「……あれ……? ここ、どこだ……?」
気が付くと、横島は闇の中に佇んでいた。
右を向いても左を向いても、何も見えない。広がるのは闇ばかり。
だというのに自分の体ははっきりと見える――不思議だ。
と――
「ヨコシマ……」
どこからともなく、憂いを含んだ声が耳に入る。
聞き間違えようもない。この声は――
「……ルシオラ?」
声の主の名を呼び、その姿を求めて周囲を見回す。
だが、彼の周囲に広がるのは、相変わらず黒一色。
と――その中に一点、光が見えた。
「ルシオラ……!」
横島は彼女の名を呼び、その光に向かって走り出す。その足はすぐに、光源へと辿り着いた。
そこで光を発していたモノ――それは、一匹の蛍だった。蛍は横島が辿り着くと、まばゆいばかりに光を弾けさせ、周囲を照らし尽くす。
白い闇が横島の視界を遮り、やがてそれが収まると……彼の目の前にいたのは、かつて愛した蛍の化身。
「ルシオラ……」
「ヨコシマ……」
再会を喜ぶかのように、微笑を浮かべて見詰め合う二人。
横島が彼女を求め、手を伸ばす。それに呼応するかのように、ルシオラも拳を振り上げる。
……………………。
(え? 拳?)
――そう。拳。
微笑を浮かべたまま振り上げられたそれの、あまりのナチュラルさに、横島がそれを認識するのはワンテンポ遅れていた。
そして――
「こンの……」
その拳が――
「浮気者ォォォォォォーッ!」
「みぎゃああああぁぁぁぁーっ!」
魂の絶叫と共に横島の顔面に華麗にヒットし、彼は見事な放物線を描いて飛んで行った。
「ぎゃあああああーっ!」
絶叫を上げ、横島は起き上がる。
心臓が激しく脈打っている。息も荒い。だが――寝汗で体のそこかしこが濡れてはいるものの、痛みはどこにも感じられない。
自分のいる場所も、さっきまでの一切背景のない闇のような空間ではなく、薬の臭いが鼻をつく医務室だった。無論、ルシオラがいるはずもなかった。
「……ゆ、夢……?」
ぐいっと腕で寝汗を拭い、つぶやく。すると――
「あら、お目覚め?」
「ぐっすりやったなぁ。ええ夢見れたか?」
何やら肌寒い空気が、両側から吹き付けられた。
横島はギシギシと軋んだ音を立てて首を回し、右を向いてみる。
「……美神、さん……」
そして、逆の方にも向いてみる。
「……夏、子……」
うまく言葉が回らない。喉がカラカラに渇く。
二人の表情は、普通だった。とにかく普通に、にこやかに笑っている。だが――頭の中で、危険を知らせるアラームがうるさいぐらいに鳴り響いている。
(……やばいやばいやばい。何がどーなってんのかわからないけど、とにかくやばい。命の危険がピンチで崖っぷちの予感がひしひしとーっ!?」
わけもわからず、混乱する思考。いつも通りと言うか何と言うか、途中から口に出てることにも気が付かない。
彼の頭の中で鳴り響くアラームは、実のところ戦闘以外で役に立った覚えがなかったりするのだが――今回もその例に漏れない可能性は大だ。
そして二人は、横島に見せ付けるように拳を握り締める。
「とりあえず、公衆の面前でおキヌちゃんに恥かかせた罰ってことで……OK?」
「ウチの方は、単なる微妙な乙女心っちゅーことで。せめて一発で済ませとくさかい、理解できんでもええから、我慢したってや♪」
妙なプレッシャーを与えてくるその声に、横島は滝のような汗を流す。そして藁をも掴む思いで、周囲に助けを求める視線を送った。
そして、その視線が、部屋の脇にいる銀一の視線と絡み合った。
「…………」
「…………」
無言で見つめ合い――そして彼の親友は、これ以上ないって程の笑顔で「ぐっ」と親指を立てると。
くいっ。
その笑顔を1ミリも変えることなく、手首を反転させて親指を真下に向けた。
「裏切ったな!? 俺の気持ちを裏切ったなぁぁぁ!?」
「はっはっはっ。たまには痛い目見とけやこの幸せモンが」
その無情な反応に、横島は血涙を流しながら定番のネタ台詞を叫んだ。対し銀一は、無駄に爽やかな笑顔で返す。
と――その両肩に、ポンと手が置かれる。
彼はギクリと動きを止めると、恐る恐る自分の肩に手を置く二人の修羅に視線を向けた。
「ええっと……弁明は?」
「「却下で」」
イイ笑顔で声を揃える彼女らを前に――
――きっかり一秒後、横島の悲鳴が医務室の外まで響いた。
『二人三脚でやり直そう』
~第五十七話 誰が為に鐘は鳴る! 二日目・10~
「……扉のすぐ向こうに1、その先に2、部屋の左右両脇に2ずつ、一番奥……たぶん窓際に3、合計10ってところね」
とある扉の前。そこでクンクンと鼻をひくつかせながら、テレサが内部の状況をサーチしていた。その言葉に、真っ先に反応したのは、一緒についてきたホテルのオーナーだった。
「あ、あの……我がホテルに魔物が巣食っているなどとは、本当に……?」
「巣食ってるとは違うワケ。この部屋を占拠して、人間を閉じ込めている……それだけよ。この部屋を借りた客はわかる?」
「あ……はい。メリル=A=ゴルゴーンというギリシャ人の女性の方ですが……この隣の部屋も一緒に利用されてます」
「ゴルゴーンって……間違いなく偽名ね。でもそれ、偽名の意味あるのかしら?」
つぶやき、小首を傾げるエミ。彼女はすぐに「ま、いいか」とその疑問を放棄し、テレサの方に視線を向けた。
「そのサーチ、間違いないワケ?」
「当然じゃ」
自信満々に答えたのは、彼女の製作者であるドクター・カオスだった。
「このワシが、こんなこともあろうかとテレサに搭載しておいた嗅覚センサーを、甘く見るでないわ」
「よく言うよ! パーツが足りなかったからって、私に昔作ったロボット犬のパーツを流用しただけじゃないのさ……!」
カオスの言葉に、横からテレサが噛み付いた。
その後、彼女は「うう……」と低くうめいたかと思うと、ふらふらとした足取りで隅っこに移動する。そして、「なんで私が犬の真似事なんて……」と、膝を抱えてブツブツ言い出し始めた。
そんなテレサの様子に、エミとカオスが後頭部にでっかい汗を垂らしてかける言葉を失っていると、そこにマリアが近付いて行く。
「テレサ」
「……姉さん?」
マリアが声をかけると、テレサが顔を上げた。
そして――
「お手」
たしっ。
マリアが手を差し出すと、テレサは反射的に自分の右手をその上に乗せた。
「「「「……………………」」」」
ひゅるるるる~とお寒い空気が場を支配する。
そして――
「うわぁぁぁぁぁーんっ!」
いたたまれなくなったテレサは、涙の尾を引いて走り去ってしまった。
その後姿を、マリアはハンカチをひらひらと振って見送っている。
「……どーすんのよアレ……」
「……戻ってくるのを待つしかなかろうて……」
そう言うエミとカオスの声は、果てしなく疲れていた。
――で、数分後。
「……まだ納得いかないけど、これで勘弁してあげるわ」
「……………………」
戻ってきたテレサは、創造主のカオスに対し、いまだ憤懣やるかたないといった様子でそう告げた。
だがその相手であるカオスは、天井に頭を突き刺して無言でぶらぶらと揺れている。戻ってきたと同時、彼女がカオスに『全ての元凶』とばかりにアッパーかました結果であった。
そしてマリアは、天井に突き刺さったカオスを引っこ抜く作業に入っている。
「……漫才は終わった?」
そんなカオス一味に、エミは疲れた声をかけた。
「むっ……ぷあっ。う、うむ、大丈夫じゃぞい」
マリアに引っ張られてズボッと天井から引っこ抜かれたカオスが、その問いに答えた。頭とその周辺についたコンクリートの屑をポンポンとはたき落とし、何事もなかったかのような様子を見せる。
いー加減、頑丈な爺様であった。
「そんじゃ、突入するワケ。準備はOK?」
「全武装・安全装置解除。マリア・戦闘準備完了です」
「セーフティ解除……こっちもOKよ」
エミの問いに、マリアとテレサは武装の安全装置を解除し、準備が完了したことを告げる。ちなみにホテルのオーナーは、安全のためにこの場から離れてもらっている。
「なら、行くわよ……目標は即時全滅。私が扉をその向こう側のビッグ・イーターごと吹き飛ばすから、それと同時に突入して」
その指示に頷く三人。
そして、エミが扉に右手を押し付け――
「霊体貫通波!」
ズドムッ!
その手の平から放った霊波の槍が、その向こう側にいたビッグ・イーターごと、扉を貫き吹き飛ばした。
「突入!」
エミがそう号令をかけるまでもなく、マリアとテレサは素早く部屋に踏み込んだ。
「――ッ!」
――試験会場、観客席――
そこで小竜姫と隣り合っているメドーサは、唐突に自分の感覚に引っ掛かりを感じた。
「……どうかしましたか?」
「別に」
小竜姫の問いに、返答を拒否する。小竜姫の方も返答を期待していたわけではないので、それ以上追及しない。
相変わらず、二人は視線を合わせようともしていなかった。もっとも、お互いに気配にだけは最大限の注意を払っていたが。
(今、人質の見張りにつけていたビッグ・イーターが倒された……どうやら襲撃を受けたみたいね。やっぱり、誰かが情報を漏らしたか……ふん)
やるとすれば、勘九郎以外の三人だろう。
一瞬、これで連中を見限ろうかと思ったが――
(ま、それは人質が解放されればってところだね)
そう結論付け、いまだ具体的な行動に出るのはやめにした。もっとも、人質の見張りにつけているビッグ・イーターの残りには、『襲撃者は放っておいて人質を石にしろ』と指令を送っておいたが……おそらく、結果はすぐに出ることだろう。それを待てばいい。
そして、眼下の試合では、今まさに準決勝第1試合――陰念vs鬼道政樹の試合が行われていたところだった。だが陰念は終始押されっぱなしであり、結果は火を見るより明らかである。
と――
《メドーサ様……よろしいでしょうか?》
勘九郎からの念話が、メドーサの脳裏に響いた。
(勘九郎かい……どうした?)
《陰念が負けそうですが……手を貸しますか?》
(放っておきな。奴は用済みだ。むしろ、あの三下が準決勝まで進めただけでも大殊勲だよ。あとは、お前が準決勝と決勝で相手を再起不能にしてやれば、条件は達成だ。頑張ることだね)
《…………》
メドーサのその言葉に、しかし勘九郎は黙して言葉を返さない。
(どうしたい勘九郎? 返事は?)
《メドーサ様……陰念が敗北する以上、もはや茶番はやめませんか?》
(おや? お前は人質がどうなってもいいって言うのかい?)
《お戯れを……わかっておられるのでしょう?》
その返答に、メドーサはクッとわずかに愉悦の笑みを浮かべた。
(そうだね……お前の『就職試験』は合格、あとの三人は落第だ。あの情にほだされたクズどもが、人質解放条件に振り回されて苦しむ様子も十分見れたし……目的は十分達成できたって言えるね)
――そう――
メドーサは、この試験でGS業界に手下を潜り込ませようなどということは、最初から『ついで』程度にしか考えてなかった。それをするのであれば、こんな回りくどいやり方をせずとも、GS協会上層部の誰かに金でも掴ませれば事足りる。彼女が念話で言った言葉通り、この試験は勘九郎たちがメドーサの駒として相応しいか否かを見る『就職試験』であった。
そして、彼ら四人に課した人質解放条件は、実のところ何の意味もない。そもそも魔族であるメドーサにとって、ルーキーのGSなど物の数にも入らない。わざわざ数を減らす必要など、本来はどこにもないのだ。それをわざわざやったのは、単にそれで苦悶する彼らの様子を見たいだけの、言わば暇潰しの娯楽以外の何物でもなかった。
《なら……》
(けど、お前に下す命令は変わらないよ。残りの2試合、今まで通り相手を再起不能にするか殺しなさい)
《これ以上は、特に意味がないと思いますが?》
今までと変わらぬ指令を下すメドーサに、勘九郎が訊ねる。その質問は、疑問と言うよりはむしろ確認と言った方が近い声音をしていた。
(ふん……意味ならあるさ。たとえば、私の隣にいる甘ちゃんに対する揺さぶりとか……ね)
《……おおせのままに》
暗い嘲笑を念話に乗せるメドーサに、了承の意を返す勘九郎の声は、あくまでも無感情だった。
そして、メドーサは念話を切り――
(ちっ……)
胸中で舌打ちした。
今の念話の間に、襲撃を受けていたビッグ・イーターたちが全滅していたのだ。
(もう全滅かい……早すぎる。嫌に手際がいいね。でも……)
胸中でつぶやき、メドーサはその顔に嘲笑を浮かべ、ぺろりと唇を舐めた。
(――生きてそこから出られるかい?)
「はぁーっ!」
気合と共に霊力を乗せ、エミのブーメランが飛んで行く。今にも人質に噛み付かんとしていたビッグ・イーターの一体を薙ぎ払い、それは弧を描いてエミの手元に戻ってきた。
「よし! 6!」
カウントし、両脇を見る。
「7!」
「8!」
マリアとテレサが、腕のマシンガンを撃ちながら交互にカウントした。
続けて――
「9!」
「10!」
「よし! 殲滅完了!」
フルオートで撃ち続けていた弾が、残っていた最後のビッグ・イーターを蹂躙し、その殲滅を確認するとエミが完了の合図を送る。
突入から、時間にしてわずか15秒。ビッグ・イーターたちが人質に欠片の危害さえ加えられないほどの短時間である。これ以上ないという程、手際の良い作戦行動であった。
「……ワシの出番がなかったのー」
「おたくは胸の怪光線ぐらいしか取り得がないんだから、マリアとテレサのバックアップだけしてればいいワケ」
「それはそーなのじゃが」
そんなことを言い合いつつも、エミは戦闘態勢を解いて人質たちを見回す。二十数名が鮨詰め状態で入れられていた部屋は、かなりの広さであるにも関わらず、手狭であると感じざるを得なかった。
そして人質になっていた白龍会の門下生たちは、突然の事態に誰一人として認識がついていってないようで、揃ってきょとんとしていた。
「私はGS小笠原エミ。おたくらを救出するために依頼されて来たワケ。ここのビッグ・イーターは全滅させたから、ひとまずは安心よ」
彼女は最初にそう言い、彼らの不安を取り除いた。
「とはいえ、まだどこに伏兵がいるとも知れないから、油断は禁物なワケ。……テレサ、わかる?」
「……ちょっとヤバいわね」
エミのその問いに、テレサは表情を強張らせ、戦闘態勢を維持したままそう答えた。
その様子に、エミもまた、再び戦闘態勢に入る。
「部屋の外に……5……10……20……とにかく、山ほどいるわね。たぶん、一緒に取ってたっていう隣の部屋で待機させてたんじゃないかしら。こっちに踏み込んでくる様子がないから、出てきたところを……ってところでしょうね」
「じゃ、外に出たら四方八方から襲い掛かってくるワケね。……B級のゾンビ映画じゃあるまいし……」
「ゾンビの方が、動きが鈍い分まだやりやすかったであろうなぁ」
「弾薬残量・十分あります。ミス・小笠原。いつでも・行けます」
カオスのぼやきとマリアの報告を耳にし、エミはふと考える。この部屋の中に雪崩れ込んで来るならば、入り口の狭さを利用して個別撃破もできるのだが――入ってこない以上、こちらから打って出るしかない。
(……こんな時、令子ならどうするかしらね……)
直後、小さくかぶりを振って、その思考を頭の中から消し去る。らしくない……一体自分は何を考えているのかと、自嘲の笑みを浮かべた。
「マリア、テレサ。私と一緒に廊下に飛び出したとして、30秒だけ私を守り切れる?」
「ちょっとキツいけど、30秒だけなら出来ないこともないわ」
「ノー・プロブレム」
「OK。なら、行くわよ。30秒あれば、私が全滅させてやるワケ!」
エミはそう宣言すると、一気に駆け出して廊下へと躍り出る。直後、両側からおびただしい数のビッグ・イーターが襲い掛かってきた。
ビッグ・イーターたちが、その名の由来となった巨大な口を大きく開け、エミへと噛み付こうとしたその時――エミに続いて廊下に躍り出たマリアとテレサが割って入り、それぞれエミの左右を固めた。
ダララララララッ!
二人のマシンガンが、ビッグ・イーターたちをまとめて掃射する。
「そのままガードするワケ!」
エミはそう指示を下し、呪的なダンスを始めた。
このダンスによって極限まで高められた霊波を全方位に放射し、周囲にいる悪霊・妖怪・魔物等の霊的存在を根こそぎ滅ぼし尽くす、効果範囲・威力共に最大級の必殺技――霊体撃滅波。その弱点は、ダンスの最中に完全に無防備になることだった。妙神山の修行によって30秒という短時間で出来るようになったとはいえ、その30秒を守る『壁』が必要なことに変わりはない。
そして現在、その『壁』となっているのは二体のアンドロイド。彼女らは、絶え間なく襲い掛かってくるビッグ・イーターたちに惜しみなく弾丸をばら撒いてエミを守ってはいるが、弾薬を湯水のように使っているので、底を尽くのは思った以上に早そうだった。
――だがそれも――
「よし、行くわよ! 霊体……撃滅波!」
カッ――!
まばゆいばかりの霊波の光が廊下を照らし尽くす。その光をまともに浴びた無数のビッグ・イーターたちは、断末魔の悲鳴を上げることすら許されず、光の中へと消えて行った。
その結果に、エミは口の端を吊り上げ、勝利の笑みを浮かべて戦闘態勢を解く。
その後はマリアとテレサも銃を収納するが、カオスがカートリッジを交換する等の補給作業に入っていたり、テレサが周囲のサーチ――見た目は臭いを嗅いでいるだけなのだが――を行っていたりと、油断する様子はない。
「テレサ、どう?」
「周りに臭いはないわね……ひとまずは安心ってところかしら」
「そう。なら、おたくらは階段で白龍会の連中を外に誘導してやって。私は一足先に下に行って、オーナーに報告しておくワケ」
「りょーかい」
テレサはエミの指示に頷き、カオスとマリアを連れて部屋の中へと戻った。それを見送り、エミは廊下を歩き出す。
エレベーターは、廊下の突き当たりにあった。ちょうど、一つ下のフロアで止まっている。
エミがボタンを押すと、少しのタイムラグの後、エレベーターの扉はゆっくりと開き――
「エミさん危ないですジャアアァァ!」
「なっ!?」
耳をつんざく大音量が、突如として横合いからかかってきた。同時、彼女は真横から強烈な衝撃を受け、そのまま吹き飛ばされてしまった。
床に体を打ち付けられた痛みと、何か巨大なものが圧し掛かってくる圧迫感が、同時にエミを襲う。だがその直前には、エミの視界はエレベーターから飛び出すビッグ・イーターの姿を捉えていた。
そして――自分を押し倒した男の姿も。
「た、タイガー……!? おたく、どうして……!」
「エミさんが心配で来ましたですケン! そしたら、下の階でビッグ・イーターがエレベーターの中に入っていくのが見えて……!」
「ばっか! 呑気に会話してる場合じゃねーだろ!」
説明を始めようとしたタイガーの背に、荒っぽい声がかかる。同時、鈍い音がして、見てみれば魔理が手に持った角材をビッグ・イーターに叩き付けていた。
その位置が近かったことから、そのビッグ・イーターがタイガーの背後から襲いかかろうとしていたのは容易に見て取れた。
「おたくまで……!」
その一撃に吹っ飛ぶビッグ・イーターを見ながら、エミは驚愕に目を見開いた。しかし次の瞬間、苦々しげな表情になって舌打ちする。
考えてみれば、この階以外に敵がいないという保証はどこにもなかった。こんな奇襲も想定できなかったとは、我ながら随分気が緩んでいたものである。しかもそれで陥ったピンチを、足手まといと断じた二人に助けられてしまった。
(くっ……こんな奇襲も、令子だったら……!)
と、そんなことを考え始める。だがすぐに、そんな自分を自覚し、その思考を打ち消した。
(ったく……最近おかしいわね、我ながら。廃業する人間のことを考えることが多くなるなんて、ヤキが回ってるワケ)
「……とにかく、助かったワケ」
胸中で自身に叱咤しつつ、二人に礼を言って言って立ち上がったエミは、のろのろと起きて空中に浮かび上がるビッグ・イーターを見据える。見れば、エレベーターの中から更に二匹、三匹と出て来ていた。
「……本当にB級ホラー映画並の演出ね。悪趣味なワケ」
言っている間にも、更に数が増えていく。全部で五匹――捌けない数ではないが、マリアもテレサもいない状況では少々キツい。
(とはいえ、泣き言を言っても始まらないか……)
エミはブーメランを投げ捨て、腰から笛を取り出して口をつける。タイガーも心得たもので、無言でエミの前に出た。魔理も同じく、タイガーと並んでエミの前に出る。
「こんな状況になった以上、もう役に立ってもらうしかなくなったワケ。覚悟はいいわね? それじゃ……やるわよ!」
エミはそう宣言し、構えた笛に息を吹き入れた。
「虎よ、虎よ――!」
一方、会場の方では――
『いよいよ決勝です! 突出してレベルの高いこの2名、どちらが今年の首席合格となるでしょうか!?』
実況の声が響く中、観客の視線が集中する試合場では、鬼道政樹と鎌田勘九郎が対峙していた。
「……とうとうここまで引っ張ってしもうたな……」
鬼道は苦々しげにつぶやいた。
出来ればここに来る前に、白龍会とメドーサの繋がりを証明するものが欲しかったが――人質解放の報せも来てないし、受験生の身としては出来ることは限られていた。
幸いにも、勘九郎の準決勝の相手は、GS資格を放り捨てて試合放棄してくれた。それまでの彼の対戦相手たちの末路を見て恐れをなしたらしいが、正しい選択だろう。命あっての物種である。
が――
「準決勝は不完全燃焼だったわねぇ……」
勘九郎にとっては、そうではなかったらしい。そう愚痴りながら鬼道を見るその目は、「あなたは楽しませてくれるわよね?」と如実に語っていた。
「決勝だし、あなたには私の本当の力を見せてあげるわ。魔装術はね、磨きをかけて完成させると……」
言いながら、勘九郎の体に霊波が収束していく。
そして――
「こんなにも美しくなるものなのよ!」
ビシッ!と音を立て、完成する勘九郎の魔装術――
流れるような長い銀髪。
鬼のような二本の角を生やした、無貌の仮面。
筋肉のごとき黒い鎧を纏った巨躯。
なるほど、確かに自身で『美しい』と評するだけはある。その姿は、戦士を象った美術品の石像のごとき雰囲気を醸し出していた。
そしてその右手には、刃渡り1メートルをゆうに越えていそうな大刀が握られていた。魔装術の展開前は持っていなかったことから、あれも魔装術の一部と思われる。
だが、対する鬼道は――
「御託はええ」
おののくことすらせず、ただ相手を睨みつけ、影の中から夜叉丸を呼び出した。
「今、ボクのやるべきことはただ一つ……全力でお前を叩き潰すだけや」
『あら、クールね……でも、できるかしら?』
その鬼道の態度に、勘九郎は仮面の下から、感心したような声音で挑発的な言葉を投げかけた。
「試合開始!」
審判のその声がかかると同時、鬼道、夜叉丸、勘九郎の三者は同時に動いた。
その頃、愛子の中の異界学校保健室では――
「……まだ目覚めないのかしら……」
「そろそろ~起きてもいい頃なんだけど~」
時間も押してるというのに、一向に目を覚まさない雪之丞に、かおりが苛立っていた。隣に居る冥子も、首をかしげている。
彼の傷は既に完治しており、あとは目覚めるのを待つのみなのだが――いまだ目を覚まさないのは、ダメージが深かったか、疲れが溜まっていたのか、あるいはその両方か。
と――
『弓さん、朗報よ!』
どこからともなく、愛子の弾んだ声が聞こえてきた。
「どうかなさいました?」
『今、一文字さんから電話が入ったの! 小笠原さんに付いて行ってたんだって!』
「エミおねーさまに……? 美神おねーさまからの言いつけを守らないでどこに行ったのかと思ったら……」
ぼやきながらも、かおりは愛子の言わんとしていることを即座に察した。エミは確か、人質救出のために動いていたはずだ。魔理がそれに付いて行ったとなれば、そこから来る朗報といえば一つしかない。
「人質、救出できたのですね?」
確認するように、かおりはそう問いかけた。
――同時刻、東京シティホテル――
「ああ、そうだよ。こっちは無事、白龍会の連中をホテルの外まで連れ出せた」
携帯電話を耳に当て、魔理が電話の向こう側の愛子と話していた。
その後ろでは、マリアとテレサの誘導に従ってぞろぞろと歩く白龍会の門下生たちがいる。
そして――
「ほら、じっとしてなさいよ。石化の呪いって、意外と厄介なワケ」
「エ、エミしゃあ~ん……」
「情けない声を出すんじゃないわよ。大の男がみっともない。せっかく女の子かばって受けた名誉の傷なんだから、最後までカッコつける甲斐性見せるワケ」
うつぶせに寝ているタイガーの背中に、エミが手を当てていた。
タイガーのジャケットは食い破られており、そのむき出しの背中はなかば石になっている。ビッグ・イーターに噛み付かれそうになった魔理をかばって出来た傷であった。それを、エミが得意の呪術で、石化の進行を止めているのだ。
魔理は横目で、そんな情けない態度のタイガーに、じとりとした視線を向ける。だが次の瞬間にはそれも消え、代わりに「はぁ」と呆れたため息をついた。
『……どうしたの?』
「いや、なんでもない」
愛子の訝しげな声に、魔理は苦笑してそう返した。
『ってわけ』
「でしたら、心配の種が一つ減ったということですわね」
愛子を中継して一部始終を聞いたかおりは、安堵のため息をついた。
と――
「ん……」
背後からうめき声が聞こえ、かおりは振り向く。
するとそこでは、ちょうど雪之丞が目を覚ますところだった。彼は目を開けると、のっそりと上体を起こして周囲を見る。
「こ、ここは……」
「お目覚めかしら?」
かおりが声をかけると、雪之丞はギョッとしたように彼女の方に振り向く。
そして――
「い、委員長か……じゃあここは、保健室?」
「…………委員長?」
突如として雪之丞の口から飛び出した謎の言葉に、かおりは思いっきり顔をしかめた。
と――ふと思い当たり、かおりは天井を見上げる。
「愛子さん……?」
『え? えーっと……』
胡乱げな声音で問いかけると、あからさまに動揺した声が返ってくる。その様子に、かおりは自分の脳裏をよぎった推測が真実であることを確信した。
「…………洗脳しましたね?」
『えっと……その……ほんのちょっとだけ、ね? その方が、説得とか尋問とかしやすくなるって美神さんに言われたから……』
「おねーさまの指示ですか……それでは仕方ありませんが、『ほんのちょっと』とはどの程度ですか?」
『あ、心配しないで。そんな深いものじゃないから。私たちに対して認識が甘くなるっていうか、クラスメイトぐらいの感覚で話せるようになるって程度よ』
「……いったい、何話してんだ?」
「私もしかして~置いてけぼり~?」
そんな会話をするかおりに、雪之丞と冥子から不満げな声がかけられた。彼女は雪之丞へと視線を戻す。
「ああ、ごめんなさいね。あなた、気を失う前のことは覚えてる?」
「気を失う前……?」
問われ、雪之丞は記憶を掘り起こすため、顎に手を当てて考え込む。
と――
「…………っ! そうだ! 試合は……!」
急にその表情に焦りを浮かべ、ベッドから飛び起きた。トランクス一丁に、傷口に包帯を巻いただけというその格好に、かおりは少々頬を赤らめるが――
「落ち着いてください」
そう言って、雪之丞を制止する。
「あなたがたが人質を取られ、仕方なしにメドーサに協力させられていたことは、こちらも把握しています。ですが、心配なさらないで。東京シティホテルに捕らわれていたあなたの同門たちは、つい今しがた、私たちの仲間が救出しました」
「救出した、だと……!?」
雪之丞を安心させるために状況を説明したかおりだったが、しかし雪之丞は、安心するどころか逆に顔から血の気を引かせた。
「な……なんてことをしてくれやがった!」
叫び、雪之丞はかおりに掴みかかる。しかしかおりは、その雪之丞の視線を正面から受け止め、訝しげに眉根を寄せた。
「……どういうことですの?」
「人質は東京シティホテルの連中だけじゃねえ! メドーサの手元に、もう一人いる! あいつらは囮……いや、警報機みてーなもんだ! どっちかが解放されれば、即座に残った方が殺される仕組みになってんだよ!」
「なんですって!?」
雪之丞から明かされた事実に、かおりの表情にも焦りの色が浮かぶ。
が――
『それなら心配いらないわよ』
落ち着いた愛子の声が、保健室に響いた。
「愛子さん?」
『そのメドーサの手元にいる人質って、水晶玉に閉じ込められた男みたいな女の人でしょ? だったら今、唐巣神父……が……え……?』
その声音が、途中から尻すぼみになっていった。ただならぬ様子を感じたかおりと雪之丞は、揃って眉根を寄せ、嫌な予感に冷や汗を垂らす。
そして――
『ご、ごめん! 事態が急変したわ! 今から三人とも外に出すわよ!』
「え!? ちょっ――」
かなり焦った様子で言う愛子に、かおりが一体どういうことか問い質そうとしたその瞬間――その場にいた三人の視界が暗転した。
視界はすぐに回復する。そして、三人が今いる場所を確認しようとすると――
「嫌アアアァァァァーッ!」
耳をつんざくような悲壮な絶叫と共に、床に仰向けで横たわった人物に縋り付いて涙を流すおキヌの姿が、三人の視界に入った。
――彼女が縋り付いているのは。
事によったら生命活動が停止しているかもしれない程の重傷を負い、全身を血で赤く染めた早乙女華であった――
その周囲には、水晶の破片にまみれた自身の手を呆然と見つめる神父や、暗い嘲笑を浮かべるメドーサなどもいたが……突然の事態に脳がついていってない三人の視界にそれらが入るのには、数秒のタイムラグが生じた。
――あとがき――
観客席の方で何が起こったのか。それは次回の冒頭に持ち越しです。
そしてその次回ですが、やっと対勘九郎総力戦に入ることになります。また横島vs雪之丞の時みたいに、熱い戦いを書くことができればなーと思いつつ。
それにしても銀ちゃん、そのうちしっ○マスクをかぶりそうな勢いになってます。原作でも横島の隠れたモテっぷりに嫉妬してた描写がありましたし、この程度はキャラ改変にならないとは思いますがw
ではレス返しー。
○1. チョーやんさん
タイガーと魔理は、ちょっとずつ進んでいます。でもまだ評価がマイナス寄りなのは仕方ないですが。人間関係っていうのは、そう簡単にどうにかなるほど単純なものじゃないはずですしw このGS試験編がどういう形に収束するか、それは見てのお楽しみということで♪
○2. 117さん
新食感とは闇鍋の食感(ぇ ブザーは、「シリアスなところでオチつけるのがGSらしいかなー?」と思って入れたのですが、思いのほか好評のようですねw
○3. 白川正さん
横島の出番は冒頭のみにとどまりましたが、次あたりはきっと目立てる……かもしれません(ぇ
救出チームの方は、カオスよりもマリアとテレサの方が光ってましたw
○4. ジェイナスさん
色々なところで荒れ始め、GS試験編クライマックスへ向けてテンションUPです。その中の一つである修羅場がどんな惨劇になっていたのかは、脳内妄想で補完してくださいw
○5. Tシローさん
キスシーン→ヤケクソ陰念のコンボは最初から決まってた流れですw ブザーは最初入れるつもりなかったんですが、この方がGSらしいと思って入れました。思いのほか好評なようでびっくりw
そして私は最近、無駄に流血するのが横島のアイデンティティであることを思い出しました。いいこと? はてさて何のことやら(酷
○6. Mistearさん
やっぱり、シリアスの中でもこういう息抜き的な描写を忘れないのがGS美神だと思いますw ブザーはいい仕事してくれました♪ 横島があの悲鳴の中でどんな折檻を受けていたのか……それは各自の脳内妄想で補完してくださいw
○7. 山の影さん
投稿した後でよくよく考えてみたら、マリアって実は成人男性3~4人分程度の体重しかないことに気付きました。デパートとかにある大きいエレベーターなら、余裕で二人入れるんじゃないかなーと。とはいえ、ホテルのエレベーターのサイズなんて高が知れてますがw エミはなにげに、事あるごとに美神のことを気にしてるようで。
○8. Februaryさん
タイガーと魔理は、ちょっとだけ打ち解けました。でも先はまだまだ長いようですw 陰念は、まあ……生㌔?
関西弁の指摘、ありがとうございます。修正しておきました。やっぱり本場の人(ですよね?)の意見は貴重ですね。
レス返し終了ー。では次回、五十八話でお会いしましょう♪
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