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「スランプ・オーバーズ!36 (GS+オリジナル)」

竜の庵 (2008-04-06 19:22)
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 ひんやりしている。

 まず、そう思った。

 床材としてリノリウムは汚れが付着しにくく、衝撃にも強くコスト面も優れている。まるで床に貼るのを前提としたかのような素材だ。

 マリアはじっと床を見ながら、しかし、と小首を傾げて呟いた。


 「膝小僧には・悪いと思います」

 「馬鹿ロボット馬鹿ロボット馬鹿ロボットーーーーーーーーっ!!」


 東京デジャブーランド守衛室。

 ロープで縛られ、部屋の隅でちょこなんと正座させられているマリアは、膝の上で非難の声を上げる簀巻きの仔狐に視線を落としてから、改めて前を向いた。遠くからは人の歓声と音楽が聞こえてくる。


 「どこが完璧な作戦よ!? 物凄いあっさり捕まったじゃないの!!」

 「それについては・弁解のしようも・ありません。まさか・切符売り場に・あのような・装備が・常設されているとは・マリアも予想外でした」


 彼女達はタイミングが悪かった。
 デジャブーランドの警戒態勢は、マリア到着寸前になってレベルが最大にまで上昇していた。言うまでも無く、オカルトGメンからテロリスト侵入の通告があったためだ。
 過去の事例から、デジャブーランドの従業員には不審者に対する教育が徹底されており、高速で飛来するマリア達はこの上なく不審者でしかなかった。
 オペレーションSUTは、正門ゲートを突破することもなく失敗した。
 恐ろしくファンシーでメルヘンな模様の捕縛網が切符売り場や正門のそこら中から一斉に撃ち込まれ、為す術も無くマリアとタマモは御用となった。
 突然門前で繰り広げられた捕り物劇は、サプライズイベントとして観客の拍手を誘い、喜々とした係員の手によって彼女達はランド内へと、簀巻きのまま搬送されたのである。


 「しかし・結果的に・内部への侵入を・果しました。ミッション・コンプリートでは」

 「侵入の意味分かってる?」

 「恐らく・オカルトGメンから・知らせを受けて・警戒レベルが・引き上げられていたかと・推測されます。そんな中に・飛び込んでしまった我々は・正に」

 「………正に?」

 「鴨が葱を・背負ってきた?」

 「飛んで火に入る夏の虫よ!!」


 正気か冗談か受け取りにくいマリアの台詞に、思わず反応してしまうツッコミ体質のタマモであった。


               スランプ・オーバーズ! 36

                    「対峙」


 「君は何をしてるんだ一体…」


 数分後、守衛室に現れたのは呆れた様子を隠そうともしない西条輝彦だった。大人しく正座したままのマリアを、半目で見下ろしている。

 「お久しぶり・です。ミスター・西条」

 「理由があっての行動なんだろうね?」

 タマモは勿論、マリアも身分を証明するようなものは持っていない。マリアは存在そのものがある種の証明ではあるが、公的に通じる類のものでもない。
 西条達がこちらに向かっていなければ、守衛からの通報で逮捕されていただろう。
 マリアは西条が仁王立ちに構えているのを見上げ、意味有りげに視線をその背後へと巡らせてから、彼の顔を仰ぎ見た。訝しげに眉を寄せる西条に、ゆっくりと語りかけるように話し出す。

 「…マリア・一刻も早く・仕事に復帰・したかったのです。ドクター・カオスによる・メンテナンス及び・改修作業で・マリアの対霊装備も・充実しました」

 「新装備を試したかったとでも言うのかい?」

 「…既に・マリアのセンサーは・魔填楼関連と思しき反応を・捉えています。ミスター・西条の・お役に立てる・かと」

 見鬼くんに代表される霊波追跡装備は、高級になればなるほど感度は上がるがその分、繊細な操作が要求される。持ち手のセンスによっては宝の持ち腐れになるケースも多い。
 どんな霊波を、どれだけの範囲で追跡するのか緻密なセッティングを行うには、相応の経験が必要だった。

 「簡単に言うが、本当か? 僕らも魔填楼が既に園内に侵入している旨は突き止めている。だからこそ出張って来た」

 「オカルトGメンの・データベース上にある・残留霊波データ数種類と・照合した結果・現在・園内及び周辺に・該当霊波は・複数存在しています。その数・およそ」

 西条が用意してきた装備は、どれも一流のものばかりだ。扱うのも唐巣神父や小笠原エミといった一級のプロだから問題は無い。
 が、人材が限られている以上、対象を絞り込むには時間がかかる予定だった。増援を待ちつつ虱潰しに園内を捜索して、少しでも捜索範囲を狭めるのが先遣である西条の仕事だ。

 「百数十」

 「ひゃくっ…!? 確かなのか!?」

 「定点から・動きのないもの。緩やかに移動・しているものを含め…いえ・訂正します。その数は・二分前の・観測時より・上昇を続けています」

 「増えている…? もしかして、例のイベント参加者に予めなにかアイテムを配っているのか…」

 西条は移動中に美神美智恵から、アングラサイト主催の危険なイベントのことを聞いていたため、告知がされていたというHPは見ていない。しかし、参加者を見分けるために、何か魔填楼印のオカルトグッズが配布されている可能性は高かった。
 最悪、魔装薬そのものが配られている事態も有り得る。
 正直な話、マリアの索敵能力は渡りに船ではある。只でさえの人員不足だ、活用しない手は無い。

 「迅速な対応が・必要かと。是非・マリアにも・お力添えを・させて下さい」

 「勿論、そのつもりだ。君がどうして強行突破なんて柄じゃない真似をしたのか…本当の所は、この事件が終わってから事情聴取させてもらう。未遂とはいえ犯罪だからね」

 「恐れ入ります・ミスター・西条」

 「全く…『たった一人』で何を考えて…まあいい。じきに令子ちゃん達も来る。君のセンサーで具体的な位置まで特定できるかい?」

 「イエス。地図を頂ければ・マークします」

 「用意させる。悪いが当面の間、僕の指揮下に入ってもらうよ。いいね?」

 「………ミスター・西条。指揮下に入るのは・マリア一人・ですね?」

 「? ああ。先生が来たら彼女に指揮は代わるが」

 「了解・しました」

 マリアの膝の上には、解けたロープの束が置かれている。
 西条は、全く気付かなかった。
 自分の横を、入れ違いに出て行った少女の事を。
 その様子をマリアは、まさしく『狐に化かされた』ような思いで見送った。
 ある種の幻術だとは思うが、マリアには解析しようがない。化かされた西条本人すらも、その事実を認識していないのだから。
 数ヶ月に及ぶ旅で、タマモもバージョンアップを果したのだろう、とマリアは開けっ放しの守衛室のドアを見て思う。
 その力が親友のために振るわれるのならば…まあ別に西条に言わなくてもいいか、と放置する事にした。
 実際、自由に動けるほうが都合が良いだろうし。
 何も知らない疲れ気味の西条には悪いが。

 (………ミス・シロを…お願いします)

 解かれたロープを膝上の分と纏めて守衛さんに渡し、マリアはタマモの成功を祈るのだった。


 もうすぐ昼時を迎えるデジャブーランド内は、親子連れ、カップル、団体客といった定番の客層は勿論の事、明らかにナンパ目的でうろついている若い男共、疲れきった様子でベンチに深く腰掛ける中年男性と…雑多な人々に溢れている。
 守衛室から抜け出したタマモは、いつもの少女姿で園内を歩いていた。この人混みでは狐姿のほうが行動はし易いのだが、如何せん目立つ。流石の夢の国でも、本物の狐が駆け回っていては不審がられるだろう。

 「………もう! 人間多すぎ…」

 シロの霊気を追おうにも、狭い範囲に人間が密集しているテーマパークでは、痕跡が重なり合って濁してしまい、霊気を特定し難い。
 幾ら犬神の霊感が鋭いとはいえ、シロ一人の痕跡を探し出すのは至難の業といえた。
 それでも、タマモは神経を集中して人外の匂いを見極めようと目を細めた。
 しかし、道の真ん中で立ち止まるとこれはいかにも邪魔である。きょろきょろしながら歩く客の肩がぶつかったり、ベビーカーに足を轢かれたりと散々だ。
 仕方なく人の流れから外れた街路樹の下で一息吐き、再開しようとすると…

 「わ、ふっ」

 「あ、ごめんなさい!」

 目を閉じた鼻先に、軽い衝撃と共に何かがぶつかった。つんと漂うのは、ゴムの匂いだ。
 タマモが目を開けると、ふよふよとマッキーキャットを模した赤い風船が漂っていた。小学校低学年くらいの女の子が、慌てて紐を手繰って鼻先から退かせる。

 「風船…」

 「お姉ちゃんも欲しいの? 向こうでロナルドが配ってるよ! じゃあね!」

 女の子が走り去っていくのに目もくれず、タマモは彼女の指差した方向にいたロナルドドッグを見やっていた。
 メガネの少年との思い出が、少しだけ今のささくれた感情を柔らかくしてくれる。
 あの時交換した風船はすっかり萎んでしまったが、タマモの数少ない宝物の一つとしておキヌにプレゼントされたポーチに入れてあった。

 「…あ。そういやあのポーチ…!」

 うっかりしていた。とても大事なものだったのにも関わらず、ポーチはあの山奥の塒に捨ててきてしまった。事務所の名刺を取り出してそのままである。


 『はいタマモちゃん、プレゼント! 絶対似合うと思って』

 『んー? …かばん? くれるんなら貰うけど…』


 淡白な反応だったが、受け取って匂いを嗅いだり金具にてこずったりするタマモを、おキヌは微笑みながら見ていた。こちらが気恥ずかしいくらいに、ニコニコと。
 ズキリと胸が痛む。

 何もかも、そう何もかも。

 黒衣の老人…伝馬業天のせいだ。

 タマモは怒りを湛えた瞳で周囲を見回した。伝馬本人が簡単に見つかるとは思っていないが、何か大きな事をしようとしている以上、どこかに必ず手掛かりはある。
 タマモの霊感、超感覚は一瞬の閃きが命だ。単に霊波を追うだけではなく、もっと広い視野で整合性を求め、一般人には理解出来ない些細な違和感を感じ取り、通常とは違うベクトルで相手を追える。
 風船を配るロナルドドッグの周りには、子供を中心に人だかりが出来ている。前に訪れた時は売り物だったと思うが、今日は無料のようだ。手を一生懸命に伸ばす子供達に、次々と風船を手渡している。
 ロナルドの奥の売店前では、ストリートパフォーマーの集団が演技を披露している。ジャグリングや一輪車乗り、定番といえば面白みに欠けるが、遊園地の空気が、足りない華やかさを補っている。
 更にパフォーマー達の背後では、一人のピエロがおどけた小芝居をしていた。何も無いところで転んだり、ちょっとした手品で花を取り出したり。観客を見回したかと思うと、その花を渡したり、逆にチップか何かを受け取ったりも。
 が、如何せん地味である。
 客達もパフォーマーやロナルドの方に多く集まっており、見た目の派手さとは裏腹に紅白模様の衣装が煤けて見えた。

 「………道化師か。ヨコシマを連想しちゃったけどいいよね…ん?」

 タマモは人混みに紛れるようにして、そのピエロに近づいていった。たった今目撃した光景に、超感覚の何かが引っかかった。
 ロナルドやジャグラーに目もくれず、タマモは目当てのピエロへと近寄り、素知らぬふりで彼のパフォーマンスを眺める。

 (………ふーん…なるほど)

 数分、じっと観察を続けたタマモは軽く目を細めると、その場を離れた。
 犬神というよりは、猫を思わせる笑みを浮かべている。

 (さて、さっきは上手くいったけど…ここじゃ難しいわねー)

 タマモは再び最初の木陰へと戻ると、腕を組んで木に凭れ掛かった。周囲の人混みは常に流動を続けており、一本の大河のようにうねりを上げている。
 先ほどの観察である確信を得たタマモだったが、この衆人環視の中特定の一個人に幻術を仕掛けるのは難しい。下手に動いて敵側に気付かれては、マリアを置いて単独行動に出た意味が無い。まあオペレーションSUTを敢行した時点で、彼女が人目につかずに済む訳も無かったが。
 守衛室で西条を欺いた術も、視線の檻状態であるここでは使えない。
 となれば、残る手は一つ。
 人の来ない場所か個室…と考えて、タマモは手近の女子トイレへと向かった。


 目の前で嗤う老人と行動するようになって、暗闇の怖さが薄くなった気がした。
 暗闇は夜に通じる。
 しかし、伝馬業天の纏う闇は月の神々しさを連想する夜闇と違い、どこか禍々しい。

 「順調、ですかな」

 背後で佇むシロに問いかけるでもなく、伝馬は闇を零すように呟いた。

 「最初の種さえ蒔いてしまえば、後は芋づるです。いやいや、楽しくなってきました」

 そう言って水気の無い手のひらで乾いた拍手を虚空に捧げ、伝馬はまた嗤った。

 「皆さんの様子はどうですか? シロ…ああっと、魔犬どの?」

 「…初期配置は済んだ。いんたーねっととやらで集めた人間も、徐々に増えている」

 窓の無い地下室のような暗い部屋で、二人は様々なモニターに囲まれている。シロは見ていろと言われた緑色の画面に、光点が増えていくのをそのまま報告していた。仕組みは全くもって不明だが、どうやら魔填楼印のアイテムを持っていると映るシステムらしい。
 もうほとんど感情の消えているシロには、どうでもいいことだ。

 「園内に十二…園外に二十四…石の配置はこれで完璧。虎の子の隠形札を大盤振る舞いしたお陰で、オカGにも悟られずに済みましたな。少々サイトで派手な宣伝をしましたが…まあ、後の祭りでしょう。…隣のモニターはどうです?」

 「………反応はあるが」

 「…ほう? それはそれは…日本のGSは確かに鼻が利くようです。お仕事の時間が近づいていますよ、魔犬どの」

 シロの仕事即ち…汚れ仕事だ。生気の欠けた瞳で頷いてから、シロは部屋を出た。園内とは打って変わって無機質で温かみの無いコンクリの通路が、左右に延びている。
 東京デジャブーランドの地下に広がる管理区。
 メンテナンスにしか用いられない通路の一角を、伝馬は堂々と借用していた。無論、監視の目や霊的な探査からも逃れられるよう、仕掛けは施してある。これまで何十年も同様の設備で各国警察の目を欺いてきた実績が、如何なく発揮されていた。

 「…………………拙者は………」

 自分の内でずっと瞬く月の光が、シロの思考を曖昧にする。
 何故ここにいるのか。
 何故人を斬るのか。
 今はもう、何も考えられない。
 ただ、瞬きだけが行動を支配している。逆らってはいけないんだ、と反射的に身体が動く。
 時折、閃くように人の顔が思い浮かぶ事があった。バンダナを巻いた少年や、生意気な顔をした同世代の少女…抗えない雰囲気を醸し出す栗色の長髪の女性…
 胸の内にぽっ、と温かみが灯るような気持ちが、それらと一緒に生まれては消えていく。
 地下区画の広さはマウンテンの開業に伴って、複雑さを増していた。全域で活動するマッキーやロナルドといったロボットキャラクターの保全は勿論、緊急時の避難通路、迅速な資材搬入にも活用されるため、自然と出入り口の数は増えてしまう。
 シロは茫洋と、けれど機械的な動作で人目につかないルートを地上へと進んでいた。

 「あ」

 「うは、出た……こいつが魔犬か」

 と、曲がり角でシロと出くわしたのは二人のピエロだった。道化の仮面を被ってはいるが、纏っている雰囲気は伝馬のものに近い。
 彼らは無表情でこちらを見上げるシロを、気味悪げに眺め回した。

 「目の焦点合ってねえな…大分イカれちまったか」

 「薬か」

 「人狼に良く効く麻薬だっけか…怖ええな伝馬様は」

 魔填楼に従業員はいない。だが少し顔を利かせれば幾らでも人間を雇うことは出来た。伝馬と同じく、日陰の住人はどの国の下にも存在するのだ。
 言葉を発せず、ただ立ち尽くすシロを最初は不気味がっていた二人のピエロも、自分達に無害だと分かると口許をニヤけさせて顎に手を掛けたり、肩から二の腕に指を這わせたりと段々遠慮が無くなっていった。

 「おいおい…お前ロリコンかよ」

 「はっ…今のこいつならロリっつーか人形だろ。んなもん抱く趣味はねえよ」

 「こんななりして、凄腕の人斬りなんだよな…ま、俺らも伝馬様の計画さえ成功すれば変われるか」

 「とっとと追加の魔装薬もらって、ばら撒いちまおうぜ。俺も手からビームみたいの出せるようになりたいぜ」

 「霊波砲だっけ。ああ、悪魔だから魔力砲?」

 「どっちでもいいさ。じゃあな、魔犬の嬢ちゃん」

 何をしても無反応なシロに飽きたのか、好き勝手に喋った後、ピエロ二人は去っていった。
 触れられた部分、語られた言葉の全てを一瞬で忘れ、シロはまた歩き出す。

 「拙者……は………」

 また人の顔が心に浮かんだ。
 銀色の中に、一房の紅色が混じる独特の頭髪。幼さの残る少女の顔。
 紛れも無くシロ自身の顔だった。

 「拙…者………は…誰だ……?」

 『人斬りの魔犬』。
 ああそうだ。
 自分は単なる愚者だった。
 斬ってはならぬものを斬り捨て、仮面の奥に全てを封印して逃げ出した愚か者。

 「……そう、だ…拙者は…魔犬…」

 明滅する月光と、覚束ない足取りが、シロを苛む薬の強さを物語る。
 自ら抵抗を放棄した部分を差し引いても、産月の長石が齎した効果は絶大だ。
 長期間にわたる催眠の負担でシロの精神は喰われ侵され、崩壊寸前にまで陥っている。このまま濃い月光の照射を続ければ間違いなく…

 「魔犬……い、ぬ……」

 そうだ。
 自分は犬。
 あの時、あの山の廃屋で掛け替えのない相棒を斬り捨てた時、シロは犬塚シロからただの魔犬へと堕ちた。
 だが当時の記憶も既に曖昧だ。
 斬ったのが誰だったのか、それすら靄がかかってしまっている。

 「犬…は…犬らしく…命令を…聞けば…いい」


 「はん。とうとう心まで馬鹿犬になったみたいね」


 野太い男の声が、耳鳴りのようにシロに届いたのは…その時だった。


 「狼の誇りはどこにいったの? 捨てたの?」


 反射的に、シロは霊波刀を展開して殺気を漲らせた。彼女の仕事は邪魔者の排除と、不審者の駆除だ。地下の辺り一帯は伝馬の掌握下にある筈で、姿も見せず声ばかりを響かせるこの声の持ち主は、どう考えても後者に属する。
 通路全体に反響する割に、伝馬の息の者が駆けつける様子がない。シロは自分を包む緊張感に細く息を吐き出した。

 「何者…」

 「似合わないわね…そんなあんた」

 声と同じく、霊気を探っても漫然として捉えどころが見つからない。じりじりと伝馬のいる司令室から遠ざかりつつ、シロはますます集中力を高めていった。明確な相手さえいれば、自分を苛む月光の疼きも忘れられる。

 「なにそれ? 狩りでもしてるつもり? そんな殺気駄々漏れで? 馬鹿にしてんの?」

 「煩い……」

 「違うでしょうが。人狼の狩りはもっと気高いもの。命を奪う代わりに命を賭けてその場に臨む。敬意をもって獲物と相対する…あんた、自分で言ってたじゃない」

 「煩い……!」

 声に聞き覚えは無い。無いが、無性にイラついてくる。
 シロは奥歯を噛み締めながら、ひたすら殺気だけを研ぎ澄ましていった。己の放つ殺気の切っ先だけでも触れれば、相手に傷を負わせかねない程の濃密な殺気を。
 声の主は嘲笑うように続ける。

 「あんた、その姿…ヨコシマに見せる気?」

 「!! 煩いぃぃぃっ!!」

 ヨコシマ、と告げられた名前に心の月光が激しく明滅を繰り返す。忘れろ、と悲鳴を上げる。
 名に引き摺られて、封じられている気持ちが浮かび上がりそうになる。
 慕う気持ちが。
 想う気持ちが。


 「黙れええええええええええええええっ!!!!」


 全てを掻き消すべく、月光が、伝馬の暗い声が誘うままにシロは純白の魔装術を纏い、咆哮を上げて周囲を霊波刀で薙ぎ払った。
 通路の壁や天井が斬撃の嵐に巻き込まれ、壁を這うパイプやケーブルごと両断されて蒸気や火花を撒き散らした。
 警報が鳴り響き、砕かれた蛍光灯の代わりに非常灯の淡い明かりが周囲を照らし出す。シロの背後で怒号と足音が近づいてくるのが分かった。

 「…それに何よその格好………腹でも切る気? …馬鹿犬! 大馬鹿犬!!」

 「!?」

 声の質が、喧騒の中で変化した。男から…年若い少女へ。
 月光が狂おしく明滅しても、伝馬の声が握り潰そうと締め付けても…心から絶対に消えないその声。
 シロが立ちすくむその先、蒸気の壁が遮る向こう側で気配が動いた。

 「まさ、か…?」

 まず現れたのは、呆けたような表情の一人のピエロだった。
 ふらふらと曲がり角から姿を見せた彼は、そのまま向かい側の壁に頭から激突してぶっ倒れ、気絶してしまった。
 そして。

 「………ああ、ああああ…!?」

 次いで現れたのは、似たような背格好のピエロだった。蒸気が噴き出すパイプを砕けたコンクリ片で無理矢理塞ぎ、視界をクリアにする。
 騒音も何もかも耳に入らず、シロはただ彼を見ていた。
 姿形など、全く関係ない。
 ピエロから漂う『彼女』の霊気、『彼女』の気配。
 有り得ない筈の、再会。


 「…タマ、モ………?」


 「そうよ馬鹿。この馬鹿。何してんのよ馬鹿。ほんとに馬鹿」

 四回馬鹿を重ねて、ピエロは変化を解いた。ナインテールの少女の姿が、シロの視界を埋め尽くす。他に何も目に入らない。

 「それ、霊気の鎧? 悪趣味だっての。あんた、心の底から侍なのね…悪い意味で」

 言葉の端々に乗るタマモらしさが、シロにこの事態が現実である事を理解させる。月光の疼きは最大限にまで高まり、彼女の思考を奪おうとするが、それどころではなかった。
 タマモには見えない仮面の下で、シロの表情は歪む。

 「まあいいわ。取りあえず地上に出るわよ。言いたい事は腐るほどあるけど、後回し」

 周囲を見回して人の気配が集まりつつあるのを察したタマモは、シロへ無防備に近づいていった。

 ………タマモの姿が、どんどん近づいてくる。

 シロは、反射的に。

 「っとお!? 何すんのよ馬鹿犬!!」

 霊波刀を閃かせていた。

 「寄るな偽者……! 今更、その姿で拙者を…許さん……!!」

 胸元を掠めて通り過ぎていった刃には、確実に殺気が籠もっていた。紙一重の際どさで避けたタマモも、眦を上げて叫ぶ。

 「偽者!? あんたね、私がどんだけ苦労してここまで来たか…」

 「来るわけがない!! あの山を下りられる訳がない!! だって、だって…!!」

 拙者が、斬り捨てたのだから。
 最後の一文は、言葉にならなかった。
 脳裏に甦る斬撃の手応えが、幾夜もシロを寝かせなかったあの感触が、目の前で喋るタマモの形をした存在を許さない。

 「あくまで謀るのなら…いい、その姿のまま…刃の露となれ」

 「なっ…この、ほんとに………分かったわ。その腐って曇って歪んでねじれちゃったあんたの根性、焼き直してやる」

 「………」

 タマモはパイプに詰めたコンクリを蹴り落とし、再び視界を蒸気で隠した。シロが霊波刀を構えてその中へ突進し、蒸気を抜けると既にタマモの姿はどこにもない。

 『追ってきなさい馬鹿犬。外で待っててあげる』

 遠くから、遠吠えの声が聞こえた。通路の先、デジャブーマウンテンに続く方角からだ。
 シロは躊躇う事無く全速でタマモの後を追っていった。


 その頃地上では。


 「あ」


 西条と並んで歩いていたマリアが、ふと足を止めて空を見上げていた。今にも雨が降りそうな曇天だ。

 「どうした?」

 「……ミスター・西条。役者は・揃いつつある・ようです」

 「へ…?」


 マリアが見詰める先、白亜の城が聳えるその上空を…


 一頭の白い蝶が、羽ばたいていた。


 続く


 後書き

 竜の庵です。
 年度末は仕事が駄目ですね。時間がとれません…魔填楼編も佳境だというのに。
 ようやくシロとタマモが(問題ありつつも)再会し、また姉妹喧嘩を始めようとしています。もうしばらくお付き合い下さい。


 ではレス返しをば。


 わしカズ様
 復活と取られても仕方ないですな…この投稿頻度では。4月以降は少しペースアップの予定です。
 場面場面で大人数を描く能力がないので、キャラクター同士の絡みはもっと勉強しなくちゃです。楽しんでもらえるよう善処しますよ。


 木藤様
 えーと、次の冬季五輪は再来年ですか。若手の台頭に期待ですなー。
 究極で超人な某作品とは一切関係ないんですよ? 高速道路を自転車で突破したりバスガイドさんにバックドロップ喰らったり謎のモノリスを発掘したりしませんから!
 横島は長期間出さなくてもキャラがぶれないので、安心して放置出来ます。出番は…あー…うん。木藤様の期待に沿えるかは分かりませんが、もう決まってますよ。シロの窮状を考えれば、彼との対話は不可欠かと思います。


 February様
 SUTは遭えなく失敗に終わりましたよ。平時なら混乱してる内に突破可能だったでしょうが、現状では無理でした。社員教育を徹底するデジャブーランド。横島もそろそろ、ですかね。着々と出番は近づいてきてます。
 後の事を考えずに改装を重ねた結果、マリアのスペックは跳ね上がっているのです。カオスも測定したわけじゃないので、具体的な数字についてはこんなもんだろ、くらいにしか載せていません。データなんて幾らでも書き換えられる! とか思ってるのかも知れません。カオスだし。
 説明しよう! SUT中、頭上のタマモはマリアのアンテナを掴んで体勢を保ちつつ、後頭部にへばり付いて空気抵抗を最大限に減らしていたのだ! 九本の尻尾は千切れそうだったぞ!
 ぐはああああ・・・また脱字か…毎度毎度済みません。恥ずかしいなあ…くそう。


 月夜様
 ご自身の作品もありますし、お気になさらず。
 マリアは大改修を経て少しはっちゃけたような気がしますね。まだ壊れキャラとまではいきませんが、原作よりお茶目になってます。それと、マリアの重量が減っているのではなく、出力が増しているのだとご理解下さい。その辺、後々本編中でフォローする予定なんですよ多分。
 マリアのカオスへの対応も、上記の仕様変更で変わったような…世間の対応を学んだだけかもですが。
 横島&パピリオのお話も、シロタマのトーンが暗めなので挿入し辛くて…次の外伝も別キャラだし、どっかで描く機会があればと思います。出番少ないし。


 内海一弘様
 あの一行で某ロボットじゃないよアンドロイドだよを連想する内海様はもしかして同世代。
 決戦の地に辿り着くまでえらいかかりました…気合入れて最後まで描き切りたいと思います。どうぞよろしゅうっ!


 以上レス返しでした。皆様有難うございました。


 さて次回。
 ドンパチが始まります。いつも以上に視点変更が煩雑になるかも…

 っと、絶対可憐チルドレンのアニメも始まって、絶チル話の投稿も増えそうですね。喜ばしい限りです。


 ではこの辺で。最後までお読み頂き本当に有難うございました!

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