雲の上は当たり前だが晴れ渡っていた。
一面の白雲の所々に、波を思わせる角が立っている。まるで良く混ぜられたホイップクリームのような、滑らかさすら感じられる自然の造形物だ。
その穏やかな海面の下から、徐々に浮上してくる影があった。既に雲の中には突入したようで、白雲に滲む影は濃さを増して空へと上がってくる。
ぼふん、と間抜けな音がして、雲が波飛沫を立てた。飛び出したのは雄大な雲海から見ればとても小さな、一つの人影だった。
が、勢いを殺しきれず、細かい姿勢制御を両手を振って行う彼女は…
「………概ね・把握しました」
一週間ほど前、予期せぬ完全改修を終えて異界から美神除霊事務所へと帰還したはずのアンドロイド…マリアだった。
全身が煤けて、表情に疲れが窺えるのは何故だろうか。
「付与データと・実機スペックとの誤差修正率…100%。ドクター・カオスにデータ送信………」
適度にジェットを吹かしながら、器用に雲上でホバリングするマリア。上目遣いで少しだけ静止した後、小さくため息を吐いた。人間のように体内のもやっとしたものを落とす仕草が、やけに似合っている。
「ドクター・カオス………後で・きっちり釈明して・頂きます。お陰で・いらぬ手間を・かけてしまいました」
本来であれば、異界でのちょっとした父子の感動シーンの後、直ぐにでも美神達と合流するつもりだった。
が、異界からゲートを潜って地上へと飛び出した瞬間、マリアは異変に気付いた。
身体が、異常に軽い。
カオスによるメンテナンスは、単なる補修に留まらない。メンテ明けの身体がいつもより軽く感じるのは毎回の事で、驚くには値しない。
けれど、今回は桁が違う。まるっきり別スペックの機体になったような気がした。
「…危うく・成層圏を突破する・ところでした………」
今までの航法データがまるっきり役に立たないのを知らずに、マリアは全力で空へと舞い、地球の丸さを実感する高さにまで到達してしまった。流石の彼女も、落ちたことはあっても自力でこの高さまで昇ったことは無い。というか出来なかった。
慌ててマリアは新ボディのデータを洗い直し…実測値との差に思わず口がぽかんと開く始末だ。
因みに、そのデータを添付したのは勿論カオスであり、マリアの脳裏に薄っすらと殺意っぽいノイズが走ったのは、人工魂の進化の賜物ではなかろうか。
ともあれ、こんな状態で事務所に帰れば、迷惑をかけるに決まっている。
人間の中で生きる以上、マリアにとって力加減は最重要課題だ。
魔填楼事件の捜査で、てんてこまいになっているだろう第二の我が家に一刻も早く応援に向かいたいが、まず自身の不備を是正しなければ。
帰りたい気持ちをぐっと堪えつつ、その分の鬱憤をメモリー内『カオスへの忌憚の無い意見ファイル』に纏めて保存しながら…マリアはデータ修正作業を始めた。
「………でもこれで・帰れます。チリを・抱き締めても…傷つけずに・済みます」
昔とは違い、今のマリアには触れ合える仲間が大勢いる。そうした仲間達と共にいるためにも、この作業は必須である。
「やっぱり後で・ドクター・カオスはお仕置きです。忙しい時期だと・理解していながら・私の事にかまけてしまう・など…」
カオス自身もWGCAで大きなプロジェクトを任され、かなりの責任ある立場にいるはずなのに、だ。
「………」
…無論、マリアとてカオスが彼女の事を第一に想って行動したのは分かるので、あまり強くは言えない。
結局、マリアの悪感情は人工魂にも、メモリーにも刻まれること無く澄み渡る青空に拡散してしまった。
「早く・帰りましょう…………と・この反応は…」
ジェット燃料の残りも心許ない。カオスメンテで燃費は劇的に向上したが、燃料自体にも手が加わっているため、使い切った後の補充が少し面倒臭い。増槽の分はいざという時のために残しておきたいし。
そう思って高度を下げると、マリアの霊波レーダーに強い反応が生まれた。
地上を跳ねるように駆け抜けていく、一つの大きな妖気。
雲を抜けると、地上は高速道路と一般道が並んで東西に伸びている、東京郊外の田舎の風景だった。妖気の源は、足取りを時折乱しながらも力強く道路沿いに東へと進んでいる。
マリアは少しだけ思案すると、事務所方向から眼下の妖気の方へと体を翻した。
「…マリア・事務所の家族です。あの方の事も・放ってはおけません」
ジェット噴射の炎を一段と大きくして、マリアは空を駆け降りていった。
ナインテールを揺らして走る、必死の表情の少女目掛けて。
スランプ・オーバーズ! 35
「目的」
走るのなんか、大嫌いだ。
なんであいつは…こんなことが楽しいのだろう。
頭と胸の奥でぐるぐると渦を巻き、一向に晴れる気配を見せない気持ち悪さを抱えたまま、タマモはひた走っていた。
ついさっきまでタマモは事務所の隣、オカルトGメン日本支部で魔填楼対策会議に参加していた。本来なら真っ先に彼女は質問の矢面に晒され、しんどい思いをする筈だったのだが、神族調査官ヒャクメというこれ以上ない戦力が加わったためにタマモへの質問は後回しにされた。
それでも、こうして本部を半ば脱走気味に飛び出して現場へ向かっていい立場ではない、はずなのだが。
何だか、居心地が悪かった。
自分の居場所が、分からなかった。
先日、屋根裏部屋で目覚めた時、部屋からは見知らぬ霊気の残滓が漂ってきた。尻尾を抱えて離さない双子の少女とは、別の妖怪のものだ。
自分の部屋だった場所は、帰るべき家だったそこには、既に新しい家族が住んでいた。自分の匂いはどこにも残ってはいなかった。
半年以上も空けていたのだから、仕方ないといえばそれまででも。
複雑な思いが消化しきれずにいた。
(ふん………別に、何だっていいわよ)
心中に生まれて、持て余すしかない気持ちを誤魔化すためにも、タマモは駆け足を更に早めていく。
今は自分の事より、シロだ。早く見つけてやらないと、彼女はきっと壊れてしまう。
幸い東京デジャブーランドには行った事がある。ちょっとだけ甘酸っぱい思い出もある。
だから尚更、伝馬が許せない。
楽しくて嬉しかったあの空間を汚そうとする存在に、タマモの怒りは収まらない。
(最悪、殺す…っきゃ!?)
ここしばらく、そうした冷たい感情とは無縁で過ごしてきたタマモ。
呟いた言葉の凍えるような重さに、細く小さな息を長々と吐き出した。走る足が縺れ、道路脇の草むらへ投げ出されるように倒れてしまう。
「いったー………あ? あれ、何……?」
一度倒れてしまうと、身体が予想以上に疲弊しているのを自覚してしまい、起き上がれない。ころんと仰向きになって、空を見上げた。
…すると必然的に、みるみる近づいてくる謎の人影も視野へ入る。
「え?」
まるでジェット戦闘機のような爆音と、タマモの狐火よりも明るい炎を吹き出しながらそれは近づいてきた。
まるで減速する様子もなく、空から。
「え、え、ええええええええええええ!?」
しかも、狙いは紛れも無く自分である。一直線だ。
「ちょっとおおおおおおおおおおおおお!?」
火事場の何とやらだろうか。言う事を聞かなかった脚が嘘のように躍動し、タマモを謎の人影Xより遠ざける。跳ね起き、駆け出すまでコンマ数秒の世界だ。
直後に飛来したXは地面スレスレを舐めるように滑空し、幾分わたわたしながら姿勢を整え、草むらに焦げ目の帯を数メートルに渡って残した地点で着地した。
絶句するタマモに振り返り、彼女は控えめに両手を左右に水平に伸ばし、腰を僅かに落とすと無表情に言った。
「………テレマーク」
「出来てないわあっ!!」
スキージャンプの着地姿勢を取るXに神速でツッコミを入れたタマモは、彼女に見覚えがある事に気付き、警戒心を強めて問い質した。
「…あんた、確か…カオスとか言う爺さんの人形…」
「イエス・ミス・タマモ。お久しぶり・です」
タマモが美神の事務所に居候するようになって、何度か彼女とその保護者らしい年寄りと会ったことがある。現場は様々で、仕事先でかち合ったり、カオスがマリアを充電させに訪れたり、およそライバルとも仲間とも言い難い付き合い方をしているのがタマモには不思議だった。
まともに話した事は少ないが、言葉少なで無表情の彼女の雰囲気はなるほど人形っぽいと一人で納得したものだ。
「………私に何か用? 急いでるんだけどさ」
「少々・お待ち下さい」
「はあ? ちょっと…」
「………オカルトGメン・データベースより・最新データ・ダウンロード完了。最終更新日時は・今朝ですので・情報鮮度は良好」
「一人で何を…」
「ミス・タマモ。ミス・シロが・東京デジャブーランドに・おられるのですね?」
まっすぐにタマモを見つめて、マリアは言った。淡々と、事実だけを確認している素振りだ。
マリアの足元に、狐火が爆ぜた。
「だから何? 邪魔するのなら、悪いけど壊すわよ。人形の壊し方はね、良く分かってるんだから」
手のひらの上に小さな、けれど苛烈に燃える火球を維持したまま、タマモは眼光鋭くマリアを睨みつける。
だが言葉が示すほどの強さは、実際残っていない。事務所の方からここまで走り詰めで、体力霊力共に空っぽに近かった。
「いいえ・貴女を止めに来たのでは・ありません。今のマリアは・同じ事務所の仲間…家族です。ミス・タマモの・力になりたい」
「はあ? あんた、ご主人様を裏切ったの? カオスはどうしたのよ」
「現在は・別行動中です。裏切りでは・ありません。貴女と・ミス・シロが事務所を離れたのと・同じような理由です・きっと…」
タマモがシロと共に旅立った元々の理由は、公言するのも恥ずかしいものだ。だが旅を続ける内に、そしてシロの目指すものに触れる内に…タマモの中にも目的のようなものが芽生えた。
「………うるさい。分かったような顔するな。どうでもいいのよ、私の事なんか! そこを退きなさい!!」
今の自分に、その頃の想いまで抱える余裕は無い。タマモは頭を強く振ると、手の中の炎をマリアへ叩き付けた。これ以上、したり顔を見たくは無かった。
狐火は狙い違わすマリアの紫色のドレスに着弾し、瞬く間に火の粉を散らした。
「って、え!? ちょっと、避けるとか防ぐとかしなさいよっ!!」
「ノー・プロブレム」
確かに火の粉は派手に散ったが、それは狐火自体が砕けた証拠だ。普通に喋るマリアの体表は愚か、衣服も焼けてはいない。全く霊力が込められていなかった。
軽く埃を払うように胸の辺りを叩くと、くすぶっていた小さな火も消えてしまう。
タマモは拍子抜けしたのと同時に、自覚する以上に消耗している事実を認めざるを得なかった。これでは、現地に着いた所で何も出来はしない。
「…なんか見切られてるみたいで気持ち悪いんだけど、疲れてんのは事実か…で?」
「で・とは?」
「分かるように順を追って説明しなさいよ。あんたが何でここにいたのか、事務所のなか…一員とか言ってんのか。ついでに、おキヌちゃんにくっついてた変なガキ共の事とかも全部」
山中で意識を失い、事務所で目覚めてからこっち…人工幽霊一号に、タマモとシロが不在時に起きた出来事のあらましは聞いているが、マリアやショウチリが加わった経緯は知らされていない。
周りに気を配る余裕が無かったのだろう。
怪我から回復して思考が鮮明になると、タマモは今朝の会議中からずっと考え込むようになり誰の声にも反応しなくなった。シロを一刻も早く伝馬から取り戻すこと、そして自分の罪を、シロの誤解をはっきりさせること。
極論してしまえば、この問題は自分とシロ、魔填楼の間だけの話で美神達とは無関係だと思っていた。
少し頭を冷やす必要があるようだ。タマモは草の上に腰を下ろすと、無言でマリアの話を促した。
「それでは・分かる範囲で・ご説明を…」
人工幽霊一号やマリアの話は主観が強く入らず、聞き手に配慮しているため疲れた頭にも負担にならずに済む。これが下手に美神や横島のような人間に頼むと、異常に疲れたりするものだ。
マリアの話を聞きながら、どんどんカオスっぷりに拍車がかかる事務所の現状にため息が漏れる。人外の坩堝にも程があるだろう、程が。
「……簡潔に纏めると・以上のように・なります。ご理解・頂けましたでしょうか?」
「…ミカミさんにヨコシマ、おキヌちゃんにあたし、シロに…その、ショウチリって付喪神の兄妹、そしてあんた。大所帯になったものね」
「誰もが望まれ・必要とされたからこその・布陣だと思われます。…皆さん・貴女とミス・シロの事を心配して・おられました」
「………」
魔填楼事件は根が深い。
シロのみならず、妙神山ではかの竜神、小竜姫にまでちょっかいをかけたという。しかもその現場におキヌもいて、命の危険すらあったと。
タマモは正直、己の復讐にも似た気持ちの整理が付けられれば、他の犠牲者などどうでもよかった。
けれど、こうして身近な存在にまで牙を剥く魔填楼の悪意を知り、憤りを覚える自分も確かにいた。
周囲が自分を心配するように、タマモも仲間を、家族を思いやる気持ちがある。
そのことには、もう嘘を吐けない。
「………おせっかいよね、人間は。ほんとに」
「ええ・全く」
砕けた微笑を浮かべるタマモに、マリアも柔らかい笑みで応えた。
よし、と気合を入れてタマモは立ち上がる。色々と聞いて、色々と吹っ切って。
「私は私のやるべき事をする。あんた、悪いけど付き合ってもらうわね」
「イエス・ミス・タマモ。一緒に・頑張りましょう」
「じゃあ取りあえず、デジャブーランドに急ぐわ。早くシロを見つけないと!」
「ではミス・タマモ。私に掴まって・下さい。全速で・飛びます」
誰かを頼る事は己を卑しめる行為にはならない。
それは他人を信じる事。
孤高、を文字通りの気高さと勘違いしてきたタマモはとっくに知っていたはずだった。
銃を持つ大人に追われ、横島達に保護されたあの日に。
「頼むわ」
そんな言葉も自然に口から零れる。
タマモは狐姿に戻ると、マリアの頭上へ陣取り、びしっと進路をちまい爪先で示す。
「もたもたしてる暇は無いわよ!」
「全速力で・向かいます」
「あ、待てよ…無断であん中は入れないわよね…VIPチケットなんて持ってないし…」
意外と常識的な壁にぶつかって悩みだしたタマモに、マリアはどんと胸を叩いて言い放った。
「ノー・プロブレム! マリアに・いいアイデアが・あります」
「え」
「ミス・美神直伝・オペレーションSUTを・発動します」
少し前屈みになり、飛ぶ気まんまんのマリアは続ける。厭な予感に総毛立つタマモを頭に載せたまま。
「………何よそれ」
「ご説明・しますと…オペレーションSUT・とは――――――――
S = 凄い速さで
U = 有無を言わさず
T = 突破万歳
―――――――――――という作戦・です」
「どこが作せんぎゃああああああああああああっ!?」
タマモの突っ込みもそこそこに、マリアは力強くテイクオフした。思わずタマモの前肢の爪がマリアの額に突き立つも、痛くありません。アンドロイドですから。
凄まじい加速で高度を稼ぎながら、マリアはオペレーションSUTの概要を淡々と説明する。
「チケットの・心配は・無用です。………SUT中のマリア・一切符売り場店員に・捕まるほど・遅くはありません」
「染まってる染まってるミカミ流に染まりすぎてるからあああああああああああああ!!」
妙な自信に溢れるアンドロイドに涙目でしがみ付くタマモだったが、居候が増えてもヘビーな問題にぶち当たっても、タマモがいた頃から全く変わらない美神の性格に救われた気がして…少しだけ嬉しかった。
「まあいいやとにかく急げー!」
「イエス・ミス・タマモ!」
グレートウォールマウンテンも真っ青の超加速度の中、タマモは前を見て決意を新たにする。
必ずシロと共にあの家に帰るんだ、と。
デジャブーランドは、もうすぐそこだった。
「どうしても無理ですか」
『無理に決まっているでしょう!? 今日という日は貴女方にとっては普通の一日かも知れません!! けれども、当園を訪れるお客様にとって、今日は夢と希望に満ち溢れたワクワクでドキドキでウキウキなスペシャルデイなのですよ!? 誰にもその楽しみを邪魔する権利はありません!!』
「いやですから…そのお客様に何かあっては元も子もないでしょう? 既に悪質なオカルト商人の息がそちらにかかっているのです。以前にあったボガート事件の比ではない災害が予想されますから、一刻も早く閉鎖しないと…」
『一度醒めた夢は、二度と元通りにはなりません! 我々の使命はお客様に完璧な夢を提供することっ!! オカルトテロの危険があるので閉鎖しますなんて夢があってたまるもんですかあああああああっ!!』
美神美智恵はキーンと吠えたてる受話器からとっさに耳を離し、顔を顰めた。
電話の相手は東京デジャブーランドの支配人である。言わずもがなだが。
「……私達にも使命があります。既に捜査員を数名とGS、GCを何グループか派遣しました。内部での調査にだけはご協力下さい。お客様に悟られないよう配慮はしますので」
『こちらも、お客様に被害が出るのを避けたいのは同じです。ですが、ソレはソレ! コレはコレ! デジャブーランドはいつ如何なる時であっても夢の国であり続ける! テロには屈しません!!』
頑として譲れない矜持があるようだった。美智恵はやれやれと肩を竦めると、妥協案を幾つか提示して了承を得て、通話を終えた。
「…と言う訳で、デジャブーランド及びマウンテンを閉鎖して被害を減らそうって言う正攻法は、予想通り却下されました」
オカG魔填楼対策本部では、会議が続いていた。
美智恵の宣告に、席上の一部でざわめきが起きたがすぐに収まる。既に次の対処法は構築済みだ。
「ヒャクメ様のお陰で魔填楼の次手の目処は立っています。依然として目的は不明ですが、方法さえ分かっていれば対策は取れるわ。後はスピードよ。令子!」
「おっけー。私達は陰陽の帳の線を探るわね。デジャブーランドの外郭を虱潰しにして、怪しいモンがあったらぶっ壊す。チーム編成は任せたわ」
東京デジャブーランドを舞台にした大掛かりな誘霊結界の設置。人で溢れる週末のテーマパークだ、発動を許せば大惨事は免れない。
伝馬業天が一体何のためにそんなことを画策しているのか、捕まえれば分かる。彼には腐るほどの余罪があるのだ、身柄の拘束に理由はいらない。
「GCの方々には、園内で伝馬の捜索を頼みます。ぶっちゃけ使い勝手いいのよね、WGCAって…命令系統一本だし、GSほど我が強くないしー」
「そりゃあ褒められてんのか? 隊長さんよ…」
会議には美神達GS陣に加え、WGCAから伊達雪之丞を筆頭とした数名のGCも参加していた。
雪之丞は個人的に魔填楼に対し恨みがあるようだが、私情を排してGC側の現場責任者のような立場で動いていた。
本当は最前線で猛烈に駆け回り、真っ先に伝馬を見つけて霊波砲の一発でもぶち込んでやりたいところだが、怒りの原因である弓かおり本人に、立場を弁えた活動をしなさいと怒られ、諭され、何も言えなくなった。頭が上がらないのである。
「伝馬はともかく、シロの奴はどうすりゃいい? あいつも…魔装するんだろ。あの薬のせいだろうけどよ。並のGSやGCじゃ敵わないぜ。俺が見つけられりゃ、優しく捕まえてやるけど」
「犬塚シロについては、警察上層部から処分も已む無し、との命が下っています。はい令子怖い顔しない。でもね、この件の最高責任者は私。貴方達には極力彼女との交戦は控えてもらいます」
「ママ…」
「取り押さえられる確実な戦力がある場合にのみ、交戦を許可します。令子クラスの力があるチームなら、可能でしょう。六道さんと十二神将、伊達君。既に現地に向かわせた小笠原さんと唐巣神父は…ちょっと厳しいかしら」
それだけシロの力が侮れないということだ。冥子から聞いた限りでは、魔装シロの強さは尋常ではない。冥子は更にその上を行くが。
それに、決して口には出さないが、当てにしている戦力はまだ、ある。
きっと美智恵と同じく、美神も頭の中に思い描いているはずだ。
「シロちゃんは…絶対横島さんが助けてくれます!」
が、想いの代弁者は他にいた。
強い意志の籠もった大きな声で叫んだのは、氷室キヌだった。会議室の隅で大人しく座っていた彼女には、黙っていられなかったのだろう。誰よりも早くシロのために行動を開始し、シロのためを想っている彼の事を無視して進むのが。
静まり返った会議室の空気に、はっと赤面するのは彼女らしいが、ごくりと唾を飲むと意を決して続けた。
「あの人は絶対、来てくれます。今はどこにいるのか分からなくても、シロちゃんが助けを求めた時は絶対、絶対飛んできます。根拠は無いですけど…」
横島忠夫の目撃情報は、相変わらず全国から寄せられている。美智恵の把握している最後の目撃箇所は、例の南部グループが所有し、シロとタマモのひみつ基地になっていた山の近隣だった。
近づいてはいる。
だが、そんな情報は無くてもおキヌには分かるのだろう。恐らくは美神も。
横島との再会が近い、と。
美智恵は苦笑を浮かべると、唇を結んで俯くおキヌに近づき、ぽんと肩に手を置いた。
「そうね。彼を信じましょうか。いつだってあの子は信頼に応えてきた。でしょ? 令子」
「………なんで私に振るのよ! そこはおキヌちゃんでしょ!?」
不意にこちらを向いて朗らかな笑顔で聞いてきた母親に、美神はしどろもどろになって早口に答えた。美智恵が満足げにホワイトボードの前に戻っていくのが、何とも腹立たしい。
「では私達も今から現場へ向かいます! 先行組の指揮は西条君が取ってるけど、私が到着次第、指揮官は私が引き継ぎます。異存は無いわね?」
ある筈も無く、それぞれが席を立ったところに、息を切らせて一人の若い捜査員が会議室に飛び込んできた。
彼は片手に一枚の書類を握り締めていて、呼吸を整えると美智恵に耳打ちに報告を始めた。只ならない様子に、美神達の動きも止まる。
「………先手を取れた、と思ったんだけどね」
「ママ、何があったのよ」
書類を持ってきた捜査員が再び慌てて飛び出していったのを見て、美神は厳しい表情になった美智恵に問いかけた。
「…いえ、きっとこれほど早く動く事は想定の範囲外だった筈。運が悪いのは、あっちよ」
唇に拳を当てて沈思黙考する美智恵は、ぶつぶつと数秒間だけ自分の世界に没入した後、改めて言った。
「皆聞いてちょうだい。私達のやる事は同じだけど、少しだけ厄介な状況になったわ。今日と明日、週末の二日をかけて…有志による非公式イベントがデジャブーランドで行われます」
「非公式イベントだ? そりゃ人出は増えそうだけど今更…」
雪之丞の言う通り、元々数万人の人込みの中で仕事をしようというのだから、千人単位で増えようとも仕事に支障をきたしはしないだろう。
「………『マジカルトランスフォームで君もマッキーキャットの仲間入り! 秘密の魔法で皆友達っ!』…これ、伊達君なら意味が分かるんじゃなくて?」
美智恵が読み上げたのは、たった一枚の書類に書かれた煽り文句だった。
「あん…? どっから出てきたんだそのビラは」
「ネット上のデジャブーランドファンサイトの大手掲示板に、開催告知がされてたらしいわ。表示してあったアドレスのサイトに飛んだら、このイベントの詳細があったって。これは、そのページをプリントアウトしたものよ」
それだけなら、別におかしなことではないし、報告する必要もない。こうしたファン主催によるイベントは規模を問わず頻繁に行われている。
しかし、このイベントには決定的な差異があった。美智恵はよくぞ見つけてくれたと先ほどの捜査員に感謝しつつ、首を傾げる雪之丞にその書類を手渡した。
「………!? んだこりゃ!?」
「何だってのよ、一体…は? 何このサイト………『信奉者の園』とかどんだけイタいのよ……っ!? この写真…!!」
言葉を失う雪之丞の隣から手元を覗き込んだ美神は、煽り文句と共に大きく写っている写真を見て、驚愕に目を丸くした。
瓦礫の上に聳える、巨大な金色の機械。
かの魔神が創造した、数万年の叡智の結晶。
「そう。デジャブーランドは、舞台に選ばれた。このサイトは一年前…アシュタロス事変の天変地異に魅せられてしまった、狂信者達の集まり。再び、あの熱狂を呼び戻そうと企む大馬鹿野郎どもの巣よ」
吐き捨てるように、噛み締めるように…美智恵は言った。
真っ黒な紙面に踊る、コミカルな字体。その書類は悪趣味でグロテスクな装飾に染まっている。
オカルトサイトの台頭は今に始まったことではないが、事変以降の立ち上げ数は例年の比ではない。その中には、アシュタロスの名を冠に頂いて自分達こそは彼の意を継ぐ者である、などと嘯く連中も多い。主にアングラで蠢く者達に、だ。
「この気持ち悪いサイトの運営元が、ヒャクメ様の見つけた魔填楼のアジトの位置と一致したわ。伝馬の過剰なヒント群の一欠けね」
雪之丞は息を呑むと、何かに気付いた様子で美智恵を睨みつけた。眼光の鋭さが睨むように見えるだけで、悪意よりもむしろ不快感が先に立っている。
「このマジカル〜ってのはもしかして魔装薬のことか!?」
「多分、ね。伝馬業天の狙いは、デジャブーランドを彼らにとっての夢の国に変えることかも」
中途半端な魔装は、魂を喰らわれて魔物へと堕ちる。雪之丞は拳を強く固めると、長机に叩きつけて天板をぶち抜いた。
「ふざけやがって…!! 隊長さんよ、俺は先に行く。もう我慢出来ねえ!」
「落ち着いて、伊達君。さっきも言ったように、敵も私達がこのタイミングに間に合うとは思ってないはず。やる事は変わらないの。伝馬がこのイベントで魔装薬をばら撒いて霊障が発生したとしても、今ならまだ最小限の被害で食い止められる」
「………俺が先に動いても、意味は無いかよ。くそ!」
浮かしかけていた腰を乱暴に下ろし、雪之丞は腕を組む。この辺の自制心はGCになってから身に付いたものだ。
「いい? 条件はシビアになったけれど、各々の役割を忘れないで。帳と魔装、両方の発生を抑えるには全員の力が必要よ。一丸となって動いて! いいわね!」
おーっ、と威勢の良い返事が轟き、美智恵は頷いた。
「じゃあ行きましょう!」
美智恵の号令と共に、対魔填楼包囲網はその網を夢の国へと投げかける。
タマモとマリアもまた、現場へと翔ける。
未だ行方不明の横島&パピリオが気になるところだが、心配するだけ無駄だと、彼を良く知る者ほど理解しているだろう。
舞台は東京デジャブーランド、そしてデジャブーマウンテン。
魔填楼の黒い思惑を象徴するかのように、空は雨雲に覆われようとしていた。
続く
後書き
あれ二月終わってる!?
竜の庵です。
ようやく皆さん揃いそうですよ、全く。そしてあんまりシロタマ編っぽくなりませんね…舞台がデジャブーランドになってしまえば、後は楽なのですが。
一気呵成に行きたいものです。
ではレス返しをば。
February様
更新、もっと早くしなくちゃとは思ってるんですが、なかなか…
伝馬は意図的に出番を減らしてるんですが、目的が不鮮明になるのは避けられませんでした。魔填楼編が最終局面に入りましたので、ご容赦を…。
冥子はバランスブレーカー…白装シロの強さが全然引き立ちません、彼女相手では。能力的なものはともかく、冥子生来の天然性はどうにもならんと思うので、ちょこちょことドジぶりを発揮する事でしょう。迂闊に戦わせられないなあ…しかし。
原作はともかく、本作に主役という概念は薄いですね。今編はシロタマが主役(のはず)ですし、前回は冥子でした。よこ……し…ま? うんやりますよ主役話。多分。
っと、誤字指摘有難うございます。直しましたよ恥ずかしいっ!
カシム様
伝馬の目的、帳の秘密。最終的には一つの結果に繋がるのですが、今回でその一端が見えたり余計こんがらがったりしたかと思います。策謀渦巻く裏社会、みたいな世界を描くには筆力が足らないなあと自覚しております…伝馬老、当初はもっとシンプルな悪役だったんだけどなあ。
ヒャクメの活躍は失敗フラグ…!? なんて螺旋階段なものの見方をするんですか。そんなワケナイジャナイデスカ? AHAHA! ただまあ、彼女は実力を出し切ると伝馬の目論見なんか丸裸にされてしまうので、原作準拠の性格は重宝しております。
以上レス返しでした。有難うございました。
さて次回。
全員集合フラグが立った今、恐れるものはありません。多分。
誰までを全員と呼ぶかは内緒。
それではこの辺で。
最後までお読み頂き、本当に有難うございました!
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