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「二人三脚でやり直そう 〜第五十二話〜(GS)」

いしゅたる (2008-01-04 16:11)
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「先生!」

 左足を引きずり、試合場を後にした唐巣の元に、ピートが駆け寄ってきた。

「ピート君? よく私のことが……いや、そういえば君は若い頃の私の姿を知っていたな」

「ええ。長い付き合いですから」

 一発で正体を看破された唐巣は一瞬目を丸くしたが、その理由に思い当たって苦笑する。

「しかし、先生が出場していたなんて……いったいどうして?」

「悪いね、これも仕事だ。まあ、結果は見ての通りだったが……」

 そう言って左足に視線を落とすと、ピートもそれに倣って唐巣の左足を見た。そこには、足の甲を貫く大きな傷跡が出来ていた。それを見たピートは、見るに耐えないといった様子で顔をしかめる。

「ひどい……僕には信じられません。あのおキヌさんが、こんなことをするなんて……」

「そう言わないでやってくれたまえ。おそらく、彼女は知らないだろう。……いや、知っていたとしても文句が許される立場ではない、か」

 言いながら、ちらりと試合場を挟んだ反対側に視線を向ける。そちらには、白龍会の仲間に迎えられてこちらに背を向けているおキヌの姿があった。

「……十中八九、外野からの横槍だ」

 横島の言葉通りなら、チンピラ顔が陰念、目つきの悪い三白眼が雪之丞、リーゼントの男が勘九郎と言ったはずだ。彼らのうち、リーゼント――勘九郎の方に視線を固定し、唐巣はそうつぶやいた。唐巣の霊感が、彼は危険だと告げている。
 と――いきなり、雪之丞が何やら激昂して勘九郎に掴みかかった。勘九郎の方は、特に慌てる様子もなくその手を振り払う。もしかしたら今の横槍のことで揉めているのかもしれない――おキヌが慌てて二人の間に割って入っている。

「文句が許される立場ではない……? 先生、もしかしておキヌさんは、何か厄介なことに巻き込まれているのですか?」

 そのピートの疑問に、唐巣は自分の失言に気付いて視線をピートの方に戻した。少々喋りすぎたようだ。

「……大丈夫だ。その辺りのことは私に任せて、君は自分の試合に専念すればいい」

 下手な言葉はかえって彼を悩ませ、余計なプレッシャーになる。唐巣は慎重に言葉を選んだ。

「それよりも……ピート君。君の試合は見ていたよ。資格取得、おめでとう」

「…………」

 これ以上突っ込まれても困る。そう思って話題を変えた唐巣の言葉に、ピートは沈痛な面持ちで沈黙した。その様子に、唐巣はやれやれと肩をすくめる。

「……調子が出ていないことを気にしているのかね?」

「僕は……半人前です」

「君は緊張で固くなっているだけだ。肩の力を抜けば、もっと力が出せるはずだよ。今の私の試合は見ていたのだろう? 君にとって、参考になる戦い方をしたつもりなんだが……どうかね?」

「せ、先生……」

 唐巣の言葉に、ピートは初めて知った。彼は自分の試合でさえ、弟子に対する手本たらんとしていたのだと。その思いやりに満ちたアドバイスに、ピートは改めてこの人を師と仰いで良かったと、胸が熱くなる思いがした。
 と――そんな感傷に浸ろうとした、その時。

「その通りだぞピート!」

「…………」

 今一番聞きたくない声を耳にし、ピートは思わず顔をしかめた。
 そして、声のした方向に嫌々目を向けてみれば――予想通り、そこには怪しい黒尽くめ。服の隙間からプスプスと煙を吹いているが、そんなこと気にした様子もなく、それはこちらに向かって大股で近付いて来ていた。

「この会場に集まる有象無象など、余の血を引くお前が本気になれば一捻りだ! この国の諺には『能ある鷹は爪を隠す』とあるそうだが、お前は少々隠し過ぎだ。さあ、次からは遠慮はいらぬ! 夜の王たる我らが力、存分に――」

 むんず。

 テンション高く激励してくるソレ――言うまでもなく、ピートの父親であるブラドー伯爵だ――の台詞を遮り、ピートがその腕を掴んだ。

「あ?」

 すたすたすた。

 ピートはそのまま、ブラドーの手を引いて歩き出し、窓からの陽光が当たる場所へと移動した。

「い?」

 そしてピートは、無言でブラドーの服に手をかける。ぱっぱっぱっと手早く帽子、サングラス、マントを剥ぎ取った。

「う――?」

 ブラドーは戸惑った表情のまま――身を守るものを失って陽光の直撃を浴び、さらさらと灰になった。
 ピートはどこからともなく取り出した箒とチリトリでその灰をかき集め、ゴミ袋(東京都指定)に入れて会場脇のゴミ箱に投げ捨てる。そして彼は唐巣の元へと戻り、無駄に爽やかな笑みを浮かべ、流れてもいない汗をぐいっと拭った。

「勝利はいつだって虚しいものですね、先生」

「いや……君ねぇ……」

 その一連のやり取りを見た唐巣は、後頭部にでっかい汗を浮かべた。


「……最後の、一体どうなったの?」

「さあね?」

 今の勝負の付き方に不審なものを感じたのか、怪訝そうな表情になって訊ねてくる百合子に、問われたメドーサは素っ気無く答えて肩をすくめた。

「土壇場での一発逆転……って言えば聞こえはいいけど、今のは明らかに不自然だったわよ」

「私に聞かれてもねぇ」

 なおも質問を重ねてくる百合子に、メドーサはのらりくらりととぼけてみせる。
 が――

「……ま、それよりも」

 不意に、メドーサの視線が、刃物のように細く鋭くなった。
 ――瞬間――


 ドシュッ!


「…………ッ!?」

「動くな」

 目にも留まらぬスピードでメドーサの手の平から刺叉が飛び出し、一瞬にして百合子の首にあてがわれた。

「……何のつもりだい? こんなことして――」

「もちろん、いいに決まってる」

 こめかみに一筋の汗を垂らしながら、なおも挑発的な台詞を口にする百合子に対し、しかしメドーサは一笑に伏せるのみだった。

「この私相手にハッタリをかます度胸は買ってやる。だが、もう通用しないんだよ。私を抑えられる奴がここにいないことは、既に確認済みだ」

「…………」

 嘲笑するメドーサに、百合子はただ沈黙するのみだった。


「くっ……! まさか、メドーサが会場に現れていたなんて……!」

 東京上空。携帯電話の使い方を覚え切れなかった小竜姫は、美神から届いたメールを、たまたま出会った銀一に読み上げてもらった。そして現在、最悪の事態の防止に自分がメドーサの抑えに回るため、彼女は一路GS試験会場に向かっていた。
 ちなみに会場の方角は、訪ねた交番の警官と銀一に教えてもらい、既に把握している。

「悪い予感がします……何かが起こる前に間に合いますように……!」

 彼女は祈るようにつぶやき、その飛行速度を上げた。


   『二人三脚でやり直そう』
      〜第五十二話 誰が為に鐘は鳴る! 二日目・5〜


「……おキヌちゃんが勝った、か」

 美神はそうつぶやくと、ふぅーっと大きく息を吐き、背もたれに体重を預けた。

「おキヌちゃんが無事だったことを喜べばいいのか、先生が負けたことを残念に思えばいいのか……正直、よくわからないわね」

「けどおねーさま、最後のあれは……」

「やったのはたぶん、勘九郎あたりだと思う」

 かおりが疑問の声を上げたところで、横島がそれに答えた。

「勘九郎……あの一番体の大きい男ですね」

「ああ。雪之丞は勝負に横槍入れるキャラじゃないし、陰念はああいう器用なこと出来るようには見えないし……まあ、あの様子見れば丸わかりだろうけど」

 そう言って、横島は試合場に視線を移す。そこでは、ちょうど雪之丞が勘九郎に掴みかかっているところだった。

「仲違いしているようだな」

 横島に倣ってそちらの様子を見た魔理が、ぽつりとこぼした。

「見た限り、彼らも一枚岩というわけではないようですね。確かに横島さんの言った通り、あの雪之丞という男は、やりようによってはこちら側に引き込めそうですわ。けど、不正ですか……運営委員会に報告すれば、氷室さんは失格になりますわね」

「無理ね。証拠がないわ」

「…………」

 かおりの言葉を、美神が素っ気無く切り捨てた。その即答ぶりに、かおりは思わず言葉に詰まる。

「そうですか……何かやったのはわかっていても、何をやったのかはわからない……ということですわね。正直、もどかしいですわ」

「ってお前、おキヌちゃんを失格にするつもりだったのか?」

「勿論です。不正で得た勝利に何の価値があるというのですか? いくら友人とはいえ……いえ、友人だからこそ、無視することはできません」

 目を丸くした魔理の言葉に、かおりはギロリと睨んでそう断言した。

「うーん。確かにそんなの青春じゃないけど……今のおキヌちゃんって、それを受け入れるしかない立場なんじゃないの?」

「それはそれ、これはこれです」

 どうやらかおりにとって、今のおキヌの勝利は到底受け入れられないものらしい。おキヌの立場を考慮した愛子の言葉も、一言で切って捨てた。

「ま、過ぎたことを言っても仕方ないわよ。ここはポジティブに考えましょう」

 そんな三人のやり取りに、美神が横からストップをかける。

「おキヌちゃんが人質を取られている以上、負けてたら人質が危なかったかもしれないわ。メドーサの目的を考えれば、資格取得前は尚更ね。まだ人質の居場所は特定できてないんだし、時間が稼げたと思えばいいでしょ。
 ――幸い、3回戦以降は合格者一人一人に正確な評価を与えるため、試合は一試合ずつ行われるわ。同時に複数やっちゃうと、大事なところを見逃す恐れもあるわけだし」

 次に白龍会のメンバーがこちら側の受験生――つまり横島と当たるのは、3回戦第9試合とかなり後だ。
 実のところ、美神は先ほどの横島の2回戦の後、敗北者(←美神的にはここが重要)のエミに人質の居場所の特定と救出を依頼した。横島の次の試合までに時間があるということは、エミが請けた依頼が達成されるまでの時間を稼げるということだ。
 ちなみに横島の相手は伊達雪之丞。もし横島が首尾良く相手を医務室送りにすれば、そこで色々と聞けるかもしれない。
 その場合、雪之丞の敗北によって人質の命が危ぶまれるが、その可能性は資格取得前に比べれば低いだろう。何せ、メドーサの目的はGS業界に手勢を送り込むことなのだから、資格さえ取得できてしまえば目的は達成されたも同然だからだ。

「あとは、エミの奴がさっさと人質の居場所を突き止めてくれればいいんだけど……」

 そこまで考えると、いけ好かない相手に重要な部分を任せないといけないことを思い出し、思わずぼやき声が口を突いて出る。

『まあそう言うな。エミ殿とて一流のGSだ。任せて悪いことにはなるまい。それよりも――』

 そのぼやきに、心眼がフォローを入れ、話題の転換を図る。
 と――その時。


「……その話、詳しく聞かしてもらえへんか?」


 背後からかかってきた声に、美神たちは揃って振り向いた。
 そこには――

「き、鬼道先生……?」

 愛子の声には反応せず、彼――鬼道政樹は、美神の方をじっと睨んでいた。

「あんたは確か……いつだったか、冥子に負けた式神使い?」

「鬼道政樹や。今はこいつらの担任をしとる」

 美神の質問に鬼道はそう答え、かおりたちを目線で指し示した。

「ああ、そうだったわね。……ってことは、おキヌちゃんの担任でもあるわけか。それじゃ、無関係ってことはないか……」

『……美神殿、悪いがその話は後にしてもらうぞ』

 鬼道の登場で話題の転換をし損なった心眼が口を挟み、改めて自分の用件を切り出す。

「どーした心眼? なんか慌ててないか?」

『うむ……火急の用件だ。百合子殿が危ない……!』

「え……!?」

 心眼のその聞き捨てならない言葉に、横島は即座に視線を百合子とメドーサのいた方向に向ける。
 そこではちょうど、メドーサが百合子の喉元に、刺叉を突き付けているところだった。


「……確認した、ですって?」

 喉元に凶器を突き付けられた百合子は、それでもなおメドーサの視線を正面から受け止め、不敵に笑い続ける。

「ああ」

 しかしその言葉に、メドーサは嘲笑を崩すことなく頷いた。

「本当かしら?」

「理由を教えて欲しいかい? ふん……まあいいだろう」

 なおも疑う百合子に頷いて、左手で指を一本立てる。

「一つ。魔族であるこの私を止められるのは、同じ魔族か神族のみ。伏兵がいるとすればそれだ」

 説明を始めたメドーサは、そう言って立てる指を一本増やす。

「二つ。人間は知らないことだが、神族や魔族の定める人界への干渉の規則は、どちらも基本的には最小限にとどめることになっている。これは人界への悪影響を考慮したもので、特に神族はこれを固く遵守する。つまり、この私が起こす事件で派遣される者がいるとすれば、それはただ一柱……日本地区を担当する小竜姫のみだ」

 そして――三本目の指を立てると、メドーサの唇が歪な笑みを形作った。

「そして三つ。その小竜姫は、潔癖症の甘ちゃんだ。たとえ穏行術を使って私を監視していたとしても、味方の不心得を耳にすれば平静で居続けることはできないだろうさ。……たとえば、敵の女と寝たとかね」

「…………っ!」

 その言葉に、百合子の顔が初めて強張った。

「まさか……さっきの冗談が?」

「その通り。あの時、どこにも気配の揺らぎは感じなかった。つまり小竜姫はいないってことだ」

「参ったわね……もうちょっと持つかと思ったけど、本気でハッタリも通用しなくなってるみたいね」

「そういうこと。ついでに言っておくけど、この会場の人間全員束ねたところで、私には敵わないよ。ま、もしかしたら傷の一つぐらいはつけられるかもしれないけど……頑張ったところで、せいぜいそんなところさ」

「そうかもしれないわね……」

 メドーサの言葉に、百合子は諦観にも似た言葉を吐き、肩から力を抜いた。
 覚悟を決めたか……? メドーサがそう思った、その時。

「……けど」

 ――不意に、百合子の瞳に力が戻った。

「それもさっきまでの話でしょ? ちょっとのんびりし過ぎたんじゃないかしら?」

 ――ゾワリ――

 百合子の台詞とほぼ同時、唐突にメドーサの背筋に悪寒が走った。
 そして彼女は本能の警告に従い、百合子に突き付けていた刺叉を引き戻し、背後に向かって横薙ぎに振るう。


 ギンッ!


 振るった刺叉が、何かと交差した。見ればそこには、見覚えのある剣の形――

「……小竜姫か」

「メドーサ……!」

 敵意の篭った視線で、その剣の主――小竜姫が、メドーサを睨む。

「よもや、既にこんなところに来ているとは……! ですがこの小竜姫が来た以上、これ以上の狼藉はできぬものと心得よ!」

 いきり立つ小竜姫。しかしメドーサは、そんな小竜姫の視線を受け止め、「ふふん」と鼻で笑うだけだ。

「ここでやるっての? 私は別にいいわよ。ただし……何人死ぬかしらね?」

 そう言って、ちらりと背後の百合子を見る。

「く……!」

「さあ、わかったんならとっととその剣をお引き。心配せずとも、私からは何もしないよ。ただ観戦しに来ただけだからねぇ?」

 くっくっと嘲笑を浮かべ、いけしゃあしゃあとのたまうメドーサ。小竜姫は言葉に詰まって歯軋りし、攻撃することは元より素直に剣を引くこともできず、固まっている。
 と――

「あらあら、仲が良いわねぇ」

 などと、メドーサの背後からそんな呑気な声が聞こえてきた。
 二人して見ると、そこにはのほほんとした笑顔を取り戻している百合子の顔。

「どうやら、『お友達』が来たみたいね。私はいても邪魔なだけでしょうし、席を外しておくわ」

 誰が聞いてもおちょくっているとしか思えないその台詞に、メドーサの額に井桁が一つ浮かぶ。彼女は席を立つ百合子の襟首を捕まえたい衝動に駆られるが、眼前の小竜姫の存在が、それを許さない。

「くっ……!」

 今度は、メドーサが歯軋りする番だった。遠ざかる百合子の背中を見送り――ややあって、向こう側から来た美神たちと合流したのを見届けると、「ちっ」と舌打ちして小竜姫の神剣を乱暴に払いのける。

「メドーサ……!」

「あんたも、そんな物騒なもんはしまいな。興が冷めた」

「…………」

 そう言って刺叉をしまい、席に腰を降ろすメドーサ。小竜姫は憮然としながらも、場所が場所なだけに自分から仕掛けるわけにもいかず、渋々神剣を鞘に収めてメドーサの隣に腰を降ろす。

「……監視のつもりか」

「ええ」

 メドーサの言葉に小竜姫が視線も合わさずに首肯する。そして二人、ちらりと視線を合わせると、同時に「ふん!」と顔ごと視線を逸らした。


「おふくろ!」

 百合子が観客席から武道館の内部へと向かう道すがら、唐突に背後から声を掛けられた。
 振り向いてみると、そこには見慣れた息子の姿。他にも、彼の上司や六道女学院の三人、そして見覚えのない和風の顔立ちをした若い男がいた。

「忠夫?」

「一体何してたんだよ! 小竜姫さまが間に合って助かったから良かったものの、なんだってあんな……」

「あら? 息子に心配されるほど、まだ年取ってないつもりなんだけど」

「そういう問題じゃないだろ!」

 飄々と答える百合子に、横島は噛み付かんばかりの勢いで詰め寄る。
 しかし――

「まあいいじゃないの。それより、お手洗いはどこだったっけ?」

 と、息子をやんわりといなして美神の方に問いかけた。

「え? ああ、それだったらそこの階段を下りて右に行けば……」

「そう。ありがとね」

「あ、おい!」

 素直に答えてくれた美神に礼を言い、文句が言い足りない様子の息子を無視し、そのままスタスタと歩き始める。
 ……トイレはすぐに見つかった。
 なかば逃げるようにトイレに入ると、追って来ていた横島は入り口で立ち往生する。その息子の様子に胸中で「ごめんね」と謝ると、個室のドアを閉めて「ふぅ」と一息つく。

 ――そして――


「う゛……お゛え゛え゛ぇ゛ぇ゛ぇ゛ぇ゛……!」


 ……吐いた。

 便器の中に、胃の内容物が吐き戻される。その中に、少なからぬ量で赤いものが混じっているのを見て、百合子は顔をしかめた。

「……あちゃー……やっぱ胃袋がやられてたか……」

 といっても別に攻撃されていたわけではない。単に、過度のストレスで文字通りに胃に穴が開いていたというだけだ。

 ――そう。百合子はメドーサの隣に居続けていたことにより、常に凄まじいストレスを感じていたのだ。

「まったく……この私ともあろう者が、見通しが甘すぎたわ。なによあの化け物……」

 嘔吐により青くなった顔で、百合子はつぶやく。
 ただ隣にいるだけで感じる、圧倒的な存在感。いつ命を奪われてもおかしくないという緊張感と危機感。それは、自分の想定していたレベルを遥かに逸脱していた。相手がその気になれば自分など、死んだということを自覚する間もなく殺されていただろう。
 事実、小竜姫が来なければそうなっていたのだ。彼女が間に合ったことは、この日一番の幸運と言っていい。
 そんな相手を前に、表面上だけとはいえ平静な顔で居続けられたのは、我ながら賞賛してもいい程だと思う。これも、若い頃にビジネスの世界で鍛え上げ、磨き上げた、肝の太さと交渉術の賜物だろう。

 そもそも、なぜ彼女がこんな危険を冒したか? ――それは、『親としての矜持』の一言に集約される。

 息子が目の前で危ない橋を渡ろうとしていた。そしてそれは、もう止められないところまで来ていた。
 ならば、それを目の前にした親としては、止められないならばせめて子より先に危ない橋を渡り、少しでも安全を確保することだろう。
 子供が親より先に死ぬことなど許されない。それが目の前であるなら尚更だ。だからこそ、命を賭けるなら自分が先であると覚悟を決めた。
 もっとも、だからと言って何も出来ないまま死ぬのは無意味だし、そんなことする気もない。百合子は自分に出来る範囲内で出来る限り息子の危険を減らそうとし、結果として選んだ選択肢が、メドーサに近付くことだったのだ。

「魔族ってのも伊達じゃないわけね……小竜姫さまと同格って言われるだけあるわ。メドーサ一人に比べたら、ナルニアのゲリラが全兵まとめてやって来た方が、まだ可愛いわね」

 対峙した時の感覚を思い出し、ぶるっと震える。

 ――実際、何度も命の危険はあった。

 もっとも顕著な部分で言えば、三回。
 一回目は、最初にメドーサが攻撃を仕掛けようとした時に放った、たった一言のハッタリ。相手の性格を考えれば勝算の高い賭けではあったものの、外さずに済んだのは幸いと言える。
 二回目は、おキヌに対して冷徹な言葉を吐かれたあの時。激昂するままに手を出していれば、一体どういう反撃を受けていたか考えるだに恐ろしい。
 そして三回目――


「……もう、大丈夫だからね?」


 百合子はハンドバッグを開けると、中から取り出した水晶玉にそう語りかけた。
 ――そう。華が閉じ込められている水晶玉である。

 チャンスは一瞬だった。小竜姫がやってきて、メドーサの意識がそちらへと向いたその瞬間、百合子はメドーサのハンドバッグからこの水晶玉をスっていたのだ。
 そもそも百合子がメドーサに近付いたのは、これが理由である。メドーサがこの水晶玉に対して何事かを語りかけていたのを、百合子はしっかりと目撃していた。そして奪ってみれば、案の定である。
 スるタイミングを一瞬でも間違えていれば、一体どうなっていたか――いや、これに限らず、メドーサと顔を合わせて別れるまでのどのタイミングでも、一歩間違えれば命はなかっただろう。

「……うっ……」

 そのことを思い出した瞬間、百合子は思わず口元を押さえた。そして――

「う゛え゛え゛え゛ぇ゛ぇ゛ぇ゛ぇ゛……」

 迂闊に思い出してしまったせいで嘔吐感もぶり返し、もう一度リバースしてしまった。
 ひとしきり吐き出してから、百合子はコックを引いて真っ赤な嘔吐物を流し、ハンカチで口元を拭う。

「……ったく、私だってもう若いって言うほど若いわけじゃないんだから、あんま無理させないでよね……ここまでお膳立てしてあげたんだから、しっかりしなさいよ……」

 肩で息をする百合子は、今ここにいない息子に対してそうこぼした。


 ――だが。

 事はそう簡単に解決するものでもなかった――


「……見えた……!」

 ――会場の外にある駐車場――

 そこに停めてある小笠原オフィス所有のワンボックスの中、水晶玉を前にしたエミは確かな手応えを感じ、思わず声を漏らした。
 彼女の周囲には、様々な呪術道具がとある法則に従って整然と並べられている。まさに呪術の儀式の真っ最中といった風情であった。


 彼女の覗く水晶玉――そこには無数のビッグ・イーターに囲まれて怯えている、白龍会の胴着に身を包んだ二十数名の若者の姿が映っていた。


 ――そう。

 人質は、華一人だけではなかったのだ――


 ――そして火種を残したまま時は進み、3回戦第2試合――

「両名、前へ!」

 審判の呼びかけに応え、陰念が試合場へと足を踏み入れる。対戦相手を見据えるその表情は、何かの覚悟をしたような只ならぬ雰囲気を醸し出していた。

「試合開始!」

 審判の宣言に、相手選手が神通棍を手に構える。そして陰念は――

「……悪いな。ここからは手加減するわけにはいかねーんだ。死んでも恨むなよ……

 はぁぁぁーっ!」

 と――いきなり、魔装術を身に纏った。
 陰念の魔装術は、まともな形を成していない。溢れ出る霊力が収束しきれず、その輪郭を曖昧にしていた。
 そして彼は、その異形の姿に驚く対戦相手に向かい、その拳を振り下ろす。神通棍でガードしようとしたが、陰念はその神通棍もろとも相手を叩き潰した。

 ズガァァァン!

 制御の利いていない力は、すなわち力の加減を利かせることができないことと同義。その圧倒的パワーの前に、対戦相手は一撃で瀕死の重傷を負ってしまった。

「た、担架だ! 救護班、急げーっ!」

 慌てた審判が、陰念の勝利を宣言するのも忘れ、救護班を呼ぶ。それを尻目に陰念は魔装術を解き、担架に運ばれる対戦相手に背を向けた。

「……まず一人目……メドーサの示した条件まで、あと六人……か」

 ぽつりとつぶやく。その表情は、どう見ても勝利の余韻に浸っているようには見えなかった。


 ――メドーサが陰念たち四人に課した、人質解放の条件。
 それは彼ら四人を除く資格取得者28名のうち、7名以上を――


 ――試合中の事故にかこつけて再起不能、もしくは殺害することだった――


 ――あとがき――


 おキヌちゃんが格闘戦やることに作者自身が違和感を覚えているのに、ストーリーの都合上やめるわけにはいかない罠。大丈夫、GS試験が終われば後衛に戻りますのでー。
 そして前回、対神父戦で斜め上の戦い方を期待していた人たち。すいませんでした。一応考えてはいたんですよ、一応……

「唐巣神父、若い姿だと髪がふさふさでいいですねー」

「え? いや、そうかい? ははははは……」

「隙ありーっ!」

 ……だめだ。おキヌちゃんの死亡フラグにしかならない。そーゆーわけで没りましたorz
 試合っていうシチュエーションは、真正面同士の一対一であるせいか意外に制約が多くて、おキヌちゃんみたいな性格だとなかなかヒネた戦い方をさせづらいんですよー(泣 それに本来、そーゆー戦い方は横島や美神の領分ですし……パイパー編の時の方が特殊だったんです。
 ……あれ? そういや今回、横島の影が薄いや。それにおキヌちゃんも台詞がない……夏子と銀一のシーンも入れられなかったよorz
 次は雪之丞戦だし、おキヌちゃんはともかく横島、銀一、夏子は登場予定あるんで次回こそはー!

 それではレス返しー。


○1. 白川正さん
 確かに前回は少々少年漫画らしさが強すぎましたね。でも私には、おキヌちゃんの性格で神父相手に何ができるかってのが思い付かなかったのですorz

○2. 山の影さん
 試合というシチュエーションは意外と制限が多くて、おキヌちゃんの性格、加えて相手が神父になると、使える裏技ってのが髪ネタしかないんですよ。しかもその髪ネタにしたって、パイパー編でおキヌちゃん自身が懲りちゃってますので、正直使うことができませんでしたorz
 小竜姫さまは、合流早々に別れて先行しちゃいました。夏子たちは次に到着しますー。

○3. Tシローさん
 神父はなんだかんだで相当実力ありますし、裏技が出来たとしても通用したかどうかはわかんないんですよねー。横島と夏子の関係については、まあ今後をお楽しみにということでw

○4. ながおさん
 そういえばおキヌちゃんって、御祭神でしたねー。あの魔装術の姿も、その解釈でもいいんじゃないでしょうかw

○5. Februaryさん
 大丈夫、美神事務所の除霊場所は都市部も多いんで、意外にも低空滑走の出番は多いかもしれませんw ちなみにメドさんのあの発言は、ギャグではなくシリアスでした。でもあの場所に本当に小竜姫さまがいたら、ギャグになってたかもw

○6. 内海一弘さん
 ピートが相手でもどうだったでしょうかね? バンパイアハーフだから結構しぶといし、魔装術の時間切れで負ける可能性も高かったかもしれません。

○7. アウリガさん
 唐巣神父からしてみれば、試合も始まってしまったわけですし、既に勝つか負けるかという二者択一しか残されていなかったという事情がありました。それでもかなり手加減してたんですが、おキヌちゃんが試合中に進化するもんだから、だんだんパワーレベルを上げなければならなかったわけで……もしかしたら、その辺の描写が甘かったせいで違和感を感じさせてしまったのかもしれません。精進しますorz


 レス返し終了ー。では次回、横島vs雪之丞戦でお会いしましょう♪

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