「……うん?」
おキヌが漏らしたつぶやきに、鴉は「意味がわからない」とばかりに小首を傾げた。
「君の言う唐巣神父とは、ゴーストスイーパー唐巣和宏のことかな?」
「え?」
肩をすくめる鴉に、おキヌは一瞬、自分の勘違いかと思う。しかし直後、鴉がウィンクしてみせたので、そうではないことに気付いた。
考えてみれば、今は審判の前である。ここで自分が唐巣和宏であることを認めれば、規定違反で失格になってしまうだろう。
おキヌは少々軽率な言動だったかな、と反省し、少し腰を落として改めて正面の鴉へと対峙した。
――そして――
「試合開始!」
審判の試合開始宣言が朗々と響き渡り、双方構えを取る。
そして鴉は、審判がコートの隅にある審判用のパイプ椅子に座ったのを見届けると、おもむろに距離を詰めてきた。
シュッ!
「きゃっ!」
手刀が横薙ぎに振るわれた。おキヌはそれを、慌てて腕でブロックする。さほど力を込められていなかったようで、大した衝撃は伝わってこない。
「……しかしまさか、一目で見破られるとは思わなかったよ」
「!」
「君の言う通り、私は唐巣だ」
距離が縮まった瞬間、おキヌの耳元でそう告げられた。
「エクトプラズムスーツというのも、便利なものだね」
審判に聞こえないよう小声でそう言って、鴉――いや、唐巣は距離を開けた。
ちなみにエクトプラズムスーツとは、高度な変装用のオカルトアイテムである。姿形のみならず、身長や骨格までも誤魔化すことのできる優れものだ。逆行前の横島がこれを使い、まるで骨格の違う女性へと変貌したことがあったぐらいだ。
そして再び、唐巣が距離を詰めてきた。
「くぅっ」
正面から拳が突き込まれてくるのを、おキヌはまた腕でブロックする。
「……聞きたいことがある。六道女学院では、在学中のGS試験の受験は認められていないはずだ。君の受験は、校則違反に当たる。なぜ受験した?」
「……すいません。答えられません」
再び耳元でささやかれた言葉に、おキヌは表情を沈ませてそう返した。唐巣は一瞬苦い顔になって、ボディブローを繰り出す。
拳の速度が遅い。まるで防御されることが前提であるような――実際、その通りなのだろうが――攻撃を、おキヌは「わっ!?」と少々うろたえながらも、肘で叩き落した。
「……ふむ。多少は格闘の心得が出来ているようだね。それも白龍会での修練の賜物かい?」
「実戦練習まではいきませんでしたが……」
「それでも大したものだ。で……答えられないということは、会話は聞かれているということかい?」
「…………はい」
本当に聞かれているかどうかはわからないのだが、それを言ったところで意味はない。おキヌは少しの逡巡の後、首肯した。
「ならば、私も迂闊なことは言えないな……」
おキヌは知らないが、唐巣もおキヌたち白龍会のメンバーが、人質を取られて強制されていることを知っている。だが、白龍会にとって部外者である唐巣がそれを知っていることをメドーサが知れば――いや、たとえ確信は持たずに察するだけだとしても、感付かれてしまえば人質の安全は保証できないだろう。
唐巣はおキヌと距離を取り、胸のロザリオに手をかけた。
「ともあれ、我々の立場では、今の君たちにGS資格を渡すわけにはいかない。私としても君に手を上げるのは気が進まないが、ここで退場してもらうことになる」
「……あの、ちょっとは手加減して欲しいなーって思うんですけど……」
「…………」
問答の時間は終わりとばかりに霊力を高める唐巣だったが、遠慮がちに訊ねてくるおキヌの言葉に、その霊力がちょっとだけ霧散した。
『二人三脚でやり直そう』
〜第五十話 誰が為に鐘は鳴る! 二日目・3〜
「あら? あそこで試合始めてるのは、おキヌちゃんかしら?」
観客席で試合を観戦する百合子は、試合場の一角に視線を向けてそうこぼした。
「知り合いかい?」
「ええ。息子のガールフレンドですの」
「ふぅん……」
メドーサの問いに、百合子は何でもないような口調で答えた。
考えてみれば、おキヌに横島との繋がりがある以上、横島の母親である百合子も、彼女のことを知っていておかしくない。メドーサは、百合子の返答に気のない相槌を打った。
「ところでさ」
「何かしら?」
「自分の息子の試合については、何か言うことはないのかい?」
「……………………ノーコメントで」
メドーサの問いに、百合子は長めの沈黙を挟み、そう答えた。
表情は笑顔だが、その額に井桁が浮かび、握る拳に力が入っていたのを、メドーサは見逃さなかった。
(面白いねぇ)
その様子に、メドーサは百合子が自分の息子の性癖に思うところがあるのを察し、内心で苦笑を漏らす。
(けど……ガールフレンドと言ったな、今。彼女持ちの身でアレかい?)
脳裏に思い浮かべるのは、自分に対してセクハラ三昧だったあの夜の戦闘。その酷さは、敵であるはずの美神と共に、思わず敵味方の垣根を越えて息の合ったツッコミをやってしまったほどだ。
(苦労するねぇ……お互いに)
少々の精神的な疲れを感じつつ、隣の百合子に若干の同情を込めた視線を送る。
(しかし、そうなると……おキヌの奴は、手駒じゃなくて人質にしといた方が良かったかねぇ?)
そうは思うが、今更な話でもある。メドーサは試合場の方に視線を戻した。
「ま……格上相手にどう戦うか、見物させてもらうか……」
隣の百合子に聞こえないぐらいの小さい声で、ぽつりとこぼした。
「美神さーん」
「あらお帰り」
一方、別の観客席。席に座る美神たち四人の元に、横島がやってきた。
「合格おめでとう。どう、感想は?」
「あっははは……なんだか実感湧かないっス。途中の記憶がすっぽ抜けてますし……」
「あ、やっぱ覚えてないんだ」
「何があったんですか?」
「…………」
横島の問いに、美神はあからさまに視線を逸らす。
「……美神さん?」
その反応に、冷や汗を一筋垂らす横島。彼女の向こう側にいる六道女学院の三人にも視線を向けると、彼女たちも同じような反応を示した。
「……心眼……」
『聞くなと言っただろう……』
右腕の心眼に問うも、やはり反応は似たり寄ったりだった。そんな一同の反応に、横島はただただ困惑するばかりだ。
「え、えーと……」
「それよりも、おキヌちゃんの試合が始まってるわよ」
「…………」
あからさまに話題を逸らす美神に、横島は諦観の苦笑と共にため息を漏らす。そしてそれ以上の追及を諦め、彼女の指し示す方角に視線を向けた。
そこでは、二十代なかばほどの男と対峙するおキヌの姿――
「……あれ?」
「どうしたの?」
「いや……おキヌちゃんの相手、どっかで見たような……?」
「あら、わかるのね? あれ、先生よ」
「先生……? って、もしかして唐巣神父!?」
「そ」
なんでもない様子で肯定する美神。言われて改めて見てみれば、確かにあの姿は、逆行前に神父自身から見せてもらった、彼の若かりし頃の写真そのものだった。
「……唐巣神父、今回の件で協力してもらってるって聞いたけど……まさか、あんなところにいたなんて……」
「あんた一人だけじゃ、頼りないからねぇ」
「そりゃそーっスけど、一言言ってくれても」
「あんた、口堅い?」
「…………」
半眼で問われ、横島は返す言葉を失った。お世辞にも嘘が上手いとは言えないことなど、言われるまでもなく自覚している。
思えば、自分とおキヌが逆行者であることを誰にも悟られずに済んでいるのは、ひとえに美神が何も聞かないでくれているからだ。彼女のことだから、何かに感付いているのは間違いないだろうが。
と――それはともかくとして、横島は試合場に視線を戻す。
おキヌには悪いが、彼女では神父には勝てないだろう。彼女が傷付く姿はあまり見たくないが、ここで退場してくれれば「医務室に搬送」という名目で保護することができ、メドーサの手を離れることができる。
その場合、人質がどうなるかという危惧はあるが――
「……もう試合は始まっちゃってますからねぇ……なるようにしかならないっスね」
「何の話?」
「人質の話っス」
「……そうね」
同じことを考えていたのだろうか。たったそれだけの会話で美神は察し、横島の言葉に同意した。
と――
『……ところで、一つ知らせておかねばならんことがあるのだが』
唐突に、心眼が全員に聞こえる声で話し始めた。
「ん? どーした?」
『全員、南側の観客席を見ろ』
横島の問いに答える形で心眼がそう促すと、5人は南側――こちらは西側なので、右手に当たる――に目を向ける。
「南側の……どこだ?」
「あ……!」
魔理が心眼の示すものを見つけられずにキョロキョロしていると、不意に美神が驚愕の声を上げた。
「あそこ……真ん中より少し左!」
「真ん中より……げっ!」
美神の言葉に従ってその場所を見てみると、横島も一緒になって驚愕する。
そこには――
「メドーサ! それに……お袋!?」
「「「え!?」」」
隣り合った席に並んで座る、メドーサと百合子の姿があった。横島の言葉に、六道女学院の三人も驚愕の声を上げる。
「メドーサの奴、もう会場に来てたんか……ってか、何やってんだあのおかんは!」
「待ちなさい!」
駆け出そうとした横島を、美神は慌てて引き止める。
「あんたが行ってどうなるの!」
「でも!」
「落ち着いてよく見なさい! 今すぐどうこうって状況じゃないでしょう!」
『そうだ。それに、百合子殿と違って、お前自身はメドーサと明確に敵対しているということを忘れるな。今お前が行けば、かえって百合子殿の身の危険が増すぞ』
「くっ……!」
美神と心眼、二人がかりの正論に、横島は歯噛みして踏みとどまる。確かに横島たちが行けば、その途端に百合子が捕らえられる可能性が高く、現状よりも危険な状況になるだろう。
六道女学院の三人も自分から動こうとはせず、ただ落ち着かない様子で横島と美神のやり取りを見ている。
「それに、相手はメドーサよ。あんた一人でどうにかできるわけないじゃない……心配しないで。今、小竜姫さまに連絡取ったから」
「え?」
そう言って、美神は携帯電話を横島に見せた。そのディスプレイには、『メール送信中』の文字。
「メールっすか……って、小竜姫さま、携帯使えるんですか?」
「昨日渡して説明したけど……まあ、無理なんじゃないかしら? でも一応、着信音が鳴ったらこっち来てくれとは言っておいたから、心配はいらないわ」
「そっすか……」
『肉親が危険に晒されて焦る気持ちもわかるが、まずは落ち着くことだ』
美神と心眼に諭され、横島は渋々といった様子で席に腰を降ろす。
確かに落ち着いて考えてみれば、あの母が何も考えずにあんなことをしているわけはなかった。安心できるわけもないが、だからといって今すぐ自分ができることも思いつかない。
そして一同は、再び試合場の方へと視線を戻した。
「主よ、聖霊よ! 我が敵を打ち破る力を与えたまえ!」
「わわっ!」
ズガァンッ!
眼前で聖印を切る唐巣の手に霊波が収束し、聖なる力を宿した霊波砲が放たれた。
おキヌはその攻撃を、横に飛んでかわす。床に着弾した霊波砲は爆発を起こし、その爆風でおキヌはバランスを崩す。
だが――
「主と聖霊の御名において命ずる!」
そこに、更に唐巣の祝詞が重なった。右手で聖印を切り、掲げた左手に霊波が収束する。
「罪に穢れし汝の魂に救いあれ! アーメン!」
「くぅっ!」
そして放たれる、先ほどより威力の増した霊波砲。おキヌはそれを前に両手を突き出し、霊波砲で迎撃する。
ドゥッ!
正面からぶつかり合う二つの霊波砲。しかし明らかに威力が違う。おキヌの霊波砲は、目に見えて押されていた。
「命ずる<フィアト>! 命ずる<フィアト>! 命ずる<フィアト>!」
唐巣は容赦なく祝詞を重ねた。そのたびに霊波砲は大きくなり、一気におキヌの霊波砲を圧倒する。
――そして――
「くっ……ああっ!」
ドォンッ!
すぐにおキヌは押し切られ、その霊波砲を真正面から受けてしまう。
ダウンしたおキヌを、唐巣は構えを解いて見下ろしていた。
「ギブアップしたまえ」
その声は、あくまでも冷淡だった。まるで、メドーサの野望をくじくのが最優先という鉄の意志が、その声音に含まれているかのように。
「今の一合でわかっただろう。君はいまだ未熟で、私に勝つことはできない。これ以上の怪我を負う前に試合放棄するのが最善と思うが?」
「う……」
唐巣の言葉に即答せず、うめき声を上げて上半身を起こすおキヌ。
その様子は、今のダメージの大きさを物語っていた。自身の霊波砲でいくらか相殺したとはいえ、それでもなお十分な威力を保っていた巨大な霊波砲は、その一撃だけでおキヌにかなりのダメージを与えていたのだ。
――たった一撃。
それだけでこれほどのダメージを受けてしまうほど、彼我の能力差は歴然だった。
(勝てないの……?)
自問するが、それに意味がないことは既にわかりきっていた。疑問に思う余地すらなく、自分では唐巣に勝てるはずがない。
が――脳裏に思い浮かべるのは、人質になった華や他の門下生たち。
勝てる確率が皆無であろうと関係ない――メドーサの出した条件を満たさない限り、彼女は容赦なく人質を手に掛けるだろう。
(諦めるわけには……いかない……!)
華たちの命が、自分の双肩にかかっている。そう思うと、立ち上がらずにはいられない。ふらつく足取りで、だがしっかりと床を踏みしめ、目の前の唐巣に視線を向ける。
「……まだ戦う、か。よほど負けられない理由があるみたいだね」
「…………」
人の命が掛かってますから、という言葉をおキヌは喉元で飲み込み、無言でもって肯定の意志を伝えた。もしメドーサがこの会話を聞いているとすれば、口に出すのはまずい。
そして――彼女は、ある術の行使を決める。
(……私に、上手く扱えるかわかりませんけど……)
これは賭けだ。まだ一度も発動させたことのない技。制御しきれなければ、末路は一つ。おキヌは覚悟を決め、霊力を高めた。
「…………!?」
その霊波を感じ、唐巣の表情が険しくなる。
「波動がおかしい……? おキヌ君、いったい何を……!」
おキヌが使おうとしているもの。それはすなわち――
「はあああぁぁぁっ!」
「なに……!? これは……!」
――魔装術――
おキヌの全身を霊波が覆う。その異常な光景に、唐巣は目を見張った。
魔装の霊波に覆われた彼女の体は一回り大きくなったが、ドロドロに溶けた溶岩のような霊波は形を成さず、明らかに制御しきれていないのが見て取れる。
「く……あ……あ・あ・あ……っ!」
霊波に覆われた奥から漏れる、苦悶の声。彼女は床に膝と両手を付き、四つん這いになって体を支えている。
「な、なんだこれは……!?」
これから起こることの危険性をいち早く察し、その深刻さに蒼白になる唐巣。
「や……やめろおキヌ君! それは……それは、君が使っていい術じゃない!」
彼の相当に焦った声が試合場に響いたが、おキヌの耳に届いたかどうかは定かではなかった。
そして、それを見る者たちは――
「おキヌちゃん……!?」
ガタンと物音を立て、戦慄した表情で思わず立ち上がったのは百合子。それを横目で見るメドーサは、ただじっと試合場を見ている。
「あ、あれは一体……!」
「魔装術ね」
「まそ……何よそれ!?」
今までの冷静さはどこへやら。百合子は誰が見ても明確なほど、動揺していた。
「魔装術。悪魔との契約によって使えるようになる術で、肉体を一時的に魔物へと変え、攻撃力や防御力など、全ての能力をアップさせる術。……ま、制御しきれなかったら、本物の魔物になっちまうけどね?」
「…………っ!」
うろたえる百合子を楽しげに見ながら、メドーサは得意げに説明した。百合子はその説明の内容に、思わず息を呑む。
「あんたは……それでいいの!?」
「何を言ってるんだい? 私とあいつに、何の関わりがあるってのさ? 赤の他人が魔物になろうとなるまいと、知ったことじゃないね」
「あんたはっ……!」
メドーサの物言いに、百合子はギリッと拳を握り締めた。だがメドーサは向けられる敵意をものともせず、ただ試合を注視するのみだ。
やがて百合子も、これ以上何を言っても無駄と悟ったのか、おもむろに腰を降ろして試合の方に視線を向けた。親指の爪を噛み、ハラハラとした表情でおキヌを見守る。
(さて、ここで制御しきるか、失敗して魔物になるか……見せてもらおうかい)
胸中でそうつぶやくメドーサの顔には、歪んだ嘲笑が浮かんでいた。
「あれは……!」
「まさか、悪魔と契約した者だけが使えるという魔装術!? あの蛇おばん、おキヌちゃんになんて術を授けてんのよ!」
南側の観客席にいるメドーサを睨みつつ、美神は舌打ちする。彼女のこぼした台詞に、六道女学院の三人は揃って蒼白な顔になって、美神の方に振り向いた。
「悪魔と……!? そんな術使って、氷室さんは大丈夫なんですか!?」
「大丈夫なわけないでしょう! 見ての通りよ! 今すぐ術を中止しないと、大変なことになるわ!」
「そ、そんな……!」
「おキヌちゃん、やめろーっ!」
横島の悲痛な叫びが、おキヌに向かって放たれた。
「制御しきれてない……!」
「やっぱり、ぶっつけ本番じゃ無理があったんだ!」
おキヌの様子を見た雪之丞と陰念は、思わずその顔を青褪めさせる。おキヌの魔装術は、ろくに制御できていない陰念よりも更に酷かった。
――このままでは、おキヌが魔物と化す――
「おキヌちゃん、魔装術を解け! このままじゃ……!」
「……魔物になったら、その時はその時よ」
叫ぼうとした陰念を遮り、勘九郎がぽつりとつぶやく。その台詞に、陰念と雪之丞はばっ!とそちらに顔を向けた。
「その時は……私が始末をつけてあげる」
「勘九郎……!」
「てめぇ……!」
一切の感情も交えず冷徹に放たれたその言葉に、陰念と雪之丞は、揃って激昂して勘九郎に掴みかかろうとした。だが勘九郎はその手を無造作に振り払い、試合場の方を顎でしゃくって示した。
「それよりも、今は見守ってなさいな」
「「…………」」
流され、気勢を削がれた二人は、いまだ不満な様子を残しつつ、試合場に視線を戻した。
おキヌが魔物とならないこと――それのみを祈って。
そして――場面は戻り、試合場では。
「く・あ・あ・あぁぁぁぁ……!」
(だ、だめ……力に、飲み込まれる……!)
自分の中と言わず外と言わず、暴れ狂う霊波のうねり。おキヌの精神までも侵食しようとするそれに、彼女は必死で抗っていた。
制御できない。力に心が塗り潰される。溺れた者が地上を目指して足掻くかのようにもがくが、しかし無常にも、それは何の意味も成さない。
(落ち着いて……! 落ち着いて考えるのよ! 制御できないはずがないんだから!)
制御しきれなければ、自分は魔物へと堕ちる。それはきっと、300年の孤独に耐え切れずに横島を殺そうとしたあの時より、更に酷い状態だろう。
(魔装術は何? どういう術? 思い出して! メドーサさんの言っていたことを! 逆行前、小竜姫さまが言っていたことを!)
祈る気持ちで、自分の記憶に問いかける。
メドーサは言っていた。魔装術は己の身を一時的に魔物とする術だと。
小竜姫は言っていた。魔装術は霊体を実体化して鎧とする術だと。
(魔装術は……霊体を魔物として実体化して纏う術……!)
なら、できるはずである。300年も幽霊をやっていて、霊体のことなら誰よりも熟知してる自分なら。
どこをどうすれば、自分の霊体を自分の思い通りに動かせるか。生きている人間にも見えるようになり、物を持てるようにさえなっていた自分に、この程度のことができないわけがない。
おキヌは苦痛に耐えながら、少しずつ、少しずつ、暴れ回る霊体を自身の制御下に置く。
(……いける……!)
確かな手ごたえを感じ、おキヌは魔装術の制御に専念した。
そして同時に、制御下に置いた霊波を収束し、コントロールする。霊波のコントロールも、ネクロマンサーの笛や六道女学院での授業、そして白龍会での修練で、これまで何度も反復練習を繰り返していた作業だ。しくじることはない。
(イメージして! 霊体としての私の姿を! それが私を守る鎧になる! イメージして! 強く、強く!)
自分の霊波がだんだんと安定してくるのを実感しながら、おキヌは魔装術を纏った自分の姿を、強くイメージする。
が――不意に。
制御下に置くことに成功していた自身の霊体が、するりとその手を離れた。
「あ……」
つぶやいたのも一瞬――
再び制御を離れた力の奔流は、あっけなくおキヌの精神を押し潰して――
(……だめ……なの……?)
自分の無力に絶望する。脳裏に浮かぶのは、美神、魔理、かおり、何人もの友人たち。
そして自身の想い人たる横島と続き、最後に浮かぶのは……人質にされた華の顔。300年前の親友とそっくりな、逞しい友人。
――おもむろに、その友人が口を開く――
……おキヌ……我が友よ……
「……め……が……ひめ……さま……」
闇に沈みかけた意識の中で、自然と口が言葉を紡ぐ。
その言葉と共に、意識の手が闇の中を彷徨う。それが――不意に、魔装術の中心にある何かを掴んだ。
掴んだもの……それは、純白の『蛇』だった。
――そして彼女の意識は、急速に浮上し――
「こ、これは……!」
半物質化し、グズグズに崩れ始めていたおキヌの霊波。それが次第に安定し始め、唐巣は目を見張った。
いや――安定するだけじゃない。不定形だった霊波は次第に収束し、物質としての確かな形になりつつある。間違いなく、おキヌが魔装術を制御し始めている証拠だった。
――やがて――
バシィッ!
そんな音を響かせ、おキヌの霊波が一気に収束した。
「…………」
精神集中しているのか、静かに目を閉じてそこに佇むおキヌ。霊波に覆われて一回り大きくなっていた彼女の体は、今は既に元のサイズまで戻っている。
――その姿はある意味、魔装術の異形がおキヌのイメージと融合したようなものだった。
額と側頭部を守る純白の額当て。
上半身を覆う純白の装甲は、腕全体を覆う部分がまるで鳥の羽のように広がっている。
下半身を守る朱色の装甲は、スカートのように幅広い。
その下から見えるアンダーウェアは、黒で統一されている。
白い上半身、朱い下半身――それは見方によっては、彼女が普段身に纏っている巫女装束のようだった。
「制御……しきったのか……?」
その姿を見て、唐巣は呆然とつぶやいた。
おキヌはゆっくりとまぶたを開き――そして。
「ぷっはぁっ!」
「!?」
――盛大に息を吐いた。
「はぁっ、はぁっ……せ、制御しきれた……みたいですね」
おキヌは息を荒げながら、そんなことをつぶやく。その様子から、かなりいっぱいいっぱいだったことが伺えた。唐巣は目を細め、再び表情を険しくする。
「随分と危ない橋だったようだね……そこまでしないといけないものなのか?」
「……はい」
「制御しきれた以上、その術は君には過ぎたもの……とは言わない。だが、私はその術を使い続けることを勧めない。なぜならそれは悪魔の術であり、常に暴走の危険を孕んでいるからだ。それでも……君はその術を使い、私と戦い続けるのかね?」
「はい」
しっかりとした意志を持って力強く頷くおキヌに、唐巣はしばし瞑目する。
そして――
「……わかった。君の覚悟を尊重しよう。もうギブアップを勧めることはしない。全力をもって、君を打倒させてもらう」
「お、お手柔らかにしてもらうと嬉しいかなーって思うんですけど……」
「……………………君ねぇ」
最後でちょっと気弱な発言になってしまったおキヌに、唐巣は思わず肩をずり落としてしまった。
――東京、某所――
「あかんなぁ……仕事の疲れがまだ残っとるんかな?」
駅前のタクシー乗り場で、迂闊にも寝坊してしまった自分を愚痴りつつタクシーの順番待ちをしているのは、サングラスにニット帽で顔を隠した銀一だった。
外出する時は周囲に騒がれないよう、常にこうやって軽く顔を隠している。
「ま、横っちはあれで結構やる奴やから、少しぐらい遅れても心配あらへんやろ」
「――ぎぃぃぃぃ」
「むしろ心配なのはおキヌちゃんやな。どないな状況に陥っとんのかもわからんし……」
「んんんんん」
「まあこうしている間にも何か進展あるかもしれへんし、美神さんにでも聞けば――」
「いいぃぃぃ」
「…………ん?」
何か妙な声が近付いて来ている――ふとそれに気付いた銀一は、独り言を中断して声のする方角に目を向けた。
――そして――
「ちぃぃぃぃっ!」
ドゲシッ!
「ぐぼはぁっ!?」
その視界に飛び込んできたのは、靴の裏だった。
盛大な勢いでタクシー待ちの列から吹き飛ぶ銀一。周囲の視線が自分に集中するのを感じながら、銀一はそこで遅まきながら、自分が思いっきり顔面を蹴られたことに気付いた。
「ってぇーっ! だ、誰やねん!?」
「ウチや!」
尻餅をつき、顔をさすりながら文句を漏らす銀一の前に、そう宣言して仁王立ちする人物が現れた。
銀一が見上げてみると、そこには――
「な……夏子ぉ!?」
「久しぶりやなぁ」
「久しぶりって、お前、なんで東京に……ってか、再会の挨拶がキックって、なんやねんそれ!?」
「ええやん、そないなこと」
「そないなことって――」
銀一の文句を朗らかに笑って流す夏子に、銀一は更に文句を言おうとし――その言葉が、不意に切れた。
「…………?」
急に止まった会話に、夏子は訝しげに眉根を寄せる。
そして――
「……青のストライプ」
「死んでまえ」
銀一の顔面に、二度目の靴がめり込んだ。
一方その頃、小竜姫は――
「あのー……GS試験会場って、どちらの方角になるのでしょうか……?」
「はいはい、ちょっと待ってくださいねー」
途方に暮れて交番を訪れていた。
――あとがき――
これにて五十話達成〜♪
というわけで、おキヌちゃんvs神父・前編。思った以上に長くなってしまいました。賛否両論ありそうなおキヌちゃんの魔装術、初お披露目です。ちなみに蛇って、GS美神だとメドさんのイメージがありますが、一般的には死と再生の象徴だとか。一度死んで反魂の術で蘇生したおキヌちゃんにはピッタリな気がしますw
なお前回の横島の暴走、実はインスパイアした元ネタがあるんですが……『猫拳』と言えば、多くの読者は納得していただけるかとw
ではレス返しー。
○1. Tシローさん
まあ確かに、色々と危険なネタの多いGS美神ですので、あの飴玉もあるかもしれませんがw ちなみにメドさんは、ギャグに陥らない限りは大丈夫でしょう。GMの理不尽さはギャグ補正の賜物ですしw
○2. ダームスさん
プロレス技もちゃんと効きますよー。霊力さえ乗っていれば。ちなみに神父、髪は弱点ではありません。手を出したら『髪の代理人』が降臨しちゃいますのでっ!(ぉ
百合子vsメドさんは、本当のところはメドさんのが圧倒的なんですけどね……さてさて。
○3. wataさん
確かにGS世界にあってもおかしくないかもw 百合子vsメドさんは、一つだけヒント言うなら……少年漫画で強力な敵が味方になったら、とたんに○○化するって法則が(ぉ
○4. 山の影さん
タイガーが積極的に攻撃したところで、横島は耐え切っちゃうでしょうねーw 美神がタイガー……と言うより小笠原オフィスに依頼したのが何かは、今後で明かしますw
○5. Februaryさん
きっと恐怖のあまり、ギブアップするという選択肢が脳内から消え去っていたのでしょう。私が忘れていたとは言えない
○6. 鹿苑寺さん
そんな幻覚見せたら、隙も出来るけどそれ以上に霊力が溢れ出すでしょうw というかそもそも、タイガーごときにそんな幻覚をリアルに再現できるはずがないw そして横×キヌは、もちろんまず最初にキッス♪からですよー(ぉ
○7. 117さん
横島のアレは、ある意味『猫拳』ですし、正常な拒否反応と言えばその通りかもw おキヌちゃんvs神父の決着は、次回に持ち越しです。あと、マッソー術は大活躍しませんが、地味に伏線です。
○9. 秋桜さん
一応、虎の出番は尽きてませんよー。……活躍できるかどうかは未定ですが(ぇー
○11. ZURAさん
危険な想像はいけませんっ!w
○12. 木藤さん
筋肉横島は二度と出てきませんからっ! ……たぶん。めいびー。
で、強力招来ってサナギマンですかっ!? ……似てるかも(ぉ
○13. ブラボさん
二十分も笑い転げてたんですか……大丈夫ですか?(汗
横島、あの時に戻れなかったら……どうなってたんでしょう?
○14. 大海さん
死ヌほど笑っていただいたようで何よりw ちなみに私の脳内では、タイガーがGS資格を取得する姿がどうしても思い浮かびません(酷
○15. ながおさん
なんだかんだで、横島は結局愛妻家ですからー♪(ぉ
○16. K'さん
百合子に関して先に言ってしまいますと、実のところ今回のGS試験編では理不尽な活躍はない予定です。ちなみにネタバレになりますので明言は避けますが、K'さんの「無駄に大物ぶってる」というコメント、実はかなりいいとこ突いてます。その意味が明確になるのは、2、3話ほど先の話になるでしょう。……というか、この時点で全部喋ってるも同然かもしれませんが(汗
レス返し終了。では次回、二回戦終了でGS資格取得者が出揃います。
追伸
昨晩、愛犬が天に召されました……享年18歳半、老衰。
長い間ご苦労様でした。そしてありがとう(つw;)