オオォォ……ォォォォ………………
どこかで獣が鳴いている。
明るい月の下。森の中。
背中合わせの俺と雪。
木の葉を揺らす風の音。遠くでささやく梟。
夜行性の小動物が立てる微かなざわめき。
耳に入っても、ただ通り過ぎるだけの音。
肌を刺す静寂が痛い。
緊迫感がきりきりと心臓を締め付ける。
近くの茂み。潜んだ少年がごくりと喉を鳴らす。
じりじりと、雪の握り拳が霊気を帯びてゆく。
自分の鼓動が、呼吸音が、嫌に大きく聞こえた。
風を渡り俺たちに届くのは、異常なプレッシャーと明らかな殺意。
嗚呼。どこかで獣が啼いている。
がんばれ、横島君!!〜横島君と獣の宴〜
今日は久しぶりの修行です。
メドーサさん曰く、最近たるんでる、らしいので。
まぁここんところ除霊の仕事はしても、修行そのものはやってなかったしな。
初心に帰るのは大事だしなーと。
白竜会の敷地の外れ、他の三人と一緒にメドーサさんを待っていた。
視線の先、姿を現したのはメドーサさんだけではなかった。
ハーピーも一緒だ。
「おー、久しぶりだなぁ。ハーピー」
「横島! 元気そうじゃん」
笑顔で駆け寄ってきたハーピーの羽毛のふかふか感を楽しんでいる俺に、メドーサさんは言いました。
これからサバイバルを行う。
メドーサさんの独断により二人一組に分けられた。
俺と雪。陰念と勘九朗。
頑張れ陰念! ある意味一番修行になるぞ!!
でも代わろうとは思わない! 人間誰しも自分が大事さ!!
俺たちが質問する隙を与えずに、さっさとハーピーに指示を出して。
ハーピーは陰念と勘九朗を、メドーサさんは俺と雪を。
しっかりがっちり鷲掴み!
え?
飛びました。
ものすっごいスピードで。
流れる景色がきれいねーとか悠長な事、言えません。
「ぎゃー! 死ぬ、死ぬぅ!!」
「空気が痛い! 風が、耳がぁ〜!!」
「ぎゃーぎゃーうるさいよ、あんたら」
意識なんて軽く飛ぶね。
そして放り出されたのは見知らぬ、深い深い森の中。
いや、あるいは山かもしれないが。
おとぎ話とかTV番組の探検ものだとかに出てきそうな、そんな緑の濃い場所。
きっと多分日本国内。
今だ立てずに座りこんだままの俺に袋を投げて寄越し、
「ほら、受け取りな。最低限のものはその中に入ってるからね。
ここから自力で抜け出してみな。……ま、無理でも三日後には迎えに来てやるから」
死にはしないだろと付け加えて。
あの、現在地も全くわからないのに抜け出すとか無理なんじゃ?
「いきなりすぎますよ、心の準備も出来てないのに!」
「そうだぜ、それになんでサバイバルなんか…!?」
「ゴーストスイーパーなんていつ何があるかわからないんだよ。これくらいで騒ぐんじゃないよ。
海のど真ん中に放り出さないだけありがたいと思いな」
ゴーストスイーパーの仕事とサバイバルは関係ないんじゃ…と、思いはしたが聞いてくれないだろうから言葉にはしない。
陰念と勘九朗はどこに言ったのかと聞けば、雪女が暴れている雪山に放り出してくるようハーピーに言ったのだと。
雪山って…いかん!
「裸で暖めあいましょう〜♪」なんて言いながら、陰念に迫る勘九朗を想像してしまった!!
あいつならやりそうだ。いや、絶対やる!
陰念、無事帰ってこいよ。
メドーサさんはさっさと帰ってしまい、雪は空に向かって吠え立てた。
袋の中は携帯食料と水、応急処置セット。
本当に最低限だな。
ライターもマッチも無いから火が必要になったときは、やっぱり原始的なやり方だろうか。
とにかく、ここでじっとしていても意味が無い。
日の明るいうちに移動しよう。
せめて水は見付けたい。
川の流れをたどればどこかに出られるはずだし。
「行くぞー、雪」
「おう!」
目立つ木に印を付けて歩き回ること数時間。
時計も無いから時刻さえ確認できない。だが沈み行く夕日のおかげで方角だけはわかった。
日が沈みきるのは後一時間とかからないだろう。
夜が来れば危険は増す。
今日はもう野宿の準備をした方がいいだろう。
この森に熊や危険な生き物がいないとは限らないし。
雪なら素手で渡り合えそうだが、俺はごめんだ。
森の少し開けたところ、腰を下ろす。
「雪、お前は薪になるもんを集めてきてくれ。俺は火を熾してるから」
「いいけど…できんのか、お前?」
「まーな。ほらさっさと行け」
言われて雪は木々の間に姿を消した。
サバイバルというか、親父に色々仕込まれた中に火の熾し方も入ってるんだよなー。
ちなみの親父はお袋にお仕置きを喰らい、野宿を余儀なくされて覚えたそうだ。
……どんなお仕置きだったんだろう?
物思いに耽ってはいても手はきっちり動いて、小さいながらも火が点いた。
先に集めていた乾いた草と小枝に移して、大きくなるの待つ。
その間に雪が帰ってきた。
右手に薪を抱え左手に――
「お〜い、薪集めてきたぜー!」
「離せー! ちくしょ〜!! うう〜……」
「どっから攫ってきたー!!?」
子供。小学校に入るか入らないかそんな微妙な年頃の男の子。
「おいおい…。攫ってねーよ、落ち着けよこし……」
「やかましい! 見損なったぞ雪! お前はアシュタロスさんや勘九朗と違って戦闘馬鹿でどーしよーもないマザコンだけどそれ以外はまだマシだと思ってたのに――なにのよりもよって子供を誘拐してくるとは……!!
覚悟は出来てるんだろうなぁ?」
「違う! ほんっとーに違う!! 待て、横島。俺の話を聞いてくれ!! おい、お前もなんとか言え!! でないと、殺されるっ!!」
「へ、え、ふぇ?!! うう、うぅぅぅぅ…あ〜ん、母ちゃあ〜ん!!」
子供は空気に耐え切れず泣き出してしまった。
とりあえず雪を一発殴るだけにしとく。
子供が泣き止むまでに雪に一応事情を聞く。
薪を拾いに言った先で見付けたが、声をかけた途端に飛び掛ってこられたらしい。
流石に子供だったために反撃はしなかったが、尻尾もあったし妖力を感じたし妖怪だと判断したので捕まえたと。
ここらに住んでいるのなら、この森から出る道もわかるかもしれないし。
おお、雪にしては頭を使ったな。
「もう大丈夫か? こいつが乱暴して悪かったな」
「ち、すまねぇな」
「う、うん……」
泣き止んだ子供に危害を加えるつもりは無いと告げれば、しばし目を泳がせていたがやがておずおずと頷いてくれた。
子供はやはり妖怪で、化け猫のケイと名乗った。
「ボク、母ちゃんのところに帰らないと!」
「あ、じゃあ一緒に行くよ。ケイのおばさんにも謝らないとな」
「ああ、そうだな。ママに心配かけるのは駄目だな!」
雪が一人うんうんと力強く頷いている。
マザコンが…。
向かったのはそれほど離れていない場所。
ただ、さっき俺たちが居た所よりも茂みが多い。
その茂みの中。ケイががさがさとわけ入っていく。
大木の根元。
人ほどもある黒猫が身を丸めていた。
その全身は傷だらけ。カサブタになっているものもあるが大半は生々しく肉が見えている。
目を閉じているのは眠っているというより、意識が無いからか。
「……酷いな」
思わず呟く。
「ゴーストスイーパーにやられたんだ」
ぽつり。ケイが返した。
このまま放っておけない。
応急処置のセットがあるからそれを使おう。
人間の薬がドコまで効くかわからないが、何もしないよりはいい。
雪とケイが傷口を出来るだけ丁寧いに拭い、俺が消毒し包帯を巻く。
母猫のミイさんは時折呻くだけで目を開く事は無い。
全ての作業が終わると、最初見た時よりもまだマシだと言える状態になった。
全身包帯だらけで痛々しい事には変わりないが、傷口がむき出しで血の塊があちこちこびりついているよりは清潔だ。
「あ、ありがと。兄ちゃんたち」
「気にすんな」
「ゴーストスイーパーにやられたって言ってたな。どういう事か聞かせてもらっていいか?」
「……うん」
とてもじゃないが退治されるほど凶悪な妖怪には見えない。
ぽつりぽつりとケイが語ったところによると、元々ケイたち親子はここから遠く離れた森に住んでいたらしい。
そこでただ親子二人静かに暮らしていたのだが、ある日突然近くに住む人間達が森を荒らし始めた。
ケイはよくわからなかったが、母が言うには村おこしでごるふじょーを作るためだと。
それに反対した母が人間の邪魔をしていたら、向うもゴーストスイーパーを雇ってきた。
「それでやってきたミ…なんとかっていうゴーストスイーパーが凄く強くて、母ちゃん負けちゃって。森から出て行くんなら命は助けてやるって……だから、ボクたち」
傷だらけになりながらミイさんはケイを連れ、住み慣れた森を出て各地を転々としたのだと。
けれど住みよい場所にはたいてい先客がおり、他の妖怪との縄張り争いなどで完治していなかったミイさんの具合が悪化してしまったという。
やっとの思いでこの森に辿り着いた時、すでにミイさんはろくに立てないほど衰弱してしまっていた。
ケイは幼いながらもミイさんのために食料を集めている途中で、人間である雪に声をかけられ反射的に飛び掛ってしまったらしかった。
聞き終えて、雪も難しい表情で黙り込む。
妖怪退治も確かにゴーストスイーパーの仕事かもしれないが、しかし……。
こういった仕事は案外多いのかもしれない。
人の都合でどんどん自然を荒らしているのは事実だし、そこに人外の存在がいるなら俺たちの出番だ。
けれど、ケイたちのように弱いものや静かに暮らしているものを犠牲にするのはどうも。
いや、奇麗事かもしれないけどさー。
なんというか、遣り切れない話だな。
帰ったらアシュタロスさんに相談してみるか。
せめてこの二人が静かに暮らせる場所くらいは紹介してやりたいなー。
「母ちゃん死んじゃったら、どうしよう……」
「泣くな、男だろ!」
ぐすぐすと鼻を鳴らすケイを雪が一喝する。
揺さぶるほどの勢いで胸倉を掴みあげた。
「お前のママだろ! だったらお前が守れ! 居なくなって後悔するのは自分なんだぞ!! 今弱いってんなら強くなれ。強くなってお前のママを守ってやればいい!!」
「う、うん! ボク頑張る!!」
「よし!」
乱暴に目元を拭い頷くケイに、雪もにかっと笑って見せた。
その晩は、ケイと一緒に過ごす事なった。
親子二人だけで暮らしてきたせいで、ミイさん以外とこんなに会話したのは初めてらしい。
ミイさんに寄り添いながら、ケイが森の出口の大体の方角を教えてくれた。
ここに来て日が浅いものの、野生の勘でなんとなくわかるらしい。
夜も更けて、それぞれ心地よい眠りについていた。
森のどこかで、何かが鳴いた。
瞬間、飛び起きる。
身を刺すようなこの殺意!
別に俺たちと特定しているわけじゃない。
あちこちに、無差別に放たれているそれ。
つまり、殺すのは誰でもいいといった意思。
怯えてミイさんにしがみつくケイに決して動かないように告げて、雪とともに茂みを出る。
殺意の主の姿は見えず、けれどそう遠くない場所にいるのだろうとはわかる。
周囲の生き物もこの殺意がもたらす恐怖にやられたか、虫の声すら聞こえない。
まるで死んだような静寂。
神経を研ぎ澄ます。
気配の源が何者なのか知らないが、友好的とは言い難い。
はっきり言うと、敵だ。絶対。
俺と雪、背中合わせに立ち尽くし。
そして――
「人間の匂いがすると思えば…。こんなところをうろつくガキがいるとはな」
あからさま悪意と害意を撒き散らし、森の闇から着物姿の男が浮かび上がる。
この気配、霊力! 人じゃない!!
くつくつと笑いながら腰に刺した刀を向き放つ。
月の光を浴びてぎらりと輝く刃がおぞましい。
「丁度よい。まず手始めに貴様らから血祭りにあげてくれる!」
何の説明もなく、その意思もなく。俺たちを殺すことに決めた男は、口の端を歪めて哂う。
その殺意は間違いなく本物。
殺される!!
「ふざけんな! てめぇ!!」
雪が咆哮とともに魔装術を発動。
それを見て、男はほうと楽しげに目を細める。
「くくく。八房の獲物に相応しい」
刃を一閃!
瞬間、激痛に等しい悪寒!!
「避けろ、雪ぃ!!」
隣、身構えていた雪に体当たり。
ドシュウゥゥゥゥ!!
地面が、背後の木が抉れるほどの斬撃!
一振りだったはずなのに、放たれた斬撃は五以上。
「見えたか、横島? あいつ、一度で八回攻撃したぞ」
訂正、どうやら斬撃は八だったようだ。
見た目通り、アレは妖刀の類らしい。
体勢を整えるが、正直勝ち目は薄いだろうな。
雪の様子を窺えば、その目に闘志が燃えている。逃げるという選択肢は無いだろう。
もっとも、俺も逃げる気は無かったが。
もし俺がここで逃げ出せば、茂みに潜んでいるケイたち親子がどうなるかわからない。
手の中、男に見えないように小さめのニードル数本。
俺と雪、同時に左右に駆け出した。
「いっけぇ〜!!」
ニードルを放つ、
「ふ、その程度」
男が鼻で笑い、刃を一振り。容易く全てのニードルは掻き消える。
だが、それはこちらの予想のうち。
背後、雪が迫っている。
「だあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
雪お得意の――それしかないとか言わない――霊波砲乱射!!
男が振り返る、だが、いくら斬撃が飛ばせる妖刀でもあの数は防げないはず。
けれど、男は笑って――刃が一閃する。
キュゴゴゴゴゴゴォウ!!
刃の軌跡。あったはずの霊波砲はその大部分が消え。
残った霊波は、男を掠めもしなかった。
ぎらつきを増したかのような妖刀を携えて、男は静かに立っていた。
ただし、これでもかというほどの邪気を撒き散らして。
雪も思わず目を見開いて、動きを止める。
もしかしてあの妖刀、霊波を吸収すんのか!?
だとしたら、ヤバイ!
俺のニードルもソーサーも、固形だが霊波砲みたいなもんだ。
ハンズ・オブ・ガーディアンは…どうだろうか?
有効であればいいが、効かなかったら吸収されるだけだ。
例え妖刀が霊波を吸収できても、それを持つ男も同じことが出来るとは思わない。
だから懐に飛び込めばいいんだろうが、簡単にそれをさせてくれるとも思えないし。
だとしたら……。
「…っのヤロぉ!」
呻きをもらし、雪が動く。
魔装術によって得た身体能力を駆使して男に飛び掛る。
おそらく、俺と同じ考え。
刀を振るえないほど、近距離に。接近戦に持ち込む事!
「うおぉぉ! 喰らえぇ!!」
「は! 小童が!!」
咆哮と嘲りが衝突する!
雪の拳は片手で持った刀の腹で防がれ、蹴りはもう一方の手で。
刃が翻り斬られる寸前、雪が大きく横に跳ぶ。
虚空を薙ぐ刃、痛い沈黙。
雪のスピードに反応するなんて…。
人ではないにして、やはり只者じゃねぇ!
「くっそ!」
苛立つ雪はそれでもむやみに飛び込む事はしない。
たやすく妖刀の餌食になる事がわかっているから。
男はゆっくり距離を詰めるだけで、すぐに殺そうとはしていない。
あの反吐が出そうな表情から察するに、俺たちを嬲り殺しにでもするつもりなのだろう。
じりじりと、時だけが過ぎてゆくなか。
「犬飼〜!!」
甲高い声。草を掻き分ける音。土を踏みしめる音。
そして風を切る音。
木々の間から飛び出す小さな影。
「父の仇ぃ〜〜〜〜〜!!」
「やはり、シロか!」
己に飛び掛る影を、男は軽々弾き飛ばす。
吹っ飛ばされ、地面に転がる前に受け止めた。
腕の中にいるのはケイよりもさらに小さい子供。
白い髪に着物の姿。
あ、尻尾がある。
男のような禍々しさは無いものの、受ける霊力の感じは同じ。
同族なのだろう。
「うぐぐ…よくも、よくも父上を……!!」
抱えられたまま、必死に身を起こそうとするが体に力が入らないらしい。
この口ぶりからすると、どうやらあの男はこの子の父の仇。
名前は犬飼。この子はシロ。
シロは放っておけばまた犬飼に飛び掛るだろう。
大人しく下がっていて欲しいが、瞳に固い意志が見えている。
庇いながら戦う余裕は無いし。
どう説得しようかと悩んでいたら、横から伸びてきた手がシロの首根っこを掴み。
「てめーは足手纏いだ、引っ込んでろ!!」
「何を…うぎゃ!!」
雪が有無を言わさず、茂みの中にぶん投げる。
「何するでござむぎゅう?!」
潰れた声にそちらを見れば、茂みから顔だけのぞかせたケイがシロの口を押さえて奥に引っ込むところだった。
シロはケイに任せておけばいいだろう。
これでようやく目の前の男の専念できる。
まぁ、だからといって勝算があるわけではないのだが。
「おら、行くぜぇ!!」
「…っお前なぁ!」
「斬り刻んでくれるっ!」
同時の攻撃。迎え撃つ犬飼。
拳と刃がぶつかり合い、鈍い音が鳴り響く。
どうやらこの妖刀、飛ばした斬撃に当たっても霊力は吸収できないようだ。直接本体に斬られなければ平気らしい。
ただし、犬飼自身の実力がメドーサさん並とは行かなくとも俺たちより上。
身体能力そのものが違うのだ。
妖刀の厄介さも相まって、有効な攻撃が出来ない。
「くそぉ!」
荒く息をつき、雪が犬飼を睨み据える。
俺も似たようなもの。大分疲れているし、霊力も使った。
犬飼は、悔しい事に息一つ乱れていない。
「貴様ら、その程度か? もういい、飽いたわ。
この八房の錆となれ!!」
瞬間、気迫が桁外れに上がった!!
同時に訪れる変化。
肉が膨れ上がり、一回り大きくなる。全身が黒い獣毛に覆われ、鋭い牙と牙が目立つ。
着物を破り捨て現れたのは――狼男。
直立歩行する狼そのもの。
確かにシロには尻尾があったし、獣系だろうと思っていたが。
狼かぁ。おとぎ話には良く出てくる悪者だが。
こいつの場合は、メルヘンの欠片も無いがな。
むしろ悪夢に登場するタイプ。
犬飼が、動く!
ひゅ!
風切る音。
ごっ!
振るわれた刃の一撃を、紙一重で避け雪が犬飼の腹に拳を埋めようとするが。それよりも早く相手の足が雪を蹴り飛ばす。
背中から木の幹に叩きつけられた雪を案ずる暇も無く、俺の眼前に迫る凶刃。
「う、わぁ!?」
「ほう、受け止めるか」
がきぃ!
硬い音。俺がハンズ・オブ・ガーディアンを発動させた手の平で、刃を受け止めた音。
力で勝てるはずも無い。
すぐに押され始める。
ぐぐ……やばい!
きゅどう!
俺の腕が限界に達しそうになった瞬間、犬飼の背後に轟音・衝撃。
雪の放った霊波砲。
「ぐぁ!? よくも拙者の毛皮に傷を!!」
言うなり、俺を突き飛ばし雪に突進する。
「死ねぇい!!」
「きやがれぇっ!」
斬撃が飛ぶ。雪は、逃げない。
それどころか斬撃の中に突っ込んでいった!
「何!?」
流石に虚をつかれたか、犬飼も一瞬動きを止める。
「喰らいやがれぇぇぇぇぇ!!!」
その手の中、サイキック・ソーサーに似た小さな霊力の結晶。
気合とともに犬飼の顔面に炸裂させた!!
…っゴゴゴゥッ!!
大きさに反した、爆発音。
俺のソーサーより威力があるんじゃないか?
「雪、お前…あれ?」
「お前が使うサイキック・ソーサーを俺なりにアレンジしてみたんだよ。手の中で霊力込めて限界まで圧縮したからな。威力あるだろう?
ま、そのせいかお前のみたいに投げられなくなったんだけどな」
戻ってきた雪に問えば、返る答え。
手から離れると形を保てないとぶつくさ。
ってことは直接ぶつけないといけないって事で…そんな危ないもん、魔装術使える奴以外無理だろ。
普通なら腕ごと消し飛ぶぞ。
そしてそれを顔面に喰らってもなお立ち上がってくる犬飼は、本物の化け物だ。
「ぐうぅぅぅ。よくもやってくれたな小僧! 殺す、殺してやるぅぅ!!」
ぼたぼたと血を滴らせながら、先程よりも深い狂気を宿した眼で――吠えた。
びりびりと全身を圧迫するのは、俺たちに向かう明確な殺意と憎悪。
犬飼が動く。思った瞬間。
視界を埋める刃。
避ける、斬撃が追ってくる。
ハンズ・オブ・ガーディアンで弾く。が、犬飼の刀を持たない方の爪に肩が裂かれた。
体勢を崩したところに膝が。
「横島!? てんめぇぇぇぇぇ!!」
雪がさらに追い討ちをかけようとした刃から、ぎりぎりで俺を庇う。
だが、その雪ごと吹っ飛ばされた。
かはっ!
叩きつけられた木と雪に挟まれ、呼吸が止まる。
そのまま崩れ落ちる俺。
止めの刃は、雪が防ぐ。
膝をついた不利な体勢のまま、真剣白刃取り。
犬飼は口の端を吊り上げ、ぎちぎちと力を込めてゆく。
「くくく。どこまで持つか?」
「うぐ…ぐぅ! こんな、こんなところで……てめぇなんかに、負けてたまるかー!!」
吠えて、力任せに犬飼を弾き飛ばした瞬間。
雪の姿が、その身を包む魔装術が変わった。
今まではザリガニを思わせる、デコボコしたまるで悪の組織の怪人といった姿だったが、それが無くなった。
全体がすっきりとして、不恰好さと無駄がなくなったように感じる。
拳には鋭いナックルが装着されている。
顔はまだむき出しで、頭から伸びていた触覚みたいなものもそのままだが。
「俺の魔装術が…?!」
戸惑って己の姿をまじまじと見るが、そうゆっくりはしていられない。
弾き飛ばされただけの犬飼はすでに立ち上がり、油断無く刃を構えているから。
その犬飼に雪が飛び掛る。
スピードは、先程までよりも速い!!
「うおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
連撃。ナックルを容赦なく打ち込む!
「人間が…! よくも!!」
流石にこれは一蹴できなかったようで、犬飼は怒号とともにむちゃくちゃに妖刀を振り回す。
雨のように降り注ぐ斬撃!
「ぐ! っのをぉ!!」
「うわ、くそ?!」
雪だけではなく、俺のいる所まで。
斬撃の雨。かわして弾いて防いで、またかわす。
そして気付けば間近に迫る灼け付くような殺意!
しまった、斬撃に気をとられすぎて本体を忘れていた!!
「死ぬがいい!」
「う、おおぉぉぉぉ!!」
真上からぎらつく妖刀。
中途半端に崩れた体勢から、強引に上体をひねりハンズ・オブ・ガーディアンで受け流す。
そのまま俺はその場に倒れ込むが、手の中作り出したソーサーを奴の足元に着弾させた!
ばぼぅっ!!
「ぐがっ!? この程度で!」
犬飼が喚く。別にこれで倒そうとか考えていない。
ちょっと危ない手段だったが爆風に吹き飛ばされ、距離が取れた。
すぐさま立ち上がって、襲撃に備える。
犬飼はすぐには向かってこようとしなかった。
俺たちのしぶとさに、すぐに殺せる獲物という認識を改めたのか?
いやー、油断しといてくれた方が良かったんだけど。
その立ち姿に隙が無く、俺も雪も手を出せない。
下手に突っ込めば剣の錆。
新しくなった雪の魔装術でも妖刀本体に斬りつけられては保たない。
いやそもそも、俺達の体力や霊力の方が先に尽きる。
犬飼にもダメージを与えているが、今だ決定打は無い。
いやまーホント、どうすればいいんだこの状況?
ああもう! 魔眼がいたらなんかアドバイスくれんのに!!
雪が何か策はないかと?目で問うが、首を振る。
思いつくなら実行している。
せめてあの妖刀を犬飼の手から離せれば…。
それをさせてくれる相手でもない事はわかっているが、それしかないか。
俺たちも限界が近い。これ以上長引いたら確実に死ぬ。
こそりと雪に耳打ち。
雪は小さく頷き、駆ける。
狙いは犬飼の腕。刀を持つ、その手。
「だぁ〜!!」
「小賢しい!」
「行け、ニードル!!」
雪の攻めを防ぐ犬飼の隙をつき、ニードルを放つ。
されはあっさり避けられて、代わりに斬撃が飛んでくる。
引き付けて避ける。無駄な霊力は使えない。
「こんのぉ!!」
一気に距離を詰め、蹴り。
霊力は込めていないが、悪霊というわけでないから一応効く事は効く。
大したものではなくても、目を逸らせればいい。雪から!
「はぁ!!」
ありったけの霊力を込めたナックルが、犬飼の利き腕に!!
やったか!?
喜んだのもつかの間、その場に崩れ落ちたのは雪。
その身を包む魔装術がかき消える。
「がは!? がぁっ!」
血を吐いて、膝をつく。
押さえた腹からも、血が滴っていた。
薄く笑う犬飼の手、八房が嫌な輝きを増して掲げられる。
まさか! ヒットした思ったのに。
「雪!?」
駆け寄ろうとして、阻まれる。
刃は俺へと向けられて。
雪は、苦痛に歯を食いしばったまま動けない。
傷のせいだけでなく、霊力も吸い取られたからだろう。
犬飼がくつくつと笑いながらかざした刃を振り下ろし、俺が防ごうとした直前に蹴り飛ばされた。
いかん、もろに入った。痛ぇ…。
ごろごろと土の上を無残に転がる。
くそう、八房は囮か。
それにしても本格的にヤバイ。
ダメージが深刻だぞ、これは。心なしか目も霞んできたし。
それでも、退くわけにはいかない。
よろけながらも立ち上がる。
それを見、まだいたぶる事が出来るといった類の、暗い喜び浮かべる犬飼。
こんのサディストが!
でもSっぷりでいったらメドーサさんの方が上だぞ!
わけのわからない事を考える。
犬飼の喉からもれる、低い気迫。
来る!!
だが犬飼が動くより早く、森に響いた甲高い声。
「犬飼、覚悟〜!!」
月を背に、高く高く。人では為しえぬ高さで舞う影――シロ。
その手には、ぼんやりとした霊気の灯火。
「馬鹿が!」
犬飼が。
落下途中の、身動きできないシロを寸断せんと刃を握った手にぎりりと力を込めて。
「シロぉ!?」
俺では間に合わない。シロが斬られる!!
絶望。
だが――次の瞬間、響いたのは意外にも犬飼の苦悶!
「ふぅぅぅぅぅぅっ!!」
「がぁ!? き、貴様ぁ! ええい、離せぇ!!」
影に溶け込み、犬飼の死角から忍び寄ったケイが利き手、その手の甲にしっかりと噛み付いていたのだ。
おそらく、いや間違いなくシロとケイが考えた連係プレー!
苦痛と憎悪に顔を歪め、深く食い込んだ鋭い牙を忌々しく睨み。もう一方の手で八房を掲げ斬り捨てようとする犬飼。
出来たその隙を、逃がすわけは無い!
俺と雪。力の抜けた身体に鞭打って出せる限りの最高速度で向かってゆく。
「うあぁ!!」
刃が振り下ろされる直前、寸でのところ牙を離し逃れるケイ。
ケイが噛み付いたその手は皮が剥がれ肉が削げ、そして骨すら見えている。
犬飼の回復力をもってしても、すぐに使えるようにはならないだろう。
それでも刀を構え。
犬飼は、己の気を引こうと高く飛びすぎたが故に今だ落ちきってはいなかったシロへとその凶刃を向け。
「っせるかぁ!」
どん!
にやりと笑ったその背後。雪の渾身の体当たり。
それで充分に犬飼の体制は崩れ、切っ先は逸れる。
且つ、雪が伸ばした手は奇跡的なタイミングの良さでシロの小さな着物を掴み引き寄せ。
突然変わった落下スピード。刃の軌道修正も間に合わず、シロは無事雪の腕の中におさまった。
「邪魔を…しおってぇ!!」
忌々しいと、醜悪に染まる顔。
八房の刀身が地に伏して呻く雪へと向いた。
斬る。奴は何のためらいも無く。
ぎりぎりまで消耗した体力と霊力。その上、シロを庇っている。避ける事は出来ない。
やらせるか!
俺の力ももうほとんど無い。だが、黙って見ているわけには行かない!
このままでは皆死ぬ。
意識を集中する。
魔眼ほど上手くは扱えないが、それでもやらなければならない!
足の裏と左手。
二分した霊力。それぞれに集中する、が、上手くいかない。
くそ! しっかり、まとまってくれ!
[兄だ……デ…ジャラスな…俺も長く…られない…。少しだ……手を貸し…やる。
しっ…り…れよ……]
焦った俺に聞こえた、魔眼の声!
ノイズの混じったラジオみたいに不鮮明だったけれど、間違いない。
お前、やっぱり消えてなかったんだな!!
霊力のコントロールが、途端楽になる。
なけなしの力を、魔眼が効率よく扱ってくれているのがわかる。
これなら、いける。
たぁん!
駆ける。足裏に薄く力を凝縮し爆発を起こし、それを推進力に変えて。
「犬飼ぃ!!」
「なんだと?!!」
雪に迫る刃、駆ける俺。驚愕する犬飼。
左手、力を収束させる。
ハンズ・オブ・ガーディアンは普段に較べればいくらか弱々しいものの、起動する。
爪を揃え、刃のように。
犬飼が反応するより速く、その懐へ。
妖刀の切っ先が頬を掠める! 裂ける皮の感触。
ぐらり。
ぐ!? 視界が揺らぐ。
眼前に犬飼の獣毛、鋭い牙。
力任せに左手を薙ぐ!
どざ!!
腕に伝わる、何かの手応え。鉄の匂い。獣の叫び。
同時に、意識が薄れてゆく。
最後に見たのは、嫌味なまでに輝く月。
真っ暗闇。何か声が聞こえる。
ふふふふふ。これでどうかしらぁ?
あっはぁ〜ん♪
いやぁ〜!? おかまのセクシーポーズなんて寒すぎるぅぅぅぅぅ!!!
ぎゃあー!! なんだこの最終兵器!? 世界が滅ぶわっ!!
……………………。
聞かなかったことにしよう。
薄ぼんやりと、思考。
気付く。自分は今まで眠っていたのだと。
嗚呼、だから暗いのか。
目を開けた。
映ったのは、昔ながらという言い方がぴったりの古く煤けた木の天井。
こーゆー場合言っとくべきなのだろうか、あのセリフ。礼儀として。
「……知らない天井だ」
「何言ってるのよ!?」
おおう!? ただの孤独なボケに突っ込みが!
起き上がろうとし、全身が訴える痛みと疲労で諦めた。
変わりに首だけ動かして、声の方に顔を向ける。
俺の横、正座していたのはルシオラちゃん。
泣いていたのだろう、真っ赤な目で俺を睨んでいた。
「心配したのよ、見付けた時傷だらけで動かなくって! 本当に…ホッントに心配したんだから!!」
「あだ! いだだだだ!! ごめ、ごめんなさいルシオラちゃん! だから許して〜」
ぺちぺちぺちぺちぺちぺち!!
平手で俺のおでこ連打。地味に痛いです。
情けなく謝れば、仕方ないわねと言ってくれる。
状況を整理できないので、それを問えば思いっきり呆れてため息をつかれたけど。
まず、俺は三日も寝ていたらしい。
そしてここは人狼の里。人狼とは俺が戦った犬飼の種族。
自然破壊など人間のせいで同族の数が減ってゆく事に怒りを感じた犬飼は、秘宝八房を無断で持ち出し、人間の皆殺しを企んでいた。
八房は人狼を神話に登場する、なんか凄い魔狼に変える力を持っているのだと。
……ああ、八房ってんな凄いもんだったのか。
で、俺を捜していたルシオラちゃんたちが間一髪のところで間に合ったと。
「ええ〜と、なんでいるの? ルシオラちゃん?」
「〜〜〜〜〜〜〜っ!!?
馬鹿ぁ! 馬鹿馬鹿〜!! 心配したって言ったでしょう!? なのに何よそのセリフ! 帰ってこないからメドーサ問い詰めたらサバイバルって、森の中に放置したって言うし! 捜したんだからね! おに…兄さんの馬鹿!!」
ホントごめんなさい。
……あれ、今ルシオラちゃん俺の事。
「兄さん?」
「あ、それは――私ももう子供じゃないんだから、いつまでもお兄ちゃんて呼び方恥ずかしいでしょ?」
ぷいっとそっぽを向いて言われてしまった。
まぁ、確かにルシオラちゃんも育ちました。
もう十五・六歳くらいに見える。でも中身はやっぱり子供なんだし。
恥ずかしいかなー、お兄ちゃん。俺はぜんぜん平気なんだけど。
女の子ってわからん。
ま、それはそれとして引き続き色々説明してくれた。
メドーサさんには後日罰ゲーム決行決定なのは置いといて。
俺たちとの戦いで意外と疲弊していたらしい犬飼は、怒りに燃える三姉妹にぼろ雑巾にされ。シロの案内で人狼の里、つまりここに来たわけだ。
この里は結界に守られているので、通行証が無ければ入る事が出来ない。
あ、ケイとミイさんも一緒に連れてきた。
現在ミイさんはもうほとんど回復しているし、雪は俺より一日早く目を覚まし元気に人狼相手に組み手をしているという。
それから、シロの父親は生きていた。
八房を奪うために犬飼に斬られたが、なんとか一命は取り留めていたらしい。
シロは大人たちの会話を中途半端に聞いて、飛び出して行ったから知らなかったようだ。
八房はアシュタロスさんが念入りにしっかり封印する事になった。
「う〜ん、大丈夫かなアシュタロスさんで……」
「平気よ、兄さん。パパだってそれくらいの役には立つわ」
「そっかー」
「そーよ」
あははははは。うふふふふふ。
和やかな空気溢れる家の中、戸を乱暴に開け放ち転がり込んできた小さな塊。
「兄ちゃん! 元気になったのか!?」
ケイだ。
あちこち擦りむいているが、とても元気そう。
元気だよーと手招きすれば、嬉しそうに擦り寄ってくる。
あー、やっぱ猫だなー。
俺が寝ている間に起こったことを、楽しそうに話してくれた。
ケイたち親子はこの里で世話になることになったらしい。
ケイもじゃれあえる相手がいて、静かなここを気に入ったと笑う。
療養中のミイさんも親子で暮らせるのなら、と承諾。
ルシオラちゃんがこっそり教えてくれた情報によると、人狼という種族は女性に弱い。
加えて人狼は女性の数が少ない。
この際種族の違いなど気にしない、と。
……そーか生殖危機か。なんか切ないぞ、人狼。
ルシオラちゃんたちと話ているうちに気分も良くなって。体の痛みも引いてきた。
手を借りて外に出てみる。時代劇に出てきそうな風景が広がっていた。
暮れ行く空。並ぶかやぶき屋根。緩やかに回転する水車。着物姿で走り回る子供。刀を下げた大人。どこかで魚の焼ける匂い。
あ、向うでパピリオちゃんが人狼の子供たちと遊んでる。
皆で追い掛け回してるのはパイパーか。
ピエロの方のパイパーが半泣きでなんか喚いてるけど、放置。
滅多に同年代の子供と遊ぶ機会の無いパピリオちゃんが、とても楽しそうだから。
ケイに連れられ、紹介されたミイさんは人の姿に化けていた。
外見年齢はメドーサさんと同じくらいか。
年齢のせいか人妻のせいか。色気がむんむんと……。
うっかり胸や腰に視線がいって、気付いたルシオラちゃんに思いっきり足を踏まれました。
痛い。
嗚呼、ものすっごくぶす〜っとしてるルシオラちゃん。
「やぁ、気付いたかね? 横島君」
「お兄ちゃん、体はもう大丈夫!?」
アシュタロスさんとベスパちゃん。
災難だったねと笑うアシュタロスさんは、部下の管理ぐらいきちっとして!!とルシオラちゃんの鉄拳の餌食となる。
ベスパちゃんは深くため息をはいただけで、特に何も言わず倒れ付した父親に手を貸してやった。
あれ、なぜだろう? ベスパちゃんと陰念が重なって見えるよ。
お兄ちゃん、やっぱり疲れが残ってるみたいだ。
「ふふ。日に日に激しくなる娘とのスキンシップ。これぞホームドラマ的親子愛というものだね!」
「それ絶対違いますよ」
「と、とにかく! 気が付いたらなら丁度いい、これから長老のところに向かうのだ。
君も来たまえ」
そして連れられ行った先。
一軒の古い民家。周囲に人だかりが出来ている。
家の前、アシュタロスさんを待っていたのは白い髭をたっぷり生やした小柄なじーさん。
その足元に、簀巻きにされた犬飼が。
犬飼には、片腕が無かった。右手が、肩からすっぱりと。
嗚呼、そうか。気を失う直前の手応えは……。
犬飼は…ぎろりと凄まじい視線を向けてきたが、何も言わなかった。
他の人狼たちは、複雑な感情を隠しきれない目で俺と犬飼を交互に見やる。
「ア、アシュ……芦原さん」
「では、約束通り彼はこちらで預かろう」
戸惑う俺には目もくれず、アシュタロスさんは言う。
言われた長老も、重々しく頷いた。
「「「ええ〜!!?」」」
驚いたのは俺とルシオラちゃんとベスパちゃん。
他の人狼たちが何も言わないのは、事前に知らされていたからだろう。
なんで!?と俺たちの疑問を感じ取ったか、アシュタロスさんが得意げに解説し始める。
「まぁ、聞きたまえ。この隠れ里で暮らす彼らの感覚は実はかなり古い。人間を滅ぼすといったところで、現実にそれが出来るとは到底思えない。
言ってしまえば世界を知らないのだよ。だからこそ人間を、世界を知ってもらおうというのだ。
それに家族の絆を、仲間を重んじるのが彼らだ。仲間に手を出した罪人である彼がここにいるのは双方に悪影響がある。しばらく距離を置いた方がいいだろう。
一種のホームステイだよ。彼の偏った考え方を改める為にも、いいと思うのだがね」
「それはそうかもしれませんが、でも……」
いきなり斬りつけてきた奴だし、その理由が人間の皆殺しだし。
そんな危ない奴を子供たちの傍に置くわけには。
「何心配いらないよ。彼の力は私が封印しよう。危害を加えられる事は無いさ。
それに、最近パピリオが新しいペットを欲しがっていて渡りに船だしね!!」
「そっちが本音か! おっさん〜〜〜〜〜!!!」
俺のこぶしが雇い主の頬にめり込んだのは言うまでも無い。
五分とたたずに復活されたので、やはりまだ本調子じゃないな俺。
アシュタロスさんは盛大に腫らした頬のまま、簀巻きの犬飼につながる縄をぐぐいっと引きずり長老に向き直る。
「では長老。約束の最高級ドッグフード一年分は後日部下に持ってこさせよう!!」
「うぬ。頼んだぞ、芦原殿!!」
お互い、素晴らしくイイ笑顔でサムズアップ!!
え、ちょ!? それって……!
「「「「「「売ったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」」」」」」
「「「「「「売られたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」」」」」」
俺や犬飼含めたその場にいた全ての人々の声が、きれいに唱和したのだった。
人間滅ぼすより先にこの長老滅ぼした方が、人狼のためだと思う。
あ、犬飼顔を俯かせて肩を震わせてる。
そっとしておいてやろう。武士の情けだ。
そしてその日は人狼の里で過ごし、翌日帰る事となった。
朝、ケイやミイさん世話になった人狼の人たちに別れの挨拶を済ませ里の入り口に向かう。
アシュタロスさんは当然のように、犬飼を引きずっている。
ケイには泣かれたが、いつかまた必ず会おうと約束した。
雪も次に会う時まで強くなっていろと笑って頭を撫でた。
他にも組み手に付き合ったらしい人狼の若者が、雪と固い握手を交わしてたりする。
昨日から姿の見えないシロは、ずっと父親についているらしい。
一命を取り留めたとはいえ、重傷である事には変わりないしな。
長老が結界を開き、里と外界を繋ぐトンネルをくぐろうとしたその時――
「わぉ〜ん!! わうわう!!」
真っ白い仔犬…いやいや仔狼が駆けてきた。
俺たちの前に回りこみ、必死に何か訴えているようだがさっぱりわからん。
「シロ、お主何を言っておる!?」
ただ長老だけが焦った声を上げ仔狼と何か言い合っている。
そーか、あれはシロか。なんか見覚えがあると思ったら。
人狼の子供は、夜しか人の姿になれないのだとパピリオちゃんが得意げに教えてくれた。
キャンキャン喚くシロと、駄目じゃ〜!と喚く長老。
待つ事しばし、長老はがっくり項垂れたのだった。
シロを抱え上げ、俺たちに向き直る。
「申し訳ないが、シロも連れて行ってくれませぬか?」
「はぁ!?」
頼まれました。
シロが助けられた恩を返したいと訴えているという。
恩の一つも満足に返せないとあっては、人狼族の名折れ。
すでに父には許しを貰った。どうか一緒に連れて行って欲しいのだと。
あまりに熱心に言われて、長老も折れてしまったのだ。
ちらりとアシュタロスさんの顔を窺えば、私は構わないよと返される。
子供たちも期待に満ちた目で見てくるし。雪は好きにしろといった風。
シロは捨てられた子犬のよーな目で……。
断ったら俺、悪人です。この空気!
「わかりました、責任もってお預かりします」
わぉ〜ん! わぁい、やったでちゅ! これからよろしくね。うわ、ふかふか〜。
溢れる歓喜の声。皆喜んでるし、いいか。
里の外にいたでかい昆虫の形をした何かに乗って帰りました。
家に着きようやく一息つけるなーと思ったところで、やってくれましたアシュタロスさん。
うん、そーだよこの人が何もしないはずは無かったんだ。
被害者、シロと犬飼。
首輪がつきました。
シロが赤いの犬飼が青いの。革製の無駄にごついやつ。
「ペットに首輪は必要だろう!」
眩しい笑顔で言わない!! 殴りますよ?
……狼の姿ならまだしも、人の姿にもなれるんですが!?
首輪したまま外に出たら人間性疑われます。
しかも魔力でロックがかかっているとかで、全く取れない! 外れない!!
シロも犬飼もいまだかつて見たこと無いほど、どよ〜んとした顔してるから。
こんの馬鹿親父が!!
「なんであんたはそう余計な事ばかりするんですかぁぁぁぁぁぁ!!?」
怒号が響いたのは言うまでも無い。
家族が増えた喜びで、陰念・勘九朗コンビの事をすっかり忘れていたのはここだけの話。
続く
後書きと言う名の言い訳
不調。無駄に長くて中身が無いって…orz やはり小説書いてる最中にRPGなんてやっちゃいけないね!!(責任転嫁)
今回色々消化不良なため(駄目親父への制裁とかメドさんの罰ゲームとか)、次回うらめんでフォロー予定です。ついでに最近出番の無い人たちも出します。奴とかあれとかあの人とか……。
犬飼、今回でファミリー入り。このシリーズの最初の方からその予定でした。シロよりも犬飼の方がメインじゃね!?という突っ込みは受け付けません。書いてる本人が一番わかってます!
このシリーズのモットーは「理不尽なほどの幸せ」なので、できるだけ不幸な人は出しません!!
アシュ様? あの人はあれで幸せなのでOKです☆
ではここまで読んでくださった皆様、ありがとうございます!!