――白龍会道場――
そこは、GSを目指す若者が、悪霊や妖怪など霊なる存在と戦うための技術を学ぶ、霊能格闘道場である。
門下生の数は、おおよそ三十人。彼らは習熟の程度によって四つの段階に分けられており、最終段階にいるのは、現時点では三人だけである。
最終段階にいる三人の名は、鎌田勘九郎、伊達雪之丞、陰念。彼らの修行風景は部外秘とされ、同門の者にすら明かされていない。
そして――その彼らが無傷で過ごせた日など、一日とてなかった。それどころか、GS試験を間近に控え、いつにも増して生傷が増えている気配すらあった。
「雪之丞さん?」
おキヌがそれに気付いたのは、霊波砲の練習をしている時だった。
道場の奥の方から、雪之丞が出てきたのだ。頬や腕に生傷が見えるのはいつものことだったし、事実彼は平然とした表情ではあったが、足取りが微妙におぼつかない。
それに気付いたおキヌは練習を中断し、彼の方へと駆け寄った。
「ん? ああ、氷室か」
「足、どうかしたんですか?」
「なんでもねえよ。ツバでもつけときゃ治る」
言って、彼は道場を素通りして寮に向かう。彼が目を向けている方角にあるのは、食堂だった。
今は飯時ではないので、おそらくは水でも飲むつもりか。しかしおキヌは、そんな彼を呼び止めた。
「待ってください」
「ん?」
おキヌは、足を止めた彼の前に跪く。そして、動きの悪い方の足に、両手をかざした。
「お、おい……」
「じっとしててくださいね」
そう言う彼女の手から、淡く温かい光が溢れ、雪之丞の足を優しく包み込んだ。
ヒーリングというやつである。その霊波の光に包まれた足は、急速に痛みを引かせていった。
ややあって、おキヌは手を引っ込めて立ち上がった。
「……どうですか?」
「あ、ああ……痛みはもうない。すまねえな」
「怪我には気を付けてくださいね」
戸惑いながらも答える雪之丞に、おキヌは花のような笑顔を浮かべ、道場に戻っていった。
雪之丞は、その後姿をボーッと眺め――
「……あの優しさ……ママに似ている……」
つぶやく彼は、背後から忍び寄る陰念ほか十数人の影に気付いていなかった。
「「「「「「「「「「おキヌちゃん親衛隊大原則ひとぉーつッ! おキヌちゃんに色目を使う者には死を与えるべぇーしッ!」」」」」」」」」」
「ぎゃあああああっ!? なんなんだお前らはああーっ!?」
「…………?」
道場に戻ったおキヌは、不意に背後から聞こえてきた喧騒に振り返った。
今、自分の名前が聞こえたような……? そう思い、雪之丞のいた方をもう一度見てみようと引き返す。
が――その時。
「全員、一旦手を止めろ!」
和尚の馴染みの怒鳴り声が、道場の入り口――寮へと続く方ではなく、外へと直接繋がっている方――から聞こえてきた。
おキヌも含め、道場にいた全員が振り返る。……なぜか、さっきよりも人数が少なかったが。
「……む? 人数が妙に少ないな……まあ良い。とりあえず、ここにいる者だけにでも言っておこうか」
眉根を寄せてそう言うのは、やはり道場の入り口にいた和尚。しかし、そこにいたのは彼だけではなかった。
「あ……!」
それに気付いたおキヌに、相手の方も気付いたようで、彼女に向かって小さく手を振った。
和尚の後ろに控えていたのは、今話題の美形タレント俳優、近畿剛一――銀一であった。
「知っている者もいるだろうが、こちらにいるのはタレント俳優の近畿剛一さんじゃ。テレビドラマ『踊るゴーストスイーパー』で主役を張っておる。今日ここに来たのは、役作りの一環としてうちの修行風景を見学したいということらしい」
「横山GS役を務める近畿剛一です! よろしくお願いします!」
和尚の紹介に、銀一は元気一杯に頭を下げた。
GS試験まであと数日。ここにきてやっと、おキヌとの連絡役が顔を出してきた。
『二人三脚でやり直そう』
〜第四十四話 白龍の華麗なる日々【さいしゅうび】〜
「――あれは何て技ですか?」
自己紹介を済ませた後、銀一は門下生たちの邪魔にならないよう隅に陣取り、横にいる和尚に向かって、質問を一つ一つ投げかけていた。
「あれは霊波砲と言って、その名の通り霊波を打ち出す技じゃ。我が道場の必須技ではあるが、だからといって専売特許というわけではない。取り立てて難しい技ではないからの。この道場と関係ない霊能者とて、使える者は多い」
「見た目は手からビームって感じですね。GSって、こういうのもできるんですか……ところで、一人一人霊波砲の形が微妙に違うのはなんでですか?」
「素質に拠るものじゃな。霊力というのは魂の力……ゆえに一人一人個性があり、同じものは何一つとしてない。それが、霊波砲の形にも影響が出る。形が違うのはそういうことじゃ。
変わった者になると、全身の傷跡から帯状に発射する奴もおる」
「へぇ……」
言うまでもないが、それは陰念のことである。ちなみに勘九郎と雪之丞は極太のビーム状であり、雪之丞に至っては球形の弾丸状にして連発することもできる。もっとも、威力としては勘九郎の方が遥かに上だが。
「女の子もいるんですね」
そう言って目を向けた先は、分厚い木製の的に向かって霊波砲の練習をしているおキヌであった。
「まあ、霊能力は筋力ではないから、女性がおってもいいじゃろ。もっとも、普通の格闘技であっても、女性が道場に通っておっても不思議なことではないがな」
「彼女の霊波砲、随分細いですね」
銀一の言う通り、彼女が両の手の平を重ねて発射している霊波砲は、レーザーのように細かった。
「うむ。彼女の場合、霊波砲の威力がそれほど高くなかったので、細くして密度を上げてみたらどうかと助言してみたのじゃが……思いの外簡単に成功したは良いが、思った以上に細くなってしまっての。まあそのおかげで威力は並以上になった上、着弾点が『面』ではなく『点』という特性も得られた」
「それはいいことなんですか?」
「場合によりけりじゃ。たとえば、あれで精密射撃ができるようになれば、関節という小さな的も撃ち抜くこともできる。『面』の特性を持つタイプの霊波砲では出来ぬ芸当じゃな」
「はぁ……」
和尚の言葉に、銀一は生返事を返した。あの優しげな笑顔の似合うおキヌが、レーザーみたいな霊波砲。ミスマッチにも程がある。
とはいえ、この道場で練習している分には、こうなってもおかしくはなかったのだが……やはり、違和感は拭えない。
「で、参考になりそうかね?」
「え? ああ、それはもちろん。現役で華々しい活躍をしているGSも、修行時代はこんな感じだったんでしょうね。役の演じ方も、それを踏まえてもう少し煮詰める必要があると感じました」
「ふむ……そういう取り方もあるか。正直、除霊シーンばかりが前に出るドラマならば、こういう道場よりも現役GSの除霊現場を見学した方が、よほど実になると思っておったのじゃが」
「もちろん、そっちの見学も精力的にやらせてもらってますけど」
和尚の言葉に、苦笑で返す。
「でもやっぱり、現役GSだって、下積み時代があって初めて仕事を請けられる実力を身につけるわけじゃないですか。そこを無視して華々しい除霊シーンだけを演じたって、薄っぺらになってしまうだけだと思うんですよ」
「確かに、の」
その言葉に、和尚は納得顔で頷いた。
「じゃが、そうは言ってもこんな練習風景ばかりでは味気なかろう? 実戦組手をやっておる連中が外におるから、そちらも見学してみるといい」
「あ、はい」
和尚に促され、銀一はきびすを返した彼の後ろに続き、道場を後にする。
その際、ちらりとおキヌの方に視線を向けると、彼女と目が合った。小さく手を振ると、にっこりとした笑顔が返され、我知らず心臓が一鼓動跳ね上がった。
――それから一時間後。
「……すごいな」
「お疲れ様です」
道場の縁側に座って一息ついている銀一に、おキヌが労いの声をかけた。
今、彼の手にはおキヌが持ってきた色紙がある。彼女はファンを装い――というよりも、実を言えば実際にファンではあるのだが――サインをねだるためと称し、本来の目的である状況報告のために近付いたのだ。
幸いにも、周囲に人はいない。もっとも、そういうタイミングを狙っていたのだから、当然と言えば当然なのだが。
「あの……早乙女さんって言ったかな? あの人の迫力は、本当に凄かったな。霊力がほとんどないって話だったけど、それでも組手の相手を圧倒していた。実力以前に、その……迫力で」
「華さんは、腕力も気迫も、道場の中では頭一つ飛び抜けているって和尚様が言ってましたから」
先ほど和尚に見せてもらった、門下生同士の実戦組手を思い出しながらつぶやいた銀一の言葉に、おキヌが答えた。
「でも、霊力がないせいで、ここから先――最終段階には進むことができないだろう、とも言ってましたけど」
「最終段階……練習内容は部外秘だったんだっけ?」
「はい」
最初に和尚から説明された、この道場のシステム。それを思い出しながら銀一は確認し、おキヌが頷いた。
そして、二人の顔つきが神妙なものになる。次の言葉を口にする前に、揃って周囲に目配せして人影がいないことを確認すると、声をひそめる。
「部外秘ってことは……やっぱり?」
「はい……たぶん」
主語を抜いたやり取り。しかし、二人の間にはそれで十分通じる。
「……そこまで行ければ、決定的な証拠を手に入れるのも簡単なんですが……すいません、私の実力では第三段階に進むのすら……」
「いや、そんな思い詰めんでも……」
気落ちし、表情を沈ませるおキヌを、銀一が慰めようとする。
そもそも、戦闘に不向きな性格の彼女が、霊波砲という攻撃技を身に着けたことすら驚嘆に値するのだ。だというのに、その上で実戦組手が主体の第三段階、そしてメドーサが直接教えると思われる最終段階にまで進めというのは、かなりの無茶であろう。
だが、おキヌはこの白龍会に入ってからというもの、メドーサと白龍会の繋がりを証明するものどころか、メドーサの姿自体見ていない。しかも、GS試験まであと何日もない。
せっかく覚悟を決めて潜入したというのに、まったく成果の得られないこの状況。しかも期日は間近まで迫っている。
……悲しいかな、彼女が焦り、落ち込むのに十分な材料が揃ってしまっていた。
「……これ以上の無理はせん方がええんとちゃうか?」
「え?」
いきなり素の関西弁に戻った銀一に、おキヌは不意を突かれたかのようにきょとんとした。
「おキヌちゃん、結構無理してここ来とるやろ? でもそのお陰で、力をつけてきとる。さっき見てたけど、霊波砲……やったっけ? あんなん出来るようなっとるなんて、驚いたで。せやから、それだけでも良しとして、とっとと引き上げた方がええと思う」
「……そんなこと、できません」
おキヌは思い詰めた表情で、首を横に振った。
「私、まだ何も目的を果たしていません。ここで引き上げちゃったら、ここに来た意味がないです」
彼女にとって、それは譲れない一線だった。言葉に出したことも理由の一つではあるが、最大の理由は別にある。
それは、これから白龍会に訪れる破滅であった。それを知っているおキヌとしては、華を始めとする何も知らない門下生たちの犠牲は、絶対に避けたい。
ゆえに、引くわけにはいかないのだが――それを無闇に口にしてしまえば、どのような不都合が起きるか予想がつかない。
……しかし話さない以上、それが伝わることはない。
「成果が上がってない言うても、おキヌちゃん自身が力をつけられたっちゅーんやったら、無駄なことなんて何一つとしてないやんか」
その表情から、おキヌが何かを思い詰めているのは察することはできても、それ以上のことはわからない。銀一はそれが、メドーサと白龍会の繋がりを示す証拠を手に入れないことに対するものと思い込み、撤退を勧めようとする。
「……正直、俺は折り見て抜け出した方がええと思う。これ以上ここにいて、メドーサっちゅー魔族に勘付かれでもしたら、おキヌちゃんの身が危ない。それで万一のことにでもなったら、横っちが悲しむで」
「……横島さん……」
横島の名を出され、おキヌはうつむいた。彼の力になりたいと願ったものの、それで命を落としては優しい彼のこと、ルシオラの時のように嘆くことは間違いないだろう。
実際に逆行前の死津喪比女の時、特攻したおキヌが消滅したと思った彼は、それはもう悲しんだものである。もっとも、おキヌ自身は知らぬことであるが。
ともあれ、それを思えば、銀一の言う通りに早々に撤退した方が良いという誘惑が、鎌首をもたげてきた。
「あ、そうそう。横っちといえば」
そんなおキヌの葛藤をよそに、銀一は横島の話題が出たところで何かを思い出したのか、鞄を開いて中をまさぐった。
「……?」
「んっと……あったあった」
そう言って銀一が取り出したのは、一つの古めかしい鞠だった。
「え? これ……」
「こないだサンタのおっさんが来てさ。横っちがおキヌちゃんのプレゼントを貰ってたんだよ。横っちはここに来れないから、俺が代わりに……な」
苦笑しながら、それを手渡す。
手渡された鞠を、おキヌはしばし呆っとして眺めた。ややあって、それを両手で抱え、胸元に抱き寄せる。
(横島さん……)
確かに逆行前、サンタから鞠を貰って喜んでいた覚えがある。
織姫の服の時もそうだった。こんな小さなことでも彼は覚えていて、その小さな喜びをもう一度与えてくれる。彼が自分に向けるそんな優しさが、鞠を通して感じられた。
そう――いつだって彼は、おキヌを大事にしていた。折角の告白を有耶無耶にされたり、魔理やかおり諸共にシャワーを覗かれかけたりと、たまに困ったこともあるが、彼のその優しさがおキヌの心に安寧をもたらしているのは変わりない。
大事にされるあまりセクハラ行為をされないのが、時折、恋する乙女として逆に不満だったりするのだが――それはともかく。
(横島さん、私……)
その優しさが、おキヌに勇気を与える。
大丈夫、私はまだ頑張れると。
あなたの力になれるんだと。
彼女は顔を上げ、銀一ににっこりと笑いかけた。
「銀一さん、ありがとうございます」
「ええって。頼まれただけで、それ用意したんは横っちや。礼ならあいつに言っとき」
「それでも、持ってきてくれたのは銀一さんですし。横島さんにも、私が喜んでいたって伝えておいてくださいね」
「……それ、自分で言うわけにはあかんのか?」
眉根を寄せて訊ねてくる。その銀一の心理は、容易に見て取れた。今すぐ撤退しないのかと、暗に聞いているのだ。
しかしおキヌは、そんな銀一の気遣いに、首を横に振って否定の意を示した。
「大丈夫です……私はまだ頑張れますから」
横島さんに勇気をもらったから。
内心でそう付け足したおキヌの表情に、迷いはない。
「そっか……」
その顔を見た銀一は、これ以上の説得は無理かと、残念そうに苦笑した。
一方――
「な、なんだかいい雰囲気っぽい……!?」
物陰から、そんな二人の様子を観察する馬鹿どもおキヌ親衛隊の面々。
中でもリーダー格の陰念は、その光景を見て、目を丸くしてワナワナと震えていた。
「い、いや、そーだと決まったわけじゃ……!」
そうつぶやき、平常心を保とうとする。
だが――他のメンバーも平常心を保てるかと言えば、そうでもないわけで。
「そ、そんな……おキヌちゃんが……おキヌちゃんがあんな顔だけのアイドル野郎に……!?」
「あっ……お、おい!?」
陰念の後ろで、一人がその光景を前に膝を折った。気付いた陰念は片膝をつき、彼の両肩を掴んで揺らした。
だが彼は、涙を流しながらふるふると頭を振り、明らかに目の前の現実を直視できないような様子であった。
「死ぬな! 傷は浅いぞ!!」
この程度で死ぬなも何もないのだが、陰念も完全に困惑から抜け出せていたわけではないらしい。
「お、俺はもう希望がもてねぇ……」
しかし彼は、そんな陰念の励ましにも力なく頭を振るだけだ。そんな彼を元気付けるため、陰念はなおも言葉を重ねる。
「何いってんだ! 俺達が力を合わせれば……!」
「……合わせれば?」
問われ、陰念は口を閉じる。真っ直ぐに、彼の目を見据え――
「……神に祈ることが」
「やっぱり死のう」
陰念の言葉は、励ましどころか更なる絶望感を誘うのに十分だったようである。
彼がどこからともなく縄を取り出し、首吊り用に輪を作り出したところで、陰念や他のメンバーは彼を羽交い絞めにして止めようとした。
と――
「……あんたら、何やってんのよ?」
唐突に、彼らの背後から野太い声がかかった。
その声に振り向いてみると、そこには――
「あ……勘九郎」
「どうしたの?」
「あ、いや……」
この間抜けな状態をどう説明したものやら。陰念が言葉を濁していると、勘九郎は気にもせずに彼らが注視する先に視線を向けた。
すると――
「あら? あれはもしかして……」
「近畿剛一だよ。ドラマの役作りのための見学だってよ。聞いてなかったのか?」
「え!? マジ!? 近畿クン!?」
何気なく答えたら、突然勘九郎は目を輝かせた。陰念は何やら嫌な予感がしたが、あいにくと勘九郎を止める手段は彼にはない。
「ん、もう! どうして誰も教えてくれなかったのよ! 私、ファンなのよね……サインもらってこなくちゃ♪」
「「「「「う……」」」」」
そう言う勘九郎の目は、何やら怪しく光っていた。それを見た全員が、ぞくりとした悪寒を尻に感じ、盛大に後ずさりする。
しかし当の勘九郎はそんなことお構いなしに、銀一とおキヌのいる方へとスキップで向かって行った。
――やがて――
「うぎゃああああああああああああっ!」
銀一は身も世もない悲鳴を上げ、なりふり構わず一目散に逃げ出した。
その場に残されたのは、おキヌと勘九郎。勘九郎の方は、つまらなさそうに唇を尖らせていた。
「「「「「……………………」」」」」
一連の成り行きを見守っていた陰念たちは、その様子を唖然とした様子で眺めることしかできない。
だが――
「……陰念」
「おう……」
一人の呼びかけに、陰念は振り向いて頷き――
がしっ。
ニヤリと笑って、無言で拳を突き合わせた。
それに倣い、周囲の者も次々に拳を突き合わせる。
「「「「「天誅は下った!」」」」」
そう高らかに宣言する彼らは――全員揃って、片手で尻を押さえていた。
「……何をやってるんだか」
そう言ってため息をつくのは、和尚である。彼は銀一への案内と解説を再開するため、一旦離れて行った彼ともう一度合流しようと、探していたところであった。
その途中で、銀一とおキヌの様子を覗き見している陰念たちを見かけ、このつぶやきに至ったというわけだ。
「初見の者には、鎌田の性癖はショックが大きいだろうな……もうしばらくそっとしておいてやるか」
そうでなくとも、今しがた実際に被害に遭いかけたのだ。普通の人間ならば、すぐに見学を再開できる精神状態でなくなっているだろう。
この白龍会道場には、部外者に見られるわけにはいかない修行風景というものが存在するのだが、逃げた彼がそれを目にする機会はないだろう。あの場所には厳重な結界が張ってあり、オカルトの世界からすれば一般人に過ぎない彼がそれを突破できる可能性は、万に一つもない。
ま、放っておいても問題あるまい――そう結論付けた和尚は、もう一度ため息をつき、きびすを返した。
と――
「どうしたんだい?」
唐突に声をかけられ、そちらを向く。
そこには、包装された細長い箱を持ち、紫がかった銀色の髪をなびかせた、スーツ姿の女性がいた。その妖艶な美貌は、どことなく爬虫類を彷彿とさせる。
「メドーサ殿か……こんな昼間から私の前に姿を見せるとは、珍しいですな」
「そんな日もあるさね。珍しい客が来ているみたいだしね」
「おや……もしやメドーサ殿も、近畿剛一のファンだったりするのですか?」
「まさか」
さも親しげにからかうような口調で言った和尚に、メドーサは気を悪くした様子もなく、肩をすくめた。
「ま、今日はちょっといい酒が手に入ったもんでね」
彼女はそう言い、手に持った箱の包装を無造作に剥がす。
「ほう……マッカランのファインオーク30年ものですか」
その箱に印字された商品名を見て、和尚は感嘆の声を上げた。
「GS試験も間近に迫ってることだし、話すこともあるだろう? 今夜にでも、一杯どうだい?」
「いいですな。お付き合いしましょう」
メドーサの提案に、和尚は笑顔で頷いた。
「じゃ、私は特別区に戻ってるわ。雪之丞はとっくに修行を再開してるから、そこにいる馬鹿二人にも、とっとと戻って来いって言っておくんだね」
「わかった」
言って背中を見せるメドーサに、和尚は頷いてきびすを返し、いまだやいのやいのと騒ぐ陰念、そしておキヌと世間話を繰り広げている勘九郎の方へと向かって行った。
――去り行くメドーサが、ニヤリと邪笑しているのにも気付かないまま。
その後、見学を続けていた銀一は、日没と共に迎えに来たマネージャーに引っ張られる形で帰っていった。
「おキヌちゃん、また会おうな!」
「はい♪」
去り際、そんなやり取りをしていた彼に多くの凶悪な視線が集中したのは、言うまでもない。
そして夕食を挟んで夜の鍛錬が行われ、消灯時間を迎えて全員が床に就いた。
――が――
草木も眠る丑三つ時。要するに午前2時過ぎ。
「くっくっくっ……諸君、このような時間に、よくぞ集まってくれた……」
道場裏の林の中。そんな怪しい笑い声を発するのは、誰あろう陰念であった。
彼の目の前には、十人を越える門下生たち。陰念自身も含め、彼らの手には一様に同じものが握られている。
「もはや我らの間に言葉はいらない……我らの目的は一つ。今こそそれを実行に移す時!」
「「「「「「「「「「応!」」」」」」」」」」
その言葉に、揃って力強く頷く一同。
そして彼らは一列に並び、それぞれが目の前にある木の幹に、左手に持ったモノを押し付けて釘を突き立てる。
準備は整った。彼らは全員、統制された動作で一斉に右手を振り上げる。その手に収まっているのは、小ぶりの金槌。
――そして――
「近畿剛一……! 貴様の命運は、我らが一撃で尽きることとなる!」
ワ ラ 人 形
「「「「「「「「「「 R−G○N!
五 寸 釘
メ○ルジェノ○イダーモード!
デッド・エンド・シュート!」」」」」」」」」」
スココココココココーンッ! ぐきっ。
満点の星空の下、白龍寺の境内で釘を打ち付ける音が、盛大に響いた。
一仕事終えたとばかりに汗を拭う彼らの中で、唯一陰念だけが、誤って打ち付けた親指を押さえて悶絶していた。
――その一方――
――陰念たちがそんなお馬鹿なことをしている頃、誰も知らない場所で、事態は急速に進んでいた――
――除霊事務所『白龍GS』、その応接室――
「さて……これで全ての願いは聞き届けた」
無数の目と、鶏冠とも鬣ともつかないものを生やした、手足のない怪物――ビッグ・イーターを従えたメドーサが、目の前の和尚に告げる。
彼らの間には、応接用のテーブルがあった。その上には、まだ中身が残っているマッカランの瓶と、空になったグラスが一つ、飲み干されていないグラスが一つ。
メドーサとビッグ・イーターの視線に晒された和尚は、緊張のあまり滲み出る冷や汗を拭いつつ、目の前の存在から視線が外せないでいた。
「くっ……こ、こんなのは無効だ! 貴様、酒に何か仕掛けていたな!」
「仕掛けてなんていないさ。正真正銘、これはただの酒だよ」
激昂する和尚に、メドーサは肩をすくめた。
「私とお前の契約――それは、三つの願い。一つ叶えるごとにこちらも対価を要求し、最後の願いに対する対価はお前の魂。お前も納得して私と契約したはずだ。
一つ目の願いは門下生の数を増やすこと。それに対する対価は、当面の寝床。
二つ目の願いは金。それに対する対価は、優秀な部下。
そして三つ目の願いは、白龍会の名を売るため、私が引き取った三人を白龍会所属の名義でGS試験に参加させること。……どこに私の落ち度がある?」
「私は二つ目までしか言ってない! 三つ目のそれは、単なる提案だ! 願いじゃない!」
「心外だねぇ。お前は確かに、今さっき私に向かって「頼めるか?」と訊ねた。それは頼みであって提案じゃない。そして頼みと願いの違いは、一体何だ? 口に出すか出さないか、ただそれだけだろう? そして一旦口に出して要求した願いは依頼となる――すなわち頼みだ。だからこそ、頼みを引き受けることは、願いを聞き届けることと同義となる」
「……っ!」
屁理屈だ、という言葉が、喉から出掛かっていた。だがそれを飲み込んだのは、それが通用しないことに気付いたからだ。この場合、言葉を発した本人がどういう意図で言ったのかが問題だったのではなく、メドーサがどう受け取ったのか、そしてそれが正当であるか否かが問題なのだ。
今回の場合、和尚の言葉に対するメドーサの受け取り方は、間違っているとは言えない。それが正当なものと言えるような言葉を使ったのは、紛れもなく和尚自身の失態である。
(酒を使ったのはこの為か――!)
酒は人の心のタガを緩くし、失言などを誘発する。和尚は、目の前の存在には警戒を怠ってはいなかったはずなのに、まんまと引っ掛かってしまった自分の間抜けさを呪った。
「くっくっくっ……いい顔だね。逃げ道を失って、絶望に打ちひしがれる顔……私の好きな顔だよ。二流が魔族との契約なんかに手を出すからこうなるのさ」
「に、二流だと!?」
「そうさ。二流だよ。考えてもみな……三つ目の願いを言ったら魂が取られるってことはわかりきってるのに、わざわざ三つ目の願いを言う奴がいるかい? もちろん、答えは否だ。だがそんなことは魔族側も承知の上だから、三つ目の願いを言わせる為に、あの手この手を考える。その駆け引きに負けるお前が、二流でなくて何だと言うのさ?」
「くっ……!」
メドーサの嘲笑に、和尚は歯軋りする。そんな和尚に、メドーサはゆっくりと右手を上げ、指を突き付けた。
「……やりな」
『シャーッ!』
「ちぃっ!」
メドーサの号令と共に、その傍らに控えていたビッグ・イーターが、その口を大きく開けて和尚に襲い掛かった。
「最後に教えておいてやるよ」
ビッグ・イーターと戦う和尚に、メドーサは窓の外の月に視線を移しながら、冷めた口調で語りかけた。
「魔族や神族は、肉体より精神の方が比重が高い。精神が皮をかぶっているだけって言ってもいいぐらいにね。そんな私らにとって、自ら契約を破るってことは自身を否定することに等しく、それは直に自らの消滅に繋がるんだ。だから私らは契約を絶対に違えない。契約相手を騙すのは、あくまでも契約内容から外れない程度でしかないのさ。
……ここまで言えばわかるかい? つまり私は、お前に気付かれないよう、ちょっとした暗示をかけていたのさ。
もちろん、マインドコントロールみたいな契約に違反するものじゃなくて、ただの人間にでもできるぐらいの極々弱い暗示だったんだけどね。その暗示の内容は、私に対する警戒心を薄れさせる――ただそれだけだ。けどお前は、薄れた警戒心のまま酒を飲まされ、私が誘導するままに失言を口にした。自分が密かに抱いていた、だが言うつもりもなかった、小さな願いをね。
けど安心しな。今回は魂は取らないでやるよ。私がかけた暗示も、石化が解ける頃には綺麗さっぱりなくなってるだろうさ――私に関する記憶と一緒にね」
そこまで言い、メドーサは最後に「感謝するんだね」と言おうとして視線を戻し――言うのをやめた。
「……って、もう聞こえてないか」
嘆息する彼女の前には――既に物言わぬ石像と化した和尚がいた。
仕事を終えたビッグ・イーターを髪に戻したメドーサは、飲みかけの酒をぐいっとあおり、再び月に視線を向けた。
「GS試験は明後日……か。ふん……」
見上げる月は、その淡い光を等しく全てに降らせていた。
――そう。鼻を鳴らしてあざ笑うメドーサにさえ――
――あとがき――
今回の白龍会編は、シリアス分多めでした。陰念がいい感じに壊れている一方で、原作通りかそれ以上に悪役しているメドーサ。いやぶっちゃけ、後者に力を入れるあまり、おキヌちゃん−銀ちゃん−陰念の絡みが思い浮かばなかったってのもあるんですが(汗
それにしても、前回のレスは連載史上最多でしたねー。これだけ再開を待っていた読者がいたと思うと、恐縮です。更新ペースは連載当初ほどまで戻るかどうかはわかりませんが、これからもちょくちょく更新していければなと思います。
ではレス返しー。
○1. ちとせさん
内心諦めてしまうほどまで待たせてしまって申し訳ありませんです……一応、連載中断する気はないので、気長にお付き合いください。
○2. ラリホーさん
はい、お待たせしました。今後の展開をお楽しみに♪
○3. エリーさん
心眼って結構味のあるキャラでしたから、私も出したいと思ってたんですよw 応援、ありがとうございます♪
○4. はに丸さん
美神さんは既に霊的成長期が過ぎてるから、横島ほどの成長速度は望めないってのがネックなんですよねー。さてどうしますかw
○5. イスピンさん
言葉ではハーレムを希望してても、いざルシオラやおキヌちゃん以外の女性から迫られたら、二の足を踏むんじゃないでしょうかね。それも小竜姫さま次第でしょうけどw
○6. wataさん
逆行とかの場合、心眼が原作の心眼だった作品ってほとんどないんですよね。だからこんな理由つけて復活させてみました♪
○7. Tシローさん
アシュ戦ではジョーカー1枚じゃ心許ないですからね。同期合体以外にも何かが欲しいところです。竜神ズの陰謀は、もちろんここで終わりではありません。GS試験後に、誰もやらなかったネタをやってみようかと思いますw
○8. スカサハさん
美神さんの霊力は、やっぱり底上げしたいですね。色々パターンは考えてあるんですけど。
○9. ウェルディさん
人間の霊力と人外の妖力、神通力、魔力では、質の違いから同期は出来なさそうですが……さて(^^;
○10. ショウさん
逆行世界の謎は、これだけ情報が少なくても、勘が良い人なら結構真実に近いところまで推測できちゃうかもしれません。正直、これでも情報出しすぎかなーと思ってるぐらいですし(^^;
○11. Mistearさん
初めましてー。初レスありがとうございます♪
ここだけの話、変わらぬ成長に対しての肯定は、原作から逸脱した性格の通称『最強シリアス俺キャラYOKOSHIMA』に対するアンチテーゼだったりw 心眼はおもにツッコミ役になってもらうつもりです。
○12. (´ω`)さん
長編がある程度進むと、誰もが必ずぶち当たる壁ですよね。ドツボから抜けたと思っても、一度嵌ったならまたすぐに嵌るの繰り返しで……気長に熱が再燃するのを待つしかないのでしょーか(汗
○13. 山の影さん
やはり横島とおキヌちゃんだけじゃ、小難しいことは考えられませんので、心眼のような存在は必要でしょうw 逆行世界の謎は……次の判断材料は、当分先になるつもりです。あれこれ予想して楽しんでくださいw
……そういや、ブラドーがいたんですよね。休止期間中にすっかり忘却の彼方に(マテ
○14. 牙椰子さん
さて、真実はどうなんでしょうw
○15. ハシャさん
な、なんて無謀な提案を!……面白そうだからメモっとこ(マテ
○16. nanasiさん
私も小竜姫さまは大好きなキャラの一人だから、そうしたいのは山々なんですよねw
○17. 山瀬竜さん
ああなるほど、そういう意図での意見だったのですか。ずっと勘違いしてました(汗
暴走竜神親子、この先またどんな暴走をしでかすか……ごめんなさい、詳しく考えてません(超マテ
>誤字
綴り調べてみたらその通りでした。ストーンヘイジって呼び方がWebで結構あるから、勘違いしてました。あれ、誤字だったんですね……
○18. 秋桜さん
お待たせです! ただいま戻りました♪ 竜神界はコメディ担当になってもらおうかと画策中です(ぇー
○19. Februaryさん
横島のあの台詞は、作中でも書いてある通り、実際にサボりたい気持ちも多少入ってたりしますw 竜神界の明日は……まあ、明日は明日の風が吹くってことで(無責任
○20. DOMさん
人神魔の貧乳トリオは全て横島のt(……返事がない。ただの屍のようだ。
○21. 黒ネコさん
確かにそう言われてみれば、美神以外との同期合体は、リスクが大きくなるっぽいですね。黒ネコさんの意見、参考にさせていただきます。
○22. ジンさん
はい。期待に応えられるよう頑張り続けたいと思います。
○23. 内海一弘さん
竜神族は当初の予定よりも面白い人たちになってしまったようでw 竜神王も、初登場の頃は威厳あったのになーw
○24. ながおさん
復活を待たれていたようで恐縮です。頑張りますので、見守っていてください。
○25. いりあすさん
同期合体に関しては、色々と案はあるのですよー。もちろん、いりあすさんの案も既に頭の中にあったりしますw 実際、どうなるかは……どうしましょう?(マテ
小竜姫さまはガンバります。ええ、超ガンバりますw 頑張った結果どうなるかは未定ですがっ!(ぇー
○26. アイクさん
竜神族、暴走しまくりですw 確かに横島にとってみれば、胸は問題ないとは思いますがねーw
レス返し終了ー。次回、GS試験前日編になります。更新は気長にお待ちください(汗
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