山の上というのは気温が低く、10月ぐらいになると早朝はかなり寒い。
息を吐けば白く。
木々を縫うように吹き抜けてくる風は、身体を思わず強張らせる原因となる程だ。
「あ〜〜寒い………。」
時刻は午前5時。
まだ外は真っ暗で、太陽を拝むには少し早い時間。
横島忠夫の一日はここから始まる。
「ふぁ……ねむ。」
大きな欠伸をして、軽く伸びする。
そして何となく癖になっている屈伸運動を行い、まだ起きて間もない硬い筋肉をほぐす。
前まではこの朝の散歩にタマモも付いて来ていたのだが……。
人化出来るようになると全く来なくなった。
本人曰く、戦闘をこなせるぐらいは力も戻ったし、何よりこれから寒くなるから嫌らしい。
タマモらしいと言えばタマモらしい理由。
故に横島自身もその台詞を聞いたとき、呆れた様に彼女を睨みつけたがそれ以上何も言わなかった。
「うっし。行くか。」
横島は肩を回しながらゆっくりと歩を森の中へと進めていく。
最近では距離を伸ばし、段々と歩くペースも上げてきている。
その速度は既に陸上部の軽いランニングペースと言っていい。
時速にすると10kmぐらいだろうか。
この目に見えた変化は、彼の心情の変化といっていいのかもしれない。
「あっ……。横島殿。」
不意に横島の後ろから男とも女ともとれる中性的な幼子の声が聞こえた。
振り返るとそこには、相変わらず侍の様な格好をし、独特の髪の色持つ人狼の少女。
犬塚シロが立っていた。
「シロ?」
横島は意外な人物の登場で、まだ少し残っていた眠気が完全に吹っ飛んでしまった。
「如何した? こんな朝早く?」
だが、予想外で驚きはしたが、横島の思考が停止するほどではない。
こんな時はセオリー通りの台詞を吐き、相手に尋ねるのが常套手段。
シロの方も横島がこんな朝早くに起きているが予想外だったらしく、目を丸くして固まっていた。
如何やら彼女の方は少し思考が停止してしまったらしい。
「…………えっ? あっ……散歩でござる。」
「へ〜〜。」
戸惑いながら答えたシロの言葉に横島が、適当に相槌を打つ。
「俺も。」
そして何でも無い風にそっけなくそう答える。
するとまたシロが目を丸くし固まった。
しかし今度は先程と違い。
段々と思考が回復するにつれ、彼女の瞳に嬉しそうな輝きが宿りだした。
見れば彼女の尻にある尻尾が、左右に物凄い速さで振られている。
犬か?
横島は喜びを全身で表しているシロを見てそう思った。
「横島殿も散歩でござるか!?」
「おっ……おう。」
掴みかかりそうな勢いで迫ってきたシロに、横島は思わずたじろいでしまった。
幼子でも流石人狼。
その迫りくるスピードは半端ない。
「拙者も一緒に行くでござる!!」
まるで野球選手がバット振ったときに出るような音が、シロの尻尾から絶えず聞こえる。
あれで殴られたら普通に死ぬかもしれない。
と言うか散歩が其処まで嬉しいのだろうか?
それとも誰かと一緒に散歩をするのが嬉しいのだろうか?
横島はシロの表情を見ながらぼんやりとそんな事を考えていた。
まあ、どちらにしろ彼に断る理由は特に無かった。
それに将来有望な女の子に冷たい態度をとる事は忍びない。
「まあ、いいぞ。」
故にあっさりシロの同行を許可する横島。
「やったでござる!!」
それに対して彼女は、蛙の様に飛び跳ねて喜んでいた。
「いや、そこまで嬉しいんかい。」
苦笑しながら横島は、シロの異常な喜びように思わず突っ込みを入れてしまった。
しかし悪い気持ちはしない。
妹……まだ弟と言う表現を使った方がいいのかもしれないが。
兄弟が出来たらこんな感じなのだろう。
「よし。行くぞシロ!」
「はい!」
横島の言葉に元気良く返事を返すシロ。
うん、悪くない。
故に彼は少しだけ兄っぽい態度をとってみたくなった。
「ほれ。」
横島はシロに向けそっと手を差し出す。
シロは目の前に出された手と、横島の顔を交互に見回し、暫く呆然としていたが。
彼の意を察したのか、向日葵の様な笑みを浮かべると、その差し出された手を握る。
お互いの手を繋ぎ、仲良く歩くその二人の姿は、まるで本当の兄弟のようであった。
悪くない。
横島は普段よりも格段に遅いペースで、のんびり歩きながらそう思った。
この散歩を此処二ヶ月間は、ずっと真面目に取り組んできた。
しかし偶には息抜きとして、こう言うのも悪くないかもしれない。
横島は上空を見上げ輝く星空を眺めた。
「今日も晴れそうだな。」
そうポツリと呟き全身で夜風を浴びる。
つい先程までは寒いだけだったのに、その風が今は少しだけ心地よく感じる。
「横島殿速く、速く〜〜。」
「おっ、おい、焦るなよ。」
横島の腕を幼い少女とは思えない力でグイグイ引っ張ってくるシロに、彼は思わず苦笑する。
(本当にすげえな。人狼って。)
横島はシロの余りの力強さに驚愕していた。
彼は其処で気付くべきだった。
彼女は人狼であり、人間である自分とは肉体のポテンシャルが違いすぎる事を……。
彼女の散歩が、人間の常識的な散歩に該当するか如何かという事を……。
「速く、速く。」
「いてててっ。あんまり引っ張るなよ。全く……。」
横島の今の笑顔が何時消えるか……それは神のみぞ知る。
(すぐ消えますよ〜。)
この誓いを胸に 第九話 人狼親子 後編。
1時間の散歩から帰ってきた横島は、満身創痍な姿で玄関に突っ伏していた。
痛い。
特にふともも、ふくらはぎが泣きたくなるほど痛い。
正直舐めていた。
人狼と言えどもまだ子供。
毎日毎日鍛えてきた自分の体力なら大丈夫だろうと思っていた。
「アホじゃの〜。幼子でも人狼じゃぞ? お主がついて行けるわけがないじゃろ?」
そんな横島の姿を見つけて、八神が心底馬鹿にしたような笑みを浮かべる。
物凄く悔しいが、横島は何も言い返せないでいた。
ぶっちゃけ、そんな元気すらない。
なんで一日の始まりの朝に、普段の一日の終わり以上に疲れなければならないのだろうか?
「ク〜〜ン。」
その原因を無邪気な笑顔で、作ってくれた元凶が横島に擦り寄ってくる。
真っ白な体毛で、頭にだけ赤いメッシュをいれた子供の狼。
そう何を隠そう獣姿のシロだった。
「ク〜〜〜ン。じゃねえ! なんだあの出鱈目なスピードは!? 俺を殺すつもりか!?」
「きゃいん!」
横島の激昂に驚いたシロが前足で頭を器用に抱える。
「………横島殿。シロの速度に合わせたのですか?」
居間の方から出てきたジロウが、目を見開いて横島に声をかける。
彼はシロと違い人間の姿のままだ。
それは何故かと言うと、シロはまだ子供で力が弱いから、月の魔力が無くなると人間の姿を維持出来なくなるのだ。
対してジロウのように一人前の人狼は、月の魔力が無くとも人間の姿を維持出来るだけの力を持っている。
故に彼は昨晩と同じ様に、人の姿のままだった。
しかし幾ら彼とて月の魔力……陰気が薄い所では真の人狼の姿にはなれない。
全身を鋼の体毛で覆われ、人間のように二本の足を使って地に立ち、手で器用に物を持つ。
そして狼などの動物が持つ最大の武器である、強靭な顎と鉄よりも硬い牙を兼ね備えたその姿には……。
「合わせたと言うか……。引っ張られたと言うか……。」
「どちらにしても凄い事です。」
横島のその言葉を聞きジロウが苦笑をする。
勿論ジロウの言葉の意味など横島にはわからない。
「そうなんっすか?」
「ええ……。シロの散歩に付き合うのは某でも骨が折れますから。」
「はい?」
横島が引き攣った顔をして、上体を起こす。
「ほう……。それはすごいのォ。」
八神は感嘆の声を上げ、床に片膝をつく形でしゃがむと、シロの頭を撫でる。
彼女はそれに気持ち良さそうに目を瞑り、尻尾を振って答えた。
「シロは元気が良いのじゃな。」
「元気が良過ぎますから困ったものです。」
ジロウはすっかり八神に懐いた娘の姿を見て苦笑をする。
しかし誰にでも直ぐ懐く所は狼として、武士として如何かとも思う。
これでは犬と思われてもしょうがないのではないか?
ジロウの脳裏に、犬と呼ばれて狼だと必死な形相で反論をする娘の姿が浮かび上がった。
(これは由々しき問題か?)
彼はその光景が余りにも克明に浮かんだので、人狼族の誇りとして犬扱いされる娘の行く末が段々と心配になってきた。
「如何かしたのかのォ? ジロウ殿。」
突然険しい表情になったジロウの事が気になったのか。
八神がシロを撫でながら彼に声をかける。
「いえ………。」
静かに頭を振るジロウ。
しかし彼の瞳には、尻尾を振って八神に擦り寄っている娘の姿がバッチリ映し出されていた。
「じゃあ。俺って結構凄い?」
そう八神に問いかけながら、横島もシロを撫で始める。
するとシロの尻尾がより速く左右に振られる。
「そうじゃのォ。お主は体力だけならその年では異常じゃな。」
八神が少し爪を立てて、左右からシロの首筋に両手をあてると、そのまま腕を動かし彼女の首筋をかいてやる。
それに反応して甘い鳴き声をするシロ。
「あくまでもこの年では異常か………。」
横島がシロの頭から尻尾までを撫で始める。
ついにシロは、気持ち良さそうな表情のまま、体勢が横になってしまった。
(シロ………。)
そんな緩みっぱなしの娘の姿を見て、ジロウは宙を仰いでしまった。
もしかして娘を彼等に預けるのは間違いなのかもしれない。
次に会いに来た時、シロの首に首輪が巻かれていたら如何する。
そして首輪についている紐の先を、にこやかな表情で握る横島または八神の姿を自分が見てしまったら……。
思わず切りかかってしまいそうだ。
(しかし……。里も危険であり、今更連れて帰ると言うのも武士として…いやいや、男として許されん。ああっ…しかし……。)
ジロウはぐるぐると回る思考に頭を抱え、悶え始める。
しかしそんな彼の変化にも気付かずに、横島と八神は話に没頭しながらシロを撫でていた。
「う〜〜〜。おはよ〜〜。」
其処へ眠そうに目を擦りながら、タマモがやって来る。
しかし彼女は玄関で広がる光景を見た瞬間、動きがピタリと止まった。
「……………………………何やってんの?」
彼女は長い沈黙の末、呆然とした表情でポツリと呟く。
如何言う経緯かは判らないが、段々と会話に熱がこもり始めて、討論になりかけている爺と少年。
ついでにその討論の内容とは、アンパンマンの毎回毎回吹っ飛ばされる顔の行方だ。
そんな如何でもいい話で盛り上がっている二人の間には、幸せそうに眠る犬(狼)が一匹。
ふと隣を見れば頭を抱えて、軟体生物の様に悶えているサムライ親父。
「邪魔しちゃ悪そうね。」
自分自身を納得させる様に頷いたタマモは、そのまま回れ右をして足早に居間の方へ戻っていった。
「いや、自然消滅だろ!?」
「馬鹿が! 敵が出て来る度にありとあらゆる所に飛んでいくデッカイアンパンじゃぞ!? 自然の分解作業が間に合わんわ! それよりも問題は、窯から出したときにアンパンマンの顔は後頭部が平らなのに、いざバタコが投げる時には美しい球体になっておる事じゃ!!」
「知るかーー!! 子供向けなんだから難しく考えんな!!」
「ああっ!! 某は如何すれば!? シロが首輪をつけて父上〜〜。など言ってきたら!! しかし男に二言など……!」
背後で聞こえる喧騒を無視して居間に入ったタマモは、両手で静かに湯飲みを持ち、中の緑茶をすすった。
見ればちゃぶ台の上に今日の朝食が湯気を出しながら並んでいる。
白米、味噌汁(油揚げ入り)、鮭の塩焼き、サラダなどなど……。
この中でも彼女の目を釘付けにしているのが、温かいカツオ出汁をじっくりと染み込ませた油揚げ。
その匂いに鼻孔がくすぐられ思わず生唾を飲んでしまう。
「早く皆来ないかな〜〜。」
貧乏揺すりをしはじめ、落ち着きが無くなってきたタマモは、玄関と料理を何度も交互に見回す。
やはり冷めた料理よりも温かい料理の方が美味しい。
特に油揚げは冷たいのより暖かい方が好きな彼女。
なんとしても今食べたい。
今すぐ食べたい。
「ねえ〜〜! ご飯冷めちゃうよ〜〜!」
タマモが少し泣きそうな声で横島達を呼ぶ。
しかし返事は無い。
彼女はそれに頬を膨らませて、また料理の方を険しい表情で見つめる。
食べたい衝動は非常にあるが、彼女は我慢していた。
それは何故かと言うと、皆で食事を取るためである。
此処に来てからは朝、昼(横島は学校があるので居ないときが多い)、晩と必ずと言っていいほど皆で食事を取っていた。
それは彼女の中でも日課となっている。
だが、日課だからと言う理由だけで、今我慢しているのでは無い。
彼女自身、皆と食事を取る事が気に入っているのだ。
故にタマモは我慢する。
歯を食いしばって我慢する。
ちょっと瞳に涙を溜めて我慢する。
しかし彼女の努力むなしく横島達が居間に来たときには、既に料理はすっかり冷めていた。
「たっ………タマモさん…?」
居間に来てタマモの姿を見た瞬間、完全に腰が引けてしまった者達を代表して横島が震えながら声をかける。
するとタマモはゆっくりと横島達を見上げた。
その表情は笑顔。
最も目は全く笑っていないが………。
また、少し顔を傾けている所為か、最近再び伸び始めた髪を数本口に銜えている。
それに加えこの亡霊のような雰囲気。
イメージ的には江戸時代の女性の幽霊を思って欲しい。
正直怖い。
横島がすがる様な眼つきで隣にいる八神を見ると、既にそこに彼はいなかった。
「さて、温めなおすかの。」
八神は気配を全く感じさせない動作で、タマモの朝食を器用に持ち、台所の方へ引っ込む。
否、逃げる。
「さて、某は顔でも洗ってくるか……シロ行くぞ。」
ジロウは流れるような動作で、シロの首根っこを掴み持ち上げると、そのまま洗面所に向かう。
娘はもっと大切に扱いましょう。
「おーーーーーーーーい!!?」
自然にこの修羅場から退散していく二人に、横島が悲痛の叫び声を上げる。
やばい! 非常にやばい!
この状況で一人取り残されるのは、胃にでっかい穴が開いてしまう。
何とか逃げなければ!
横島が灰色の脳細胞をフルに使い、この場を逃げ切る方法を探す。
この二ヶ月間集中的にやった、どんな時でも冷静な判断を下す訓練の成果を、発揮するときがきたのだ。
「あ〜〜〜……。そういえば俺布団畳んでねえや。」
「私が畳んだわよ………。」
はい、バッサリ切り捨てられました。
その刹那横島の動きが止まる。
横目でタマモ見ると、此方を相変わらず怖い笑顔で見続けている。
この時点で完全に彼女の狙いが横島一人に絞られていた。
「堪忍や〜〜〜! すまんかった〜〜! そんな顔で俺を見ないで〜〜〜!!」
無論そんなプレッシャーに彼が耐えられる訳が無く。
一切の無駄を省いた動作で地に両膝をつき、流れるように土下座をする。
ジロウが剣術の達人で、八神が戦闘の達人なら。
横島は土下座の達人だろう。
うれしくも何とも無いが………。
この横島の土下座は八神とジロウが帰ってくるまで続けられた。
あれから八神が、タマモの朝食に油揚げを更に追加するという行為で、居間の空気が少しだけ軽くなった。
しかし犠牲者として、其処には精も根も尽き果てて、虚ろな目をしている横島の姿があったのだが……それはいいだろう。
兎も角無事に朝食は終了し、それぞれが思い思いに一息ついていた。
(ああ……学校がある……。だるい。)
横島がぼんやりと時計を見ながら学生の義務を思い出す。
普段から学校の勉学にはそんなに興味が無く、面倒だと思っているのだが…。
今日は一段と面倒だ。
理由としてはお判りだろう。
朝の山道全力マラソン。
傾国の妖怪のプレッシャー。
何で起きてから二時間で此処まで疲れなくてはならないのだ。
(サボろ………。)
あっさりと学校をサボる事を決意する横島。
彼は担任にその事を連絡するために、フラフラと立ち上がった。
「いてててててっ………。」
足が既に筋肉痛で悲鳴を上げる。
横島はその痛みで表情を歪めながら電話がある所まで行くと、手早く学校に欠席すると連絡を入れた。
「サボるか?」
居間に戻ると、茶をすすりながら八神が問いかけてきた。
「ういっす。」
横島はそれに対し簡素にそう答える。
「そうか。」
八神は別段気にした様子はなく、また茶をすすり始める。
学校に行く行かないぐらいは、自分で判断しろという事だ。
横島自身もそれは判っているので、特に気にした様子も無く、ちゃぶ台の上の食器を片付け始める。
「某も手伝います。」
ジロウはそう言って立ち上がり、ちゃぶ台の上の食器を持ち始める。
「ガウ。ガウ。」
シロが尻尾を振りながら、横島へ向け吠える。
恐らく自分も手伝うと言いたいのだろう。
しかし……幾らなんでもその姿では無理だ。
そう思った横島は、苦笑を浮かべながら優しくシロの好意を断った。
「ク〜〜〜〜ン。」
シロは落ち込んで小さい背中を、更に小さくした。
その姿に横島が罪悪感を感じたのは仕方がない。
「そっ……そういえば、ジロウさんとシロはこれから如何するんっすか?」
何となく気まずくなった横島が、ジロウに話を振る。
「ああ、そういえば言っていませんでしたね。某とシロは横島殿にお礼を言いに来たのもありますが。里の冬越えの為に必要な食料を手に入れにきたのでもあります。」
「それってもう手に入ったんっすか?」
「ええ。昨晩八神殿から頂きました。」
「本当か? 爺さん?」
横島がジロウから視線を八神に移す。
「ああ。この家には食料など腐るほどあるからのォ。少し分けたんじゃ。」
「へ〜〜〜。」
八神の答えに、適当に相槌をうつ横島。
彼は再びジロウの方に視線を戻す。
「それじゃあ。この後にでも帰るんっすか?」
「ええ……。某だけですが…。」
ジロウの言葉に横島が驚いた様に目を丸くする。
「シロは?」
「此処に暫くお世話になります。」
「ガウ!?」
落ち込んでいたシロが、唐突にジロウの方を向き、一際大きな声で吠える。
そんな娘の方を向き、ジロウは済まなそうに苦笑した。
「すまんなシロ……。しかしこれもお前の為なのだ。判ってくれ。」
「ガウガウ! ガウ! ガウ!」
「ああ……。本当にすまん。しかしお前も理解しているはず…。今里がどれほど危うい状態か。お前は我ら人狼族の次代への希望。今失うわけにはいかないのだ。」
「ク〜〜〜〜〜ン………。」
「すまん……。」
悲痛な表情でお互いを見つめる人狼親子。
しかし残念な事に犬語……狼語? が判らない横島にはサッパリな会話だった。
タマモは頬杖をついて興味なさそうに、そんな親子を見ていたが。
その表情から恐らく、会話の内容が判っているのだろう。
流石は同じ獣っ子。
是非通訳をして欲しかったが、まだ少し機嫌の悪い彼女へ、そんな事言える度胸は横島には無かった。
「話は纏まったのかな?」
横島が首を傾げながら八神に問いかける。
「恐らくのォ。まあ、わしらは洗い物をさっさと終わらせるかのォ。ジロウ殿も準備が整い次第、此処を発つと言うし…。」
「了解。」
横島と八神が台所にあるスポンジを手に取り、洗剤をつけて皿を洗い始める。
「はい。」
するとタマモが素っ気無い言葉と共に、横島の隣に汚れた食器を置く。
そんな彼女に横島は思わず腰が引けてしまった。
「何よ……? 別にもう怒ってないわよ…。」
横島の態度が気に入らなかったのか。
タマモは彼を横目で睨みつけた。
「あっ……いやねえ。」
「怒ってない。」
「はい。」
タマモは引き攣った表情で後退った横島に、少し怒気を込めて声を出す。
横島は絶対まだ怒っているとは思ったが、そんな事を言ったらまた機嫌が悪くなるので、大人しく彼女の言葉を肯定した。
触らぬタマモに祟り無しである。
「フム。なら昼はきつねうどんにしようと思ったが止めるかのォ。」
「なっ!?」
突然真剣な表情で口にした八神の台詞に、タマモが大げさ過ぎるほど驚く。
「そっ……それとこれとは別でしょ!? いや……。怒ってはいないけど、許してはまだいないんだからね!? だからそんなの駄目よ!!」
タマモは必死な形相で八神に掴みかかった。
「冗談じゃ。作ってやるから安心せい。」
「んなっ……。」
八神は悪戯が成功した子供のような笑みを浮かべると、タマモの頭を優しく撫でた。
見事に騙されたタマモは、耳まで真っ赤にして下を向き、黙り込んでしまった。
「まだまだ、青いのォ〜〜。」
「ううううう………。」
満足そうに頷く八神に対し、タマモは悔しそうに彼を睨みつける。
しかし其処には先程までの迫力は無く。
非常に可愛い女の子としての姿しかなかった。
(傾国の妖怪も今世紀最大の狸爺にはまだ勝てないか……。)
ため息混じりに皿を洗いながら、横島はそう思った。
しかし忘れないで欲しい。
今こうやって八神にからかわれたタマモのストレス発散の矛先が、何処に向かうかと言う事を……。
横島が皿洗いを再開した八神を恨めしげに睨み付ける。
そんな横島の視線に気付いた八神は、不敵に笑って「頑張れ」と声には出さず口を動かすだけで言った。
訂正。この爺は今世紀最大の狸爺ではなくて、今世紀最大のクソ爺だ。
横島は殴りかかりたい衝動を一生懸命抑えながら、手を動かし続けた。
皿も洗い終わり、朝の仕事はこれで全て終わった。
普段なら横島は学校に行くのだが今日はそれも無い。
故に彼はジロウの帰り支度の手伝いをして午前中を過ごす事にした。
その時に彼が驚いたのはその荷物の量だ。
米50キロ、缶詰300個以上、後、野菜とか果物。
一体この家の中の何処にあったんだ。
特に缶詰。
あきらかに可笑しいだろ?
八神に問いただすと、いろんな奴が送ってくるらしい。
(いろんな奴って誰だよ?)
心の中で横島は思わず突っ込んだが、彼もそれ以上追求はしなかった。
そんなこんなでジロウの荷造りも終わり、彼らは今玄関に来ていた。
「では、お世話になりました。シロの事をよろしくお願いします。」
あれだけの荷物を肩に担いだり、手に持ったりしているのにも関わらず、ジロウは涼しい顔をしていた。
そしてそのまま横島達に向け、相変わらずの綺麗な一礼をする。
その姿に横島は改めて人狼の凄さを思い知った。
「うむ。お主も道中気をつけてな。」
「はい。シロ……。八神殿たちに余りご迷惑をかけるなよ。」
「ガウ!」
真剣な表情で紡がれたジロウの言葉に、シロが頷きながら吠える。
するとジロウが一歩前に出てシロの頭を両手で掴む。
「そしてシロ……。狼の誇りを忘れるな。」
「ガッ……。ガウ?」
シロは突然の父親の行動に動揺する。
だがジロウはそんな娘を無視して言葉を続ける。
「首輪は駄目だぞ?」
「ガッ…。ガウ! ガウ!」
その真剣な表情から発せられる威圧感に圧倒され、涙目になったシロが何度も頷く。
其処でジロウは満足げに頷くと、シロの頭を優しく撫でてやり、彼女から離れていった。
「では、ごめん。」
それだけ言うとジロウは玄関の戸を開け、颯爽と森の中に消えていった。
「なんだったんだ…。最後の……。」
横島は未だに小刻みに震えているシロを抱き上げながら呟く。
「さあ〜〜〜。」
そんな彼に首を傾げて答えるタマモ。
「まあ、人狼にも色々あるのじゃろう。それよりもじゃ。これでまた一人居候が増えたわけか……。」
八神が顎に手を当てながら、横島の腕の中にいるシロを覗き見る。
「しかし……。昼間はこの姿って結構不憫やな。如何にかならんのか爺さん?」
シロの背中を撫でながら八神に問いかける横島。
「精霊石でも持たせれば大丈夫じゃ。あれはエネルギーの結晶じゃから持っとくだけでシロが人化出来るぐらいの力を与えてくれる。」
「この家にあったけ?」
「倉庫の中に転がっておるじゃろう。」
「一個数億する精霊石が倉庫に転がっているか……。」
横島はそれを想像して思わず、引き攣った笑みを浮かべてしまった。
まあ、今更驚く事でもないのかもしれないが……。
「まあ、精霊石に関しては今から取りに行くかのォ。」
八神が軽く肩を回しながら横島達に背を向け、廊下を歩いていく。
横島はそんな彼の背中を一瞥すると、大分落ち着きを取り戻したシロを床に下ろした。
「ク〜〜〜ン。」
床に下ろされたシロは甘える様に鳴き、横島の足元に擦り寄る。
「悪くないな……。」
「何がよ。」
横島の今の一言で、タマモの視線が一気に冷たい物に変わる。
しかしそんなタマモの変化に横島は気付かない。
彼は足元にいるシロを再び撫で始め、穏やかな笑みを浮かべて口を開いた。
「妹……みたいな存在がだよ。」
「はあ?」
横島の言葉を理解できなかったタマモが、怪訝そうな表情で首を傾げる。
そんな彼女に横島は特に何も言わず、苦笑をして返した。
一人っ子の彼は少しだけ兄弟に憧れていた。
故に今朝だってシロを妹として扱う事が、満更ではなかったのだ
タマモとは少し違う存在。
純粋に妹と思える存在。
「うん。悪くないな。」
横島はシロの頭を撫でながら何度も頷いていた。
「よ〜〜〜し。シロ今日から俺の事を『お兄ちゃん』と呼べ!」
嬉しそうにシロに語りかける横島の隣で、タマモの視線がより一層冷たいものになった。
あとがき
まずは此処まで読んでくださった方々に感謝を…。
長い間投稿していませんでしたので、一気に三話を書き終え投稿させていただきました。
しかし次回はまた少し実家の方に帰りますので、投稿が一週間ほど空くかもしれません。
申し訳ない。
では、次回も読んでいただけたら幸いです。
レス返し。
通りすがり様。
普段の運は低そうでもここ一番の運は高そうですから横島って。
これからも可愛いタマモを書いていけるように努力していきます。
ミッツ様。
楽しみにして頂き有難うございます。これからもそう思ってもらえる様にこの物語を書いていきたいです。
Tシロー様。
確かにあの雰囲気だと長老に死亡フラグが立っているように見えますね……。こと細かくはまだ決めていないのですが。
GSキャラは次回もまた新しいのが出て来ます。人数が増えれば増えるだけ書くのが難しいのですが、頑張っていきたいです。
内海一弘様。
タマモの誘惑に崩壊する横島を書くとき……18禁の印をつけなくてはいけないのだろうか。エロを一度も書いた事が無い私としては、其処で悩んでいます。
犬飼の動き…原作よりも早まるでしょうがもう少し先を予定しています。
さんせい様。
そうですね。気絶させて問答無用で奪うのは犬塚父らしくないと思います。
シロが新たに加わった八神の家。にぎやかに書いていきたいと思います。
いちこ様。
微笑ましいタマモをこれからも書いていきたいです。
ミ二グラム様。
やはり疑問なく、楽しく読んで頂きたいので、これからも何か疑問や違和感があればまたお知らせ下さい。次回も期待に沿えるように書きたいです。
鹿苑寺様。
10年早い! 確かに……w。
薬について。
う〜〜む。違和感を完璧に取る事が出来ず申し訳ないです。
大人たちの悪巧みについて。
フェンリル戦かその少し前に書くつもりでしたが、少しでも違和感を無くして貰う為に此処で書きます。
この設定は完全オリジナルではなく結構忠実も入っています。古くから日本には陰陽寮と言うものがありました。しかしこれは明治時代に入り明治政府から非常に邪魔な存在として見られます。それは何故かと言いますと、陰陽寮が日本の富国強兵、西洋の最新技術の導入などを強く拒んだからです。それによって陰陽寮は天皇の意思に背く非礼者とか、日本古来の神道があるにも関わらず出しゃばる不届き者とか言われて(陰陽は元々中国由来です)立場が最悪になって行きます。忠実ではここら辺で当主の死去とかあり陰陽寮が廃止されるのですが、GSの世界での陰陽寮の役目は妖怪退治にあります。
此処からがオリ設定です。人狼は皆一人一人何かと帯刀しています。また妖刀八房は人狼族の刀鍛冶が作った剣。剣を造りには金属が必要。しかしあくまでも野生である人狼族は群れを作って生きていると思ったので、人間のように物の流通があったかもしれないが、発達していたとは考えられない。という事は人狼が住む里の一つ一つの近くに良質な金属がとれる鉱山があったのではと考えました。そして人間の時世は富国強兵を目指す時期……。彼らにとって武器を生産するために良質な金属は喉から手が出るほど欲しかったはずです。
此処で当時の政府は考えました。邪魔な陰陽寮の人間を人狼にぶつけたら、一石二鳥では無いかと。そうやって始まったのが明治期の大規模な人狼狩り……その裏での陰陽師狩りなのです。故にそこで死んでいった陰陽師の家族は、どちらかというと人狼ではなく当時の明治政府を恨んだ……っと設定しました。それに天皇に逆らった逆賊の一族とか言って、当時ならば一族全員闇に葬られたみたいな設定も考えられそうですし……。
後、人狼は狼と違い知能も姿も人間っぽいから自分達も狩だけでなく畜産や農耕も出来たのではないかと考えています。狼と同じ様な害獣として見られるというのには少し違和感を感じました。それに彼らは盗みなんて出来そうに無さそうですしw。
最後に原作のシロの台詞にありましたが、人狼の中には復讐の為に時々人を襲う奴もいるらしいです。
大変長々と書いてしまいましたが、少しでも楽しく読んでいただけるよう。疑問や違和感を出来るだけ解決していきたいと思います。
風来人様。
タマモといえば何故か小悪魔と思ってしまう私。間違っているのでしょうか……。シロタマの掛け合いを今回書けずに終わってしまいすいませんでした。原作の様に天狗編でシロタマの距離が近づかなかったので、何か他に一話作って二人の話を書こうかなと思っています。
DOM様。
年の功と言いますか…爺さんの器は大きいです。
フェンリル編は原作よりも繰り上がりますね。犬塚父の娘を横島達に預ける行為もそれを早める要因となります。
『兄上』という呼び方は当に一番しっくりくるものだと私も思いました。
まじ様。
本文で書いていなかったですが、横島が薬を渡した理由は、大切な者を失う悲しさを知っているからこそ、犬塚父が大切な者を失わないとする心情が理解できた。後、犬塚父の娘を救おうとする意志の力に負けたなどが上げられると思います。大事な事を書いてなくてすいませんでした。
天狗とも戦わないのが正解では、というのは当にその通りです。故に八神は天狗の下に行くと言う選択肢を外しました。それで戦って勝てないなら色々手はありますね。例えば相手を騙す事。薬といっても犬塚父は実物を見たわけでは無い。だから他の物で代用して渡すというのも考えられます。しかし物語を続ける為にそこら辺の選択は除外しました。
薬も子供だから半分で事足りるのでは、というのですが……これは考えられますね。天狗と対峙した時横島は妖弧に効く薬が欲しいと言いました。決して子供とは言っておりません。故に天狗もある程度成長した妖弧を想像して薬を渡したと言う可能性も出てきます。
これは感想を読ませていただき横島の台詞を修正させて頂きました。ご意見有難うございました。