早川悟は警察官である。
東京某所の交番勤務歴二年弱、ご近所でも評判の正義感に溢るる熱血漢だ。多少古臭い表現だが、本人と接すればがっしりとした風貌に頷けること請け合いである。
「おはようございまーす!」
住宅街とオフィス街を繋ぐやや大きめの交差点に睨みを利かせる小さな交番。その前で立番をしている早川の日課は、通りかかる人々への元気の良い挨拶、声掛けであった。
大きな声を浴びる人々の中には、立ち止まって世間話に興じる者までいる。民間人と警察官のあるべき姿が、小さな形だが確かにここには存在した。
「おはようご……ん?」
午前七時少し前。同じ交番勤務の先輩と違い、彼は朝に滅法強い。立番は交代で行うのが基本ではあるが、この日、早川は寝ぼけ眼の定まらない先輩に代わり外に出ていた。
くいくいっ、と制服のシャツの裾を引っ張られるのに気付いたのは、通勤通学にも少し早い、そんな時間帯でのことだ。
「………」
「………えーと? お嬢ちゃん、迷子かな?」
警察官たるもの、人の気配には敏感でなければならない。否、警察官以前に、一人の格闘家として。ベタではあるが、柔道の段持ちである早川はその教えに忠実だった。
その自分が、この…小学校低学年程度っぽい子供、しかも女の子が隣に立つまで気付けなかったとは。
俯いているため、その表情は早川の身長では確認出来ない。
親とはぐれたのかな、と大柄な警察官は少女の前に跪く。安心感を与えるための爽やかな微笑み付き。
「………ほあ」
「え? (うわ、可愛い子だなあ…外国人? でも何故にジャージ…)」
改めて少女を見ると、かなりの美少女であることが朴念仁の早川にも理解出来た。金髪で碧眼…この辺りは外国人の家族も多いので珍しくはない。一応山の手に分類されるエリアでもあるし。
でも何故か、極めて庶民的な赤いジャージを着ている。
「……………ほ、ほあ」
「ん? これって…名刺? ……うげ、こりゃ」
頬を赤らめた少女がジャージのポケットからおずおずと差し出したのは、一枚の汚れた名刺だった。
しかも、この界隈では知らぬものなど皆無に等しい名物…もとい有名人のものだ。
「美神令子除霊事務所…君、ここに何か用事が?」
こくこくと頷く少女。
早川はここ数年でかの事務所周辺で起こった事件事故の数を思い出して、太い眉を顰めた。事務所周辺のみならず、彼女本人の関わった大事件には暇が無い。
早川に霊感は皆無だが、GSという職業がインチキでも詐欺でもなく、れっきとした職業として成り立っている…しかもプロスポーツ選手以上の高給取り…なのは理解している。
が。
時折目の前の交差点を凄まじいスピードで駆け抜けていく、真っ赤なコブラを見る度に早川は脱力感に襲われる。
一体どこの漫画世界に紛れ込んだんだ自分は、と。
しかも運転しているのが絶世の美女ともなれば、尚更である。出来すぎている。あまりにキャラが立ちすぎている。
「……ほあ?」
「あ、ああ、ごめんよ。…もしかして、ここに行きたいのかな? 美神令子さんの妹さんとか?」
「………(ふるふる)」
相変わらず言葉が良く聞き取れないのだが、少女からは家出や虐待家庭からの脱出、通報といった事件性は感じられない。
言葉がどもりがちなのは、やはり緊張しているせいだろうか。早川は頭を掠めていった保護、連絡といった行程を一旦忘れ、根気良く話を聞くことにした。
同じ人間同士、話せば通じる。霊や妖怪…あっちの世界の存在でもあるまいし。
持ち前の正義感と警官としての責務を胸に、早川が改めて少女に向き直ると。
「「………ほあ」」
「ここは怖い幽霊を相手にするってええええええええええええええ!?」
少女が二人になっていた。
一瞬自分の目を疑ったが、少女二人が顔を見合わせてくすくす微笑んでいる様子を見て、双子なのかと得心がいった。どうやら自分の大仰な驚き方がおかしかったらしい。
…またしても気配を察知出来なかったが。
「えーと…あー…君達? 僕をからかってる訳じゃ…」
子供の悪戯なのかとも思い、若干強面を作って早川は少女達に言葉を掛ける。
返答は、揃って首を振る仕草だ。二人呼吸の合った動作に、早川の強面もあっという間に苦笑へ変わる。
「分かった分かった。あの事務所におつかいなんだね? 今、地図を持ってきてあげるから」
初めてのおつかい、にしては行き先が物騒だが。
早川は交番内のデスクから近辺の地図を持ってくると、少女達に見えやすいように大きく広げた。地図と早川の間に、少女二人を抱え込むような格好だ。
後から現れた少女は、胸に毛布の固まりを抱いている。道順を説明しながらその毛布に注目すると、時折もぞもぞと動いているようだった。犬でも拾ったのかも知れない。
「いいかい? この交番はここ。で、美神令子除霊事務所は…」
「………ほあ」
「………ほぁ」
真剣な表情と、とぼけたような声のギャップが微笑ましい。自分にもこのくらいの娘がいておかしくないよなあ、と独身の早川は二人の様子を見ながら思うばかりだ。
早川は最後に簡単な手書きの地図をメモ帳に書き付けて破り、少女に持たせてやった。両手でお行儀良く受け取る少女と、毛布を抱えてぺこんと隣でお辞儀をするもう一人の少女。
「じゃあ気をつけて行くんだよ。分からなくなったら、何度でもここに来なさい」
「………ほあ!」
「………ほあ!」
二人は揃ってお辞儀をすると、淡い雰囲気とはかけ離れた力強いフォームで青信号の横断歩道を駆け渡っていった。
…なるほど、陸上やってる子達なのか。
早川は彼女達が鋭角なステップで通行人をかわして進む様子に感心するばかりだ。ジャージ姿なのも早朝トレーニングだとすれば意味が通る。
「……ジョギング中に子犬でも拾ったのかな? で、その飼い主が美神令子で、届けるとか。うん、無理の無い想像じゃないか」
ただ一点、美神令子と子犬が全くそぐわない点を除いて、だが。あの人なら、地獄の番犬とか飼ってそうだし。
早川は『あっち側の人間』の筆頭である美神の色んな噂を思い出しつつ、少女二人を見送った歩道前から交番へと踵を返す。
すると。
「おっさんおっさん! ケーサツの人だろ!? 妹知らね!? 妹!?」
「双子の妹とはぐれちゃって。ここ、ケーサツカンがヒジョーセン張ってる砦だよね?」
「…………詰め所だろう、ここは」
「…………ふぅ」
そこでは、さっきまで寝ていた先輩警官が、少年二人と青年二人の新たなる双子二組に取り囲まれてパニックを起こしかけていた。
「……………………………………………」
早川は、自分がどちら側の人間なのか、そのシュールな光景を見ながら自問するのだった。
スランプ・オーバーズ! 29
「兆候」
「よん、じゅううううううう…いちぃぃぃぃ……」
力みに力みまくった野太い声。元から太いのではなくて、状況がそうさせているのは明確だったが。
宮下健二の朝は、百回のスクワットから始まる。
「健二さん、ほーらファイトー」
「よん、じゅうううううう……にいいいぃぃぃぃ……」
まだ半分も終わっていないというのに、彼の苦悶の表情は今にも破裂しそうに膨らんでいる。汗が血の色に変わりそうな勢いである。
そんな彼の額にそっとハンカチを当てて声をかけるのは、健二のパートナー兼恋人の女性、久遠梓だ。息がかかるほどの近くから、微笑を浮かべる梓は健二を甲斐甲斐しく見守っている。
「よんじゅう、う、ううううう…………さん……」
「昨日よりもいいペースですよ。その調子で頑張って!」
「よんじゅ、ううううぅぅぅぅぅぅぅぅ……よぉぉぉぉぉぉん……」
体育会系の空気漂う二人が筋トレに興じているのは、汗臭さとはまるで無縁であるはずの、静謐な空間だった。
若干煤臭いというか俗っぽいというか、神聖さより先に生活感のほうが目に付く、小さな教会の礼拝堂。
十字架に架けられた彼の神が見守る中、健二は再びぎしぎしと脚を屈ませた。
「自分から言い出したことなんですから、しっかりやらないとね?」
「よんじゅううぅぅぅううぅぅうううううううううううううう……ごぅぅぅぅうう」
梓の微笑は、健二に力を与えてはくれるが。補給が消費に全く追いつかないので意味はない。体力とは別次元の力にはなるけれど、宮下が今欲しいのはもっと分かり易いものだった。
具体的には、アップライトピアノ一台担いでも平気な体力。
「よんじゅうううううううぅぅぅううううううう………ろくうううぅぅぅぅう」
健二が何故ピアノを担ぐ必要があるのか、それは多少長い話になるので割愛するが…健二にもプライドがある。男に二言はない、と己の一番大事な人に誓ったことでもある。
梓の隣にいて恥ずかしくないお供…もとい男になるために、この特訓は必要だった。
「お、やってるね宮下君。久遠君も…あー…お手伝いかい?」
「あら、お恥ずかしい所を…」
梓は健二にお姫さま抱っこされた状態で、声の主を出迎えていた。決して落とせない、健二のための負荷だ。当の健二には拷問のようだったが。
礼拝堂の奥、生活スペースへ続く扉を開いて早朝の礼拝堂に姿を現したのは、それこそこの場に最も相応しい格好と雰囲気を兼ね備えた男性だ。
「唐巣先生。お早うございます」
「よんじゅうううううううううううぅぅううう…おはよぅぅぅございまぁぁぁぁすぁぁぁ…ななああああああぁぁぁ」
唐巣和宏。GS業界におけるトップレベルの存在であり、次期日本GS協会会長の呼び声高い人格者である。
思慮深く信心深く、それでいて咄嗟の判断では大胆な行動も取れる一流の霊能者で、彼に憧れるGSも少なくない。
その人柄を見込まれて、将来有望なGS見習いの若者を預けられることもしばし。かの美神美智恵・令子親子もまた唐巣神父の世話になった存在だ。
「これが終わったら朝食の準備しますから、少し待っててくださいね」
「ああ、お願いするよ。久遠君の食事は美味しいからね」
「あら、褒めても何も出ませんよ?」
「あっはっは」
「………………よんじゅう、はちいいいいいいいいいいっ!!」
妙神山から下山した梓と健二は、小竜姫から渡された推薦状を手に唐巣教会の門を叩いていた。ピアニストとしての職務もなんとか全うし、やっと本腰を入れてGS修行に入れると、梓は上機嫌だった。弟子入り先がすんなり見つかったことも僥倖だ。小竜姫さまさまである。
「私は今日WGCAの方に講師で呼ばれているから、帰りは遅くなると思う。君達はどうする? 向こうの所長さんにもお会いするから、顔を出してみるかい?」
「WGCA…でもいいのですか? GS側の重鎮である唐巣先生が、GC育成に手を貸したりしても」
「よんじゅうぅぅぅぅぅううぅぅ……くうううぅぅぅぅぅ…」
WGCA-JAPAN側から日本GS協会に、講師派遣の打診があったのは一月ほど前のことだった。
免許はあれど資金面、能力面の問題で開業出来ないでいるペーパーGSや、限定的な仕事で細々と食いつないでいる弱小事務所等を貪欲に取り込んで成長してきたWGCAは、個々のポテンシャルに差があり過ぎて、除霊依頼するGCに偏りが生まれるけらいがある。
特に上陸して間もないWGCA-JAPANはその傾向が顕著で、このままだと受けられる仕事の幅も狭く、広いニーズに対応し切れない。
そこで、ロディマス=柊…WGCA-JAPAN所長は協会に掛け合って、一定水準レベルのGC育成のための講師派遣を要請したのだった。あくまでも、最低線の能力を維持するために、だ。
オカルト業界はダイレクトに生死の問題と向き合う世界である。
GS協会側としても、霊能者全体のレベルを引き上げ、業界イメージの向上が狙えるのならば、と承諾した。アシュタロス事変後のGSへの風当たりは、決して温かくは無かったから。
「ごじゅううううううううううううっ……」
「GSというのはあくまで枠組みに過ぎない。私達は人々のために、彼らの分かり易い形としてGSを名乗っているだけなんだ。他人を助けるのに肩書きに囚われていては、本末転倒だ」
「立派なお考えですわ、唐巣先生。先生の弟子になれて光栄です、本当に」
「いやいや、おだてても何も出ないよ?」
「あらそんな」
「あっはっは」
「……………ごじゅううううううううううううう……いちぃぃぃぃ…」
健二にも色々と言いたいことはあったが、自重した。というか喋れなかった。ともすれば笑い出しそうになる膝を根性で支えて、目標回数の半分を折り返す。
「で、どうする? 一緒に行くかい」
「うーん…健二さん、どうします?」
「ごじゅううぅぅう…にぃぃぃ……あず、さにぃぃぃぃ……任せるぅぅぅぅぅぅぅ」
「宮下君を見てると…何故か横島君を思い出すね」
待遇に違いはあれど、横島と健二には宿命的な相似のようなものを感じてしまう唐巣であった。案外、いい友人同士になれるかも知れない。
ひとまず唐巣は二人の筋トレが終わるまで、己が神に祈りを捧げたり祭壇を掃除したりといつもの朝の日課を終わらせることにした。健二の呻き声が響く中ではどうにも様にならない状況だったが。
「ひゃ、く……ぅうぅは。おわ、った………」
唐巣は健二の何もかも出し尽くしたような声を聞きながらちらりと腕時計を見る。数日前と比べて、確実にトレーニングの成果は上がっているようだ。ここに来る前から、健二は何か目標を持って筋力アップに励んでいたようだから、下地は出来ているのだろう。
その目標がピアノを背負って歩く事だと露とも知らぬ唐巣は、また少しだけ時間短縮に成功した健二へ労いの声を掛けてやる。へたり込んだ健二は、軽く首肯しただけでぜえぜえと荒い息を吐き出すに留まった。
「じゃあ私は朝食の支度をしてきます。裏の畑…今日のサラダはトマトにしましょうか」
「ああ、気をつけて」
にこりと微笑んだ梓は唐巣が出てきた扉へと入っていく。艶やかな黒髪が健二の鼻先を撫でていったのが、くすぐったかった。
「あ、唐巣先生。さっきの横島さんって…どんな人なんです?」
「ん、彼かい? …そうだな。とても複雑な子だよ」
「複雑…?」
来客用の長椅子に座った健二は、首に掛けたタオルで汗を拭きながら、先ほどの唐巣の言葉に疑問を投げる。自分に似ているという男のことだ。
九音堂での事件時、最終局面でおキヌや自分のピンチを救ったのは彼だった。正確には、美神令子であったのかも知れないが…きっかけを作ったのは横島忠夫という人間だ。
碌に話も出来ないまま美神に連れて行かれたので、礼の一つも言えなかったのが気にかかっていた。
「彼を説明するのは、とても簡単だ。でも、同時にとても難しい。美神令子の助手で、稀代の霊能…文珠を使う凄腕GS見習い。性格はあけすけで、美人に弱くおだてに弱く、それでいて一途で純粋な面も併せ持ち、周囲に与える影響も大きい」
「…確かに複雑ですね」
「うん。現在、文珠を扱える人間は彼一人だと言われていてね。私が思うに、あの文珠…あの仕様と彼の内面は密接に関係している」
唐巣は自分も健二の対面に座ると、柔和で穏やかな笑みを少しだけ引き締め、言葉を選ぶようにして話を続けていく。
「文珠はあらゆる困難を打開する可能性を秘めた、究極の霊能力だ。というか、もう霊能というカテゴリにすら納まらない超能力だね。彼を知らず、けれど文珠を知る人間には羨望の的だろう」
「そりゃそうでしょうね。ちょっと聞きかじっただけの俺でも、その凄さが分かるくらいだし」
「でもね、宮下君。私は…彼が文珠を発現したと聞いたとき、不思議に納得したものだよ。ああそうか、その手があったな、とね」
唐巣はきょとんとする健二へ、尚も続ける。
「どうしてだと思う? 私にはね、横島君がずっと不自由な戦いを強いられてきたように見えていたんだ。状況や環境、対峙する相手…自分の思い描く『自分』と、今とのギャップ…そんなものに悩んでいたようにね」
「でも、そんなのは誰にだって、それこそ先生にだってお有りでしょう? 敵が強くて、もっと自分に力があればと思うことは」
「そうだね。昔、私が妙神山を訪れて修行したのもそんな想いがあったからだ。だが、横島君のそれとは少し違うような気がするんだよ」
「はあ………?」
遠くを見るように健二から視線を外した唐巣は、それきり口を噤んだ。まだ自分自身、消化し切れていない内容だったのだろう。
横島忠夫に対する評価は唐巣から見ても難しい。人を教え導く立場にいる者である以上、軽はずみな判断は出来ない。今語ったことに偽りは無いが、宮下を納得させられるオチは見つかっていない。
「はー……唐巣先生ほどの人間になると、考え一つとっても俺みたいなのとは深みが違うんですねえ…」
「はは、私は人間だけじゃなくて、神族魔族、妖怪に悪霊…色々な存在と対話を重ねてきたからね。その分、少しだけ視野が拓けたのかも知れないな」
「確かに個性的な面子ですよね…」
健二は妙神山で出会った小竜姫やパピリオ、斉天大聖老師の事を思い出しながら、そう述懐する。特にかの孫悟空のイメージとお猿の老師のギャップの凄まじさたるや…
「どうかしたかい?」
「………中国人には見せられないな、と思いました」
「は?」
達観した表情であさってを見やる健二であった。
朝食の支度を済ませた梓が二人を呼びに来て、この話題は一旦打ち切られた。だが、健二の胸には件の少年、横島忠夫に対する興味が尽きないでいる。
九音堂ですれ違っただけの少年だが、彼を見送る氷室キヌの表情は安堵に満ちていた。それだけの何かが、彼にはあるのだ。
その何かが、知りたい。
唐巣が複雑だと言った何かにも通じる筈の、それを。
健二は筋肉痛で痺れる脚を引き摺りながら、唐巣の後ろを台所へと着いていった。
「お早うございます、美神さん。朝ごはん食べますよね?」
「あー……うん………ありがと」
目の下に隈を浮かべる美神を出迎えたのは、粒の立った炊き立てご飯に焼き茄子の味噌汁、おかずは塩加減の絶妙なサンマの塩焼きと軽く炙ってある海苔。たくあんは三切れ。
極めて家庭的だが、まるで旅館の朝食のような雰囲気。
徹夜仕事から帰ってきた美神は、背負っていた荷物をリビングのソファに投げ捨て、肩を回しながら小鳩の待つ食卓へと向かう。
「ふああああ……あ。全く、荷物持ちが誰もいないってのも考えもんよねー」
「横島さん、まだ見つかってないんですか?」
「あの馬鹿、事態をややこしくしてる自覚あんのかしら? 帰ってきたら張り付け拷問にしてやる!」
「せめて獄門にしてあげてください……」
横島失踪後の美神除霊事務所では、美神が孤軍奮闘、それまでと変わらぬ量の仕事をこなしていた。
地味な張り込みが必要な場合も、大雨時にしか現れない妖怪退治の際も、彼女は半ば意地、半ば自棄になって一人で職務を遂行した。
昨日もいつ現れるか分からない悪霊を待って、廃ビルの一角で一夜を過ごした。結局明け方にひょっこり現れた敵をオーバーキル気味に除霊し、実働一分にも満たない有様である。
効率の悪さは自覚しているが、天華のお陰で手数のフォローが効くので少しは助かっていた。依頼の多くは霊相の悪さから集まってくる雑魚霊の除霊であり、破魔札乱舞の代わりに天華で薙ぎ払える現状は、経費節約の面でも美神にはうってつけの得物だった。
「とはいっても、このまんまじゃねー」
「短期のお手伝いさん、雇わないんですか? 小鳩みたいに」
「昔だったら、求人出せばかなりの応募は見込めたんだけどね。…あの事件があってから、ウチが凄まじく危険な仕事してるって世間が知ったから」
「あ…」
あの事件とは言うまでも無くアシュタロス事変であり、渦中のど真ん中にいた美神除霊事務所の名もまた、今までとは違った形で世界中に喧伝される結果となった。
オカルト業界の動向も神経質なまでに見張られるようになり、オカルトGメンを初めとする公的対オカルト機構の再構成も急ピッチで進んでいる。GSの育成機関そのものにもその波は及んでいて、六道女学院の共学化なんて話も出ていた。
アシュタロス事変クラスの霊障が再発生した際に、民間GSの手に事態を委ねるしかないのでは国も面目が立たないのだろう。
現行のGS免許制度の抜本的改革も、協会では検討されている。GCの台頭による六道冥子の免停も、そんな過渡期だからこその処分だったのかも知れない。
「横島君にしてもおキヌちゃんにしても、ウチに入ったきっかけって特殊なのよ。逆に言えば、それくらいの…んー…まあ、あれよ」
「縁が無いと、ですか?」
「ま、まあね…ウチで働くにはそんくらいの覚悟が無いとやってけないわよ。今更誰かを普通に面接して普通に雇おうなんて、こっちだって考えてないわ」
縁、という言葉が気恥ずかしかったのか、美神は味噌汁を下品なくらい音を立てて啜った。溶いた辛子が茄子の上に添えてあったのをそのまま吸い込んだため、盛大に咽てしまったが。
慌ててティッシュを差し出す小鳩。
「早く皆さん、帰ってきてくれるといいですね」
「…………うん」
手渡されたティッシュで鼻周りを拭きながら、美神はこくんと頷いた。流石の彼女も、事務所の現状はちょっぴり切ない。
食卓には美神の分の食事しか用意されていない。小鳩は自宅で済ませている。
こんなにこのテーブルって広かったっけ、と美神は思う。振り返ってリビングを見ても、タマモがソファで寝転んでいる事も無ければシロが横島にじゃれ付いてもいない。
付喪神の兄妹が走り回ってもいないし、おキヌの姉のような、母のような叱咤の声が響くこともない。
「…冥子のGS免許、もうちょっと停めといても良かったかな」
冥子は既に美神の監督下から卒業している。美神が素行に問題なしのお墨付きを出したことで免停処分からも免れ、事務所住まいから実家の屋敷へと帰っていた。
あまりに寒々しくなってしまった事務所の中を見て美神が洩らすのも無理はないが、冥子の妙神山下山後からの成長っぷりを見たら、許可を出さざるを得なかった。
…と、美神のらしくないアンニュイな朝の風景に、騒々しい電子音が割り込んできた。小鳩は持っていた急須を置くと、小走りに廊下の電話へと向かう。
実はテーブルに子機が置いてあったのだが、小鳩曰く『何となく失礼な気がして…』と、彼女らしい気遣いで親機を用いるのが流儀だったりした。単に子機のある電話と縁が無かったからかも知れない。目頭が熱くなる話である。
「はい、美神令子除霊事務所でございま…あ! おキヌさん!」
電話口に立った小鳩の声のトーンが、思わず上がった。食卓に突っ伏していた美神の耳にもその名前は届いたようで、ひくりと反応して顔を起こす。
「はい、はい…お疲れ様でした、もう東京駅に? …ええ、あ、今代わりますね。いえいえこちらこそ」
小鳩が笑顔で振り向くと、美神が早足で近づいてきた。その子供のような反応に、小鳩は微笑を浮かべて受話器を手渡す。
「もしもし! …うん、お疲れ。修行はどうだった? ……へえ……ま、あれだけ私に啖呵切ったんだからね。それくらいは当然よ。ショウチリは大人しくしてた? そう。じゃあ駅に迎えに行けばいいのね? 仕事? あーいいのいいの。適当に断っとくから。じゃあまた後でね。…あ、横島君? ………あー……え、知ってるの!? ああ、ヒャクメか……ん、まあ後で話すわ。うん、それじゃあ待ってて。はいはーい」
小鳩はやすりで磨かれていくように表情を丸く、柔らかくしていく美神を見て、くすくすと笑っていた。リビングのサイドボード上に投げ出してあったコブラのキーを取ってきて、前日の徹夜仕事が嘘のように生気に満ちている彼女を眺める。
欠けたピースが嵌る感覚なのだろう。小鳩では代用出来ない隙間が、今まさに埋まっていく。…少々、寂しい気もしたが。
「おし! 花戸さん、私駅までおキヌちゃん迎えにー…」
「はいどうぞ。あんまり急いで事故とか起こさないで下さいね」
「っと、ありがと! じゃあ行ってきまーす!」
気持ち一つで、体はここまで軽くなる。
小鳩からキーを受け取った美神は、踊るように身を翻すと玄関へ向かった。
『あ、オーナーちょっとお待ちを』
「んあ!? あによ!?」
『えーと…』
が、人工幽霊一号のどこか困惑した声に美神はたたらを踏んで立ち止まった。恋人との逢瀬を邪魔されたような感覚に、自然と美神の声に険が籠もる。
「どーしたってのよ。急いでるんだけどさ」
『あー……』
「…?」
人工幽霊一号の煮え切らない様子は、いつも冷静で的確な彼にしては珍しいものだ。小鳩は首を傾げ、美神も眉根を寄せて報告を待つしかない。
『……ありのままにお話しますが』
「え、ええ」
上手い言葉での説明を諦めたのか、人工幽霊一号は居住まいを正すと、今事務所前で起きている出来事について平坦な声で淡々と報告した。
『現在、事務所入口の結界前で双子の女の子がこちらを見上げています』
「へ…?」
『しかも涙眼で。あ、本格的に泣きそう…しかも二人揃って…』
それは、兆候だ。
全てが集う兆し。
おキヌの帰還が発端となり、散り散りになっていた欠片達が元の場所へ…家へと帰る、その兆候。
欠片が揃い、一枚の絵と戻る日も近い。
『あーあ…泣いちゃった』
「ちょ、全然話が見えないっ!?」
…多少の混乱は、この際眼を瞑ってもらおう。
つづく
後書き
竜の庵です。
じわじわじわじわと事態は収束に向かっていきます。そのためにも、事務所の面子には早く集ってもらわないと。とはいえ、ままならないものです。
ではレス返しを。
February様
伝馬、悪役としての本性が露になってきましたねー…もうちょい黒さを出したい。
タマモはしかし、やられっ放しでは終わりませんとだけ。きっちりと伏線は貼らせて頂きました。うふ。
柳野雫様
オリキャラは極端な造形をしないと印象に残り辛いので…腕の問題もありますが。伝馬にはとことん悪人を貫いてもらいましょう。
家族達、というのはいいなあ…そうか、そういうお話になるのか(他人事か
勿論、横島も含めての大家族。漂流というか放浪というか、妹分との二人旅もそこそこにしてもらわないといけません。
リー様
初めましてー!
作者も好きな作品にオリキャラが出てきて主役張ったりする二次創作は、あんまり読みません。好みの問題ですよね。
伝馬は今後もどんどん悪役オーラを出していきます。まだ彼の器の程が描ききれていない現状では、どこまでGS美神の敵役として相応しい存在になるかは分かりませんが…報いと結末、どうぞお楽しみに。
以上レス返しでした。皆様有難うございました。
投稿ペースも内容的にもお粗末な本作に付き合って、毎度レスが頂けるのは正直感慨無量であります。今回なんざオリキャラの話八割じゃないか…! いいのかこれで!?
次回、記念すべき30話ですが…伝馬暗躍の薄暗いお話になりそうです。
もう開き直って原作キャラ出ない回もアリかな? 無いな…
ではこの辺で。最後までお読み頂き有難うございました!