだ……まだやり直せる場所にいるてめーがさ」
「何言ってんだ?」
「アタシ、今三年なんだ」
そう切り出し、彼女は身の上を語り始めた。
うるさい親が嫌いで、厳格な教師も嫌いで、社会を形作っている色々なルールが窮屈で、それに反発してアウトローの道を歩んだ。同じ道を選び、センパイと呼んで慕ってくれる後輩も出来た。そうやって反発し続けて、いつの間にか高校も三年になっていた。
だが、今年一杯で卒業というところになって、自分が何の未来像も持っていないことに気付いた。大学に進むだけの学力もないし、だからといって就職するには素行が悪すぎた。礼儀のれの字も知らない自分が社会に受け入れられるかといえば、頭の悪い自分でもわかるほどに答えはNOである。
それを自覚した途端、彼女は目の前が真っ暗になったような錯覚に陥った。今更何もやり直せない――そう思えば思うほどに心は荒んでいき、現実から目を逸らしてただ無為に時間を過ごした。守護霊をしていたという自分の祖父に見限られたのは、ちょうどそんな時である。現実を認めたくなくて説教を無視したのだが、それ以来運に見放されたような事態が続いた。
そのせいで余計に鬱屈した気分になっているところで、まだ高校一年という『やり直せる場所にいる』魔理が目に入った。そこで感情が爆発し、気が付いたら喧嘩を売っていた――そういうわけである。
「そうだったのか……その……なんっつーか」
「無理に何か言おうとしなくていいさ」
事情を聞き、何か声をかけようと思った魔理を、彼女は素っ気無く制止した。
「どーせてめーも、他人に何か言えるほど学があるわけじゃねーだろ。ただ、愚痴を聞いてもらえるだけで良かったんだ。全部吐き出したら、なんかスッキリしたよ」
そう言う彼女の顔は、どこか晴れ晴れとしていた。
そして彼女は立ち上がり、おもむろに「うーん」と伸びをした。取り巻きの二人を促し、魔理に背を向ける。
「じゃ、アタシらこれで帰るよ。今日は迷惑かけちまったね」
「はっ、まったくだよ」
肩越しに振り返り、素直に謝る彼女。それに対して魔理の口からは憎まれ口が飛び出てきたが、その顔は笑っていた。
「……頑張れよ、あんた」
「ああ。もう二度と会うこともないと思うけど、てめーも頑張れよ」
別れの挨拶を交わすと、彼女たちは無言で笑って片手を挙げ、そのまま去っていった。
その背を見送って、魔理は再び自分の右手に視線を落とす。気合を入れて右腕に力を入れると、その右腕は力強く発光した。
それを見たら、魔理は自分の口元が再び緩むのを感じた。
が――その時、視界の隅で何かが動くのを感じた。
「…………?」
何かと思いながら、そちらに視線を向ける。そこではちょうど、三つの人影が堤防の陰に消えるところであった。
その三つの人影のうち一つは魔理と同じ六道女学院の制服であったり、また別の一つはやたらと体の大きい男のもの――なぜか全身ずぶ濡れで頭に怪我をしていた――であったり、また別の一つは笛を持った褐色の肌の女であったりした。
それを見て、魔理はストンと何かが腑に落ちるような感じがした。考えてみれば、出来過ぎていたのだ。不自然なぐらいに。
改めて右腕を見てみると、あれほど力強く輝いていた右腕は、今は淡く発光しているだけに留まっている。それを見て、魔理はがっかりしたように嘆息した。
「はぁ……何やってんだよ、あいつらは……もっと上手く隠れらんなかったのかね。カラクリがわかっちまったら、暗示にならねーじゃねーか」
とはいえ――それでも、多少は効果が残っているようだ。弱くとも、確かに霊力を発揮できるようになっている。
「……ばーか」
高飛車な態度ばかり取ってるくせに、やけに面倒見の良いクラスメイト。そして、図体のわりには気の小さい仇敵。
彼らに対するそのささやかな罵声を発した口は、小さなほほ笑みを形作っていた。
多少なりとも霊能力を取り戻せたことに確かな手応えを感じ、魔理は顔を綻ばせる。
彼女は立ち上がり、スカートについた土をはたいて落とし、歩き始めた。川に入ったせいで靴が歩くたびにグチョグチョ言ってたが、今はそれも気にならないほど気分が良かった。
――その後。
そんな彼女の元に、一部始終を見ていたおキヌがやってきて、満面の笑みで抱き付いてきた。
その心からの祝いの言葉に、魔理は一緒にいた横島と小竜姫にも照れ臭そうな表情を見せてしまい、さらに顔を赤くするのだが――
まあ、些細なことである。
――後日――
「残念やけど、まだダメやな」
「ええっ!?」
意気揚々と登校し、鬼道に先日の成果を見せた魔理であったが、返ってきたその言葉に愕然とした。
鬼道は申し訳なさそうな表情で魔理の手を取り、淡く発光する腕を魔理の眼前に持ってきた。
「見てみ。発揮できる霊力が明らかに弱いやろ。これじゃ、ウチの合格レベルにさえ達しとらん。授業に付いて行こうと思ったら、もっと出力を上げなあかん」
「マジですか……」
せっかくここまで漕ぎ付けたのにと思いつつ、気落ちした表情を隠すことも忘れ、魔理は俯いた。
だが――
「ま、そんな顔すんなや」
鬼道の明るい声が、魔理の耳に届いた。顔を上げると、目の前には掛けられた声と同じような明るい笑顔がある。
「霊力が足りんのなら、上げればええ。失う前はそれなりに強い力出せてたんやから、頑張ればすぐにそこまで取り戻せるやろ。なに、一番厄介なところは乗り越えたんやから、もう心配することはあらへんって」
「先生……」
その言葉は、一度ダメと言われて沈んでいた心にゆっくりと染み渡る。
そして、その意味を魔理の頭が完全に理解し、受け入れて――
「……はいっ!」
彼女は表情を引き締め、力強く頷いた。
――あとがき――
おキヌちゃんと小竜姫さまが一緒にいるシーンで、背景に向かい合う龍と虎が見えた人は手を挙げてください。
私もですorz
○1. 鹿苑寺さん
あの中に入ってたんですかい!Σ( ̄□ ̄l|) しかも華に踏まれてたのですか……ご愁傷様です。
おキヌちゃんの出番は、仕事パートに入るか、除霊委員とバッドガールズの親交がもっと深まれば、出番も増えると思います。今はその下準備期間なので、もう少々お待ちください。
○2. Tシローさん
魔法使いになってしまった陸上部顧問(32)の幸せを祈ってあげてください……(涙
○3. あらすじキミヒコさん
私は基本的に、文章を書く場合は漫画としてのシーン(必要ならコマ割りまで)を頭に思い浮かべてからそれを文章化するというプロセスを踏んでますので、表現が漫画的になるのは当然とも言えるんですよね。ずっとこれでやってきたのですから、上手になってなければ立つ瀬がないと言いますかw ともあれ、これが私のスタイルだということで一つw
○4. giruさん
すいません、弓vsユッキーは、詳しく描写しても面白味に欠けるので、適当に流させてもらいましたorz 漫画のコマに変換しやすい表現は、元々漫画のシーンを思い浮かべてから文章に変換してるだけなので、自然と逆変換もしやすくなってるんじゃないでしょーかw
○5. 無虚さん
確かにデートっぽくすればドタバタに出来たでしょうねw でも今回は主題が魔理の方でしたし、二回連続でドタバタってのも芸がないと思いましたので、小竜姫サイドの話は適当に終わらせました。小竜姫さまも大好きなキャラなので、この埋め合わせは必ずと意気込んでる今日この頃の私w
○6. 山の影さん
メゾピアノ……そんなに何回も出てこられても困ると思いますが、まあ一匹見かけたら三十匹とも言いますし……あれ、違いましたっけ? 石神の方はどうしましょうかねー。一応おキヌちゃんとご近所幽霊との親交は築いておいてますが、具体的なイベントはまだ何も考えてなかったり(^^;
○7. Febryaryさん
メゾピアノ、ギャグで昇天してしまいましたが、結構悲惨な終わり方でしたねー……冥福を祈っておきましょうw かおりはGS資格取得者の除霊を見に行ってあんなもん見せられちゃ、そりゃショックでしょうね。今後に影響出なければいいんですがw
○8. チョーやんさん
弓さんから聞いていたかどうかはわかりませんが、今回おキヌちゃんは横島と小竜姫さまが二人っきりになるのを阻止してます。それが天然のものなのか、狙ってのことなのかは、読者の判断に任せますがw ユッキーと弓さんの関係はまだ始まったばかり。どう関係を育てていくかは、今後じっくりやっていきたいと思います♪
○9. 117さん
魔法使いになっちゃった陸上部顧問(32)の幸せを祈ってあげてください……
とまあそれは置いといて、やはり日常の積み重ねはいざって時の感情の発露の正当性にも繋がりますから、おろそかにはしたくないですねー。そして、そんな前回のお話を「読んでいて疲れない」と評価していただきありがとうございます。書いてる本人は色々四苦八苦してましたが(^^;
○10. 秋桜さん
まあ色々あって原作以上に濃い除霊になっちゃいましたw これからも合間合間に日常編を入れようと思ってますので、楽しみに待っていてください♪
……でも、実を言うと私、日常編よりもバトルとかそっち方面の方が得意だったりするんですが(^^;
○11. アシューデムさん
面白いとお褒めいただき、ありがとうございます♪ これからも「意表をつく」をモットーに頑張っていきますので、よろしくお願いします♪
ちなみに小竜姫の名前ですが……そうですか。中国では「小」姓って有り得ないのですか……知りませんでしたorz でも言い訳じみたことを言わせていただけば、この作品の場合単に「人間の名前っぽくした」ってだけの話なので、リアリティは特に重要じゃなかったりするんですw
○12. ワールド ワールド ワールドさん
いや、JOJOは特に意識してませんが(^^; GS原作に準じてやってるだけですしw しかし、前回の話でキモかったというのは、どこを指しているのでしょうか? 魔法使いのことでしたらキモいと言わずに同情してあげて欲しいところですし、筋肉熱地獄のこと言ってるんでしたら、そのキモさゆえに除霊されてしまったと哀れんでやってもらいたかったです。
ちなみに横島の学校に奇人変人が揃ってると言っても、某トトカンタ市の変態率に比べたら序の口かと思いますw
○13. 内海一弘さん
タイガーの女性恐怖症は、すっかり忘れてました(汗) というか、原作でもこの辺ではすっかり忘れ去られてる設定だったりするんですよね……さすが虎、存在どころか初期設定さえ忘れられてしまうのですか(マテ
○14. lonely hunterさん
もしかして外国の人ですか? 翻訳しながらの読破、相当大変だったと思います。お疲れさまでした。……そういえば、おキヌちゃんヒロインの長編ってあまりないですよね。短編や中編なら結構あるみたいですけど。
これからも応援よろしくお願いします♪
レス返し終了~。では次回、久々の番外編でお会いしましょう♪ 小竜姫さまの高校生活をダイジェストでお贈りする予定ですw
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