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「それでも時は進みだす―少女の正体−(GS)」

氷砂糖 (2008-02-11 02:07/2008-02-20 21:20)
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普段の着物の上に割烹着を着込み、小さな二段重ねの弁当箱に狐色に焼けた出汁巻卵を詰めていく。

次は煮物。高野豆腐は煮汁を吸った場合を考え入れず、筍と里芋、蒟蒻に鶏肉、それを一口で食べれる大きさに切り分けた物を詰めていく。

 鮭の塩焼きは皮までパリっと焼き上げて綺麗な紅色をさせる。その横に仕切りを一つ作り、白菜の一夜漬けを並べる。

 炊き上がった後蒸らしておいた土鍋の蓋を開けると、一粒一粒が立ち上がった銀色の米が姿を見せる。

 手を水で濡らして塩を掌に乗せ、掌を擦り合わせるようにして塩を広げる。

 すくい上げる様に米を土鍋から取り出し、中の具に種を取り出した梅干を入れて熱くても気にせず強く握る。お握りは早く握るのがコツなのだ。

 お握りの形は三角。三つ詰めると僅かに隙間が開き、そこには切り分けた沢庵を詰める。

 ふと掌を見るとそこには一粒二粒米粒が付いており、それに気付いた千夜はその小さな桜色の唇を僅かに開き、掌を口のまえに持って行くと。

「――――ん」

 口の中に入れたお米をそっと優しく食んだ。


それでも時は進みだす
―少女の正体―
Presented by 氷砂糖


 “ピピピッ、ピピピッ、ピピピッ、ピピ、カチ!”電子音を鳴らす憎き音敵(目覚まし時計)の頭を押してスイッチを切る。

「うぁ〜〜〜あ」

 頭を覆う眠気を振り払い、布団から幽鬼のように這い出してきた忠夫は、体の軋みに眉をひそめる。

「痛てててててて」

 体の痛みは昨日の除霊のさい無理に霊力を回した後遺症だ。美神さんが言うには、しばらくは霊力を使わない方がいらしい。文珠なんかで急速に治すより、時間をかけて治したほうが後々のことを考えるといいそうだ。

「霊力が使えないって言っても、文珠は別なんだがな〜」

 自分の中に貯めている文珠を出したり,新たに作ったりすることは出来ないが、部屋に取り置きしてある文珠は別だった。

「さて、確か取り置きは八個だったかな」

 忠夫は痛む体を我慢して、時計の隣にある文珠箱(銀のマーク五個、もしくは金のマーク一個で当たる玩具の缶詰にそう書いた紙を貼った箱)から、中の文珠を取り出そうと蓋を開け、

「何で五個やねん」

 中身の減った文珠箱に、涙ながらに突っ込みを入れるのだった。


     †     †     †     †


 世の中の無常に涙を流していた忠夫だが、こうしていても仕方ないと涙を振り切り、制服に着替える。そして忠夫が自分の部屋のドアを開けダイニングに入るとそこには。

“ズゴゴゴゴゴゴゴゴゴ”

 とんでもない物が机の上に鎮座し、轟音を上げて空気が渦まさせていました。

 いや、他にも眼を引く物は有る。青筋作って睨み付けて来る美神さんとか、潤んだ瞳で見てくるおキヌちゃんとか、犬歯をむき出してウーウー唸ってるシロとか、そっぽを向いて私怒ってます、とアピールしているタマモとか。ある意味普段どおりの光景が展開されているのだが、机の上におかれた“其れ”のインパクトは、それらをぶっちぎって断トツだった。

「………………………ハート柄だよ、おい」

 そう。机のど真ん中にちょこんと置かれた物体。それは何処から如何見てもハート柄(しかもピンク)のナプキンに包まれた可愛らしくも小さなお弁当だった!

「どうかしたのですか?」

 それぞれの過激な反応をしている所にこの状況を作り出した元凶がやってくる。

「あの千夜さん………これは何でしょう?」

 千夜は忠夫が指差すものを確認すると、首を傾げてまるで何でもないかのように答える。

「貴方のお弁当ですが?」

 予想していたとおりの答えに忠夫は頬を引きつらせる。背中にビシビシと突き刺さる視線が痛い。俺が何かしたんか!と大声で喚きたいがそれをやってしまえば確実に狩られる。主に命を。

「なんでハート柄なんでしょうか?」

 思わず敬語になる忠夫だが、返って来た千夜の返事は意外を通り越して忠夫を唖然とさせた。

「この模様はハートと言うのですか。これにしたのは、この柄が一番上にあったからですが」

「へっ?それだけ、なにも深い意味とか無く?」

「はい。それだけですが…この柄には何か含む意味があるのですか?」

「うぐぅ!」

 千夜のピンポイントの質問は忠夫を怯ませ、他の四人はさらにそれぞれの表情を強めて忠夫の背中を凝視する。

 いかん!このままでは朝からゴミ屑にされてまう。それだけは、それだけは避けねばならんのや!今は霊力が使えんから回復にも時間がかかる………のか?いやいやいや!俺の回復力はきっと霊力の恩恵だ。でなければ人間としておかしい!あれ?たしか親父は………………………、

「如何かしたのですか?」

「千夜、俺は人間だよな?」

「貴方は横島忠夫です」

 忠夫の見当はずれの台詞に千夜は首を傾げ、まあいいかと机の上の弁当箱(しつこい様だがピンクのハート柄)を手に取ると、ちょこんと両手の上に乗せて忠夫に差し出した。

「………いらないのですか?」

 忠夫は、差し出されたお弁当を、何かから耐えるような視線で見つめるが、千夜の僅かな間を置いた台詞に陥落した。

「ご、ごちゃんです」

 何時もどおり感情の無いような千夜の台詞がどこか寂しげに聞こえたのは気のせいだろうか?忠夫にはそんな千夜の弁当を受け取る以外の選択肢は存在せず、背中に突き刺さる視線がさらに強くなった。

「横島君。話があるんだけど、主に拳で。大丈夫よ、そんなに時間をかけたりしないから」

「横島さん。私も話したいことが有るんですよ〜、聞いてくれますよね?」

「美神殿、おキヌ殿、拙者も参加しても良いでござるか?是非問い詰めたいことが有るでござる」

「私も参加させてもらうわ。無性に何か燃やしたい気分なの。あ、何を燃やすかは、美神に一任するわ」

 ゴミ屑決定。ああ、今まで色んな修羅場を潜り抜けてきた俺だが、今回で年貢の納めどころか。っへ、なんだかんだと言って、霊能に目覚めてからは、死が間近にあったが、まさか俺の命を奪うのが背中からとは。

「順番に忠夫の昼食を作っていたようなので、今回は私が作ったのですが、何か問題があるのですか?」

 救いの手は意外な所(修羅場を作った張本人)から差し出された。千夜は別におかしなことは無いでしょう。と令子たち四人に言うと、言われたほうは、視線をあさってのほうに向ける。彼女たちの場合、“義務”では無く、“望んで”であり、もし出来るなら毎日でも作りたいのだ。

「べ、別に何も無いわよ!」

 顔を赤くして、文句ある!と言いたげな令子を、他の三人は素直じゃないなーと、生暖かい視線で見るのだが、態度に気付かずダバダバと涙する馬鹿が一人居たりする。

「忠夫。時間はよろしいのですか?」

 起きた時はまだ時間に余裕があったのだが、もう既に朝食を食べる時間も無い。

 忠夫だけ今日学校があるのは、六道女学院には、GSの元でバイトしている生徒に対して、長期あるいは高難易度の依頼を手伝った際、GS側から休暇申請があれば、休みにすることが出来るという制度があり、令子が申請した期間が一日残っていた為である。

「ぬお!もうそんな時間か!?」

 忠夫は空っぽの鞄に、今千夜から手渡された物を横崩れしないように詰め、慌てて玄関に向かって走り出した。

「ちょっと横島君!まだ話は終ってないわよ!!」

「出席日数がやばくて下手したら親呼び出しになるんやー!!!」

 忠夫の悲痛なまでの魂の叫びに、令子は伸ばした手をカクンと落し、それぞれが納得して見送る中、千夜は何時までも忠夫が去った方を見ていた。


     ‡     ‡     ‡     ‡


「横島さん!いったい如何したんですか!?霊力がまったく出てないじゃないですか!!」

 普段とは比べるまでも無く、一般人並の霊力しか感じさせない忠夫に、ピートは驚きの声を上げ、肩を掴み詰め寄る。霊力の上下は確かにあるが、GSになるような霊能力者の霊能力がここまで落ちるのは、霊能を失った時ぐらいしかないからだ。

「ちょっとばかし無茶をして霊脈が焼きついてな、暫くは霊力が使えんのじゃ」

 こともなげに答える忠夫に、ピートはさらに頬を引きつらせる。そこまでしなければならない相手とはいったいどれ程のものなのか気になるが、聞くのははばかられた。

「いやー、今回の依頼が平家の悪霊、…正確には悪霊じゃなかったんだが、まあとにかく苦労したんだ」

「平家の悪霊ってそんなに厄介なの?」

 何か思うことが色々あるのだろう。眉間を揉むピートを余所に、愛子が興味に駆られて忠夫に質問する。

「愛子だって、長い間生きてたから九十九神になったろ、それといっしょらしい」

 つまりは年月を経たので強くなった。そういうことだ。

「なるほどね」

 愛子は理解したのでうんうんと頷く。ピートは悪霊という、思ったよりましな答えに、ほっと安堵のため息を付くが、後に唐巣神父から、平家の悪霊は下手をすれば魔族並になると聞き、忠夫が常識で測れないことを再確認するのだった。

「なあ、そんなことはどうでもいいんだが」

「霊力が使えなくなったのが、そんなこと扱いですか!?」

「文珠のストックが五個あるからな。それよりアレ、如何したんだ?」

 “アレ”誰もが気付いていながら、誰もが視界に入れないようにしている物体X、その正体は、

「タイガーが、瞬きや身動一つせず、イスに座に正座して正面を奈落のような瞳で見続けてるんだが、何かあったのか?」

 愛子とピートの頬を冷や汗が伝う。

「と、特に何かした訳じゃないのよ!?ただ挨拶と一緒に背中を叩いたら、ああなちゃったのよ!!」

 ああタイガー、お前は女性恐怖症を治しにここに来たはずなのに………いや、今の状態ならセクハラの虎とは呼ばれない。きっと本人も満足してるだろう。あれ、何だろう?この眼から零れ落ちる心の汗は、

「横島さん…突然泣き出していったい如何したんですか?」

「あいつは、タイガーは女性恐怖症を治すためにここに来たんだよ。なのに、なのに………」

 忠夫の涙は止まらない。もっとも小笠原エミの下で働いている時点で、女性恐怖症を克服しても、女性の尻にしかれるようになるような気がする。

「なる程、………あーめん」

 忠夫の考えに思い至ったピートは、タイガーに対して十字を切る。その様子は祝福を与えるというよりも、死を悼むものに近かった。


     †     †     †     †


「あのね千夜ちゃん、ハートって言うのは心を表すのよ」

「そうなのですか?」

「そうなのよ」

 和室にて向かい合いって正座するおキヌと千夜。忠夫がいなくなった後、千夜がピンクのハート柄の意味を聞き始めた為、困った令子はおキヌに教えるよう頼み(人はそれを押し付けと言う)今に至る。

 千夜ちゃんは少し…というかかなり世間知らずなところがあるから、こういった時は丁寧に教えてあげなくちゃ。

「氷室キヌ」

「なーに、千夜ちゃん?」

「心と一口に言っても喜怒哀楽と大きく分けても四つあります。この場合ピンクのハート柄とは、どういった場合に使う物なのですか?」

「へ?」

 どういった場合に使うのか?そんなのは決まっている。意中の人物にアタックを仕掛けるために使うのが一般的だ。

「貴女がどういうときに使うのかでもかまいません」

「あれ?」

「私は今の世間の事に疎いところがあります。ですが何時までもそれではいけないと考えています。教えていただけますか、氷室キヌ?」

 自らの世間知らずを自覚しておキヌに教えを乞う千夜と、突然の展開に困惑するおキヌ。本人にとって真面目な質問なのだが、話の中心はあくまでピンクのハート柄である。

「え〜っと、え〜っと」

 おキヌは混乱する中、必死に考える。今千夜は様々なことを知ろうと努力している。ならば先達としてそれに答えるのが年上として当然の事ではないだろうか?ならばここは恥ずかしいのを我慢してでも答えねばならないのではないだろうか。

「………………………………愛かなぁ?」

 おキヌは自分の言葉に顔を真っ赤にしながら視線を宙にさ迷わせ、搾り出すかのようにピンクのハート柄の意味を口にする。

「哀、ですか。ならばそうそう使う訳にはいかない物なのですね」

 千夜はしきりに納得したかのように頷き、どういった場合に使う物なのかを理解した。………ずれてるけど。

「うん、そうだね。だから千夜ちゃんもピンクのハート柄を簡単に使っちゃだめだよ?」

「はい、解りました」

 こうして二人は今後、師弟関係といえるような関係が続くことになった。


 水の中に入った光は屈折するが、水から出る時さらに屈折するという。


     ‡     ‡     ‡     ‡


 さて、いい加減このパターンにも飽きつつあるが、昼食の時間である。多くの生徒にとって至福の時間なのだが、我らが忠夫はというと、

「横島さん、鞄をじっと見つめて如何したんですか?」

 虚ろな目で鞄の中のお弁当に思いを馳せていた。

 今ここで出せというのか、このピンクのハート柄を!?何でワイは来る前に包みを変えんかったんやー!そうすれば、今周りを囲うヲトコ共を気にせんでよかったんやーーーーーー!!!

「如何した?横島。何故弁当箱を出さないんだ?」

 “ポン”と背後から忠夫の肩を両手で叩く眼鏡。忠夫は観念したふりをして鞄の中に手を入れ、ガサゴソと包みを外そうと………

「横島、包みを外さないといけない理由でもあるのか?」

 “ビクン!”と解りやすく肩を震わせ、表情を引きつらせる。その様子に多大なる猜疑の視線が忠夫に降り注ぐが、本人は背中に冷や汗を流し、それ所ではない。

「諦めろ、横島。お前にはそれを白日の下にさらす以外の未来は無いのだよ」

 忠夫の無駄な努力を他所に、机の上に出した瞬間、

“グゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ!!!”

 殺気、怒気、瘴気、嫉妬、あらゆる負の念が忠夫を中心に集まる。このまま放って置けば生霊が誕生するのではないかと、ピートが思わず心配してしまうほどだった。

「ピンクのハート柄だと!」
「あのやろう、ついに………」
「許せねえな!」
「やるか!」
「やろう!」

 小声で聞こえてくる不穏な会話に、忠夫は逃走ルートを探すが、

 あかん!霊力の使えん今の状態じゃあどうやっても逃げられん!否、俺には文珠が…駄目だ、ただでさえ五個しかないのにこんな所では使えん。しかし命には代えれんし………

「横島、その弁当を作ったのは誰だ?」

「ち、千夜だ」

 ぴたりと周囲の喧騒が止み、人壁が四方へと散って行った。

「………一体何が?」

「皆わかっているのだよ。千夜ニストの方々を敵に回すことが一体どういった事態を招くのかを」

「何の話だ?」

「ちなみに似たような物としてレイン愛好家の方々もいらっしゃられる。この二つの仲は良好で同時に名乗ることも可能らしいぞ・」

「だから何の話だ!?」

 忠夫の荒げた声に、眼鏡は気にするなと言って去って行った。

「何だって言うんだよ………」

 突然の事態に忠夫は呆気に捉えているが、身の安全が保障されたようなのでおっかなびっくりピンクのハート柄の包みを外し、二段重ねの弁当を広げる。

 一瞬ご飯にピンクの桜でんぶが乗っていたら如何しようと思ったが、お握りだったので安心したのは皆だけの内緒である。

 手を合わせて箸入れから箸を取り出し、食欲をそそらせる黄色い卵焼きを口の中に放り込み、

「………」

 “ムグムグ”とゆっくりと咀嚼し嚥下すると、

「…美味いな」

 そう口にした。


「ご馳走様でした」

 手を合わせて今ここに居ない作り手に対しての感謝を告げる。

「横島君美味しかったみたいね」

「わかるか?」

 愛子はクスリと笑って答えを口にする。

「誰だってわかるわよ。口にするたびに美味しそうに笑ってるんだから」

「げ、そんな顔してたか?」

 忠夫うめき声を上げて自分の頬をグニグニといじくると、愛子は笑って次の質問をした。

「満足した?」

「まあな、味は申し分なかった。一つだけ不満が有るとすると量かな」

 千夜の手作り弁当の大きさは女子にはちょうど好いかもしれないが、平均的男子生徒には少し物足りなかった。ましてや万年欠食児童一歩手前の忠夫ならばなおさらだ。

「………少し食べる?」

 物足りないと言った忠夫に対して愛子は自分の弁当を差し出す。彼女は食べ物など必要としないのだが、何時もの事で青春を楽しみたいといって、調理実習部屋の使用許可をもらって作っている。

「お、いいのかありがとな」

 差し出された弁当箱の中のお握りに手を出すが、

 “ガシ”

「へ?」

 “ガシ”

「は?」

 両脇を屈強な男子生徒に抱えられ、お握りを手にすることは出来なかった。

「な、なんだ!?」

「油断したな横島」

 いつの間にか近づいてきていた眼鏡が忠夫を見下ろすように告げる。

「眼鏡!?これはなんのつもりだ!」

「俺の名前は眼鏡で固定か………それはともかく。今回お前に手を出さなかったのは千夜ニストの方々のことを考えてだった。しかしお前は事もあろうに彼らの怒りを買うような行動に出た。これは制裁されてしかるべき行為であり、漢達に対する裏切りである。その身を持って償え」

 即刻どこぞのエイリアンのように引きずられて行く忠夫。脇を抱える二人はちゃんと机の間を通るのだが、二人の間に居る忠夫はゴツゴツと机や椅子に遠慮なくぶつけられていく。

「痛!痛てぇ!ちゃんとぶつけんように!」

 “ゴツン!”

「………」

「静かになったか。よし、体育館裏に運べ。用意する道具は椅子とロープだ。おっと皆、軍手をするのを忘れるな、指紋が残る」

 手馴れた動作で連れ去っていく男子生徒たちに、愛子とピートは何も言えずただ見送った。

「因果応報ですじゃー」

 復活してたのかタイガー。

「酷いんですじゃー!」


     ‡     ‡     ‡     ‡


 午後の授業、横島忠夫の姿は何故か教室の中にあった。最も真面目に授業を受けている様子は無く、机に突っ伏したままピクリとも動かないのだが。

「横島君、教科書の44ページを読んで下さい」

 そんな横島に老教師、二宮吾郎が名指しをする。皆さんも覚えがあるだろう。年配の教師の授業が催眠効果をもたらす事を、しかし二宮吾郎違う!催眠効果を問答無用の催眠術までに昇華させたのだ!

「は…い」

 空ろな返事と共に、先程まで寝ていた筈の忠夫は、まるで人形のように起き上がり、頬に跡を付けた教科書を手に持って広げ、教科書を読みはじめた。

「その日も何でもない日常になるはずだった。だけどそんな僕の思いは突然窓の外から飛んで来た女の子に押しつぶされることで――」

 “ガシャン!”

「キュイ♪」

「ぐはぁ!」

 “ガシャン!”

 突如窓を割って教室に乱入してきたレインに抱きつかれ、反対側の窓ガラスを割って廊下へと飛び出していった。

「よ、横島さん!?」

「ピエトロ君、代わりに44ページを読んで下さい」

「え!がん無視!?」

 老教師二宮吾郎は、解っていますというように、うんうん頷くと一言。

「読んで下さい」

「ハイ、ワカリマシタ」

 一転ピートはおとなしく頷き、教科書を開く。

 何時ものことだ。取りたてて騒ぐことも無く、授業は進んでいく。ピートが教科書を朗読する声のほかに、パタパタと廊下を歩く足音だけが聞こえる。おそらく用務員だ、ガラスの割れた音を聞き付け、後片付けに来たのだろう。これも何時ものことだ。

 やがて足音が止まり、横島を無視して片づけを始めるのだろうと思っていた。だが、

「兄様、大丈夫ですか?」

『兄様!?』

 その予想は竹刀袋を抱えた14歳くらいの少女により覆されるのだった。


     †     †     †     †


「ええ、ええ、解りました。こちらのほうでも探して見ます。見つけしだいご連絡いたしますのでご安心ください」

 “カチャン”令子は受話器を戻し嘆息を零す。

「如何かしたんですか?」

 お茶を入れた急須と湯飲みをお盆に乗せ、おキヌがめんどくさげに溜息を付いた令子に話しかけた。

「この前の依頼で女の子を保護したでしょ?」

「はい。14歳くらいの女の子で、眠ってた子のことですね」

「そうよ。まったく、おキヌちゃんの時でさえ地脈を利用して肉体を保存していたのに、たった一本の古刀で補ってたのよね。」

 令子は心底参ったという様に頭を抱え、おキヌが入れたお茶をすする。

「古刀がどうかしたのでござるか?」

 好奇心旺盛なシロが聞くが、令子は顔をしかめる。

「あんまり口にしたくないわ。下手したら歴史が変わるし、そうなったらあの子のこれからの人生を大きく乱すことになるから」

 唯我独尊を地で行く令子が他人の事で、ここまで考えるとなると一体どれ程のものだろうとタマモは考える。

「そんなにやばいの?」

「下手したらあんたより不味いわ」

 九尾の狐にして玉藻御前であったタマモよりも不味いという言葉に、三人は驚愕して目を見開く。

「早く見つけなければまりませんね」

 今まで口を開くことの無かった千夜が口を開き、今後の方針を促す。その様子に令子は何か引っかかりを感じ、千夜へと向き直った。

「千夜はあの子が何者か分かったの?」

「ええ。最低でも地脈と同程度の力が無ければ、肉体と魂の完全な保存は出来ません。そしてそれ程の力を持った古刀となると、私は一本しか知りません」

 千夜は保護した女の子の正体どころか、剣の正体にすら気付いているようだった。

「あの剣ってやっぱりアレ?」

「アレでしょう。それ以外考えれません。逆説的になりますが、彼女の正体を鑑みるとそれ以外ありません」

 令子は千夜の断言にため息をつく。その剣は日本人であるならば誰でも一度は名前を聞いたことがあるであろうもの。今現在の史実では失われたことになっているが、もし現存するとなれば、最低で“兆”単位の金が動く。正直令子も欲しくないわけでもないが、

「日本を敵には回したくないわね」

 とのことだ。

「に、日本を敵に回すって何ですか?」

 おキヌが令子の突然口にした物騒な言葉に口を引きつらせる。まあ突然日本を敵に回すと言われればそれも仕方が無い。

「気にしない気にしない。さあ、さっさと見つけて厄介ごとを終らせましょう」

 令子は椅子にかけて置いた上着を手に取ると、席を立ち上る。

「あの美神殿。捜すべき女子の名前はなんと言うので御座るか?」

「あ、そっか皆にはまだ言ってなかったわね」

 令子は一瞬しまったというような表情をするが、一瞬で切り替え捜すべき相手の名前を口にする。

「安本徳乎よ」


「それにしても女の子か。また横島がかかわったりして」

 タマモの一言にいざ出陣と意気込んでいた令子の動きが止まり、おキヌが下を向いて髪を垂らして表情を隠し、シロが泣きながら霊波刀を構える。

「えっと、……冗談よ?」

 思わぬ状況に軽口を叩いたタマモが冷や汗を垂らす。

「解ってるわタマモ。でもね」

 令子は諦観を眉間の皺に込めて言う。

「あんたを拾ったのも横島君なのよ?」

 その一言にタマモは大いに納得してしまった。


     ‡     ‡     ‡     ‡


「安本徳乎と言います。一応始めまして。兄様」

 放課後、机を挟んで座る少女はニコニコ笑って自己紹介をし始める。

「え〜っと何処から突っ込んで良いのか分からんが、何故に兄様?」

 忠夫の質問に、徳乎はキョトンとすると、すぐさまニパッと笑って一言。

「だって兄様ですから」

 駄目だ、答えになってねえ。

 頭を抱える忠夫だが、実はもっと頭を抱えることになる事態が、

「横島のやろう。どうやってあんな天然系美少女を!」
「これで何人目だ?フラグマンめ!」
「あいつの毒牙にかかるまえにあいつをヤらねえと。先生お願いします!」
「いいのか?俺みたいな男にホイホイ任せてしまって。俺はノン気でも………」

 廊下で現在進行形だったりする。特に最後。

 忠夫は思考を切り替えるため頭を振ると、改めて目の前の少女を見る。

「徳乎ちゃん、でいいのか?」

「はい。兄様」

「ク〜」

 正直この少女には覚えがあった。この前の依頼のさい、平家の隠れ里で保護した少女だ。一応この事を依頼主に報告した所、依頼主である女将が引き取ることになった筈だが、何何故こんな所に居るのだろう?

「どうやってここまで来たんだ?」

「この子がつれて来てくださいました」

「キュイ〜」

 机の上に座るレインは長くの伸びてだれている。いくらレインでも人一人抱えてここまで来るのは疲れたようだ。口がムグムグ動いているのは、女生徒からタマゴサンドを貰ったからだったりする。

「そっか、レイン頑張ったんだな」

 忠夫がレインの頭を撫でると、レインは嬉しそうにキュルキュル鳴く。その鳴声を聞きながら、忠夫は考える。平安時代からいきなり現代に飛んだようなもんなのに、混乱とかせんのか?

「本当レインさんは頑張ってくださいました。ちょっと寒かったですけど、雲を上から見るのは爽快でした」

 …成程、混乱するしない以前に、詳しく見ていなかったと言う訳ですか。

「ところで」

 現在進行形で起こっているややこしい事態に対して頭を抱える忠夫に徳乎は、

「姉様は何処でしょう?」

 更なる頭痛の種を蒔く。


     ‡     ‡     ‡     ‡


 徳乎の爆弾発言が炸裂した頃、千夜は一人混雑する渋谷の街中を歩いていた。

 といってもただ歩いているわけではない。上空に飛ばした白夜を通じて霊視を行っているのだ。そして捜すべき少女の魂は酷く目立つ。

 千夜にとって必要な行動なのだが、整った顔立ちに和服であり、白夜に半分意識をとばしている分危なげに歩いているのでその姿はとても目立っていた。

 しかし千夜はそんな周りの目などは気にしない。千夜にとって他人に如何見られようと関係ない。ただ自分という個人だけで完成していればそれでよかった。

「―――いません」

 白夜を自分の影に戻し、意識を完全に戻す。

 周囲の視線は千夜にそそがれる。その視線には奇異や好奇の物も含まれ、粘着質で嫌悪を抱かせる視線も有った。

「――――――」

 嫌な視線だ。京の山奥から出て来て、東京に訪れてからこのような視線に晒された事は幾度もある。今の家に訪れた時、穂波や和泉水凪と出かけた時、六女からの帰り道、そう言った視線に晒される事の無いほうが珍しかった。

「………不快」

 そうただ不快。感じられる思いはそれだけ。千夜とてそういった視線の意味が分からない訳ではない。情欲や性欲、他人が自分に抱く感情はその人個人の物だ、私が干渉していいものではない。

 だが嫌だ、その視線に晒される事が嫌で嫌で仕方無い。私にその視線を向けるな、私にその視線を向けていいのは………

 ―男をその気にさせる女だ―

 思い出されるのはあの時の笑顔、千夜は勢いよく俯き、顔を紅く染める。

 何で私は!?

 千夜は慌てて思い出したことを忘れようとすると、別のことが脳裏を過ぎる。朝渡したお弁当は気に入ってもらえただろうかと、

 そして千夜が歩みを止め、思考にふけっている背後で、

 “グワァ!”

 霊団の黒い津波がビルを超えた。


     ‡     ‡     ‡     ‡


 走る!走る!走る!横島忠夫はただ走る。

 走る!走る!走る!後ろを振り返らず、ひたすら前を見て。

 走る!走る!走る!徳乎とレインを小脇に抱え、一心不乱に地面を蹴る。

「なんじゃあこりゃああああああ!」

「兄様速い!」

「キュワー♪」

 背後に迫る黒い壁、悪霊の霊団が忠夫たちを追ってきていた。

 量がおキヌちゃんの時よりも多くなっていませんでしょうか!?

 走りながらそんな事を考えるが、直ぐに考えている余裕は無くなる。霊力が使えない状態なので、今の状況を身一つで切り抜けるしかない。

 それなりに体を鍛えている(体脂肪率一桁、事務所内最低値)とはいえ、正直このままでは逃げ切れない。と、内心でかなり焦っている忠夫の目に飛び込んで来たのは、

「どうだい、これから一緒に夕日の見える海にでも行かないか?」

「え〜、行くのはいいけど、何か下心でもあるんじゃないの〜」

 大型バイクに跨り、ボンキュボンなコギャル(死語)をなんぱするイケメン(西条型亜種)だった。

「ハッハッハそんな訳なグハァ!」

 宙を舞うイケメン。忠夫が一人と一匹を抱えてとび蹴りを敢行。そのまま男の代わりにバイクに跨り、後ろに徳乎を座らせると空中のヘルメットを引っ掴み、徳乎に被せた。

“ブロロロロロロ!”

 エンジンは重低音を奏で、その巨体に相応しい加速を見せた。

「ド、ドロボー!」

「釣は要らん、とっとけ!」

 ポケットに手を突っ込み、中から五百円硬貨を取り出し“キィン!”と金属音をさせ親指で弾いた。


「兄様これは何ですか?」

 徳乎は落ちないようにとしっかりと手を回し、竹刀袋を抱えたまま忠生にしがみ付いている。

「あ〜これは鉄で出来た馬だぞー」

 ゴウゴウと風が耳の傍を通り過ぎる中、忠夫は聞えるようにと声を大きくして徳乎の質問に答えた。

「そうなのですか。今の馬は鉄で出来ているのですね」

 中々順応力の高い子である。

「ところで兄様、対価を払った様なのですが、それは等価なのですか?」

「ああ、あれが有れば.贅沢が二回も出来る!」

「成程、それは等価です!」

 自信満々に言い切る忠夫に徳乎は納得したが、忠夫の言う贅沢とは一杯230円の牛丼(並)だったりする。


     ‡     ‡     ‡     ‡


 千夜は即座に背後を振り返った。

「何故!?」

 突然湧き上がった悪霊の波。発生する直前までその存在を感じさせることなく、その異常性を思い知らされた。

「霊力を持たない者には見えていない。完全に目標のみに集中している」

 即座に平静を取り戻し、状況の確認を行う。周りに眼を向けてみれば、霊団の波に気づいている者はいない。普通の霊団であれば、現世〈うつしよ〉に対して無差別の干渉を行う。

「それが無いということは………、あの霊団は何者かの意思?」

 目の前の現実は、その眼にしてなお信じれるような物ではなかった。おそらく霊団の規模は千単位。霊団に気を取られていた千夜の眼にある物が飛び込んでくる。

「あれは?」

 爆音を響かせ、騒音を撒き散らす一台の車、それに乗っている二人と二匹には見覚えどころか、ここ最近朝起きて夜寝るまで何度も顔を合わせる顔ぶれだった。

 “キキィィィィ!”壮絶なブレーキ音を奏で、180度回転しながら止まるコブラ。狭い日本には不向きなその車を運転するのは、それにそう相応しく日本人離れしたプロポーションを誇る美神令子だった。

「乗りなさい、千夜!」

 助手席のドアを蹴り開ける令子。千夜はすぐさま開け放たれたドアからコブラに乗り込み、シートベルトを締めると、令子に状況説明を求める。

「説明を」

 令子はアクセルをべた踏みし、ローからセカンド、セカンドからサード、サードからトップへと巧みなギアチェンジを行う。そして隣に座る千夜の質問に舌を噛むこともせず、簡潔に答える。

「追われてるのは横島君と今回探していた安本徳乎、それにレイン。オカGが結界車をレインボーブリッジに展開中。横島君は西条さんが誘導する予定よ!」

 ハンドルを素早く切り、コブラを横滑りさせカーブを曲がる。運転席と助手席に座る二人はともかく、その間に座る一人と二匹はえらいことに成りつつある。

「西条………今は亡き西郷家の分家ですね」

 左カーブ。ハンドルを素早く回しクラッチを踏み込んで、さらにはブレーキとハンドブレーキの二重の急制動。急激に落としたスピードに合わせてギアチェンジ、慣性に振り回されるようにして90度転回。

「知ってるの?」

「ええ、西郷家は平安時代から続く名家で、西条家はその分家に当たります。しかし先の大戦の際西郷家の血筋は断え、当時英国にいた西条家の血筋のみ残りました」

 ハンドブレーキを戻し、強引にギアを繋げる。絶妙なタイミングでアクセルを底まで踏み込み、その丸みを帯びたフォルムに似合わぬ獰猛な加速を見せる。

 西郷、確か平安時代にヒャクメにつれられて行った時に出会った西条さんの前世だったわね。思えば西郷も高島も二人して分家に転生するなんて皮肉なことね。そういえばあの時の私と横島君の前世は………

「ええい、とにかく私たちもレインボーブリッチに急ぐわよ!」

「はい」

 令子は何かを誤魔化すかのようにハンドルを乱暴に切った。


「みみみみみみみ、美神殿!も、もう少しゆっくり!?」

「は、吐きそう」

「ふぇぇぇん、横島さーん!」

 しゃべる元気がある内はまだ大丈夫と判断し、令子は若干違法気味な気がしないでもないニトロのボタンに手を伸ばした。


     †     †     †     †


 右や左に体をずらし、巧みに車を追い抜いて行く(横島忠夫17歳、免許無取得)しかしそれでも霊団との距離は段々詰められていく。

「文珠は五個、その場しのぎで使える個数じゃない。効果的に使うしかないな、くそ!なんて込める!?二文字制御も霊力を使えん今じゃあ出来ん!!」

 焦りは思考を鈍らせる。結局何も思い浮かばないまま、その場凌ぎに文珠を使う以外なかった。

 『浄』

 迫り来る霊団の一部が浄化され、その隙に一気にアクセルを吹かし加速を促すが、失われた霊団の一部はすぐさま補われ、状況はいっこうに変わりはしない。

「兄様………」

 小さな手が忠夫のGジャンを握る。その手は白くなるほど強く、恐怖を堪えるかのようだった。

「大丈夫だって、絶対に逃げ切ってやる!」

 忠夫は励ますように明るい口調を使うが、現実は厳しく、二人にジリジリと霊団の間の手は迫る。

 ――――――――五メートル

 ――――――四メートル

 ――――三メートル

 ――二メートル

 一メートル

「キュイ!」

 後ほんの数センチという所で、忠夫と徳乎の間に居たレインが二人の間から這い出す。

「キュウウウウウウウ」

 レインの絞るような可愛らしい唸りと共に、レインの口の周りに燐光が集い、レインが大きく口を開けた瞬間、

「キュワ!」

 レインの口から斜め上に放たれた劫火の火柱が霊団の波を貫通した。

「は?」
「へ?」
「キュウ」

 “貫通”である。地を這うバイクから、立ち並ぶ高層ビルを超えるほどの霊団の波をである。

「アノ、レインサン?」

「キュイ!キュ!」

 片言でレインに話しかける忠夫に対して、レインは何故か上機嫌に頭を揺らしながら鳴いている。

「レインってすごいんですね」

「キュルルルルルル♪」

 そういう問題ではない。とにかくバイクに近づく霊団はレインの火柱が焼き払い、幾分かの余裕が生まれる。

 霊団を貫通した火柱は成層圏まで届くような勢いだが、今はそんなことを気にしている暇は無い。無いったら無いのだ、そしてこれは断じて現実逃避などでもない。

『横島君!聞えているか!?』

 突如、拡声器越しに聞える聞き覚えのある声に惹かれ、上を見ればICPOのロゴが入ったヘリが一機、併走するかのように飛んでいる。

「西条!」

 忠夫は上空の西条に聞えるように怒鳴り返すが、距離やヘリのローター音で聞えたとは思えない。

『聞えているならこのままレインボーブリッチへ向ってくれ。そこに先生が結界車を用意している!』

 目の前の信号は赤。レインボーブリッチへ向うならばこの信号を右に曲がらなければいけない。しかも霊団は何故か一般人にまったく影響を与えていないので交差道路には普通に車が走っている。このままでは事故を起こすか、霊団に追いつかれるかのどちらかだ。

 “普通にいけば”

「徳乎ちゃん、レイン、しっかり摑まってろよ!」

「はい!」

「キュイ!」

 スピードを落とすどころかさらに加速。途切れ途切れの白いラインからオレンジのラインに入った瞬間。

「いっけ!!!」

 忠夫は車体を九十度捻り、斜めに倒す。直後“キキィーー!”という甲高いブレーキ音と共に、ゴムの焦げた匂いと二本のタイヤ痕を置き去りにして忠夫たちを乗せたバイクは交差道路を通行中の車の間に入り込む。そして背後に迫る大型のトラックを忠夫は、

「っ!!!」

 アクセルを全開にして間一髪で置き去りにする。

 背後の心配は要らない。必要なのはもっと別の場所、側方から霊団の一部が迫る。

「レイン、打つなよ!」

 敵が斜め上から迫っていたうちはいい。だが今や霊団の背後にビルがある。レインが火柱を放ってしまえばそれらは確実に倒壊する。ましてや、移動している現状では“切断”すら有り得る。

 “ドン!ドン!ドン!”

 ヘリに乗った西条がライフルを連射、精霊石弾頭が霊団の一部を消し飛ばす。

『横島君!霊障の所為か電子機器が誤作動し始めている。これ以上の援護は出来ない、健闘を祈る!』

 右手にライフル、左手に拡声器を持って爽やかな笑顔を浮かべる西条。実に嬉しそうだ。

「てめ、西条!助けるなら最後までやりやがれ!」

 割と限界ギリギリな忠夫は思わず声を荒げるが西条には届かない。

『君なら出来るだろう?霊力が使えようが使えまいが関係ない。横島君、今君の後ろには将来有望な女の子達がいる。だとしたら君のやることはたった一つだ。そう、たった一つなんだ。それくらいやって見せたまえ』

 言葉の内容は忠夫にとって皮肉以外の何物でもない。だがそれでも西条の言葉はどこか優しげだった。

『主任!もう限界です!』

『分かった。では横島君、頑張りたまえ』

 ヘリは高度を上げ、忠夫たちより先にレインボーブリッチのほうへと向かっていく。

「西条のやろう、言いたいほうだい言いやがって!」

 毒づきながらも笑う忠夫。背中に感じるのは将来有望な少女の重さ、ならばやらねばなるぬ。

 気分は古来中国において主君の子供を抱え、単騎で敵陣を突破したという武将。自分はそこまで格好のいいものじゃないが、その話にあやかるのも悪くない。


 PS西条、確かに後ろに乗ってる“彼女達”は確かに将来有望な娘達だ。………いろんな意味で。

「レイン、あっちからも来てます!」

「キュイ!キュイ!キュイ!」

 背中には的確に攻撃対象を指示する徳乎と、指示された対象を焼き払うレイン。それに対して自分は逃げるだけ。うん、地味に情けない。

「なあ神様。なんで俺の周りってこう強い女の子が集まるんだろうな」

 しかし集まる女の子の殆どがいい女であるのもまた事実である。


     †     †     †     †


「どうやら順調に近づいてきているようね」

 スーツを着こなして双眼鏡片手に持ち、レインボーブリッチ上にたたずむ美女、美神美智恵は時折立ち上る火柱を見て忠夫たちがこちらに向かっているのを確認する。

「先生。人員の配置、完了しました」

 背後から声をかけてきたのは、現状把握に勤しむ上司の代わりに陣頭指揮を執っていた西条だ。

「分かったわ。令子たちは如何してる?」

「令子ちゃんたちもこちらへ向かってます。今の状況を打破出来るのはおキヌちゃんだけですからね」

 霊団に最も効果のある霊能の一つである死霊使い、今現在日本においてその霊能を有するのは氷室キヌただ一人である。そのため、オカGは除霊場所としてレインボーブリッチを用意した。

「そうね。………それにしても、令子のところには私たちとしても欲しい人材しかいないわね」

 橋の上という空間は遮蔽物が存在せず、ネクロマンサーの笛の音を阻害される事が無い最善の空間なのである。

「それには僕も同意します。令子ちゃんは一GSとしてだけでなく現場指揮者としても有能ですし、おキヌちゃんのネクロマンサーという霊能は今回の件の事を考えれば言うまでも無いですしね」

 最もレインボーブリッジという場所を閉鎖するに当たって相当の軋轢があったものの、美神美智恵の名が物を言い、強行とも言える今回の作戦を実行する事が出来たのである。

「シロちゃんやタマモちゃんの二人も犬神という事を考えれば、下手な警察犬の何十倍も頼りに成るわね。更には戦闘要員になりえるという点も棄てがたいわ」

 ちなみにレインボーブリッジを閉鎖するにあたって、オカGの男性職員の大多数が興奮を露にしたのは仕方のない事である。

「最近入った高島千夜、彼女も申し分ないですね。この前の六道の対抗戦を見たところ即戦力として申し分ない実力を持っています」

 西条は近くに居た部下から双眼鏡を受け取ると、上司と同じように火柱へと双眼鏡を向ける。もっとも向けた先は火の元ではなく、火柱の行方である。

「最後に横島忠夫。知識という点ではいささか問題があるものの、実力は一流と言っても差し支え無く、逆境打破という点で見れば超一流。そして最大の特徴として未だ成長の余地あり。………令子ってば、どうやってこんな先物有力物件を見つけたのかしら?」

「た、確かにそうですね………」

 美智恵は知らないが、西条は令子に聞いた事があるので知っている。見つけたのではなく、やって来たであり、忠夫が荷物持ち時代どんな扱いだったかを。

 ちなみにそれを聞いたとき、西条の頭の中に“よく生きてたな“とか、“ああそりゃうっかり霊能に目覚めるわけだ“等と言った感想が浮かんだりした。もっとも後から考え直してみれば、霊能に目覚めてからのほうが、“よく生きてたな”という言葉が当てはまったりする。

「先生。本部のほうから令子ちゃんたちの引き抜き、いえ。横島君を引抜こうとしている動きがあるのは本当ですか?」

「本当よ。そのうち横島君に対して何らかのアプローチがあるんじゃないかしら?もっとも無駄になるでしょうけどね」

 ため息をつきながらも面白そうに笑う上司に西条は怪訝そうに双眼鏡を下ろす。

「何故ですか?本部からの誘いとなると、それなりどころか上級幹部並の扱いになるでしょう。文珠にはそれ程の価値があります」

 もっとも西条にも忠夫が今の場所を離れるとは思えない。あの人一倍情に弱い性格では独立するにしてもかなり先の話になるだろう。

「だって今横島君には鎖が五本も付いてるのよ?」

 ちょっと待って欲しい。先生その五本の鎖って言うのは何ですか?

「この場合は上手くしたらかしら?ともかく鎖の内どれか一本は薔薇色に変わるかもしれないわね」

 あの先生何故そんなにも楽しそうなんですか?それではまるで貴方が一枚噛んでいるようですが?

「私は何も関与してないわよ?」

「心を読まないでください」

 憮然とした表情の弟子に美智恵はクスリと笑い、さらに追い討ちを掛けるようかどうか迷っていると、

「で、鎖とは何のことなんです?」

 じれた弟子自身が止めを望んできた。だから美智恵は容赦なく、

「あの子達横島君と同棲してるのよ」

 笑顔で心臓に杭を打ち込むことにした。

「せ、先生はそんなことを許可したんですか!?」

 慌てふためく西条を余所に、美智恵は頬に手を当ててとても嬉しそうに笑う。

「オホホホホホ、令子も二十歳過ぎちゃってるんだもの。もうそんな話に親が出て行ったら子煩悩に思われちゃうだけじゃない!」

「何を理解ある母親のような台詞をさも嬉しそうに言ってるんですか!令子ちゃん達にもしものことがあったら如何するんです!?」

「無いわよ、もしもなんて」

 先ほどまでとは打って変わってつまらなそうな美智恵の言葉に、西条は気勢をそがれる。

 煩悩王への道をひたむきに走っている横島君がそれなりどころか、僕の視点から見ても一級ばかりがそろった女の子達と一つ屋根の下で何も起こらない?

 確かに彼女のことがあって大分落ち着いた感じはあるが、それでも横島君は十代の性に関して多感な時期だ、可能性を捨てきるには理由として薄い。

「どうしてです?」

「あのねえ西条君、考えて見なさい横島君なのよ?一見ハーレムに見えても横島君にとっては周りから常時監視されてるようなものなのよ?そんな状況で横島君が行動に出れるわけ無いじゃない」

 だから自分でスルことも出来ないんじゃないかしら?

「ま、まあ確かにそうですね」

 下世話なことを考える美智恵を余所に、忠夫の人となりを知っている西条としては不安が残るがそれでも一応の納得は出来たようだ。

「でもお風呂とかでドッキリがあった場合は分からないわね。あら西条君如何したの?」

 返事は無いただの屍のようだ。それにしても安心させて止めを刺す。なんとも極悪なことである。

「あら、死んでしまうとは情け無い。………どうやら令子達も到着したようね」

 聞こえてくるエンジン音に令子たちの到着を察知した美智恵はそそくさと令子たちの方へと歩いていき、残された西条はというと、

「………」

 無言でガチャリと愛銃のスライドを引いた。


     †     †     †     †


「横島君たちの到着はまだのようね」

「その様です」

「ハラホロヒレハレ」

「あら綺麗な小川ね。あれ、私を呼ぶ貴方は誰?………え、メイ?」

「タ、タマモ!?そっちに行っては駄目でござる!!!」

 美智恵が到着した令子たちを迎えに行き目にした光景はそんな混沌とした光景であった。

「横島君ならもう直ぐ着くわよ」

 だがそんな光景も美知恵にとってはなれたもの。まったく気にせず話しかけ、親指で今も立ち上がる背後の火柱を指す。

「ママ!もう直ぐ着くってあの火柱ってまさかレイン?」

「そうよ、西条君が安本徳乎と一緒に確認したわ」

「み、美神さん……大丈夫ですよね?」

 おキヌはどこか不安げに令子に質問するが、同じく令子も頬に冷や汗を垂らしている。

「だ、多分大丈夫じゃない?」

「そうでござるよ!な、タマモ!」

 シロはタマモに話しかけるが、

「あはは、あなた何だか懐かしい匂いがするわ。えっ帰りなさいって?でも……何処に?」

「こっちに帰ってくるでござる!」

 シロが必死にガックンガックン揺らすとタマモは薄っすらと眼を明けていく。

「んもう、何よ馬鹿犬。人がせっかくいい夢見てたってのに」

 目をこすりながら起き上がるタマモに、シロは更に言葉を叩きつける。

「大丈夫でござるな?もう逝ったりしないでござるな?今度逝ったりしたら先生は拙者が貰うでござるよ!よしタマモ、逝くでござる!!」

「誰が逝くかー!!!」

「おろう!」

 突如ばねでも仕掛けてあるかの様に起き上がり、タマモはシロに頭突きを決行。シロは額から煙を出して仰け反り、タマモは額を押さえて蹲る。

「いたたたたた」

「何をするでござるかタマモ!?」

「何をするじゃないわよ!先生は拙者が貰うってどういうことよ!?」

「どうもこうも無いでござる!拙者は拙者よりも弱い男と夫婦になる気は無いからにして、拙者の夫に相応しいのは先生しか居ないでござるよ!」

 自信満々に言い切るシロに噛み付くのは何もタマモだけではない。

「あんたより強い男なんて西条さんとかそこらじゅうに居るでしょうが!」

「そうでよ!雪之丞さんとかピートさんとかいるじゃないですか!」

 ここでタイガーの名前が上がらないのはある意味必然だろう。

「ふっ!確かに西条殿も雪之丞殿もピート殿も拙者よりも強いでござる。されどもその三人よりも先生の方が強いに決まってるでござる!」

「くぅ!ああ言えばこう言う………」

 令子は悔しそうに呻くが、実際にそのとおりなので何も言えない。西条あたりはやり方次第でどうにかなりそうなものだが、決め手が無いので文珠により状況を簡単にひっくり返されてしまう可能性も高い。

「大体横島はあんたの物じゃないのよ?」

「そんなことは分かっているでござる。先生が未だ拙者のものじゃない事などと。されど………」

 シロは僅かな沈黙の後、思いっきり表情を崩す。その顔はデレてるようにしか見えない。

「されど何よ?」

 シロの表情に不機嫌を隠そうともしない(隠せない)令子は先を促すと、

「拙者は先生のものでござる!これは先生公認でござるよ!!」

 とびっきりの笑顔で断言した。思い出されるのはフェンリルの時忠夫が口にした言葉「俺のシロに何しやがる」あの時令子とおキヌは忠夫を白い眼で見たが、まさかシロの方が真に受けていたとは。

 そしてこの言葉を切っ掛けに、

「――――!!!」
「――――!!!」
「――――!!!」

 喧々囂々の言い争いが始まった。

「みんな必死ねえ」

 美智恵の関心したような一言に千夜はため息を一つこぼし、近づきつつある火柱へと視線を向けた。


     ‡     ‡     ‡     ‡


 焼き付きつつある鋼鉄の心臓が唸りを上げる。背後には霊団が迫っているが、レインは火を吐けない。現世は魔界とは違い世界に満ちる魔力が薄い、その為レインの炎の力も衰え疲れるのも早くなる。

「キュイ〜〜〜〜」

「レイン大丈夫ですか?」

 心配そうにレインの様子を見る徳乎ではあるが、その表情は不安に彩られている。

「あと少しだからな!」

 バイクは橋へと至る最後の螺旋の坂を駆け上る。最後のカーブを抜けると残るのは一直線の道だけ、視界に入った結界車は橋の中心。

 だが螺旋道は壁をすり抜けることの出来る霊にとって障害にはならない。次々と道路から湧き上がり、忠夫の行く手を遮る。

 “ガン!ガン!ガン!”

 飛び散る悪霊。前方で浮かぶ銃口の光、

「精霊石弾頭!西条か!」

 バイクに迫る先行した悪霊のみを正確に打ち抜くその手腕、オカルトGメンの中でその手腕を持つ人物を忠夫は西条以外知らない。

 尤も人材不足のオカルトGメンの中においてそんな狙撃が出来るのは西条しかいないだけの話でもあったりする。

 酷使し続けたエンジンも断末魔の唸りを上げ、ついにはアクセルを回そうとも手応えなくなる。

 あと数十メートル。しかし反応を返さないエンジンに伴い、忠夫達の背後には霊団が迫る。結界車の結界内までは後数メートル。

「――!」

 僅かに浮かんだ忠夫の絶望を、

「五行の理を持って壁を成せ」

 “ガシャアン!!!”

 五枚の符を頂点に作り出された五芒が否定する。

 ほんの一瞬しか保たないそれは、忠夫達が結界内に入るには十分だった。

「ナイス千夜!」

 結界を作った千夜に礼を言った忠夫は、

 “ギャリギャリギャリギャリガシャン!”

 バランスを崩しこけた。


 もっとも徳乎とレインは忠夫が抱えて怪我は全くないようだ。


     †     †     †     †


 千夜は眼の前の状況に言葉をつむげないでいた。その状況とは、結界車により張られた結界に入ってこれず、結界を取り囲う霊団ではなく、

 “プシュ〜〜〜〜〜〜〜〜〜”

 結界車の分厚い装甲に顔面から突っ込んで煙を出している忠夫だった。

「キュ〜〜〜」
「あう〜〜〜」

 クルクルクルと眼を回すレインと徳乎。忠夫に抱えられた二人に怪我は無いようだ。ただ時速200k/mオーバーで結界車の装甲に顔を打ちつけた忠夫は致命的だった。

「………何故生きているのですか?」

「生きてちゃあかんのか!?」

 二人を抱えたまま起き上がり、額から血をドバドバ流し絶叫する忠夫。生きているのに何が致命的かというと、霊力が使えない状態で文珠を使った様子も無いのに生きているのが人として致命的だ。

「済みません。言葉を間違えました」

「お、おう」

 忠夫は今まで受けたことの無い素直な謝罪に戸惑う。

「何故人の形をしているのですか?」

「人否定!?」

 他意はない。他意はないのだ。ただ千夜は忠夫が普通の人間なら死んでもおかしくない状況なのに何故無事なのか純粋に不思議なのだ。

「千夜、いい事教えてあげる。何時もの事よ」

「み、美神さん。それはあんまりじゃあ………」

「解りました」

 先程まで言い争っていた筈の令子の解答に理解の意を表し、忠夫は幅涙を流す。ちなみに端のほうでシロが座り込んで頭を押さえながら涙を流している。

「あんまりや〜わいかて普通の(?)男の子なんや〜」

「痛いでござる。痛いでござる。何も力ずくで黙らせる事無いではござらんか」

「自業自得よ。ところで話してもらうわよ、横島がたわごと吐いた微に入り細に入り」

「聞きたいでござるか!聞きたいでござるか!とくと話してやるでござる!」

 情けない事を口にする忠夫の背後で地雷を踏んじゃったっぽいタマモだが、事態は更にややこしい方向へとシフトする。

「兄様!姉様です!」

 忠夫の腕の中にいたはずの徳乎が千夜に抱きついた。


     †     †     †     †


「あの、美神さん?何故私めはこのようなガードレールの上で正座させられているのでしょうか?しかも膝の力を抜いてしまえば股裂きの刑になってしまう可能性が無きにしもあらずな形で!?」

「それよりもなんであんたは兄様なんて呼ばれてんのよ?その手の趣味でもあるの」

 えらくいっぱいいっぱいな忠夫に、令子は素気無く答える。その目はええ加減にせえよと語っている。

「自分だって西条のことお兄ちゃんって呼んでるくせに」

「何か言った?」

「何でもありません!」

 底冷えするような令子の声音に慌てて敬礼を取ると“ズン”と一気に膝の間半分ほどまでガードレールが進む。

「うおおおおおおおおお!?」

「はぁ。もういいわよ、さっさと下りなさい」

 忠夫の様子に呆れた令子はこれ以上を不問にすることにしたようだ。っが!今まさにガードレールに手を付いて降りようとしている忠夫の頭の上に、

「キュイ!」

 悪戯な天使が乗っかった。しかも人型で羽と尻尾付で、

「ハウ!」

 忠夫は沈むと共に歯を食いしばりながら仰け反り、“ゴツン”と鈍い音を立てて硬いコンクリートに頭を打ち付けた。

「お、おれの、俺のマイサンが………」

「クルルルルル」

 忠夫の背中に小亀のごとく乗っかって喉を鳴らすレイン。その様子からは自らがやっちゃった事を理解している様子は無い。

「やあ横島君!いい気味だね!」

 朗らかな笑顔の西条が現れた。その笑顔はどす黒く輝き、スーツの懐からは藁人形が覗く。

「さいじょ〜!」

 搾り出すような唸りで口を開く忠夫。その黒い感情が含まれている言葉にレインが不安そうにキュルキュル鳴く。

「おや、君はそんな幼い子供を脅えさせるのかい?」

「わー!ごめんなレイン!ほーらクルクル!!」

 忠夫はレインを両手で持ち上げるとくるくると回し、レインはそれに合わせてクルクルと笑う。レインはとても楽しそうなのだが、まわしている忠夫は右顔で笑って左顔で西条を睨み付けている。

「はっはっはっはっは!器用だな君は」

 西条は全く意に介さず笑い飛ばすが、背後からは彼の上司が拳を握って近づいてきているが問題はない。


     †     †     †     †


 美智恵の背後で西条がボロボロに成っているが気にしない。

「さあおキヌちゃんよろしくお願いね」

「わかりました」

 おキヌはネクロマンサーの笛を口許に宛がうと息を吸う。

 結界車の結界はもって後十数分。だがそれだけあればおキヌにとっては十分だった。普通の霊団であるならば霊団の一部と出会った時に笛を吹いているのだが、出会うこともなかったし、レインと一緒と聞いて安心した。もっとも別の意味での心配はあったが。

 ともかく、おキヌの笛の音が天高くまで響き渡り、この世への無念や恨みから開放されて笛の音に導かれるかのように上って行く。

 その様子は見える者にとっては荘厳な光景に見えた。何千という魂が成仏していく様子はそう見られるものではない。

「初めて見ましたが、見事なものです」

 おキヌの笛初見の千夜がそんな言葉を漏らす。世界に数人しか居ないネクロマンサーの能力を見ることなどそうは無い。

「そうだな。俺も文珠を使えば似たようなことが出来るけど、おキヌちゃんみたいに納得させて成仏させるのは無理だな」

「それでも似たようなことが出来る時点で文珠が常識外なのがよく分かるわ。使い手も含めてね」

「美神さんそれはひどくないっすっか?」

「霊力が使えないにもかかわらず、霊団から逃げおおせたのだから仕方ないと思いますが?」

「先生は人間離れしているでござるからなあ」

「横島は人間じゃないから」

 ちょっと待て、少し待て、特に最後!

「タマモ。ちょっとこっちにこようか?」

「あ、いや、ちょっと!?」

 忠夫はずるずるとタマモの襟首を持って引っ張っていく。完全に気が抜けているが、それも仕方ない。おキヌがいる以上、今回の件はもう既に解決したも同然なのだから。

 そう、解決したも同然の筈だった。

「っつ!」

 “カシャン”とおキヌの手の中のネクロマンサーの笛が割れた。

「おキヌちゃん!?」

 割れた笛の欠片がおキヌの掌を切り、浮き出た血が地に零れ落ちる。

「美神さん!霊達が!?」


 天に昇っていったはずの霊達が引き返してくる。

   成仏の道をたどっていた筈の霊が引き返してくる。

     この世えの無念と恨みを取り戻し天から下りて来る。

       先程のいく倍いく乗ものさらなる怨念を内に秘めて。


     †     †     †     †


 “ギシリ”今現在人間が用いる最高の技術で作られた結界が軋む。中級の神魔であろうと破るにはそれなりに苦労する筈のそれが、

「令子!結界車の出力を最大にしても持つのは後五分よ!」

「分かったわ。横島君、文珠は何個残ってる!?」

「残り四個っす!」

「何でそれだけしか残ってないのよ!?あんた八個は持ってたんじゃないのよ!」

「あんたが取ったんじゃないのかよ!?」

「いくらなんでも今のあんたの状態で取ったりしないわよ!」

 なんとも説得力の無い言葉であるが、実際に令子は忠夫の取り置きに手を出してはいない。そんな無駄な言い合いをしながらも、二人は状況打破を模索する。

「グルルルルル!」

 シロは牙を剥き出しにして威嚇する。彼女の背後にはレインと徳乎の姿がある。シロの本懐は武士だ、彼女の目指す武士とは弱者を守るもの。自分よりも幼いレインや、人間である徳乎を守るのは当たり前の行為なのだ。そしてそんなシロの隣には、

「まったく、冷静になりなさいよね」

 狐火を操る狐が一人。タマモにとって何かと暴走しやすい相方をいさめるのは自分の役割だと思っている。ピンと伸ばした指先に狐火が灯り、全てを薙ぎ払わんと燃え上がる。

「おキヌちゃん、これを使って」

「ありがとうございます」

 美智恵はおキヌに破魔札マシンガンを手渡す。おキヌとて美神心霊事務所の一員、自分の笛がなくなったとは言え、ただそれだけで諦めるのは美神流ではない。彼女の手には重いそれを両手でしっかりと構えた。

 その様子を見た西条は溜息をこぼす。慢性的に人手不足のオカルトGメンにおいて必要な人材がたった一つの事務所にそろっているなんて冗談もいいところだ、せめて一人だけでも引き入れることが出来れば現場は大きく変わる。

 もっとも欲しい人材が横島君であることが何とも癪な事では有る。え、令子ちゃんはって?確かに令子ちゃんは申し分ないが、………また頭から煙を出しそうだ。それに親子で美神がいるというもの………

 そしてそんな個々を他所に、千夜はというと。

「安本徳乎」

「はい、姉様」

 徳乎に話しかけていた。

「それを抜いて下さい」

「ちょっと千夜!?」

「今この状況を打破するにはこれ以外の方法は有りません」

 千夜の言葉は何処までも真実であり、否定できる言葉を令子は持たない。ゆえに、

「………」

 厳しい表情を浮かべ沈黙する。

「徳乎ちゃん、お願いできる?」

「ママ!?」

 美智恵の言葉に令子は驚愕をあらわにする。

「おそらく令子の推測は正しいわ。この子の素性が知れてしまえば公安霊課が動くでしょうね」

 公安霊課。警察組織の中でも特に特別である公安の中において、更に異質である部署。その存在意義は天皇家の守護の一つに絞られる。その組織構図や構成員、実力などは一切不明だったが、先のアシュタロスの事件の際にその実力の一端が明らかになった。東京に溢れた悪霊のただ一つすら皇居の堀を越えさせなかった事によって、

「だったら!」

「今回の一件はオカルトG,メンも関与してるから出来る限りの配慮はするわ」

 令子はその一言に矛を収める。オカルトGメンのトップからその言葉を引き出したのだ、今この場では最上と言っていい。最もそのことに気付いた美知恵はGメンのトップとして苦笑していいのか、母親として誇っていいのか微妙なのだが。

「美神さん。徳乎ちゃんが持ってる物に何か問題があるんですか?」

 厳しい表情の忠夫。令子や美智恵の会話から良くないことであることを感じ取ったのだろう。

「心配しないの。もし何かあったら私たちでも動くから」

 こういう話題に横島は敏感だ。それは猫又親子の一件を思いだしてもらえばいいだろう、彼は常にちっちゃい子供や女性の味方なのである。

「その言葉信じますからね」

 忠夫の楽しそうに言った言葉に令子は渋い表情を作る。こんやり取りが先程彼女の母親と自分が行ったものとまったく同種のものだからだ。

「あんたもやるようになったじゃない」

「精進してますから」

 二人の会話についてこれないシロは首を傾げる。その横ではタマモが憮然とした表情をして、おキヌはおキヌで何処か複雑な表情をしている。

「もう少しで結界車の結界が消えるわ。徳乎ちゃんお願いね」

 徳乎は美智恵の言葉に不安そうに忠夫と千夜の顔を窺い、忠夫が笑って頷き千夜が黙って頷く。

 二人の顔を見た徳乎は頷くと竹刀袋の紐を解き、袋から古刀を取り出す。

 荘厳な鞘、竹刀袋から取り出したそれは隠されていた『存在』を隠そうともせず、霊力を持つ人間に見せ付ける。絶対絶命の状態でありながら、その場にいた誰もが古刀に視線を送る。

「行きます」

 徳乎は息を吸い吐き出すと鞘から刀身を一気に引き抜いた。

 微かに金属音が響き、

 風が吹く。

 徳乎を中心に風が渦巻き、中心を離れるごとに風の速さは増し、海水を巻き込んで天高く昇っていく。

 雲が生まれる。

 巻き上げられた海水が舞い、散り、踊り、空に溶けて雲が生まれ、密度が増して黒雲に変わり、空を覆う。

 雨が降る。

 覆われた黒雲の密度が限界に至り、ポツポツと雲から零れ落ちた雨が勢いを増し、直ぐさま叩きつけるほどの勢いに至る。

 神の鳴り声が響く。

 一条、二条、三条、四条、五条、六条、七条、八条、雲から降りて来た八条の雷は大きく口を開き、世界を呑み込み、全てを白い光で染めた。


   †     †     †     †


 “チンッ!”と刀身に鞘が仕舞われる金属音と共に、世界は元に戻る。

 誰も一言も口を開けないでいた。

「兄様やりました!」

 そんな中、徳乎が手に刀を持ったまま忠生に飛びつく。

「お………おお」

 思考が停滞したまま無意識に徳乎の頭を撫ぜる忠夫。それを見てオカルトGメンの面々が周囲の状況を確認するために動き出す。

「美神さん………もしかしてあの古刀って」

 頬を引きつらせて令子に問うおキヌ。

「風を生み、雲を生み、雨を降らせて雷を呼ぶ。そして九頭の龍。そんな古刀は世界に一つしかないわ」

 素戔鳴尊【スサノオノミコト】が出雲の簸川上で八岐大蛇を退治し、その尾から取り出した一本の剣【ツルギ】。後に名を変え天皇家の護身の呪物とされ、壇ノ浦の戦いの最後安徳天皇の入水の際に失われたとされた剣。

 では天皇家の護身の呪物である。それを扱うことの出来る徳乎とは、………この事は語るまい。なにわともあれ、今徳乎は頭を撫でられてるのを見て「せっしゃも〜」「わたしも〜」「キュイ〜」といって押し倒され、色んな意味でのプチハーレムを作っている忠夫に抱きついて笑っているのだから。

「兄様〜!」
「せんせ〜!」
「横島!」
「キュウ!」

 喜色満面。本当に幸せそうに笑っている四人を見て令子とおキヌは笑うのだ。

 これから先の事は分からない。徳乎の素性に関して、聡い者ならば感づくだろう。そして利用しようとする者も出てくるだろう。

 だがもしそんなことになれば忠夫はなんだかんだと言いながら、徳乎を守ろうとするだろう。ならば多くの者がそれに手を貸すだろう。

 だから二人は笑うのだ。


       †     †     †     †


 押し倒される忠夫、笑う令子とおキヌ、慌ただしく指示を飛ばす美智恵、撤収作業を進める西条、そんな中千夜は思考に耽る。

「霊能を持たない人間には見えない霊団、統制された行動、ただし中核となる悪霊は存在しない。そして何よりも………」

 千夜は空を見上げる。霊団が消え、青く澄み渡る空を、

「死霊使いの笛が否定された」

 それが指す意味はただ一つ。

「死霊使い以上に魂の扱いに長けた者がいる」


     ‡     ‡     ‡     ‡


「なあ西条。綺麗に締める新たな謎が現れたのに、何で俺はこんな所にいるんだ?」

 こんな所とは取調室の事である。今忠夫は西条と相対して座らされ、照明を向けられている。

「それは窃盗と器物破損の容疑がかかっているからだよ。まあ緊急避難ということで話は通るだろうが、今はお叱りぐらいは受けておきたまえ」

 西条としても忠夫と一緒というのは他の担当に任せて遠慮したいのだが、伝えておかなければならない事がある。

「バイク?」

「その通りだ。そしてそのことに関して伝えることが一つある」

「何だよ?」

 忠夫は頼んでおいたカツ丼をかっ込む。忠夫はこれは単なるサービスだと思っているが、実はこれ、後から請求されたりするのだ。

「バイクの修理費用は令子ちゃんが立て替えてくれるそうだ」

「グフゥ!」

 忠夫は米粒を噴出しながら吐血した。


『本日未明、NA○Aの打ち上げた人工衛星が東京上空で消滅したとが判明しました。同時期、広範囲に対して強烈な電波障害が発生し、専門家の話によると成層圏間近で核爆発が発生すれば同じような現象が起きることから、消滅した衛星には核弾頭が積んであった疑いが持たれています。またコメリカ政府はこの事に関して今のところ声明を出していません。では次のニュースです』


 どうも氷砂糖です。

ごめんなさい今回かなり遅れました。言い訳になりますが年末年始と忙しかったのもあるのですが、読んで頂けたら分かるかも知れませんが、物凄く長くなったからです。何ですか224KBって、いくらなんでも程があります。

更新がかなり遅くなりましたが完結はさせる心算ですのでどうか見捨てないでください。では短いですが今回はこれまでで、

PS徳乎に関してですが、………大丈夫ですよね?

レインカウンター  11レイン

ちやカウンター   2ちーちゃん!?


 万々様
いい男って言うのは見た目ではなくそのあり方だと思います。でもって原作中で悩みながらも欲望に揺れながらも正しいと思うことを選択してきた忠夫はいい男だと私は思うのです。

私もこういった展開は好きなのでまだ何度かやると思いますw


 マンガァ様
今回は千夜分が少し少ないかもしれません、ですが進展と言う意味では結構あったかとw
千夜もレインも今後はどんどん………


 TAKU様
何故かレインがお色気担当になりつつあるような………まあいっか(おい!
50………うーん結構厳しいかも知れません。下手したら50来ても書き終えてないかもしれません。


 アサルカ様
ふふふ、千夜はまだまだいけそうですなあw

ルシオラとの話は一方的な忠夫の語りになりました。本格的に話すことになるのは何時になるやらw

横島の魔法の呪文、書いてて自分で想像してしまいました。はっはっはっはっは………

では次回もご期待ください!


 ann様
レスありがとうございます!次回もお楽しみに!


 Tシロー様
二人の関係は微々ですが進んでいきます。レインはシリアスになりがちな時に結構登場しますなあ、レインで真面目な話をかいてみようかな………

ではまた次の話で!


 鳳仙花様
シリアスだけの話はそれはそれでいい、だけどシリアスな話にほんの少しのギャグがあればうどんに入れる七味のごとく利いてくるんですw
逆もまた叱りです、もっともガンガンで連載していたハーメルンのバイ○リン弾きとまでは言いませんがw


 GODON様
確かに二人ともいい女です。でもこれで止まったりしないのがみそだったりw
レイン企画やってみたかったんですよねぇw楽しみにしていてください!


 k−si様
ふふふふふ入れてしまいましたね、もう後戻りは出来ませんよ?私がw
お褒め頂ありがとうございます。完結させますのでどおか見捨てないでくださいw


 文月様
それは禁句です!
ど、どっちも………さあ想像してください。ドラゴンを飼っていることが親にばれました。そしてすぐさまレインのごとく擬人化w

二人の歩みは亀のごとくですが進んで生きます、お楽しみに!


 え〜に様
あなたも入れてしまいましたねw後悔しないでくださいよ、私w
次回もまた見てね!

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