地は生命の枯れ果て、死を抱き……
天は漆黒に染まり、絶望を纏う……
大海は混沌を呑み、渦を巻き……
虚空は嘆きを湛え、其の風轟かす……
──ここはどこだ……。
視界に広がるは灰色の空、荒廃の大地。
天を仰げば黒い雨が音もなく降り注ぎ、地を見下ろせば大地を深紅の染みが浸食する。
──あぁ……夢だ……。
腕には幾筋もの赤い筋が伝い、それは身体を這い、やがて大地へと注ぐ。
腕の中に横たわるは一つの骸。それはただ虚空を抱くが如き想い。
張り裂けんばかりの想いを抑え込み、震える唇でその名を紡ぐ。
────
それはもはや届くことはなく、ただ風の中へ消えゆくのみ。
目頭が燃えるように熱くなり、涙の粒が吹き出すように溢れ出でる。
しかし、それは頬を伝い、雨となり地に降り注ぐのみ。
そこに横たわるは、ただ虚無の感情。
そこに在るは、ただ男の骸。
灰色の男の……抜け殻……。
──どうしてこんなことに……。許してくれ……。許して……。
誰に向けられるでもない想い。
頭を渦巻くは後悔の念。
──感情など、全て捧げたはず……なのに……。
やがて意識は薄れゆき、全ては混沌の海へと呑まれゆく。
灰色の世界は闇に染まり、一条の光が世界に注ぐ。
光は膨らみ、一面はじけ、やがて視界は空け開く……。
朧気な視界のその先
そこには口の端を引きつらせ
こちらの胸の辺りをじっと見つめる
灰色の髪の少年
──あ……、やっとまた会えたんだ。やっと。
──やっと──
栗色の髪の少女 横島! 第十三話
「たく……。あんた達一体何しに行ってたのよ」
眉間に皺を寄せ、いつになく不機嫌そうに美神さんが言う。
「い、いやぁ、ちょ〜っと事情がありましてね。買い物どころじゃなかったんスよ」
それに横島さんが苦笑しつつ気まずそうに答える。私もそれに倣って苦笑を浮かべる。
灰色の髪の少年と別れると私達はそのまま事務所へと帰ってしまった。横島さんが黙然として何も訊こうとせず、そのまま帰りの駅の方へと向かってしまったのだ。両肘を張り、つかつかと歩くその不機嫌そうな後ろ姿を私は追うことしかできなかった。正直なところ私は横島さんがその少年の頬を平手打ちにする姿に驚きを憶えた。私の知る横島さんはそうそう人に手を挙げるようなことはないのだ。理由が理由だからといっても、その姿は私にとって鮮烈なものだった。
「その事情ってのはなんなのよ。二人っきりで楽しくやってたんでしょうが。もっとゆ〜っくりしてくりゃ良かったじゃないのよぉ」
「え? え〜っと、それは、その〜……」
美神さんは横島さんの顔を睨み付け言う。
「途中で横島さんが気分を悪くしたんですよ。それで、喫茶店に入ってたんですけど、そのまま帰って来ちゃったんです。ね、横島さん」
「え? あ、あぁ、そうそう。そうなんですよ美神さん。わ、わははは」
言いよどむ横島さんになんとか私は助け船を出した。それに合わせて横島さんはおどけるように片手で頭を掻き、少しわざとらしく笑いながら答えた。それに美神さんは私達を交互に見比べるように疑い深い視線で睨み付けては「ふ〜ん……」と、あまり釈然としないといった相鎚を返す。
決して嘘をついているわけではない。しかし、肝心なところがすっぽりと抜けている。ごめんなさい、美神さん。私もあの出来事をどう考えたらいいのか良くわからないんです。
横島さんがあの少年を庇ったときに私に向けられた顔、それは明らかに敵意が含まれていた。私をきっと睨み付け、そこには静かな殺意のようなものさえ感じられたような気がした。そして彼に平手打ちをした後、呟いた言葉。
「バカ……」
横島さんは確かにそう言った。ぽつりと、無表情に、しかし、まるで思い人に裏切られたかのように……。やっぱり、横島さんはあの人の事が好きなのだろうか。もしかすると横島さんはあの人を前から知っていたのかもしれない。でも、あの人は横島さんの事を知らなかったみたいだし……。あら? あ、そうか! あの人は過去の横島さんの事は知っていたとしても、今の横島さんを知るはずがない。そうなるとこの考えも少し合点がいく。もしかすると横島さんは以前からあの人を知っていて、そして思いを寄せていた。そして偶然あの時ばったりと再会してしまった。それはまさに奇跡的に! 横島さんはあの少年に話しかけようとする。でも、今の自分はその当時とは違う。少女へと容貌を変えてしまった。もし話しかけて、「あんた誰?」などと言われるのはつらかった。だから、そっとその顔を眺めるだけで、想いを伝えることはできなかった。この想いは美しいままにしておこう。そっと、自分の胸の中だけに……。しかし、その少年が女の人の胸を触るなんてショッキングだった。しかもあろうことか自分の胸を! それで、平手打ち。そして、「バカ……」と。
あ、だめ! だめです横島さん! 昔は男性同士だったからこそ伝えられなかった想いも、今のあなたは女性。それじゃ、なんでもありじゃないですか! そりゃもうあんなことからこんなことまで、AもBもCもそれこそ遠慮せず! そんな……、それじゃ私は……。あぁ……、なんで私は女なんですか? こんなことなら男に生まれてくれば良かったのに。神様の、バカ……。いえ、こんな事では負けません。私……、私!
「あの、おキヌちゃん? 何してるんだ?」
私がぐるぐると思考を巡らせていると、唐突に横島さんが話しかけてきた。
え? あ。私は横島さんの右手を両手でぎゅっと握りしめていた。いつの間に!
「ご、ごごごごめんなさい! なんでもないです!」
私は慌ててそれを解き、不思議そうに見上げてくる横島さんの視線から逃げるように急ぎ美神さんの方へと顔を戻した。そして私は息を呑む。視界に入ったのは此方を見つめる美神さんの顔。そこには何の表情も見つけられなかった。呆れも、怒りも、悲しみも。先ほどまで不機嫌そうにしかめられていた美神さんの顔はその陰鬱な表情を一変させ、氷のように表情を。そしてすっと逸らされる視線。美神さん……。
「ま、どうでもいいわ。二人ともとっとと仕事行くわよ。おキヌちゃん荷物、出来てるわよね?」
しかし、すぐにまた憮然とした表情をすると美神さんは言った。
「あ、はい。準備は昨日のうちに済ませておきました。……でも、まだ早いんじゃ……」
「別にかまやしないわよ。とっとと済ませて帰るわよ。横島クンもぼうっとしてないで荷物持ってきなさい」
そして私達は重い荷物を車に積み込むと、除霊現場へと向かった。
「お、おキヌちゃん!?」
「えぇ!? なんですかっ!?」
後ろで横島クンとおキヌちゃんが声を張り上げ呼びかけ合っている。
「ちょっとこれ……! いつもより、重いんじゃ……ないの!?」
「そんなこと、ありません……よっ!? いつもと、同じです……よっ!?」
川岸の両側から話しかけているわけでもあるまいに、そんなに大声を出すこともなさそうなものを。横島クンはその華奢な身体で自分の身長よりも背の高い荷物を背負い、おキヌちゃんはその後ろからそれを必死に支え、よろよろと山道を歩き、先を歩く私の後に付いてきているのだ。以前ならば横島クン一人で背負えたそれなのだが、今ではその頃の怪力は影を潜めてしまい、荷物を背負ったまま一人で山道を登れなくなっていた。山道と言っても、それほど険しい道ではなく、勾配も緩やかで、赤土剥き出しの足場は見た目よりもずっとしっかりしている。平坦な道でも随分とふらふらしていたが、もうこの程度の道でも無理か……。まぁ、あんな荷物を持って妙神山を登っていた以前の横島クンが人間として間違っていたのだ、と言われれば確かにそうなのだが……。いや、今でもあの体格であの荷物を支えていられる時点で何か間違ってるわ。そんなことはともかく、この分だと少し早めに出てきたのは正解だったかもしれない。帰りの事も考えると、早く行くことにこしたことはない。しかし、これは思わぬ所での戦力ダウンだ。多少は覚悟していたが、思った以上にペースが遅い。シロあたりを連れてくれば良かったけど、あいつは何をしでかすかわからないし、タマモはふてくされたままだし。そういえばちょっと前にカオスが何か妙なことを言ってたわね。あのボケ老人のすることだかどうせろくな事にならないだろうけど、でも確かGS協会も絡んでるとか言っていたのよね……。仕方ない、少し考えてやるか。
今回の除霊は、内容そのものは簡単なものだった。ごくありふれた除霊作業を、通常通りやればいいだけのはずだった。いつもと違うのは横島クンが使えないということ、ただそれだけ。おキヌちゃんと私だけでも簡単に終わるもののはずだった。そのはずだった……。
日も暮れ、とっぷりと夜のとばりが降りた頃、私達は除霊現場に到着した。現場は小高い山の頂にある、鬱蒼とした森に囲まれた巨大な古屋敷。江戸時代からあるらしいそれは、つい最近までどこかの資産家がここら一体の土地と一緒に所有していたらしいのだが、近頃それを急に手放し、破格の値段で土地ごと依頼主の手に渡った。そのような物件は往々にして“曰く付き”なものなのだが、特に信心深いわけでもなく、心霊現象なるものとも縁遠かったのだろう、その依頼主は土地を見るなり即購入を決意。結局今に至るというわけである。依頼内容は悪霊の除去と単純、霊自体もそこそこではあっても大したランクのものでもないようで、除霊するだけならば他の適当なGSやオカGあたりに依頼しても問題はなさそうなものだった。しかし、その依頼主もご多分に漏れず金持ち、そしてオカルト関係に疎いとあって、金はかかっても除霊ができる一番確実な人選という安易な選択で私に白羽の矢が立ったというわけである。ここの以前の持ち主も当然金持ちだが、除霊などはせずにとっとと手放してしまったらしい。おそらくたとえ除霊をしても、そんな“元心霊スポット”なんて物件を所有していたくはなかったのだろう、金持ちにはそういう連中が多いのだ。
それにしても“いかにも”といった雰囲気の現場だ。前を見れば巨大な観音開きの門が夜空の三日月を背負いぼんやりとそびえ立ち、時折どこからともなくかさかさと何かが地を這う音が聞こえ、深く森閑とした木々の隙間を縫ってフクロウの声が奇妙にくっきりと聞こえてくる。門を抜け、石畳の通路を進むと土間へと辿り着く。闇に包まれ一寸先も見えぬ屋敷の中はひっそりとし、遠くで隙間を風が通り抜ける音が何かのうめき声のように、大きく、そして小さく聞こえてくる。横島クンとおキヌちゃんはすっかり雰囲気に呑まれているらしく、先頭に立つ私の後ろで息を呑む音が二つ聞こえた。いい加減慣れて欲しいものだ。私達は除霊が仕事なのだから、こういうところが多いのは当たり前なんだけど……。ともかくも広い土間の一角に軽い結界を組むとそこに荷物を置き、準備を整え、三人で円陣を組みブリーフィングに入った。
「それじゃ、いつも通りやるわよ」私はおキヌちゃんに向かって言う。「私が霊をおびき寄せるからおキヌちゃんはネクロマンサーの笛で雑魚霊を集めて纏めて結界に閉じこめる。真っ暗で視界があまり効かないからそんなに奥までは進めないし、夜で霊も活発になってると思う。ちょっとだけ面倒かもしれないけどその代わりあれをやるわ。その後ボスを叩く。いい?」
「はい!」
おキヌちゃんは気合いの入った様子で返事をする。
「あの〜……、美神さん……」
その隣で横島クンが少し不安げに声を出す。
「俺はどうすれば……」
「だから言ったじゃない。そこに入ってればいいのよ」
横島クンのやや後ろあたりの地面を指さし私は言う。そこには一人が居座るには十分な広さはある二重の円陣が組まれている。
「そこっていうのは、この結界の中っスか?」
「そうよ、あんたはそこに居るだけでいいの。それじゃおキヌちゃん準備はいい!?」
「え? あ、はい……」
おキヌちゃんのどこか躊躇いがちな返事を聞き届け、建物の中の方へと振り返ると私は神通棍を握り、懐中電灯を片手に奥へと進もうとした。
「あ、ちょ、ちょっと待ってくださいよ美神さん!」
「何よ!」
しかし、それはまたしても横島クンの声に遮られる。
「い、いや、あの〜……いつも通りなら俺が囮じゃあ……」
その声に振り向くと、横島クンは自身の顔を指さしどこか困ったような表情で訪ねてきた。
「バカ言ってんじゃないのよ。今のあんた、霊能0なのよ? 任せられるわけないでしょうが」
「あ、あの、霊能0ってどういうことですか……?」
私の言葉に、しかし、反応したのはおキヌちゃんだった。
「あぁ、あのね、おキヌちゃん、横島クンの腕に付けてる腕輪。あれで霊能を遮断してるのよ。能力を消すにはそれしかなかったの」
「そんな……」
おキヌちゃんにそう答えるとふと横島クンの方へと視線を戻し、その顔が目に入ると私は振り返り背を向ける。そんな顔……しないでよね……。横島クンは左腕の腕輪に手を寄せ、顔を俯けていた。眉間に皺を寄せ、沈痛な面持ちで……。
「で、でも、それなら腕輪を外せばいいんじゃないんですか? それじゃだめなんですか?」
後ろからおキヌちゃんが躊躇いの色を含んだ声で言う。
「そうっスよ! これ外せば霊気は出るし、囮くらいなら!」
それに同調するように少女の声がする。……少女の声が。
「だめよ、あんたの能力は霊にも効果はあるはずよ。そんなことして余計なやつらを引っ張ってきたらどうするのよ。あんたに何かあっても私は責任取らないわよ?」
横島クンのテンプテーションは神にまで効いたのだ、霊にだって効くだろう。
「でも……それなら囮もしやすいとか……」
「ふ〜ん、あんたそんなに囮やりたかったわけ?」
なおも食い下がる横島クンに顔だけ振り向け睨み付け言った。それに驚いたのか、身体をびくつかせる横島クン。
「い、いや、そういうわけじゃないっスけど……」
「別に良いわよ? やりたいなら好きなだけやらせてあげるわ。ただし、文珠全部置いて逝きなさい」
「な、なんでそうなるんスか〜!」
半泣きになる少女を見、私は溜め息を吐く。中身は横島クンそのものなのに……。安全に囮をする方法も無いわけではない。“護”の文珠で身を守りながらであれば、相手を男に限れば囮だけでなく呪縛としてもそれこそおキヌちゃんの笛よりも良い効果が期待できる。しかし、今となっては数少ない貴重なアイテムをこんなことで使う訳にはいかない。どうしてもというなら行かせないでもないが、それならば文珠なしで放り込んでやった方が安い。ん? 安い? そう、安いのよねぇ。う〜ん、やっぱり安上がりって言葉には強い魔力のようなものがあるのよね。……この際だから放り込んじゃおうかしら。
「あ、あの、美神さん?」
「ん? 何? おキヌちゃん」
「顔、にやけてますよ……?」
「あ」
おっといけない。
「いいから、それが嫌ならそこでじっとしてなさい。それは防御陣よ、そこなら安全だから」
おキヌちゃんの呼びかけに我に返った私はいつのまにかつり上がっていた口の端を戻し、横島クンに向かって言った。それを訊く横島クンはどこか神妙な様子だった。そしてその口を開く。
「美神さん、そんなに俺のこと……」どこか感傷めいた面持ちで呟く横島クン。そして、おもむろにその身を翻すと続けた。「フッ、でもそんなことで俺は靡かないぜ? 今の俺は女、男だった頃とはち、ぎゃうっ!?」
「いいからとっとと入っておとなしくしてろ!!」
たらたらとご託を並べる少女の背中を蹴り飛ばして私は怒鳴った。本っ気で中身は横島クンなんだから!
「ひ、ひどっ! 科白くらい言わせてくださいよ!」
「横島さん! 大丈夫ですか!?」
床に四つん這いになり背中を押さえ肩越しに顔を向け抗議の声を上げる横島クン。それに駆け寄るおキヌちゃん。
「え? だ、大丈夫だよ? おキヌちゃん」
「良かった……」
横島クンの前に回り、その手を両手できゅっと握りしめたおキヌちゃんは、愛おしげにその少女の顔を見つめ、安堵の声を零す。
「……」
私はそれ以上何も言わず、再び屋敷の中の方へ振り返ると、奥へと足を進めた。
「くっ!」
闇の中、沸き上がる無数の霊気。
「多すぎる……」
一つ霊を躱せば次の霊が襲ってくる。
「ちっ!」
それらを躱しつつ神通鞭を“くんっ”と手首をしならせ操り少し大きめの霊を討ち、その空いた穴へと走る。そして意識を目に集中させ周りの様子を瞬時に見渡す。暗闇にも慣れ、懐中電灯の明かり無しでも多少は目が利くようになっていた。しかし、その視界に見えるのは三十畳ほどもある大広間に所狭しと漂う大小さまざまの霊。
囮のために奥へと進んでいた私は、ボスらしき悪霊の元へと辿り着いた。しかし、そこで見たものはその悪霊のそばに緑色に淡く輝き、不吉な呪怨の声を発する巨大な柱。それは私の存在に気づくとぱっと四散し無数の小さな光の塊へと姿を変え、私の周りを取り囲んでしまった。それらは全て雑魚霊だった。大量の霊が密集して巨大な塊を成していたのだ。こんなに霊がいるなんて……、依頼内容にはこんな事は書いていなかった、こんなの訊いてない!
雑魚霊の塊が消滅した後をくぐり抜け、そのまま振り切ろうと私は走る。しかし、それはすぐにまた別の霊の塊によって遮られる。足が止まり、そこを狙って他の雑魚霊が襲いくる。それを難なく躱すとすぐに体勢を整え神通鞭を構え直す。背後では少し大きめの霊気が迫ってくるのがわかる。親玉か。
「く、面倒だわ……ねっ!」
手首を捻り道をふさぐ塊に向けて神通鞭を走らせ、薙ぎ払う。霊達は断末魔の叫びを上げ、その顔を苦悶に歪ませ、そして極楽へと向かう。その後を私が走り抜ける。
「こんな面倒なこと、横島クンの仕事だったのに……」
最近面倒ごとが多いような気がする。アシュタロス戦役以来大したこともなかったのに、横島クンがああなってからいろいろと起こっている。あいつがトラブルメーカーなのは前から解っていたこと、今に始まった事じゃない。でも、よりにもよって、なんで……。あいつは私の丁稚。私だけの丁稚のはず。私の、私の……。
右手の神通鞭を素早く左手に持ち替え、空いた右手で腰の神通棍をもう一つ抜き放ち解放する。それは一本の光り輝く長い棒となり、そしてすぐにしなる鞭へと姿を変える。
「私のぉ!」
そして二本のしなやかな鞭を身体を回転させ両腕で操り、漆黒の闇の中にその変幻自在の光の鞭(べん)を交互に繰り出し雑魚霊達を次々と葬っていく。その風を切る音は途切れることなく、まるで笛の奏でる狂気に満ちたメロディのように辺りに響き渡る。その舞はしばらくの間続き、そして僅かの余韻を残し音が止む。
「はあ、はあ……」
興奮のためかいつもにはない息切れをしていた。そして見回せば周囲の霊が跡形もなく消滅している。しかし、闇に染まる壁をぬるりとすり抜け霊は奥の方から次から次へ、我先にと姿を現す。
「ちっ、きりがない。一体どこから湧いてきてるのよ!」
それを見、私はまた走る。
こんな面倒ごとはあいつの物なのに、なんで、なんで……。
「なんで女なんかになっちゃったのよ! 横島のバカぁ!!」
びくぅっ!
「横島さん? どうしたんですか?」
「あ、いや……。今なんか怒鳴られたような気がして……」
「は?」
俺は慌てて辺りを見回す、しかし、薄暗いランプの光に照らされるのは薄気味悪い屋敷の壁にぼんやりと浮き上がる黒い染みだけだった。それにゾッと身震いをし、俺はランプの方へと目を戻す。
気のせいか……、確か美神さんの声が聞こえたような気がしたんだが……。
それにしても今回の仕事は楽だ。荷物がいつもより格段に重かったけど、それでも、命に関わることでもないし、それで済むならそれにこしたことはない、以前と違って今は給料も高校生の俺には持て余すほどあるし、ただの荷物運びで給料がこれならぼろいもんだよなぁ。これで身体が元のままなら、美神さんのチチシリフトモモも素直に拝めるんだが、しかし、俺が女じゃなぁ……。ま、それはそれで良いこともあるはず、できるだけポジティブに行かないとな、ははは……。
……暇だ。巫女服に身を包んだおキヌちゃんはさっきから俺の側で笛を両手で握り、目をつむって微かな呼吸を繰り返している。どうやら精神統一をしているみたいだ。美神さんが連れてくるはずの霊の動きを止めるのがおキヌちゃんの仕事らしい。おキヌちゃんが居るとそうでないとでは全然違うよな。そういえば、以前はみんなの役に立てないって言って悩んでたおキヌちゃんだったけど、強くなったよなぁ……。学校の対抗戦は負けたけど善戦してたし、多分あの中でも上位にいるんだろう。きっとこれからもどんどん成長していって、いずれは一流のGSになっていくんだろうな……。
…………俺は……。
「来た!」
突然おキヌちゃんが小さく叫んだ。はっと目を上げると奥の通路の方から何かが此方へと向かう気配を感じる。いや、もっと広い。しかも、多い……、何なんだこの感覚は!
「おキヌちゃん! 一杯くるぞ!」
「え? あ、はい!」
俺の一喝に虚を突かれたような表情をし、しかし慌てて身構えるおキヌちゃん。だけど様子が変だ。壁の向こうに多くの霊の気配は感じるのに、でも……。
「美神さん……は……?」
おキヌちゃんが不安げな声を漏らす。そう、“美神さんの気配が感じられない!”
『ぐおぉぉぉぉぉおおおおおぉぉぉぉおおお!!』
「!!」
突如として膨らむ霊の気配。それは俺達のいる土間の壁一面から沸き上がった。緑色に輝く“何か”がヒカリゴケのように壁を所狭しと埋め尽くし、そして一つ一つがずるりと、しかし音も立てずに次々と這い出てくる。
「な、なんだこの数……。全部……雑魚霊……?」
俺は驚愕に目を見開き、そして息を呑んだ。
「美神さんは……、美神さんはどうしたんですか!?」
その緑に輝く壁を呆然と見ながらおキヌちゃんはほとんど悲鳴のような声を上げる。
「おキヌちゃん、落ち着いて! 笛を吹くんだ!!」
俺の必死に絞り出した一喝に、びくりと身体を揺らしたおキヌちゃんは、はっと我に返ったように此方に振り向き肯くと笛に唇を寄せた。しかし、その顔には生気が無く、明らかに動揺している。笛の音も震え、その旋律は精彩を欠き、いつもの心に響く音色が見る影もなくなっている。
「く、だめか……」
霊はその笛の音にほとんど同調せず、皆それぞれ出鱈目な方向へと思う思う飛び交っている。
「あ、危ない! おキヌちゃん!」
そのうち一体がおキヌちゃんめがけて襲いかかった。
「きゃあ!!」
襲い来る霊に、おキヌちゃんは目をつむり、笛から口を離してしまった。しかしその霊は逆にコントロールを失い、すんでの所で方向を変えると後ろの壁へと激突し、派手な音を立てその白壁をえぐり取っていった。まさに怪我の功名!
「くそ! おキヌちゃん、こっちへ! 結界に入るんだ!!」
この結界は防御陣、天井を破壊されない限り安全だ。この数を耐えられるかどうか解らないが……。
「美神さん……、美神さんは……」
しかし、床に座り込んでしまったおキヌちゃんは呆然と闇の向こうを見ながら呟くだけ、俺の声が聞こえていない。そのうちにも壁の向こうから次々と霊は溢れてくる。くそ、文珠を! 俺は潜在意識を探り、文珠を出そうとした、しかし……。
「で、出ない……!? くっそぉ!! なんでだ!!」
タネを明かせばやはり遮霊環が枷となっていたのだ。しかし、その時は気づかなかった。それどころではなかった。呆然とするおキヌちゃんに狙い澄ました一体の霊が、急激な速度で襲いかかっていたのだ!
「危ない!!」
気がつくとおキヌちゃんの顔が俺の目の前にあった。その目は見開かれ、唖然とこちらを見つめている。
「大丈夫……か……?」
「よ、横島さん!!」
身体が重い。腕の力が抜け、指先の感覚が全くない。
「は……はは……。これは痛いってなもんじゃ……ない……な……」
もはや何も感じない。首がかくりと力なくしなだれ頬がおキヌちゃんの肩に載る。だらりと垂れ下がる細い腕が情けなくおキヌちゃんの身体にもたれ掛かる。女の子にもたれ掛かるなんて、情けない奴……。あぁ、俺もその女の子だっけ……、ははは……。
「横島さん! 横島さん!! 横島さん!!!」
「はは……、そんなに呼ばなくても聞こえてるって……。多分、まだ死んでない……から……」
目に涙を浮かべるおキヌちゃんの必死すぎる呼びかけに口と目だけで答える。身体がもう言うことを訊かない。おキヌちゃんは慌ててその手を俺の背中に回した。おそらくヒーリングをするつもりなのだろう。
「おキヌちゃん……やめて……、笛を……吹くんだ……」
俺はそれを制止しようと声を絞り出して語りかける。このままではおキヌちゃんもまずいことになる。
「でも、このままじゃ横島さんが!!」
おキヌちゃんはその顔に絶望の色を露わにし叫ぶ。しかし、俺はそれに精一杯の力を振り絞って首を振る。
「俺は、大丈夫……だから……。しくじったら、美神さん……戻ってきた時が怖い……だろ……?」
俺は大丈夫……、はは、女の子相手にこれだけ強がりが言えたら、上出来だな……。
俺の言葉をおキヌちゃんがどう受け取ったかは解らなかった。しかしおキヌちゃんはさっきまでの動揺した表情から一変、その顔に生気を取り戻し、俺に向かって力強く頷いた。そして座った姿勢のまま俺の頭を抱きしめるような格好で笛に唇を寄せると、その力在る音色を奏で始めた。その旋律は美しく、聴く者全てを魅了する。それでいて力強く、善も悪も、生も死も、その区別なく抱擁していく。そんな感覚にとらわれた。
これなら……大丈夫……だ…………。
俺の意識はそこでゆっくりと薄れていった。淡い光に包まれ、暖かな抱擁を感じながら……。
あとがき
イラストのシチュエーションと続きが気になった人。友達になれそうだ……。(笑
さて、今回はプロローグ以来の戦闘シーンでした。久しぶりで、書いていてちょっと楽しかったです。途中から興が乗って想定以上に濃いものになってしまったような気もしますが。
流れはそのままなのに、何か全然キャラの動きが違う。いや、同じなんだけど何かが違う。プロット無しだと仕方のないことなのでしょうか。いつもの事なのですが、でも、今回は実はちょっぴり面白かったとか思ってたりもして。(笑
私はプロットっていうものを書いたことがありません。書こうと努力したこともありますが、どうしても書けません。良くプロットで使われるらしい箱書きなどといった場面場面を切り取って書くという作業が難しくて、仕方なく場当たり的に繋ぎ繋ぎ書いていくというのが基本になっています。それがちゃんとした物語が書けない原因なんでしょうか……。今度一本分でもプロット書いてみるべきかなぁ……。
前回も皆さんにレスを沢山頂きまして嬉しい限りでございます。オリキャラは賛否両論ですね。やっぱり背景が薄く、感情移入もままならないキャラクターを好いて貰うということは難しいものですよね。それに、今のところキヌキ君は労せずして横島クンのハートをがっちりチャージ、百年キープみたいな感じで唐突に現れたキャラですから、彼への印象はこれからの彼の行動が肝要というわけですよね。ちゃんと描いてやれるかどうか、それが腕の見せ所。
それでは、今回もレス少しでもあればいいな、と思いながら。
では……。
レス返し
>暁○さん
横島クンはその存在自体がテンプテーションですから。(笑
横島クンの気持ちがどう働いているのか、今のところはまだはっきりとしませんが、これから段々と人物も出てきて、中身もこんがらがっていくと思います。全てはこれからですね。
しかし、既に横島クンに正しい途など……。(汗
>K’さん
オリキャラは難しいですね。気に入ってもらえるものになるかどうかは解りませんが、でも、きっとK’さんにも気にしてもらえるようなキャラにはしたいと思います。
美神さんはこの話の中だと結構曖昧な立場にあるので結局こうなってしまったと言い訳してみたり。(汗
実は私自身振り返ると、かなり棘が少ないなと思っています。これからどうなっていくのか、それはわかりませんが。
>Februaryさん
見た目も中身も百合……、なんてことになったらどうしましょう。(笑
中身は横島クンなんだからあり得ない? いや、変態な私のことだからあり得ない話じゃない……。(汗
それはともかく、内面と外面の違いによる受難はこれからいろいろと発展させていきたいと思ってます。うまく行くかどうか……。
ポケットの魑魅魍魎は名前あります。でも今は明かしません。それはいずれわかることですから。ということで。(逃
>猫炎さん
こういうの待ってましたか。私も待ってました。(笑
というか、この話はいろんなシチュエーションを組み合わせてミックスした形になるので、うまくいけばいろいろ楽しめるんじゃないかと思います。全ては私の腕にかかっているというわけです。自分で自分にプレッシャー。(汗
というわけで、乙女チックに行く横島クンも見れるかもしれません。ということで。
>雲海さん
嗚呼……、私、貴方の1番にはなれなかった……。って、どこの乙女の失恋だ。(笑
う〜ん、それでも2番目とはまた買いかぶられ(ry
結構プレッシャーですね。(汗
これからが肝心。話をアップするたびにびくびくしています。これからも頑張らねば……。
そしておキヌちゃんもキヌキ君も共に好かれるように描いていきたい。そう思っています。