魔神アシュタロスが滅んだ後。
一部のGSたちは、これで神魔のパワーバランスが崩れたことを理解していた。しかし、それは神魔族上層部が調整するべきもの。もはや自分たちには関係ないと考えていたのだが……。
美神除霊事務所は、すでに、この件に関わってしまっていた。
「で……今度は、なーに!?
あんたたち二人が雁首そろえたら、
ま、想像はつくけどさ……」
今日の来客は、小竜姫とヒャクメである。
かつて、初めて小竜姫が美神の事務所に訪れたときは、美神も、それ相応の対応をしたものだった。
「竜神の小竜姫がこんなとこに来るなんて……」
とつぶやき、お茶も最高級品を用意。それを自ら運ぶ美神を見て、当時幽霊だったおキヌも、
(さすがの美神さんも神さまには弱いんだなあ……)
と思ったくらいである。
しかし……。
今や、全く『神さま』扱いではない。
現在の美神の態度を見て、
「……さすが美神どのでござるな」
「ふーん。人間って、こうやって神さまと接するのね?」
最近事務所メンバーになった二人が、それぞれの感想を述べる。
シロとタマモ。外見は中学生あるいは高校生くらいの少女だが、それぞれ、人狼と妖狐である。
「タマモちゃん。
美神さんは特別だからね?
真似しちゃダメよ……?」
おキヌが、美神に聞こえぬ程度の小声で、ソッと耳打ちする。タマモは人間社会の常識を身につけるために、事務所メンバーとなったのだ。間違った知識を植えつけたら、大変である。
「まあ仕方ないよな。
これまでのことを考えれば……」
横島も苦笑しているが、その通りかもしれない。
普通の人間にとって『神さま』は雲の上の存在だろうが、美神たちから見れば、もはや友人のようなもの。しかも、美神たちのほうが神族を助けることすら、何度もあったのだ。
もちろん、神族が自分で処理出来ない事件というのは、それだけオオゴトである。美神としても、依頼料をたんまり貰えるので、神族は上客だった。それでも……。
美神は、あまり気が進まないのだ。
『美神さんの想像どおりなのねー』
ヒャクメが美神の質問を肯定するが、その表情は、口調ほど明るくなかった。
(やっぱり……例の……)
美神は、前回の依頼を振り返る。
それは、二、三ヶ月前の出来事だった。
ギリシアの神々がケンカを始めるらしいが、神族同士が争ってパワーダウンするならば、神魔のバランス補正にはプラスとなる。そのため、神族上層部としては黙認せざるを得ない。しかし、このギリシア神たちは、それぞれ、大勢の人間を配下として抱え込んでいる。このままでは、かなりの人間が犠牲になるだろうが、そんな事態には、神族上層部は胸を痛めてしまう。
直接介入できない以上、この『人間の犠牲』を減らすよう、力のある人間に頼むしかない。特に、知恵と戦いの女神アテナに従うはずの『聖闘士(セイント)』たちは、アテナの補佐役たる『教皇』の陰謀により、二つの派閥に別れて内乱状態。殺し合いを繰り広げていた。まずは、これを収拾しなければならない。
その依頼が美神除霊事務所にもたらされ、彼らは、無事、セイントたちをまとめあげた。しかし……。
(あのときは……
アテナと間違われて、あぶなく命を落とすところだったわ。
それどころか、敵に陵辱されそうにもなったんだから!!
ううっ、思い出しても腹が立つーッ!!)
前者は真実であるが、後者は大嘘。しかし、美神は、そう信じてしまっていた。
そして、問題は、もう一つ。
美神が長々と意識を失っていた時に、横島とおキヌの間に何かあったらしいのだ!
(横島クン……おキヌちゃんに……
とうとう手を出したんだわ!
あの態度を見れば、まちがいない!!)
横島は、以前も今も、おキヌに優しく接している。しかし、その『優しさ』が微妙に違うのだ。女の直感で何とか察知出来る程度の僅かな差ではあるが、なんとなく、『おキヌには頭が上がらない』『おキヌには優しくしないといけない』というニュアンスが加わったような気がする。
(さすがに最後の一線は越えてないと思うけど……。
いくらおキヌちゃんが拒否しなかったとはいえ……)
そう。
最近のおキヌの幸せそうな様子を見ていれば、確実に分かる。横島に何をされたにせよ、それが彼女にとって喜ばしいことであったのは、間違いないのだ!
(だけど……それって……
私が死にそうだった時に、
二人でイチャついてたってことじゃないの……!?)
美神は知らない。二人がイチャついたからこそ、美神の命は助かったのだということを。
そして、今さら怒っても手遅れだと思うから、二人が恋人になったならば祝福しようと努力するのだが……。
違うのだ。
おキヌは恋心をハッキリさせたようだが、横島は、まだ彼女の感情に気付かないらしい。
(まったく……あの二人……)
おキヌの気持ちを横島が知れば、その時点でカップル成立だろう。すでに、二人は、それだけ仲が良いのだ。
これまでも、おキヌは、一人で頻繁に横島の部屋へ通っていた。だが、最近、それも加速している。
昔おキヌが熱を出した場合は事務所の部屋で寝ていたが、今は違う。少し前、タマモに化かされて横島とおキヌが風邪を引いた時には、二人は一晩、彼の部屋のコタツで過ごしたらしい。お互いに看病しあうということで。
(ああ……もう、じれったいわね。
くっつくなら、くっつく!
くっつかないなら、くっつかない!
早く決めて欲しいわ!!)
美神は、イライラするのだ。
本当は、彼女の不快感の原因は、『美神自身も横島に惚れている』ことなのだが、素直でない美神は、それを認めることが出来なかった。
そして……。
美神がそうやって色々考えている前で、ダラダラ冷や汗を流しながら座っている女神がいる。
ヒャクメである。
(どうしよう……!?
見ちゃいけないもの見ちゃったのねー!!)
いつもの習性で美神の心を覗いてしまったのだが、さすがのヒャクメにも分かる。
今の思考は、美神にとって、絶対、他人に知られたくない内容だ。
(見なかったことにしよう……。
バレたら、どんな目にあうことやら……)
慌てて、隣の小竜姫を小突く。
話を進めろという合図を理解し、小竜姫が、口を開いた。
『いよいよ、アテナとポセイドンの戦いが始まります。
ですから……』
第六話 ポセイドン編(その一)
それから数日後。
美神は、横島・おキヌ・シロ・タマモを連れて、ギリシアまで来ていた。
海商王ジュリアン・ソロの誕生パーティーに参加していたのだ。
ジュリアンは、まだ16歳であるが、父の遺産とソロ家を継いで、いまや世界一の大富豪である。
「あれ、美神さん!?
あそこにいるのって……」
おキヌは、知りあいが来ていることに気が付いた。
実はこのパーティー参加も依頼の一部であるため、美神たちは、全員、必要経費できれいに着飾っている。だから、彼ら自身は、他の客層に溶け込んでいた。
しかし、今、おキヌが指し示したのは、少しみすぼらしいドレスを着た女性。
「あっ!? 沙織ちゃんじゃないの?!」
思わず声を上げてしまった美神。
それに気付いたようで、沙織が、こちらへ歩み寄った。
「……その節は、お世話になりました」
「い、いや……、こちらこそ……」
頭を下げる沙織に、美神も礼儀正しく対応する。
「うう……やっぱり可愛いなあ……」
「横島さん……。
彼女、まだ13歳ですよ!?」
「お知り合いでござるか?」
「……なんかワケがありそうね」
美神の後ろで、それぞれつぶやく仲間たち。
最後の言葉はタマモのものだが、彼女の読みは正しかった。社会常識には疎くても、人間の心の機微に鋭いのは、幻で人を惑わす妖狐ならではである。
「沙織さんが貧乏になったのは、おまえたちが……」
「ダメだよ、そんなこと言っちゃ!」
「そうだ。ここで問題を起こすのは失礼だ」
沙織も、美神同様、四人の仲間を連れてきていた。こちらは、皆、少年である。
横島も会ったことがある星矢(せいや)は、どうも美神たちを良く思っていないらしい。その気持ちを露骨に示すのだが、仲間の二人に諌められてしまう。
一人は、アイドル顔をした少年。本人も部屋でアイドル雑誌を読むような趣味があるのだが、それは仲間も知らない。
もう一人は、中華風の服を着こなす男。横島の知人の西条同様に長髪だが、西条以上に二枚目顔だ。
そして残りの一人が、ここで、横島のもとへ歩み寄った。
「君がヨコシマだな……?
我が師カミュの最新の弟子であり、
かつ、彼の『絶対零度』をも超えた男……」
「『我が師カミュ』……?
あっ!
おまえが、あいつの言ってた……
あいつの弟子の『氷河』か……!?」
氷河(ひょうが)が横島に握手を求め、彼も応じる。
横島としても、カミュのことは覚えていた。
カミュは、横島を、おキヌごと氷漬けにした男である。最後には横島に倒され、横島を認め、弟子だとまで言い出した。
勝手に弟子認定も少し迷惑だが、問題だったのは、『二人まとめて氷漬け』である。あれで体温が低下したおキヌは言動が妖しくなり、横島は、あぶなく理性がぶち切れるところだったのだ。
「ははは……」
色々と事情を知るおキヌは、この場の面々を見ながら、苦笑している。
なにより、沙織の格好が貧相になってしまった原因。
それは、美神なのだ。
実は、ここにいる沙織こそ、現代に降臨したアテナである。
本来ならば彼女が、セイントの反乱派と戦うために、ギリシアのサンクチュアリへ攻め込むべきだった。だが、その準備も全く整わないうちに、美神たちがギリシアへ行ってしまった。そして、たまたま美神と沙織に共通する要素があったため、反乱軍は、美神をアテナと誤解。美神は、生死の境を彷徨うことになったのだ。
だから、事件の後、美神は、多額の賠償金を請求した。カネのないサンクチュアリ連中にではなく、セイントを率いるべき沙織に。
なにしろ、沙織は、日本有数の大グループ『グラード財団』の総帥なのだ。カネはうなるほど持っている……いや、持っていた。
今では、すっかり美神に搾り取られて、その上、サンクチュアリを運営する必要もあり、四苦八苦しているらしい。
このパーティーに顔を出したのも、先代から親交あるソロ家に借金を申し込むためなのだが……。そこまでは、おキヌも知らなかった。
「沙織さん……!」
そこに、パーティーの主役、ジュリアンが現れる。生まれだけではなく、頭脳にも容姿にも恵まれた男である。
「あーあー美形さまはよー!!!
家柄も頭も良くて、よーございましたなー!!!」
「……横島さん!
ダメですよ、そんなこと言っちゃ!!
私たちを招いて下さったんですから……!!」
「ハハハ……。
構いませんよ、お嬢さん。
むしろ、おべっかを使われるより、気持ちいいです」
横島とおキヌの言葉を聞きつけても、寛容な態度を示すジュリアン。
そんなジュリアンを見て、
(こいつが……海皇ポセイドン!!)
美神は、小竜姫とヒャクメの話を思い出す。
事務所で彼女たちが語ったのは……。
___________
『いよいよ、アテナとポセイドンの戦いが始まります。
ですから……』
『うまく立ち回って、
彼らの部下の人間たちが死なないようにして欲しいのねー』
ヒャクメは、以前にもポセイドンに関してチラッと言及していた。しかし、美神たちがどこまで覚えているか定かではない。また、事務所のメンツも増えているようなので、あらためて説明する。
海皇ポセイドン。
彼は、『海闘士(マリーナ)』と呼ばれる特殊な霊能力者を従え、海底神殿に居を構える神族である。
「竜宮城みたいなところっスか?」
横島が、真面目に口を挟む。
美神たち三人は、以前に、乙姫の住む竜宮城を訪問したことがあるのだ。
ヒャクメは、チラッと横島の思考を覗いた。そこにイメージされたものと比較し、首を横に振った。
『そんなすごいもんじゃないのね。
時間の流れは地上と同じなのねー!』
ポセイドンの海底神殿は、海底の一部分に呼吸出来る空間を作って、神気を固めた柱で支えているだけである。
『七つの海を支配してるとか言ってるけど
……大嘘なのね。
マリーナも霊能力者とはいえ人間だから、
だまされちゃって……』
迂闊な発言に対して、一斉にツッコミが入る。
『ヒャクメ、また言いすぎですよ!
せめて……ハッタリと言って下さい。
ハッタリなら美神さんも使うから許されます。
ハッタリはこの世界ではポジティブな言葉ですから』
「そうっスよ!!
ファンが怒りますよ!?
それでなくても、設定が設定なんですから!!」
「横島さん……またそんなメタなことを……」
おキヌのツッコミだけは、ヒャクメ向けではなく、横島に対するものらしい。
そして、ヒャクメが問題発言を繰り返す前に、小竜姫が話を引き継いだ。
『今回の依頼は……
さきほどヒャクメも言いましたが……』
彼女は、あらためて別の言葉で表現し直した。
二つのグループの配下の人間たちの犠牲を減らすこと。
それが、具体的な仕事内容である。
『ただし……
もしもアテナとポセイドンが二人で対決するときは
……そこには手を出さないでください。
それは直接介入になりますから』
そう言ってから、小竜姫は、さらに情報を与える。
アテナが少女の姿で人間界に降臨しているように、ポセイドンも、地上では人間の姿を借りるらしい。海商王とも呼ばれるソロ家の人間に入り込むようで、現在ならば、ジュリアン・ソロが憑依されるはずだ。
「……ちょっと待って!?
『入り込む』とか『憑依』とか言ったわね?」
『そうです。
その点、アテナとは違うんです』
『平安時代のこと、思い出して欲しいのねー!』
ヒャクメが例示したのは、死にそうな横島を救うために、彼女が横島の体に入ったときのことだ。それと同じようなものだと説明したのである。
「それはわかるんだけど……」
「美神さん……?」
「何か引っ掛かるんスか?」
少し考え込む美神を見て、横島やおキヌが声をかける。シロやタマモは、遠慮しているのだろうか、少し離れた場所から黙って見守るだけだった。
「アテナ側の勝利条件は
ポセイドンを倒すこと……。
そしてポセイドン側の勝利条件は
アテナを倒すこと……よね?」
『ええ……』
美神の言葉を肯定しながら、小竜姫は、チラッとヒャクメに目を向けた。ヒャクメが、小さくうなずく。美神はポイントに気付いたのだ。
「ジュリアンがポセイドンそのものじゃないなら、
アテナはどうやってポセイドン倒すの?
……追い出してから、やっつけるの?」
『アテナの壷に封印するんです。
……もともと、そこに封印されてましたから』
アテナの壷。
それは、ポセイドンがアテナとの聖戦に負けるたびに封印されるところだ。
しかし、この説明は、さらに美神を混乱させる。
「……ヘンね、それ?
もしもアテナが勝って、また封印したとして。
それで神族の勢力削ったことになるの?
もともと壷の中にいたんでしょ?
……じゃあアテナが勝ったらマズイわけ?」
『……大丈夫です。
いつもの「封印」は緩んだり剥がされたりして、
また「聖戦」になるようなシロモノですが、
今回封印されたら二度と出てこれなくなるそうです』
神魔のバランス補正のために、なんとか神族の力を削らないといけない時期なのだ。今、問題を起こした神族には罰が与えられるのだという。
「あの……。
こんなこと言いたくないっスけど、
アテナも問題起こしてるのでは……?」
「そうよ!!
アテナにも罰与えたら……?」
横島も美神も、ギリシアでどんな目にあったか、忘れてはいない。首をつっこんだほうが悪いと言われるかもしれないが、セイント側に全く非がなかったわけでもないのだ。
『でも……アテナにはセイントがいますから……』
セイントは、すでに人間界の一大勢力なのだ。下手にアテナを罰したりすると、人界への影響が大きすぎるらしい。
そこが、アテナとポセイドンの違いだった。
ポセイドンもマリーナを抱えているが、『海将軍(ジェネラル)』といって主に七人しかいない。付き従っている兵士はたくさんいるようだが、しょせん雑兵である。また、『人魚姫(マーメイド)』と呼ばれるマリーナもいるが、それは、人間ではなく低級妖怪。魚から化身した人魚らしい。
『しかもマリーナは、
セイントと違って一時的なものなのねー!』
ヒャクメが、小竜姫の説明を補足する。
セイントは小さい頃から修業して、人生賭けているから、セイント制度が完全崩壊したら困る人が続出する。一方、マリーナは、資格のある者が突然呼ばれてマリーナになるようだ。
「……なーんだ。
出来レースじゃないの……!!」
二人の話を聞いて、美神は理解してしまった。
少なくとも一方を倒さない限り事態は収まらないが、アテナを倒してはいけないという以上、結論は一つ。
これは、最初から、ポセイドンを倒せという依頼なのだ。
しかも、両配下の人間の犠牲は出来る限り減らす必要がある。だからセイントとマリーナの衝突は避けたほうがいい。ということは……。
「両軍が激突する前に……
私たちが代わりにポセイドン倒しちゃえ……ってことね」
「どういうことっスか?」
「ちょっと、美神さん!?」
「……神さまと戦うでござるか!?」
「ふーん。人間って、けっこう大胆ね」
美神の発言に、事務所メンバーが驚く。
一方、小竜姫とヒャクメは、困ったような表情をしている。
『私たち、腹芸は苦手ですから……
そこまで言わせないでもらえますか?
依頼はあくまでも、さっき述べたように、
人間たちの犠牲を減らすことです……』
___________
「私と結婚してください……!!」
突然のプロポーズ。
それが、美神を、長い回想から現実に引き戻す。
「ちょっと、あんた……!?」
一瞬慌てた美神だったが、彼の言葉は、自分に向けられたものではなかった。
ジュリアンがプロポーズした相手は……。
「ええーっ!?
私ですか……!?」
おキヌだった。
___________
勘違いした美神は少し恥ずかしかったが、大丈夫。
沙織も、横で、
「あれ……?
私じゃないんですか……?」
とつぶやいていた。
とりあえず美神は、ジュリアンに文句を言う。
「やめときなさい!
バッタもんよ!? 天然ボケよ!?」
「バッタもんはあんたじゃーっ!!」
おキヌちゃんは俺のじゃーっ!!」
「横島さん……!!」
「おキヌちゃん、勘違いしちゃダメよ?
今のは、みんな俺のじゃーって意味よ!?」
ウットリとするおキヌにタマモがツッコミを入れるが、聞こえていないらしい。
束の間の幸せに浸るおキヌであった。
___________
その夜。
遠くからの来客は、ソロ邸に宿泊することになっていた。
用意された部屋へと案内される美神たちだったが……。
「……この霊波は!?」
「ああっ、御客様!? どこへ……!?」
強力な霊波の襲撃を察知し、五人は、現場へ急行した。
「やっぱり……」
「これが……マリーナっスね?」
そこは、沙織の部屋の前。
輝く鎧に包まれた男が、今、まさに部屋に入ろうとしている。
「そ……そいつを止めてくれッ!!」
周囲では、星矢たち四人が、いかにも雑兵といった連中と戦っている。
十二宮でゴールドセイントに鍛えられたわけでもない星矢たちは、残念ながら、ブロンズ相応の力しか持っていないのだ。実は一人だけ、強力なコスモと反則的な必殺技を隠し持つ少年がいるが、彼は、誰も傷つけたくないという心情から、実力を隠し続けている。
「言われなくても……!!」
美神たちが身構えた瞬間。
「そうか……君たちが……」
キラキラした鎧の男……ジェネラルの一人、海魔女(セイレーン)のソレントが、手にしていた笛に口をつけた。周囲に、妖精の幻が乱舞し始める。
「話には聞いている。
アテナは……
美の女神アフロディーテと結託したそうだな」
彼は、笛を吹いているにも関わらず、なぜか普通に話が出来てしまう。
「しかもアフロディーテには……
アテナのゴールドセイントをもしのぐ戦士……
『美闘士(ワンダフル)』がいるのだろう!?」
「ちょっと待て!?
おまえ……なんか思いっきりカン違いしてるぞ!?」
もともと美神を『美の女神アフロディーテ』だと言い出したのは横島だ。責任を感じてツッコミを入れる横島だが、なんだか苦しそうだった。
いや、横島だけではない。
ソレント以外、その場の全員が、両手で耳をふさいで苦しんでいた。……ソレントの味方である雑兵まで含めて。
___________
(……ダメ!!
耳をふさいでも、それでも聞こえてくる!!
……しかも霊力が吸い取られちゃう感じ!!)
朦朧とする意識の中、自分も笛を武器とするおキヌは、ソレントの攻撃を的確に分析していた。幻が見えているのも、ただ五感の機能が低下しただけではなく、吸収した霊力で作り出された幻影かもしれない。
(ここで負けるわけにはいかないわ!!
せっかく……横島さんが
私の気持ちを受け入れてくれたんだから!!)
少し前の『おキヌちゃんは俺のじゃーっ!!』発言を過剰に受けとめているおキヌは、ここで、かつてない頑張りを見せる。
(どうせ……
耳をふさいでも意味ないんだから……)
手を離したくない気持ちに抗って、おキヌは、ネクロマンサーの笛を握った。
そして……。
(お願い……!!
相手は悪霊じゃないけど……でも、
少しでも霊波をぶつけることができれば!!)
おキヌの笛の音が、ソレントの笛の音に干渉する!
___________
「音が変わった……!?
効果が弱まった……!?」
最初に気付いたのは、美神だった。
チラッと後ろを振り返り、これが、おキヌのお手柄であると知る。
(でかした、おキヌちゃん!!
あとは……私にまかせなさい!!)
美神は、唖然としているソレントに、ピシッと指を突きつけた。
「うちの連中の力、こんなもんじゃないわよ!?
本気でやって……この屋敷が壊れても平気!?
ここって……あんたたちのボスの家でしょう?」
ガチンコで戦って勝算があるわけではない。
ただのハッタリである。
しかも、向こうは吹きながら喋れる笛だが、おキヌの笛は、息が続かなくなったら、それで終わりだ。なんとか早く言いくるめたかったのだ。
「さすが女神アフロディーテ。
なんでも御見通しですか……。
では女神直々の言葉に免じて、
ここは退くとしましょう。
決着は、海底神殿にて……!!」
ソレントは、スーッと闇の中に消えていった。
___________
ソレントの撤退とともに、雑兵たちも姿を消した。
これで今晩の騒動は終わりということで、美神たちは、与えられた部屋へ向かうのだが……。
横島が、おキヌに声をかけた。
「おキヌちゃん、大丈夫?」
「……はい。
ちょっと体がふらつきますけど……」
ソレントの攻撃で霊力を奪われたのは全員だが、その上おキヌは、それに対抗するために霊力を消費している。そんな彼女を気遣ったのだ。
「ちょうど部屋も隣同士みたいだから……
横島クン、部屋まで連れていってあげなさいね?」
「女性をエスコートするのも男子の役目でござるよ」
美神やシロまで、妙に優しい。ソレント撃退の御褒美なのだろう。顔には『今日だけよ?』と書いてあった。
「じゃあ……お願いします」
状況に甘えて、おキヌは、横島の手を握る。彼の手の温もりを感じながら、部屋まで連れてきてもらった。
そして、ドアの前で。
「横島さん……」
「おキヌちゃん……!?」
名残惜しそうな目付きで彼を見上げる。まだ、手は、つないだままだった。
スーッと体が引き寄せられる。
横島の視線は、おキヌの唇に向けられていた。
(ああ……ようやく……
ファーストキスのやり直しですね……)
十二宮での戦いの中、意識を失ったおキヌは、解毒剤を横島から口移しされている。おキヌが目覚めた時、まだキスした状態だった。
それは、おキヌにとっての、初めてのキス。しかし、無意識で始められた以上、中途半端な『初めて』だったと思ってしまうのだ。
(今度こそ……これが……
私の……ファーストキス……)
お互いの顔が近づいて……。
今、二人の唇が重なる。
___________
そして、永遠とも思われる長い沈黙の後。
「へへへ……。
おやすみなさい……!!」
おキヌは、とっても満足そうな笑顔を浮かべて、部屋へ入っていく。
今のキスと『おキヌちゃんは俺のじゃーっ!!』発言とを併せて考えたら、もう間違いない。
「横島さん……
私たち……これで恋人ですよね?」
彼のことを想いながら、幸せな気持ちで眠りについた。
しかし……。
___________
「ええーっ!? ここは、どこ~~!?」
翌朝、目を覚ましてみると、そこは海底神殿の中だった。
おキヌは、寝ているうちに、誘拐されていたのである。
「助けて~~! 横島さんーっ!!」
周囲に、おキヌの仲間は誰もいなかった。
___________
「小竜姫に話があるのよ!!
この門、早く開けなさい!!」
『こら、慌てるな!!
開けてやるから、そうガンガン叩くでない!!』
『おぬし達は……もうフリーパスだからな』
日本に飛んで帰った美神は、横島とシロとタマモを連れて、妙神山に直行した。
鬼門としては、シロやタマモは初めてだからテストしたい。だが、今の美神の剣幕には勝てなかった。
ギーッと門が開き……。
『ヨコシマーッ!!』
パピリオが飛び出してきた。
一直線に横島へ向かい、タックルをかます。
「パピリオタックルか……!?
おいおい……。
そういう二次創作の御約束は、やめてくれ。
あくまでも原作準拠で……な?」
『なんのことでちゅか?』
キョトンとするパピリオを見て、横島は悲しくなる。
普通なら、おキヌちゃんが、
「横島さん……またそんなメタなことを……」
とツッコミを入れる場面なのだ。
しかし、今、ここに彼女はいない。
(おキヌちゃん……)
横島は、ソロ邸での夜のことを思い出す……。
___________
あの時。
横島は、ついに、意識ある状態のおキヌとキスをしてしまった。
これは、十二宮でのキスとは違う。十二宮のは人命救助だ。
もちろん、『人命救助』とはいえ、おキヌの唇の感触を横島が楽しんでしまったのは事実である。
同時に、それがおキヌのファーストキスだったと言われて、罪悪感を持ったことも事実である。女性にとって『初めて』が大切だろうということは、女心に疎い横島にも想像がつくからだ。
一方、横島自身にとっては、あれは初キスではなかった。
グーラー、メドーサ、そしてルシオラ……。
なんだか人外ばかりのような気もするが、キスはキス。
横島は、それなりに経験してきたのだ。
それでも……。おキヌとのキスというのは、特別だった。
ずっと苦楽をともにしてきた、大切な仲間だったのだから。
(もう一回おキヌちゃんの唇を味わいたい……)
という気持ちもあったが、しかし、おキヌにはセクハラできない横島である。
ソロ邸での夜、あの瞬間も……。
おキヌの唇に吸い寄せられながら、それでも、
(いかんぞ……!?
おキヌちゃんとキスなんて……!!)
と思っていた。
矛盾した感情であるが、おキヌのほうから拒んでくれることまで、期待していたのだ。そんな相反する気持ちを抱きながら、ゆっくりゆっくり、唇を近づけたのだった。
ところが、おキヌは、逃げるどころか……。
(えっ!? おキヌちゃん、なんで……!?)
おキヌも横島同様、口を突き出してきたのだ。
だから、二人の唇は、触れ合った。
そして、まるで恋人同士のように、甘い時間が流れたのだ。
(おキヌちゃん……)
横島には、おキヌが何を考えていたのか、全く分からない。
あまりに混乱して、一晩、異常な精神状態で寝てしまったくらいだ。だからこそ、隣の部屋での誘拐事件にも気付かなかったのだ。普通ならば、未然に防げたはずなのだ。
いまだに横島には理解出来ない、おキヌの真意。しかし、これは誰かに相談するべき問題ではない。それだけは、横島も承知している。
(聞くとしたら……
おキヌちゃん自身に聞かなきゃいけない。
そして……もし、あれが、
雰囲気やムードに流された上での過ちなら
……しっかり謝らないとな)
そのためにも、横島は、おキヌを救出しなければいけないのだ!
___________
「さあ、入るわよ!」
美神の言葉で、横島は、回想から現実に立ち戻る。
そして、中に入った美神は、小竜姫に詰めよった。
「あんた……こうなるのがわかってて、
私たちをパーティーに差し向けたの!?」
『そ……そんなわけありません!』
用意された一室で、彼らは話し合っている。
美神の隣には横島が、後ろにはシロとタマモが座っている。後ろの二人は、会話の進行を美神に任せるつもりなのだろう。
そして、小竜姫の横にはヒャクメがいた。パピリオは部外者ということで、席を外している。
『私たちも驚いてるんです。
上層部の計算では……アテナが求婚されて、
連れ去られるはずだったのですから……!!』
それを防いだのは大金星であるが、代わりにおキヌがさらわれたとあっては、大問題である。
『ある程度の情報は手に入ったのねー!』
ヒャクメが説明する。
ポセイドン軍が彼女を誘拐したのは、ポセイドンの妃にするためだ。しかし、おキヌは、
「私には……心に決めたひとがいます!」
と言って断ったらしい。
その結果……。
彼女は、今、水責めにあっている。
「水責め……!?
どういうことよ、それッ!?」
『おかしいのよねー』
ポセイドンも配下のマリーナも、そこまで悪い連中ではないはず!
そう説明するヒャクメだったが、
「どうせ、またバックに魔族がついてるんだろ?」
いつになく冷酷な視線が、横島から飛んでくる。
『そ……そんなことないのねー!』
『今回は、魔族側はノータッチのはずです。
もし黒幕がいるとしたら、全く別の存在……』
小竜姫までヒャクメ擁護に回ったが、小竜姫も余裕はない。
美神が詰問してくるのだ。
「犯人探しなんて、後でいいのよ!!
それより、具体的な状況を教えなさい!!
おキヌちゃん救出のために……
役立つ情報、あるんでしょうね……!?」
『も……もちろんです!!』
おキヌは現在、メインブレドウィナの中に閉じこめられて、そこで水を浴びている。少しでも寒さ冷たさから逃れるために、おキヌは幽体離脱しているらしいが、苦痛を若干減らすことはできても、体温自体の低下は止められない。しかも、水が満ちれば彼女は溺死してしまう!
メインブレドウィナは、海底神殿を支える中心の柱でもある。それを破壊するためには、まず先に、七本の柱を壊さなければならない。
「七本……?
ジェネラルも七人って言ってたわね……?」
「おい……柱を守護するってやつか?
また十二宮と同じパターンか……?」
美神と横島の想像は、半分正解だった。
七本の柱には、確かに、それぞれを守るジェネラルがいる。しかし、今回は、順番に並んでいるわけではない。こちらも人数をそろえれば、同時攻略可能なのだ。
ただし……。
『柱は神気を練り込まれて作られているので、
人間が普通に攻撃しても壊せません。
……神族の武器が必要です。
直接介入になるので私は何も貸し出せませんが
……もともとの相手であるアテナならばOKです』
事情が事情なので、アテナも、武器の提供という形で協力してくれるらしい。ただし、それをジェネラル相手に使うことは厳禁。あくまでも柱のみ。
しっかり管理するために、アテナ側から一人同行するそうだ。
『すでに隣の部屋で待機しています』
という言葉を合図に、突然、子供が一人現れた。
瞬間移動能力を持つ八歳児、貴鬼(きき)である。
「やあ、ヨコシマ……!」
横島と貴鬼は面識がある。かつて文珠によるクロスを本物にしてくれたのは、この貴鬼の師匠、ムウなのだから。
「……そういうことなら、
ここでグズグズしてらんないわね!
いくわよ、横島クン、シロ、タマモ!!」
『……待ってください!』
立ち上がった美神に、小竜姫が声をかける。
『……ひとつ条件があるんです。
同期合体は使わないでください!
あれは……「人間」のレベルを超えています』
セイント内乱事件の際、美神たちは、同期合体で初戦を軽く片づけた。ところが、魔族正規軍のほうから苦情が来たらしい。
魔族内部でも、同期合体を直接目にした者は少ない。噂しか知らない者たちは、『魔神アシュタロスと同等に渡り合えるシロモノ』とみなしているのだ。そのような存在を介入させることは、神族が直接手を出すのと同じだというのである。
『そのかわり、助手の方々を何人連れて行こうが、
他のGSの方々と共同作戦をとろうが構いませんから』
「大丈夫だよ……!
ヨコシマだけでも、
ゴールドセイントと戦えたじゃないか!」
貴鬼の言葉は、横島の胸をチクリと突き刺した。
『ヨコシマだけ』ではない。おキヌがいたからこそ、戦い抜けたのだ。
しかし、今、それを言う気にはなれなかった。かわりに、
「……あのときは、クロスにも助けられたからな。
でも……それも最後の戦いで消滅しちまった」
と口にする。
それを聞いた貴鬼は、ニンマリ笑って、その場の面々を見回した。
「……だからさ! オイラたちに、
一時間だけヨコシマを貸してくれよ。
テレポーテーションで、
サッと行ってサッと帰ってくるからさ!」
貴鬼もムウも、横島が文珠でクロスを作れることを知っている。そして、かりそめのクロスも、ムウならば本物に改修出来るのだ。
「ヨコシマの分だけじゃなくて、
オネーチャンたちのクロスも用意するよ!
『美の女神』と『犬』と『狐』でいいんだよね?」
「……狼でござる!」
シロが主張している横で、美神は考えていた。
(悪くない話ね……)
どうせ四人で行っても、七本の柱を同時に破壊することは無理なのだ。
それならば……。
この一時間を利用して、少しでも仲間に声をかけてみる。一緒に行ける者が三人以上増えれば、その『一時間』は無駄ではない……!
「横島クン!!
あんたは、早く行きなさい!
その間に、私はみんなに連絡するから!!」
「……はい!!」
___________
そして。
美神の招集に応じて、総勢17名のGS軍団が形成された。
美神と横島とシロとタマモは、当然である。
冥子は、はたから見ると友達とのピクニックに行くような雰囲気だが、きっと彼女なりの危機感は持っているはず。
エミも、タイガーを連れてやってきた。
雪之丞は、強敵を相手にできると聞いてワクワクしているようだ。
ピートも、師匠の唐巣神父とともに参加。
報酬で家賃を払いたいドクター・カオスは、もちろんマリア同伴で来ている。
公務員である西条や美智恵も、うまく休みをとることが出来た。美神たちとはそれほど親しくないはずの魔鈴めぐみまで来たのは、西条がいるからだろうか。
そして、親友が心配ということで、弓かおりや一文字魔理まで駆けつけた。
「オマケのオイラも加えたら18人だな」
これは貴鬼の言葉である。
集まった面々を前にして、美神は号令をかけた。
「これだけ揃えば十分でしょう!?
さあ全員で海底神殿に乗り込むわよ!!」
(第七話に続く)
______________________
______________________
こんにちは。
ポセイドン編開幕ということで、第一話同様、舞台設定を再説明しました。しかし、それでも第一話よりは簡略化していますので、途中から読み始めた方々は、できれば第一話を御参照ください。
十二宮編で『黒サガ』が単なる『黒サガ』ではなかったように、今回も、『星矢』原作とは違う黒幕を用意しています。敵ボスに小物臭がするかもしれませんが、正体が明かされたところで納得していただけることを願っています。
また、ポセイドン編は「こんなに出して大丈夫?」というくらいGSメンバーが出撃しますが、すでに対戦の組み合わせは頭の中で確定しています。(基本的に)敵が七人である以上、負けてしまうGSメンバーも出てきますが、御容赦下さい。
なお、十二宮編では、おキヌがヒロインになってしまいましたが、ポセイドン編はダブルヒロインです。そのため、冒頭で美神の心情描写を少し丁寧に記しました。さらに、誘拐されたおキヌの気持ちを横島が確かめなければならないというイベントも提示しました。美神の気持ちとおキヌの気持ち、その二つに意味を持たせる形で、ポセイドン編を締めくくる予定です。どうか最後までお付き合いください。